投稿記事:南相馬への旅

南相馬への旅

佐々木 由理子

 7月14、15日の週末に、三線(さんしん 注記*参照)教室の仲間たちと、福島県の南相馬に「三線とフラダンスのライブ」をしに行ってきました。
土曜の朝7時36分東京発の新幹線に乗車。家が郊外にあるので、起きたのは5時前。今回は三線と衣装もあるので、それはもう大荷物です。福島までは2時間ほどで到着したけれど、バスの便がとても少なくて、福島駅から1時間待って高速バスに2時間乗りました。東京から南相馬まで片道5時間の旅。メンバーは三線スタッフ6人、フラチーム2人、総勢8人でした。
 2日間で5カ所の仮設住宅の集会所を回り、10曲ほどの歌と踊りでたくさんの笑顔をいただいてきました。私は主に客寄せ(ライブの前に仮設住宅の間を三線を弾きながら宣伝して回る)と、ライブでは「安里屋ゆんた」、「花」、「島人ぬ宝」の歌と三線、そして、「鳩間の港」の踊りを担当しました。
 今回すごく驚いたのは、私たちは三線教室の生徒で、素人の集団であるにも関わらず、相馬の人たちがすごく喜んで迎えてくれ、一緒に歌って踊って、「楽しみに待ってた」、「すごく楽しかった」、「また絶対来てくださいね」、「癒された」と口々に喜んでくださったことです。すべての集会所で20人以上の方が集まってくださり、毎回満員御礼。2日間で100人以上の方たちに参加していただくことができました。
 「遠くから来てくれてありがとう」と感謝され、本当にこっちのほうが「心からありがとうございました」と言わずにはいられない気持ちになりました。礼儀正しくて、我慢強くて、原発のために自宅に帰れなくても笑顔を絶やさない相馬の方達に、たくさんのエネルギーをいただきました。歌うのが本当に楽しかった。行って良かったと本当に心の底から思いました。メンバーたちもレンタカーの荷台(通称ドナドナ)で「喜んでもらえて良かった〜!!」と興奮気味です。

 しかし、今回のツアーを企画してくれたメンバーが、1日目のライブが終わったあとに、私たちを海まで連れて行ってくれたときのことです。海辺が近づくにつれて、私たちは言葉を失っていきました。
 震災が起きてから、もう1年半近くがたとうとしているのに、壊れた防波堤。寸断されてねじりあがった道路。折れた防風林。曲がった信号、看板。中身がむき出しの家。地盤沈下のために、残った防波堤の中から引かない水。そして、一面の野原。そこにはきっと、かつてたくさんの家や畑、田んぼなどがあったのでしょう。でも、今はただ、一面の野原。津波に飲み込まれて何もなくなった大地。震災と津波の傷跡をまざまざと見せつけられて、「ああ、まだ全然終わってない。支援はずっと必要なんだ」と実感することができました。
 海辺で「花」をそっと歌って、十字を切り、祈りを捧げてきました。この海で亡くなったたくさんの魂のなぐさめに少しでもなることを願って。
 仮設住宅の皆さんは、明るくしていらしたけれど、「相馬にはボランティアの人が他よりも来てくれない。放射能を怖がって、なかなか来てくれない。だから、あなたたちが遠くから来てくれて、すごくうれしい」とおっしゃっていました。
 自分たちの無力さと、でも歌の持つ力と、人々の生きる力、自然の脅威。いろんなことを感じることのできる濃密な2日間でした。この先の私の人生に、大きな足跡を刻んだに違いない2日間でした。
 すべてのライブを終えて、南相馬のバス停でバスを待つ1時間ほどの間に、地面にシートを広げて乾杯をしていると(笑)、道行く車や人々に大爆笑されました。教室のメンバーとも、いろいろ話せて楽しかった。でも何より、あの仮設住宅の皆さんの笑顔に、必ずまた戻って来ようと強く思いました。
 家に着いたのが深夜で、大荷物なのに満員電車でクタクタ、翌日は半日寝たきりでしたが、すばらしい旅でした。

