連載コラム:「祈りと行動の調和を目指して」

連載コラム「スローガンの実現に向かって」第33回
「祈りと行動の調和を目指して」

諏訪・永山・聖ヶ丘・連光寺地区 清水 祐子

 都立桜ヶ丘公園の緑に惹かれて連光寺に小さなエコハウスを建てて5年目になりました。
 虫の食べ残しを収穫するような家庭菜園と名ばかりのイングリッシュガーデンに手を焼き、園芸書ばかりが増えていくのが悩みですが、聖蹟桜ヶ丘駅周辺にお気に入りの店も増え、ようやく地元の人になってきました。一方、永山駅方面にはめったに行かないので、鎌倉街道沿いにカトリック教会があることを偶然に知ったのは引越しから数年過ぎた頃でした。

 教会学校に始まり、中学校から大学までカトリック学校に通い、海外援助部門の職員として大阪大司教区に勤め、カトリックの世界とのお付き合いは随分長くなりました。ただ「教会に通うこと」を第一義に考えたことはなく、これまでも転勤先にある教会を調べたことはありませんでした。
 今は、WEB上の「聖書と典礼」を読み、仕事を通じて出会った悩んでいる人、助けを求めている人、社会的弱者にされた人に寄り添い、具体的な手助けをすることで精一杯の毎日を送っています。

 数年前の練成会で「祈りが伴わない社会的な関わりは基盤のもろいものになり、実際の行動が伴わない祈りは誠意に欠けるものになる」という話を聞き、非常に合点がいき、それ以来、日々の暮らしのなかで祈りと行動の調和が保たれているかどうかを強く意識するようになりました(内観)。
 新約聖書には赦される基準は祈りでなく行動であることが、随所に示されていますが、マタイ7章21節の言葉は厳しいものです。「わたしに向って『主よ、主よ』という者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父のみ心を行う者だけが入るのである」。もちろん「主よ、主よ」と呼ぶことは悪いことではありませんが、神がすべての人々が救われて真理を知ることを望んでおられるように、神への呼びかけが自分の赦しや癒しばかりを求める欲望にとどまることがないようにしたいと思っています。

 最後に、広報委員から「オアシス」というキーワードを取り入れてもらいたいとの依頼がありましたので、使い慣れない言葉ですがすこし考えてみました。
 信仰者は、社会や家庭での言動が神の望まれる姿になるように努力しますが、現実的には神の期待に応えるのはかなりの困難を伴います。実際、神は私に落胆していることでしょう。それでも神との対話を淡々と続けながら社会的な活動を諦めないこと、これが「オアシス」のような気がします。
 参考までにいつも祈りの手引きにしている本を紹介します。いずれも著者はアントニー・デ・メロ(イエズス会)「東洋の瞑想とキリスト者の祈り」、「心の泉」(女子パウロ会出版)。

寄稿1:ワールドユースデーに参加して

ワールドユースデーに参加して

貝取・豊ヶ丘地区 塚本 博幸

 私は7月22日から29日に開催された「ワールドユースデー・イン・リオ2013」に参加してきました。この大会に参加できたのは、ひとえに多摩教会の皆様のおかげと感謝しおります。ありがとうございました。
 さて、今回の大会に参加したことに対し、先日も報告会を行ったのですが、カトリックニューズにもぜひ寄稿していただきたい、という依頼を受けましたので一筆とらせていただいた次第です。この駄文に目がとまって少々つきあっていただけたら幸いです。

 まずワールドユースデー(WYD)についてご存じない方もいらっしゃると思いますので少し説明したいと思います。
 WYDとは、1984年に教皇ヨハネパウロ2世の提唱で始まった青年カトリック信者の年次集会のことです。日程は1週間にわたって行われ、世界各国から青年カトリック信者数百万人が集まります。2、3年に1回のペースで開催されており、開催場所はカトリック国の持ち回りにより行われています。今回はブラジルのリオデジャネイロで行われました。

