巻頭言:主任司祭 晴佐久昌英 神父

あぶう ばぶう

主任司祭 晴佐久 昌英神父

 高校三年の冬でした。年末も近いころ、突然すばらしい考えがひらめきました。
 「そうだ、美大に行こう」
 何かを突然思いつき、思いついたら最後そうしないではいられないという性格上、滅多なことを思いついてはいけないことは分かっていましたが、ひらめいてしまったものはもう、どうしようもありません。その夜、仕事から帰ってきた父にその思いを話すと、この時期になっていくらなんでもいい加減すぎると思ったのでしょう、ひどく不機嫌な顔になりました。
 「何を馬鹿なこと言ってるんだ、世の中はそんな甘いもんじゃない。真面目によく考えろ。やりたいことだけやっていても、生きていけないんだぞ」
 父の言うことは全くその通りで、まともに反論も出来ず、しかし思いついてしまった以上、もはや引っ込めるという選択肢もなく、途方に暮れてうなだれているうちに涙がポロポロこぼれてきました。父はあきれ果て、「美術なんかやって、将来どうするつもりなんだ」と聞くので、これまた突然ひらめいて「子どもたちに福音を伝える絵本を作りたい」と答えました。
 その後、たぶん「あの子を信じてあげましょうよ」とかとりなしてくれたのでしょう、翌朝母が「お父さんのオッケー出たわよ」と伝えてくれました。喜んでその日のうちにさっそくデッサンの本と道具を買って来て、ウキウキしながら絵を描き始めた息子を、両親はどんな思いで見ていたのでしょうか。もっとも、その三年後には、この息子は「そうだ、神父になろう」と思いついてしまうわけですが。

 このたび、私の三冊目の絵本「あぶう ばぶう」が、ドン・ボスコ社のクリスマス絵本として出版されました。
 昨年、製作の依頼に来た編集者が、「うちの絵本、あまり売れないんですよ。なんとか受ける絵本を出したいんですが」というようなことを言うので、こうお答えしたのを思い出します。
 「お引き受けしますけど、売れるとか売れないとかはともかく、子どもたちに福音を伝える絵本にしましょう」
 何のことはない、三十年前と同じことを言ってるわけで、不思議と言うべきか当然と言うべきか、感慨深いものがあります。文章だけではあるけれども、ともかくも念願かなって「福音を伝える絵本」を作れるわけですから、何も遠慮することはありません。「内容はすべて、思いつくまま好きに作らせてもらいます」と申しあげたら、編集者は覚悟を決めたという顔つきで、「お願いします」と答えてくれました。
 そのときふと、生まれたばかりのイエスさまが、絵本を読んでる人に向かって両手を広げて語りかけている絵が思い浮かびました。そこで、「イエスさまを訪ねてきた人に、まだことばをしゃべれないイエスさまが福音を宣言するような話にしましょう」と言ったら、それはいい、ということになり、結局そのまんまの内容の絵本になりました。絵をお願いした、かにえこうじさんの絵は、まさにこのとき思い浮かべたまんまのイメージで、きっと子どもたちは強烈な印象を持ってくれるでしょうし、それが彼らの救いの原体験になってくれればと願っています。
 「子どもたちに福音を伝える」とは、何か福音について説明することではありません。福音を体験させることです。福音を語るのは神であり、その内容はひたすら神の愛です。神がわが子である人類一人ひとりに、ご自分の愛を伝えようとしているのですから、なによりもまず、そのお手伝いをする絵本にしたかったのです。そのシンボルとなるのが、イエスさまが絵本を読んでいる子供たちに向かって直接手を広げている場面です。ぜひこの場面を大勢の子どもたちに見てもらい、神さまに福音を語りかけられるという救いの体験をしてほしいと願っています。

 もうすぐ死者の月。第一日曜日には、五日市霊園の多摩教会墓地にみんなでお祈りに行きます。実は私の両親の墓も同じ霊園にあるので、ついでと言っては何ですが、お花を飾ってくるつもりです。そのとき、「あぶう ばぶう」もお供えしてこようかと思っています。「父さん、母さん、おかげさまで、子どもたちに福音を伝える絵本が出来ましたよ」、と。

