巻頭言:主任司祭 晴佐久昌英 神父

被災地方報告・釜石教会と宮古教会

主任司祭 晴佐久 昌英神父

 5月の塩釜教会と米川教会(南三陸町ベース)に続いて、6月に釜石教会、今月7月は宮古教会を訪問してきました。塩釜と米川は宮城県、釜石と宮古は岩手県です。
 釜石教会はかろうじて津波の被害を免れました。波はちょうど庭の聖母像の前まで来て止まったそうで、しばらくは聖母像の前に瓦礫がたまっていたそうです。震災以降、カリタスジャパンのベースとして大勢のボランテイィアを受け入れるとともに、被災者のための支援物資を配布する集積拠点としての役割も担ってきました。信徒館には常時バザー会場のように物資が並べられ、避難所の方や在宅の被災者がひっきりなしに訪れてきます。会場に整えられたカフェコーナーが地元の方々の憩いのサロンともなっていて、そこで被災者同士がひととき交流したり、傾聴ボランティアがさまざまな思いを受け止めたりする場として重要な機能を果たしているのが印象的でした。物は大事だけれど心はもっと大事、ということでしょう。

 釜石の町は、世界一を誇った堤防が津波の勢いを一旦食い止めたため、壊滅的ではあるけれど比較的建物が残っているのが印象的でした。とは言っても、残った建物も内部は瓦礫の山で、人は住んでいません。早朝ゴーストタウンの中を歩いていると、ふと人類最後の一人が町のメインストリートを歩いていくハリウッド映画のワンシーンを思い出しました。
 そんな被災地区のちょうど端のところに、プロテスタントの新生釜石教会があります。こちらは一階部分が津波被害にあい、牧師の柳谷先生は今も避難所生活をしています。先生が5月に多摩教会を訪ねてくださったご縁もあって先日の新生釜石教会支援コンサートが実現し、そのとき集った義援金を直接お届けしました。壁の破れた礼拝堂で教会員の方々とともに祈り、福音を語る機会を頂き、みなさんも宗派を超えたつながりを大変喜んでくださいました。
 この教会前にたつ通称「赤テント」は、いまや町の名物です。運動会の時に使うあの大きなテントですが、布の部分が赤いので大変目立ちます。常にお茶とお菓子が用意してあり、牧師先生はいつもそこに座って道行く人に声をかけてお誘いするので、さまざまな人がそこでくつろぎ、話し合い、時につらい気持ちを語ります。朝はコーヒー、夕にはビールも出るそのスペースは、さながら地獄の真ん中に出現した天国のようで、ある意味うらやましくもありました。教会に掲げられた横断幕には、「ものよりつながり」と書いてありました。

 宮古教会も被災を免れており、現在は札幌教区の支援のもとでボランティアベースとなっています。聖堂がボランティアの寝室ともなっていて、わたしも生まれて初めて聖堂で寝るという恩恵に与りました。祭壇前の、目を開ければ聖母像と目が合う位置で、常夜灯のように聖体ランプが点るところで横になると、なんだか妙に安心して涙がこぼれました。どの被災地に行ってもちゃんと教会があります。どんな悲しみの現場にも24時間聖体ランプが点っています。主は常に共におられることの美しいしるしです。
 被災した信者さんがたと、初めてということでしたが、海岸での野外ミサをすることになり、これは生涯忘れられないミサになりました。眼下に広がる海には、まだ大勢の人が眠っています。地上には想像を絶する被災の現実が広がっています。あまりにも過酷なその現実のど真ん中で、天地のつながるミサ、キリストの完全なる礼拝が捧げられる。それは、どんな支援や復興にもまさる、神の愛の目に見えるしるしであり、まさに「復活」のミサなのです。
 多摩教会として、今後も、釜石・宮古の教会を応援し、教会を通して被災地のみなさんを支援していきたいと思います。物、金、ボランティア、いずれも大事です。しかし、何よりの支援は、まずはまずはわたしたちが本当に神の愛を信じて祈り、聖なるミサを心をこめて捧げ、全ての神の子と心を同調させることだと信じます。

巻頭言:主任司祭 晴佐久昌英 神父

塩 釜 ベ ー ス

主任司祭 晴佐久 昌英神父

 このたび、4日間ではありますが被災地を訪問してきました。塩釜教会のボランティアベースを中心に、七ヶ浜、石巻を回り、最後の日には米川ベースにも立ち寄って南三陸町の避難所を訪問しました。
 現場を車で走りながら思わず口をついて出てきたのは「行けども、行けども・・・」という呆然としたつぶやきです。ともかく延々と、行けども、行けども惨憺たる光景が続くさまは、文字通り「手のつけようがない」有様でした。
 しかし、だからこそ、そんな中で孤軍奮闘のように重機を動かす作業員や、今なお遺体を捜して側溝の泥の中に潜り込んでいく自衛隊員や、ただひたすらに瓦礫を片付け続けているボランティアたちの存在が、それこそ「地獄で仏にあったよう」に輝いて見えたのが、とても印象的でした。