 このイベントのメインは何といっても最終日に行われる教皇ミサにあります。世界各国から集まったたくさんの若者(今回は約300万人と発表されています)と一緒に捧げるミサは壮観のひと言につきます。青く透き通るような海をたたえるリオデジャネイロのコパカバーナビーチで、国も人種も違う青年たちがキリストに対して祈りを捧げている。感動しない人はいなかったと思います。
 また、日本中のカトリック信者の青年と交流できたことも大きな収穫のひとつだと思っています。ご存知のように日本のカトリック信者は非常にマイノリティーです。普段はほとんど出会うことのない、同じ信仰を持った仲間たちと同じ時間を共有できたことは神様からの大きなお恵みだと思っています。
 そして、自分の中での信仰の位置づけも変わったと感じています。今まではカトリックというものに対し、どうしても堅苦しい考え方で接しがちでした。聖書の解釈の仕方、ミサでの立振舞い方、普段の生活の中でのキリスト者としての過ごし方、キリストと自分の人生の関わり方、などなど、、、。挙げていったらきりがありません。私はこれらに対する答えを求めようとしてブラジルに行きました。
 しかし、そこで答えは見つかりませんでした、いえ、正確にいえば見つけようとしませんでした。そこには、あるがままの若者たちであふれかえっていたからです。そこで私は気づきました。
 今までの自分は堅苦しく一つの答えを神に求め続けていたこと。そして、そのままでは結論はいつまでたっても出ないのだ、ということ、です。堅苦しい考え方で一つ一つ論理的に神を求めていくことも、ひとつの道なのかもしれません。しかし、それに行き詰まったときは初心に立ち返り、もう一度まっさらな状態で神と向き合うことが大切なのです。神は愛です。決して論理で説明できるような代物ではありません。それを今回のWYDで学ぶことができました。

 長くなりましたが、自分をブラジルまで連れて行ってくださった神様のお導きと、それに対して経済的な支援をしてくださった多摩教会の皆さまに感謝の意を述べて今回の結語とさせていただきたいと思います。
 本当にありがとうございました。

投稿記事2:人間の原点に戻った「無人島キャンプ」

人間の原点に戻った「無人島キャンプ」

諏訪・永山・聖ヶ丘・連光寺地区 伊禮 正太郎

 「無人島に1つだけ何かを持って行くなら何を持っていく?」 なんて質問をされたとき、世界中の人の答えで最も多いのは聖書だそうです。確かにそれも大事だと思いますが、実際に無人島に行くと答えは変わってくるでしょう。
 僕が「ハレレ」(ここでは親しみを込めて晴佐久神父のことをハレレと呼ばせていただきます)の無人島キャンプに参加したのは今年で2回目です。

 まずは、そこがどんな島なのかを僕なりの観点で説明しましょう。
 あの島ではどんなにシャイな人間も、大きな悩みを抱えた人間も、あまりの不便さと驚くほどの美しさに、ただただ笑ってしまいます。例えば、旅行に行くと旅先のホテルには、もちろんトイレがあり、風呂があります。さらには部屋まで荷物を運ぶホテルマンもいます。しかし、無人島のトイレは、砂に穴を掘っただけの手作りトイレですし、お風呂はもちろん、ありません。
 荷物を上陸させるには、重い荷物を船の上から歩きにくい砂浜まで、何度も往復して陸に運びます。いや〜不便ですね。しかし、そこは驚くほどに美しい。もう一度、普通の旅行を思い出すと、確かにそこには現地にしかない建物や現地にしかない美味しい料理がある。でも、どこへ行ってもコンクリート道路の上を車が走っているし、鉄の建物があちこちにあり、夜空の星は人口的な光に邪魔されてしまいます。
 「無人島はどうだろう?」 そもそも無人島なので、人がいないんですね。夜、空を見上げると光がなかったころの時代に引き戻されたかのように、星が満遍なく散りばめられている。恐竜たちはこんな星空を見ていたのだろう。

 次は今年の無人島キャンプの感想をいいますね。
 今年は台風の影響で上陸期間が短くなりました。でも、去年は台風が直撃して、半日しか上陸でませんでした。今年はたった3日間でも島で過ごすことができて、すごくうれしかったです。
 さらに今年は無人島上陸25周年なので、大きなイベントを企画していて、皆、何カ月も前から準備していました。無人島キャンプのファミリーたちには、このキャンプのベテランもいるし、コテコテのシティーボーイもいるし、僕みたいな島育ちの田舎者とさまざまな人間が集まっています。そんな生まれも、育ちも、年代も、現状も、まったく異なる人たちがひとつの島で過ごす、とても楽しいキャンプなのです!

