連載コラム:「気づかないとき、神様は常に私のそばにおられた」

連載コラム「スローガンの実現に向かって」第40回
「気づかないとき、神様は常に私のそばにおられた」

南大沢地区 ウェケ・マイナ・アーネスト

 皆さん、こんにちは。多摩カトリックニューズに書くのは初めてなので、この場を借りて自己紹介と感謝するエピソードを短くご紹介したいと思います。
 私は1967年にケニアの首都ナイロビで生まれました。両親は熱心なカトリック信者で、私は生まれてから1カ月も経たないうちに幼児洗礼を受けました。しかし、それは面白い方法でした。生まれた時の名前をそのまま洗礼名にするというやり方でした。今思えば名前変更の登録の手間を省こうという両親の狙いがあったのかもしれません。
 小学生の頃は、毎週日曜日に母親と兄弟たちで教会に行きました。家から教会までは歩いて15分ほどでした。近所の子供たちは教会学校でシスターたちからカテキズムを学びました。ミサが終わると男の子たちはサッカーで遊びました。サッカーの他には音楽のバンドもありましたが、私は参加しませんでした。多摩教会のようにお菓子はもらえませんでしたが、小学校時代の教会は非常に楽しかったです。

 カトリック信者としてこれまでで一番嬉しかった思い出のひとつは、1980年にありました。教皇になって3年目のヨハネ・パウロ二世が私の故郷ナイロビに来られたときのことです。
 当時、中学1年生だった私に夢にも思わないことが起きました。教皇のミサに参加することができたのです。とはいえ、それはナイロビ中心部にある「ウフルパーク」という名前の大きな公園でのミサでした。恐らく10万人以上の信者がミサに与ったのではと思います。当時、大きな野外用モニターは普及しておらず、祭壇から遠く離れたところにいた私にはパパ様の顔をはっきり見ることはできませんでした。たまたま横に座っていた人が双眼鏡を持っていて、それを貸してくれたので、パパ様の顔が「手に触れるほどに」非常に真近に見えたことをはっきり覚えています。教皇の御ミサに与ったのはこの1回のみでしたが、ヨハネ・パウロ二世はその後も1985年と1993年にナイロビを訪問されました。

 恐らく、初めて信仰について深く考えさせられたのは、「オプス・デイ」と呼ばれるカトリック組織が運営しているカトリック高校に進学した時でした。その学校ではカトリック信者の生徒たちのために毎日、ミサがありました。そして学期の初めには2泊3日の黙想会がありました。告解も1週間で何回もできたので大変充実した信仰生活でした。
 ケニアの大学では、学生カトリックのサークルに入りました。そこで友達を集めて聖書朗読会をつくりました。毎週金曜日の午後8時に集まり、聖書を読むことにしました。朗読会を3年間行い、その中で何度も聖書に書かれている文章の美しさに感動しました。

 日本に来てから独身だった頃は都心の教会に通っていました。
 カトリック信者は少ないだろうといわれていたので、カトリックの友達(女性に!)に出会うことは諦めていました。しかし、そこで「普遍的な神様」が現れて、私の考えが間違っていることを示されました。そう、日本でカトリック信徒の女性(妻の暁子)と知り合ったのです。結婚式はカトリック目黒教会で行い、2人の娘に恵まれました。

 目黒教会から多摩教会に転入したのは2000年のことでした。それから14年間、教会学校をはじめ、いろいろなかたちで私たち家族は多摩カトリック教会の皆さんに大変お世話になっています。
 そして喜ばしいことは、主任司祭である晴佐久師の下で福音に目覚める新しいたくさんの仲間が増えていることです。そして、教会は楽しく賑やかになってきました。私にとって、多摩教会は心のオアシスであり、神様の恵みを共有する場所です。その仲間が増えてきたのは大変嬉しいことです。
 個人的な活動は何もしていませんが、これからも皆さんと一緒に神様に祈りを続けたいと思います。