  さて、被災地の現状とボランティアの意義については今号の深江氏の報告に詳しいのでそちらを読んでいただくとして、ここでは少しカトリック塩釜教会のことに触れておきたいと思います。
 塩釜湾は大小二百あまりの松島の島々が点在し、それが天然の防波堤となったため他の地区よりは少しだけ被害が少なかったようです。それでも津波は港から数百メートル内陸まで押し寄せましたが、ちょうどカトリック塩釜教会の手前のところで止まり、地震による損傷も軽微なものでした。あの激しい揺れでもお御堂のマリア像が台座から落ちなかった、というのが信者さんのご自慢で、「落ちないマリア様」として受験生の保護の聖母にしたいなどと、ユーモアたっぷりに案内してくれました。
 しかし、ご存知の通り塩釜教会はこのたび、大きな犠牲を払いました。主任司祭を亡くしたのです。アンドレ・ラシャペル神父は、地震発生時仙台市内にいましたが、皆の制止を振り切って車で教会に戻りました。しかし教会周囲の道は津波で冠水していて立ち往生し、一晩極寒の車中で過ごしたために持病の心臓病を悪化させて亡くなったとのことでした。敬愛する主任司祭を失った塩釜教会の信者さんたちの悲しみは察するに余りあります。落ちないマリア像の前に、神父様の大きな遺影が飾ってありました。

  そんな中、塩釜教会は、仙台サポートセンターのもとボランティアのベース(基地)となる教会に指定されて、教会をあげてベースを支えてきました。このたびそのベースの様子を見て、これは本当に信者さんたちの全面的な祈りと献身、犠牲なしには不可能だなと思い、頭が下がる思いでした。
 ミサ後は、お御堂のベンチは片付けられ、女子の寝室になります。信徒会館のホールは男子の寝室兼食堂。日中瓦礫と格闘してきたボランティアたちが毎日何十人と出入りすれば当然汚れます。ボランティアは皆が信者とは限りませんし、中には教会のことをあまり理解していない人もいるはずです。当然普段どおりの教会活動はできないでしょうし、時には苛立つ出来事もあるのではないでしょうか。
 そのような現実の中で、信者さんたちは毎日このベースを訪れて、だれであれ寛容に受け入れ、忍耐強く対応し、さまざまな工夫をしながらできる限りの奉仕をしているのでした。もちろん、直接的に運営しているのはカリタスジャパンであり、ベース長のブラザーや炊き出しに来ているシスターたちの献身的な奉仕あればこそのベースですが、そこでボランティアたちがさまざまなことを体験して成長し、時には福音に出会う姿を目の当りにするにつけ、そのベースを支える塩釜教会自体も尊い働きをしているなという実感を持ちました。まとめ役の主任司祭がいない中、信者たちが一致団結して話し合い、さまざまな配慮をしている様子は、まさに聖霊に導かれている教会の姿でした。
 今回わたしも塩釜教会の信者さんに受け入れられ、その細やかな配慮と案内で、ご自宅や病院におられる病気の信者さんたちの病床訪問をすることができましたが、教会の本質は何はともあれ「受容」であり、震災後の教会のあるべき方向性はそこにあることを、はっきりと見た気がしました。
 もしも教会が、自分たちの都合やら狭量な了見のために「もうベースはいいでしょう、そろそろお引取りください」などと言いだすとしたら、たとえ十字架は立てていても、もはやそれはキリストの教会とは呼べないでしょう。
 わたしたち多摩教会も、今後、さまざまな形でこの塩釜教会を応援していきたいと思います。それがベースを応援することとなり、それが被災地を支援することになるのですから。

巻頭言:主任司祭 晴佐久昌英 神父

大震災後に増えるもの

主任司祭 晴佐久 昌英神父

 震災後、結婚する人の数が急増したというデータが報道されていました。個々の結婚の動機はさまざまでしょうが、震災が何らかの影響を与えたことは間違いありません。そこには共通した理由があるはずであり、おそらくそれは人々が「人間の尊さ」や「人と人のつながりの大切さ」に気づいたということではないでしょうか。
 たしかに、このたびの震災はわたしたちに大きな価値観の転換をもたらしました。ひとことで言えば、これまでの経済第一主義や効率至上主義から人間第一主義、生命至上主義へと変わりつつあるのです。その意味では、よく言われるようにようやく「戦後」が終ったのかもしれません。第二次大戦後、ともかく豊かになろう、強い力を持とう、便利に暮らそうという至上命題のもとに「発展」してきた日本ですが、今人々が本能的に求め始めているのは物よりも心が豊かである人生であり、弱くても互いに助け合う社会であり、不便でも安全で人間らしく生きられる暮らしなのです。
 そのような傾向はバブルの崩壊後、次第に高まって来てはいましたが、そうは言ってもこの不況はなんとかせねばとか、隣国の台頭に負けちゃおれんなどといった戦後の残り火がくすぶっていたのが、この20年だったような気がします。しかしその残り火も、このたびの津波でついに消えたように見えるのです。
 被災地はもちろん東京でも、地震の直後電話が不通になり、家族や友人、パートナーと連絡がつかなくなるという事態が発生しました。そのときわたしたちは決定的に悟ったのです。何が一番大切なのか、何を最優先で守らなければならないのかを。すべてが普通に存在し、当たり前につながっている時は、人々は物事の優先順序をちゃんと考えていませんでした。しかし、ひとたびわが身の危険を体験し、大勢の人を失う悲しみを体験し、互いの安否がわからぬ不安を体験してみると、否応なしに優先順位の真のトップが何であるかが浮かび上がってきたのです。経済も発展も便利も大事だけど、やっぱりなんと言っても大切なのは安らかに共に暮らす家族であり、命を任せられる信頼関係であり、どんなときも助け合う仲間でしょう。つまりは、人と人を結ぶ愛がすべて。そのような気づきこそが、結婚急増の背景に他なりません。

