10月:「初金家族の会」からのお知らせ

「初金家族の会」からのお知らせ

 10月2日(金)、守護の天使の記念日にあたるこの日、「摂理によってすべてを治めておられる神様は、どんな時にも天使を遣わして私たちを守ってくださっています。いつも感謝しましょう」との晴佐久神父様のお説教を聴きながら、嬉しい時にも悲しい時にも天使たちがともに天の父の御顔を仰いでいることに心を向けたいと思い、小さい幼子のようにならなければ、決して天の国に入ることはできないというこの日の福音の教えが身に沁みました。

 続いて、府中にお住まいの島田潤一さんが「終戦と想定外の驚き」と題した70年前の戦中、戦後の体験の数々を披露なさいました。終戦の時、小学生だった島田さんから子供心に感じた価値観大転換の驚き、戸惑いなどの貴重な思い出話をお聴きして、ご出席の戦後生まれの世代の方々からも率直な感想のことばが出ました。年配者が戦争を知らない多くの若い世代の皆さんに今こそ戦争の悲劇をしっかり伝えておかなければと感じたひとときでした。

 次回、11月6日(金)には長年、多摩教会の広報委員で活躍してこられた府中の松原 睦さんの「〝面倒くさい、後でしよう〟からの脱出」と題しての暮らしの知恵よもやま話を予定しています。

 様々な世代のナマの体験談や、お互いの率直な分かち合いを通して、信仰家族の絆を深める初金家族の会です。どうぞお気軽にご出席ください。

巻頭言:主任司祭 晴佐久昌英「教会と呼んではいけません」

教会と呼んではいけません

主任司祭 晴佐久 昌英

 9月7日、月曜日の朝にローマに着くと、テレビは前日の教皇フランシスコの「各教会一家族、難民を受け入れてください」という声明のニュースでもちきりでした。
 「多くの人々が、戦争や飢餓から逃れて難民となり、生き残ることを願いつつ旅立っています。こうした悲劇を前にして、福音は、その人たちに具体的な希望を示すようわたしたちを招いています。『がんばって、耐えてください』と言うだけではいけません。したがって、欧州の小教区、修道院、聖地巡礼地にお願いします。福音を具体的な形で示し、それぞれ難民の家族一世帯を受け入れてください」
 現在の欧州の難民事情を見るにつけ、このパパ様はきっとそういうことを言い出すだろうと思っていましたが、もはやこの待ったなしの状況にあって黙っていられない、ということなのでしょう。9月6日の「お告げの祈り」の前に、サンピエトロ広場に集まった大勢の信者に呼びかけたのです。
 声明の最後には、「このもっとも小さい者にしたことは、わたしにしたことなのです」というマタイ福音書のイエスの言葉を引用したうえで、「バチカンも難民二世帯を受け入れます」と表明しました。
 欧州には小教区、修道院合わせて10万以上の共同体があるという報道もありましたが、すべての現場がこの要請に従えば、単純計算しても10万家族が救われるということになります。

 9月9日、水曜日の教皇一般謁見の日には、申請してあった謁見の入場券を前日に手に入れて、早朝からサンピエトロ広場の入り口に並び、一つのブロックの最前列に陣取って教皇様を待ちました。フランシスコ教皇にお会いするのは聖ヨハネ・パウロ2世教皇の列聖式以来、3回目ですが、相変わらずの人気で、広場はいっぱいでした。
 この日の説教は、家庭と共同体に関するもので、6日の声明も意識してでしょう、「福音に真に従う教会は、いつも扉を開いている、もてなしの家のようになるに違いありません」と語りかけ、「閉ざされた教会や小教区、教会組織のことを、教会と呼んではいけません。博物館とでも呼ぶべきです」とまで言い切りました。
 「教会と呼んではいけない」!
 おっしゃるとおりです。ドキッとさせられます。わが多摩教会を、パパ様は教会と呼んでくださるでしょうか。パパ様はこうおっしゃいました。
 「イエスの周りに集う人々は、もてなしの心にあふれひとつの家庭を形作ります。それは閉鎖的なものではありません。そこにはペトロやヨハネがいますが、そのほかにも飢えた人、渇いた人、異邦人、迫害されている人、罪人など、多くの人々がいます。そしてイエスは絶えず皆を受け入れ、語りかけます。神に招かれた人々から成るこの家庭を守るために使徒たちは選ばれたのです」

