初金家族の会 11月例会報告

初金家族の会 11月例会報告

広報: 志賀 晴児

 天の父のもとに迎えられ、全ての人のためにとりなして下さる聖人方に心を向ける「諸聖人の祭日」の11月1日、ごミサのお説教で晴佐久神父様は「日々の苦しみ、心の痛みが私たちの殉教です。聖人、特に各自の洗礼名(霊名)の聖人の模範に励まされて信仰の旅路を辿りましょう」と話されました。

 ひき続いての初金家族の会、この日は「介護」について、20人ほどが熱心に話し合いました。長く、苦しい傷病に見舞われた家族の自宅介護、入院、転院、最後の救命措置の厳しさなど、貴重な体験談が率直に語られ、公的なサービス、医療費などについても具体的な実例を伺うことが出来ました。
 一人で頑張らないで、お互い声をかけあい、役割を分担して助け合うこと、そのためには介護する側の考え方、意見の一致が大切、また介護される側も辛抱し、出来ることなら感謝の気持を表すことが必要、介護を通して家族が仲良しになったなどなど、お話は尽きませんでしたが、一応12時半で閉会とさせていただきました。

 12月6日(金)には、「九死に一生を得て」と題して松永 重雄さんの今日までの体験と、乗り越えた今のお気持ちをお聞きします。

もう大丈夫、私は生きていていいの…。(受洗者記念文集)

桜井 琴乃(仮名)

 洗礼式を終えて、最初に思ったことは、「ああ、ホッとした・・・。無事、洗礼の秘跡を授かることができて本当に良かった・・・」と。

 洗礼式を前に家族(ペット)が入退院を繰り返し、手術をし、看病し、仕事はハードで夜中に出かけ、夜中に帰ってくる状態で、心身ともに限界状態でした。そして疲労と心労がたたり、もともと重い持病がある上に病気にかかり(それでも、ペットの治療費を稼ぐために休暇を取ることができずに仕事に行っては倒れの繰り返しで)志願式もリハーサルも出席することができませんでした。ですから、神父様をはじめ、入門係の皆さまには、私が本当に洗礼式に来られるのかと、本当に多大なご心配とご迷惑をおかけました。

 さて、私が初めてこの多摩カトリック教会に訪れたのは、昨年の11月でした。それまでは、プロテスタントの教会に通ったり、別のカトリック教会で勉強を続けていました。その別の教会で多摩カトリック教会への誘いを受けて、今、私は神の子として生きることになりました。

 そもそも教会という所に興味を持ち始めたのは、高校を卒業し、上京した先に教会がいくつかあり、もともと仏教の幼稚園に通っていたり、友人が熱心な仏教信者で、説教やお寺によく出向いて話を聞いたり、お寺にいたりしたことで、教会という所がどんな所なのか興味を持ったのが始まりでした。ふらっと教会に立ち寄り通ってみると、とても新鮮で興味はどんどん増していきました。そしてキリスト教の教えが心にスーッと入ってきたのです。今まで感じたことがなかった癒しがそこにありました。そして私もいつかクリスチャンになれたら・・・という思いが強くなりました。
 しかし、そう思った理由が他にもあるのです。

 実は、自分が生きていることに全く自信のなかった私は、常に生きていることに罪悪感を持っていました。
 物心ついてから思春期まで褒められたことは一度もなく、母親に甘えたことも、ほとんど皆無でした。母親いわく、私がとても変わった子(周囲の人間も末恐ろしい、度し難いと言っていたそうです)だったという理由からずっと虐待(言葉と暴力)を受けてきました。常に「お前はゴミだ、害虫だ、ハイエナだ、霊付き子、殺してやる」と言われ続け、心と体の傷は今でも残っています。母はしょうがなかったと今でも言っています。私たち母子の関係は今でも良くはありません(昔ほどではありませんが・・・)。
 私は幼い頃に父を会社の事故で亡くし、18歳になるまで母と暮らしていましたが、その間ずっと「私は愛されていない。いつか本当に殺されてしまうのではないか。だから、早く家を出よう」と考えていました。そう、まだ幼い私が本来考えるはずもないことのはずです。

 晴佐久神父様は、ミサや入門講座でたびたび、「私たちはすでに赦されている、だから、もう大丈夫ですよ」とおっしゃっていました。私はその言葉にどれだけ救われたか。その言葉を聞いたとき、クリスチャンになれたらいいな、という思いから、「私、クリスチャンになる!」と決心がつきました。

