普遍的な救いの証し人として (受洗者記念文集:晴佐久神父巻頭言)

主任司祭 晴佐久昌英

 「洗礼を受けたから救われるのではない。救われたから洗礼を受けるのだ」
 入門講座では、よくそのようにお話しします。
 洗礼は救いの条件ではなく、救いの結果だからです。
 救いとは、「神と人が親子として永遠の愛で結ばれている」状態です。それは、およそこの世に生まれたすべての神の子に、すでに、初めから与えられているものです。人はそれを知らないから苦しみますし、それを知って信じた者は心から安心し、喜びと希望に満たされ、それを信じる教会の一員となるために洗礼を受けます。
 その意味では、「救われたから洗礼を受ける」というのもまだ不正確で、正確に言うならば「すでに、初めから救われていることに目覚めたから洗礼を受ける」というべきでしょう。
 わが子を救えない神を神と呼んでも意味はありません。神はすべての人を救う神であり、神の子たちはそれを知って喜ぶために生きています。つまり人は、洗礼を受けるために生きていると言ってもいいのです。

 今年の新受洗者の記念文集をお届けします。
 39人の受洗者一人ひとりが、洗礼への熱い思いを語っています。皆、かつては自分が救われていることを知らずに苦しんでいましたし、福音に出会って救いに目覚める喜びを体験してきましたし、その救いの証しとして、洗礼を受けた人たちです。
 この受洗者たちを見れば、神さまは本当にまことの親であり、私たちは皆共に天の父と親子として永遠の愛で結ばれていることを確信できるでしょう。
 すでに洗礼を受けて久しい人たちも、自らの存在そのものが救いの証しとなっているのだという誇りを取り戻して、いっそう普遍的な救いの証し人としての使命を果たしていただければと、願ってやみません。

懐かしい場所(受洗者記念文集)

デュナミス(仮名)

 プロテスタントの友人と一緒に初めてカトリック教会のミサに行った時、なぜだかとても懐かしく感じ、涙が出ました。初めて行った場所なのに、まるで故郷(ふるさと)に帰ってきたかのような不思議な思いがしましたが、そうしてミサにとても魅力を感じた私は、その後、時々一人で晩のミサに通いました。とはいえ、以前居た、とある諸派ではカトリック等の正統教会に対しての偏見を教えられていたため、カトリックで求道すること、まして入門講座に通うのには非常に大きな抵抗がありました。

 やがてネットで多摩教会の晴佐久神父のことを知り、その話を聞くうちに、どうしてもその教会に行ってみたいという思いが強くなり、勇気を出してようやく入門講座に通うことができました。そして、ミサというものを神学的な意味でも理解できました。初めて経験したミサは、私にとってはまだ知らずしてずっと憧れた故郷(天国)の先取りだったのです。(カテキズム1090 地上の典礼は天上の典礼にあずかる)

 この春の復活徹夜祭で、洗礼を受けることができました。洗礼によって消えない霊印を受け、神の子の一人としてご聖体にあずかれることに、大きな喜びと満足、そして安心感を抱いています。それと同時に、できればもっと早く、人生の若い頃にカトリック教会で洗礼を受けたかったという思いも強く、それまでの人生で大きな回り道をし、健康も損ねてしまったことが残念です。過去はもはや変えられないので、仕方ないことですが、辛いことが多かった回り道の人生にも、キリストが共にいて、導いてくれたのだと思っています。

 「わたしをお遣わしになった父が引き寄せてくださらなければ、だれもわたしのもとへ来ることはできない。」(ヨハネ6章44節)

巻頭言:主任司祭 晴佐久昌英「乞田川散歩」

乞田川散歩

主任司祭 晴佐久 昌英

 多摩教会の前を流れている川は、乞田川(こったがわ)といいます。
 唐木田の尾根の雑木林あたりから流れ出して、多摩センターや永山付近を通り、多摩教会の前を過ぎて、ほどなく多摩川へ流れ落ちる、5キロメートルほどの穏やかな川です。
 一見なんということのない川ですが、その流れのほとりに6年間暮らしている住人としてはなんとも慕わしく、四季折々の川辺の風情を味わっているうちに、いつしかかけがえのない隣人となりました。
 乞田川のほとりを、いつも薄暮の時分に散歩します。ちょうど教会の前は遊歩道が整備されていて絶好の散歩道ですから、ついつい川のせせらぎに誘われて歩いてしまいます。
 神父はどうしても運動不足になりがちですし、頭ばかり使っていますので、このお誘いはありがたい。悩める人の相談を何人も連続して聞いたり、すでに締め切りの過ぎた原稿を集中して書きあげたときなどは、我知らず教会の門を出て、目の前の馬引沢橋(まひきさわばし)の上で深呼吸。気づけばそのまま、無心に川のほとりを散歩しています。
 川筋はいつも程よい風が抜け、のどかなせせらぎが心に語りかけてきます。
 「まあ、のんびりやりましょう。水は流れゆくまま、時も流れゆくまま・・・」