 わが多摩教会の皆さんも、まだ被災地に行っていない方は、可能ならばぜひ自分の目で見てきてほしいです。私自身、恥ずかしながら震災後1年が過ぎて、樽献金が封筒での献金へと移行し、御ミサの共同祈願の祈りが通常のものに戻って、いつの間にか、ある程度の区切りがついたように思っていました。でも、本当は何も終わっていないし、何も解決してはいないのです。現地の空気に触れ、人々と話して、自分の目で見て初めてわかることもあると思いました。そして、「継続した息の長い支援をずっと続けていけたらいいな」と、心から思いました。

注:三線(さんしん)は、弦楽器の一種。沖縄県および琉球文化(沖縄音楽)を代表する楽器である。

主任司祭霊名記念日をお祝いしました

6月24日の主日に、主任司祭である晴佐久神父様の霊名記念日を祝い、
霊的花束をお贈りしました。(霊名は「ペトロ」です)

◆画像をクリックすると、スライドショーでご覧いただくことができます。

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巻頭言:主任司祭 晴佐久昌英 神父

天の救い 地の救い 人の救い

主任司祭 晴佐久 昌英神父

 先日プロテスタント教会の雑誌での誌上対談のために牧師先生とお話ししていたとき、わたしが「神はすべての人を救う」というようなことを言ったら、「わたしたちの教派ではそれを言うと異端になる」と言われて驚いたことがありました。「聖書に書いてある通り、主の復活を信じて、キリストを主であると告白しないと救われない」と。
 これは諸宗教との対話でも話題になるところですし、「じゃあ、洗礼を受けていないウチのダンナは地獄なのね」ということにもなり、要は「救いとは何か」という私たちの信仰の核心部分であるにもかかわらず、きちんと整理されて語られていないために無用な対立や混乱を生んでいるところでもあると思えたので、対談席上自分の信ずるところをお話ししました。誌上では割愛されるかもしれませんので、対談ではお話しできなかったことも含め、簡単にまとめておきます。キーワードは「天の救い」「地の救い」「人の救い」です。大河ドラマにちなんで、天地人(てんちじん)、と覚えておいてください。

 まず、「神はすべての人を救う」、これを「天の救い」と呼びましょう。
 これは決して譲れない大前提です。神は愛であり、すべての神の子を親心によって生んだのであり、神の愛は完全で永遠ですから、全能の神の計り知れない恩寵の内にすべての人が救われるのは当然のことです。わたしたちは生まれる前から救いのわざにあずかっているし、いつの日か神に召されて救いの完成にあずかります。
 天の救いは神の本性に関わることであって、地での一切の条件と関係ありません。少し子供っぽい言い方をするなら、どんな悪い子でも神さまは愛してくださっているから、みんな必ず天国に行けるよ、っていうようなことです。これについては「すべての人が救われる」と断言できます。

 この天の救いを知って、信じて、安心と喜びと希望に満たされ、それを人にも知らせ、天の救いに与かるにふさわしい生き方をすることを、「地の救い」と呼ぶことにします。
 これはこの世での救いのことですから、これについては「すべての人が救われる」とは言えません。現に、天の救いを知らないために苦しんでいる大勢の人がいます。「罪」とはその状態のことです。
 だからこそ神は、天の救いを知らせるためにイエス・キリストを通してご自分の愛を現し、その死と復活によって、栄光にあふれる天の門を地において開いてくださいました。このキリストによって、わたしたちはだれでも天の救いを信じることが出来るようになり、信じることによって、「天の救い直結の地の救い」を生きることが出来るようになったのです。これがどれほどの恵みであるか。人々に伝えずにはいられません。

