総合司会、指揮、作曲まで担当する、
小俣浩之(おまた・ひろゆき)氏を紹介する記事が、
カトリック新聞6月21日付3面
「扉をあけて元気さん」のコーナーに掲載されました。
ぜひお読みください
試しに、ネットで検索してみてください。「多摩市教会」で検索すると、カトリック多摩教会がトップに出て来ます。「多摩市キリスト教」でも、トップです。
これは、とってもすごいことです。検索の順位は、アクセス数を始めとするいくつもの要素を元にほぼ自動的に決まってくるものであり、作為的な要素がないかぎりは、実際に重要なものほど順位が高くなる仕組みだからです。カトリック多摩教会が検索のトップに出てくるということは、この教会がこの地域においていかに重要な働きをしているかということを物語る、明白な証拠でもあるのです。
たとえば、多摩市に住んでいる誰かが、試練の中で救いを求め、近くの教会に行ってみようと思ったとしましょう。パソコンで「多摩市教会」と打ち込むと、トップに「カトリック多摩教会」と出てきます。トップに出てくる教会ってどんな教会かなとクリックしてみると、多摩教会のホームページが現れます。スッキリとした分かりやすい画面と、初めての人に親切な内容。記事も豊富で更新も頻繁、見るからに温かい雰囲気です。ホームページを見慣れた人なら、ここが生き生きした教会であり、「だれでもおいでください」という熱意を持って、ていねいに受け入れ体制を整えていることがすぐわかります。
そうして一人の神の子が、実際に教会の門をくぐり、福音に出会って救われ、試練を越えて生きる喜びに満たされるならば、教会のホームページはそのまま天国のホームページになっていると言えるのではないでしょうか。
今年の新受洗者に、ネットの情報がどれくらい影響しているかを尋ねてみました。
1:「インターネットの情報がなかったら、多摩教会に来ることはなかった」
2:「インターネットの情報は、多摩教会に来るにあたって非常に役に立った」
3:「インターネットの情報とはそれほど関係なく、多摩教会に来た」
この3つのどれが当てはまるかを聞いたところ、それぞれおよそ三分の一ずつでした。私が多摩教会に着任してから6年間の成人の受洗者は約180名ですから、単純計算するとそれぞれが60名ほどということになります。
多摩市にキリスト教の教会は数多くありますが、そんな中で、もしも多摩教会のホームページが検索の順位でずっと下位の方だったならば、また、「福音の村」も始めていなかったならば、60名ほどの人は確実に多摩教会に来ていないし、さらに60名ほどの人が来ていなかったかもしれない、ということです。
教皇フランシスコは、2014年の「世界広報の日」メッセージで語っています。
「インターネットによって、キリスト者のメッセージを『地の果てに至るまで』(使徒言行録1・8)届けることが可能です。教会の扉を開いておくということはまた、デジタル環境においても扉を開いておくことを意味します。それにより人々は、人生のどんな状況にいても教会に入ることができ、それによって、福音がすべての人に届けられるのです」
そして、「大胆に、デジタル世界の市民となりましょう」と励ましておられます。
いまや、ソーシャルネットワークの時代です。ホームページ、ブログ、Eメール、フェイスブック、ツイッター、ライン、ありとあらゆるツールを使って、福音を発信しましょう。神の愛を語り、救いの喜びを証しし、「福音の村」を紹介し、多摩教会を宣伝し、様々な教会のイベントに誘いましょう。毎週のように福音を聞いているのですから、毎週のように福音を語りましょう。ネットを使えばチャンスは無限です。一日に一回はパソコンの前に座り、あるいはスマホを手にして、福音を流してください。
あなたにほんの少しの情熱さえあれば、送信ボタン一つで、大航海時代の宣教師千人分の働きができる時代なのですから。
ノーベル賞受賞者やオリンピック金メダリストなど、長い地道な努力の積み重ねで人並みすぐれた才能をようやく花開かせ、明るい社会づくりに多大な貢献をされた各界の方々が脚光を浴びています。まことに賞賛に値する快挙です。一方、大多数の市井の無名の一人ひとりがそれぞれの人生で何かを探し求め、たとえ、ささやかであっても社会のために何らかの役割を果たしています。人々が苦労して探し求めて得た事実の陰には、眼には見えず、手にも触れられない「愛の真実」が人知れず、隠れているのではないでしょうか。
私も仕事で巡り合った様々なことをはじめ、数え上げれば限りがないほど夢中で答えを探し求めました。その結果、具体的な支えと多くの励ましとによって今まで導かれてきました。中でも学生時代に、「自分はなぜこの世に生まれてきたのか、この世の最上、最高の価値とは何だろう?」という疑問に真摯に応えてくださった何人もの素晴らしい師と巡りあった事実こそ、数多い「探しもの人生」での幸せな邂逅でした。リタイア後の日々をどのように充実してこころ穏やかに過ごすか、それが今、私の探し求めているものです。