巻頭言:主任司祭 晴佐久昌英 神父

教会縁日へどうぞおいでください

主任司祭 晴佐久 昌英神父

 古今の文化文明、東西の民族宗教でお祭りをもたないという集団はひとつもありません。わが家の誕生パーティーからワールドカップのような大イベントに至るまで、人類はいつでもどこでもお祭りを繰り返してきましたし、これからもこの世からお祭りがなくなることはないでしょう。なんなら「人間とはお祭りをする動物である」と定義付けてもいいかもしれません。
 祭りは「奉り」であり「祀り」ですから、その本質は神と人の交わりの機会です。普段は神を忘れがちな人間たちが、ひとときでも非日常の祝祭空間に身をおき、みんなで心をひとつにして祭礼を行い祝宴に興じることで、豊穣なる神の世界を体験し、神聖なる神とのつながりを取り戻すのが祭りなのです。
 この場合、日常の方が中心で、その日常を活性化するためにたまにはお祭りでもしようよ、というのが普通の感覚なのでしょうが、神との交わりということで言うならば実は非日常の方が中心なのですから、その非日常を本当の意味で大切にするためにこそ、日常の営みがあるというべきでしょう。まさに、人間はお祭りをするために生まれてくるのです。

 当然のことですが、キリスト教にも祭りがあります。いうまでもなくその中心はミサ聖祭であり、イエスの死と復活にその起源を持つ、キリスト教の究極の祭りです。しかし、ミサの聖性とその神秘は信仰によって受け止められるものである以上、一般の人になじみにくいものであることは事実です。ミサは本来的にすべての人のための宴でありすべての人を救う祭儀ではあるのですが、なじみにくいものである以上、そこへお招きするためには何らかの親しみやすい準備段階が必要でしょう。ちょうど神社のお祭りでも、奥の神殿で祝詞があげられている時に手前の境内では縁日が繰り広げられているように。
 司祭はその名のとおり祭りを司る者ですから、単にミサを司式するだけでなく、地域社会の人々をミサという祭礼へ招く奉仕をしています。当然のごとくこの「境内の縁日」に関心深く、力を注ぐことになります。それが、一般の人々を神の御許へとお招きする何よりの好機となると信じて。
 たとえば先日8月8日に開催したバイオリンコンサートなどは、だれもが「境内」に入ってこられるお祭りとして企画しました。パリオペラ座の高名なバイオリニストが身近な聖堂で天国のメロディーを奏でるということで、日ごろは敷居の高い宗教施設に大勢の人が「初めまして」と集ってくる様子に、心高鳴りました。
 そのとき、次は8月13日夕にだれでも参加できる納涼祭をしますというチラシを配ったら、そちらにも何人もの方が来てくれました。13日夜はもう聖コルベの日ですから、まず聖堂でコルベ神父の話をして、その後信徒館で乾杯をし、そうめんを囲んで楽しくおしゃべりしたのですが、そのとき複数の方が「この教会は居心地がいい」と言ってくれたのです。「居心地がいい」なんて最高のほめ言葉じゃないですか。そんな風に思ってもらえるなら、それこそ「お祭り効果」というべきでしょう。そこから「魂の居心地がいい」ミサ聖祭まで、あと一歩です。

 境内の縁日と言うなら、教会の場合は何といってもバザーです。地域の住民にとっても、ちょっとお得で何か楽しいという印象があるバザーは、すでにいわば「教会縁日」として認知されているわけですし、これを活用しない手はありません。ちょうど教会建設の借金も返済し終えたことですし、ここらでバザーの位置づけを明確にしようと、先日の司牧評議会でも話し合われ、今年のバザーは「地域に開かれたバザー」にしようということになりました。合わせてバザー実行委員会も発足することになりましたので、みんなで協力して「どうぞ、地域のみなさんおいでください」という、おもてなしの心こもったバザーにいたしましょう。
 ぜひ、それぞれの参加グループが、通りすがりにふらりと訪れてくれる人のことも考えた企画として、具体的に工夫してほしいと思います。現に入門係グループは、入り口付近に案内ブースを設けて、フレンドリーに声をかけたり聖堂のご案内をしたりするというような企画を考えています。おおまかな内容は例年通りだとしても、説明をていねいにするとか、応対を親切にするとか、ともかく歓待の精神あふれるバザーであってほしいのです。
 そんな教会縁日で多摩教会に親しみをもってくれた人が、それじゃあ今度、ミサというお祭りも覗いてみようかなと思ってくれたりしたら、どんなに素敵なことでしょうか。やがてその人は毎週来るようになり、ついには教会家族の一員となり、翌年のバザーでは案内係にもなって、「さあ、どうぞお入りください。実はわたしも去年のバザーで初めてこの教会を訪れて、親切にしてもらったんですよ」と言うことになるのですから。

