報告:教会学校の合宿に参加して

教会学校の合宿に参加して

塚本 清

 今年の教会学校の小学生の夏期合宿は、7月25日(金)から26日(土)に多摩教会で行われました。参加者は、幼児2名と小学生10名で、15名近くの大人がリーダーやお手伝いとして協力しました。

 25日は集まって、聖堂でお祈りをしてから、電車に乗って淵野辺にあるJAXA(宇宙航空研究開発機構)相模原というところに出かけました。この日は年に1回の特別公開の日で、科学衛星や探査機、ロケットをはじめとした宇宙の研究や開発についての展示や講演、実験などが行われていました。少し難しい内容のものもありましたが、どれも興味深いものばかりで、見るもの聞くもの全部が楽しかったようです。
 そこで見学をして、昼食を食べてから電車に乗って、多摩センターまで行き、極楽湯という温泉に入りました。ここは去年も行ったところですが、ふつうのお風呂のほかに露天風呂や水風呂もあり、とても楽しかったようでした。
 そして教会に戻って、夕食を食べてから、持ってきた空のペットボトルを半分に切って、シールや造花で飾ったり、ペンで絵を描いたりしてキャンドルホルダーを作りました。このホルダーにキャンドルを入れて、夜のキャンドルファイヤーで使いました。
 そのあと、2日目のミサの分担を決めてから、ダンスをしました。これは、今年の聖劇ではダンスを取り入れようということで、ダンスの上手な森さんという方に教えてもらって、みんなでダンスを楽しんだのでした。
 そして、最後にキャンドルファイヤーをしました。先ほど作ったホルダーに火をともしたろうそくを入れてから並べ、神父様のお話を聞きました。そのあと2階で就寝となりました。
 

 26日は、朝食後にミサで奉納する作品を作りました。
 各自のお祈りを書いた折り紙を星の形に折り、そのほかにもUFOや宇宙人などを作って貼りました。出来上がった作品はミサの時に奉納しましたが、信徒館1階に展示してありますので、ご覧ください。この奉納物作りでは、藤城さんがリーダーを担当してくれました。
 なお、1日目に作ったキャンドルホルダーも、各自で家に持って帰ったので数は少ないですが、信徒館の奉納物のところに置いてあります。
 そのあと、今年初聖体を受けた小学校2年生を中心に侍者の練習を聖堂で行いました。そしてミサは、晴佐久神父様が体調を崩されたため、ミカエル神父様の司式でしたが、子どもたちは侍者や先唱、朗読や奉納など、自分が担当したところで力を発揮しました。
 ミサの後はお待ちかねのスイカ割りをして、昼食のときにみんなで食べました。そのあと掃除をして、合宿の感想文を書き、最後に聖堂でお祈りをして解散しました。
 

今年も合宿に参加して、みんなで楽しい時間を過ごせたことと思います。
 今年の合宿のテーマは「宇宙」でした。JAXAに出かけ、各自のお祈りを星の形にして、ミサでは天地創造と、ご降誕で博士たちが星に導かれるところを聞きました。合宿の中で、宇宙の作り主である神様のことを感じることができたでしょうか。
 最後になりましたが、この合宿でご協力いただいた皆さんに感謝したいと思います。本当にありがとうございました。
 

「初金家族の会」からのお知らせ

「初金家族の会」からのお知らせ

担当: 志賀 晴児

 8月の当会はお休みしましたが、9月5日(金)の初金ミサの後、11時からまた集まりましょう。
 この度は、ベリス・メルセス宣教修道女会からメキシコに派遣されて、福音宣教に励んでおられるシスター真神 シゲさんのお話を聞くことにいたします。シスターはメキシコだけでなく、これまで長年、ペルー、ニカラグア、グアテマラなどで身寄りのない、あるいは障害のある子供たちの世話をしながら、福音を宣べ伝えてこられました。
 シスターのお話を聞きにご参加ください。