 昼は透き通った海に潜り、「本物の」水族館を楽しみ、泳ぎ疲れてテントに戻ると、美味しい食事が待っています。昼ご飯は大抵インスタントラーメンなのですが、何故か極上の高級ラーメンのように美味しく感じます。夜になると持って来たギターやドラムで島中に音楽が鳴り響き、夜ご飯を皆で食べながら世間の悩みなんて忘れて、ただただ笑う。皆お腹いっぱいになると、寝そべってファミリーと語り合い、星を見ながら波の音を聞き流す。そこでは皆がこう口ずさみます。「いいね〜一生こうしていたい」。そして皆テントに戻り、眠りにつく。朝起きてテントを出ると、目の前には綺麗な海が広がり、また無人島キャンプの新たな一日が始まる。

 このキャンプをまとめると、現代のネット社会、つまりソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS; ミクシィやツイッターなど)社会では考えられないほど生身の人間と極めて過酷な状況で関わりあう、そして、現代の建物が密集した街では考えられないほどの自然を見て、肌で感じる。考えてみると、それが人間であって、それが自然である。いうなれば、人間の原点に戻った普通のキャンプなのです。

無人島-1無人島-2


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神様とわたし(受洗者記念文集)

奥野 英美(仮名)

 今、私は穏やかな平安と深い喜びを感じている。
 洗礼式の翌朝から私の目に映るすべてのものは温かく、樹木草花は一つひとつの輝きを感じさせてくれる。以前に増して世界が美しく変化した。神様が私と共にいてくださると胸の奥深く感じる事ができる。

 2013年3月30日の洗礼式が近づくにつれて、一つひとつ洗礼を決心して良かったという実感がありました。
 当日は、これから起きる未知の体験に緊張をしていました。私の前に名を呼ばれた方の(りん)とした返事に励まされ、私も「はい」と神様に向かって返事をしました。聖水をかけられているとき、「これで新しい私になれる」との思いでいっぱいでした。天に名を刻み、信仰を宣言し、これからは聖霊によってとりなしを受けられると心強く感じました。ぶどう酒にひたしたパンで生まれて初めての聖体を授かりました。ぶどう酒のおいしかったこと! 帰宅する頃には「古い自分が過ぎ去った」心の軽やかさを感じていました。
 翌日の復活の主日にて、聖体を受けたとき、晴佐久神父様が神様の器であるように感じられ、そのあまりに穏やかで愛に満ち満ちたまなざしに神の愛が伝わってきて、涙が溢れて止まりませんでした。
 聖堂で、新しい受洗者の紹介をされ、立って後ろを見ると、なんと沢山の方が祝福し拍手をしてくださっていたことでしょう。23年前の結婚式のときのように嬉しくて、私は神様と結婚したのだなと思いました。

 会社に行って仕事をしていても胸の中で讃美歌が流れ、時折とてつもないときめきと、一人静かにいるときは突然第三の涙が溢れてきました。
 これまでは、不快なことがあると自分の中の感情のざわつきに、他者の助けを得たい私がいましたが、聖霊にとりなしを、イエス様により頼み、私と共にいる神様に打ち明けます。すると感情と共に過ごした私の中の小さな子どもを自分で慰めることができるようになりました。何より「もう孤独ではない」と自分自身を励ますことができます。

 これまでの人生で、私は愛を求めた母からは思いやり、温かさ、慈しみを十分には感じられずに育ったと感じてきました。母は自分自身の人生で精いっぱいで、そんな中でも私と兄を育て上げてくださいました。若い頃、私は寂しくて、私を認め愛してくれる誰かがいると思っていました。しかし、外に求めても結果は期待どおりではありませんでした。
 今思い起こせば、神様は私の内にあって大事な選択をするときは「それはだめ」と内から発し、良いときは喜びを感じさせてくれていました。そして何度も聖書や教会へいざない、呼んでくださっていたのです。私が幸せになる機会を逃しても、このように私を一度も見捨てることなく何度も呼びかけて、導いて招き入れてくださいました。私の罪を赦し、「あなたはわたしの目に貴い」と言ってくださいます。

 天の父は御ひとり子、イエス・キリストによって全ての人を無条件の愛の内に招き入れてくださることを証しします。
 これからは、イエス様のみ言葉に従い、小さな我を捨て、この身を主にゆだねてお使いいただけるよう、この瞬間を生きていきます。

 天の父に感謝し、主イエス・キリストに感謝し、晴佐久昌英神父様の愛に心からお礼を申し上げます。そして、代母のHさん、一年間お支えくださった入門係の皆様、洗礼までの温かい思いやりを、ありがとうございました。
 洗礼式当日に私のために参列してくださった友人の方々にも、「皆さんが共に喜んでくださったことが、とてもとても嬉しかった」とお伝えし、両親兄弟を含むすべての方々に、今日も命を頂いて皆様と共に生きていることに、心から感謝を申し上げます。本当にありがとうございました。

