巻頭言:主任司祭 晴佐久昌英 神父

神はなぜ、この世の災いや苦しみをお除きになりませんか

主任司祭 晴佐久 昌英神父

 13 ★天地万物の主宰とはどういうことですか。
 天地万物の主宰とは、神が天地万物をおつくりになったのち、常にこれを保ち、またつかさどることです。
 キリストがお教えになったように、神は特に人間に対して父の心を持ち、霊魂とからだとにかかわるすべてのことを、特別にお計らいになります。これを人間に対する神の「摂理」と言います。すべて世の中のできごとは、盲目的な運命によらず、神の摂理によって導かれています。

 14 ★神は人のことを特別にお計らいになるのに、なぜ、この世の災いや苦しみをお除きになりませんか。
 神がこの世の災いや苦しみをお除きにならないわけは、神が、それらの災いや苦しみから善を生ぜしめ、この世の苦難をとおして人をのちの世の幸福にお導きになるからです。特にイエズス・キリストは、その教えと行いとをもって苦しみの意味を教えられました。

 これは、わたしが子どもの時に教会学校で配られた「カトリック要理」の一節です。この本は、カトリック中央協議会が今からちょうど半世紀前の1960年に出版したもので、カトリックの基本的な教えが問答形式によってまとめられています。当時はカトリックの洗礼を受けるためにこの「カトリック要理」を一年以上かけて学ばなければなりませんでしたし、教会学校の子どもたちも暗記させられたりしたものです。難しい教会用語が頻出して親しみにくく、教条主義的な形式にも限界があってその後あまり使われなくなりましたが、中身はもちろん正しい教えであり、信仰の原点を確かめるために読み直す価値は充分にあります。
 特に、このたびの大震災のようにまさに「想像を絶する」出来事に際して「言葉を失う」体験をすると、恐れや虚無感にとらわれて、絶句したままの思考停止状態に陥ったり、立ち尽くしたままの信仰停止状態に陥ったりしがちです。こんなときこそ、信仰の原点を的確に教え、神の愛を明確に語る救いのことばが必要ですから、聖書はもちろんですがカトリック要理の歯切れのいい教えにも励まされたらいいでしょう。

 冒頭引用したのは、第二課「創造と主宰」の13、14項です。13項では神の計らいについて、14項では災いと苦しみの意味について説明しています。神は天地万物のすべてをつかさどっておられるというのですから、宇宙の法則も地球の仕組みも、生命の神秘も進化の歴史もすべてということです。とりわけ、人間に対してはまことの親としての愛をもって特別にお計らいになっておられ、それを「神の摂理」と呼ぶと強調しています。
 最近あまりこの「摂理」という言葉が使われなくなりましたが、いまこそもう一度摂理への信頼を深め、摂理へのセンスを養う時ではないでしょうか。「特にイエズス・キリストは、その教えと行いとをもって苦しみの意味を教えられました」とありますが、摂理を完全に受け入れたイエスはもはや、摂理そのものです。イエスは殺される前夜、天の父に祈りました。「わたしの願いではなく、あなたの御心のままに行ってください」。イエスを信じるということは、摂理を信じるということなのです。わたしたちキリスト者は、善である神の愛を受け入れて、すべての出来事のうちに神の摂理が働いていることを信じます。地震も津波も「盲目的な運命」ではなく神の摂理のうちにありますし、人の誕生も死も神の摂理のうちにあるということです。

 もちろん、地震予知をしたり津波防御をしたり、誕生を願ったり死を避けたりするのは人間として当然のことであって、そういうことをしても無駄だと言っているのではありません。ただ、そういうことをした上でなお起こった出来事に関して、そこに神の摂理を見出して受け入れることを神は求めておられるということです。
 大規模な災害や親しい人の死を前にしたとき、それを摂理と受け止めるのは難しいことです。しかし、人間はあくまでも「神の愛を受けるために神に造られた存在」である以上、どれほど理解しがたい出来事であっても、最終的にはそこに神の愛を見出し、それがすべての終わりではなく、むしろ何かとてつもなくすばらしいことの始まりであると信じなくてはなりません。摂理は、理解するものではありません。摂理は信じるものなのです。その信仰をこそ神は求めておられるし、その信仰に向けてわたしたちを成長させようと計らっておられるのです。
 摂理のうちに天に召された人たちが、尊い犠牲を捧げた聖なる人たちとして、天の国でどれほどすばらしい栄光に与っているかを、まだだれも知りません。知らないけれど、信じます。摂理のうちに生き残った人たちが、苦難によって成長し、いつの日か天の国でどれほどすばらしい栄光に与るかを、まだだれも知りません。知らないけれど、信じます。
 カトリック要理では、14項に続いて、聖書と教父の言葉が引用されています。
「苦しむ人たちは幸いである。かれらは慰めを受けるであろう」(マタイ5・4)
「神は、神を愛する人々、すなわちご計画に従って召し出された人々とともに働いて、万事かれらのために益となるようにしてくださることを、わたしたちは知っている」(ローマ8・28)
「神は、どんな悪も行われえないようにするよりも、むしろ悪からも善を生ぜしめるようにするほうがよいと考えられたのである」(聖アウグスチヌス)

