「初金家族の会」からのお知らせ

「初金家族の会」からのお知らせ

担当: 志賀 晴児

 朝晩冷え込むようになった立冬の11月7日の例会では、キリシタン史に深い関心を寄せておられる信徒の中嶋 誠さんに、長崎、五島列島の教会や往年の人々の信仰などについての珍しいお話を伺いました。
 布教、宣教をめぐっての修道会の間の様々な動きをはじめ、長いキリシタン時代に日めくり暦などに寄せられた素朴な農民、漁民信徒の思いやりのこころ、マリア様への願いをこめた珍しい「お掛け絵」の話など、中嶋さんはご自身のスケッチを紹介なさりながら、広い学識、ご経験の一端を熱心に語られました。長崎教会群、キリスト教関連史跡などを世界遺産登録の候補にという声も聞かれる昨今にふさわしいお話でした。

 来月、12月5日の例会では、教会の「祈りと聖劇の夕べ」などでのビオラ演奏でおなじみの小俣 亜里さんが、クリスマス・ソングや、アヴェ・マリアの調べを聞かせてくださる予定です。

 「みんなちがって、みんないい」 楽しい初金家族の会に、どうぞお気軽にご参加ください。毎月第一金曜日、ごミサのあとお昼までの1時間です。

「あしぶえの会」の方々と

「あしぶえの会」の方々と。

(画像はクリックすると拡大します)

11月16日(日)には、
晴佐久神父の前任地、高円寺教会の障害を持つ方々の集い、
「あしぶえの会」の皆さまが訪ねてきてくださり、
主日のミサや昼食を共にしました。

「あしぶえの会」は、
詩聖タゴールの詩、『ギータンジャリ』から、
晴佐久神父が命名したとのこと。

***************

あなたは私を何度も空にしては、
何度も新しい命を注ぎ込んでくださる。
私は、小さな1本の葦笛(あしぶえ)。
あなたはそれを、野に山に持ち歩いて
あなたが息を吹き込むと
私は永遠に新しいメロディーを奏でる。

***************

そのような内容で始まる詩の一節からです。

「草の茎、葦でできた笛のように、
枯れてしまうような、弱く小さな笛でも、
神さまが息を吹き込んでくださりさえすれば
永遠に新しいメロディーを奏でることができる。
どんな存在でもいい。
私たちがそこにいるだけで、
もう神さまが、何か素晴らしいことの役に立ててくれる。
それを、全面的に信じよう」
との思いを込められたそうです。

お説教では、
「こうして共に集まった皆で、一つのメロディーを、
永遠に新しいメロディーを奏でよう」と、
会衆全員に呼びかけられました。


七五三の祝福

千歳あめ 七五三の子どもたちから

(画像はクリックすると拡大します)

11月9日(日)、ミサの中で、教会の子どもたちの七五三をお祝いしました。

神さまからいただいた最高の宝もの、教会の励まし、そして希望である子どもたち。

子どもたちは主任司祭の晴佐久神父から祝福を祈られ、
また、会衆も皆、司祭の祈りに心を合わせました。

*****
天の父よ、この子どもたちを祝福してください。
あなたが与えてくださったこの子どもたちが、
主キリストと共に、神の子として成長していただくことができますよう、
天からお守りください。
信仰を深め、互いに赦し合うキリスト者となることができますように。
全能の神、父と子と聖霊の祝福が豊かにありますように。
アーメン。

*****

ミサの終わり、子どもたちは、一人ひとり司祭から千歳あめを渡されて、
うれしそうな、恥ずかしそうな笑みを浮かべていました。

写真は、その子どもたちの中から、ミサ後の様子のご紹介です。
こちらまでうれしくなるような表情ですね。^^

天国への扉は開かれた(受洗者記念文集)

Elizabeth(仮名)

 今はただ、洗礼の恵みの不思議さに圧倒されています。「常に喜び、絶えず祈れ、すべてのことに感謝せよ」の御言葉を胸に、祈りに立ち返ろうと必死に努力してきた日々がうそのように、今は、常に祈りと賛美が心の奥から自然と湧き上がります。
 洗礼式は夢の中の出来事のようでした。額にかけられる水はとても冷たく、しびれるようで、一瞬のはずなのに、とてもながく永遠のように感じられました。初聖体を頂くと、聖なるキリストのからだにそぐわない自分の罪が、ゆっくりと体の中から浮き上がってくるようでした。
 今、毎日が喜びです。福音の嬉しさを誰かに伝えるたびに、心のなかの福音の泉の流れはどんどん豊かになるようです。心の奥に、神さまとの懸け橋がかかったようで、いつも心に光が灯っているようで…信仰の神秘を、実感しています。

 悩み、教会を探し求め、晴佐久神父さまの『福音の村』に出会いました。説教を読んで涙が止まらず、カトリック多摩教会へ行って洗礼を受けなければ!と、切羽詰まって、やっと初めて来た日が洗礼志願式でした。「間に合わなかった」と落胆する私に、入門係の方々が祈りをもって導いてくださいました。神父さまから洗礼許可書にサインを頂けた時は、嬉しくて跳び上がりそうで、天にも昇る喜びを、人生で初めて味わいました。
 神父さまに無理を申し上げ、「お願いします!」と幼子のごとく求めて本当によかった!
 大学時代に聖書と出会い、孤独で高慢だった私は変えられました。けれど、無教会の京都召団の家庭集会で「キリスト者になることは、十字架を共に背負い歩むことだ」と知り、「それは無理だ!」と思った時もありました。今振り返ると、25年の間、逆境の時にはいつも御言葉に支えられ、イエスさまは共にいてくださいました。御言葉なしには一歩も前に進むことはできなかったけれど、その日々が今をつくってくれました。

