報告:武蔵野ダルク 渡邉 肇さんの講演会

武蔵野ダルク 渡邉 肇さんの講演会報告

塚本 清

 9月14日(日)のミサ後、約50分ほどでしたが、聖堂で武蔵野ダルクの渡邉 肇(わたなべ ただし)さんの講演会がありましたので、ご報告します。
 5月の司牧評議会で、晴佐久神父様から薬物依存の方のリハビリのために活動をしている武蔵野ダルクを多摩教会も支援していこうとのお話を受けて、活動資金への支援を始めました。また武蔵野ダルクの活動について代表の渡邉さんのお話を聞くということで、講演会を開催することになりました。以下は、渡邉さんの講演の要旨です。

1.ダルク(薬物依存者のための回復リハビリ施設)について
 1985年、薬物依存の方のリハビリのための活動が東京の三ノ輪近くで誕生しました。初めは、アルコール依存症の方のための活動でした。
 渡邉さんは当時田無教会に所属していましたが、薬物依存症でした。その時の年齢は19歳で、今から30年ほど前のことでしたが、ダルクでのリハビリを受けることができました。その後、アメリカ大使館、そしてニューヨーク、フィラデルフィアのカトリック教会の方々の支援で日本の活動が支えられてきました。渡邉さんはアメリカにも行き、その後日本に戻って、ダルクの活動を始めました。当時は刑務所を回っていました。
 

2.武蔵野ダルクについて
 2年前から高幡教会に場所をお借りして、武蔵野ダルクの活動を開始しました。
 日本では、薬物依存者=危険人物という刷り込みがありますが、実は薬物依存の方は繊細で優しい人が多いのです。刑務所に入っている6万人のうち2万5千人が薬物依存者ですが、皆が止めたいと思っているのです。薬物依存症は病気なので、治療が必要です。そのためには地域社会で取り組む必要があります。フランシスコ教皇も「social inclusion」を唱えています。日本の役所は人事異動があるので、継続して取り組むことに難しさがあります。
高幡不動に女性のためのダルクを作りました。NPO法人にはしていません。神様にゆだねていく、神様に信頼していくプログラムにしています。日中の農作業にも多くの人たちに協力していただいています。このダルクは日野市にありますが、多摩市の方も来ています。
 今困っていることは、お金のことです。事務的な仕事をする人も必要です。女性のハウスなので、男性が入れないところもあります。大家さんからは、今のハウスから出て行ってくれと言われています。日野の社会福祉協議会は協力的ですが、警察は協力的なところと、そうでないところがあります。
 ダルクは薬物依存者にとって最後の砦になってきていると思っています。ダルクとは「Drug Addiction Rehabilitation Center」の頭文字をとったものです。旗をご覧いただくとおわかりになると思いますが、DとAとが十字架でつながっています。
 顧問医には、香山リカ先生が就任してくださっています。
 ここで、ハウスに入っている方と後援者の方にお話をうかがいたいと思います。
 

3.ハウスに入寮している女性の方の発言
 私は14歳から22歳までドラッグに依存していました。自殺未遂もしましたが、ダルクに入って今はドラッグが止まっています。
 

4.後援者の方の発言
 私は川崎の鷺沼教会に所属しています。勤務先は池袋にあるクリニックですが、そこでは薬物依存者を受け入れています。欧米には治療共同体という概念があります。それは当事者の方にしかできないことがあり、仲間と一緒に回復していくことが必要という考え方なのです。いま話をしていただいた女性のように、人前で自分のことを話すことも回復になるのです。
 

5.渡邉さんのまとめの言葉
 日野のダルクには、多摩市の中高生も来ています。家に帰っても親がいないこどももいます。今日は資料も用意しましたので、お持ち帰りください。幸田司教様も素晴らしい文章を寄せてくださいました。献金など皆さんのご協力もお願いします。
 