 時の流れゆくままに、乞田川歳時記を。
 春先は、薄霞の沈丁花。いよいよ新しい季節が始まるときの、胸がキュンとする香りです。川沿いの農地に点在する紅梅白梅にも胸ときめき、ああ、もうすぐこの川も満開の桜に包まれるんだなあ、それにしても一年、早いねえ・・・と、ひとりごちます。
 春の盛りは、桜並木は言うに及びませんが、見逃せないのが川岸の百花繚乱。桃色、黄色、橙、白、水色、すみれ色などなどが絶妙な配置で咲き誇り、だれかが寄せ植えにしたとしか思えない奇跡の箱庭には、思わず「おみごと!」と声をかけるしかありません。
 初夏は、何と言ってもカルガモの親子。今年の一番人気は、子ども9羽の一家でした。母親の後を9羽の子どもたちが一列で必死に付いていく姿には、遊歩道を行く人全員、足を止めます。ともかく、かわいすぎる。どうか無事に育ってほしいと祈るばかり。
 盛夏の入道雲も、はずせない。川沿いの空は広く、沸き立つ積乱雲を見るのに絶好なのです。今夏は特に大気の状態が不安定で、手を合わせたくなるほど見事な金色の雲の峰を何度拝んだことか。夕暮れ時は頂が茜に染まって、もはや西方浄土と言うしかなく。
 そして、9月。その空に、うろこ雲。ススキの穂も揺れて、気づけば桜の葉も色づき始めています。個人的には最も美しい紅葉は桜の葉っぱだと思うのですが、どうでしょう。鮮やかな緋色と黄色のグラデーション。17時半には鈴虫が鳴きだす、乞田川沿いの道です。
 実は先ほども歩いてきたところですが、教会から一つ下の南田橋のたもとでは、気の早い金木犀から、忘れかけていた切ない思い出が香り立っていて、新しい季節の始まりの予感に、胸がキュンとしました。ふと、マフラーの匂いを思い出しました。

 そうして、散歩を終えて戻ってくると、薄暮の風景の中にひときわ明るく「カトリック多摩教会」の文字が光っています。なんて美しい光景でしょうか。そこは、神の家。キリストと出会う場所。聖霊の喜びが満ちているところ。何もかもが移ろいゆくこの世界の中で、決して変わることのない永遠のみことばが語られる救いの教会が、こうして確かに存在することは、どれほど尊いことでしょうか。
 橋のたもとに立ち、川のほとりに建つ美しい聖堂を眺めていると、自分たちはなんと恵まれた存在なのだろうという感動が沸き起こって来ます。
 さあ、そろそろ帰るとしましょう。もうすぐ、夜の入門講座の人たちが集まって来る時間です。永遠の福音を語らなくてはなりません。


【乞田川の周辺】
少しですが、乞田川沿いの様子をご紹介いたします。それぞれの画像は、クリックすると拡大表示されます。

連載コラム:「荒れ野のオアシスにたどりついて」

連載コラム「スローガンの実現に向かって」第45回
荒れ野のオアシスにたどりついて

稲城・川崎地区 岡田 恵子

 学生時代に聖書に出会ってから四半世紀を経て、ようやくカトリック多摩教会に巡りあい、今年受洗させていただきました。「福音の村」で晴佐久神父様の説教に出会い、学生時代に教えを受けた説教と同じ、聖霊に満たされたみ言葉がここにある! と導かれました。今は、カトリック多摩教会という秘跡の素晴らしさに、日々感動しています。
 み言葉に出会っていながら、自分のことでしか祈れなかった日々でしたが、今は、ひたすら、福音宣教に邁進しています。春から夏にかけては、「洗礼をうけたの! カトリック多摩教会のミサは素晴らしいの! ぜひ一度おいでよ」と、友人に会うごとに話していました。とは言っても、理解してくれそうな人に限られているのですが。