巻頭言:主任司祭 晴佐久昌英 神父

地は震えても、天は揺るがない

主任司祭 晴佐久 昌英神父

 大地震から一週間が過ぎ、行政は被災者救助から避難者救援へと舵を切りました。依然として行方の分からない家族のいる人たちは、割り切らなければならない現実と割り切れない感情との間で引き裂かれるような思いをしていることでしょう。かろうじて助かった避難者にしても25万人と言われており、道路は寸断、停電と燃料不足に放射能漏れが重なって、助ける側も出来ることと出来ないことの間で苦悶しています。立て続けに報じられるネガティヴな情報のせいで社会不安は高まり、いまだ余震が続く中、人々は平常心を失ってどこか浮き足立っているように見えます。
 そんな今こそ、まさにわたしたちキリスト者の出番なのではないでしょうか。神の愛を信じる限り「不幸でも幸い」であるキリスト者こそが、まず気を取り直し、共に信仰を奮い立たせ、不滅の希望を語り、具体的に愛し合い、身を起こして頭を上げ、目を覚まして祈るべきではないでしょうか。それこそが試練の時代におけるキリスト者の存在意義であり、主イエスから託された尊い使命だからです。

 「身を起こして頭を上げ」、「目を覚まして祈りなさい」は、イエスの言葉です。
 「大きな地震があり、海がどよめき荒れ狂うので、諸国の民はなすすべを知らず不安に陥る。人々は、この世界に何が起こるのかとおびえ、恐ろしさのあまり気を失うだろう。このようなことが起こり始めたら、身を起こして頭を上げなさい。あなた方の解放の時が近いからだ。神の国が近づいていると悟りなさい。天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。いつも目を覚まして祈りなさい」。(ルカ21章より抜粋して構成)
 「解放の時」とは、神の愛を知らずに不信や恐れ、欲望や争いに捕らわれている罪の状態からの解放の時のことで、「神の国の完成の日」のことです。イエスが言いたいのは、すべての苦難は真の解放である神の国に向かう途上の出来事なのだから、人々が皆恐れている時にこそ、キリスト者は恐れずに立ち上がり、苦難に耐える信仰によってまことの命をかち取りなさいということです。
 ですから、たとえ家族を亡くし、家を失い、放射能が降り注いでいる中でも、キリスト者は決して滅びないイエスの言葉に希望を置きます。泣きながら苦しみながら、ひとときは虚無感や絶望感に襲われながら、なおも身を起こして頭を上げます。イエス・キリストの十字架において、わたしたちはすでに悪と罪から解放され、死さえも超克しているからです。そのイエスと共に背負うすべての十字架は、神の愛によって復活の栄光に変えられると信じているからです。そうして、あらゆる産みの苦しみの先にある永遠の喜びの世界への誕生を待ち望んでいるからです。その喜びの世界でわたしたちは知ることでしょう。何ひとつ失っていなかった、と。