 難民問題は海の向こうの話ではありません。最近、多摩教会に集う人の中にも、様々な事情で住むところを追われたり、明日食べるものにも困り始めた人が複数います。「福音を具体的な形で示し」、「もてなしの心にあふれた一つの家庭を形作る」ためにも、何か本気で始めるよう、神さまから呼びかけられていることは明らかです。
 つい先日は、ひとつの困窮家庭を救うために、数名の有志の信者たちが具体的な対策を話し合いました。わたしはそれをひそかに「教会家族委員会」と呼んでいるのですが。
 パパ様は、「そんなのは無理です」と言いがちなわたしたちを励まして、「主はわたしたちのために奇跡を起こしてくださいます」とも言ってくださいました。
 「家庭と小教区は、社会生活全体を一つの共同生活にするという奇跡のために働かなければならないのです。家庭の皆さん、小教区の皆さん、聖母マリアの勧めに従い、イエスが言いつけたら、その通りにしましょう。そうすればあらゆる奇跡の源、日常生活における奇跡の源を見出すことができるでしょう」

連載コラム:「平和への祈りを通じた繋がり」

連載コラム「スローガンの実現に向かって」第57回
平和への祈りを通じた繋がり

落合・鶴牧・唐木田・町田地区 北村 勝彦

 カトリック教会では8月に平和旬間として平和への実現に向けた祈りの期間があります。
 私は大学生のとき、大学生協で学生委員として活動をしていました。そこでは食を通じた生活安全、環境問題、平和活動への取り組み、学生同士の仲間づくりということで、レクリエーション活動の実施、スキースクール、山梨は特に、地の利を生かしたワインセミナー、山梨では大学でもワインを造っている学部もありましたし、皆さんよくご存じのようにワイナリーもたくさんあります。そういった活動を通じて学生生活をよくするために取り組んでいました。そこで私は、学生に向けた活動を勉強の傍らしていました。オアシスとは少し視点が違うでしょうが、教会から発信する平和への思いという点では少し通じるところもあるのかもしれません。

 その平和活動のひとつに、戦争のない平和な世界を目指して大学生協でも毎年8月に、広島、長崎の平和記念式典に合わせて、「Peace Now!」と題して全国から学生を集めて平和活動についての大学生間の交流、意見交換をしていました。私のいた大学生協では毎年学内の学生が平和への思いを込めて折った千羽鶴を届けるために、学生を派遣しており、私は3年生のときに、代表として学生の思いを届けてきました。

 現在は、家族のおかげでカトリック多摩教会に足を運ぶようになりましたが、カトリック教会でも平和旬間を通して同じ思いのもと、平和への実現に向けた祈りを捧げていることを知りました。そして今年は戦後70年の節目の年でもありますし、武力によらない「平和への祈り・思い」がますます必要な世の中になっていくのだと思います。今は、このカトリック多摩教会を通して祈りを捧げることでしか、その実現に向けた関わり方はできてないですが、戦争のない平和な世界を次の世代に繋いでいくためにもその思いは強く持ち続けていたいと思います。そして家族が集うオアシスの実現に向かうことが、同時に平和への祈りの力もより大きなものとなり、平和への実現に向けて、また一歩近づくことなのだと思います。
 そして、最後にカトリック多摩教会というオアシスに多くの家族が導かれることを願います。

9月:「初金家族の会」からのお知らせ

「初金家族の会」からのお知らせ

 9月4日の初金ミサで晴佐久神父様は、福音のルカ5.33-39、「新しいぶどう酒は、新しい革袋に」の例えから『新しいことに向き合えば進歩があります』と加計呂麻島で漁業青年がマンゴー栽培に挑戦、勇気を出して新分野に取り組んだ素晴らしさを話されました。
 ミサの間に生後4ヶ月の赤ちゃんの祝福があり、可愛い幼子の笑顔に心がなごみました。

 続く初金家族の会では稲城地区の竹内博年さんが南米ブラジル在勤7年間の貴重な体験談を披露。様々な異文化に戸惑いながらもカトリック国らしい人情の暖かさに触れたこと、広大な土地で宣教をなさった邦人神父の活動、ブラジルのカトリック教会の歴史全容のほか、現地日系人たちの努力物語や、夫人の異国での子育て奮闘談も紹介されました。

 次回10月2日(金)には、信徒の島田潤一さんが「終戦と想定外の驚き」と題してお話なさる予定です。
 毎月の初金ミサ後、お昼までの1時間の集い、初金家族の会は様々な世代の貴重な人生体験のナマの声が聴けるくつろぎのひとときです。どうぞ皆様、お気軽にご参加ください。

ご参加、ありがとうございました!