巻頭言:主任司祭 晴佐久昌英 神父

あなたの居場所が、わたしの居場所

主任司祭 晴佐久 昌英神父

 辞書で「居場所」と引いても、たった一行「いるところ。いどころ」としか書いてありません。意味を説明すればそうなんでしょうが、実際にこの言葉を使っているわたしたちの実感としては、「居場所」は、単なる「いるところ」というだけではありません。もっと本質的でかけがえのない、人が生きていく上で欠かすことの出来ない特別な場所です。
 そこに自分がいていいところ。
 そこに自分がいてほしいと願われているところ。
 そこに自分がいることが自分の喜びでありみんなの喜びであるところ。
 手元の辞書では、居場所の用例としてひとつだけ「居場所がない」が載っていますが、もしも居場所がそのように他者から受け入れられるところであるならば、居場所がないということは絶望的に悲しい状況だということになります。それは、だれからもいてほしいと願われていないということになるのですから。

 東京教区の司祭の黙想会に参加してきました。「年の黙想」と呼ばれるもので、毎年約一週間行われるものです。今年の講師は、さいたま教区の岡神父様でした。岡神父様は、長年にわたり非行少年の世話をしてきた方で、現在も自分の教会にさまざまな問題を抱えた青年たちを住まわせ、彼らの更生に力を注いでいます。黙想会の講話の大半は、その青年たち本人が語る体験談で、毎日さまざまな青年たちが講師となって熱心に話してくれました。
 暴力団の家に生まれ、中学時代から暴力に明け暮れ、刑務所で8年間刑期を過ごして、出所後教会の友達を知り、回心して洗礼を受けた青年の話。
 非行に走り、少年院に送られる寸前に岡神父のところに預けられ、マザーテレサの所を始め数々の海外ボランティア体験によって立ち直った青年の話。
 薬物に手を染めて薬物依存症となり、入退院を繰り返した末に、薬物依存症当事者の自助グループ「ダルク」と出会って、そこの仲間に救われた青年の話、などなど。
彼らの話を聞いていて、ある共通点に気がつきました。
 彼らはもともと、とてもいい青年です。それこそ、神さまから尊い恵みをたくさん頂いて生まれてきたすばらしい神の子です。しかしその恵みは、悪い家庭環境や困難な社会環境、不運な偶発的環境によって閉じ込められています。ところが、ひとたび教会の友達や、ボランティアグループ、自助グループの仲間などの「良い環境」を与えるならば、それこそイエスのたとえ話にある「良い土地に落ちた種」のように、もとより備わっていた恵みが息を吹き返し、百倍の実を結ぶ。その良い環境のことを、彼らは口を揃えておおよそこんなふうに表現するのです。
 「あの仲間たちに出会えなかったら、今の自分はありません。それまで自分はみんなに嫌われ、だれからも愛されていないと思っていたけれど、彼らはこんなわたしを忍耐強く受け入れてくれました。彼らこそが、ついに見つけた自分の居場所でした。」

 今の若者たちは共通して「自分の居場所がない」という実感を持っています。ネットカフェ難民などはその象徴でしょう。でもそれは、大人も高齢者も同じかもしれません。家庭にも学校にも、職場にも社会にも、どこにも自分がいていい場所がない。現代社会は、居場所を失った放浪者たちの漂流社会と化しているのです。
 荒れ野のオアシスである教会は、まさに居場所を持てなかった、あるいは失った人たちの居場所であるべきです。居場所がないのは本人のせいではありません。なぜなら、他者から受け入れられる居場所を自分で作り出すことは出来ないからです。そんなこの世界にイエスが作り出してくださった究極の居場所こそが、教会なのです。
 そもそも、ペトロもパウロも、フランシスコもマザーテレサも、みんなイエスに招かれ、イエスに受け入れられて初めて自らの居場所を見つけた人たちでした。だからこそ彼らは、自らもまたイエスのようにみんなの居場所になっていったのです。わたしたちも教会という真の居場所を見つけることのできた恵まれた者として、多摩教会をみんなの居場所としていかなければなりません。
 みんなの居場所にするためには、自分にとって居心地がいい場所である以前に、どうしたらみんなにとって居心地のいい場所になるかを考えなくてはなりません。みんなが何を求めているかを知り、自分の時間と場所を削らなくてはなりません。でもそんな犠牲こそが、自分を生かすことにもなり、本当の喜びを味わわせてくれることになるのです。実は、だれかの居場所となれたときこそ、そこが自分にとっての真の居場所になるからです。
 「わたしの居場所はあなたの居場所」であり、「あなたの居場所がわたしの居場所」なのです。