導かれて(受洗者記念文集)

谷合 伸子

 今、私の中で『無名兵士の祈り』の詩が浮かんできます。

 「 求めたものは一つとして与えられなかったが、
   願いは、すべて聞き届けられた。
   神の意に、沿わぬものであるにもかかわらず、
   心の中の言い表せない、祈りは、すべてかなえられた。
   私はあらゆる人の中で、もっとも豊かに祝福された 」

 これまで生きてくることに行き詰まり、人々の中で息苦しく、いつも寂しさを抱えていました。
 両親からは跡継ぎを言われ続け、姉夫婦ともその問題も含め、軋轢(あつれき)が生じ、私の心は八方ふさがりでした。結婚してからもこれは続き、やがて子どもたち3人と家を出、新しい生活を始めてからはもっと自分を萎縮させ、自分を捨てて過ごしました。
 「これを続けていたら、私は人間ではなくなる」、そんなところまで行き着いて、やっと私はそこをも離れる決心をしました。本当にボロボロになっていました。再出発をしたそのとき、長男が亡くなりました。長男を失い、出口のないトンネルの中を彷徨(さまよ)っているようでした。

 「生きていくのは、もういい」、そう漏らした私に、ある方が次のような手紙を下さいました。
 「その思いは大切にしてください。それは、心に十分な休息を今持たせてやること。心を休めることは、静かな心の状態を持つことです。静かな心は『聖なる心』と言われています。この気持ちに自分を持っていくことで、だんだんと外の世界に煩わされなくなります。そして、恐怖、不安の感情は常に幻想に基づいていることを忘れずにいてください」。
 初めてこのような内容を目にしたとき、こんなことが私にできるだろうかと絶望的ではありましたが、ここから私の自分探しの旅が始まったのだと思います。

 それからまた数年し、「『神と出会う』とはどういうことだろう?」「『神が私の親である』と実感するにはどうしたらいいのだろう?」と、強く願うようになりました。
 導かれて、この多摩教会に足を踏み入れたのです。
 「ここはあなたの家庭です。ここにいる人々はみんなあなたの家族です」、晴佐久神父様の最初のことばです。
 私はずっと自分の居場所を求めていました。教会に身を置いていると、はっきり、ここが私の居場所なのだと感ずることができました。そして、私の疑問には、福音を聴くことだと答えてくださいました。
 金曜日の夜、永山の駅から教会までの道を、いつも花々を楽しみながら、夏には日陰を求め、秋には爽やかな空気を吸い、寒さの冬も手袋とマフラーで足取りも軽く通いました。振り返ると教会に通い始めたとき、ちょうど膝の炎症で歩くことが困難だったため、この距離を通えるのだろうかと心配していたにもかかわらず、帰り道は思わずスキップして帰ったのだと話して笑われたことを思い出しました。
 この一年、体調と環境に煩わされることなく通うことができたのは、大きな恵みでした。

 この度、洗礼のお祝いを頂き、いかに周りの人々が私を支えていてくれたのかを知り、温かく深いものを感じ取り、しみじみと味わいました。
 入門係の皆様、代母のMさん、教会でまだまごついている私に寄り添ってくださった方々、ありがとうございました。私の人生は、本当に多くの人たちの私の魂に響く力に支えられていたのだと感謝するばかりです。
 晴佐久神父様は、一人ひとりに向き合って対話して下さいました。私という一人の人間に向き合って受け止めてくださいました。「あぁ、大変だったね」この言葉は、どんなに私の深いところまで届いて癒してくれる言葉だったことでしょう。私自身を大切にしてもらうという幸せな思いを実感して、嬉しい、満たされる体験をしました。
 入門講座の中では、ただ涙が溢れ胸がつまるときには、穏やかな、なんともいえない平安な心持ちがしました。このしみじみとした幸せ感を味わうために教会に通っていたのです。

 神様がすべてリセットして新たにしてくださったということを思い起こし、前のものに全身を向けつつ、新しく生き直す人生を始めたいと思います。

「初金家族の会」発足!・・どなたでもどうぞ ♪

初金家族の会


☆日時 : 毎月第一金曜日 午前10時のミサ後(11時頃から)

☆場所 : 信徒会館1階

☆対象 : どなたでも

☆費用 : 無料


今年(2013年)の初夏、産声を上げた「初金家族の会」です。

「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである」
(マタイ18:20)

というイエスさまのひと言から始まりました。

この会のポリシーは、それだけ。
「イエスさまを中心に集まりましょうよ」というだけです。
それはまさに「家族」の集まり。堅苦しさのない、自由で気楽な集まりです。

年齢、性別、国籍、所属教会など、まったく関係ありません。
信徒であっても、そうでなくても、
ご都合のつく方なら、どなたでも大歓迎!!