9月12日(土)開催の
入門講座交流会(ピザ・パエリアパーティー)には、
洗礼を受けておられない方も、
信者でもあっても、
プロテスタント、カトリックなどを超えてお集まりくださり、
恵みのひとときを共にすることができました。

本当にありがとうございました。

今回はお越しになれなかった方も、
またの機会にご一緒できれば幸いです。

趣向は違いますが、
10月18日(日)11:30〜14:00には、
バザーも開催します。
ぜひお越しください。

また、
9月13日(日)からは、
入門講座の秋期が始まります。
入門講座のクラスは、
金(19時〜20時半)、
土(10時半〜12時)、
日(12時頃〜13時)の
3クラス。
ご都合のよいクラスをお選びください。
詳細は、「入門講座のご案内」をご覧ください。

皆さまとの出会いを楽しみにしつつ、
お待ちしております!

☆元ページ(「ピザ・パエリアパーティー」へのお誘い)
   >>> 入門講座交流〈ピザ・パエリアパーティー〉(9月12日)

9月12日:入門講座交流会〈ピザ・パエリアパーティー〉

来る9月12日(土)、
カトリック多摩教会の入門講座で、交流会を開催いたします。

翌13日(日)から2学期(秋期)が始まる前の
入門講座、景気づけのようなものですが、
もちろん、どなたでも大歓迎!

秋の恒例「ピザ・パエリアパーティー」で、
夏の打ち上げ、秋の始まりを、ぜひご一緒に♪

どうぞ、お気軽にご参加ください。
事前の申し込み不要で、入退場も自由です。

参加費無料

(お車でのご来場はご遠慮ください)

多摩教会への交通アクセス
もう少し詳しくは →こちらをご覧ください。
教会簡易地図ペイント作成-2015ここナツ用-500

巻頭言:主任司祭 晴佐久昌英「小聖堂献堂」

小聖堂献堂

主任司祭 晴佐久 昌英

 6月号で、「ここヤシの家」の小聖堂建設へのご協力をお願いしましたが、おかげさまで目標額も集まり、このたび献堂の運びとなりました。ご協力くださった皆様に、心より御礼申し上げます。

 小聖堂は600坪の敷地内の、もっとも海に近い最高の場所に建てました。
 室内12畳ほどのスペースに、同じ広さの屋根付きテラスが張り出していて、サッシの戸を開け放つと24畳の一つの空間になるようになっています。
 テラスの数メートル先はもう海で、大潮の満潮の時はテラスのギリギリまで水が来ます。ここは湾の奥深くで、どんな嵐の時でも波が立たない絶好の立地にあるために、そのような設計が可能なのです。
 このテラスの先端に祭壇を置いて、会衆は海を眺めながらミサに与れるようにしました。海全体が聖堂であるというイメージです。そう感じさせるために、テラスの先の波打ち際に高さ2メートルの丸太の十字架を立てました。司式司祭の後ろにこの十字架が立っていて、その先に、南の海独特のエメラルドの海が広がっているというわけです。
 室内は総杉板張りで、木の香に満ちていて、とても気持ちが静まる空間です。
 片側の壁に、イコンの祭壇を設けました。このたび安置したイコンは、かつてロシアのサンクトペテルブルグの専門店で買い求めたもので、正式の修道士が描いたものであるという証明書が付いています。イエスさまが聖書を開いて手にしている絵柄で、開いているのはマタイ福音書11章28節の、次の箇所です。
 「疲れた者、重荷を負うものは、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」
 実際に、この8月に行われた「心のいやしを求める青少年のためのキャンプ」では、このイコンの前で涙を流す参加者もいて、まさに「ここヤシの家」にピッタリのイコンです。
 オルガンも置きました。昔懐かしの足踏みリードオルガンで、とても優しい音が出ます。海辺の聖堂にお似合いの暖かな音色で、聞いていると本当に心いやされます。