巻頭言:主任司祭 晴佐久昌英 神父

「多摩教会からのお誘い」をご活用ください

主任司祭 晴佐久 昌英神父

 「カトリック多摩教会からのお誘い」という水色のプリントを、入門係事務局の協力で製作しました。ぜひ、信者のみなさんに活用していただきたいと思います。
 これは、まだカトリック教会のことを知らない方たちに教会のことを知ってもらう案内書であり、ぜひわたしたちの多摩教会へおいでくださいとお誘いする内容です。
 教会について信仰について、そして洗礼についてお知らせしたいことはたくさんありますが、まずは全く知らない人にほんの少しでも関心を持ってもらうきっかけとなることを目的としているので、内容は最も基本的なことだけを載せ、両面刷り一枚を二つに折った簡単なものにしました。
 この「お誘い」の利用方法はいたって単純です。みなさんがこれはと思う人に渡すだけです。そのためにご家庭に複数枚常備し、できればいつでも持ち歩いていただければ。このような「お誘い」がいつどこで必要となるか、分かりませんから。
 もちろん、お誘いの基本は、みなさん自身の言葉でのお誘いです。
「わたしの通ってる教会、とてもいい教会ですよ」
「今度ぜひ、一緒に行ってみませんか」
「入門講座は、だれでも参加できて、わかりやすいお話です」
「しつこく勧誘されることはないので、安心して訪ねてみてください」
 などなど、みなさん自身が相手との信頼関係の中でお誘いするのが第一であることは言うまでもありません。ただ、そんなときに、教会の本質や洗礼の意味、具体的なコンタクトの方法などが書かれたプリントが一枚あれば便利ですし、お誘いもしやすくなるでしょうからお役立てください、ということです。

 内容ですが、第一面は「あなたは神の子であって神の愛によって生きている」という福音です。そして、その神の愛を教えてくれたイエスを信じ、真の神の子となるのが洗礼であると書かれています。今年の洗礼式の写真も載せました。もちろん、いきなり洗礼というのに抵抗感を感じる人もいますから、教会を訪ねたら必ず洗礼を受けなければならないというわけではないことは、補っていただきたいところです。しかし、今のカトリック教会はあまりにも洗礼のことを言わなさ過ぎるのも事実です。現実に「どうすれば洗礼を受けられるのか分からなかった」「だれも勧めてくれなかったし、自分が受けるなんて考えもしなかった」「もっと早く知っていれば」というような声は多く聞かれます。そこで、このお誘いは教会へのお誘いであり、当然それは洗礼へのお誘いであることをあえて前面に出しています。
 第二面には、カトリック教会の紹介と、洗礼までの具体的なプロセスが載っています。入門講座の日時と、次回の洗礼式が2011年4月23日であることなど。ちなみにこのお誘いは2010年バージョンであり、新しい日付等が入ったものが毎年色違いで出ますので、古いものは各自で処分してください。
 第三面は、ミサのご案内です。教会への初めの一歩は入門講座からと思われるかもしれませんが、まずはミサからという、ミサの力への信頼も大切です。その人によってどちらがいいかは異なってくるとは思いますが、ミサは神の愛に直接触れる恵みの場ですから、臆することなく誘ってみてください。初めてミサに出たとき涙が止まらなかった、という人はめずらしくありません。教会の連絡先、ホームページのアドレスも載せました。入門講座の家庭的な雰囲気を感じさせる写真も載っています。
 最終面には、今年度の入門講座の講師の紹介と、特につらい思いを抱えて救いを求めている方にこそ来ていただきたいことなどを書きました。また、講座はいつからでも参加できること、そしてあなたが招かれているのだということに触れています。入門係一同の精一杯の笑顔の写真も載せました。

 小さな工夫ですが、大きな可能性を秘めています。ぜひ、実際にだれかに渡してください。その一枚で人生がまったく変わったということが、現実にあるのです。
 多摩教会の守護聖人、コルベ神父様が日本に来てまずしたことは、印刷機でパンフレットを刷ることでした。この一冊で苦しんでいる人が必ず救われると信じて、インクまみれになっている聖人のお姿が目に浮かびます。