 このような究極の喜び、最高の満足に対して、その代替物としてのこの世でのさまざまな喜びや満足は、いわば「人の救い」とでもいうものです。病気が治るとか、事業が成功するとか、良縁に恵まれるとか。それを求めること自体は悪いことではありませんが、人の救いは相対的で不完全なものです。
 人の救いはあくまでも地の救いに至るための準備段階の救いですから、感謝こそせよ、そこに留まっていてはいけません。イエスさまは病気を治してくださいましたが、それは「人の救いによって、天の救いに目覚めさせ、地の救いへと導くため」です。この世を生きる限り、やがてまた病気になるかもしれません。しかしイエスは「あなたの信仰があなたを救った」と言います。この救いは、地の救いです。「泣いているあなた方は幸い」という天の救いを信じた者の救いです。

 「信じる者は救われる」は真実ですが、その救いを「人の救い」として捉えるのはご利益宗教です。「天の救い」として捉えるのは勧善懲悪的裁きの宗教です。キリスト教はこれを「地の救い」として捉えます。「天の救いそのものであるキリストによって天の救いを知り、信じた者は、地の救いに与かる」ということです。
 わたしは、キリスト教によって救われました。こんなに悪い子でも天国に行けるとイエスさまに教えていただいて、本当に救われました。

投稿1:野田町教会での聖母像祝別式

野田町教会での聖母像祝別式に参加して

笹田 彩子

 5月27日、聖霊降臨のお祝い日に福島県の野田町教会に聖母像を祝別するために晴佐久神父様と多摩教会から13名の信徒が訪れました。
 新幹線で東京駅から福島へ降り立った時、朝日に照らされたビル群、爽やかな五月の空気と駅ビルのお店も様々に、車もタクシーも行き交う街は一見すると傷ついた被災地の印象は受けない活気ある様子でした。
 すぐ近くの教会に着くと満面の笑顔の信者さんたちが迎えて下さり、お御堂に入ると平屋の木造で和風の静かな懐かしい感じの造りで、毛筆で書かれた聖句が掲げられていたのも記憶にあります。簡素だけど優しい穏やかな空間で御ミサが始まりました。
 私たち多摩のメンバーは、1カ所に固まらず、野田町教会の方に混じってバラバラに散って座り、それからリードオルガン風の緩やかな前奏が流れ出しました。歌われた典礼聖歌の中で「聖霊の続唱」が綺麗で言葉が染みるようでした。今日、聖霊降臨の日に野田町教会の方たちと私たちの声が一緒になって、ひとつになって歌い、祈るのを天から神さまがお聴きになって、きっとほほ笑まれているなと思いました。
 新しく野田町教会にやって来たマリア様とヨセフ様は、幕を除いた時には最初、生真面目そうに、真正面を向いていらしたのですが、トマス神父様が「皆さんの意見を聞いてご像の向きを決めて固定したい」とおっしゃり、祭壇を挟みマリア様とヨセフ様が少し互いに向き合うような角度で会衆のほうを向いているようになさいました。それが、少し角度が違うだけで、お二方が仲良く愛のうちに見守られているような暖かい感じになったのが 不思議だと思いました。
 御ミサの後、たくさんの手作りのご馳走を一緒に頂きました。晴佐久神父様の銀祝ケーキまであり、突然のことに皆びっくり、大喜びでした。
 私は、子どもたち数人とお母様のいるテーブルでしたが、「この子たちはみんな、『教会に行くよ!』と声をかけると喜んで飛び出して来るんですよ」とお母様から伺いました。ここがみんなの居場所なのね、この教会が好きなんだねとケーキをほおばる子どもたちと話しながら、ほっとしました。一日も早く福島の子どもたちが安心して伸び伸び外で遊べる日が来ますように。不安な時、心配な時もいつもイエス様が一緒にいてくださいますように。
 原発のいらない世の中に、 一人ひとりが命を守るために賢い判断ができますように。

野田町教会聖母子像祝福

◆フォトアルバムで、野田町教会訪問の様子をご覧いただくことができます。ぜひこちらをご覧ください。

投稿2:福音コンサートに感謝です

福音コンサートに感謝です〜ボランティアチームより

岩崎 信

 2012年5月20日、快晴。初夏を思わせる日差しでした。この日、パルテノン多摩大ホールで「晴佐久昌英神父と愉快な仲間たち 福音コンサート」が開催され、多摩教会の信者を始め、各地から、900名を超える方々が来場し、午後のひと時をクラシック音楽で楽しみました。私はそのコンサートをお手伝いする事務局のメンバーでしたが、素人だけでこんな大規模なコンサートの運営ができるのかと心配な時もあったものの、神様のお計らいで無事、滞りなく終演。お客様はもちろんのこと、演奏家の方々にも喜んでいただき、運営事務局としては、ホッとしています。

