神さまのお導き(受洗者記念文集)

セシリア 水口玲子(仮名)

 朝、目を覚まし、今日も健康で起きられた、と感謝する。
 お湯を沸かし、ドリップのコーヒーを入れ、ゆっくり飲む。
 青天の空を見上げ、今日もお天気、と洗濯機を回す…

 そんな何気ない日常の一コマが、恵みに満ちた幸せなことなのだと気付いたのは、信仰を持つようになってからでした。
 こんな感謝とおだやかで満ち足りた気持ちを以前から持っていたなら、人生違っていただろうに…とも思いました。でも、遅ればせながら信仰に巡り合えた、そのことに感謝の毎日です。

 一番苦しかったとき、神さまがドロ沼へ手を差し伸べて引き上げてくださった、あの感覚。あの時の気持ちは、これからも決して忘れることのできない大きな喜びとなって、心に残っています。
 それ以来、祈りによって自分がなすべきことを導かれ、そして、その導きに沿って行動すると、驚くほど物事がすんなり運ぶこと。それも、大きな喜びとなりました。
 そこに至るまでに「もう大丈夫」「相手をそのまま受け入れる」等々、数々のお言葉で信仰へ導びいてくださった晴佐久神父さまなしには、ここまで来られなかった…と心の底から感謝しております。

 これからもクリスチャンとしての自覚を持ち、悔いのないよう生きて行こうと思います。
 神父さま、教会の皆さま、本当にありがとうございました。

「救い」を信じて(受洗者記念文集)

和田 深雪(仮名)

 私が洗礼を受けようと思ったのは、洗礼によって神様の「救い」というものに、もっと深く触れてみたいと思ったからです。
 そもそも神様を知るきっかけとなったのは、私が五年生のときにカトリックの学校に編入した事です。その前に兄がカトリックの学校に入っていましたが、あまり身近に感じることはなく、「私立の学校ってすごいんだな〜」という位にしか思っていませんでした。カトリックの学校に入ったことで、「祈り」や「宗教」、「神様」、「イエス様」の事を身近に感じる事が出来ました。
 しかし、私はその学校になじめず、浮いていました。それは、「イベント時以外は、聖堂に出入りしてはならない」など、カトリックらしからぬ規則や、「面倒くさいことには関わらない」という教師の姿勢に疑問を持っていたのが私だけだったという事もあると思います。ですが、一番の理由は、「みんな同じ」が要求されるこの時代、私が良い意味でも悪い意味でも「みんなと違って」いたからだと思います。
 私は、中途半端な平等主義が大嫌いでした。「みんな同じ」という考え方もそうです。そういう考え方は、個々の能力を伸ばすどころか縮める事になってしまうからです。ですが、私がそのような行動をとったり、そのような事を思わせる事を話したりすると、その考え方が理解不能に思える教師や生徒は、「変な奴」という目で見るようになります。学校の居心地はどんどん悪くなるばかりで、学校に行くのが嫌になってきました。
 「こんな私を好きになったり、愛してくれたりする人は誰もいないのか」私がそんな事を毎日悶々と考えていた時、学校の宗教の時間で、こんな事を習いました。

 「どんな人も、神様は平等に愛し、救ってくださる」

 「どんな人にも」。
 私も神様に愛されていて、救われるんだ!
 そう感じる事が出来ました。とても嬉しかったです。
 多摩教会に通うようになってから、「必ず救われる」という晴佐久神父様の言葉を聞き、再び嬉しくなりました。「必ず救われるから、大丈夫」。その言葉を聞き、私は「救い」についてもっと深く触れてみたいと思い、洗礼を受ける決心をしたのです。
 4月4日。私にとっては、洗礼式であり、また、中学校の入学式でもある日。新しい、生まれ変わりの日。セシリア・和田深雪として、新しく神様の子供となった日。私にとって、一生忘れられない日となると思います。
 何も変わらないかもしれません。また同じ事を繰り返す事になるのかもしれません。けれど、「私は救われる」。もう何も怖くはありません。新しい神の子として、一歩を踏み出せたのですから。