巻頭言:主任司祭 晴佐久昌英 神父

オアシス広場

主任司祭 晴佐久 昌英神父

 多摩教会献堂10周年を迎えました。10年はあっという間と思う人も多いでしょうが、10年ひと昔でもあります。過ぎし10年の実りを心から感謝すると同時に、次の10年に向けて、10年前の熱い初心を思い起こしましょう。
 当時の献堂記念誌を開くと、教会委員長がこう書いています。「この聖堂に地域の人々と共に集い、黒光りするようになるまで使いましょう。聖堂は、使われることによって、はじめて生きている聖堂になります。大いに使い、床や、柱や、取っ手がすり減るくらい活用しましょう」。今回、10周年記念事業の一つとして床のすり減ったところを修理し、それはまさしくこの聖堂が生きているしるしと言えますが、それは「地域の人々と共に」であったかどうか。
 聖堂建設委員長は、こう書いています。「私たちはこの聖堂を建てる前に確認しました。この聖堂を宣教活動の拠点にしよう。地域社会のために開かれた聖堂にしよう。(中略)教会の目標は宣教活動です。聖堂建設を私たちの自己満足に終わらせないためにも」。今回、10周年記念事業のメイン事業として教会看板の設置も実現しましたが、それはまさしくこの聖堂が宣教の拠点として地域社会のために開かれていることのしるしとなるためです。
 主任司祭は、こう書いています。「神によってこの聖ヶ丘の地が選ばれ、しかも大聖年に鎌倉街道から一目で教会とわかる聖堂をお与えになったのは、『多くの人々に神の愛を宣べ伝えろ』という神の強いご意志による」。

 「カトリック多摩教会」という大きな看板を設置することを強く願った理由は、そのご意志をいっそう発展させていくためです。地域社会と言うなら、まずはそこにカトリック教会があることを認知してもらわなければ話が始まらないからです。
 初めて多摩教会を訪ねてきた一人のシスターが言うには、バスを降りて見回しても教会がわからず、鎌倉街道を歩いて来てちょうど教会の正面にあるトヨタの販売店で「この辺に教会ありませんか」尋ねたところ、店員はみな首をかしげるばかりで誰ひとり目の前の教会を知らなかった、と。一事が万事。これは放っておけないと思いました。そこにカトリック教会があると知らないということは、そこに天国の入り口があると知らないということですから。
 設置された看板をご覧になったでしょうか。もう、トヨタさんに知らないとは言わせません。大きな文字が遠くからでもよく見えて、誇らしい気持ちです。ぜひ、夜も見に来てください。文字が光るのです。わたしはうれしくて、毎晩うっとりと眺めています。つい先日などは、文字に光がともる瞬間を見ようと暮れなずむ橋の上で待ち構え、光った瞬間拍手しました。電気代が安く耐久性に優れたLED内蔵で、輝度抜群です。言うまでもなく、その輝きはキリストの光です。看板はただの名称の表示ではありません。「カトリック多摩教会」という光る文字は、「あなたに神の愛を伝えたい、私たちは本気です」という、意思表示なのです。
 さっき目の前の鎌倉街道の交通量を調べたら、5分で228台でした。おそらく一日3万台は通過しているでしょう。その多くは繰り返し通っているはずで、そのたびにチラリと看板を目にしては「ああ、あそこにカトリック教会があるな」「あそこにカトリック教会があるな」と、次第、次第に洗脳されていくのです。ふふふ。

 そんな人々がやがてふらりと教会前まで来たときのために、聖堂に向って左側のスペースにテーブルとベンチを並べ、大きな日よけパラソルを広げました。茶色い柄の上に緑の傘が開くとまるでヤシの木のようで、これぞ荒れ野のオアシス。その名も、「オアシス広場」と名づけました。日曜日はミサ後の歓談や軽食のテーブルとして活用していただきたいのですが、オアシスの本来の目的は、あくまでも旅人の歓待です。ある日、聖霊に導かれて通りかかった旅人に「どうぞひと休みしていってください。今、コーヒーをいれますから」と、みんなでもてなしましょう。おいしいコーヒーに一息ついたその旅人は、まだ知りません。自らの人生の旅路の真の目的地が、すぐ目の前の階段を上ったところにあることを。
「よろしかったら、聖堂をご案内しましょうか?」