それは、3月1日から始まりました
 昨年末からコンサートの話は出ていたのですが、神父様から「福音コンサートを手伝って欲しい。3月1日の晩に集合」と声がかかりました。そして司祭館に集まった私たちに神父様からお話が。「5月20日にパルテノン多摩の大ホールで福音コンサートをやります。司祭に叙階して25年。こうして司祭をやってこられたのも神様と大勢の人たちのおかげなので、みんなに音楽のプレゼントをしたい」…こう言われてお手伝いしないわけにはいきません。集まったメンバーで事務局をつくることになり、加藤泰彦さん、小野原祐三さん、私の3人が運営を担い、演奏家グループを代表して佐藤文雄さんにも参加をお願いしてスタートしました。

まずは、広報活動
 事務局がまず行ったのはパフレット作成。加藤さんに動いていただき、この素晴らしいパンフレットができました。このパンフレットを多摩教会始め、神父様がこれまで宣教活動されてきた高円寺教会や高幡教会などの小教区や各所に置いていただきました。
 次いで小野原さん担当のホームページ。パンフレットの素材を活用し、昨年末から始まった神父様のミサ説教サイト「福音の村」に掲載しました。そしてお問い合わせの電話は、小野原さんの自宅に回線を引き、奥様の里佳さんに応対をしていただくことになりました。

準備そして、ボランティア募集
 紆余曲折の中、何とか準備は進みます。お客様にどのように入場していただくか、そもそもどのくらいの来場者があるのか、長蛇の列ができたらどうしようか。神父様の新著「天国の窓」をどうやって販売するか、などなど。初めてのことですので、みんなで悩みました。そのうち話が膠着状態になり、神父様がひと言「大丈夫。神様がいるんだから、何とかなる」何度この言葉に救われたことでしょうか。そしてボランティア募集。会場担当、書籍運搬、書籍販売の3つの仕事ですが、連休明けから募集したにも関わらず、多摩教会を中心に20名あまりの方々に応募いただきました。

そして当日
 書籍運搬は早朝から始め、一箱30冊(30キロ)の段ボールを約50箱、車3台で運び入れました。10時から段取りの説明。その後は会場設営、書籍準備、プログラムのセットなど皆で手分けしてどんどん進みます。
 その間、舞台はリハーサル中。たまたまその場に居合わせたのですが、プロの演奏家のリハーサルの気迫たるや、真剣を通り越して鬼気迫るものがあります。納得行くまで、何度も何度も演出家とやり取りがあり、すごいものです。
 その一方で、多摩教会福音コンサート合唱団の楽しげなこと。もちろん緊張していらっしゃいましたが、この舞台に立つことを心から楽しんでいるようでした。
 11時半から整理券の配布開始。時間を追うごとにお客様の数は増え、12時45分に入場、13時15分に開場。次から次へとお客様が来ますが、混乱もなくスムーズに入場していきます。そして、神父様の「よーこそ、みなさん」で開演です。佐藤さんのピアノ独奏で始まったコンサートは、あっという間の3時間で「乾杯の歌」でクライマックス、そしてアンコールを皆で合唱。
 神父様や演奏家の方々と、お客様のお見送りをしましたが、皆さんとても満足そうに、幸せな顔で帰られていて、事務局としてこれに勝る喜びはありません。神様の計らいが福音コンサートに働いたということなのでしょう。
 そして、神父様の新著「天国の窓」は300冊近く売れました。来場者の3分の1が買い求めたことになり、これも聖霊の働きでしょう。それとも神父様のセールス力?
 その後の打ち上げで、ボランティアの方に感想を伺ったところ「またコンサートのボランティアをやりたい、次はいつですか」という方も。
 最後になりましたが、晴佐久神父様、銀祝おめでとうございます。そして素敵なコンサートのプレゼントをありがとうございました。

