2013年11月:死者の月(フォトアルバム)

大変遅れてしまい恐縮ですが、昨年11月のフォトアルバムを掲載しました。

よろしければ、どうぞご覧ください。

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晩秋です。

「死者の月」といわれる11月を迎え、2日(土)の「死者の日」当日と、翌日の主日のミサでは、
先に天に帰った方々を記念してのミサとなりました。

そのときの様子を、少しご紹介させていただきます。

◆画像をクリックすると、スライドショー(手動)でご覧いただくことができます。
 クリックで表示された画像の左右にカーソルを持っていくと、矢印(左:戻る)(右:進む)が表示されます。

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巻頭言:主任司祭 晴佐久昌英「霊的炎の発火点となりますように!」

霊的炎の発火点となりますように!

主任司祭 晴佐久 昌英

 元日のミサの説教で、「今年は出発の年」、「何かを始める年」だと申し上げました。
 もちろん、いつだって新しく出発できますし、いつでも何かを始められますけれど、なぜだか今年は特別だという気がしてなりません。これは聖霊の促しかもしれませんし、もしそうであれば、まっすぐに受け止めて、なにか素晴らしいことを神様のために始めなければならないと思っています。
 みなさんも今年、聖なる霊に導かれるままに、新しいチャレンジをするとか、召命を受け入れて出発するとか、「何かを始める年」にすれば、想像をはるかに超える大きな実りが生まれるのではないでしょうか。
 

 たぶん、そんな風に感じるのには、新しいパパ様、教皇フランシスコの影響も大きいと思います。彼の就任以来の、信徒への率直な呼びかけは、常に単純明快、愛と喜びに満ちていて、思わず「それならやってみようか」と思わせる、不思議な力を持っているからです。
 ホームページ「福音の村」(※1)で、もう一度読んでいただきたいのですが、昨年12月1日と、15日のミサの説教(※2)で触れた、教皇フランシスコの最初の使徒的勧告「福音の喜び」の冒頭は、次のようなものです。
 「福音の喜びは、イエスに出会ったすべての人の心、その人のすべての命を満たすものです。イエスによる救いに身を任す人々は、罪から、悲しみから、内面的な空虚から、孤独から解放されます。イエス・キリストと共に、この喜びは生まれ、そして常に生まれ替わっています。この勧告の中で、この喜びを主題とする福音宣教の新しい段階へキリスト教の信徒たちを招き、これからの数年間における教会の歩みの道のりを示すために、私は信徒の皆さんに呼び掛けたいのです」  
 これは多摩教会の井上信一さんが仏語版から訳したものですが、読んでのとおり、まさに私たちを「喜びを主題とする福音宣教の新しい段階」に招くものであり、そう呼び掛けられて、「よし、出発しよう」と思わせられます。

 また、1月12日の説教で触れた(※3)、「中央公論1月号」(※4)に掲載された教皇インタビューの内容も、「さあ、始めよう」と思わせる呼びかけに満ちています。
 「(教会は)すべての人の家なのです。選ばれた人々だけを収容できる小聖堂ではありません。普遍的教会の広いふところを、我々の生ぬるさを守ってくれる鳥の巣籠りに狭めてはなりません。真の教会は母なのです。限りなく子沢山であるべきなのです」
 「教会が今日最も必要とすることは、傷を癒す能力です。信ずる人たちの心を温める力です。身近さと親しさです。教会は戦闘後方の野戦病院だと思います。重い傷を受けた人に、コレステロールや血糖値を尋ねるほど無意味なことはありません。まず傷ついた人々を癒すべきです」
 「教会はこれまでしばしば些細なこと、小さな掟に関わりすぎていました。もっとも重要なことは、『イエス・キリストは、すべての人を救われた』という幸いな知らせです」
 「教会は、戸を開けて人々が来るのを待っていて、来れば受け入れるだけではだめです。新しい道を見出す教会、内に籠もるのではなく、自分から外に出ていき、教会に通わなくなった人々、無関心な人々のところに出かけていくような教会であるよう一緒に努力していきましょう」

 なんと、教皇様から「一緒に努力していきましょう」と言われてしまいました。「はい」というしかありません。むろん現実には困難も多く、様々な恐れも感じますが、もしかすると私たちは、この危機的状況の現代社会にあって、神様から特別の選びを受けて、キリストによる救いを野火のように燃え広がらせる、決定的な恵みのときを迎えているのではないでしょうか。
 願わくは我らが多摩教会が、そんな霊的炎の発火点となりますように!
 神からの招きを無駄にせず、このような時に出会えたことに感謝と誇りを持って、仲間である皆さんと共に、この新しい年を生きていきたいと心から祈っています。



