静寂の中、晴佐久神父様の手から私の白髪頭に予想を超えた量の聖水が掛けられ、私は待ちに待ったキリスト者の仲間入りを果たすことができました。その瞬間、私の体中に、安堵感が駆け巡り、喜びで満たされました。入門講座に通う前の私には、こんな気持ちになるとは、考えられなかったことです。
私は、今年68才になります。家内がミッション・スクールで学んだこともあり、教会で結婚式を挙げましたが、正月ともなれば神社に参拝し、また親族の法事に参加はするが、宗教の神髄やその教義には触れようとしない典型的な日本人でありました。それが、30代に入ると、仕事の関係で、外国企業と折衝することが多く、その結果にかかわらず相手の結論を導き出す思考プロセスや視点の違いが気になりだし、次第に、相手を理解するには思想基盤そのものとも言える信仰・宗教を持つことの必要性を痛感するようになりました。37才から65才で退職するまで、途切れることがなかった海外駐在生活の中で、歴史探究や観光で教会を訪れ、メキシコでは、家内が行く日曜礼拝の運転手として教会に出入りしていました。
人間、年を重ねれば重ねるほど、何事においても、前に一歩踏み出すのにはそれなりの準備を要します。踏み出して振り返り、今の立ち位置を知るのではなく、踏み出す前に踏み出した後の立ち位置を知ろうとするものです。私の場合も例外ではありませんでした。まずは特定の信仰心を持たず比較研究しようとばかり、宗教社会学の本を数多く読みました。一時期、浄土真宗の信者としても有名な小説家の本を読んでいたこともあります。江戸後期に書かれたお経の論評書「出定後語」も手に取りました。研究を超え、達磨の教えの直指人心、見性成仏の禅宗にも魅かれるものがありました。
サウジアラビアに長期出張した際のホテルのベッドの中では、街中に響き渡る朝のコーランの祈りで目を覚まし、比較研究の中にイスラム教も入れねばと自らの好奇心を掻き立てていました。このように比較研究の旅は続いていたのです。
それが、これも家内の送り迎えの運転手として、参加した昨年4月の第一回入門講座の席での「我々は、神が会わせてくれた血縁を超えた家族」とのお話に、「これだ、この共同体に入りたい」との念がその場で芽生えました。それに加え、6月の第二バチカン公会議の教会憲章16項に関する神父様の説明で、「公会議で、カトリックの普遍性について語り始めた。すべての人は救われる。従来のカトリックの教会の外に救いなしは変わらないが、すべての人が救われるのは、いかなる意味においても、すべての人がカトリックの教会に属しているゆえにである」とあり、比較研究は止め、「カトリックの信者になりたい、ならせて欲しい」となりました。石橋をたたき理論先行の自分に柔らかい光がさし、運転手がもう完全な求道者になっていました。
晴佐久神父様、入門係の皆さま、仲間の皆さま、お導きをありがとうございます。今や私は信仰を持った、それも世界人口の中で、マジョリティのキリスト者、イタリア人の友人から「これでお前のことは理解ができる」との受洗祝いのメールがありました。
洗礼を受けて(受洗者記念文集)
今回、洗礼を受けてみて、自分とキリスト教との出会いの変遷について考えてみた。自分がはじめて、キリスト教と出会ったのは、小学生のころのことである。5歳から9歳くらいまでの間、長崎県北松浦郡小佐々町(現在は、佐世保市に編入)というところに住んでいた。そこは、住民の多くが、漁業で生計を立てている漁師町であった。小学校では、私は近所に住む友人からいじめられ、泣かされて帰ってきたものである。
そんななか、私は自分の住む地区と隣の地区(神崎)に住む子どもたちととても仲良くなり、日曜日には、自分が住む楠泊から神崎までよく遊びに行っていた。神崎に行くと必ず、朝にはその地区のカトリック教会のミサに友人たちが出席するため、私もその子たちとともに、ミサに参加していた。その地域は、かなり以前から(16〜17世紀から?)、地区全体がカトリック信者の多い地区だった。小学生だった自分にとって、カトリック教会のミサは、とても不思議なものに満ち溢れていた。ミサの最後には、神父さんからみんなパンをもらいに行くのだが、友人からは、「これはカトリック信者じゃないともらえないんだよ」と言われ、とても残念な気持ちになったものだ。
神崎地区の子どもたちは、とても優しかった。家族で漁師をしているところが大半で、みんな海の湾に平気で飛び込み泳いでいた。私は、親から泳ぎを教わったこともなく、泳ぐことはできなかったが、そんな自分をバカにしたり、からかったりすることもなく、そんな自分でも、みんなに温かく受け入れられていたことを、昨日のことのように思い出す。その地区の子どもたちや大人たちが、カトリックの教えを信じ、キリストの導きの中で、他人に優しく接することができるとは、小学生の当時は考えていなかったけど、今から振り返ってみると、おそらくそういうことじゃなかったのかなと考えている。