巻頭言:主任司祭 晴佐久昌英 神父

赤ちゃんは家族を元気にする

主任司祭 晴佐久 昌英神父

 多摩教会に赴任して、ちょうど一年がたちました。この一年、のどかな多摩の地で穏やかな信者さんたちに囲まれて、のびのびとした日々を過ごすことができました。みなさんの協力と忍耐に、心から感謝しています。特に先日の聖週間にあたっては多くの方に様々な奉仕をしていただきました。今までこんなにスムーズにこの時期を終えたことはなく、多摩教会には何か不思議な底力があるんだなと改めて気付き始めているところです。
 なかでも、洗礼式のあった復活徹夜祭は大変美しく感動的なミサとなりました。受洗者はもちろん、教会全体にとって忘れがたい体験となったことでしょう。こうして一年間待ちに待った洗礼式を無事終えることができて、今は少しほっとした気持ちと、さあ、来年の復活祭に向けて出発だという、ワクワクする気持ちがあります。

 一年間待ちに待ったというのは正直な気持ちです。改めて言う必要もないでしょうが、私は洗礼式が大好きです。どこの教会に赴任しても、まずは「洗礼と聖体を中心とした教会共同体づくり」を心がけてきました。もちろんほかにも大切なことはたくさんありますし当然大切にしていますが、洗礼と聖体を中心にすることが何よりもその教会を元気にするという事実を、私はずっと目の当りにしてきました。大勢の受洗者とその感動する姿に触れて教会全体が自信を持ち、希望を取り戻し、新しい力で再出発する姿を、これまで毎年見続けてきたのです。多摩教会の素晴らしい仲間たちにもそのような体験をしてほしいと、一年間待ちに待っていました。
 洗礼が大切であることは、自分も洗礼を受けた者としてだれでも分かってはいることです。けれども、いったん教会共同体ができあがってしまうと、どうしても日常の活動や典礼に追われ、いつもの仲間と慣れ親しんだ関係を保つことに心を奪われていきます。信者の一致と交流自体は悪いことではありませんが、それだけではただの自己満足になってしまいます。言うまでもなく教会は秘蹟であり、「神の愛の目に見えるしるし」です。それは誰にとってのしるしであるかと言えば、常に新たな仲間へのしるしであるはずです。塔を立てて頂に十字架を据えるのは信者のためではなく、信者ではない人を招くためなのです。そのような本質から離れると、どうしても教会は内向きになり、元気がなくなっていきます。
 多摩教会は元気な教会ではありますし信者も増え続けてきましたが、それは実は転入者に支えられてきたことも事実です。ニュータウンという土地柄、黙っていても転入者が多く、教会はそれによって活性化されてきました。しかし稲城地区の開発も終わった現在、もはやこれ以上転居による転入者が増える見込みはありません。むしろ転入者が多かったせいで、受洗者のことを忘れてしまっていたとしたら、今後一気に元気がなくなってしまうことも、十分考えられます。
 家族が喜び、一致し、元気になる一番のチャンスは赤ちゃんの誕生です。お母さんはすべての苦労が報われてもう一人ほしいと思い始め、お父さんはさあこれからがんばって働くぞと決心します。お兄さんお姉さんたちは様々なお手伝いを喜んでし始めるし、おじいちゃんおばあちゃんも、新しい命に心躍らせるのではないでしょうか。受洗者の誕生は、なによりも教会を元気にするのです。

 このたびの34名の受洗者は、間違いなくこれからの多摩教会を支えて元気にしていくことでしょう。また、洗礼式で心洗われた先輩信者たちも、改めて多摩教会を愛して活性化していくことでしょう。
 来年の復活祭に向けて、新たなスタートです。今はまだ福音の喜びを知らない大勢の人が、多摩教会と出会いたいと待ち望んでいるのです。来年2011年の復活徹夜祭は4月23日です。その夜、また、復活のろうそくに顔を輝かせた大勢の新受洗者が並ぶでしょう。「名前を呼ばれた洗礼志願者は前に出てください」。その日、どんなお名前が呼ばれるのでしょうか。

巻頭言:主任司祭 晴佐久昌英 神父

あなたも同じようにしなさい

主任司祭 晴佐久 昌英神父

 先月のニューズで、2010年度の多摩教会のスローガンである「砂漠のオアシスとなる教会をめざして」に関して、「オアシスに行ったことがある人はそう多くはないだろう、もちろんわたしもそうだ」というようなことを書きましたが、なんと早速、本物のオアシスに行くという偶然に恵まれました。このたびの聖地巡礼旅行の途中、聖書の町エリコに寄ったのですが、そこは実は古代からのオアシスの町だったのです。聖地が荒れ野であるとは知っていましたが、そこに本物のオアシスがあるとは思っていなかったので驚かされましたが、期せずして大変良い黙想の機会となりました。