 希望をなくしてはいけません。恐ろしい災害があっても、この世界が悪い世界に変わってしまったわけではありません。このたびの地震を「天罰」だと言った知事がいましたが、知事にはぜひ神学の基礎を学ぶことをお勧めしたい。地震は天罰でも神罰でもありません。神はどこまでも善であり、愛であり、あらゆる希望の根拠です。問題は天にあるのではなく、天を知らずにおびえる我々の心にあるのです。
 マスコミは初めのころ「東日本大地震」とか、「東北関東大地震」と表記していましたが、いつの間にか「大地震」が「大震災」に変わりました。たぶん報道の焦点が地震そのものから災害の方に移ったからでしょう。些細な変化のようでいて、実はここには大きな違いがあります。地震は神のわざですが、震災は人のわざだからです。大災害が起こると、人はこうつぶやきます。「罪もない人たちがこんな災害に巻き込まれて命を落とすなんて、神も仏もあるものか。神が愛ならなぜこんなことをなさるのか。仏の慈悲でも救うことができないのか」。しかし、これは誤った見識です。
 確かに地球を造ったのが神である以上、地震も津波も神のわざであると言えなくはありませんが、それは人類誕生のはるか昔から延々と続いている尊い創造のわざの一部であり、それ自体には何の責任もありません。いつだって地は震え、海は荒れ狂ってきました。事実、直近のわずか百数十年の間に、東北地方はすでに二度の壊滅的な大津波を体験しています。その海辺になおも家を建て、「万全の」防災計画を練り、堤防を作ったのは神ではありません。人間です。使いたいだけ電気を使うために「絶対安全」な原発を建てたのも神ではありません。人間です。「観測史上初」で「想定外」の波が来たと言うのも人間なら、「神よ何故」と問うのも人間、「天罰だ」と言い出すのもすべて人間なのです。足りないのは神の愛ではなく人間の愛であり、むしろ問うべきは我々の傲慢と我欲、神への無知と弱者への無関心ではないでしょうか。
 神は人間には決して極めつくせない摂理と、限りない愛の親心によって、この揺れる大地の上にわたしたちを置きました。それは、神の子たちの成長のために他なりません。神は、わたしたちがそこに起こるすべての現実に尊い意味を見出しながら、試練の中で知恵を出し合い、助け合い、愛し合って、ご自分の親心に目覚め、ご自分にいっそう似たものとなることを望んでおられるのです。
 怖いのは地が震えることではありません。地と共に私たちの心が震えて神を見失うことです。今こそ、神の愛に立ち帰るとき。地は震えても、天は決して揺るぎません。

巻頭言:主任司祭 晴佐久昌英 神父

小さな赤い箱

主任司祭 晴佐久 昌英神父

 ペルーの首都リマからインカの都クスコへ向かう国内線の機中で、機内サービスの飲み物と一緒に小さな赤い箱が配られました。十五センチ四方くらいの紙の箱で、開けると中にはお菓子の袋が三つ入っていました。大きい袋がパウンドケーキ、中くらいの袋がクラッカー、小さな三角の袋がチョコレートです。チョコレートは中にジャムのようなものが入っているペルー名物で、さっそく食べ始めた周囲からは「おいしい、おいしい」の声が。
 こういうコンパクトなものに、なぜか心惹かれます。「小宇宙マニア」として、大変そそられるものがあります。小さな空間にさまざまな要素が絶妙に配置されていてひとつの意味ある世界を作り出している、小宇宙。日本庭園とか、幕の内弁当とか。このときは、手をつけるのも惜しいって感じでそっとふたを閉じました。さっき空港でサンドイッチを食べたばかりでしたし。今日はこの先、バスと列車の旅が待っています。お楽しみは後でゆっくり、というわけです。

 この日、巡礼旅行の5日目は、いよいよ世界遺産の空中都市マチュピチュを目指します。まずはクスコの空港からバスで渓谷の町オリャンタイタンボへ。途中、広い中庭のある素敵なレストランで昼食をとったのですが、ちょうどこの日は移動日のためミサをあげる予定がない日だったので、このレストランの一室を借りてミサをさせてもらうことになりました。巡礼旅行ですから、毎日ミサが必要です。成田で出発する時も、いつも有料の団体待合室を借りて結団式のミサをあげてから出発します。そんな時のために、巡礼旅行ではいつでもミサができるように携帯用のミサのセットを持ち歩いています。ホスチアとワインの小瓶と一緒に。ちなみにホスチアは多摩教会の香部屋から持ち出しました。お許しを。おかげで、予定外のミサができてみんな喜びました。ミサ後のペルー料理のバイキングもとってもおいしく、こころもおなかも一杯になりました。
 オリャンタイタンボからは、鉄道に乗り継ぎます。よく旅番組などでも紹介される高原列車で、車窓の風景はまさに絶景です。アンデスの切り立った山々と清冽な渓谷の流れ。そろそろ日も傾いて、山の端からスポットライトのように斜めに差し込む光が、風景の一部を舞台美術のように切り取って浮かび上がらせます。それはさながら天然仕様の小宇宙。二度と見ることのできない一瞬一瞬の芸術を、うっとりしながら脳裏に動画で記録していきました。