 洗礼式を終えて、私は神の子となり、今、自分にこう言い聞かせています。「もう大丈夫、私は赦されている。だから生きいてもいいの・・・」と。
 ただ一つだけ悲しいのは、洗礼式を見に来てくれた母が、私がクリスチャンになったことに理解を示してくれないことです。洗礼を受けるにあたって、もちろん母に相談し、許しも得ました。しかし、本音は反対だったそうです。それを知ったのは、洗礼式を終えた後のことでした。私たち親子はこうもすれ違うのだと涙がこぼれました。
 現在、母は「もう、虐待はしない、手を上げない」と決めているそうです。けれども、肉体的な暴力こそ受けてはいませんが、母の口から出る言葉は刺々(とげとげ)しく私の心に突き刺さります。言葉の虐待を今も続けていることに、本人はまったく気付いていません。

 私はそんな母を見て、少し不安を覚えています。「人はやはり変われないのか」と。「もう大丈夫、私は赦されている、だから生きていていいの・・・」心から私がそう思える日が本当に来るのか、そして、神の子となった私が、母を変えられることができるのかと・・・。
 重い持病よりも、もっと重たい何かが私にのしかかります。

 「もう、大丈夫、もう大丈夫」、そう、まるで呪文のように唱えながら、今日も十字を切っています。
 そしていつか、私の心も体も「生きる強さを持つ」のだと。
 今日より明日、明日より明後日・・・神の赦しと救いを受けながら・・・神を信じ、生きていくのだと決めたのですから。だから「もう、私は大丈夫」。ねっ、神様っ!

洗礼の秘跡にあずかって(受洗者記念文集)

松原 清子(仮名)

 3月30日復活徹夜祭で、晴佐久神父様が私の額に勢いよくご聖水をかけてくださり、『あなたの息吹を受けて♪』 私は新しくなりました。

 幼稚園から大学まで、カトリックの学校に通いました。幼稚園でマリア様に出会い、お誕生日にさずかったおメダイを大切にしていました。子どもの頃は毎晩、神様とマリア様に今日一日あったことを報告し、皆が幸せであるようにお祈りをしていました。
 しかし、ある時期から、心がこわれるようなショックな出来事がいくつも重なり、いくら祈っても神様は私の声を聞いれてないのではないかと不信を抱き、祈ることができなくなり、神様から離れていました。今思い返すと、魂が神様につながっていない、暗闇のような時期でした。

 20代、ヨーロッパのカトリックの聖地や巡礼、黒マリアに興味を持ち、導かれるようにして、何度か旅をしました。サンチャゴ・デ・コンポステラへの道、ルルド、ファティマ、フランスのロマネスクの教会めぐり、アイルランドの修道院、大西洋の孤島スケリングなど。これらの旅を通し聖霊が働き、神様とのつながりが深いところで回復しました。その後、次第に自分の使命が明確になり、少しずつ自分の人生を取り戻していきました。
 そして、10年位前、東京カテドラル内のマリア像の前でひざまずくと、涙が止まらなくなりました。深い魂の底からの涙でした。その夜、東京の夜空に流れ星を見ました。マリア様にずっと見守られていたこと、それを受け取る時期が来たお印と理解し、マリア様のもとで心の告白をする時間を定期的に持つようになりました。
 2012年、旅行先のブルガリアのボヤナ教会で、ふいにキリストの愛に触れる体験がありました。無償の愛への鍵は、イエス・キリストにあると深いところでわかりました。
 同年6月、五島列島へ旅をし、多数の教会とルルドをめぐりました。井持浦教会のルルドで夜、マリア様へ祈っていると「さあ、次へ行きなさい」と押し出されたような不思議な感覚があり、シフトの時期を感じました。

 そして、10月28日、さまざまなめぐり合わせに導かれて多摩教会のミサにあずかりました。神父様を通して神様の言葉が直接私の魂に響き、その後も数日かけて愛と喜びが全身全霊に広がってきました。神様に愛されていることを初めて心と体と魂で感じました。この体験の意味を求めて、ミサと入門講座に通うようになりました。
 そして、12月24日聖誕のミサで、自分を空っぽにして、神様の大きな愛にすべてをゆだねることにしました。今までの数十年は、洗礼に向けての準備期間で、すべては神様のご計画だったと腑に落ちました。
 それから、洗礼までの3カ月、教会の皆さんとのつながりや世界に広がるコミュニティからの祈りを受け取り、カトリック=普遍という意味が少しわかってきました。

 洗礼名は、いつも寄り添い見守ってくださったマリア様と、心から敬愛するアッシジの聖フランシスコからあずかりました。
 折しも、新しい教皇様がフランシスコの名前をお選びになり、この偶然に歓喜し、神様の御心に添えますようにと、祈りました。