6.質疑応答
(Q)ダルクでの生活はどんなものなのですか。
(A)規則正しい生活をし、日中は農作業などもしています。入寮者と通所者がいます。
(Q)年齢はどのくらいなのですか。
(A)20代の方です。
(Q)薬物依存症でいう「薬物」とはどのようなものを指すのですか。
(A)いわゆる脱法ドラッグもありますが、薬局で売っている薬で依存症になる人もいます。たとえば、咳止めの「ブロン」を日に300錠のんでいた方もいました。多摩センター駅付近には、ドラッグを売っているところがあります。そのほかにもスマホやネットを使い、宅配便で送ってもらうということもあります。
 

7.晴佐久神父様より
 今日はありがとうございました。これからもダルクとは、つながりをもっていきたいと思います。ダルクは多摩教会の家族となりました。

「初金家族の会」からのお知らせ

「初金家族の会」からのお知らせ

担当: 志賀 晴児

 9月5日(金)の集まりでは、現在メキシコ南部の村、一面砂糖きび畑でマヤ文化の遺跡の残るソヤの手づくり修道院でご活躍、一時帰国中のベリス・メルセス宣教修道女会のシスター真神(まがみ)シゲ様のご体験を伺いました。
 シスターは光塩女子学院で長年教職を勤められ、その後の第二の人生を、ニカラグア、ペルー、グアテマラ、そしてメキシコと、中南米の国々で、それぞれの地域に溶け込んでの捨て身の宣教活動に励んでこられた方です。

 乾季には半年もカラカラ天気、雨季にはすべてがビショビショという厳しい気象条件の中で、毎日の食事つくりをはじめ、畑の草取りに汗を流しながら、洗礼、初聖体、堅信などでは代父、代母の研修までも引き受け、少人数で走り回っている神父様方不在のときに、突然舞い込むお葬式の取り仕切りなど、スペイン語のテキスト片手に大奮闘、そのエネルギッシュな献身ぶりに、とても……歳というオトシを感じさせないお話で、一同感嘆いたしました。
 更に日本といえば技術一本の国と思われがちな現地の青年や、若い神学生たちに日本文化の紹介にも尽くされ、悲惨な戦禍の体験から、世界の平和を願って多くの人が一致して活動している日本の現状なども一生懸命伝えていらっしゃるとのことです。
 「これは腰痛に効くよ、目にいいよ」などと、薬草を持ち込んでくれる現地の人たちにとって、シスターは文字通り家族の一員、台所での奮闘や草むしりからのバネ指の貼り薬が痛々しいとは言え、元気いっぱいのお姿に一同感銘を受けたひとときでした。

 なお、参加者の皆様にシスター真神への支援をお願いをしたところ、26,740円の献金をいただきました。さらに、シスターが現地から持ち帰られましたマヤ・インディオの手作りの手芸品も、そのほとんど全品が売れて、献金と合わせて5万円以上の支援をすることができました。ご協力いただいた方々へ心から感謝いたします。
 シスターからも翌日、多摩教会の皆様への心からの感謝を込めたメールをいただきました。

 10月3日(金)の初金家族の会の卓話は、南大沢・堀の内地区の尾崎ひろみさんに、スペイン巡礼の旅の思い出を、DVDに収めた記録映像などを交えてお話していただく予定です。

 「みんな違って、みんないい。自由で楽しい初金家族の会」です。どうぞご参加ください。

巻頭言:主任司祭 晴佐久昌英「ここヤシ キャンプ」

ここヤシ キャンプ

主任司祭 晴佐久 昌英

 半年前から準備してきた「ここヤシ キャンプ」も、無事終わりました。
 正式名称は、「こころのいやしのための青年キャンプ」で、精神的な病気、障がいなど、心に様々な問題を抱えて苦しんでいる青年たちに、良い環境ですごし、良い仲間と出会い、良い知らせ「福音」に触れてもらいたいと願って始めたキャンプです。
 司祭として日ごろ相談を受けている若者たちの中には、統合失調や定型うつ、新型うつ、パニック障がいや発達障がい、その他さまざまな生きづらい現実を抱えている人がいます。特に近年、身近にそのような若者があまりにも増えてきたので、これはきっと摂理であろうと、この仲間たちとキャンプをやりたいと思い立ったのでした。