「あなたは必ず救われる」-晴佐久神父、東京新聞・中日新聞に寄稿(「宗教の普遍性」)

晴佐久神父
東京新聞・中日新聞に寄稿
「あなたは必ず救われる」
-「宗教の普遍性」(上)・(下)-

 晴佐久昌英神父の寄稿文、「『宗教の普遍性』(上)=すべての人は救われる、分け隔てなく愛す」が、3月15日(土)付の東京新聞および中日新聞に、また「『宗教の普遍性』(下)=すべての人を救う宗教、共感、共生する道へ」が3月22日(土)付の同紙にそれぞれ掲載されました。

 晴佐久神父の説教を掲載するホームページ「福音の村」で、東京新聞を発行する中日新聞社の許可を得て、転載しております。

 以下、それぞれのタイトルをクリックしていただくと、「福音の村」内の該当ページにジャンプします。
ぜひご一読ください。

(PDFファイルでご覧になれない方は、JPEGファイルでご覧ください。)

※「宗教の普遍性」(上)- 「すべての人は救われる:分け隔てなく愛す
  
〈 PDFファイル 〉〈 JPEGファイル 〉
   
(中日新聞・東京新聞 2014年3月15日付)

※「宗教の普遍性」(下)- 「すべての人を救う宗教:共感、共生する道へ
  
〈 PDFファイル 〉〈 JPEGファイル 〉
   
(中日新聞・東京新聞 2014年3月22日付)

 
 

巻頭言:主任司祭 晴佐久昌英「喜びの四旬節」

喜びの四旬節

主任司祭 晴佐久 昌英

 教皇フランシスコの使徒的勧告「福音の喜び」の冒頭部分(6)に、次のようなユニークな表現があって、思わずニヤリとしてしまいました。
 「復活祭なしで四旬節の節制をするように振舞うキリスト者がいます」。
 確かに、復活祭なしの四旬節ほど滑稽なものはありません。四旬節はあくまでも復活祭の準備期間なのであって、復活の喜びへの希望に支えられて過ごす、恵みの時だからです。
 しかし、実際には、救いの喜びを知らずに暗い顔で信仰生活を送る人が少なからずいるのが事実です。自らの罪を呪い、自らの滅びを恐れ、自らを責め続ける人たちです。それにはそれぞれのつらい事情があってのことでしょうから、一概に本人のせいだとも言えませんが、仮にも洗礼の秘跡を授かったものとして、まずは復活という栄光の輝きをしっかり見つめて、キリスト者においてはすでに復活が始まっているのだという、誇りと喜びを取り戻してほしいのです。
 フランシスコ教皇は、続けて次のように言っています。
 「もちろん、深刻な困難のために悲しみに落ち込む人々がいることを私は理解しています。しかし、たとえ最悪の心配ごとを抱えていても、心に秘められた確かな自信として、ほんの少しずつでもいいから、信仰の喜びを目覚め始めさせなければなりません」
 四旬節は、信仰の喜びに目覚め、福音の喜びを再発見するときなのです。

 「復活祭なしの四旬節」のようなキリスト者は、おそらくは「復活祭なしの四旬節」のような教会によって育てられたのでしょう。復活の喜びよりも十字架の苦しみに焦点を合わせ、復活による救いよりも罪と裁きを強調する教会です。
 まさにそのような罪と裁きの律法主義の桎梏から、すべての人類を解放したのが主キリストの死と復活であったはずです。そうして「もはや死は滅ぼされた、我々は罪も死も恐れない、まことに主は復活された、アレルヤ!」というのがキリスト教の出発点であったはずなのに、いつのまにか、罪に苦しみ、裁きを恐れる旧約時代に逆戻り、というような教えや信仰が存在するのはどうしたことでしょうか。
 理由はただ一つ、本当の意味で、主の復活を信じていないからです。
 復活の主を信じ、復活の主と共にいる人が、それほどまでに罪を強調するはずはありません。逆に言えば、復活の主に出会った喜びを知らない人ほど、罪を強調するのです。
 まずは、「主は復活した」という福音の原点を、信じてください。
 弟子たちの証言を、教会の生きた証しを、ミサにおける主の現存を、信じてください。
 復活の主に出会った人、その証言を信じた信者たちは、一つになってすべてのものを共有し、「喜び」と真心をもって一緒に食事をし、神を賛美していたと使徒言行録にあります。(2・44‐47参照)
 そのような喜びと一致があったからこそ、信者たちは「民衆全体から好意を寄せられ」たのであり、「こうして、主は救われる人々を日々仲間に加え一つにされた」のです。