(ご本人の希望により、漢字、文章体裁など、すべて原文ママ)

教会は 神の愛の サービスステーション(受洗者記念文集)

島 聖一(仮名)

私は復活させられてしまいました。
そして「気づいた」と思っていたことも、実は「気づかされちゃった」ということに気づいちゃいました。

つい2年前の初ミサから2年ちょっとで洗礼を受けることができたということは、なんという幸せ者なんでしょうか。
ただただ、感謝、感謝、感謝です。

私はある人を恨んでいました。
一回目の神父面談ではただただ恨んでいる人のことばかりを延々と話していました。
その時は、恨んでいる人に私が支配されていることには全く気づいていなかったんですよね。
悪口を言うことによって、ある意味の満足感を得ていたような気がします。
ただ神父様に話したくて、聞いて欲しくて、わかって欲しくて
一回目の面談は悪口を話してたら、あっという間に終わってしまいました。

気づかされちゃったきっかけはある日突然やってきました。

恨んでいる人が突然私と同じ心臓病にかかって十数時間に及ぶ手術を受けたんです。何とか命はとりとめました。
(実は私も4年前に心臓弁膜症に罹り、人工弁置換術の手術を受けました。身体障害者1級1種の手帳を持ってます)

私が4年前に入院した時に見舞いに来てくれた人なので、見舞いに行かないわけにはいかないのですが、どうも気が進まず
「今はまだICUに入っていて意識もまだ戻ってないんだから、一般病棟に移ってから見舞いに行けばいいだろう」なんて思ってたんです。
そのことをネットの掲示板に書いたら、
いつもお世話になってる方(女性)から返事が来たんで読んだら
すぐに見舞いに行きなさい行きなさいって、うるさいくらいでした。
あんまりコワイので仕方なく見舞いに行ったんです。
まさに、行かざるを得なかったって感じだったんですよ。
実はその方、プロテスタントなんです。
なんで無視しないで従っちゃったのか不思議なんです。

そうだ、どうせICUに入ってることだし顔だけ見てすぐに帰ってくればいいや
まだ意識は戻ってないだろうし、話もできないだろうし、なんて思いながら
じゃー行ってくるか〜てな具合に大学病院に出かけて行ったら、
その人がICUに居なかったんですよ。
え〜死んじゃったの?
実は術後の経過が良好なのでお昼からICUを出た、ということで看護師さんに案内されて彼のベッドに行くと、ちょうど体につながっていた管が全部取り外されているところでした。
そして、看護師さんに頼まれちゃったんですよ。
「長い麻酔から覚めたばかりなので、できるだけ長く話しかけてください」と。
まさか、「仲が悪いので話などできません」とは言えないでしょう、困りました。

でもでも、話し込んじゃったんですよ、なんと2時間ちょっと、
何を話したなんて覚えてないんですけどね。

覚えていることは、「楽しかったこと」だけなんです。

その後で彼はリハビリで廊下を歩かされたんですけど、私も一緒に歩いちゃいました。結局3時間位病院にいたんですよね。

大学病院から最寄り駅まで20分位歩いたんですけど、その時気づいたんです、
気づかされちゃったんです、
「なんで恨んでたんだっけ」

思い出せないんですよね。

なんだか心が解放されて、軽くなって晴れ晴れとした気分になってる
自分に気づいたんです。

私の心の大部分を占めていた恨みがなくなって、
空っぽになった心に神の愛が雪崩を打って入り込んできた、まさにそんな感じ、
そうとしか考えられませんでした。
「汝の敵を愛せよ」ってこういうことなんですかね?