※【 参照 】

※1:「福音の村」
・ 晴佐久昌英神父のカトリック多摩教会でのミサ説教集(HP)
  >>>>> アドレス: http://www.fukuinnomura.com/

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※2:「昨年12月1日と、15日のミサの説教」
・ 「昨年12月1日」のミサ説教・・・2013年12月1日<待降節第1主日>説教
   「この教会に出会っていなかったら」(「福音の村」)

・ 「昨年12月15日」のミサ説教・・・2013年12月15日<待降節第3主日>説教
   「神には、おできになる」(「福音の村」)

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※3:「1月12日の説教」
・ 「1月12日」のミサ説教・・・2014年1月12日<主の洗礼>説教
   「教会は野戦病院であれ」(「福音の村」)

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※4:「中央公論1月号」
 『中央公論』
 本誌で「教会は野戦病院であれ」のタイトルのもと、12ページに渡り掲載。
 質問者:アントニオ・スパドロ神父(Civiltà Cattolica編集長)、翻訳:門脇佳吉神父(上智大学名誉教授)。
(2014年1月18日現在、Amazonでは古書が販売されていますが、楽天ブックスなどでは、完売となっています。購入したい方は、『中央公論』のHP、「中央公論.jp」の「バックナンバー」からどうぞ)
 
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連載コラム:「侍者席から見えるオアシス」

連載コラム「スローガンの実現に向かって」第37回
「侍者席から見えるオアシス」

南大沢・堀之内地区 平井 達彦

 2年ほど前から土曜ミサの侍者をしています。侍者経験のない50才を過ぎた中年おじさんが、なぜ侍者を始めたか、また侍者を始めて目の前に現れたオアシスについて、少しお話させていただきます。

 私は大学3年生の時に、名古屋の南山教会で洗礼に与りました。その後、大阪で就職、住居が変わるたびに堺教会、北浜教会、千里ニュータウン教会、宝塚教会に転出・転入を繰り返し、20年ほど前に東京に転勤となり、府中教会、そして多摩教会にたどり着きました。
 教会にはいろいろな仕事があり、皆さんがそれぞれのタレントを生かし献身的な奉仕をされています。私は、いままで奉仕らしい奉仕をしてきませんでした。いわゆる「不良信者」です。言い訳になりますが、転居が多く、どの教会でもお客さん気分が抜けず、東京に来てからは仕事が忙しく休日出勤が続き、また家庭においても子供の世話などがあり、ミサに与ることができないことが続きました。2人の娘がいますが、幼児洗礼、初聖体まではなんとかこぎ着けましたが、その後は教会学校に通わすことができず、いまでは2人とも教会はご無沙汰しています。

 こんな私ですが、2年前ある方から突然「平井さん、土曜日のミサの侍者をしていただけないでしょうか。人数が少なくなって困っています」とお話をいただきました。その頃、私は立ち行かない悩みを抱え、途方にくれ、心落ち着かせるために、かおり保育園の早朝ミサに何度か与っていました。ある方とは、その早朝ミサでお知り合いになった方です。侍者奉仕のお話を伺って、大げさな話ですが「これは、神様が私の信仰を試しておられる」と強く感じました。
 それから、毎週土曜日、先輩侍者の皆さま教えを受けて、中年おじさん侍者の見習い修行が始まりました。神父様からも鐘の鳴らし方のご指導を何度か受けました。見習い期間は、3カ月ほどあったでしょうか。無事卒業することができ、通常の主日のミサはなんとか役割が果せるまでになりました。

 侍者を始める時に、先輩侍者の方から「祭壇から会衆席を見渡すとミサの見方が変わるよ」とお話をいただいていたのですが、実際に侍者席に座っていると、神父様のお説教の一言一句に「眼を輝かせ、うなづいている人」、「一生懸命ノートを取っている人」、「声を出して笑っている人」、「涙で頬を濡らしている人」がリアルに目の前に現れてきます。また、聖体拝領の時の、感謝を表すアーメンの言葉。恐る恐る祝福を受ける方の表情。まさに、ミサが人を救うオアシスとなった瞬間です。会衆席の人々の表情を見ているだけで救われた気分になります。
 まだまだ、不慣れな点、わからないことが数多くあり、時に失敗をやらかすこともあるのですが、これからも先輩侍者の方々に教えていただきながら、できるだけ侍者の奉仕を続けて行きたいと思っています。
 立ち行かない悩みの方も、侍者を始めてからもすべて解決された訳ではありませんが、神父さまのお説教でよく話される「今は旅の途中、試練は生きている証し」の言葉に励まされ、解決できることと、そのまま受け入れるものに分けて、うまくつき合って行こうと思っています。