 さて、もしそうであるならば、当然のことながらそれは洗礼が急増するということでもあるはずです。キリスト教こそは、人と人のつながりと、神と人のつながりを何よりも大切にする教えであり、実際にそれを生きている集いだからです。キリストの教会はこの二千年間、神の子である人間第一主義、神によって生かされている生命至上主義を謳ってきましたし、神の愛のうちに人と人を結ぶ愛がすべてだと主張し続けてきました。それを御言葉と犠牲を伴う愛のわざで教えてくれたイエス・キリストを信じることで、愛の文明をつくり、愛がすべてである世界を実現し、神の国を完成させようと呼びかけて来ました。キリストの教会こそは、いかなる時代にも常に真の優先順序を守り続け、危険と不安の闇の中でも本物の安らぎと希望の光を見出せる魂の避難所として機能してきたのです。
 現に、震災後の不安と孤独感の中、とても独りではいられずに教会を訪ねてきた人が何人もいました。人々は、苦難のときに本能的に神を求め、神の愛を求め、神の愛の目に見えるしるしである教会を求めるのです。これから、キリストの教会を求める人が次第に増えてくることは、間違いありません。多摩教会でもいっそう受け入れ態勢を整え、いっそう声を大にしてここに救いがあると呼びかけなければなりません。それこそが、何にもまして「今わたしたちにできること」なのです。

 今年の復活祭に受洗した仲間たちには、何度もお話しました。今年2011年、大震災の直後に洗礼を受けたみなさんは、神から特別の使命を頂いている。苦難の日々に受洗したということは、いつにもまして真の希望を世に証しするようにとの召命を頂いているのだ、と。
 もちろんそれは、全キリスト者に言えることでもあります。多摩教会のみなさん、いつにもまして、福音を語ろうではありませんか。今こそ、イエス・キリストを告げ知らせようではありませんか。千年に一度の大災害を乗り越える真の希望を語るためにこそ、二千年の苦難を乗り越えて福音を語り続けてきたキリストの教会が存在しているのですから。

2012年 4月号 No.464

2012年 4月号 No.464

発行 : 2012年4月22日
【 巻頭言:主任司祭 晴佐久 昌英 神父 】


さあその日をめざしてがんばろう

主任司祭 晴佐久 昌英神父


  もう十年も前に生まれたぼく。
  学校にはりきって入学したぼく。
  そんなぼくは、今日もいろいろなことでしかられている。
  そのたびに決心しては、次にまたしかられる。
  こんなことではだめだ。
  よしこんどこそやるぞ。
  だめかもしれないけれどやってみよう。
  そしていつかできるようになったら
  先生やおとうさん、おかあさんにむねをはってやろう。
  さあその日をめざしてがんばろう。

 母が亡くなる数年前だったと思います。ある日、母が「これ、ずっと仕舞ってあったんだけど、返すね」と言って、黄ばんだ一枚の紙を渡してくれました。そこには、鉛筆書きのていねいな字で10行ほどの詩が書いてあり、作者名は晴佐久昌英とありました。最初の一行から類推するに10歳の時の作品のようですが、本人は全く覚えていなかったので、突然昔の自分と出会ったような、何とも不思議な気持ちになりました。
 上掲の詩が、それです。内容からして、たぶん国語の授業で「心で思っていることを素直に書きましょう」などと言われて書いたものではないでしょうか。まさに、毎日叱られて生きていたあの頃の正直な気持ちが書かれていて、いじらしいというか、切ないというか、思わず「がんばれ、自分!」と言いたくなるような詩です。たぶん、このけなげな詩を読んだ母も同じように思ったであろうことは、40年近くこの詩を捨てずに持ち続けていたことからもわかります。おかげさまで、詩人晴佐久昌英の処女作は、ちゃんとこの世に残された、というわけです。よく読むと体言止めや決意の独白、二行ずつの脚韻などのレトリックが施されてあり、独特のリズム感もあってなかなかの技巧派です。
 今はこの詩は額に入れて、トイレに飾ってあります。毎日座るたびにこの詩を読んでは「だいじょうぶだ、晴佐久君、君はがんばってるよ。だれも君をしかったりしない、もうむねをはっていいんだよ!」と自らに言い聞かせるのですが、人の思いというものはそう簡単に変わるものではありません。結局は、10歳の思いからちっとも変わらずに、「でもまあ、そうは言っても、こんなんじゃまだまだだよね・・・もう少しがんばらなくっちゃ」という気になるのです。