 2014年の四旬節が始まりました。復活の喜びを新たにする、恵みのときです。
 四旬節第一主日の洗礼志願式では、38名の求道者が洗礼志願者となりました。まさに主は、「救われる人々を日々仲間に加え一つにされ」ています。カトリック多摩教会は、初代教会のような喜びに満たされている教会なのです。それはすなわち、主の復活を信じる仲間たちの教会である、ということです。そうでなければ、だれが仲間に加わりたいと思うでしょうか。
 洗礼はイエスの死と復活に与かることであり、やがて天に召されるときの真の復活の先取りでもあります。その意味では、人生は、天における復活祭を準備する四旬節、それも喜びの四旬節なのです。真の復活祭を待ち望みつつ、生涯キリスト者として、使徒言行録のペトロのように喜びと情熱をもって、主の復活を宣言していきましょう。
 「神はこのイエスを復活させられたのです。わたしたちは皆、そのことの証人です。それで、イエスは神の右に上げられ、約束された聖霊を御父から受けて注いでくださいました。あなたがたは今、このことを見聞きしているのです」(使徒言行録2・32‐33)

連載コラム:「6日+23時間はこの1時間のために」

連載コラム「スローガンの実現に向かって」第39回
「6日+23時間はこの1時間のために」

諏訪・永山地区 浜野 美穂

 皆さん、こんにちは。私は2010年4月4日に多摩教会で洗礼を授かりました。私たちが「晴佐久1期生」と呼ばれていることをあとで知りました。受洗までの道のりは感想文集に書きましたのでここでは述べませんが、とにかく「導かれた」としか言いようのない不思議な経過でした。偶然に見える出来事の偶然に見える積み重ね……しかしそれこそ神さまの計らい、必然だったのだと感じています。
 受洗してからもうすぐ4年になります。人間の恋愛モードは脳内ホルモンの分泌の仕組みにより3年が限度だそうですが、幸いに信仰の喜びはますます新鮮です。人生の半ばを過ぎて初めて出会ったカトリック、まだまだ知らないことばかりで、受洗後も入門講座に出続けています。できる時には真生会館の森司教さまの講座に出たり、いろいろな修道会の黙想会に参加したりしています。ご縁があってカトリック学校で2年間働くことができたのは人生の大切な思い出となるでしょう。

 以前の私も含めて多くの日本人は「特定の宗教に入ること」イコール「それ以外の宗教を否定すること」と思い込んでいて、だから家に仏壇がありお寺にお墓があり、初詣に神社に行き受験の時はお守りをいただき、結婚式は教会で……という生活を「クリスチャンになったら、すべて改めなければいけない。けれどそれはできない」と思いながら、何となく続けているのではないでしょうか。
 しかし洗礼とは、そのように服を脱いだり着たりするような生活様式のことではなく、自分の存在そのものの本質に気づくことだ、というのが私の実感です。神は愛であり、私は神に愛されてこの世に生まれ、「今日この時も生かされている」と知って感じる時に、心から喜びが湧いてきます。40代後半で私がやっと出会ったイエスさまの眼差しは、12年の長血を患ってイエスさまの服に触れた女性を見つめた、その愛の眼差しでした。そして神さまが私たちに望んでおられるのは「互いに愛しあいなさい」ということです。細かいことはどうでもよくなってきます。