 それもこれも、昨年、そのようなことをするために合宿所を建てたからです。
 合宿所の場所は、奄美大島の南に位置する加計呂麻(カケロマ)島で、十数年来無人島キャンプのベースキャンプとしてお世話になっている海宿の隣接地です。美しい海に面している上、周囲は奄美の森に囲まれており、自分たちのほかだれも住んでいないという絶好のロケーションに恵まれています。朝夕、だれもいない浜を散歩しているだけでも、こころが安らぐのを感じます。
 合宿所の海側にはハンモックがつるしてあり、今回の人気スポットでした。ハンモックでの昼寝ほど気持ちのいい時間はありません。日ごろの緊張から解放されるひと時です。また、前の浜から鉄橋の桟橋が伸びているのですが、その先の30畳ほどのフロートの上ものんびりすごすのに絶好の場所です。釣り好きのメンバーがここで次々と魚を釣ってくれたので、焼いたり揚げたりして頂きました。カワハギの刺身は美味しかった!
 敷地が600坪あるので、今回は広場にゴールネットと得点掲示板を用意して、フットサルをやりました。みんな熱中して相当盛り上がったのですが、全員すぐにバテてしまいました。もっとも、汗をかいて海に飛び込むのは気持ちいいものです。また、内海で波が穏やかなので、風を切るシーカヤックも涼しくて気持ちがいい。二人乗りのカヤックが3艘あるので、来年はぜひレースをやりたいと思っています。
 寝具は20組あり、もちろんトイレも簡単なシャワーもあります。ご自慢は、冷蔵庫が2つ並んだ広いキッチンと、ステージのある音楽スタジオ。スタジオには、ギターやキーボードはもちろん、マイクにアンプ、PAとスピーカー、ドラムセットまでそろってます。今年は、キャンプの参加者に手伝ってもらって、ステージの天井に照明用のトラスを組みました。これでライブもできるようになり、これからが楽しみです。今年もさっそく、音楽好きのメンバーがステージでミニライブを楽しんでいました。
 昨年秋には、そのスタジオから庭に向けて、ウッドデッキで16畳ほどの屋根付きテラスを作ったので、このテラスをステージにした屋外ライブもできるようになりました。昨秋はさっそく、海宿のお祭りを開き、有名な女性歌手UA(ウーア)が来てこのステージで歌ってくれました。テラスは風通しも良くて過ごしやすく、今回は結局、三食ともそのテラスで食べることになりました。
 今年は、ともかく食事だけは美味しいものを出そう、いろいろ不満はあってもおいしい食事があれば心は穏やかになるからと、友人のシェフを呼んで、3食作ってもらいました。パリのユネスコ大使公邸シェフもしていた彼は、自分の東京のお店を休業にして来てくれたのです。おかげで、何から何までおいしかった。テラスで、みんなでゆったりと食事をしていると、本当に天国にいるような気持ちになったのです。
 そうして、なんと言っても、毎日午後5時に始まるいやしのミサ。弱い仲間たちが、つらい現実の中で、しかしだからこそ主はともにおられると信じて捧げるミサは、まさに天国の始まりでした。このキャンプによって、確信はますます深まりました。神の国は、弱く小さな私たちの間にある、と。一人の参加者のことばが忘れられません。
 「こんなぼくでもいいんだって思えました」

 そのうちに、敷地内に小さな聖堂を建てるつもりです。もう設計も固まっています。
 ただ、この敷地は現在借地なので、契約の5年内には敷地をそっくり買い取る必要が出てきます。もっとも、ひと坪1万円もしないので、なんとかなるでしょう。神のみ心に適っているなら、必要なものは必ず与えられますから。
 この悪い世の中に、小さな天国を、確かにひとつ生み出すって、ステキでしょ?