福音コンサート-神父様

福音コンサート-共演

福音コンサート-ボランティア

ボランティアスタッフ( 順不同 )
大窪尚子、吉良元裕、斉藤具子、江口照子、藤塚恵、藤木かおる、和田恭輔、大山正史、山田淳、渡邉顕彦、松岡泰孝、伊禮正太郎、友永廉、奥野悟、大矢むつみ、足立久美子、小川紀子、山藤ふみ、山藤清香、笹田浩子、小俣浩之、神田冨美子、吉瀬美帆子、豊島太一、内藤義明、佐藤文雄、三浦あかね、加藤泰彦、小野原祐三、小野原里佳、岩崎信

◆フォトアルバムで、「福音コンサート」の様子をご覧いただくことができます。ぜひこちらをご覧ください。

投稿3:幼児洗礼

幼児洗礼「ありがとう、はるちゃん」

内山 啓子

 「おめでとう!」「おめでとう!」ってみんなに祝福されて、私たち、まるで結婚式の日のようでした。
 はるちゃん、あなたは私たちにこんな大きなプレゼントをしてくれましたよ。ありがとう! はるちゃんがいると、みんな幸せになれるんです。
 あなたの笑顔、最高! 寝顔、天使のよう! ありがとう、はるちゃん!
 一緒にお祈りしましょうね。小さな幼い時のお祈りってどんなかしらね。
 それはきっとお父さんとお母さんのお膝に小さな可愛いお花を一つひとつ届けにいくようなものでしょうね。
 神さまは目を細めてきいていらっしゃいますよ。
 いつでも、どこでも、どんな時にも「あのね、イエス様」って、神さまとお話しましょうね。
 私たちもずっとずっと、天国に行っても、はるちゃんと家族みんなのこと、祈っていますよ。ありがとう、はるちゃん!

おじいちゃん、おばあちゃんより

幼児洗礼

はるちゃんを含む4名の幼児洗礼者は次の通りです。

-テレジア 洗川 真桜(あらいかわ・まお)ちゃん

-バルナバ 内山 温 (うちやま・はる)ちゃん 

-フランシスコ・ザビエル 小島 大智 (こじま・だいち)ちゃん

-ペトロ 小島 有生 (こじま・ゆうせい)ちゃん 

投稿4:マエル君の初聖体

マエル君の初聖体


 6月10日の初聖体。5人の中にはフランス人のマエル君も。昨年春から多摩教会に通う親子に初聖体と教会の印象を聞いてみた。「まるで王様みたい」と祝賀会でメインテーブルに座った感想をいうマエル君。「子供たちをメインテーブルに、そして、初聖体証明書を渡すという素晴らしいアイデアに感銘をうけた」というお父さん。子供たちにとって忘れられないような素晴らしい一日を写した写真をフランスに住む両親に送ったというお母さん。初聖体に与った5人の中で一番背が高いマエル君は10歳。日本では初聖体に与るのは7歳だが、フランスでは9歳か10歳だという。マエル君のお母様、ガエラさんが初聖体と多摩教会について次のような文章を書いてくれました。

(原文は英語で、初聖体の3日前に書かれたものです。広報部・小野原)