 学生時代は、毎週欠かさず日曜の礼拝と聖書を読む会に参加し、電機メーカーの広報室勤務の頃は、社内のクリスチャンの祈りの会や、プロテスタントの教会で牧師先生との聖書の勉強会、お茶ノ水クリスチャンセンターで国際ナビゲーターの先輩と毎週10個ずつ聖句を暗唱したりと、信仰第一の生活でした。けれど子供を持ち、各地を転勤して、家族に遠慮するうち、いつの間にか、隠れキリシタンのような信仰生活になっていました。
 洗礼を受けて、それまでの覆いが取り除かれたかのように、信仰の炎がふたたび燃えあがるのを感じています。十字を切るだけで信仰を証しできる喜び、多くの信仰の友と交わる喜びは、長く孤独な信仰生活があったから、これほど大きいのかもしれません。荒野をさすらうような日々を抜けだして、今、私は、天国のようなオアシスにいるのです。
 金曜夜の入門講座のお手伝いのなかで、出会う方一人ひとりが、本当に貴重で、得難く感じられます。私のなかのカトリック多摩教会のフォルダーは、まだ空っぽなので、新しい方と知り合えるのが大きな喜びです。出会った方々と友になり、よりそい、話し、ともに喜び、ともに悩めることが嬉しくてなりません。神父様のお話から得た気づきを、入門係のブログに書かせていただいていることも、大きな恵みです。

 私の住む若葉台中に信仰の喜びを伝えたい! と思うのですが、身近な家族にさえも難しいのが現状です。ずっと福音を伝えてこなかった両親には、先日、ようやく、「私は信じて救われた。どうか信じてほしい。私たちはみな、神さまに愛されている」と、み言葉を伝えることができました。私一人ではできなかったことも、教会の仲間の祈りに支えてもらって実現したのです。退院はもう無理と言われた父も、祈りの力で奇跡的に家に戻るまでになりました。本当は、天国のような多摩教会のミサに連れて来たいと思うのですが、成田という遠距離で、体力的にも無理な今、すべては神様の摂理のうち。み心がなされますようにと、日々祈っています。

 日々のさまざまな出来事のなかで、大海原の小舟のような気持ちになる時もありますが、「神のなされるわざは、すべて時にかなって美しい」と、神様にすべてをゆだねたいと、朝夕、天に祈りを捧げつつ、主日には、ミサというオアシスにたどりつき、教会のみなさんの祈りのなかで癒され、力づけられて過ごしています。

報告:武蔵野ダルク 渡邉 肇さんの講演会

武蔵野ダルク 渡邉 肇さんの講演会報告

塚本 清

 9月14日(日)のミサ後、約50分ほどでしたが、聖堂で武蔵野ダルクの渡邉 肇(わたなべ ただし)さんの講演会がありましたので、ご報告します。
 5月の司牧評議会で、晴佐久神父様から薬物依存の方のリハビリのために活動をしている武蔵野ダルクを多摩教会も支援していこうとのお話を受けて、活動資金への支援を始めました。また武蔵野ダルクの活動について代表の渡邉さんのお話を聞くということで、講演会を開催することになりました。以下は、渡邉さんの講演の要旨です。

1.ダルク(薬物依存者のための回復リハビリ施設)について
 1985年、薬物依存の方のリハビリのための活動が東京の三ノ輪近くで誕生しました。初めは、アルコール依存症の方のための活動でした。
 渡邉さんは当時田無教会に所属していましたが、薬物依存症でした。その時の年齢は19歳で、今から30年ほど前のことでしたが、ダルクでのリハビリを受けることができました。その後、アメリカ大使館、そしてニューヨーク、フィラデルフィアのカトリック教会の方々の支援で日本の活動が支えられてきました。渡邉さんはアメリカにも行き、その後日本に戻って、ダルクの活動を始めました。当時は刑務所を回っていました。
 