連載コラム:「心のオアシス」

連載コラム「スローガンの実現に向かって」第44回
心のオアシス

稲城・川崎地区 酒井 眞知子

 皆さんこんにちは。
 私が初めて多摩教会を訪れたのは4年前です。いろいろなことがあり、18年振りにミサに与りたいと思い、近所の教会を探し多摩教会を知りました。
 ところが、何度も多摩教会にたどり着けず、「きっと信仰心が足りないから、教会に行きつけないのだ・・」と、今の私では、到底思わないような感情を抱いていました。やっと参加できたミサでは、お祈りの言葉が変わっていたこと、歌での賛美が多いことなど、驚きの連続だった私に、入門係や信者さんがいろいろサポートしてくださいました。神父様は、皆さんと一緒に勉強しながら入門係になることを勧めてくださり、入門係になることができました。

 ミサや講座を通してカトリックの年間行事や意味を知ることは、イエス様が人間として生きていたことが実感できる絶好のチャンスです。
 福音がどんなことなのか? 祈るって何を祈るのか? 講座に参加される皆さんの質問は素朴で、真髄をついていることが多く、いかにも難問に聞こえることを、神父様が嬉しそうに(自信満々に)答え、入門係の誰かが突っ込みを入れる、笑い声の絶えない楽しい入門講座です。
 その中で、生きていくことにも、すごくつらい思いをしている方々にも、たくさん出会いました。私も同じようにつらい体験をしたことがありました。ついつい、ダメな自分を許せない気持ちになり、不安になり、ミサがとても待ち遠しいこともあります。
 そんな時、入門講座で聞いた言葉や、癒されてホッとし、笑顔になった受講者の顔を思い出します。息苦しさが楽になる瞬間です。何度入門講座に参加していても、弱い自分が不安の風呂敷を広げてしまいますが、ここに来れば大丈夫! 愛されているのだと思えることがとてもうれしいです。
 「裁きよりもいつくしみを」。教皇フランシスコのメッセージを実際の社会の中で実現することが難しいように感じます。まずは家庭から、職場から、少しずつ輪が広がることを夢見て、種を蒔いています。

 私は普段看護師として働いています。
 十人十色、同じ病気でもひとりずつ抱える問題は違い、治療の目標も違います。朝、気持ちよく目覚め、食事を取り、自分の役割をこなし、活動し、排泄をし、眠る。どれひとつ不十分な状態でも苦痛を感じます。
 苦痛のひとつにスピリチュアルペインという言葉があります。精神的な痛みで、病気等によって行っていた役割を失ったとき等に起こります。薬を使っても良くならないのに、体の障害に合わせた役割や目標が新たにできた時、痛みが和らぐことがあります。
 カトリック教会に古くから受けつがれている慈愛や聖霊の働きは、正に苦痛を取り除く重要な要素です。
 「○○さんのためにお祈りしています」と、教会に通うまでは、意味がよくわかりませんでした。ミサや入門講座、「ここクリ」(心の病で苦しんでいる人のためのクリスマス会)など、相手を思いやることに真剣に取り組んだ時、自分一人では実現できない聖霊の働きが実際に起こります。知識や技術だけでは聖霊は働きません。
 とは言え、これから、超高齢化社会に向かい、医療や社会制度は変わっていきます。現場で働いているからこそお役にたてることがあるかも知れません。その際は、お気軽に声をかけてください。

報告:教会学校の合宿に参加して

教会学校の合宿に参加して

塚本 清

 今年の教会学校の小学生の夏期合宿は、7月25日(金)から26日(土)に多摩教会で行われました。参加者は、幼児2名と小学生10名で、15名近くの大人がリーダーやお手伝いとして協力しました。