私たち家族は、その後、小佐々町から転居をし、私もキリスト教会に通う日々からは、離れることになった。それでも、当時の私が漠然と抱いていたキリスト教の「愛」の教えは、私の心の中に刻みこまれ、私自身が、落ち込んだり、悩みの中にあるとき、文学作品を通じて、そして、職場の同僚の生き方を通じて、イエスの生涯やキリストの教えにふれる機会がたびたびあった。
今回、多摩教会の一員として迎え入れていただいたことを、とてもうれしく、また誇りに思っています。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
生まれなおした喜び(受洗者記念文集)
寂しさと孤独感から常に救いを求めてきた半世紀、ようやくカトリックとの出逢いの中で、「幸せ」を実感できる人生を手に入れることができました。
私が長年抱えてきた寂しさというのは、実母と実父からは愛を受けとれなかったこと、そして20代の新婚の時期の夫との死別です。
得られない親の愛を求めては傷つき、いつも寂しさいっぱいの中で生きてきた私は、温かい家族というものに憧れを持ち、信頼できる家族を得て安心した暮らしがしたいと強く願っておりました。
しかし、結婚後、3年と経たないうちに、愛する夫は急性リンパ性白血病で亡くなってしまいました。夫との死別をきっかけに私の死生観はすっかり
ひたすら愛を乞う人生を歩んできた私に変化が訪れたのは、晴佐久神父さまの「福音の村」にたどり着いた夜のことです。その日、福音を読むことにストップがきかず、夜明けがくるまで一晩中、その福音に引き込まれていきました。そこには「聖家族」という温かい繋がりがあり、読み進めるうちに私の中にぽっかりとあいていた寂しさの穴がどんどん埋まっていきました。
そして、まことの親は神様であること、その神様が望んで私を生んでくださったことをその時初めて知り、自分が生まれてきてもいい存在であったことを悟ることができました。
しかし、長年にわたり、自己評価が低く自尊心が育まれずに生きてきた私には、「こんな私が救われていいのか?」、「私なんかが救いを求めて、ずうずうしくはないのだろうか?」という疑問があり、それがなかなか払拭できませんでした。そんな気持ちで晴佐久神父さまとの面談を迎えたのですが、自分を否定する気持ちが面談の最初の数分ですぐに解決していきました。すべての人が救われていい、私を含むすべての人を救ってくださる神様の存在を確信できた瞬間でした。
カトリック多摩教会ではたくさんの素敵な出逢いがありました。
代母さんとの出逢いは、昨年のクリスマス、「ここクリ」のお料理をお手伝いした時のことです。その時初めてお会いした素敵な女性の中に、私は私を育ててくれた大切な祖母の愛を見ました。
代親を決める際、私は是非、私の祖母と同じ笑顔のあの方にお願いしたいと思いました。代母さんとの距離が近くなるにつれ、神様は、私の人生の中のこの大切な時に、代母さんと巡り逢えるよう最初からご計画なさっていたのだ、これは必然だったのだと気づくようになりました。これまでも身近にカトリックがあったにもかかわらず、洗礼までにこれだけの長い年月を要したのも、今、この時にこの代母さんと巡り逢うためだったのだということを痛感しました。
洗礼式で、代母さんが肩に添えてくださった温かい手、額を流れる清らかな水、この感覚は今も鮮明に私の中に焼き付いています。受洗直後に代母さんが私の腕を抱いてくださり、まるで我がことのように喜んでくださった笑顔の中で私は生まれ直すことができて、本当に嬉しかったです。
そして、復活徹夜祭のあと、晴佐久神父さまから「もう寂しくないね」とのお言葉をいただいた時、神様は今までずっと私を見ていてくださったのだということを実感として感じました。
受洗してから大きく変わったことは、自分自身を大切にできるようになったことです。 これまで抱え込んできたとらわれや恐れ、生きにくさと決別し、神の子として生きる自由な人生へと生まれ出ることができました。
私は意味があってこの世に生まれてきたことを、カトリックを通して気づかされた今、尊敬するマザー・テレサの「私のこの手をお使いください。私のこの足をお使いください。私のこの声をお使いください」という言葉をいつも心に留め、愛ある生き方をしていきたいです。
晴佐久神父さまをはじめ、代母のIさん、これまで支えてくださった入門係の皆さま、そして教会で出逢ったすべての皆さま、本当にありがとうございます。