巻頭言:主任司祭 晴佐久昌英「さかさま社会」

さかさま社会

主任司祭 晴佐久 昌英

 「これは、日ごろつらい思いをしている、あなたたちのためのお祭りです。主催者は神さまです。信頼して、安心してお過ごしください」
 「心の病で苦しんでいる人のための夏祭り(通称ここナツ)」の冒頭、そうご挨拶しました。日ごろ、自分なんかは楽しんじゃいけないんだとまで思っている方たちに、なんとか、いまここにある喜びを味わっていただきたいという企画です。
 当日は、100人以上の方たちが夕刻の癒しのミサに参加し、炭火の焼き鳥やかき氷をいただき、魚釣りゲームや花火を楽しみ、互いに紹介しあって友達を増やし、日ごろのつらい気持ちを語り合って過ごしました。落ち込みがちな気分や不安を抱えながらも、神さまに愛されているという喜びをわかちあったひと時は、まさに天国のようでした。
 有志で集まったスタッフは5月から話し合いを重ねてきましたし、当日も多くのボランティアに手伝って頂きましたが、参加者に少しでも「自分は大切にされている」と感じてもらえたなら、準備してきた者の苦労も報われるというものです。
 おみやげにお配りした聖句入りの手作りのウチワを手に、名残惜しそうに家路につく参加者を見送りながら、ああ、本当にやってよかったと思いました。

 心の病を抱えているひとりの青年が、「早く社会復帰したい」と言っていました。当然の願いですし、そのための協力も惜しみませんが、いったいどこに「復帰したい」と言っているのでしょうか。その「社会」とは、どんな社会なのでしょうか。
 心の病の苦しさは、まさに心の中のことと思われがちですし、本人も自分が病んでいると思い込んでいますが、実は相当程度、その人の育った環境、関わっている社会に問題があるのです。環境が過酷で、社会が病んでいるならば、その中で心が病むのは自然な反応だということもできます。そのような人は、病んでいる社会に適応しようと、無理に無理を重ねてきたわけですから。もしそうならば、安心できる環境を整え、ストレスのない社会を用意すれば、「病んでいる」人も、相当程度救われるはずです。
 教会家族という現場が目指しているのは、まさにそのようなくつろげる環境、だれでもホッとできる社会です。それは弱者の弱者による弱者こそが中心となる社会であり、この世から見れば「ちょっとおかしな」集いかも知れませんが、その現場にいる人からすれば、むしろこちらの方が本当の社会だ、ここにこそ健康な仲間がいると言える集いです。
 考えてみれば、だれもが本質的に「弱者」であるはずですし、みんな「強者」を振舞うことに疲れ果てているのですから、ある意味では、疲れ果てて壊れそうになっている人が、教会家族のような場へ「早く社会復帰したい」と言う時代が来ているのかもしれません。

 周りがみんな病んでいるときは、自分の病に気づかなくなります。
 「経済成長」が大事だと言えばだれも反対しません。しかしそもそも、経済は「成長」していいものかどうか、経済にとって、だれをも幸福にする真の成長とはどのような状態であるのか、だれも問いません。そこを問わない社会に必死に適応しようとして、若者たちは不条理劇のような就活で心身をすり減らし、何とか就職できた「勝者」も、非人間的な労働を強いられて、結果、優しい人から順番に壊れて使い捨てられていくのです。
 表向きは美論正論を述べながら、陰では自分の利益だけを追求する権力機構が巧妙に振る舞う社会は、まさに陰謀に怯える統合失調的被害妄想を増長させる、格好の環境です。一国の責任者が有事の恐怖を言い立てる被害妄想や、放射能を管理できると言い張る誇大妄想が、どれだけ人々の心を不安定にし、心の病を重くしていることか。

 教会は、神の国の目に見えるしるしです。現代社会に適応できずに心を病んでいる人ほど、実は霊的にはとても健康なのだという、「さかさま社会」です。たとえ社会からはじかれても、ここにこそ本当の社会があり、ここにこそ信頼できる仲間たちがいると感じられる恵みの場です。世界はこれを模範とし、希望とするべきです。
 世界中で「ここナツ」が開かれるときこそが、神の国の到来の時なのですから。

連載コラム:「『マルタ、マルタ』と主は呼んでくださった」

連載コラム「スローガンの実現に向かって」第43回
「マルタ、マルタ」と主は呼んでくださった

貝取・豊ヶ丘地区 山藤 ふみ

 受洗6年目になる山藤(さんとう)ふみと申します。よろしくお願いいたします。
 教会は祈りの場であるという方がいます。カトリック多摩教会の祭壇を納めた方に、大川さんという方がいます。その方の祈る姿を拝見したとき、まさしく「神に近づく」祈りを捧げている方だと見惚れてしまいました。私は、カトリックの場合は特に、教会活動全体が生涯教育の場であり、その活動を通して「祈り」と「心のオアシス」が広がっていくという印象を持っています。

