武蔵野ダルク 渡邉 肇さんの講演会報告
塚本 清
9月14日(日)のミサ後、約50分ほどでしたが、聖堂で武蔵野ダルクの渡邉 肇(わたなべ ただし)さんの講演会がありましたので、ご報告します。
5月の司牧評議会で、晴佐久神父様から薬物依存の方のリハビリのために活動をしている武蔵野ダルクを多摩教会も支援していこうとのお話を受けて、活動資金への支援を始めました。また武蔵野ダルクの活動について代表の渡邉さんのお話を聞くということで、講演会を開催することになりました。以下は、渡邉さんの講演の要旨です。
1.ダルク(薬物依存者のための回復リハビリ施設)について
1985年、薬物依存の方のリハビリのための活動が東京の三ノ輪近くで誕生しました。初めは、アルコール依存症の方のための活動でした。
渡邉さんは当時田無教会に所属していましたが、薬物依存症でした。その時の年齢は19歳で、今から30年ほど前のことでしたが、ダルクでのリハビリを受けることができました。その後、アメリカ大使館、そしてニューヨーク、フィラデルフィアのカトリック教会の方々の支援で日本の活動が支えられてきました。渡邉さんはアメリカにも行き、その後日本に戻って、ダルクの活動を始めました。当時は刑務所を回っていました。
2.武蔵野ダルクについて
2年前から高幡教会に場所をお借りして、武蔵野ダルクの活動を開始しました。
日本では、薬物依存者=危険人物という刷り込みがありますが、実は薬物依存の方は繊細で優しい人が多いのです。刑務所に入っている6万人のうち2万5千人が薬物依存者ですが、皆が止めたいと思っているのです。薬物依存症は病気なので、治療が必要です。そのためには地域社会で取り組む必要があります。フランシスコ教皇も「social inclusion」を唱えています。日本の役所は人事異動があるので、継続して取り組むことに難しさがあります。
高幡不動に女性のためのダルクを作りました。NPO法人にはしていません。神様にゆだねていく、神様に信頼していくプログラムにしています。日中の農作業にも多くの人たちに協力していただいています。このダルクは日野市にありますが、多摩市の方も来ています。
今困っていることは、お金のことです。事務的な仕事をする人も必要です。女性のハウスなので、男性が入れないところもあります。大家さんからは、今のハウスから出て行ってくれと言われています。日野の社会福祉協議会は協力的ですが、警察は協力的なところと、そうでないところがあります。
ダルクは薬物依存者にとって最後の砦になってきていると思っています。ダルクとは「Drug Addiction Rehabilitation Center」の頭文字をとったものです。旗をご覧いただくとおわかりになると思いますが、DとAとが十字架でつながっています。
顧問医には、香山リカ先生が就任してくださっています。
ここで、ハウスに入っている方と後援者の方にお話をうかがいたいと思います。
3.ハウスに入寮している女性の方の発言
私は14歳から22歳までドラッグに依存していました。自殺未遂もしましたが、ダルクに入って今はドラッグが止まっています。
4.後援者の方の発言
私は川崎の鷺沼教会に所属しています。勤務先は池袋にあるクリニックですが、そこでは薬物依存者を受け入れています。欧米には治療共同体という概念があります。それは当事者の方にしかできないことがあり、仲間と一緒に回復していくことが必要という考え方なのです。いま話をしていただいた女性のように、人前で自分のことを話すことも回復になるのです。
5.渡邉さんのまとめの言葉
日野のダルクには、多摩市の中高生も来ています。家に帰っても親がいないこどももいます。今日は資料も用意しましたので、お持ち帰りください。幸田司教様も素晴らしい文章を寄せてくださいました。献金など皆さんのご協力もお願いします。
6.質疑応答
(Q)ダルクでの生活はどんなものなのですか。
(A)規則正しい生活をし、日中は農作業などもしています。入寮者と通所者がいます。
(Q)年齢はどのくらいなのですか。
(A)20代の方です。
(Q)薬物依存症でいう「薬物」とはどのようなものを指すのですか。
(A)いわゆる脱法ドラッグもありますが、薬局で売っている薬で依存症になる人もいます。たとえば、咳止めの「ブロン」を日に300錠のんでいた方もいました。多摩センター駅付近には、ドラッグを売っているところがあります。そのほかにもスマホやネットを使い、宅配便で送ってもらうということもあります。
7.晴佐久神父様より
今日はありがとうございました。これからもダルクとは、つながりをもっていきたいと思います。ダルクは多摩教会の家族となりました。