 一時間ほど走ったでしょうか。車内サービスが周ってきて、ペルー人の常用茶であるマカ茶が配られました。ここでいよいよ、お楽しみの小さな赤い箱の出番です。心弾ませながら小宇宙を座席のテーブルに置いた、そのとき。
 列車は小さな駅に止まりました。ふと前方を見ると、線路際をみすぼらしい身なりの少年が一人、次々と窓を見上げながらこちらへ歩いてきます。何か売り歩いているのか、なんとなく必死な感じが伝わってきますが、誰も相手にしていないようです。彼は目の前まで来ると、こちらを見上げながら片手の指を自分の口元に向けてパクパクと動かし、口をもぐもぐさせました。言うまでもありません。万国共通のサイン。「何か食べるものをくれ」です。
 一瞬、「何もあげるものはないよ」と思い、0・5秒後には「ウソつけ、目の前に赤い箱があるだろう」と思い、その0・5秒後の表情を彼は見逃しませんでした。早くくれ、と手招きで合図します。列車はもう発車しかけています。あわてて窓を開けようとしました。しましたが、そんな時に限って、窓が固くて開きません。人生って、そういうものです。心の中で「ごめんね」を繰り返す中、列車は非情に走り出し、再び美しい風景が車窓を流れて行きました。
 ところが。何気なく振り向くと、なんと先程の少年がこちらに手を伸ばしたまま、全速力で列車と一緒に走っているではありませんか。わが体は条件反射のように飛び上がり、思いっきり窓を開けると、小さな赤い箱を放り投げました。慣れた手つきでキャッチした少年は、すぐに小さくなり、やがて見えなくなりました。

 マチュピチュ山麓のホテルは、去年出来たばかりというモダンなデザイナーズホテルでした。ここに一泊して、明朝はついにマチュピチュ登山というわけです。デザインが売りらしく、夕食は見たこともないようなおしゃれな盛り付けのコース料理で、お皿がどれも四角いのです。そんな四角いお皿があの小さな赤い箱を思い出させたせいもあり、食事中、ずっとあの少年のことを考えていました。
 何歳なんだろう。どんな家に住んでるんだろう。学校に行ってるのかな。毎日あんなことしてるんだろうか。放り投げられた赤い箱、受け止めるの、上手だったな。きっとすぐに、ボリボリ食べたんだろうな。おいしいと思ってくれたかな。
 ホテルのおしゃれすぎる夕食は日本人の口に合わなかったのか、それともお昼を食べすぎたのか、みんなひとくち食べては残しています。毎日ご馳走続きじゃ、無理もありません。残すくらいなら、あの少年に食べさせたいなと思ったそのとき、ふいに確信しました。
 彼は、あのお菓子を食べていない。あの全速力は、自分のためじゃない。きっと家で誰かが待ってるんだ。たぶん栄養不足の病気のお母さんが、いまごろ小さな赤い箱を開けているに違いない。「ごめんね、ごめんね」って涙こぼしながら。

巻頭言:主任司祭 晴佐久昌英 神父

小さな天国

主任司祭 晴佐久 昌英神父

 小学校5年の春、「2001年宇宙の旅」というSF映画が封切られ、クラスの友達と一緒に今はなき銀座のテアトル東京へ観に行きました。そのときの映像体験はその後の映画人生の原体験ともなる強烈なものでしたが、そのときの音楽体験もまた、その後のクラシック人生の原体験になりました。太陽と地球と月が一直線に並んだ瞬間に大音量で鳴り響くリヒャルトシュトラウスの「ツアラトゥストラはかく語りき」や、宇宙船が優雅に航行するバックに流れるヨハンシュトラウスの「美しき青きドナウ」は、若干10歳の魂に、どこか神話的な感動や官能的な喜びを呼び覚まし、それはある種の神秘体験でもあったのです。
 以来、クラシック音楽を聴くことはわたしにとってどこか神聖で特別な行為となりました。同じ年、音楽の時間に音楽室の大きなスピーカーでチャイコフスキーの組曲「くるみ割り人形」を聞いたときのあの言葉にならない感覚は、胸の奥の「きゅっ」とするところに今でもそのときのまま残っています。ああ、こうして書いていても鳴り出す、「花のワルツ」のハープのカデンツァ!

 若いころはレコードやラジオで聞いていたクラシック音楽でしたが、経験を積んでくるとさすがにナマのよさが分かってきて、次第にコンサート会場に足を運ぶことが多くなりました。自然とクラシック関係の友人も増え、知識も体験も積み重なり、かつての映画評論家が今ではすっかりクラシック評論家です。
 チケット代が高いのは難点ですが、ナマのクラシック音楽にはそれだけの価値があるのは事実です。様々な奇跡が絶妙に響き合って不意に訪れるあの幸福な一瞬はもはや小さな天国であり、どんな疲労も苦労も吹き飛ばす力を持っています。一番よく聴くのはピアノですが、お気に入りはピレシュ、ポリーニ、エマール、アンデルシェフスキ、ツィメルマン、ランランといったところです。彼らの研ぎ澄まされた演奏を聴いていると心が澄みわたっていくのを感じます。さらに最近はまっているのはオペラで、ランカトーレのルチアや、フリットリのボエーム、デセイの椿姫などなど、名だたる歌姫たちからどんなにパワーを分けてもらったことでしょう。