 このたび、晴佐久昌英の第2詩集「天国の窓」が発行されました。帯には「18刷、4万2千部のベストセラー『だいじょうぶだよ』から10年、待望の第2詩集」とあります。確かに詩集で4万部というのは立派なベストセラーでしょうし、ちゃんと第2詩集も発行されるなんて、詩人晴佐久君、できるようになったじゃないですか。むねをはってやろうじゃないですか。
 この詩集は、言うなれば「写真詩集」とでも言うべきもので、見開きの片方のページに菅井日人氏の美しい写真、もう片方に詩を載せました。よく、「これ、写真が先なの? 詩が先なの?」と聞かれますが、思わずそう聞きたくなるほどに写真と詩が寄り添って一つの世界をつくりだしているところに、他とはちょっと違う面白さがあります。実際には、写真からインスピレーションを得て詩を書きました。それを並べると、写真と詩、つまり光とことばが絶妙に響きあって、心に深くしみこむ詩集になりました。
 「だいじょうぶだよ」のときもそうでしたが、いつも詩を書くときには、特定のだれかを思い浮かべながら書きます。特に、今つらい気持ちでいる人や、困難の中にいる人のために、励ましとなり希望となるように書いているので、全体に癒しと慰めの香り溢れる詩集になりました。ぜひ、闇の中にいる人、救いを求めている人にプレゼントしてください。ひとつの詩を生み、育て、納得いくものに実らせるためには、大変な苦労と工夫、強い信念と忍耐が必要ですが、苦しんでいる人の気持ちがほんの少しでも和らいでくれるなら、がんばった甲斐があるというものです。
 しかし、ここでいい気になってはいけません。まだまだむねをはったりしてはいけません。こんなことではだめだ。よしこんどこそやるぞ。だめかもしれないけれどやってみよう。さあその日をめざしてがんばろう(涙)。

【 投稿記事 】


祈り

福井 英夫

 皆さまは毎日どんなお祈りをしていますか?
 私は、朝起床時に「今日もいち日何事もなく過ごす事が出来ますように」。朝食と夕食前、夫婦で祈りを唱えてから食事に入ります。寝る前は今日いち日の反省感謝のお祈りをしています。

【 朝の祈り 】

新しい朝を迎えさせてくださった神よ、きょう一日わたしを照らし、導いてください。

いつもほがらかに、すこやかに過ごせますように。
物事がうまくいかない時も、ほほえみを忘れず、いつも物事の明るい面を見、
最悪のときにも、感謝すべきものがあることを、悟らせてください。

自分のしたいことばかりではなく、あなたの望まれることを行い、
まわりの人たちのことを考えて生きる喜びを見い出させてください。

アーメン。


 2000年9月。“長崎・平戸・生月巡礼団”に参加した折に団長のカトリック瀬教会主任司祭(当時)のケンズパリ神父さまから、この朝の祈り、夕べの祈りカードをプレゼントされて、巡礼中、朝食前と夕食前にはツアー参加者全員で唱えてから食事に入りました。私達夫婦は毎日朝食前と夕食前には、この祈りを唱えてから食事のお恵みを頂きます。

【 夕の祈り 】

一日の働きを終えたわたしに、やすらかな憩いの時を与えてくださる神よ、
あなたに祈り、感謝します。

きょう一日、わたしを支えてくれた多くの人たちにたくさんのお恵みをお与えください。

わたしの思い、ことば、おこない、おこたりによって、あなたを悲しませたことがあれば、
どうかおゆるしください。

明日はもっとよく生きることができますように。

悲しみや苦しみの中にある人たちを助けてください。
わたしが幸福の中にあっても、困っている人たちのことを忘れることがありませんように。

アーメン。


今日いち日ありがとうございました。神様に感謝”

いつも喜んでいなさい。たえず祈りなさい。すべての事について感謝しなさい。

(テサロニケの信徒への手紙)
                   

巻頭言:主任司祭 晴佐久昌英 神父

神はなぜ、この世の災いや苦しみをお除きになりませんか

主任司祭 晴佐久 昌英神父

 13 ★天地万物の主宰とはどういうことですか。
 天地万物の主宰とは、神が天地万物をおつくりになったのち、常にこれを保ち、またつかさどることです。
 キリストがお教えになったように、神は特に人間に対して父の心を持ち、霊魂とからだとにかかわるすべてのことを、特別にお計らいになります。これを人間に対する神の「摂理」と言います。すべて世の中のできごとは、盲目的な運命によらず、神の摂理によって導かれています。

 14 ★神は人のことを特別にお計らいになるのに、なぜ、この世の災いや苦しみをお除きになりませんか。
 神がこの世の災いや苦しみをお除きにならないわけは、神が、それらの災いや苦しみから善を生ぜしめ、この世の苦難をとおして人をのちの世の幸福にお導きになるからです。特にイエズス・キリストは、その教えと行いとをもって苦しみの意味を教えられました。