よくよく考えてみれば、私がこれまでの人生行路で得てきたのは自分で探し求めて見つけ出し、解決したものではなく、時の移り変わりの中でいつも他から与えられたという事実です。自分自身それなりに望み、努力したつもりでも、一人では何事も決して解決できず、また必ずしも甘い結果ばかりではありませんでした。でも、不思議な力によって支えられ勇気づけられたのです。「それが一番よかったからそのようになったのだ。これこそ私への愛の証し、感謝すべき貴重な贈り物だったに違いない」と、正直ずっと後になってやっと気づいたという次第です。オアシスははるか彼方に存在するものではなく、今現在、この私がオアシスの中にいるのです。
戦争で非業の最期を遂げた方、重い傷病や様々な人生の難儀に直面して悩んでいる家族、事故や災難でひどい目に遭われた人々の苦しみを思えば、私の悩み痛み悲しみなど些細なもの、どんなに恵まれ平穏に過ごしてこられたことでしょう。これまでに受けた多くの事実の陰に、確かに私への暖かい愛の真実、心のよりどころ、オアシスが潜んでいたように思います。有難いことに肉親や多くの知人、友人たち、名前を知らない世の中の沢山の人々、そして何にもまして普段全く気づかずにいる偉大な力が、いつも私の痛み、苦しみを代わりに受け入れてくださり、不束で粗こつ者の私が幸運を頂いてきたのです。
実際、老若男女を問わず人間誰でも突然どのような苦しみに遭遇するかは想像もつかず、苦難の真の意味を人智で推し量るのは困難ですが、「詩篇119-71、72」の「こらしめを受けたことが私を幸せに導き、私は掟を学んだ。あなたの教えは素晴らしい、すべての金銀にまさる」とのことばの真意を悟りたいものです。そして、一切を限りなく尊い御者にお任せした先人たちの確固たる信仰が、苦しみ、悲しみの意味するものを恵みと喜びの花束に変えた模範から少しでも智恵を学びとりたいと願わずにはいられません。
乞田川(こったがわ)沿いの若葉、青葉が美しい季節の5月1日、多摩教会・初金家族の会は信徒会館で中嶋 誠さんの卓話に耳を傾けました。
長年、商社で海外勤務をなさった信徒の中嶋さんは長崎各地のキリシタン史を研究なさっています。今回は、去る3月17日に長崎で盛大に開かれた「信徒発見150周年記念ミサ」を中心とした行事に参加されての体験や、浦上天主堂での信徒発見の物語を巡る数々の逸話、厳しいカトリック禁制の250年の間、信仰を守り続けた人々の貴い支えになった福者岐部ほか内外の聖職者の凄絶な宣教活動の様子など、貴重な史実の数々を紹介されました。
私たちは先人の真摯な信仰に目から鱗が落ちるような思いで深い感銘を受けました。
初金家族の会、次回は6月5日(金)、ごミサのあと11時からの1時間です。どなたでも大歓迎、お茶でくつろぎながらのなごやかな集いに、どうぞ気軽にご参加ください。
5月3日(祝)、グランギタークインテットによる
チャリティーコンサートが行われました。
クラシックギターの重奏が織りなす、繊細でもあり、情熱的でもある音色に
うっとりと耳を傾けながら、演奏家たちの醸し出す温かな雰囲気にも癒やされた、
恵み溢れる午後のひと時でした。
ご来場の皆さまからの募金は、
東日本大震災の復興支援のために使わせていただきます。
たくさんの方々のご来場、また、募金へのご協力、
本当にありがとうございました。
多摩カトリックニューズの第428号の巻頭言に、その月に着任した神父のあいさつ文が載っています。タイトルは「はじめまして」で、「私は多摩教会の信者さんとの出会いを、神のはからいと信じています」と、初々しく書いています。2009年4月号です。(こちら です)
言うまでもなくその神父は私ですが、あれから丸6年。初々しさは図々しさに変わり、私としては最長の7年目に入ったわけですが、12か月×6年ということで、今まで72回の巻頭言を書いたことになります。(1回だけ、海外にいてサボった記憶がありますが)
その72回目は、428+72=500で、ちょうど500号になりました。
この記念すべき数字は広報委員たちの地道な努力の積み重ねの実りであり、私が来てからの6年間を見ただけでも、委員たちの情熱と工夫によって印刷はカラーになり、ページ数も発行部数も増え、今では巻頭言を始め内容の一部がホームページにも載るようになりました。
6年前に、このようなニューズの姿を正確に予見した人がいるでしょうか。いつだって未来は想定外です。神の御計画はだれにも分かりません。ということは、今後の未来も間違いなく想定外だということです。第1000号を迎える時、このニューズは一体どのような姿になっているのでしょうか。およそ40年後です。まさかこの世から紙媒体は消え失せてはいないと思いますが、メディアの進歩は加速度を増していますし、はたして我らが多摩カトリックニューズが、そのころどのような姿かたちになっているのか想像すると、ちょっとワクワクしますね。