なぐさめられるよりなぐさめることを
理解されるよりも理解することを
愛されるよりも愛することを
私が求めますように

 聖フランシスコの平和を求める祈りとともに、喜びと感謝のうちに、あたらしい一歩を歩きはじめます。

お勧めの一冊 :『祈りと記念の手帖』

祈りと記念の手帖

すべての記念日をこの1冊に
『 祈りと記念の手帖 』

わたしと神、
わたしと大切な人々との出会いを記し、
日々祈り、記念するための永年手帖 ( オリエンス宗教研究所 )

【 収録内容 】

・ 絵画(カラー)と解説 : 祈りに向かう心、空間をつくるために

・ 曜日のないダイアリー : 自由に記入できるスペースが豊富

・ 年ごとの記録 : 周年記念日の忘備録(備忘録)にも

・ 祈りと祈りのヒント(カルメル修道会監修): 祈りの手引き、豊富な祈りの文言、聖句など

オリエンス宗教研究所から、毎日の祈りの友となる一冊が発売されました。
1年だけではなく、ずっとお使いいただけるタイプの「永年手帖」です。
「手帖」というには少し大き目のハンドブックタイプで、書きやすいように工夫されています。
美しい絵画や写真、祈りの手引きや、「主の祈り」をはじめとする日々の祈り、聖人たちや、教皇さまたち、身近な司祭たちの祈り、聖句や詩などが、あちこちに散りばめられていますので、毎日を祈りの中で過ごす助けになるでしょう。
参加型の祈りの手帖です。ぜひご利用ください。

詳しくは、オリエンス宗教研究所の書籍案内でご覧ください。>>> こちら です。


晴佐久神父さまの祈りも掲載されています。
一年の終わりに 聖家族を思う祈り」という祈りです。(170ページに掲載)
過ぎ行く一年、新しく迎える一年に寄せて、毎年共に祈ることができます。
おススメです。



『祈りと記念の手帖』
編者 : オリエンス宗教研究所
祈り監修 : カルメル修道会
発行者 : オリエンス宗教研究所
価格 : 1,680円(税込)
判型 : A5版 / 200ページ
ISBN : 978-4-87232-085-5
初版発行 : 2013年11月15日


◆購入を希望の方は、オリエンス宗教研究所から、または、お近くのキリスト教書店などをご利用ください。

神のぬくもりによって(受洗者記念文集)

青井 かおる(仮名)

 いろんなことがあって、人生に行き詰まりを感じていたときに気づいたのは、自分と自分とのギャップで、時々自分の気持ちがわからないということ。自分の感情表現が、自分の気持ちとつながっていないことで、人間関係に微妙な誤差を生んでいるような気がしていました。周りの人にとって、わたしのこの微小な差異は、取る足りないことかもしれませんが、わたしにとっては、自分の基盤にあるズレなので、このまま進んではいけないと感じました。

 義姉から聞いていた晴佐久神父さまの本を読み、高円寺の教会へ行ったのが最初でした。気持ちがほっこりしたことを覚えています。その日は、高円寺最後の日だったため、多摩教会へも来てみましたが、通うには遠く感じました。友人の結婚式のために、京王永山駅に来る機会があり、あらためて、この距離であれば通える気がしたのが、昨年の4月でした。
 通うのであれば、神父さまの教会へ通いたいと思い、最初は、友人と一緒に遠出ついでに、帰り道に高尾山に登ったこともありました。9月からは、ミサの後で入門講座に参加しました。ミサでのお説教と、入門講座でのお話しを聞いていると、いつも心の詰まりが流れるようで、神父さまのお話は、いつも一貫して、神さまの温かさを伝えてくれました。

 そして、ある日のミサで主の祈りを歌っていたときに、変な言い方ですが、本来の自分の声を感じたことがありました。
 その時、自分の心がほぐれてきたのだと思いました。本来の声とそうでない声の違いは、いつも表面的な自分が、深層部の自分を守ってきたのだと思います。鏡や、ガラスなどに映る自分を見るとき、そこに映っている自分に違和感を感じることが多々ありました。それはかすかなノックとして、心に響いていました。それでも、生活に支障を来しているわけでもなく、それなりに生きているつもりだったので、気を張って、気を使う自分で生きてきました。でもそれは、あくまで自分を守るために長い間なじんだ自分の生き方なので、たとえ傷ついても、本来の自分で生きるべきなのだと感じ、神と自分とひとつになりたいと思いました。
 ひとつになりたいと望んでいる自分は、表層の自分のような気がしましたが、神さまは、ご自身がわたしとひとつとなりたいと望んでいると語ってくれました。神さまがすべてを導き、生まれる前からすでにすべてを知ってこの洗礼に導いてくれたことを、あらゆることを通して教えてくれました。わたしは、土から造られ、土に帰るものではなく、神から出て、神のもとに帰る、天に凱旋する者にされたのだと思わされ、やっと人生の起点に立てた気がしました。
 洗礼式はわたしがいつも立ち戻れる原点となりました。