 25日は集まって、聖堂でお祈りをしてから、電車に乗って淵野辺にあるJAXA(宇宙航空研究開発機構)相模原というところに出かけました。この日は年に1回の特別公開の日で、科学衛星や探査機、ロケットをはじめとした宇宙の研究や開発についての展示や講演、実験などが行われていました。少し難しい内容のものもありましたが、どれも興味深いものばかりで、見るもの聞くもの全部が楽しかったようです。
 そこで見学をして、昼食を食べてから電車に乗って、多摩センターまで行き、極楽湯という温泉に入りました。ここは去年も行ったところですが、ふつうのお風呂のほかに露天風呂や水風呂もあり、とても楽しかったようでした。
 そして教会に戻って、夕食を食べてから、持ってきた空のペットボトルを半分に切って、シールや造花で飾ったり、ペンで絵を描いたりしてキャンドルホルダーを作りました。このホルダーにキャンドルを入れて、夜のキャンドルファイヤーで使いました。
 そのあと、2日目のミサの分担を決めてから、ダンスをしました。これは、今年の聖劇ではダンスを取り入れようということで、ダンスの上手な森さんという方に教えてもらって、みんなでダンスを楽しんだのでした。
 そして、最後にキャンドルファイヤーをしました。先ほど作ったホルダーに火をともしたろうそくを入れてから並べ、神父様のお話を聞きました。そのあと2階で就寝となりました。
 

 26日は、朝食後にミサで奉納する作品を作りました。
 各自のお祈りを書いた折り紙を星の形に折り、そのほかにもUFOや宇宙人などを作って貼りました。出来上がった作品はミサの時に奉納しましたが、信徒館1階に展示してありますので、ご覧ください。この奉納物作りでは、藤城さんがリーダーを担当してくれました。
 なお、1日目に作ったキャンドルホルダーも、各自で家に持って帰ったので数は少ないですが、信徒館の奉納物のところに置いてあります。
 そのあと、今年初聖体を受けた小学校2年生を中心に侍者の練習を聖堂で行いました。そしてミサは、晴佐久神父様が体調を崩されたため、ミカエル神父様の司式でしたが、子どもたちは侍者や先唱、朗読や奉納など、自分が担当したところで力を発揮しました。
 ミサの後はお待ちかねのスイカ割りをして、昼食のときにみんなで食べました。そのあと掃除をして、合宿の感想文を書き、最後に聖堂でお祈りをして解散しました。
 

今年も合宿に参加して、みんなで楽しい時間を過ごせたことと思います。
 今年の合宿のテーマは「宇宙」でした。JAXAに出かけ、各自のお祈りを星の形にして、ミサでは天地創造と、ご降誕で博士たちが星に導かれるところを聞きました。合宿の中で、宇宙の作り主である神様のことを感じることができたでしょうか。
 最後になりましたが、この合宿でご協力いただいた皆さんに感謝したいと思います。本当にありがとうございました。
 

「初金家族の会」からのお知らせ

「初金家族の会」からのお知らせ

担当: 志賀 晴児

 8月の当会はお休みしましたが、9月5日(金)の初金ミサの後、11時からまた集まりましょう。
 この度は、ベリス・メルセス宣教修道女会からメキシコに派遣されて、福音宣教に励んでおられるシスター真神 シゲさんのお話を聞くことにいたします。シスターはメキシコだけでなく、これまで長年、ペルー、ニカラグア、グアテマラなどで身寄りのない、あるいは障害のある子供たちの世話をしながら、福音を宣べ伝えてこられました。
 シスターのお話を聞きにご参加ください。