 今、毎週のミサに、子どものようにわくわくして喜びあふれて来ています。大勢の方たちと共に神を賛美できる幸せ。司祭と会衆が一緒につくり上げるミサの一体感と楽しさ!本当にミサは完璧です。今、私はミサに夢中です。
 十字を切るだけでキリスト者として証しできることも、本当に大きな感謝です。十字を切ると、「父と子と聖霊のみ名によって」と神父さまの声がゆっくりと心に響いてきます。
 「ゆきましょう! 主の平和のうちに」という派遣の言葉も日々背中を押してくれます。
 急な代母をお引き受けくださり、導いてくださったOさん、入門係の皆さん、いつも優しい兄弟姉妹の皆さん、多摩教会に迎えて入れていただき本当にありがとうございます。今や御言葉だけでなく、多摩教会という素晴らしい信徒の交わりとミサが私を支えてくれています。信仰浅い私が、謙遜に「御心が行われますように」と、祈り続けられるように、どうか信徒の皆さまお祈りください。これからよろしくお願いいたします。

「死者の日」のミサ

11月2日(日)は「死者の日」でした。

そのため、1日(土)、2日(日)は、「死者の日」のミサが捧げられました。

ミサの始まり、集会祈願の前の司式司祭(晴佐久神父)の祈りの言葉です。

*****
今日、『死者の日』に当たって、亡くなられた方々と深い交わりを持ち、
私たち一人ひとりに命を与え、命を生かし、
ご自分のみもとへと、その命をお召しになる天の父への信頼を新たに致します。
私たちのすべては神のもの。
生きている者も、亡くなった方も、
皆、共に神の恵みのうちにあり、
神に生かされている者。
感謝と信頼を込めて、このミサをお捧げ致します。

*****

ミサの中では、事前に集められた、亡くなった方々のお名前が
司祭によって読み上げられ、
その方々が生きておられた時以上に、
一致の喜びを味わい、感謝いたしました。

洗礼を受けて(受洗者記念文集)

倉田 麻理(仮名)

 わたしの母や母の家族は皆カトリック信者で、私も物心がついたころから、たびたび教会へ行っていました。なので、当然のように私もイエス様のことマリア様のことは心にあり、大人になったら信者になりたいと思っていました。
 いろいろ忙しくてなかなか勉強会にも参加できなかったのですが、無事に洗礼を受けることができて良かったです。
 洗礼式はとても緊張しましたが、晴佐久神父さまをはじめ、多摩教会の信者さんがとても温かく迎えてくれて、準備してくれて、安心して洗礼を受けることができました。
 なので私も、これからは一人の信者として、次に洗礼を受ける方たちを温かく迎えたいと思います。

洗礼を受けて(受洗者記念文集)

音羽 美喜(仮名)

 このたびはカトリック多摩教会に温かく迎えていただき、どうもありがとうございました。

 去年の5月に初めて入門講座に顔をだし、それから1年経たないうちに自分が洗礼を受けるとは1年前までは全然想像していませんでした。これも神様のお導きというのでしょうか。
 初めて入門講座に行った日のことをよく覚えています。最初に神父様に年齢や住んでいる所、来た理由などを聞かれ、その時に、「教会には今若者が少ないから、今日だけにしないで、ぜひこれからも来てね」と何度も言われ、しまいには「羊羹あげるから」と言われ、本当に講座が終わった後、こっそり羊羹を私の前に置いてくださり、ビックリしました。
 もちろん、お話が心にくるものがあり、また聞きたいなと思ったのもありますが、何より神父様自身面白いお人柄だな〜と思い、それから毎週入門講座に通うようになりました。お説教を目当てにミサにも行くようになりました。入門講座の仲間たちや雰囲気、そして神父様のお話が、1週間の私の楽しみであり、心のオアシスでありました。
 もともと遠藤周作や三浦綾子の作品が好きで、それがきっかけでキリスト教に興味を持ち、神父様のお話が無料で聞ける入門講座、どのようなものか1回だけ参加してみようか、という軽い気持ちで足を運んだのに、まさかこんなにどっぷり教会に浸るとは思いませんでした。

 正直、洗礼を受けたことによって、「救われた!」や「楽になった!」とうような実感を2カ月たった今でも持てず、良いご報告ができなくて申し訳ないのですが、教会に通い始めていろんな方と知り合い、お話し、苦しかった時も福音によってたくさん勇気づけられたのは、洗礼による救い以前に、とても良い実りでした。この教会に出会えて良かったです。私は、洗礼はゴールではなくて神様の愛をより感じられるためのひとつのステップだと思っています。これから先振りかかるさまざまな試練、困難の時も、神様はずっと見守っていてくださっている、すべて大丈夫、ということだけは忘れずに、時間かかってでも少しずつ信仰を深めていけたらいいなと思います。

幼児洗礼

10月26日(日)に、幼児洗礼がありました。

南米からの3家族、4人の子どもたちと、
日本の4人の子どもたち、合計8人の受洗です。

ご両親に代父、代母、ご親戚にご友人、そして教会全体が、
大きな喜びに包まれました。

無邪気な子どもたちの姿もかわいらしく、時に泣き声も聞かれましたが、
とても晴れやかな式となりました。

神父さまからは、この子どもたちに、大きな祝福と、そして、
「たとえどんなときでも、何があっても、
神さまはあなたを愛しているからだいじょうぶなんだ。
安心して生きていくように」という、力強いメッセージをいただきました。