 ミサに出始めた頃、晴佐久神父さまが「1週間の6日と23時間は、このミサの1時間のためにある」と仰ったのを聞き、さすがにそれはちょっとオーバーな表現ではないかと感じたことを覚えています。
 神父さまは最近のミサでもそう仰います。しかし今の私は「そうそう、そのとおり」と思って聞いています。これは私の信仰が成長した証しでしょうか?入門講座とミサというオアシスで、たくさんの恵みの水をいただいて、日々を支えられている私です。
 しかしそれに終わらず、私につながる多くの方を、もっとこのオアシスへいざないたいと思います。
 以下はある方がくださった言葉です。「あなたに会えて人生が好転したという人が現れたら、それは話を聞いてあげたからでも、良い言葉のアドバイスからでもなく、誰がそれを言ってくれたかなのです。あなたの人格に触れるからなのです」。
 もちろん、私の人格など欠点と弱点でいっぱいですが、私という一人の人間を通して、少しでもオアシスの風と香りを運ぶことができればうれしいな、と思っています。

「初金家族の会」3月例会報告

「初金家族の会」3月例会報告

担当: 志賀 晴児

 3月7日(金)、四旬節に入っての「家族の会」では、身近にあった微笑ましい話題を披露しあって、なごやかなひとときを過ごしました。

 次回は4月4日(金)午前11時から、初台教会の菅原 悟さんの「今の時代、神様は私たちに何を求めておられるか」と題してのお話を予定しています。

 ごミサの後、午前11時から、信徒館1階で行います。
 多数の方のご参加をお待ちしております。



◆下の画像は今年4月初めの桜と教会の様子です。クリックすると、大きくご覧いただくことができます。

教会全景

教会脇の桜



目は開かれた(受洗者記念文集)

樽井 (たけし)(仮名)

 2013年3月30日、神様から呼名(こめい)され、額に水を3度受けたとき、ある種次元の違う「気持ちのよさ」を感じていた。初めて味わう、「霊的な何か」である。カトリックの秘跡の凄さ、素晴らしさを実感した瞬間であった。私は真に生まれたのだ。

 2012年2月19日、よく晴れた日曜日、私は初めて多摩教会を訪れた。
 青い空の下に建つ白い教会。そのコントラストの美しさに小さな感動を覚えたことを記憶している。そして敷地に恐る恐る足を踏み入れると、満面の笑みを湛えた老信者の方が、「私の大切なお友達」と言って迎え入れてくださった。
 少しほっとして初めての入門講座に参加。その日はちょうど信徒総会の行われた日で信徒館は超満員。隅の方のテーブルで10数名がすし詰めになって入門講座は行われた。神父様は巡礼旅行から帰ってこられたばかりとのことであったが、お疲れの様子はみじんもなく、楽しい土産話とともにお土産を配られ、初めて参加した私にもお土産のメダイをくださった。
 その巡礼での出来事や洗礼志願式を控えた求道者の方々へ向けたお話を聞いているうちに、何とも言えず穏やかな異空間に身をゆだねているようで、それまで俗世間の沼地でもがいていた私は、何か一筋の光の縄を手向けられたような気がした。

 当時の私は、仕事のことと家族のことで毎日のように思い悩んでいた。
 転職を考えたこともあったが、大学受験を2年後に控えた子供のことを含めた今後の家族の生活を鑑みると、それもできない。また、そんな私を支えてくれるはずの家族は、(今思えば無理もないことでもあり、悪気もないのであるが)事態の重大さの理解が薄く、当事者意識も薄い。
 とうとう私は精神的に一人ぼっちとなってしまったという錯覚に陥り、「いったい自分は何のために苦しんでいるのか? 何のために生きているのか?」といった思いが日増しに強くなっていった。今まで大体のことは自分で解決してきたが、今回の事態は自己解決能力の限界を超えていたのだ。
 気が付くと、インターネットで近くのカトリック教会を検索して多摩教会を知り、電話をかけていた。
 「どうぞどうぞ。おいで下さい」。
 電話に出た方は、先述の、私を満面の笑みで迎えてくださった方であり、のちに代父をしていただいた方でもある。