 いつか何かお手伝いしたという気持ちは持っていましたが、現実の私は、土曜夜のミサ後は、ほうきにまたがる魔女よろしく、さっと暗闇に消えていました。その結果、ごく少人数の方のお名前と顔が一致するだけで、まずい状態でした。
 その少人数の中に、波田野洋子さんがいらっしゃいました。お会いするたびに印象に残りました。台所の作業台に大きなボウルを置き、一心にジャガイモの皮をむいていました。後で、有名な「波田野さんのコロッケ」の下ごしらえをしていたのだと知りました。
 夏祭りかバザーの当日でした。橋の下を荷物を持って歩いていらっしゃるのに出会い、声をかけると、「朝6時に田舎を出て、3回乗り換えて、やっとたどり着いたの。今日は、お昼で失礼しようと思って」と、おっしゃいました。夕方まで皆に声をかけられ大活躍されていました。
 次の日偶然、教会に立ち寄ると波田野さんも来られていました。「お疲れでしょう」と言うと、「まあね。昨日、大勢で台所を使ったので、ちょっと見に来たの」とおっしゃって、五徳を磨いたり、布巾を石鹸で洗ったりと、片づけものをされていました。私などは、当日、半日働くだけでも「面白かったけど大変!」と言ってしまうので、黙って頭を下げました。
 波田野さんが「コルベ会」の方であると知ったのは後のことです。

 カトリック多摩教会の「守護の聖人」は、ポーランド出身のマキシミリアノ・マリア・コルベ神父(1894年1月8日〜1941年8月14日帰天)です。
 コルベ神父の生涯は、波乱に満ちたものでありがながら、終生「無原罪の聖母マリア」の霊性の中にあり、「いつもみ心のうちに」と信仰を守りとおした生涯でした。「ペンは剣よりも強し」と言いますが、聖母の騎士社の出版物を通しての宣教と聖書のすべての聖句の信仰と実行が、アウシュビッツでの身代わりの申し出と死に、まっすぐつながった生き方を示した方でした。
 多摩近在のカトリック信仰をもつ方々が新教会を建てるにあたり、多くの方の御尽力と御縁があって聖コルベ神父を「守護の聖人」として掲げられたことは、不思議なお恵みを頂いたのだと、お御堂に入るたびに思います。

 「コルベ会」は10数人のメンバーが、数十年もの長い間、コツコツと研鑽を続けてきたグループです。
 メンバーの高齢化や、諸般の事情により、活動を縮小されて継続してきたものの、2014年3月で閉会を公表されました。「コルベ会」は、教会や福祉への協力と、自立や親睦を目的として活動してきたとのことです。
 甘夏ピールやソースづくりに参加されていたメンバーの方々は、「プロ集団」としての気迫がありました。一人ひとりの方が、仕事の流れの中で、ご自分の立ち位置を承知していて、手際よく働いていました。人によって「仕事に行く時間なので」と簡単に挨拶を交わし、出て行かれました。「必要なところに必要なだけ」が、長年の奉仕の中で身に付いている気持ちの良い、すがすがしさでした。

 「マルタ、マルタ、大切なことはひとつ」と主は言われました。
 「コルベ会」の継続は大切なことと考え、立候補にたどり着いた私です。

「初金家族の会」7月例会報告

「初金家族の会」7月例会報告

担当: 志賀 晴児

 梅雨空の7月4日、初金ごミサで晴佐久神父様は、「イエス様の、『私は正しい人を 招くためでなく、罪人を招くために来た』というみ言葉をマタイが耳にしたときの喜びはさぞや大きかったことでしょう。ダメダメ人間同士の私たちの集まりでも、神様は愛してくださっているのです」と話されました

 続いての初金家族の会、卓話担当は多摩教会の広報で活躍中の小野原さんでした。小野原さんはこれまで、ニューヨークと南太平洋フィジーでの国際機関で9年間働かれ、その後東京の外国政府機関でも20年以上にわたり広報業務を担当されています。
 小野原さんは、滞在中のニューヨークでの、ジョン・レノンや郷ひろみさんにまつわる興味深いエピソードや、南太平洋のフィジーでは、「やったー!楽園パラダイスだー!」と喜んだのもつかの間、軍事クーデターに遭遇、兵士から頭に銃を突きつけられた事件など、わくわくドキドキのお話しがいっぱいでした。