2.武蔵野ダルクについて
 2年前から高幡教会に場所をお借りして、武蔵野ダルクの活動を開始しました。
 日本では、薬物依存者=危険人物という刷り込みがありますが、実は薬物依存の方は繊細で優しい人が多いのです。刑務所に入っている6万人のうち2万5千人が薬物依存者ですが、皆が止めたいと思っているのです。薬物依存症は病気なので、治療が必要です。そのためには地域社会で取り組む必要があります。フランシスコ教皇も「social inclusion」を唱えています。日本の役所は人事異動があるので、継続して取り組むことに難しさがあります。
高幡不動に女性のためのダルクを作りました。NPO法人にはしていません。神様にゆだねていく、神様に信頼していくプログラムにしています。日中の農作業にも多くの人たちに協力していただいています。このダルクは日野市にありますが、多摩市の方も来ています。
 今困っていることは、お金のことです。事務的な仕事をする人も必要です。女性のハウスなので、男性が入れないところもあります。大家さんからは、今のハウスから出て行ってくれと言われています。日野の社会福祉協議会は協力的ですが、警察は協力的なところと、そうでないところがあります。
 ダルクは薬物依存者にとって最後の砦になってきていると思っています。ダルクとは「Drug Addiction Rehabilitation Center」の頭文字をとったものです。旗をご覧いただくとおわかりになると思いますが、DとAとが十字架でつながっています。
 顧問医には、香山リカ先生が就任してくださっています。
 ここで、ハウスに入っている方と後援者の方にお話をうかがいたいと思います。
 

3.ハウスに入寮している女性の方の発言
 私は14歳から22歳までドラッグに依存していました。自殺未遂もしましたが、ダルクに入って今はドラッグが止まっています。
 

4.後援者の方の発言
 私は川崎の鷺沼教会に所属しています。勤務先は池袋にあるクリニックですが、そこでは薬物依存者を受け入れています。欧米には治療共同体という概念があります。それは当事者の方にしかできないことがあり、仲間と一緒に回復していくことが必要という考え方なのです。いま話をしていただいた女性のように、人前で自分のことを話すことも回復になるのです。
 

5.渡邉さんのまとめの言葉
 日野のダルクには、多摩市の中高生も来ています。家に帰っても親がいないこどももいます。今日は資料も用意しましたので、お持ち帰りください。幸田司教様も素晴らしい文章を寄せてくださいました。献金など皆さんのご協力もお願いします。
 

6.質疑応答
(Q)ダルクでの生活はどんなものなのですか。
(A)規則正しい生活をし、日中は農作業などもしています。入寮者と通所者がいます。
(Q)年齢はどのくらいなのですか。
(A)20代の方です。
(Q)薬物依存症でいう「薬物」とはどのようなものを指すのですか。
(A)いわゆる脱法ドラッグもありますが、薬局で売っている薬で依存症になる人もいます。たとえば、咳止めの「ブロン」を日に300錠のんでいた方もいました。多摩センター駅付近には、ドラッグを売っているところがあります。そのほかにもスマホやネットを使い、宅配便で送ってもらうということもあります。
 

7.晴佐久神父様より
 今日はありがとうございました。これからもダルクとは、つながりをもっていきたいと思います。ダルクは多摩教会の家族となりました。

「初金家族の会」からのお知らせ

「初金家族の会」からのお知らせ

担当: 志賀 晴児

 9月5日(金)の集まりでは、現在メキシコ南部の村、一面砂糖きび畑でマヤ文化の遺跡の残るソヤの手づくり修道院でご活躍、一時帰国中のベリス・メルセス宣教修道女会のシスター真神(まがみ)シゲ様のご体験を伺いました。
 シスターは光塩女子学院で長年教職を勤められ、その後の第二の人生を、ニカラグア、ペルー、グアテマラ、そしてメキシコと、中南米の国々で、それぞれの地域に溶け込んでの捨て身の宣教活動に励んでこられた方です。

 乾季には半年もカラカラ天気、雨季にはすべてがビショビショという厳しい気象条件の中で、毎日の食事つくりをはじめ、畑の草取りに汗を流しながら、洗礼、初聖体、堅信などでは代父、代母の研修までも引き受け、少人数で走り回っている神父様方不在のときに、突然舞い込むお葬式の取り仕切りなど、スペイン語のテキスト片手に大奮闘、そのエネルギッシュな献身ぶりに、とても……歳というオトシを感じさせないお話で、一同感嘆いたしました。
 更に日本といえば技術一本の国と思われがちな現地の青年や、若い神学生たちに日本文化の紹介にも尽くされ、悲惨な戦禍の体験から、世界の平和を願って多くの人が一致して活動している日本の現状なども一生懸命伝えていらっしゃるとのことです。
 「これは腰痛に効くよ、目にいいよ」などと、薬草を持ち込んでくれる現地の人たちにとって、シスターは文字通り家族の一員、台所での奮闘や草むしりからのバネ指の貼り薬が痛々しいとは言え、元気いっぱいのお姿に一同感銘を受けたひとときでした。