巻頭言:主任司祭 晴佐久昌英「さかさま社会」

さかさま社会

主任司祭 晴佐久 昌英

 「これは、日ごろつらい思いをしている、あなたたちのためのお祭りです。主催者は神さまです。信頼して、安心してお過ごしください」
 「心の病で苦しんでいる人のための夏祭り(通称ここナツ)」の冒頭、そうご挨拶しました。日ごろ、自分なんかは楽しんじゃいけないんだとまで思っている方たちに、なんとか、いまここにある喜びを味わっていただきたいという企画です。
 当日は、100人以上の方たちが夕刻の癒しのミサに参加し、炭火の焼き鳥やかき氷をいただき、魚釣りゲームや花火を楽しみ、互いに紹介しあって友達を増やし、日ごろのつらい気持ちを語り合って過ごしました。落ち込みがちな気分や不安を抱えながらも、神さまに愛されているという喜びをわかちあったひと時は、まさに天国のようでした。
 有志で集まったスタッフは5月から話し合いを重ねてきましたし、当日も多くのボランティアに手伝って頂きましたが、参加者に少しでも「自分は大切にされている」と感じてもらえたなら、準備してきた者の苦労も報われるというものです。
 おみやげにお配りした聖句入りの手作りのウチワを手に、名残惜しそうに家路につく参加者を見送りながら、ああ、本当にやってよかったと思いました。

 心の病を抱えているひとりの青年が、「早く社会復帰したい」と言っていました。当然の願いですし、そのための協力も惜しみませんが、いったいどこに「復帰したい」と言っているのでしょうか。その「社会」とは、どんな社会なのでしょうか。
 心の病の苦しさは、まさに心の中のことと思われがちですし、本人も自分が病んでいると思い込んでいますが、実は相当程度、その人の育った環境、関わっている社会に問題があるのです。環境が過酷で、社会が病んでいるならば、その中で心が病むのは自然な反応だということもできます。そのような人は、病んでいる社会に適応しようと、無理に無理を重ねてきたわけですから。もしそうならば、安心できる環境を整え、ストレスのない社会を用意すれば、「病んでいる」人も、相当程度救われるはずです。
 教会家族という現場が目指しているのは、まさにそのようなくつろげる環境、だれでもホッとできる社会です。それは弱者の弱者による弱者こそが中心となる社会であり、この世から見れば「ちょっとおかしな」集いかも知れませんが、その現場にいる人からすれば、むしろこちらの方が本当の社会だ、ここにこそ健康な仲間がいると言える集いです。
 考えてみれば、だれもが本質的に「弱者」であるはずですし、みんな「強者」を振舞うことに疲れ果てているのですから、ある意味では、疲れ果てて壊れそうになっている人が、教会家族のような場へ「早く社会復帰したい」と言う時代が来ているのかもしれません。

 周りがみんな病んでいるときは、自分の病に気づかなくなります。
 「経済成長」が大事だと言えばだれも反対しません。しかしそもそも、経済は「成長」していいものかどうか、経済にとって、だれをも幸福にする真の成長とはどのような状態であるのか、だれも問いません。そこを問わない社会に必死に適応しようとして、若者たちは不条理劇のような就活で心身をすり減らし、何とか就職できた「勝者」も、非人間的な労働を強いられて、結果、優しい人から順番に壊れて使い捨てられていくのです。
 表向きは美論正論を述べながら、陰では自分の利益だけを追求する権力機構が巧妙に振る舞う社会は、まさに陰謀に怯える統合失調的被害妄想を増長させる、格好の環境です。一国の責任者が有事の恐怖を言い立てる被害妄想や、放射能を管理できると言い張る誇大妄想が、どれだけ人々の心を不安定にし、心の病を重くしていることか。

 教会は、神の国の目に見えるしるしです。現代社会に適応できずに心を病んでいる人ほど、実は霊的にはとても健康なのだという、「さかさま社会」です。たとえ社会からはじかれても、ここにこそ本当の社会があり、ここにこそ信頼できる仲間たちがいると感じられる恵みの場です。世界はこれを模範とし、希望とするべきです。
 世界中で「ここナツ」が開かれるときこそが、神の国の到来の時なのですから。