 さて、そんなこんなでナマの値打ちがわかってくるとさらに欲が出て、ついにはここ数年、クラシックコンサートの製作に手を染めはじめました。ただ受動的に聴きに行くのではなく、自ら小さな天国を作り出してしまおうというわけです。これが始めてみると中々奥が深く、困難も多いけれど実りの喜びも多いため、やめられなくなってしまいました。主に大好きなピアノと歌のコンサートです。今まで、お気に入りのフィリアホール、王子ホール、トッパンホールなどで開催してきましたが、ついにこのたび、憧れの紀尾井ホールで開催する運びになりました。
 タイトルは「第5回佐藤文雄と愉快な歌姫(なかま)たち」で、天才伴奏ピアニスト佐藤文雄と彼を尊敬する歌い手たちによる至福のひと時です。佐藤文雄はわたしが洗礼を授けた大切な友人であり、今回歌うソプラノの澤江衣里は高幡教会所属で、わたしは彼女が高校生のころから見守ってきました。このたび彼女が日本音楽コンクールで若くして二位になり、テレビでも紹介され、お祝いもかねてのコンサートとなりました。コンクールの本選を聞きに行きましたが、年々成長しているとはいえここまでかと心底驚かされましたし、これからの日本の音楽界を代表する歌い手になっていくことでしょう。ともかく、そのまろやかな声のツヤは比類ありません。聴いていただければわかります。
 また、同じくそのコンクールで前回二位だった首藤玲奈が出演してくれることになり、最強のラインナップとなりました。先日、アーノンクール指揮のウィーン・コンチェントゥス・ムジクスでバッハのロ短調ミサを聴き、これぞ信仰の極みの音楽と感銘受けましたが、このたびのコンサートではこのロ短調ミサから「キリスト憐れみ給え」のソプラノ二重唱を二人に歌ってもらいます。おそらく、今回の企画ならばクラシック通の人たちも聞きに来るのではないでしょうか。こうして、自分の好きな音楽を好きな演奏家に演奏してもらい、みんなに小さな天国を味わってもらうひと時こそは、コンサート製作の醍醐味です。つらいことの多い現実の中で、ほんのひと時でも天国の扉を開けて励ますことができるならば言うことありません。恒例の、神父の福音宣言タイムもあります。ぜひ、お友達を誘って聴きにいらしてください。
 3月8日(火)19時、紀尾井ホール。前売り3500円。教会ショップアンジェラで扱っています。

2010年バックナンバー

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2010年


12月号

(No.448)

2010.12.18

アヴェ・マリアの祈り晴佐久 昌英 神父
チャンスはゼロ・パーセントでも!井上 信一


11月号

(No.447)

2010.11.27

イエナカクリスマス晴佐久 昌英 神父
カンボジアのオアシスにて再洗礼長島 毅
多摩教会墓地への墓参松原 睦


10月号

(No.446)

2010.10.23

みんなの教会 みんなの委員長晴佐久 昌英 神父
耳のオアシス増田 尚司
教会バザーを終えて郷原 晴子
「信仰と光」の巡礼について加藤 幸子
多摩教会墓参のお知らせ 


9月号

(No.445)

2010.9.25

あぶう ばぶう晴佐久 昌英 神父
荒野のオアシスとなる教会をめざして北村 司郎
聖 書 輪 読 会工藤 扶磨子


8月号

(No.444)

2010.8.21

教会縁日へどうぞおいでください晴佐久 昌英 神父
分かち合い2 『私のオアシス』李 承烈
大島 莉紗 ヴァイオリン・リサイタル加藤 泰彦
教会学校の合宿に参加して塚本 清
合宿の感想文 
カフェ・オアシス 雑観小田切 真知子


7月号

(No.443)

2010.7.17

あなたの居場所が、わたしの居場所晴佐久 昌英 神父
分かち合い2 『主とともに』シスター 林 恵
初聖体の感想 
多摩教会信徒の皆様へのお願い広報部 
教会へ車で来られる方にお願い多摩教会司牧評議会


6月号

(No.442)

2010.6.26

「多摩教会からのお誘い」をご活用ください晴佐久 昌英 神父
分かち合い1 『主とともに』シスター 林 恵
堅信式の感想志賀 康彦
楽しい初聖体安部 実紅子
どんな子に加勇田 修士
お知らせ竹内 秀弥


5月号

(No.441)