 これは、わたしが子どもの時に教会学校で配られた「カトリック要理」の一節です。この本は、カトリック中央協議会が今からちょうど半世紀前の1960年に出版したもので、カトリックの基本的な教えが問答形式によってまとめられています。当時はカトリックの洗礼を受けるためにこの「カトリック要理」を一年以上かけて学ばなければなりませんでしたし、教会学校の子どもたちも暗記させられたりしたものです。難しい教会用語が頻出して親しみにくく、教条主義的な形式にも限界があってその後あまり使われなくなりましたが、中身はもちろん正しい教えであり、信仰の原点を確かめるために読み直す価値は充分にあります。
 特に、このたびの大震災のようにまさに「想像を絶する」出来事に際して「言葉を失う」体験をすると、恐れや虚無感にとらわれて、絶句したままの思考停止状態に陥ったり、立ち尽くしたままの信仰停止状態に陥ったりしがちです。こんなときこそ、信仰の原点を的確に教え、神の愛を明確に語る救いのことばが必要ですから、聖書はもちろんですがカトリック要理の歯切れのいい教えにも励まされたらいいでしょう。

 冒頭引用したのは、第二課「創造と主宰」の13、14項です。13項では神の計らいについて、14項では災いと苦しみの意味について説明しています。神は天地万物のすべてをつかさどっておられるというのですから、宇宙の法則も地球の仕組みも、生命の神秘も進化の歴史もすべてということです。とりわけ、人間に対してはまことの親としての愛をもって特別にお計らいになっておられ、それを「神の摂理」と呼ぶと強調しています。
 最近あまりこの「摂理」という言葉が使われなくなりましたが、いまこそもう一度摂理への信頼を深め、摂理へのセンスを養う時ではないでしょうか。「特にイエズス・キリストは、その教えと行いとをもって苦しみの意味を教えられました」とありますが、摂理を完全に受け入れたイエスはもはや、摂理そのものです。イエスは殺される前夜、天の父に祈りました。「わたしの願いではなく、あなたの御心のままに行ってください」。イエスを信じるということは、摂理を信じるということなのです。わたしたちキリスト者は、善である神の愛を受け入れて、すべての出来事のうちに神の摂理が働いていることを信じます。地震も津波も「盲目的な運命」ではなく神の摂理のうちにありますし、人の誕生も死も神の摂理のうちにあるということです。

 もちろん、地震予知をしたり津波防御をしたり、誕生を願ったり死を避けたりするのは人間として当然のことであって、そういうことをしても無駄だと言っているのではありません。ただ、そういうことをした上でなお起こった出来事に関して、そこに神の摂理を見出して受け入れることを神は求めておられるということです。
 大規模な災害や親しい人の死を前にしたとき、それを摂理と受け止めるのは難しいことです。しかし、人間はあくまでも「神の愛を受けるために神に造られた存在」である以上、どれほど理解しがたい出来事であっても、最終的にはそこに神の愛を見出し、それがすべての終わりではなく、むしろ何かとてつもなくすばらしいことの始まりであると信じなくてはなりません。摂理は、理解するものではありません。摂理は信じるものなのです。その信仰をこそ神は求めておられるし、その信仰に向けてわたしたちを成長させようと計らっておられるのです。
 摂理のうちに天に召された人たちが、尊い犠牲を捧げた聖なる人たちとして、天の国でどれほどすばらしい栄光に与っているかを、まだだれも知りません。知らないけれど、信じます。摂理のうちに生き残った人たちが、苦難によって成長し、いつの日か天の国でどれほどすばらしい栄光に与るかを、まだだれも知りません。知らないけれど、信じます。
 カトリック要理では、14項に続いて、聖書と教父の言葉が引用されています。
「苦しむ人たちは幸いである。かれらは慰めを受けるであろう」(マタイ5・4)
「神は、神を愛する人々、すなわちご計画に従って召し出された人々とともに働いて、万事かれらのために益となるようにしてくださることを、わたしたちは知っている」(ローマ8・28)
「神は、どんな悪も行われえないようにするよりも、むしろ悪からも善を生ぜしめるようにするほうがよいと考えられたのである」(聖アウグスチヌス)

巻頭言:主任司祭 晴佐久昌英 神父

地は震えても、天は揺るがない

主任司祭 晴佐久 昌英神父

 大地震から一週間が過ぎ、行政は被災者救助から避難者救援へと舵を切りました。依然として行方の分からない家族のいる人たちは、割り切らなければならない現実と割り切れない感情との間で引き裂かれるような思いをしていることでしょう。かろうじて助かった避難者にしても25万人と言われており、道路は寸断、停電と燃料不足に放射能漏れが重なって、助ける側も出来ることと出来ないことの間で苦悶しています。立て続けに報じられるネガティヴな情報のせいで社会不安は高まり、いまだ余震が続く中、人々は平常心を失ってどこか浮き足立っているように見えます。
 そんな今こそ、まさにわたしたちキリスト者の出番なのではないでしょうか。神の愛を信じる限り「不幸でも幸い」であるキリスト者こそが、まず気を取り直し、共に信仰を奮い立たせ、不滅の希望を語り、具体的に愛し合い、身を起こして頭を上げ、目を覚まして祈るべきではないでしょうか。それこそが試練の時代におけるキリスト者の存在意義であり、主イエスから託された尊い使命だからです。