たくさんの素晴らしい出逢いへとお導きくださった神様に、深く感謝いたします。
キリストに入る前と入った後(受洗者記念文集)
今から、15〜6年になるでしょうか。
いろんなことがあり、母に聞いたことがありました。
「神っているんだろうか?」と。
母は、「神様ね」っと言っていました。
そこで、昨年10月に教会に行くことを選び、その日から毎晩のようにお祈りをするようになりました。
普通の時、悩んだりする時、目には見えないけれど心がすーっとするように感じがします。
教会に足を運んでよかったなっと思っています。
聖堂に入ると安心感あるんですね。
椅子に座って、心の中でいろんなことをお祈りします。
まだまだ未熟ですがお祈りを続けたいと思っています。
教会に入ったきっかけ(受洗者記念文集)
教会に入ったきっかけは、友達が「教会はいいよ」と言ってくれました。
「イエス様がいるわよ」と言われて教会に行き始めました。
教会に実際行ってみると、イメージと違っていて皆さまが親切にしてくれてよかったなって思ったからです。
そこでイエス様がいらっしゃるといわれまして、お祈りをしました。
その時から、病気もあり、最初は大丈夫かなって思ってしまいました。
その友達も、病気を持っていて、カトリック教会に通っていて熱心な信者さんだと思いました。
ちょっと不安感があって、多摩カトリック教会に行き始めました。
その時は、心を病んでいたんで、カトリック教会にいけるのかなって思っていました。
でも、その友達が言ってくれました。
「きっといいことがあるよ」って言ってくれました。
毎日のようにお祈りして、少しは良くなってきているんじゃないかなって思います。
洗礼を受けて、友達が喜んでくださいました。
「これから、いいことがあるよ」って言ってくれました。
私は、他の教会に声をかけられる時があります。
一切、受け入れずカトリック教会に通うつもりです。
洗礼を受けて(受洗者記念文集)
私は今まで、海外のカトリック系の音楽学校でミサ曲や宗教曲を学んだり、教会で合唱曲を歌ったり、神父様に悩みを聞いていただいたり、身内がカトリック信者だったりと、教会やカトリックに触れる機会はたくさんあり、身近な存在でした。そういうことからか、教会へ足を踏み入れると気持ちがとても落ち着き、いつか自分も洗礼を受ける日が来るんだろうと、漠然と感じていました。しかし、たびたび聞こえてきたカトリックの教えの中で自分が納得できないものがあったため、神を完全に信じることができず、なかなか信者にはなれずにいました。
そんなある時、晴佐久神父様という有名な方の入門講座があるから出てみない、と誘われ、講座を受け始めました。この講座は、「私は神から愛されている」ということと、「私は救われている」ということをいつも感じられるような内容で元気が出ましたし、また、ずっと疑問に思ってきたカトリックの教えの一部についても、フランシスコ教皇が見直すべきというような内容の演説をされたということを聞き、だんだんと引っかかっていたモヤモヤが晴れていくような感覚を受け、自然と、洗礼を受けようという気持ちになりました。
洗礼を受けることを決心してからは、受洗後もそうですが、ミサの内容や意味をより深く考えるようになり、宗教曲に関しても、ただ歌ったり聴いたりするだけではなく、やはり今までとは全然違った感じかたをするようになりました。
洗礼を受けてから、自分の中で何かが劇的に変化したということはありませんが、洗礼式で水をかけられて以来、以前に比べてとても清々しい気持ちで日々を過ごせるようになりました。
私はこの多摩教会でこの年に洗礼を受けたということは、すべて神様の導きだと感じています。これからも感謝の気持ちを忘れず、いろんな人のために祈ろうと思います。
感謝(受洗者記念文集)
始めにこの度の受洗にあたり、洗礼を授けてくださった晴佐久神父様、代親を引き受けてくれた島仲間のけんけん、さまざまな形で私たち受洗者皆さんに寄り添っていただいた入門講座スタッフの方々、教会の皆さま、そして家族の皆々に感謝を伝えたいと思います。
ありがとうございました。
ここに至るまで、カトリック教会、晴佐久神父様とは神父様が毎年行かれる無人島の島ミーティングをきっかけにもう10年になります。これまで家族を通じて、教会にお世話になってきました。毎週のミサにも家族で