 エリコはその温暖な気候と豊富な水のために古くから栄えた町で、紀元前7800年ころに人が住んでいたという遺跡があり、城壁を持つ世界最古の町とも言われています。海抜下260メートルにあって、世界で最も低い所にある町としても有名です。
 緑豊かなガリラヤ地方からエルサレムを目指して南下していくと、乾燥して白茶けた荒野が延々と続きますが、エルサレムまであと25キロというところで、忽然と緑の町エリコが現れます。椰子の木が茂り、色とりどりの花も咲いて、それはまさに荒れ野のオアシスそのものでした。そこからは高地のエルサレムまでほとんど上り坂ですから、旅人は必ずこのエリコで休んだことでしょう。現在はパレスチナ自治区ですが、観光に力を入れているとのことで、街の入り口にカジノつきの壮麗なリゾートホテルを建設中でした。要するにこの町は、1万年前から今に至るまでリゾートだったというわけです。
 イエスもエルサレムに向う途中、エリコに立ち寄っています。そのとき、イエスがエリコの町に入ろうとすると、道端の盲人が「わたしを憐れんでください」と叫び、「主よ、目が見えるようになりたいのです」と願います。イエスは言いました。「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを救った。」盲人はたちまち見えるようになり、神をほめたたえてイエスに従います。(ルカ18・35-43参照)この幸いな盲人は、開いた目で、美しいオアシスの町エリコをどのような思いで眺めたことでしょうか。
 そうしてエリコの町に入ると、罪人と言われていた徴税人の頭で、金持ちのザアカイという名の男が、イエスを一目見ようといちじく桑の木に登りました。イエスはその下まで来ると、ザアカイに声をかけます。「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」ザアカイは木から飛び降り、喜んでイエスを家に迎えました。おそらくご馳走を並べたことでしょう。人々は「あんな罪人の家に泊まった」と非難しますが、イエスは言います。「今日、救いがこの家を訪れた。わたしは、失われたものを捜して救うために来たのである。」、と。(ルカ19・1-10参照)現在もエリコの町のまん中に「ザアカイの木」と呼ばれるいちじく桑の古木があって、言われてみればまことに登りやすそうな枝振りで、当時を彷彿とさせています。
 このあとイエスはエリコからエルサレムに上って行きますが、エルサレムでは祭司長や律法学者たちとの決定的な対立があり、そのまま十字架上で野死を迎えるわけですから、イエスと弟子たちにとって、エリコは最後の安息の地となったということになります。

 不毛の荒れ野の只中にある、いのちあふれるオアシス。そのイメージは、魂の世界でこそ輝きを放ちます。恐れと不信、争いと絶望の魂の荒れ野の只中に、神のことばが凛と響く。「見えるようになれ」「あなたの信仰があなたを救った」「今日はぜひあなたの家に泊まりたい」「今日、救いがこの家を訪れた」。そのような福音のあふれるところこそが、現代のオアシスであり、人生の途上でだれもが立ち寄るべき救いの泉です。傷つき倒れている人、闇の底で死に掛けている人を見かけたら、何をおいてもまず、魂のオアシスに連れて行くべきです。
 有名な「善いサマリア人のたとえ」(ルカ10・25-37)では、イエスはその舞台を次のように設定しています。「ある人がエルサレムからエリコへ下っていく途中、追いはぎに襲われた。追いはぎはその人の服をはぎ取り、殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。」
 その後の展開はご存知でしょう。通りかかった祭司もレビ人も、倒れているこの同胞のユダヤ人を無視して通り過ぎますが、日ごろユダヤ人から蔑視されていた一人のサマリア人だけが、彼を憐れに思って助け起こし、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱します。「エリコへ下っていく途中」のできごとというのですから、その宿屋はエリコにあると考えるのが自然でしょう。つまりこのサマリア人は、死に掛けていた旅人を、まさしくいのち吹き返すオアシスへ連れて行ったのです。
 イエスはたとえ話をこう結びます。「行って、あなたも同じようにしなさい」。