2010.5.22

オアシス広場晴佐久 昌英 神父
オアシスである教会下津 ひとみ
献堂10周年記念行事北村 司郎


4月号

(No.440)

2010.4.24

赤ちゃんは家族を元気にする晴佐久 昌英 神父
僕と天使祝詞鈴木 真一
人に出会う加藤 泰彦
ガリラヤの風かおる丘で長島 毅


3月号

(No.439)

2010.3.27

あなたも同じようにしなさい晴佐久 昌英 神父
我が故郷の上杉鷹山に習って竹内 秀弥
第1回セントマキシミリアンズカップ黒田 憲二


2月号

(No.438)

2010.2.20

わたしがオアシス晴佐久 昌英 神父
感謝海野 滋子


1月号

(No.437)

2010.1.23

荒れ野で福音宣言晴佐久 昌英 神父
白柳枢機卿様の思い出北村 司郎
子供たちの聖劇加藤 泰彦
コルベ会とはどんなグループでしょう!井上 毬子

巻頭言:主任司祭 晴佐久昌英 神父

アヴェ・マリアの祈り

主任司祭 晴佐久 昌英神父

 わたしは子どものころ、歌うことの大好きなボーイソプラノで、東京少年少女合唱団のメンバーでした。春に入団して一通りの発声練習を終え、最初に練習したのがアルカデルトのアヴェマリアだったことをよく覚えています。ほかのみんなは初めて聞く曲なので一から練習を始めたわけですが、わたしは心の中で叫んでいたからです。「そんなの、いつも教会で歌ってるよ。カトリック聖歌集に載ってるじゃん!」
 おかげで、発音がいいとほめられたものです。アヴェマリアの「ヴェ」とか、グラツィアの「ツィ」とか。当たり前と言えば当たり前。こっちは小学校一年の時からラテン語で侍者をしていたのですから。ともかく、いつもの教会の歌が一般の世の中でも大切に歌われていることがうれしかったし、誇らしくも感じたものです。

 このたび、日本司教協議会の決定により、いわゆる「聖母マリアへの祈り」の改定案として「アヴェ・マリアの祈り」が作成され、公表されました。これはまだ案ですが、半年の試用を経て、2011年6月には正式に決定されることになります。内容について何かご意見があれば申し出てください。
 「えーっ、また変わるの?」と思われる方も多いと思いますが、よりよいものにしていくために忍耐強く微調整を続けていくのはカトリックの美しい伝統です。全文は以下の通りです。ぜひ早めに親しむことにいたしましょう。

  アヴェ・マリア、恵みに満ちた方、
  主はあなたとともにおられます。
  あなたは女のうちで祝福され、
  ご胎内の御子イエスも祝福されています。
  神の母聖マリア、
  罪深いわたしたちのために
  今も、死を迎える時も祈ってください。
  アーメン。

 ちなみにわたしはこの改定案に、大満足です。
 今までの「恵みあふれる」では、神からのみ溢れ来るはずの恩寵がマリアからも溢れているかのようにもとれる点や、「あなたの胎の実」という詩的なことばが「あなたの子」という敬意に欠けた乱暴な表現だったことなどが気になっていたからです。
 しかし、なんと言っても大きな特徴は「アヴェ・マリア」というラテン語がそのまま使われている点でしょう。「アヴェ」とは、天使ガブリエルが聖母マリアに挨拶した時の「おめでとう」のことで、かつての文語体では「めでたし」と翻訳されていました。大切なこの祝詞が口語訳の「恵みあふれる聖マリア」では抜け落ちてしまっていたことは、早くから大きな欠陥として指摘されてきました。だからと言って「おめでとうマリア」を祈りの冒頭に置くのは、繰り返し唱える日本語の祈りとして違和感があります。通夜の席などで「おめでとう」では一般の参列者がギョッとするでしょう。だったら、何も無理に翻訳しなくとも「アヴェ・マリア」でいいじゃん、というのがわたしの持論でありました。「アーメン」だって、「アレルヤ」だってそのまま使っているわけですし。
 なにしろ、外来語を母国語にしてしまうのは日本人のお家芸です。というか、すでにアヴェ・マリアは知らない日本人はいないと言っていいほどに認知されたことばです。もちろんそれはグノーやシューベルトのおかげでもありますが、今回「アヴェ・マリアの祈り」となったことで、これがいっそう広く「カトリック教会の祈り」として認知されるようになることでしょう。