「みんなちがって、みんないい」という雰囲気の中、
和気あいあいと過ごしませんか?

経験豊かな諸先輩から、興味深い貴重な体験談なども伺えますよ。

月の第一金曜日、多摩教会のお茶の間で、あなたをお待ちしています!!


以下は、この会の発足の経緯がわかる記事です。

記事のタイトルをクリックしていただくと、別ページが開き、お読みいただくことができます。

「初金家族の会」発足関係記事
「多摩カトリックニューズ」掲載号
「なんとなく集まりませんか」
2013年3月号
「仮称『おやじとおふくろの会』スタート」
2013年4月号
「仮称『おやじとおふくろの会』の名称決定」
2013年6月号



◎ 多摩教会への交通アクセス
(クリックすると、大きく見ることができます)
もう少し詳しくは →こちらをご覧ください。

永山駅バス停は「6番のりば」です



☆☆ お問い合わせ ☆☆

教会受付 : 042-374-8668

洗礼までの道のり(受洗者記念文集)

レイマン(仮名)

 初めて多摩教会に縁があるようになって、5カ月が過ぎました。しかし、いまだ実感が湧きません。

 ある日、川原を歩いていると、何ものかに吸い込まれるように、体が自然とある建物の中に入っていきました。気が付くとそれは多摩教会でした。
 入り口で入門係の人にミサの時間を案内され、信徒館の慣れない空気の中、ミサとは、どういうものなのか気になり、待つことにしました。
 ミサが始まり、晴佐久神父様の入場と共に、周りの皆が、神父様に引き寄せられたように感じました。いよいよ神父様のお説教が始まりました。初めて聞く私にも、大変わかりやすく、心地よく聞くことができました。今の自分の居場所はここだと思いました。
 すがすがしい思いの中でミサが終わり、神父様と一対一の会話になったとき、何ともいえないオーラに威圧されました。神父様からひと言、「気になる奴」と、強い言葉で言われ、ミサ初日は終わりました。

 それをきっかけに多摩教会に行くことになりました。毎週金・土の入門講座やミサに参加することで、いろいろな方々とコミュニケーションを取ることができるようになりました。また、いろいろなイベントを通して仲間もできました。
 今では、教会が、私の生活の一部になっています。

 今回、洗礼を受けたことで、カトリック信者として、より信仰を深め、神父様や教会の皆様に感謝の心を持ちながら、生活したいと思います。「父と子と聖霊のみ名によって。アーメン」と、十字を切ることの喜びと感謝の気持ちで生きていきたいと思います。
 まだまだ未熟な私ですが、今後ともどうぞ宜しくお願い致します。

洗礼(受洗者記念文集)

有働 洋平(仮名)

 ある日、蟻は考えた。
 教会へ行こう。教会へ行ってミサにあずかろう。

 で、その日曜日に、バスから、大きな看板の見えるカトリック多摩教会へ行った。乞田川沿いの桜の美しく咲く頃であった。
 蟻が、ゴッタ返す人間が行き交う教会の前に立ったのは、10時ちょっと前。踏みつぶされないように苦心しながら、聖堂にほとんどよじ登るようにして上がって、「聖書と典礼」を受け付けでもらってから、祭壇の左側に座った。さすがに、気がひけて前にドーンと座る勇気がなかったから。

 ミサが始まって聖歌を歌い、神父様のお説教を聴き、聴いている内に頭が混乱してきてよくわからなかったが、神父様が説教壇の上に指を立てて
 「あなたは救われている!」
 「神はあなたを愛している!」
 と、力強く陽気に明るく宣言されたので、メモを取っておいた。

 蟻は後日、蟻なりの道をたどって、洗礼を受ける決意をした。
 どんな道をたどり、どんな思いをおい、どんな苦しみの中を歩かなければならなかったかは、言うまい。
 ただ、蟻は幸福であった。

 蟻は、洗礼式を5日後に控え、ボールペンを持って、洗礼式の後に出す作文の構想を練っている。
 彼は、洗礼式に行き着くであろうか。

 ハレルヤ25人の友、
 ハレルヤ入門コースの皆さん。