今では元恨んでいた人と会うたびに二人して
「20〜30年前だったら二人とも生きていないんだよね〜、いただいた命なんだから大切に生きないとね〜」って、励ましあってます。

その後すぐに2回目の神父面談がありました。
私はうれしくてうれしくて、「気づいた」「いや〜気づいてなかった」とか
同じような言葉を20回位言ったようなんですよね、私は覚えてないんですけど、神父さまにそう言われちゃいました。

もう私は人を恨んで、その人に心を支配されるようなことは絶対ないです。

だって、神の愛に心を満たされた時の自分を知ってしまいましたから。

そして、ミサに行けば、神の愛で心は満タン状態。

もうサタンの誘惑など入り込めないですよ。
なにせ、ミサは毎週あるんですからね。
毎週満タンにして帰れるんですから、ガス欠にはならないでしょう。
もし、頑張りすぎちゃってガス欠になりそうになったら教会に行きましょう。

教会は 神の愛の サービスステーション

なんですから。

晴佐久神父様には大変お世話になりました。
代親の北村様、入門係、教会の皆様、私にカヌートという洗礼名を探してくれたFさん、大変お世話になったこと深く感謝しています。
他にも私に聖書を励まし読ませ、厳しく気づきの促しをしてくれた
プロテスタントの人からの導きもあってここまで来られました。
晴佐久神父さんに会わせてくれたのが、そもそもプロテスタントの人
だったのですから。

プレゼントされた大きい聖書で3度目の通読するのが楽しみです。

そして、最後に「すべて お任せします」ありがとうございました。


(スペース、改行、段落など、文章の体裁は、ご本人の希望により、原文ママ)

ありがとうございました(受洗者記念文集)

和田 まどか(仮名)

 「すべての悩みを手放して、楽になりましょう」・・・私が受洗させていただきたいと申し上げた時の晴佐久神父様のお言葉です。洗礼式を終えた今、神父様のこの言葉をかみしめつつあります。
 私は60代半ばのこの年齢まで、キリスト教とはまるでご縁がありませんでした。そんな私が、友人にサポートされて初めてミサにあずかったのは、ちょうど3年前の4月でした。この3年の間、代母様はじめ、友人たち、入門係の方々が、私をずっと見守り、支え続けてくださいました。何とお礼を申し上げてよいか。心より感謝しております。
 この3年間、回数を数えられないほどのミサにあずかってまいりました。そして御ミサを通して、少しずつ、少しずつ、固く閉ざしていた私の心が柔らかくなってきたような気がします。気付いたら「みこころのままに」という言葉が、静かに心にしみこんでいました。私にとって受洗は、ひとつの通過点でもあり、また、新しい人生のスタート点でもあります。この年齢になって、新しい人生がスタートできるとは何という幸せなことでしょう。
 最初の神父様のお言葉にもどりますが、私は今、「生きるのはラクなほうがいいなあ〜」としみじみと思います。
 これまで導いてくださった多くの方々に心より感謝申し上げます。そして今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

新受洗者を大切にする真の教会として (受洗者記念文集:晴佐久神父巻頭言)

主任司祭 晴佐久昌英

 「受洗者記念文集」というものを発行している教会が、日本にいくつあるのでしょうか。調べたわけではありませんが、とても珍しいことであるのは確かです。私たちカトリック多摩教会が、その年に受洗した数十名の新受洗者全員の感想をまとめた記念文集を、こうして毎年欠かさずに発行しているのはとても貴重なことですし、教会全体にとっても励ましになることではないでしょうか。

 この文集を発行する第一の目的は、新受洗者のことを少しでも知っていただいて、教会家族として受け入れてもらいたいからであり、これからも教会家族みんなで彼らを支え、信頼関係を育てながら長い目で見守ってほしいからです。
 読んでいただければわかるように、受洗者の多くは体の面でも心の面でも、信仰の面でも社会的な面でも、大変弱い立場にある人たちです。だからこそ神は、病気のわが子を特別に可愛がって看病する親のように、この受洗者たちを特別に教会に招いて福音を語りかけ、救いの喜びに与らせたのです。
 そのような弱い人たちが多く集まる教会こそは本物の教会だと言えますが、当然そのような教会には、そのような人たちを守り育てる使命も与えられています。
 生まれたての赤ん坊は自分ではまだ何もできませんし、傷つきやすい上に免疫力も弱いので、慎重に扱わなければなりません。同じように、新受洗者たちもまだ信仰のこと、教会のことがよくわからず、心は傷つきやすく、さまざまな出来事に対する免疫もありませんから、一人ひとりを優しく受け入れ、時間をかけて理解し、忍耐強く見守らなければなりません。
 この文集が、そのような相互理解の一助となればと思います。