 
 火葬場で献花するとき、いつもロザリオの祈りを唱えています。隣の一団ではお坊さんがお経を唱えていたりするわけですが、そちらの参列者は「あら、めずらしい。キリスト教のお経だわ」という顔でこちらを見てたりします。そんなとき、大きな声で「アヴェ・マリア」と唱えていれば、「まあ、アヴェ・マリアって、キリスト教のお祈りだったのね」となります。これは大きな印象を残すのではないでしょうか。それに、そもそもカトリックはラテン語を共通語としていたという比類のない財産を持っているのですから、それを生かさない理由は何ひとつないでしょう。海外でひとこと「アヴェ・マリア」と唱えれば、見知らぬ国の人が声をかけてくるに違いありません。「カトリックですか?」。

 後半部分は以前のままとはいえ、17年間唱え続けてやっと口になじんだと思っていた祈りを覚え直すのは少々面倒ではありますが、これから170年も1700年も唱え続けるのですから、さっそく覚えることといたしましょう。新しい年をアヴェ・マリア元年として、これからは今までにもまして、いつでもどこでもアヴェ・マリアを唱えるならば、聖母はどれほどお喜びになるでしょう。
「今から後、いつの世の人もわたしを幸いなものというでしょう、力ある方が、わたしに偉大なことをなさいましたから」(ルカ1・48)
 アヴェ・マリア!

巻頭言:主任司祭 晴佐久昌英 神父

イエナカクリスマス

主任司祭 晴佐久 昌英神父

 今年もいよいよ待降節、クリスマスも間近です。よい準備をして、例年にもましてステキなクリスマスを迎えましょう。
 人間は、慣れる生き物です。どんなに素晴らしい行事でも、同じことを同じように繰り返していると、どうしても新鮮味がなくなり、良い意味での緊張感が減り、悪い意味での合理化が進み、いつの間にか、ただなんとなくこなすだけの行事に成り下がってしまいます。
 なんとなく過ごすクリスマス。そんな悲しいクリスマスになっていないかどうかをチェックしてみましょう。次の質問にお答えください。
 「去年のクリスマス、家ではどんな風に過ごしましたか。教会ではどんなクリスマスでしたか」
 すぐに答えられたら、ちゃんとクリスマスをしていた証拠です。え? 最近は記憶力が落ちているから忘れちゃった? そうでしょうか。もしも去年、イエスさまを迎えるために各家で相談して何か新しいことを工夫し、手間ひまかけてていねいに準備し、大切な人たちを大切にするステキなクリスマスを過ごしていたら、必ずや印象に残って覚えているはずです。

 先日の新聞で、今年のクリスマスの傾向を特集していました。それによると、最近はレストランではなく家で過ごす「イエナカ」傾向が定着しているそうで、「今年は家ですごす」と答えた人が78パーセント。タイトルをつけるとしたら、「まったりクリスマス」なんだとか。不況のせいかと思いきや節約志向はすでに下げ止まっており、どうやら「家でちょっとぜいたくに」ということのようです。これは我々キリスト教にとってもいい傾向だというべきではないでしょうか。クリスマスとは、家族や人々がいっそう深く結ばれるために神さまから贈られたプレゼントなのですから。
 ふと、数年前パリでクリスマスシーズンを過ごした時のことを思い出します。待降節になると街は賑わい、人で溢れます。シャンゼリゼ通りはまばゆいイルミネーションに彩られ、華麗なディスプレイで有名なデパート、ラファイエットの前は見物客で歩けないほど。もみの木や暖炉用の薪を担いで帰る姿なども見かけるようになり、クリスマスの飾りやプレゼントを売る店のレジは長蛇の列。
 ところが12月24日になると、街は突然静寂に包まれます。それでも昼過ぎまではフランスではそれがないとクリスマスを迎えられない定番ケーキ、ビュッシュ・ド・ノエルを買って帰る人が歩いたりしていますが、冬の早い日も落ちるころになると、ぴたっと街が静止します。凱旋門やシャトレ付近などの観光地は別ですが、普通の街なかは本当に人っ子一人見当たらなくなるのです。
 この雰囲気、何かに似ていると思ってハタと気づきました。もう半世紀前、ぼくが子どものころの日本のお正月です。ともかく家族がみんな家にいて、一緒に過ごしていたころの。あのころは、どの家もお正月の準備というものをしていたものです。時間をかけてていねいに、心を込めて。家族が家族であるための大切な行事として。
 きっとあのクリスマスの夜も、パリのアパルトマンの中では、前の日から掃除をし、ささやかでも工夫して部屋を飾り、ていねいにクリスマス料理を準備し、一年に一度だけ暖炉に火を入れ、全員そろって家庭祭壇前でお祈りをし、何日も前から用意してあったプレゼントを贈りあい、乾杯をしてビュッシュ・ド・ノエルを食べ、信心深い家族は深夜ミサに出かけたことでしょう。