 「身を起こして頭を上げ」、「目を覚まして祈りなさい」は、イエスの言葉です。
 「大きな地震があり、海がどよめき荒れ狂うので、諸国の民はなすすべを知らず不安に陥る。人々は、この世界に何が起こるのかとおびえ、恐ろしさのあまり気を失うだろう。このようなことが起こり始めたら、身を起こして頭を上げなさい。あなた方の解放の時が近いからだ。神の国が近づいていると悟りなさい。天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。いつも目を覚まして祈りなさい」。(ルカ21章より抜粋して構成)
 「解放の時」とは、神の愛を知らずに不信や恐れ、欲望や争いに捕らわれている罪の状態からの解放の時のことで、「神の国の完成の日」のことです。イエスが言いたいのは、すべての苦難は真の解放である神の国に向かう途上の出来事なのだから、人々が皆恐れている時にこそ、キリスト者は恐れずに立ち上がり、苦難に耐える信仰によってまことの命をかち取りなさいということです。
 ですから、たとえ家族を亡くし、家を失い、放射能が降り注いでいる中でも、キリスト者は決して滅びないイエスの言葉に希望を置きます。泣きながら苦しみながら、ひとときは虚無感や絶望感に襲われながら、なおも身を起こして頭を上げます。イエス・キリストの十字架において、わたしたちはすでに悪と罪から解放され、死さえも超克しているからです。そのイエスと共に背負うすべての十字架は、神の愛によって復活の栄光に変えられると信じているからです。そうして、あらゆる産みの苦しみの先にある永遠の喜びの世界への誕生を待ち望んでいるからです。その喜びの世界でわたしたちは知ることでしょう。何ひとつ失っていなかった、と。

 希望をなくしてはいけません。恐ろしい災害があっても、この世界が悪い世界に変わってしまったわけではありません。このたびの地震を「天罰」だと言った知事がいましたが、知事にはぜひ神学の基礎を学ぶことをお勧めしたい。地震は天罰でも神罰でもありません。神はどこまでも善であり、愛であり、あらゆる希望の根拠です。問題は天にあるのではなく、天を知らずにおびえる我々の心にあるのです。
 マスコミは初めのころ「東日本大地震」とか、「東北関東大地震」と表記していましたが、いつの間にか「大地震」が「大震災」に変わりました。たぶん報道の焦点が地震そのものから災害の方に移ったからでしょう。些細な変化のようでいて、実はここには大きな違いがあります。地震は神のわざですが、震災は人のわざだからです。大災害が起こると、人はこうつぶやきます。「罪もない人たちがこんな災害に巻き込まれて命を落とすなんて、神も仏もあるものか。神が愛ならなぜこんなことをなさるのか。仏の慈悲でも救うことができないのか」。しかし、これは誤った見識です。
 確かに地球を造ったのが神である以上、地震も津波も神のわざであると言えなくはありませんが、それは人類誕生のはるか昔から延々と続いている尊い創造のわざの一部であり、それ自体には何の責任もありません。いつだって地は震え、海は荒れ狂ってきました。事実、直近のわずか百数十年の間に、東北地方はすでに二度の壊滅的な大津波を体験しています。その海辺になおも家を建て、「万全の」防災計画を練り、堤防を作ったのは神ではありません。人間です。使いたいだけ電気を使うために「絶対安全」な原発を建てたのも神ではありません。人間です。「観測史上初」で「想定外」の波が来たと言うのも人間なら、「神よ何故」と問うのも人間、「天罰だ」と言い出すのもすべて人間なのです。足りないのは神の愛ではなく人間の愛であり、むしろ問うべきは我々の傲慢と我欲、神への無知と弱者への無関心ではないでしょうか。
 神は人間には決して極めつくせない摂理と、限りない愛の親心によって、この揺れる大地の上にわたしたちを置きました。それは、神の子たちの成長のために他なりません。神は、わたしたちがそこに起こるすべての現実に尊い意味を見出しながら、試練の中で知恵を出し合い、助け合い、愛し合って、ご自分の親心に目覚め、ご自分にいっそう似たものとなることを望んでおられるのです。
 怖いのは地が震えることではありません。地と共に私たちの心が震えて神を見失うことです。今こそ、神の愛に立ち帰るとき。地は震えても、天は決して揺るぎません。