 初めて多摩教会を訪れてから約1年、(()りつかれたように)入門講座とミサに通い続け、晴佐久神父様から語られる神様のみ言葉をシャワーのように浴びることで、自らに巣食うさまざまな負の思い(悪霊?)が洗い流されていき、希望が湧いてくるのを実感したのだった。
 また加えて、入門係の方々のきめ細やかな優しい心遣いや、入門講座を一緒に受講されていた信者の方々、求道者の方々、そして一般信者の方々との触れ合いの中で、ささくれ立った気持ちが滑らかに(なら)されていき、
 「もうだいじょうぶ。ご安心ください。神様はあなたを愛しています」、
 多摩教会のホームページのトップにある言葉が身体中の細胞に染み入ってきた。
 「だから生きているんだ」。
 「苦しみや試練は天の国へ入るためのプロセスなんだ」。
 いつの間にか、多摩教会を訪れるきっかけとなったことの解は出ていたのだ。

 それからというもの、「明日を思い煩うな」、「互いに愛し合いなさい」、「いつも喜んでいなさい。たえず祈りなさい。すべてのことについて感謝しなさい」といった聖書のみ言葉が生きる糧となっていき、自分が思い悩んでいたことのほとんどすべてを、肯定的に受け入れることができるようになっていったのである。
 「永らく眠っていた私を開眼させてくれた多摩教会で、ずっと目を覚ましていたい。父と子と聖霊の交わりの中にずっといたい」。そう思った私は洗礼を決意し、晴佐久神父様に許可を願い出た。
 「あなたを多摩教会の仲間として迎え入れます!」
 力強く言ってくださった神父様のお言葉によって、今までの人生で一番熱い涙が頬を濡らした。

 ここまで導いてくださった晴佐久神父様、代父様、そして入門係の方々をはじめとする多摩教会の皆様、本当にありがとうございました。感謝してもしきれません。
 これからは、「福音を語る者」として一生懸命頑張ってまいりたいと思います。どうか末永くご指導くださいますよう、宜しくお願いいたします。
 神に感謝✝

【目次】 2013年 受洗者記念文集

カトリック多摩教会では、2013年復活徹夜祭に25名の方が受洗されました。
受洗を記念して作成された文集のうち、ホームページに掲載を許可してくださった20名の方の文章を、
2013年7月26日から少しずつご紹介してまいりました。
2014年3月10日をもちまして、完了です。

ただ、その内容は古くはなりません。
いつでも、お読みいただけるよう、ホームページには掲載したままにさせていただきます。
これからも、ひとりでも多くの方と福音の喜びを分かち合うことができますように。

なお、無断でのコピー、転載は固くご遠慮ください。

ご覧になりたいタイトルをクリックしてください

主任司祭巻頭言

更新日主任司祭巻 頭 言
2013年7月 26日晴佐久 昌英 神父神がその名を呼ぶ

新受洗者(2013年復活徹夜祭)のことば

更新日新受洗者氏名(仮名を含む)タイトル
3月10日樽井 (たけし)(仮名)目は開かれた
2014年2月26日椎野 闘志郎(仮名)それは突然に
11月23日蒼井 春菜(仮名)洗礼
11月14日桜井 琴乃(仮名)もう大丈夫。私は生きていていいの・・・。
11月7日松原 清子(仮名)洗礼の秘跡にあずかって
10月31日青井 かおる(仮名)神のぬくもりによって
10月24日和泉 はるか(仮名)花のしたにて
10月9日本田 静香(仮名)洗礼を受けて
10月2日佐内 美香福音宣言
9月25日マグダラのマリア・飛鳥(仮名)受洗への思い
9月18日奥野 英美(仮名)神様とわたし
9月11日谷合 伸子導かれて
9月5日レイマン(仮名)洗礼までの道のり
8月29日有働 洋平(仮名)洗礼
8月29日桃井 尚美(仮名)生まれ直す
8月21日国広 星児(仮名)神に感謝
8月13日沖 温子(仮名)神様の御業に導かれて
8月6日坂本 宏喜信じる
7月30日宮原 瑠奈(仮名)放浪はおしまい
2013年7月26日光山 真理子(仮名)神様からの愛