 なお8月の家族の会はお休みとして、次は9月5日(金)午前11時からです。
 皆様、どうぞ初金ごミサのあとの、なごやかな「初金家族の会」にご参加ください。

巻頭言:主任司祭 晴佐久昌英「おうちミサ」

おうちミサ

主任司祭 晴佐久 昌英

 梅雨に入り、毎日雨が続いていますが、みなさん、体調はいかがですか。
 湿度が高く、温度や気圧の差が激しいこの季節は、体調の思わしくない方も多いのではないでしょうか。
 そういえば、つい先日、弟から電話がありました。
 「あるところで、『晴佐久神父が大変体調が悪いらしい』と聞いたけれど、大丈夫か」と。
 いったいどこでそんな噂が広まっているのか知りませんが、笑って即答しました。
 「聖書に手を置いて誓いますが、わたくしは今、申し訳ないほど体調良くて、すこぶる元気に過ごしております。どうぞご心配なく」。
 むしろ最近は、夕方に一時間ほど歩く習慣が身についたせいで、ますますいい感じです。
 たぶん、わたしの無愛想な表情や、弛緩した振る舞いのせいだと思うのですが、叙階してから27年間、わたしはずーっと、面白いほど同じことを言われ続けてきました。
 「顔色がお悪いですね」「お痩せになったみたい」「どこかお加減が悪いんじゃないですか」
 そんな病人が全国を飛び回って講演したり、大群衆の集まるローマの列聖式に出かけたり、毎夏無人島に大勢の青年を連れていったりしたら、とっくに命を落としていそうなものですが。「どうぞみなさん、むしろご自分の心配を」というのが正直な気持ちです。

 実際、調子が悪いときは無理をなさらずに、お体を大切になさってください。
 たとえば、ミサは大切ですが、ミサに集まれるのも体あればこそ。無理して出かけて体調を崩しては元も子もありません。この季節は、熱中症も心配です。体調すぐれないときは大事を取って、「おうちミサ」をすることを、主任司祭として許可いたしましょう。
 「おうちミサ」とは、ミサの時間に合わせて我が家でお祈りすることです。もちろん秘跡に代わるものではありませんが、やらないよりは100倍良いですし、イエスさまはちゃんと共にいて、特別の恵みを与えてくださるでしょう。

 準備するのは小さな十字架をひとつと、聖書と典礼があれば十分です。もしあれば、ろうそくに火をともし、聖歌集も用意します。
 ミサの時間が来たら、十字を切り、回心の祈りを唱え、憐みの賛歌と栄光の賛歌を歌い、集会祈願をお祈りします。
 続いて第一朗読を朗読し、答唱詩編を歌い、第二朗読を朗読し、アレルヤ唱を歌い、福音書を朗読します。聖書と典礼に全部載ってますから、出来るはずです。その日の説教は、翌週までにはホームページの「福音の村」に載りますから、後でお読みください。前週までの説教から選んで読むのも、いいかも知れません。それから信仰宣言をし、共同祈願を唱えます。おうちミサでは自由にお祈りできますから、たくさんお願いしたらいいと思います。
 ついで奉納祈願をお祈りし、感謝の賛歌(聖なるかな)を歌います。主の祈りを唱えて、平和の賛歌(神の小羊)を歌います。そうしていよいよ、霊的聖体拝領をします。霊的聖体拝領とは、信仰によって魂の世界でご聖体を拝領することです。「キリストのからだ、アーメン」と唱えて胸に手を置き、主をお迎えします。
 最後に拝領祈願をお祈りし、十字を切って終わりです。歌が苦手な方は歌のところを省いても構いませんし、得意な方は開祭や閉祭の歌も選んで歌ったらいいでしょう。
 ちなみに、そんなおうちミサのためにも、次週以降の聖書と典礼を持ち帰っておくことをお勧めします。これは、ミサに来られるときは忘れずにお持ちください。