巻頭言:主任司祭 晴佐久昌英 神父

小さな赤い箱

主任司祭 晴佐久 昌英神父

 ペルーの首都リマからインカの都クスコへ向かう国内線の機中で、機内サービスの飲み物と一緒に小さな赤い箱が配られました。十五センチ四方くらいの紙の箱で、開けると中にはお菓子の袋が三つ入っていました。大きい袋がパウンドケーキ、中くらいの袋がクラッカー、小さな三角の袋がチョコレートです。チョコレートは中にジャムのようなものが入っているペルー名物で、さっそく食べ始めた周囲からは「おいしい、おいしい」の声が。
 こういうコンパクトなものに、なぜか心惹かれます。「小宇宙マニア」として、大変そそられるものがあります。小さな空間にさまざまな要素が絶妙に配置されていてひとつの意味ある世界を作り出している、小宇宙。日本庭園とか、幕の内弁当とか。このときは、手をつけるのも惜しいって感じでそっとふたを閉じました。さっき空港でサンドイッチを食べたばかりでしたし。今日はこの先、バスと列車の旅が待っています。お楽しみは後でゆっくり、というわけです。

 この日、巡礼旅行の5日目は、いよいよ世界遺産の空中都市マチュピチュを目指します。まずはクスコの空港からバスで渓谷の町オリャンタイタンボへ。途中、広い中庭のある素敵なレストランで昼食をとったのですが、ちょうどこの日は移動日のためミサをあげる予定がない日だったので、このレストランの一室を借りてミサをさせてもらうことになりました。巡礼旅行ですから、毎日ミサが必要です。成田で出発する時も、いつも有料の団体待合室を借りて結団式のミサをあげてから出発します。そんな時のために、巡礼旅行ではいつでもミサができるように携帯用のミサのセットを持ち歩いています。ホスチアとワインの小瓶と一緒に。ちなみにホスチアは多摩教会の香部屋から持ち出しました。お許しを。おかげで、予定外のミサができてみんな喜びました。ミサ後のペルー料理のバイキングもとってもおいしく、こころもおなかも一杯になりました。
 オリャンタイタンボからは、鉄道に乗り継ぎます。よく旅番組などでも紹介される高原列車で、車窓の風景はまさに絶景です。アンデスの切り立った山々と清冽な渓谷の流れ。そろそろ日も傾いて、山の端からスポットライトのように斜めに差し込む光が、風景の一部を舞台美術のように切り取って浮かび上がらせます。それはさながら天然仕様の小宇宙。二度と見ることのできない一瞬一瞬の芸術を、うっとりしながら脳裏に動画で記録していきました。

 一時間ほど走ったでしょうか。車内サービスが周ってきて、ペルー人の常用茶であるマカ茶が配られました。ここでいよいよ、お楽しみの小さな赤い箱の出番です。心弾ませながら小宇宙を座席のテーブルに置いた、そのとき。
 列車は小さな駅に止まりました。ふと前方を見ると、線路際をみすぼらしい身なりの少年が一人、次々と窓を見上げながらこちらへ歩いてきます。何か売り歩いているのか、なんとなく必死な感じが伝わってきますが、誰も相手にしていないようです。彼は目の前まで来ると、こちらを見上げながら片手の指を自分の口元に向けてパクパクと動かし、口をもぐもぐさせました。言うまでもありません。万国共通のサイン。「何か食べるものをくれ」です。
 一瞬、「何もあげるものはないよ」と思い、0・5秒後には「ウソつけ、目の前に赤い箱があるだろう」と思い、その0・5秒後の表情を彼は見逃しませんでした。早くくれ、と手招きで合図します。列車はもう発車しかけています。あわてて窓を開けようとしました。しましたが、そんな時に限って、窓が固くて開きません。人生って、そういうものです。心の中で「ごめんね」を繰り返す中、列車は非情に走り出し、再び美しい風景が車窓を流れて行きました。
 ところが。何気なく振り向くと、なんと先程の少年がこちらに手を伸ばしたまま、全速力で列車と一緒に走っているではありませんか。わが体は条件反射のように飛び上がり、思いっきり窓を開けると、小さな赤い箱を放り投げました。慣れた手つきでキャッチした少年は、すぐに小さくなり、やがて見えなくなりました。

 マチュピチュ山麓のホテルは、去年出来たばかりというモダンなデザイナーズホテルでした。ここに一泊して、明朝はついにマチュピチュ登山というわけです。デザインが売りらしく、夕食は見たこともないようなおしゃれな盛り付けのコース料理で、お皿がどれも四角いのです。そんな四角いお皿があの小さな赤い箱を思い出させたせいもあり、食事中、ずっとあの少年のことを考えていました。
 何歳なんだろう。どんな家に住んでるんだろう。学校に行ってるのかな。毎日あんなことしてるんだろうか。放り投げられた赤い箱、受け止めるの、上手だったな。きっとすぐに、ボリボリ食べたんだろうな。おいしいと思ってくれたかな。
 ホテルのおしゃれすぎる夕食は日本人の口に合わなかったのか、それともお昼を食べすぎたのか、みんなひとくち食べては残しています。毎日ご馳走続きじゃ、無理もありません。残すくらいなら、あの少年に食べさせたいなと思ったそのとき、ふいに確信しました。
 彼は、あのお菓子を食べていない。あの全速力は、自分のためじゃない。きっと家で誰かが待ってるんだ。たぶん栄養不足の病気のお母さんが、いまごろ小さな赤い箱を開けているに違いない。「ごめんね、ごめんね」って涙こぼしながら。