 建設してくれたのは隣接地の海宿のご主人で、この海宿には15年来お世話になっています。ご主人は漁師であり料理人であると同時に大工でもあり、海宿自体も彼が自分で建てたものです。
 彼の情熱と優しさ、そして本物を見極めるセンスにはいつも感心させられますが、このたび出来上がった小聖堂を見て驚かされたのは、周囲にびっしりと無人島の白い砂利が敷いてあったことです。彼がわざわざ船で運んで来て敷いてくれたのです。ぼくがあの無人島の白い浜をどれほど愛しているかを知っているご主人からの、最高のプレゼントでした。
 無人島とは天地創造そのままということであり、まさに人の計らいを超えた神のみわざを体験する場です。白い砂に囲まれた聖堂はそんな聖なる気配を漂わせていて、そこで捧げられるミサがどれほど尊いかということを、おのずと物語っているのでした。
 ご主人は、これを建てるにあたって、三度、「神の声を聞いた」そうです。出来上がった聖堂を見て感激しているぼくに、彼は言いました。
 「これは、神さまから晴佐久さんへのご褒美だよ」

 先日の中高生のキャンプ中、8月2日の主日ミサが献堂式ミサとなりました。その日の福音書の箇所はヨハネ福音書の6章で、イエスが人々にこうお話になるところです。
 「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない」

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海も聖堂の一部
海も聖堂の一部
 
足踏みリードオルガン
足踏みリードオルガン
「救世主」のイコン
「救世主」のイコン

(画像は、それぞれクリックすると拡大表示されます)

連載コラム:「先にいるものが後になるも神の国へ」

連載コラム「スローガンの実現に向かって」第56回
先にいるものが後になるも神の国へ

関戸・一ノ宮・府中・日野・野猿地区 島田 潤一

 信仰は聞くことに始まり、聞くことに尽きるとの言葉があります。
 聞くことは神の言葉を聞くこと、神の言葉を聞くことは、神父様の言葉を聞くこと。このような思いに至ったのは、「多くの先なるものは後に、後なるものは先になるべし」との聖書にあります。多くの先なるものとはまさに、思い切って手放せないものを抱えた頭でっかちな自分ではないか。「読書100回、意自ずから通ず」という言葉があります。100回神の言葉を聞けば、福音を体得できるのではないかと、ミサに通いました。
 そろそろ100回になりそうです。それで何が変わったか自問しました。心の方向が、聖書を字面で読んでいた、2次元の世界より、3次元、4次元、5次元(聖霊)の世界に広がる次元を超えた透明、普遍なものを感じるのです。
 聖書講座を受講して字面での独り善がりとは内容、解釈、感じが異なり、初心者であることをあらためて感じています。毎回新しい発見があります。

 庭の雑草を見ています。雑草の花をみて、栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾っていないとの言葉を思い出します。花、蜜を吸う蜂、蝶、蟻、神の創造した世界に浸れます。バイオミメテックスなる自然の生物の機能を人工的に再現しようとする学問があります。人工的には、蜂の動きさえ神の技に及びそうもありません。野の花はどうして美しく見えるのでしょう。ものを見るのには目と視神経、脳、目よりの情報を解釈する心が必要です。 神はアダムを創造された時自分に似せ造られたとかいてあります。雑草の花を見ている自己の目と視神経、脳、心も神に似せられているのかなと。思いつつ、無心に凝視していると神様もこんな感じで見ていたのではと不思議な感覚になりました。
 その夜、初めて天然色の夢を見ました、川辺を歩いていると九厘草、すみれ、シャガなどに似た花が群生しているところがみえました。その鮮やかさ、美しさ、かぎりない透明感はいままで経験したことないものでした。少し見とれ、写真でもとおもい、家にカメラを取りに行こうとしたところで、道がわかなくなり、白黒の夢に変わり、目が覚めました。主が神の国のオアシスをすこしだけお示しになったのでしょうか。この夢の後、主が、身近に感じられるようになりました。神に似せて創造された体と心に聖霊が働くのかもしれません。

 日曜日のミサに通うようになって2年近くになります。多摩教会のミサは独特のものを感じます。晴佐久神父演出、主演、信徒全員参加のミュージカルです。入祭のミサ曲にはじまり、聖体拝領にいたるまで、参加、演じていることを実感します。毎回のミサが晴佐久神父様の一つの作品です。ミサは一つの式ですから、洗練された典礼の形式には歴史の重みを示します。祈りと信仰の場として厳かさを感じさせます。
 一番後ろの席で耳の少し悪い私にも説教ははっきりと聞こえ、巧みな採光で、明るいのはこの教会の特徴で、神の国のオアシスに近づけそうな気がします。
 主の平和につつまれ、限りなく透明な永遠の命を感じ、一週間を過ごすことができます。
 神に感謝!