マエルの母:ガエラ・ダルグリッシュ・レモイネ記

 昨年のご復活祭の直前の4月4日にフランスから多摩市にやってきました。ご復活祭を祝うためにカトリック教会を探していたところ、近所の方が、多摩教会を教えてくれ、教会まで連れてきてくれました。10月に自転車を購入してからは、ミサに通う回数も増えてきました。マエルが「初聖体」に与りたいといいだしたので、多摩教会で知り合った高橋さんに尋ねると、日曜学校に通うことを勧めてくれました。
 「たくさんの人が集まる素敵な教会なので大好き」とマエルは言います。実際、日曜日には本当に素晴らしい人たちに会います。ミサのあと、お聖堂の外の長椅子に座って、たくさんの人との会話を楽しむ。本当に素晴らしい光景です。
 もちろん、神父様のミサでのお説教を理解する日本語はまだまだ身についていません。マエルは3割か4割ぐらいでしょうか。私は多分、1割ぐらいでしょうか。しかし、ミサのときの聖歌はとても耳に心地よく、皆さんと一緒に歌おうと一生懸命歌詞に耳を傾けています。
 マエルが洗礼を授かった司祭(実は私のいとこです)に、マエルが初聖体に与るということを手紙で知らせると、いろいろな思い出と「お祈りしています」という返事をくれました。両親とマエルの代親にも知らせました。
 カトリック多摩教会の一員になれて、非常にうれしいです。そして、信徒の皆さんの優しさと私たち家族を気持ちよく受け入れてくれたことに感謝いたします。フランスにいるマエルの友だちと一緒に初聖体を与れる6月10日をとても楽しみに待っています。

初聖体-晴佐久神父さんと一緒に

初聖体-祝賀会のメインテーブルで

マエル君の他に初聖体を受けた方は次の通りです。

-ペトロ 豊嶋 祐太(てしま ゆうた)君

-マリア・クララ 榊原 優奈(さかきばら ゆうな)ちゃん

-リマのローザ 福塚 瑶(ふくづか よう)ちゃん

-カタリナ 武井 美沙紀(たけい みさき)ちゃん 

◆フォトアルバムで、初聖体と祝賀会の様子をご覧いただくことができます。ぜひこちらをご覧ください。

投稿5:香道の歴史を探る

香道の歴史を探る

井上 信一

 先月の作曲家活動に続いて、今回は沈香(じんこう)という香木を60年以上にわたり学問として、趣味として探求されている方をご紹介しましょう。それは広報部で、長年私たちの教会のために献身的に奉仕を続けられている松原 睦さんです。松原さんは上智大学在学中から香料研究の大家に師事し、「香りを聞く」という分野で知識と経験を深められ、1990年に会社を退職された後、さらに多くの香道書を読破し、日本における香文化の歴史の研究を続けられました。そして、その結果を「香の文化史〜日本における沈香需要の歴史〜」と題する本にまとめて出版されました。この本は出版社《雄山閣》の生活文化史選書シリーズの一つとして今般発刊されたものです。
 私たちカトリック信徒としては、香には特に深い関係を持っています。それは新旧を問わず、聖書ではいたるところで香油や乳香という言葉に出会います。先ず思い出すのは、幼子イエスが誕生された時、東方の占星術の学者が贈り物として捧げた宝物に乳香がありました。イエスがベタニアで、高価な香油をかけられる話もありますね。ミサの時、司祭が献香のために香炉を振られると、香りと煙が祭壇からそのまま天の国に上っていくような気持ちになります。松原さんによるとこの献香の香は天然の香を人が数種合わせた合香というものだそうです。
 松原さんがこの本で書かれている香は、その代表的なもの、沈香についての歴史です。香の文化が世界のどこから始まって、いつ日本に到来し、どのように日本人の中に入ってきたのかを、文献を参照しながら、書き綴っておられます。一方で、この沈香の香木そのものが、貴重な存在になり、だんだんと入手が難しくなっている現実にも触れておられます。私も一時アラブの国で働いたことがありましたが、そこのスーク(市場)で小さな香木を買うために延々と値引き交渉をするアラブの人たちを見ました。それほど、香木の値段が高くて、買いたい人にとっては大変だということでしょう。私もお土産として、5センチくらいの沈香を買いましたが、値引きの努力もむなしく、1万円くらいとられたと記憶しています。
 私はこれまで香のことをあまり深く考えたこともなかったのですが、この本を読んでみて、香りの文化を少しばかり覗くことができました。

香の文化史(表紙)香の文化史
〜 日本における沈香需要の歴史 〜

著 者:松原 睦
単行本:239ページ
出版社:株式会社 雄山閣(2012/04)
発行日:2012年4月5日 初版発行

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