 なお、参加者の皆様にシスター真神への支援をお願いをしたところ、26,740円の献金をいただきました。さらに、シスターが現地から持ち帰られましたマヤ・インディオの手作りの手芸品も、そのほとんど全品が売れて、献金と合わせて5万円以上の支援をすることができました。ご協力いただいた方々へ心から感謝いたします。
 シスターからも翌日、多摩教会の皆様への心からの感謝を込めたメールをいただきました。

 10月3日(金)の初金家族の会の卓話は、南大沢・堀の内地区の尾崎ひろみさんに、スペイン巡礼の旅の思い出を、DVDに収めた記録映像などを交えてお話していただく予定です。

 「みんな違って、みんないい。自由で楽しい初金家族の会」です。どうぞご参加ください。

巻頭言:主任司祭 晴佐久昌英「ここヤシ キャンプ」

ここヤシ キャンプ

主任司祭 晴佐久 昌英

 半年前から準備してきた「ここヤシ キャンプ」も、無事終わりました。
 正式名称は、「こころのいやしのための青年キャンプ」で、精神的な病気、障がいなど、心に様々な問題を抱えて苦しんでいる青年たちに、良い環境ですごし、良い仲間と出会い、良い知らせ「福音」に触れてもらいたいと願って始めたキャンプです。
 司祭として日ごろ相談を受けている若者たちの中には、統合失調や定型うつ、新型うつ、パニック障がいや発達障がい、その他さまざまな生きづらい現実を抱えている人がいます。特に近年、身近にそのような若者があまりにも増えてきたので、これはきっと摂理であろうと、この仲間たちとキャンプをやりたいと思い立ったのでした。

 それもこれも、昨年、そのようなことをするために合宿所を建てたからです。
 合宿所の場所は、奄美大島の南に位置する加計呂麻(カケロマ)島で、十数年来無人島キャンプのベースキャンプとしてお世話になっている海宿の隣接地です。美しい海に面している上、周囲は奄美の森に囲まれており、自分たちのほかだれも住んでいないという絶好のロケーションに恵まれています。朝夕、だれもいない浜を散歩しているだけでも、こころが安らぐのを感じます。
 合宿所の海側にはハンモックがつるしてあり、今回の人気スポットでした。ハンモックでの昼寝ほど気持ちのいい時間はありません。日ごろの緊張から解放されるひと時です。また、前の浜から鉄橋の桟橋が伸びているのですが、その先の30畳ほどのフロートの上ものんびりすごすのに絶好の場所です。釣り好きのメンバーがここで次々と魚を釣ってくれたので、焼いたり揚げたりして頂きました。カワハギの刺身は美味しかった!
 敷地が600坪あるので、今回は広場にゴールネットと得点掲示板を用意して、フットサルをやりました。みんな熱中して相当盛り上がったのですが、全員すぐにバテてしまいました。もっとも、汗をかいて海に飛び込むのは気持ちいいものです。また、内海で波が穏やかなので、風を切るシーカヤックも涼しくて気持ちがいい。二人乗りのカヤックが3艘あるので、来年はぜひレースをやりたいと思っています。
 寝具は20組あり、もちろんトイレも簡単なシャワーもあります。ご自慢は、冷蔵庫が2つ並んだ広いキッチンと、ステージのある音楽スタジオ。スタジオには、ギターやキーボードはもちろん、マイクにアンプ、PAとスピーカー、ドラムセットまでそろってます。今年は、キャンプの参加者に手伝ってもらって、ステージの天井に照明用のトラスを組みました。これでライブもできるようになり、これからが楽しみです。今年もさっそく、音楽好きのメンバーがステージでミニライブを楽しんでいました。
 昨年秋には、そのスタジオから庭に向けて、ウッドデッキで16畳ほどの屋根付きテラスを作ったので、このテラスをステージにした屋外ライブもできるようになりました。昨秋はさっそく、海宿のお祭りを開き、有名な女性歌手UA(ウーア)が来てこのステージで歌ってくれました。テラスは風通しも良くて過ごしやすく、今回は結局、三食ともそのテラスで食べることになりました。
 今年は、ともかく食事だけは美味しいものを出そう、いろいろ不満はあってもおいしい食事があれば心は穏やかになるからと、友人のシェフを呼んで、3食作ってもらいました。パリのユネスコ大使公邸シェフもしていた彼は、自分の東京のお店を休業にして来てくれたのです。おかげで、何から何までおいしかった。テラスで、みんなでゆったりと食事をしていると、本当に天国にいるような気持ちになったのです。
 そうして、なんと言っても、毎日午後5時に始まるいやしのミサ。弱い仲間たちが、つらい現実の中で、しかしだからこそ主はともにおられると信じて捧げるミサは、まさに天国の始まりでした。このキャンプによって、確信はますます深まりました。神の国は、弱く小さな私たちの間にある、と。一人の参加者のことばが忘れられません。
 「こんなぼくでもいいんだって思えました」