 受洗後は、今まで自分で自分を守ろうとしてきたということが一層よくわかり、守られている感覚が気持ちの目盛りを上げてくれて、幸福感に包まれて生活しています。

10月27日(日):幼児洗礼式(フォトアルバム)

10月27日の主日には、2人のお子さんの幼児洗礼式が行われました。

そのときの様子を、ご紹介させていただきます。

晴佐久神父さまのお説教サイト、「福音の村」の2013年10月27日(日)分、「ずぶぬれの教皇フランシスコ」で、そのときの様子がわかりますので、もし宜しければ、そちらも併せてご覧ください。

◆画像をクリックすると、スライドショー(手動)でご覧いただくことができます。
 クリックで表示された画像の左右にカーソルを持っていくと、矢印(左:戻る)(右:進む)が表示されます。

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巻頭言:主任司祭 晴佐久昌英「アンパンマンとイエスさま」

アンパンマンとイエスさま

主任司祭 晴佐久 昌英

 これを書いている今日、10月16日、やなせたかしさんが13日に亡くなったという報道が流れました。94歳でした。いうまでもなく、国民的キャラクター「アンパンマン」の生みの親であり、日本漫画界の最長老として多くの人に尊敬されていた方です。
 詩人でもありイラストレーターでもありましたが、やなせたかしが生み出す作品は、いずれも愛と優しさ、普遍的な正義に満ちていて、その作品やメッセージと本人の生き方が見事に一致しているという意味でも稀有な存在でした。彼の作品によって、どれだけ多くの人が優しい気持ちになり、どれほど多くの子どもたちが励まされたことでしょうか。

 わたしは、やなせさんと一緒にお仕事をしたことがあります。
 もう25年も前ですが、司祭になって間もなくの1989年、わたしの絵本の絵を描いてくださったのです。『みんなでうたうクリスマス』という絵本ですが、わたしにとっては人生初めての出版物であり、しかもやなせ先生が絵を描いてくださったということで、忘れることのできない、大切な絵本になりました。
 これは、クリスマスの物語を話し言葉でつづり、それにメロディーをつけて歌にするというミュージカル仕立ての絵本で、巻末には楽譜も載せ、合わせてスタジオ録音したCDも発売したということもあって、その後、多くの教会学校や幼稚園が聖劇として利用してくれました。今でも各地で親しまれていて、「ぜひ聞きに来て欲しい」と、幼稚園の発表会などに招かれることがあります。もっとも、つい先日、今年司祭叙階した若い神父さんから、「ぼくは子どものころ、あの絵本で育ちました」と言われて、もうそんなに年月が過ぎたのかと、感慨深いものがありました。
 この絵本が出たころは、ちょうどアンパンマンのテレビ放送が始まったころでしたが、わたしはまだ30歳そこそこ。若気の至りで、やなせ先生が最初に描いてくださったラフスケッチに、「自分のイメージと違う」などと意見したのを覚えています。よくあるような、飼い葉おけに寝かされているおさなごイエスを囲む聖家族の絵ではなく、大地から太陽のように顔をだした、あまりにも可愛くてあまりにも巨大なイエスさまの、まあるい顔だけが描かれていたからです。
 70歳の巨匠の大胆なアイディアにケチを付けるなんて今考えると冷や汗ものですが、先生はやんわりと、しかしハッキリとおっしゃいました。「これがイヤなら、降ります」。あわてて、「いえいえ、ぜひこれで」ということになりましたが、さて、出来上がった絵本を改めて眺めているうちに、なるほど、これこそまさにイエスさまだと気付かされたものです。すなわち、どこまでも優しくて、圧倒的に大きくて、すべてを超越する、救い主。

 実は、やなせたかしがクリスチャンであると知ったのは、ずいぶんたってからです。そう言われてみると、先生の作品の根底に、単なる善悪二元論を超えた超越的な正義感や、ひたすらに他者を喜ばせるという、キリスト教的な愛の精神が流れていることに気づかされます。
 以下、先生の語録です。
 「人生で何が一番うれしいかというと、人を喜ばせること。人を喜ばせることで、自分もうれしい」
 「お互いに相手を喜ばせれば、何もかもうまくいくはず」
 「アンパンマンは世界一弱いヒーローだけれど、自己犠牲の精神なんだよ」
 「自分はまったく傷つかないままで正義を行なうことは非常に難しい」
 「困っている人、飢えている人に食べ物を差し出す行為は、立場が変わっても、国が違っても『正しいこと』には変わりません」