 もっとも、疲れているとき、気分のすぐれないときは、十字をひとつ切るだけで充分です。あとは聖堂で祈る仲間たち、また全世界のミサで祈っている仲間たちにお任せして、大船に乗った気持ちでお休みください。
 離れていても心はひとつ。体は聖堂に行くことはできなくとも、祈りのうちに霊的に一致していれば、ご自宅はもはや聖堂の一部です。逆に言えば、聖堂は体調の悪い仲間たちのご自宅の一部です。いつもそんな一致を意識しながらミサを捧げましょう。
 もちろん、長期にわたってミサに来られないときなどは、司祭がご聖体をお持ちしますから遠慮なくお申し出ください。ご聖体は、病床訪問グループのメンバーがお届けすることもできますし、司祭の許可があれば、信者のご家族が持ち帰ることもできます。これは、短期でも可能です。
 かくいうわたしも、いつかはホントに「大変体調が悪く」なり、それこそ「ベッドミサ」しかできなくなる日が来るかもしれません。聖堂でミサを捧げられる日々がどんなに恵まれているかをいつも忘れずに、一つひとつのミサを、感謝をこめてお捧げしようと思います。

連載コラム:「私のオアシス」

連載コラム「スローガンの実現に向かって」第42回
「私のオアシス」

諏訪・永山地区 小川 紀子

 皆様、こんにちは。私はカトリック多摩教会で、皆様のお仲間に入れていただいて3年少々です。まだまだ、カトリックについて分からないことも多く、諸先輩に伺ったり入門講座で神父様にお尋ねするという日々です。そんな私ですから大勢の先輩の信者さんの前で特に語るべき言葉もなく、この原稿を頼まれた時、心では「無理、無理、絶対無理!」と叫びつつ、でも断ったら係の方が困られるだろうなあと、つい格好をつけ引き受けてしまいました。「しまった!」その結果、パソコンの画面を睨みながら「うーん!」と言葉に詰まっている私です。

 今でこそ毎週末、いそいそと多摩教会のミサに通っていますが、それでも「人生、この年になってもまだ、何が起こるか分からないなあ!」というのが素直な気持ちです。
 私は多摩市に住んで久しく、家も偶然、多摩教会の近くにあります。四季折々、川辺を散歩して白く美しい多摩教会を見上げながら、「残念だけど、この教会に私が足を踏み入れることは、まずないなあ」とずっと思っていました。
 でも、特にカトリックというものに偏見を持っていたわけではなく、大好きな教会音楽、勝手に人生の師と仰ぐ犬養道子女史、そしてマザーテレサ、むしろ私の大好な方々は皆さんカトリックの方でした。そして、最近まで気づかなかったのですが、私が20代の頃からずっと大切に思っている日本二十六聖人もカトリックの信者さんだったのですね。

 私は、その昔、地方の片田舎で救世軍の路傍伝道に感化を受けクリスチャンになった父を持ち、幼い頃から日曜日は家族みなで教会に通う家に育ちました。そんなわけで、その後、大人になりあちこち転居しても、その地その地にあるプロテスタント教会にお邪魔して大変お世話になりました。
 親しい友人に誘われ一度だけのつもりで初めて多摩教会に伺った時、それこそ聖堂へ続く階段はアイガーの北壁のように高く思われました。それが、ひと言で言えば「神の摂理」ということでしょうか!全くもって人生何が起こるかわからない!今では帰るべき我が家が、カトリック多摩教会です。

 今、私が多摩教会で一番好きな場所は祈りこめられた聖堂です。
 そして、聖堂に掲げられている十字架とキリスト像を見つめながら、神父様のお話を伺っている時は、まさに心安らぐ至福の時です。日常の雑事を忘れ、心のエネルギーとして御言葉を蓄えます。ひたすら「主よ、憐れみ給え。主よ、憐れみ給え。と皆さんと一緒に声を合わせ祈る時、まさにここが私のオアシス」の瞬間です。
 神父様のお話を伺いながらそっと目を閉じます(決して眠くなったわけではありません)。2000年前のイエス様もイスラエルのガリラヤ湖畔で、こんな風に語られていたのでしょうか。イエス様を慕うたくさんの信者さんと一緒に私も野の花が咲く草の上に腰を下ろし、顔にそよ風を受けながら、一心不乱にその福音に耳を傾けているような錯覚を覚えます。
 美しいミサに毎週通い、神父様が語られる福音を聞き続けて最近思うことは、昔より生きることが楽になったということ。
 3度もイエス様を知らないと言ってしまったペトロを、それでも赦しながら見つめておられるイエス様の深いまなざし、「あのまなざし」は、まさに私のためのまなざしです。
 これからも健康を許され、なんとか万障繰り合わせては、いそいそとミサに行きたいと願っています。