 最後に、新米が僭越ながらひとつ皆さんにお願いがあります。土曜日のミサの侍者の人数が足りない状況が続いています。興味がある方は、ミサの前後に香部屋の侍者まで声をかけていただければと思います。
 一緒に侍者席からオアシスを眺めて見ませんか。ぜひお待ちしております。よろしく。

初金家族の会:お知らせ

「初金家族の会」からのお知らせ

 1月の初金家族の会は、年明けすぐで、お休みいたしました。

 次回、2月7日(金)は、「教会ディサービスを考える-介護保険法のもとで-」と題し、フランシスコ中司 伸聡さん(麹町教会)のお話しを聞き、分かち合いを行う予定です。

 ごミサの後、午前11時から、信徒館1階で行います。
 多数の方のご参加をお待ちしております。

巻頭言:主任司祭 晴佐久昌英「カリタス釜石の新センター建設資金援助のお願い」

カリタス釜石の新センター建設資金援助のお願い

主任司祭 晴佐久 昌英

 クリスマス、おめでとうございます!
 イエスさまは、貧しい人と共にある救い主として、貧しい馬屋でお生まれになりました。最初の訪問者は貧しい羊飼いたちでしたし、生涯貧しい人に福音を告げ知らせて、最後は貧しい盗賊と共に十字架上で亡くなりました。
 キリストの教会はキリストそのものですから、当然、貧しい人々と共にある教会でなければなりません。貧しい人の訪問をいつでも歓迎し、貧しい人にこそ福音を告げ知らせ、貧しい人と共に十字架を背負うためにこそ、教会は存在しているのです。

 12月17日は、ローマ教皇フランシスコの77歳の誕生日でしたが、この日の朝、教皇はローマ市内のホームレスをバチカンに招き、自身が生活している聖マルタの家の食堂で、誕生日の食事を共にしました。招待されたのはバチカン付近の路上生活者3名で、それぞれ、スロバキア、ポーランド、チェコ出身の男性。そのうちの一人は、「教皇に会えるのだから、ホームレスだったかいがある」と話したそうです。
 まさに「貧しい人々のための教会」を掲げる教皇フランシスコらしいエピソードで、その一週間前に、アメリカのタイム誌で恒例の「パーソン・オブ・ザ・イヤー(今年の人)」に教皇フランシスコが選出されたのも分かります。その選ばれた理由は、「思いやりに焦点をあて、良心の新たな代弁者となった」というものでした。
 しかし、よくよく考えてみると、キリストの代理者であり教会の頭である教皇が思いやり深く、良心に従ってホームレスを招き入れ、食事を共にするというのは、実は当然のことではないでしょうか。むしろ、それがニュースになるような教会の現状を恥じるべきだとも言えます。キリストはそうしていたし、そのキリストとひとつであろうとするのが、キリストの教会なのですから。

 先日ローマを訪問した折、確かにバチカンの周りに物乞いをしているホームレスがたくさんいるのを見かけましたが、一々対応していてはキリがないと、前を通り過ぎてばかりでした。最終日に聖パウロ教会を訪問した時、教会出口に赤ん坊を抱えた難民風の女性がいたので、せめてもの罪滅ぼしにと、2ユーロ差し上げました。すると、「もっとくれ」と言うのです。こちらがローマンカラーをしていたせいもあって、「ファーザー、プリーズ、ファーザー、プリーズ」と言いながら、ずーっと後を付いてくるのです。ポケットを探ると、もう小銭はなく、お札しかありません。良心というよりは、仕方なくって感じで10ユーロ渡すと、なんと、「もっと」と言うのです。後はもう20ユーロ札しかなかったので、「すんまへん、かんべんして〜」とか日本語で言いながら、バスの中に逃げ込んでしまいました。
 ホームレスを招いたパパ様のニュースを読んで、つくづく思います。
 なんであのとき、あの20ユーロ札を出さなかったんだろう、と。