 

それは突然に(受洗者記念文集)

椎野 闘志郎(仮名)

 それは突然、私の身に起こった。
 私は、フォーレの『レクイエム』を、混声合唱団の一員として、一心に歌っていた。ちょうど、第2曲「オッフェルトリウム」(Offertorium)の最終部、短調から長調に転調する部分だった。
 すると、2、30センチの台の上からポンと飛び降りて、着地するような感覚、むしろ子どもの頃、母親に抱き抱えられていた身体が、優しくぽっと地面に立たされて、「さあ、いい子だから自分で歩いてね」と言われた時の感覚を足先から膝にかけて感じた。
 専属聖歌隊練習後の、言わば「外部」の合唱団の練習は、すでに暖房が切られ、照明も一部しかついておらず、薄暗かった。
 2月5日、夜9時頃の東京カテドラル大聖堂はかなり寒く、団員たちは皆コートを着ていた。
 「あれ、何?」と、当然思った。思わず、天井を見上げた。
 すると聖堂の天井の一番高い部分から、スポットライトのような、もっと柔らかい、きらきら光る、ちょうどアルミ箔の小片が、真上の一点からの光を受けながら舞い降りてくるような「何か」が、私に降り注いでいるのが見えた。
 「何だ?これは?」と改めて思った次の瞬間、今度はつま先から上半身に向かって、自分の身体の中を、温かい、えも言われぬ気持ち良い感覚が込み上げてくるのを感じた。と同時に、私には全てが分かった。
 「私は、ここで歌うことが決まっていた。ここで歌うために、今までのことがあったのだ」と。

 今から37年前、高校生の私は、通っていた中・高一貫のカトリックの男子校に聖歌隊がないのを不満に思っていた。
 「なぜないのだろう?ミサの時、中心になって歌う者がいないと困るじゃないか」。校内の音楽関係のクラブは、ブラスバンド部とギター部があったが、ブラバンでは大げさすぎるし、ギター部は、フォークやロックばかりで、とてもミサにはなじまない。
 「よし、ないならつくるまでだ」と、簡単に考えた私は、中学からともに活動してきた通称カト研(カトリック研究会)の仲間を中心に、聖歌隊を組織した。一学年200名足らずの学校で、学年を超えて30名程度の聖歌隊が誕生した。
 しかし、一部教師達からは、学校側の未公認の活動であることを理由に、露骨な嫌がらせを受け、友人達の中にも「学校のまわし者、(いぬ)。」と、ののしる者も少なからずいた。
 近くのカトリック教会にも熱心に通った。当時の横浜は、学連(カトリック学生連盟)という組織活動が盛んで、聖書研究を中心とした勉強会や黙想会を行い、そして教会の枠を超えた親睦を深める催しも多数行われていた。
 もちろん私も、メンバーの一人として一生懸命活動した。「一日も早く洗礼を受けたい」と思った。今思い返しても、熱い思いでいっぱいであった。
 なのに、教会の神父様も「まだ早い」と、洗礼を認めてくださらないし、家族からも反対されて、「なあに、認められないならば、戦うまでだ」と、ちょっと意地になっていた。
 当時の私は今思うと、善か悪かの二者択一でしか考えられない価値観と、何々しなければならないという、教条主義的な考え方に支配されていた。当然、他人に対してもミスを認めず、厳しくあたっていた。
 そんなこんなで、大学受験があり、就職があり、社会人となってからは、休む間もなく働く毎日。いつの間にか結婚して、子どもが生まれて、ますます休む間がない毎日。あれほどまでに熱心に通った教会も、あれほどまでに熱望した洗礼も、日々の生活にすっかり追われ、全く意識から消え失せてしまった。
 たまに思い出しても「あれはちょうど、熱病みたいなものだったんだな」ぐらいに思っていた。