巻頭言:主任司祭 晴佐久昌英 神父

わたしがオアシス

主任司祭 晴佐久 昌英神父

 オアシスというところに実際に行ったことがあるという人は、そう多くはいないでしょう。おそらく、ほとんどの人はそれぞれ自分なりのオアシスのイメージを持っているだけで、現実のオアシスを知らないのではないでしょうか。もちろん、わたしもそうです。まず思い浮かぶのは、砂漠の中にヤシの木が生えていて、井戸端でラクダが休んでいるのどかな光景です。
 現実のオアシスがどのようなものであるかは実際に住んでみなければわからないことでしょうが、おそらくは、そんなのどかな憩いの場所であると同時に、結構しばしば命がけの現場となっているのではないでしょうか。突然襲う砂嵐の中、命からがらオアシスにたどり着く隊商にとって、そこは単なる休憩所ではなく、時には生死を分かつ避難所でもあるはずです。そんな時はオアシスで迎える側の意識も「よろしかったらどうぞ」などという悠長なものではなく、「おーいここだ! 早く来い」というような、必死な思いであるのは当然のことです。

 先日の信徒総会で、多摩教会2010年のスローガンを「砂漠のオアシスとなる教会をめざして」とすることが了承されました。先月号でも触れたとおり、岡田大司教が日ごろから強調していることでもあり、教会の本質を端的に示すイメージとして、わたしたちの教会のスローガンにとてもふさわしいと思います。
 ただしそのオアシスは、単に「ちょっとひとやすみ」的な、のどかな休憩所のイメージだけでは足りないのではないか。まずはそういう要素も必要だけれど、それにとどまらず、魂の命の死にかけた人々をぎりぎりのところで救う、緊急避難所としての役割もイメージするべきではないでしょうか。
 岡田大司教は東京教区ニュースの2月号で、「多くの人が生きがいを失っている、自死を遂げる人が減らないという状況を前に、本当に教会がオアシスの役割を果たさなければならないことを痛感しています」と語っておられます。確かに現代社会の非人間的現状は、もはや待ったなしの緊急事態であり、その意味では、現代ほど教会が必要とされている時代はないとさえ言える状況なのです。

 イエスの時代にも似たような状況がありました。だからこそ、その時代、その地域にイエスが遣わされたとも言えるでしょう。非人間的な状況下、多くの人が希望を持てずに苦しんでいる中、イエスは宣言します。「わたしが与える水を飲むものは決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る」(ヨハネ4・14)。これは言うなれば、「わたしがオアシスだ」と言っているようなものです。
 事実、イエスの語る福音とイエスの愛のわざは、神の愛と魂の救いに渇き切っていた民衆に、灼熱の砂漠の真ん中で冷たい泉に出会ったような感動と喜びをもたらしたのでした。そうして「歩くオアシス」として町や村を全力で巡るイエスの意識は、決して悠長なものではなかったはず。なにしろ、目の前に大勢の神の子たちが倒れているのです。一刻も早く、一人でも多くこの「永遠の命にいたる水」を飲ませたいという切羽詰った必死の思いがあったことは間違いありません。そのイエスの愛は、イエスの死と復活によってキリストの弟子たちに受け継がれ、いまやすべてのキリスト者が「わたしがオアシスだ」という自覚と誇りを持って現代の荒野に遣わされているのです。「一杯の水を飲ませてくれる者は、必ずその報いを受ける」(マルコ9・41)

 「砂漠のオアシスとなる教会をめざして」というスローガンを、単に建物としての教会や、組織としての教会とイメージして、訪れる人をおもてなしする教会として捉えるだけでは片手落ちです。まずは、このわたしが教会の一部であるという事実のもと、「わたしがオアシスとなる」という自覚と誇りが必要です。それはしかし、決して大変なことでも不可能なことでもありません。わたしは神に選ばれ、キリストが宿っているという信仰さえあれば、だれにでも出来ることです。
 「永遠の命に至る水」は、人間が作り出すものでも、人間が与えるものでもありません。それは神からあふれだし、キリストによって注がれ、キリスト者から流れ出すものです。ですから、ともかくも神の愛を信じて目の前の一人にかかわることこそがすべての出発点なのです。神のわざなのですから、だれでも必ずオアシスになれますし、実はすでになっています。考えてみればすごいことだと思いませんか。これほど救いの見えにくい、生きるのが困難な世の中にあって、わたしたちキリスト者は確実に人を救えるのです。
 目の前に倒れた旅人がいるとき、どうしたらいいのでしょうか。
 「この人にはオアシスが必要だ」と気付く人は銅メダル。「オアシスに連れて行こう」と決心する人は銀メダル。「わたしがオアシスだ」と信じる人が金メダルです。