そして、2014年の正月、あるきっかけから晴佐久神父と面談をすることになりました。その際に次のようにお話しました。結婚式、幼児洗礼、子どもの初聖体と家族を通じ教会と関わってきましたが、今の時点ではまだ受けた方がいいのかわからず、ただ、「特に受けたいかと聞かれるとそうでもないし、絶対に嫌かというと、それもそういうわけでもない」と伝えました。神父様は、「すでにこれまで教会と交わった中で過ごしているので、あなたは幼児洗礼といった方が当てはまるのかもしれないですね」と言われました。そんなきっかけからでした。まだまだ入り口に入ったところなので、これからより深く関わっていくことになるのだと思います。
昨年くらいから仕事においても環境が刻々と変わり、大きな転機に来たのだと感じていました。何か大きな流れを感じずにはいられないと思います。神父様はときどき、教会を船に例えておられますが、まさにそれです。今年の正月早々船が近づいて来ました。何か大きな力が働き、周りの皆さんに引っぱられながら船に乗せていただいたというのがしっくりくる気がしています。自分では進めないところを後押ししてもらいました。そして洗礼を授かりました。それに前後して、嬉しいことにいろんな方々にいろんな形で祝福を頂きました。今まで以上に周りの方々に支えられているということを強く実感し、こうして関わらせていただいていることは本当に幸せなことなのだとより一層強く感じています。
そしてこれからも引き続きよろしくお願いします。
巻頭言:主任司祭 晴佐久昌英「限りなく透明なキリスト教」
このたび、佐藤初女さんの新著がダイヤモンド社から出版されました。
「限りなく透明に凛として生きる」というタイトルで、初女さんが日ごろから大切にしているキーワード、「透明」について語っている本です。
本の帯に「透明であれば、ほんとうに生きやすい。」とあるように、「何かになる」生き方ではなく、すでに自分の中にあるものを大切にして、「透明になって真実に生きる」ありかたを勧めています。
「『自分』が大きくなりすぎているこの時代こそ、わたしは生活の中に『信仰』や『祈り』を入れていき、素直な心で『はい』『ありがとう』『ごめんなさい』と言えることが透明に近づく第一歩なのではないかと思うのです」(5ページ)
「特定の神や宗教にすがらなくても、日々『透明』を意識することで、正しい方向に導かれる声はだれにでも聞こえてくるものです」(103ページ)
など、まさにキリスト教の最も深いところに流れている、透き通るような普遍性を感じさせる言葉の数々に満ちている本です。
巻末に、初女さんと晴佐久神父の対談も載っていて、私が、キリスト教の透明性や、自分自身が人と向かい合う時に透明であろうとしていることなどを語っています。
「よくイエス・キリストを窓ガラスにたとえたりするんですよ。神さまが太陽で、イエスがほんとうに透明な天国の窓だから、神さまの愛をすべて与えてくれると」(161ページ)
つい先日、谷川俊太郎さんとも対談する機会がありました。
谷川さんもまた、不思議に「透明」な詩人です。その透明さに魅せられて詩を読み続けてきた一人として、谷川さんのご自宅での透き通るひとときは、忘れがたい体験になりました。澄んだ春の日差しの中、中庭で満開の白梅が光っているのが、なんだか宇宙的な出来事に見えてしまいましたが、この感じは谷川ファンなら分かってくれるでしょう。
中学三年生の時に初めて読んだ、文庫本の「谷川俊太郎詩集」。その中でも、強烈な印象を受けた「六十二のソネット」の中に、こんな一節があります。
「空の青さをみつめていると/私に帰るところがあるような気がする」(41番より)
これを書いた62年後、昨年末に刊行された最新詩集「おやすみ神たち」で、詩人はこう書いています。
「空という言葉を忘れて/空を見られますか?/生まれたての赤んぼのように」(「空」より)
詩人の生涯は、まさしく「透明」を見つめる生涯でした。その「透明」を、キリスト教では「神」と呼び、その透明さが人を救うのだということを、対談ではお話したのでした。「谷川俊太郎のことばをこそ、今の世界は求めているんです」と。
「谷川さん、詩をひとつ作ってください。」というタイトルの映画に、日本カトリック映画賞を贈ることになりましたが、私は授賞理由の中に、こう書きました。
「透明な『天のことば』と、汚れと情熱を孕む『地のことば』のあわいを生き、天地を結ぶよう召された者が、真の詩人なのではないか。それは本来ならば宗教の使命のはずなのだが、彼らの多くはいまや天のことばに勝手な色を塗り、地のことばを暴力で支配している。今、だれもが求めているのは、欲望も悲しみも愚かさもすべて含めて人間を普遍的に祝福することば、すなわち詩なのである」(「このような映画を見たことがない」より)
キリスト教は、限りなく透明です。あらゆる色を受け止め、あらゆる出来事を包みます。
澄み切った詩のことばで神の愛を語ることこそが、キリスト教の美しさなのです。