 ところが今から4年前のある日。
 私が仕事から帰宅すると、高二の息子がえらくはしゃいでいた。理由を尋ねると、通っている学校の高三を除く全学年で行われた合唱コンクールで自分のクラスが一番になったという。
 息子の話を聞いた瞬間、息子と同じ年齢の自分の姿が思い出された。
 あの時、非常勤の合間を縫って、聖歌隊を無償で指導してくださった音楽の先生に、急に会いたくなった。いてもたってもいられないほど、無性に会いたくなった。
 早速インターネットで調べた。何と先生は、私の住まいのすぐ隣、国立で、混声合唱団を指導していらっしゃるではないか! 早速、合唱団の練習場所と日時を調べ、練習の終わりを見計らって、会いに行った。
 すると先生は、「皆さん、私の30年来の友人です」と私を紹介して、それを聞いた団のメンバーは、歓迎の歌まで歌ってくれた。
 「いいえ、違うんです。わたしは入団するつもりは・・・・」。
 どうしたことか、あれよあれよという間に、合唱団に入団してしまった私。
 すると次に、聖歌隊で先生が不在の時の指導と、電子オルガンを弾いてくれた同じ学年の友人に会いたくなった。これまた、いてもたってってもいられないほど。
 そして何と何と、彼は私の家のすぐ近くの(多摩)教会に毎週来ているではないか!不思議なことが、よく続くものだなと、思った。
 その彼とも、高校卒業以来実に32年ぶりに再会し、私自身は教会に通うようになったわけではないが、メールで音楽を中心とした話題をやり取りするようになった。

 そして去年、東日本大震災からちょうど1年にあたる3月11日、亡くなられた方を追悼し、被災地の復興を祈念する、チャリティー・コンサートが、東京カテドラルで行われることとなり、私の所属する合唱団が、被災地であり、また、今日もなお原発による放射能に苦しんでいる南相馬の合唱団とジョイントで出演することが決まった。
 このリハーサル中に起きたことが、冒頭に述べた内容である。
 復興祈念コンサートも、大変な感動のうちに無事終了し、私はこの間、自分の身に起きた神秘的な体験を、教会に通う友人に語るために、多摩教会を訪れた。
 去年の4月8日。復活祭の日である。
 私は、友人の彼と、神父様にできる限り正確に、写実的に述べたつもりである。もっともかなり興奮して。
 神父様は、次のように言われた。友人が私に語ったのと全く同じように。
 「それは、間違いなく聖霊の働きです。音楽を媒体として神様があなたを導いて下さった。今あなたが教会に来たということは、そういうことの証しなのです」。
 そしてその証しを、もはや疑いようのない事実として、私が認めざるを得ない出来事が続いて起きた。教会に来た1日目の私に。
 それは「神父様叙階25周年、銀祝のお祝いコンサート」のお手伝いとして、私も歌わせていただくこと。
 なるほど、私があの練習中寒さの中で感じた直感はこういうことであったのか。
 音楽と私の周囲の人を通じて、私は神様に間違いなく導かれたことを確信した。

 「神様、長かったこの37年間という歳月も、本当に意味があるのですね。私は、もうあなたのことを忘れません。そしてそのあたたかい愛の中に生きていることを全身で感じとることができるようになりました。本当にありがとうございます。
 これからは自分で何々しなければならないと自分を追い詰めるのではなく、神様がお示しになる声を、祈りの中で聴き、見るように致します。全ては御心のままに。アーメン!」