 パウロの手紙を読むまでもなく、初代教会のときから、新受洗者のために熱心に祈り、新受洗者を大切に守り育てていくことは、キリストの教会のとても重要な特徴であり、美しい習慣です。
 これからも私たちの教会が、新受洗者を大切にする真の教会として成長していきますように。

エクレシア(受洗者記念文集)

三国 紀夫(仮名)

 初めてカトリック多摩教会を訪ねた時を境に、私自身にどんな変化が起きたのか。受洗後によく思いを巡らしていました。しかし、今の実感として確かなことははっきりとは分かっていません。
 そのような訳で、一番書きがいのある題名で書くことができませんでした。毎日つけている日記を見ても、よくぞこんなに些細なことにあれこれ悩めると感心しつつも、そのような落ち着きのない自分が参考にならず困ってしまいました。私は相も変わらずバラエティ豊かな葛藤に囲まれてジタバタし続けています。
 しかし、これは勘なのですが、私は教会を知ることで、信じるものを守り切ることができたような気がします。ただそれだけの理由で、目まぐるしい世の中を御心にかなうように生きようと思うのです。もうそれだけです。
 神様が、ここに私を導いてくださったことに感謝します。教会の皆さんにも感謝の言葉もありません。このような未熟者ですが、これからもよろしくお願いいたします。

巻頭言:主任司祭 晴佐久昌英「奇跡の教会ミュージカル」

奇跡の教会ミュージカル

主任司祭 晴佐久 昌英

 「ねえママ、こっちを向いて ぼくを見て 話を聞いて このままじゃぼくは、ぼくじゃなくなってしまう」
 昨年の聖劇の中で、主役の健太君が歌った「ねえママ」の一節です。母親とケンカして家出した10歳の少年の孤独と不安を、健太役の小学生は見事に歌い上げ、観客の涙を誘ったものでした。
 オリジナル脚本、オリジナル作詞・作曲、出演者は全員教会のメンバーで、ソロあり合唱あり、演出家に歌唱指導とダンス指導もつけて当日は生演奏という、奇跡の教会ミュージカルで、たぶん日本一の聖劇だと自負していたのですが、なんと今年は世界一?を目指そうと、ついにホール進出です。
 昨年見ていない人のために、前半40分は、昨年と同じミュージカル。休憩はさんで、後半60分は新作ミュージカル。新作といっても、内容は昨年のお話のちょうど十年後というもので、通してみるとひとつのお話になっているという、驚異の舞台です。
 前半10歳の健太君も、後半には20歳。仲間たちとバンドを組み、恋人もいたりするのですが、うつ病を患ってつらい日々を過ごしています。相変わらず母親とケンカして家を飛び出した健太君に、思いもよらぬ出来事が待ち受けています・・・。

 脚本を書いているのは、言わずと知れた晴佐久神父。よくそんな時間がありますねと言われますが、今回の作品は3日で書き上げました。まあ、40年間ミュージカルを見続けて来ましたし、脚本くらいはお手の物ではありますが、今回の作品には特別な思い入れがあって、いつになく集中してしまったのでした。
 というのは、内容がほとんど実体験のようなものだからです。
 実は、今回の脚本を書きながら、何度も涙をこぼしました。20歳になった健太君のモデルはあまりにも身近にいる人物で、彼が16歳のときから、まさに先日20歳になるまでの4年間を、ずっと見てきたからです。とりわけ、17歳から現在に至る3年間、彼はうつ病を背負い、苦しみながらも必死に生き抜いてきましたし、その壮絶な現実をだれよりもよく知っている者として、平静には書き進められなかったのです。