 そのうちに、敷地内に小さな聖堂を建てるつもりです。もう設計も固まっています。
 ただ、この敷地は現在借地なので、契約の5年内には敷地をそっくり買い取る必要が出てきます。もっとも、ひと坪1万円もしないので、なんとかなるでしょう。神のみ心に適っているなら、必要なものは必ず与えられますから。
 この悪い世の中に、小さな天国を、確かにひとつ生み出すって、ステキでしょ?

連載コラム:「心のオアシス」

連載コラム「スローガンの実現に向かって」第44回
心のオアシス

稲城・川崎地区 酒井 眞知子

 皆さんこんにちは。
 私が初めて多摩教会を訪れたのは4年前です。いろいろなことがあり、18年振りにミサに与りたいと思い、近所の教会を探し多摩教会を知りました。
 ところが、何度も多摩教会にたどり着けず、「きっと信仰心が足りないから、教会に行きつけないのだ・・」と、今の私では、到底思わないような感情を抱いていました。やっと参加できたミサでは、お祈りの言葉が変わっていたこと、歌での賛美が多いことなど、驚きの連続だった私に、入門係や信者さんがいろいろサポートしてくださいました。神父様は、皆さんと一緒に勉強しながら入門係になることを勧めてくださり、入門係になることができました。

 ミサや講座を通してカトリックの年間行事や意味を知ることは、イエス様が人間として生きていたことが実感できる絶好のチャンスです。
 福音がどんなことなのか? 祈るって何を祈るのか? 講座に参加される皆さんの質問は素朴で、真髄をついていることが多く、いかにも難問に聞こえることを、神父様が嬉しそうに(自信満々に)答え、入門係の誰かが突っ込みを入れる、笑い声の絶えない楽しい入門講座です。
 その中で、生きていくことにも、すごくつらい思いをしている方々にも、たくさん出会いました。私も同じようにつらい体験をしたことがありました。ついつい、ダメな自分を許せない気持ちになり、不安になり、ミサがとても待ち遠しいこともあります。
 そんな時、入門講座で聞いた言葉や、癒されてホッとし、笑顔になった受講者の顔を思い出します。息苦しさが楽になる瞬間です。何度入門講座に参加していても、弱い自分が不安の風呂敷を広げてしまいますが、ここに来れば大丈夫! 愛されているのだと思えることがとてもうれしいです。
 「裁きよりもいつくしみを」。教皇フランシスコのメッセージを実際の社会の中で実現することが難しいように感じます。まずは家庭から、職場から、少しずつ輪が広がることを夢見て、種を蒔いています。

 私は普段看護師として働いています。
 十人十色、同じ病気でもひとりずつ抱える問題は違い、治療の目標も違います。朝、気持ちよく目覚め、食事を取り、自分の役割をこなし、活動し、排泄をし、眠る。どれひとつ不十分な状態でも苦痛を感じます。
 苦痛のひとつにスピリチュアルペインという言葉があります。精神的な痛みで、病気等によって行っていた役割を失ったとき等に起こります。薬を使っても良くならないのに、体の障害に合わせた役割や目標が新たにできた時、痛みが和らぐことがあります。
 カトリック教会に古くから受けつがれている慈愛や聖霊の働きは、正に苦痛を取り除く重要な要素です。
 「○○さんのためにお祈りしています」と、教会に通うまでは、意味がよくわかりませんでした。ミサや入門講座、「ここクリ」(心の病で苦しんでいる人のためのクリスマス会)など、相手を思いやることに真剣に取り組んだ時、自分一人では実現できない聖霊の働きが実際に起こります。知識や技術だけでは聖霊は働きません。
 とは言え、これから、超高齢化社会に向かい、医療や社会制度は変わっていきます。現場で働いているからこそお役にたてることがあるかも知れません。その際は、お気軽に声をかけてください。