連載コラム:「『マルタ、マルタ』と主は呼んでくださった」

連載コラム「スローガンの実現に向かって」第43回
「マルタ、マルタ」と主は呼んでくださった

貝取・豊ヶ丘地区 山藤 ふみ

 受洗6年目になる山藤(さんとう)ふみと申します。よろしくお願いいたします。
 教会は祈りの場であるという方がいます。カトリック多摩教会の祭壇を納めた方に、大川さんという方がいます。その方の祈る姿を拝見したとき、まさしく「神に近づく」祈りを捧げている方だと見惚れてしまいました。私は、カトリックの場合は特に、教会活動全体が生涯教育の場であり、その活動を通して「祈り」と「心のオアシス」が広がっていくという印象を持っています。

 いつか何かお手伝いしたという気持ちは持っていましたが、現実の私は、土曜夜のミサ後は、ほうきにまたがる魔女よろしく、さっと暗闇に消えていました。その結果、ごく少人数の方のお名前と顔が一致するだけで、まずい状態でした。
 その少人数の中に、波田野洋子さんがいらっしゃいました。お会いするたびに印象に残りました。台所の作業台に大きなボウルを置き、一心にジャガイモの皮をむいていました。後で、有名な「波田野さんのコロッケ」の下ごしらえをしていたのだと知りました。
 夏祭りかバザーの当日でした。橋の下を荷物を持って歩いていらっしゃるのに出会い、声をかけると、「朝6時に田舎を出て、3回乗り換えて、やっとたどり着いたの。今日は、お昼で失礼しようと思って」と、おっしゃいました。夕方まで皆に声をかけられ大活躍されていました。
 次の日偶然、教会に立ち寄ると波田野さんも来られていました。「お疲れでしょう」と言うと、「まあね。昨日、大勢で台所を使ったので、ちょっと見に来たの」とおっしゃって、五徳を磨いたり、布巾を石鹸で洗ったりと、片づけものをされていました。私などは、当日、半日働くだけでも「面白かったけど大変!」と言ってしまうので、黙って頭を下げました。
 波田野さんが「コルベ会」の方であると知ったのは後のことです。

 カトリック多摩教会の「守護の聖人」は、ポーランド出身のマキシミリアノ・マリア・コルベ神父(1894年1月8日〜1941年8月14日帰天)です。
 コルベ神父の生涯は、波乱に満ちたものでありがながら、終生「無原罪の聖母マリア」の霊性の中にあり、「いつもみ心のうちに」と信仰を守りとおした生涯でした。「ペンは剣よりも強し」と言いますが、聖母の騎士社の出版物を通しての宣教と聖書のすべての聖句の信仰と実行が、アウシュビッツでの身代わりの申し出と死に、まっすぐつながった生き方を示した方でした。
 多摩近在のカトリック信仰をもつ方々が新教会を建てるにあたり、多くの方の御尽力と御縁があって聖コルベ神父を「守護の聖人」として掲げられたことは、不思議なお恵みを頂いたのだと、お御堂に入るたびに思います。

 「コルベ会」は10数人のメンバーが、数十年もの長い間、コツコツと研鑽を続けてきたグループです。
 メンバーの高齢化や、諸般の事情により、活動を縮小されて継続してきたものの、2014年3月で閉会を公表されました。「コルベ会」は、教会や福祉への協力と、自立や親睦を目的として活動してきたとのことです。
 甘夏ピールやソースづくりに参加されていたメンバーの方々は、「プロ集団」としての気迫がありました。一人ひとりの方が、仕事の流れの中で、ご自分の立ち位置を承知していて、手際よく働いていました。人によって「仕事に行く時間なので」と簡単に挨拶を交わし、出て行かれました。「必要なところに必要なだけ」が、長年の奉仕の中で身に付いている気持ちの良い、すがすがしさでした。

 「マルタ、マルタ、大切なことはひとつ」と主は言われました。
 「コルベ会」の継続は大切なことと考え、立候補にたどり着いた私です。