 12月初めに、釜石を訪問して来ました。釜石ベースはNPO法人カリタス釜石として新たなスタートを切ったところです。東北の被災者は、まさに今、物質的にも精神的にも、日本で最も貧しい人たちですし、そんな中でのベースの福音的な活動は本当に尊く、頭の下がる奉仕です。
 このたび、カリタス釜石は、新たな活動拠点となる新センターを建設することになりました。出来上がれば地元の他のボランティアグループの拠点ともなる重要な施設です。来年4月の開所を目指していますが、資金難で、総工費5,000万円のうちあと500万円が足りないということでしたので、私が集めましょうと、お約束してまいりました。
 大きな額ですけれども、ぜひ、ご協力をお願いします。私たちが、たとえ少しずつでも分かち合えば、必ず集まると信じています。
 聖堂入口の「東日本大震災支援」の袋に入れていただいてもいいですし、HP「福音の村」の口座宛で振り込んでくださっても結構です。(※) 集まりましたものは、私が直接、釜石へお届けいたします。
 私も今回は、「なんであのとき」と後悔しないよう、やることをやるつもりです。



※【 参照 】

「福音の村」( ホームページアドレス : http://www.fukuinnomura.com/ )

 ・ 「カリタス釜石に活動拠点を!」 >>> 「募金協力のお願い」 
  (お振込先や、お振り込み方法などの詳細は、上記のページをご覧ください)

 ・ 「晴佐久神父からのお願い」 >>> 「福音の村」読者の皆様へ



<<< 「カリタス釜石」への募金 ( 「福音の村」の口座 )>>>
 
(お振り込み方法などの詳細は、「カリタス釜石に活動拠点を!」の「募金協力のお願い」のページをご覧ください。

① ゆうちょ銀行ATMでの電信振替 : 001903-652160

② ゆうちょ払込み(「払込取扱票」(青い用紙)のご利用) : 
    口座記号・口座番号 :00190-3-652160 (「652160」は右詰でご記入ください)
    加入者名 : 福音の村

③ ゆうちょ銀行以外の金融機関からのお振込み
    金融機関名 : ゆうちょ銀行
    店名 : 〇一九(ゼロイチキュウ)店
    預金種目 : 当座
    口座番号 : 0652160
    加入者名 : 福音の村

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連載コラム:「耀うBABY ANGEL」

連載コラム「スローガンの実現に向かって」第36回
耀(かがよ)うBABY ANGEL」

稲城・川崎地区 小俣 亜里

 今年のバザーで、稲城・川崎地区は目玉商品として、晴佐久神父さまのオリジナルイラスト、「BABY ANGEL」をプリントしたTシャツ、トートバッグ、エコバッグを売りました。
 デザイン画をもらって印刷工房へ行き、サイズ、色、枚数を決めてから1週間ほどで出来上りました。

 10月中旬の夕方、宅急便で段ボールが2つ、わが家の玄関に届けられました。デザイン画をいただく時に神父さまから、「これはBABY ANGEL、まだ世の中に出ていない生まれたばかりのニューキャラだよ!」と言われていました。神父さまはこのBABY ANGELを生み出すのにきっと時間をかけられたことだろうと思います。
 せっかく作るのだから良い物を作りたい。印刷工房をどこにするかを決めるのには、結構こだわりました。探して3軒目でやっと頼みましたが、(原画の筆のかすれた感じや雰囲気が損なわれていないか、色はきれいに出たか、だいじょうぶかなぁ・・・)と、仕上がりがとても心配でした。ドキドキしながら開けてみると、うす暗い箱の1番上のBABY ANGELくんが、「ぼくたち(わたしたち)できたよ!どお?」とニコニコ笑いながら私を見ていました。「おお、できたね〜、やったね〜、無事にうちに来たんだねぇ」
 筆の「かすれ」具合もまぁまぁ。(へぇ・・・こういうバッグもっている人ってまずいないな)と、出来上がりを誇らしげに思いました。そして2枚目も3枚目もず〜っと箱の1番下の底のところまで、BABY ANGELくんたちがニコニコホカホカ。ちょっと眩しくて箱の中がなにやら騒がしい。この時の事はとても印象的で、忘れることができません。