巻頭言:主任司祭 晴佐久昌英「お墓の上の列聖式」

お墓の上の列聖式

主任司祭 晴佐久 昌英

 午前2時に起きて、午前3時にホテル出発。
 ヨハネ・パウロ2世教皇の列聖式に参列するために、巡礼団はまだ暗い道を歩き出しました。バチカン近くのホテルをいち早く押さえた巡礼団としての使命感もあり、異例の早朝出発となりましたが、すでにバチカン近くの道は各国のグループで溢れ、サンピエトロ広場とその前のコンチリアツィオーネ通りは徹夜組でいっぱいでした。
 ぎゅうぎゅう詰めの人込みの中、なんとか遠くに祭壇の見える正面まで進むことができましたが、結局、式が終わるまでの9時間、全く身動きが取れずに立ちっぱなしという、極限体験をしました。満員電車に9時間乗っていると想像してください。80歳を越えた参加者も含め、全員その間トイレにもいかずに過ごしたのです。もっとも、トイレを使わずに済むようにと、みんな起きてから飲まず食わずだったのですが。
 全世界の信者たちがひしめきあう中、押すなとか割り込むなとかの小競り合いはいくつかあったものの、全世界から集まった信者たちが互いに譲り合い、祈り合いながら、家族的な気持ちで集まっている様子は、さすがは列聖式と言うべきでしょう。
 特に聖体拝領の時、ご聖体を持った司祭たちが来る通路付近は大混乱になりましたが、それでもなんとか一人でも多く拝領させてあげようと、互いに協力しあう様子は感動的ですらありました。すでに拝領が終わった人たちが、まだの人の体を支えて持ち上げ、その手を引っ張って司祭のほうに差し出す姿を見た時は、秘跡を信じる仲間たちの熱い思いが胸に迫って、涙が出そうになりました。

 みんな、あの教皇様が大好きだったのです。あの旅する教皇、空飛ぶ秘跡の使徒が。
 私にとってのヨハネ・パウロ2世教皇は、人生において教皇というものを意識した、最初の方です。それまでは教皇なんて、どこか遠くの世界の人で、正直どうでもいい存在でした。しかし、ポーランド出身の若きパパさまは、全世界129か国を飛び回り、人々に福音を語りかけ、日本にまで来て神の愛を証ししたのです。たぶんそのとき、幼児洗礼の私は、教皇というものを始めて意識したと同時に、「カトリック教会」の本質を始めて意識したのだと思います。イエスさまからペトロを頭とする使徒へ受け継がれ、今日のこの私の信仰へと連なる、聖なる普遍教会の本質を、誇りと共に。

 列聖式はそのような思いを新たにするのには格好の場でした。
 なにしろ、第261代教皇ヨハネ23世を列福したのは、第264代教皇ヨハネ・パウロ2世であり、この第264代教皇を列福したのは、第265代教皇ベネディクト16世で、その第265代教皇が共同司式する中で、第266代教皇フランシスコが、第261代と第264代教皇の列聖式を司式しているのです。
 第1代のお墓の上で。

 バチカンは言うまでもなく、歴代の教皇のお墓であり、歴代の教皇の誕生の地でもあります。列聖式の翌々日、そのお墓と、誕生の場を巡礼しました。
 サンピエトロ大聖堂に入ってすぐ、右側のピエタ像の隣の脇祭壇に、聖ヨハネ・パウロ2世教皇の石棺が安置してあります。また、その先、秘跡の小聖堂の先に、聖ヨハネ23世教皇のガラスの棺が安置してあり、ご遺体を見ることができます。その先、教皇祭壇の下が、聖ペトロのお墓です。
 また、裏手からバチカン美術館に入館すると、システィーナ礼拝堂にも入ることができます。言うまでもなく、教皇選挙の行われる、教皇誕生の場です。入って奥の左側、再び美術館へ戻る方の出口の上の壁に、イエスさまが聖ペトロに天国の鍵を渡している絵が描かれています。イエスさまがペトロに「あなたの上に教会を建てる」と宣言している場面です。まさにそのペトロのお墓の上に、サンピエトロ大聖堂が建っているわけですが、歴代の教皇は、選ばれた直後、この絵の下で祈るそうです。絵の中のペトロは、片手で鍵を受け取り、「この私が?」と言うように、もう一方の手を胸に当てています。
 新しい教皇の誕生は、第一代から続いてきた天国の鍵が、また新しい世代へと受け継がれる瞬間でもあるのです。



◆巡礼旅行の画像です。それぞれ、画像をクリックすると、拡大表示されます。◆

列聖式巡礼 列聖式巡礼2