 2010年のクリスマスを、いつまでも忘れられないクリスマスにしませんか。もちろん、教会での行事や典礼をていねいに準備するのは言うまでもないことですが、今年はいつにもまして「イエナカクリスマス」を準備しませんか。この日こそは何としても家族全員集れと厳命し、部屋を片付けて家庭祭壇を飾り、よくよく考えて安くてもいいからきっと喜んでくれるプレゼントを全員分そっと用意し、時間をかけてスペシャルメニューの料理を作り、ミサから帰ってみんなそろったら家長はちゃんと短いスピーチとお祈りをし、取って置きのワインを抜いて乾杯をし、たまには全員そろった写真を撮ってはいかがですか。一人ぼっちでクリスマスを迎えることになる人をだれかお招きするなんてのも、ステキじゃないですか。ちゃんと招待状を出して。できれば、ミサにもお誘いして。
 クリスマスは、それだけの準備をするに値する、かけがえのない日です。
 いよいよ待降節。クリスマスも間近です。

巻頭言:主任司祭 晴佐久昌英 神父

みんなの教会 みんなの委員長

主任司祭 晴佐久 昌英神父

 「今年一杯で教会委員長の任期が終りますので、そろそろ次期委員長をお考えください」 夏の暑い盛りに突然そう言われてびっくりし、思わず問い返しました。
 「『お考えください』って、ぼくが選ぶんですか!?」

 多摩教会では創立以来、教会委員長を司祭が選び、依頼し、時には拝み倒して任命して来ました。本質的に言うならば、それは間違いではありません。カトリック教会は民主主義を大切にはしますが、それを最高の権威とするのではなく、あくまでも真の権威はイエス・キリストの教えを正しく受け継ぐ教会教導職にあると信じる組織です。教皇が司教を任命し、司教が司祭を任命し、司祭が委員長を任命するのはある意味で当然のことではあります。

 しかし、司教が司祭を任命する時にしても、いきなり司教が独断で誰かを選ぶわけではありません。大勢の信徒や養成者からのいわば「推薦」を受けて、最終的に司教の責任で叙階し任命するのです。教会委員長も司祭が任命するにせよ、そこまでのプロセスに教会全体が関るのが望ましいことは言うまでもありません。「司祭が選び、司祭が任命する」のではなく、「みんなで選び、司祭が任命する」というかたちです。ちなみに、わたしが過去に関った5つの教会はすべて後者のかたちでした。

 そこでこのたび、司牧評議会のもとに小委員会を設けて話し合ってもらった結果、新たな教会委員長選出の方法が提案されることになりました。正式には11月の司牧評議会で決定して発表されますが、簡単に説明すると、各地区から一名の教会委員長候補を推薦してもらい、推薦された人同士で互選して一名を決め、それを司牧評議会で承認し、司祭が任命するというものです。

 少々面倒に思うかもしれませんが、この方法のいいところは「みんなで選んだ」というところです。それは、思いのほか、教会全体の雰囲気を前向きにしてくれます。「教会委員長」は、教会法的に言うならば「司祭と共に教会活動を推進する信徒の代表者」という立場です。選んだほうも「私たちが選んだ代表」という責任を持ちますし、選ばれたほうも「みんなに選ばれた代表」という自覚を持てます。

 これを司祭が独りで拝み倒して任命するのでは、信徒全体が「まあ、可哀そうに、断りきれなかったのね」という意識になり他人事になってしまいがちですが、みんなで選んだ以上は、そうは行きません。教会委員長が困っていたら、「わたしたちが選んだのだから」と協力を惜しまないでしょうし、委員長の方も「あなたたちに選ばれたのだから」と、堂々と協力を要請できます。

 多摩教会の歴代の教会委員長は、いずれも能力と資質に恵まれたまさに適役と言える人選で、そのそうそうたるラインナップを見れば歴代の主任司祭がいかに的確な選択をして来たかが一目で分かります。しかし、教会委員長という奉仕を単に個人の能力と資質に頼っていては、そこにどうしても限界があります。教会はみんなで話し合い、みんなで助け合う共同体ですから、その代表である教会委員長をみんなで話し合って決め、みんなで助け合って支えていくならば、そのこと自体がとても教会的なしるしになるのではないでしょうか。
 次期委員長が「自信はありませんが、みんなに推薦され、みんなに選ばれ、みんなに支えられて、お引き受けします」と言えるように、みんなで話し合っていきましょう。主任司祭はその人を信徒の総意として全面的に受け入れ、信頼を持って任命し、共に働いていくことをお約束いたします。