 もしかすると、パンである自分を食べさせて他者を救うアンパンマンこそは、イエスさまなのかも知れません。先生が亡くなられたと聞いて、先ほど、久しぶりにこの絵本を開き、まあるいイエスさまを見ていましたが、なんだかアンパンマンに見えてきました。
 「わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる」(ヨハネ6・51a)
 先生、ありがとうございました。先生も永遠の命に入られたのですね。
 もう絵本のことはお忘れかも知れませんが、先生のお描きになったイエスさまは、今もなお、大勢の子どもたちを喜ばせていますよ。


『みんなでうたうクリスマス』(表紙)
『みんなでうたうクリスマス』(表紙)

まあるいイエスさま
まあるいイエスさま

(上記画像はクリックすると大きく表示されます)


※『みんなでうたうクリスマス』 <絶版>
 絵:やなせ たかし 文:晴佐久 昌英 曲:塩田 泉 
 大型本(絵本) 
 出版社 : 女子パウロ会(1989/9) / 初版発行 : 1989年9月20日 

 

連載コラム:「美味しいパスタスープの作り方」

連載コラム「スローガンの実現に向かって」第34回
「美味しいパスタスープの作り方」

桜ヶ丘地区 奥原 華

 どんな時もどんな所でも、だれかのオアシスであること・・・そんなことがすべての人の現実となって、世界がグンと平和になりますように。

 15年ほど前に小さな巡礼団に参加しました。
 成田を出発し、イタリアへ。ミラノの空港からクロアチアのスプリト空港へ。そこから戦火の傷跡もまだ生々しい旧ユーゴスラビア (ユーゴスラビア紛争:1991〜2001の間に旧ユーゴスラビアで民族紛争が起こり、6つの国に分かれる。クロアチアとボスニア・ヘルツェゴビナは1995年に独立) のいくつかの町や村を通って、延々とバスに乗り、ようやく目的地のメジュゴリエに着いたのは、夜中のことでした。それは、ボスニア・ヘルツェゴビナの小さな村で、マリア様のご出現で知られているのです。
くたびれ果てて、口数も減り、やっとの思いで民宿にたどり着いた私たちを、宿屋の主人は人懐っこい笑顔で出迎え、開口一番、こう言ったのです。「勝っちゃってごめんなさい」
 ちょうど当時、サッカーのW杯が開催されていて、初参加の日本がやはり初参加のクロアチアに負けたばかりでした。みんな思わず笑い出し、脳みその緊張が一気にほぐれたように感じました。

 巡礼団は食堂に通されました。そこではちょっとシャイだけど頼もしい女主人がおいしいライ麦パンとスープを私たちのために用意して待っていてくれました。今思うと、とても素朴なパスタスープでした。
 「星」だったか、「アルファベット」だったか、細かいパスタが唯一の具材で、ごく普通のコンソメスープだったと思います。それでも、とてつもなく美味しいパスタスープで、あれから幾度かあの味を再現しようと試みましたが、成功したことがありません。
 ちょうどそのころのメジュゴリエは、若者の集いが催されていて、世界中のありとあらゆる国からやってきた若者たちの熱気であふれかえっていました。
 若者の集いの大会が盛大に開催されたマリア様の祝日の翌日は、ご変容の祝日で、マリア様のご出現の丘に夜中から登り、朝日を眺めるのが、メジュゴリエの恒例行事となっています。
 私たちも登りました。すがすがしい朝でした。メジュゴリエ全体がオアシスみたいなところでしたが、あの宿屋の主たちはオアシスを見事につくり、美味しいスープで私たちをもてなし、私たちは疲れもなんのその、世界中から来ていた大勢の若者たちとともに丘に登り、歩き回り、ミサに与り、讃美歌を歌い、平和のうちにメジュゴリエで過ごすことができました。

 最近、少しわかりました。美味しいパスタスープの作り方は、まずはオアシスをつくること。
 あのとき食べたスープは疲れた人を癒す、まさしく荒れ野のオアシスのスープだったのです。
 あれから洗礼の恵みも授かり、現在、多摩教会で「カフェ・オアシス」という、教会にいらした人にコーヒーをサービスするグループにも参加しています。ひたすら美味しいコーヒーを提供できるように、文字通り、オアシスであることを心がけたいものです。まずは身近なところから。