巻頭言:主任司祭 晴佐久昌英 神父

小さな天国

主任司祭 晴佐久 昌英神父

 小学校5年の春、「2001年宇宙の旅」というSF映画が封切られ、クラスの友達と一緒に今はなき銀座のテアトル東京へ観に行きました。そのときの映像体験はその後の映画人生の原体験ともなる強烈なものでしたが、そのときの音楽体験もまた、その後のクラシック人生の原体験になりました。太陽と地球と月が一直線に並んだ瞬間に大音量で鳴り響くリヒャルトシュトラウスの「ツアラトゥストラはかく語りき」や、宇宙船が優雅に航行するバックに流れるヨハンシュトラウスの「美しき青きドナウ」は、若干10歳の魂に、どこか神話的な感動や官能的な喜びを呼び覚まし、それはある種の神秘体験でもあったのです。
 以来、クラシック音楽を聴くことはわたしにとってどこか神聖で特別な行為となりました。同じ年、音楽の時間に音楽室の大きなスピーカーでチャイコフスキーの組曲「くるみ割り人形」を聞いたときのあの言葉にならない感覚は、胸の奥の「きゅっ」とするところに今でもそのときのまま残っています。ああ、こうして書いていても鳴り出す、「花のワルツ」のハープのカデンツァ!

 若いころはレコードやラジオで聞いていたクラシック音楽でしたが、経験を積んでくるとさすがにナマのよさが分かってきて、次第にコンサート会場に足を運ぶことが多くなりました。自然とクラシック関係の友人も増え、知識も体験も積み重なり、かつての映画評論家が今ではすっかりクラシック評論家です。
 チケット代が高いのは難点ですが、ナマのクラシック音楽にはそれだけの価値があるのは事実です。様々な奇跡が絶妙に響き合って不意に訪れるあの幸福な一瞬はもはや小さな天国であり、どんな疲労も苦労も吹き飛ばす力を持っています。一番よく聴くのはピアノですが、お気に入りはピレシュ、ポリーニ、エマール、アンデルシェフスキ、ツィメルマン、ランランといったところです。彼らの研ぎ澄まされた演奏を聴いていると心が澄みわたっていくのを感じます。さらに最近はまっているのはオペラで、ランカトーレのルチアや、フリットリのボエーム、デセイの椿姫などなど、名だたる歌姫たちからどんなにパワーを分けてもらったことでしょう。

 さて、そんなこんなでナマの値打ちがわかってくるとさらに欲が出て、ついにはここ数年、クラシックコンサートの製作に手を染めはじめました。ただ受動的に聴きに行くのではなく、自ら小さな天国を作り出してしまおうというわけです。これが始めてみると中々奥が深く、困難も多いけれど実りの喜びも多いため、やめられなくなってしまいました。主に大好きなピアノと歌のコンサートです。今まで、お気に入りのフィリアホール、王子ホール、トッパンホールなどで開催してきましたが、ついにこのたび、憧れの紀尾井ホールで開催する運びになりました。
 タイトルは「第5回佐藤文雄と愉快な歌姫(なかま)たち」で、天才伴奏ピアニスト佐藤文雄と彼を尊敬する歌い手たちによる至福のひと時です。佐藤文雄はわたしが洗礼を授けた大切な友人であり、今回歌うソプラノの澤江衣里は高幡教会所属で、わたしは彼女が高校生のころから見守ってきました。このたび彼女が日本音楽コンクールで若くして二位になり、テレビでも紹介され、お祝いもかねてのコンサートとなりました。コンクールの本選を聞きに行きましたが、年々成長しているとはいえここまでかと心底驚かされましたし、これからの日本の音楽界を代表する歌い手になっていくことでしょう。ともかく、そのまろやかな声のツヤは比類ありません。聴いていただければわかります。
 また、同じくそのコンクールで前回二位だった首藤玲奈が出演してくれることになり、最強のラインナップとなりました。先日、アーノンクール指揮のウィーン・コンチェントゥス・ムジクスでバッハのロ短調ミサを聴き、これぞ信仰の極みの音楽と感銘受けましたが、このたびのコンサートではこのロ短調ミサから「キリスト憐れみ給え」のソプラノ二重唱を二人に歌ってもらいます。おそらく、今回の企画ならばクラシック通の人たちも聞きに来るのではないでしょうか。こうして、自分の好きな音楽を好きな演奏家に演奏してもらい、みんなに小さな天国を味わってもらうひと時こそは、コンサート製作の醍醐味です。つらいことの多い現実の中で、ほんのひと時でも天国の扉を開けて励ますことができるならば言うことありません。恒例の、神父の福音宣言タイムもあります。ぜひ、お友達を誘って聴きにいらしてください。
 3月8日(火)19時、紀尾井ホール。前売り3500円。教会ショップアンジェラで扱っています。