40年ほど前、多摩教会のそれこそ初代教会時代に、初代主任司祭の寺西英夫師を慕って集う青年の一人として、私は頻繁に多摩教会に出入りしていました。師が巻頭言を書いていたこのニューズも、当時からよく読んでいたものです。物事の本質を突く内容と、分かりやすく簡潔な言い回しは、今でも私の文章のお手本です。
2010年1月の第437号にも書きましたが、その後神学生となった私は、寺西師に頼まれて、第1号から第117号までの巻頭言をまとめた本「荒れ野から」の装丁をしたこともあります。その本の175ページ(第79号)には私の父へ追悼詩が載っていますし、228ページ(第104号)には、神学生として私の名前も出て来ます。それがいまやこうして記念すべき第500号の巻頭言を書いているのですから、このニューズとは縁浅からぬ仲ということになります。
改めてこの多摩カトリックニューズを振り返ると、それは多摩教会の歴史そのものであり、多摩教会という「からだ」を持ったイエス・キリストの働きそのものであり、それこそ、聖書のように繰り返し読まれてもいいテキストなのではないでしょうか。
創刊第2号で、寺西師はこう書いています。
「(教会は)あくまでも、『キリストから受けたものを伝えて行く』サービスとして存在意義を持っている。だからその第一の務めはコミュニケーションにある。わたしたち多摩教会のこれから作られて行く組織も、その点を見失わないようにしたい。そのためにも、この『多摩カトリック・ニューズ』を大切にして行きたい」
第500号で、主任司祭はこう書きくわえたいと思います。
「みんなで大切に守り育ててきたこの『多摩カトリックニューズ』を、今まで以上に、さらに大切にして行きたい」
多摩カトリックニュースが1972年6月に創刊されてからこの4月号で500号になる。私自身創刊2号から何回か発行のお手伝いをさせていただき、その後を受け継いでくださった方々の努力によって、40数年をかけて500号に達したことは大きな喜びでもある。当初はタイプ印刷を依頼していたこともあり経済的な問題で隔月発行ということであったが、今では広報部の皆さんの努力により毎月ニュースが私たちの手元に届くということは素晴らしいことだと思う。
多摩教会が教区から認可されたのが、72年5月だから教会発足とともにニュースも発行されたことになる。このことは多摩教会がニュースを必要とし、教会の本質的な部分をニュースが担っていたことだとも思う。
福音書の中で教会を表すギリシア語は「エクレジア」だそうだ。この言葉の本来の意味は「呼び出された者たちの集会・集まり」の意で、建物だとか教えるという意味はないのだそうだ。多摩教会が教区から認可される前の年(1971年)、白柳大司教(当時)をお迎えして信徒の家庭でニュータウンでの初ミサが行われた。ミサ後、この多摩の地に「教会を」という私たちの要望に対して「教会は建物ではありません。私の名のもとに二人、三人集まるところが教会です。」と話された。まさに、教会の本質が集まりであることを、最初に私たちに話しかけてくださったのである。
翌年(72年)、建物も司祭館もないまま、3月主任司祭が決まり、5月には教会として認可された。教会の本質が「集まり」であるとはいえ、今から考えると東京教区もずいぶん大胆な決定をしたと思う。なぜなら、その時建物を建てる土地購入などの計画は全くなかったからである。ともあれ、多摩教会が認可されたという喜びと同時に集まる場所を確保する必要があった。それが家庭ミサであった。また、クリスマスや被昇天などの多くの人が集まる時には農協などの公的な施設お借りすることであった。
多摩カトリックニュースの創刊号は6月であったが、発行を急がなければならない理由はミサの行われる場所を、皆様に知らせる必要があったからである。月2回の家庭ミサだったから、2カ月分4枚の地図が創刊号の最終頁を飾っていた。主日のミサに欠席された方はニュースを見て、次の集まりがどこで行われるのかを理解したのである。そのため欠席された方にはニュースを届ける必要があった。当時の信徒たちは手分けして各家庭に届けたのである。ニュースが前述したように「集まり」の大切な役割を担っていた、というのはこのことある。その意味からすれば 教会の本質である「集まり」を現実化するため、ニュースを利用したのである。もっとも、根源的な所に「呼び集められた」という部分はあるにせよ、ニュースを利用し「集まり」を現実化出来たのである。
また、そのニュースを届ける、という行為も教会を創設していった、といってよいと思う。なぜなら「集まり」の中の人間関係はこのことによって、即ち、他の信徒と関わることによって、深くなった、といってもよいと思う。
今後、ニュースは1000号に向けて、発行されていくのであろう。もう、地図を載せることはなくなった。しかし、今も信徒全員にニュースは届けられている。それによってニュースが私たち多摩教会のひとりひとりを結んでいる。そしてエクレジアとは「集まり」をその度ごとに確認していきたい。