 当然というか、奇跡というか、主役の20歳の健太役を、この彼自身が演じます。
 今回は演出も晴佐久神父。2幕4場のラスト、クライマックスで歌う曲には、彼自身の作詞作曲の作品を用いることにしました。自分自身の生身を切って生み出した曲の迫力と、その痛みに鍛えられた表現力は圧倒的です。これを聞いたらもうその辺のミュージカルなんか聞けなくなります。
 主役の彼を支えるわき役もまた、多摩教会青年会の仲間たち。気がつけば全員、加計呂麻キャンプの経験者であり、日ごろから培ってきた仲間意識と、やるなら本気でという彼らの結束力を遺憾なく発揮してもらえそうです。そもそも彼らが「本気でやる」と約束してくれたからこそ始まった今回のプロジェクト、彼ら教会家族の信頼関係なしにはこの脚本も舞台もあり得ないことは確かです。
 主役の彼が、今日まで生きて来られたのは、間違いなく教会家族がいたからです。
 今回のミュージカル、テーマはずばり、「教会家族」。
 晴佐久神父が多摩教会で体験した、この7年間の奇跡の集大成のような舞台です。

 12月27日、日曜日の午後、若葉台駅前iプラザホールにて。

連載コラム:「『オアシス』さがそ!」

連載コラム「スローガンの実現に向かって」第58回
「オアシス」さがそ!

貝取・豊ヶ丘地区 吉田 雨衣夫

 バイーシャは駱駝を引きながら、まっすぐ前を見て歩いていました。
 少し後ろから息子のアユーブがついて行きます。
 家を出てから何カ月も過ぎました。
 石ころが混ざった砂地が見渡す限り続いています。昨日もその前もズーっと同じ景色の中を歩いてきました。
 バイーシャは眉根にしわをよせて黙ったまま、ただただ前を見ています。「親父も爺さんもこうして歩いていたんだよなあ。何か良いことがあったんだろうか?」
 彼の父親は7頭の駱駝を残して8年前に亡くなりました。バイーシャは一生懸命に働きました。今では駱駝も20頭に増えてアユーブも15歳になりキャラバンについてくるようになりました。バイーシャは歩きながら考えていました。「砂嵐だの盗賊だの飢えや渇きを心配しながらいつもいつも歩いてる。俺には何があるんだろう?取りあえず今夜の寝場所を見つけなきゃ」空には一番星が光り始めました。
 夜明けとともに彼らはまた歩き出しました。
 今日は何日ぶりかでオアシスに着きます。
 夕方近くになって遠くに木立がみえました。バイーシャの顔が少しほころびました。
 アユーブは父親のこの笑顔がとっても好きです。いつもしかめ面をしている父がこの時はとても優しく見えるのです。
 父親の笑顔はアユーブにとって「オアシス」みたいなものです。駱駝たちの足も少し速くなったようです。                             (おしまい)

 最近人生の道のりが長く長く感じられます。「前途ほど遠し」といったところでしょうか。世の中は思い通りにならないようにできているのですね。
 できれば、ただ静かに暮らしたいだけなのですが、時々自己嫌悪に陥り、時には思うようにならない事に腹をたて、ある時は自分を分かってもらえなくて落ち込み、人と争いをして気まずい思いをし、夫婦喧嘩でもう顔も見たくないと思い、、、。
 でも、ふと目を上げた時の青空、どこからか聞こえてきたナポレターナ、釣れもしないのに釣り糸を垂れてボーっとしている時、湯船につかってふーっと息を吐いた時、思いもよらず良く撮れていた写真、のめりこんで読んでいる本、、、。
 気が付けばちょっとした「オアシス」がそこかしこにあるものです。
 でも、本当の「オアシス」にはいつになったら行けるのでしょうか?