 何かに似ているな、この瞬間・・・。そうだ、むかしばなし「竹取物語」のおじいさん!!
 竹取物語、いわゆる「かぐや姫」で、おじいさんが竹を取りに竹林へでかけた。竹林の中でひとつだけ光り輝いている竹を見つけ、不思議に思って近寄ってみると、中から小さな小さな女の子が出てきた。・・・室町時代の竹取の翁の「ビックリ感!!」ってまさにこんな感じ!?
 バザー当日はあいにく雨でしたが、特にこの製品が出来るまでを知っている方は、「かわいいね」と言って買ってくださいました。義母は、「福音の村」の晴佐久神父さまのお説教を毎週プリントアウトして知人に配っているので、(そうだ、義母の教会のバザーでも売ってもらおう!)と思いつきました。バッグだけ十数枚頼んでみたら、「早いうちに完売しちゃったわよ!」との返事。よかった〜。
 更にWikipediaで竹取物語を読んでみると、翁は女の子を発見し自分の子供として育てた。女の子はどんどん大きく成長し、この世のものとは思えないほどの美しい女性になった。この子の周りにはいつも光が満ちて明るく、家の中は暗いところがない。翁は気持ちが落ち込んでいる時もこの子を見れば元気になった。そしてこの子は「なよ竹のかぐや姫」と名付けられた。「なよ竹」とはしなやかな竹、「かがよう」はちらちら揺れて光っているという意味。
 そうだったのです!私が段ボールを開けた時、BABY ANGELくんたち、チラチラ揺れて光っていたんですね!!

 今回は200人のANGELくんたちでしたが、もっともっとたくさんの人のところで「かがよって」ほしいです♪
 私たちのゆるキャラ、BABY ANGELは、まさしくあなたの近くで「耀っている」のです!

 (付記) BABY ANGELグッズをお求めになった方、おうちの箪笥の1番上にしまっておくと、箪笥を開けた時、あなたの心はオアシスな気分で満たされます。(*^_^*)



 BABY ANGELをご紹介します。左はイラスト、右はバザーで販売したトートバッグです。
◆ それぞれ、下の画像をクリックすると、大きく表示されます。

BABY ANGEL
イラスト

エコバッグ
エコバッグ



投稿記事:「コルベ会の活動停止に際し」

コルベ会の活動停止に際し

コルベ会 波田野 洋子

 凡そ25年間、福祉活動を中心に奉仕を行って参りましたが、メンバーの寄る年波、それぞれの家族や親戚の状況変化により、活動そのものに支障が生じて参りました。そのため本年をもってコルベ会を休止させて頂きます。長い間、皆様からご理解、ご協力をいただき、本当にありがとうございました。皆様のご協力があってこそ成り立った活動でした。神の慈愛の眼差しの中、心より感謝申し上げます。ただただ感謝いたします。

 これまで私たちが行ってきた活動の内容と主な支援の対象は次のようなものです。
 ① 仮聖堂から本聖堂までの教会建設費への献金
 ② 病者訪問とそのサポート
 ③ 阪神淡路大震災(5年間)、中越地震(2年間)、東日本大震災(3年間‥・)に対する献金
 ④ 山谷への援助(お米やタオルなど)
 ⑤ 東京カリタスの家のための古切手、カード、ベルマークなどの蒐集
 ⑥ 教区本部のペトロの家のための献金
 ⑦ 海外宣教者を支援する会のための献金

 これらの支援のための資金を確保するために行った主な活動は:
 ◎ プリンセス・ケーキの製造と販売、北海道のじゃがいも、九州の甘夏の販売、特に甘夏の一部を加工し、甘夏ピール、ジャム、マーマレードにして、相当な資金を得ることができた。
 ◎ クリスマス、お中元、お歳暮の時期に関係グッズ、クッキー・ケーキなどを注文・販売した。

(以上)

初金家族の会:「12月例会報告」

初金家族の会 12月例会報告

広報:志賀 晴児・松原 睦

 12月6日、待降節第一金曜日、晴佐久神父様はミサのお説教で、「主をお迎えするのにふさわしく、よく目覚めて感謝し、真剣に信頼して一層一致の喜びを味わいましょう」と話されました。

 続いての初金家族の会では、先の太平洋戦争中に海軍に徴用され、二度も船が撃沈されて、奇跡的に一命をとりとめた松永重雄さんの息詰まるような戦争体験談に耳を傾けました。
 また、松永さんは先ごろ肺炎を患ったとき医師から家族に、「最後を覚悟するように」と言われたあと、これも見事に乗り切られました。松永さんの今のお元気なご様子をみんなでお喜びしました。
 「私は何もしていません。今、こうして生きているのは、私の力ではなく、すべて神様のお恵みです」と、感想を述べられたのが印象的でした。
 松永さんのお話しを聴き終えて、平和の尊さを実感するとともに、このように貴重なナマの戦争体験談を、出来れば若い世代の方々にもぜひ伝えたいと思いました。

 2014年1月の初金ごミサのあとの家族の会はお休みにして、次回は2月7日(金)、ごミサのあと午前11時から開催の予定です。