連載コラム:「おもてなしの心で」

連載コラム「スローガンの実現に向かって」第59回
おもてなしの心で

桜ヶ丘地区 道官 玲子

 ゆで卵15個をゆでて、きれいにつるりと殻をむき、教会へ持参すること。
 今年、春の復活祭で洗礼を授けていただいた一週間後、私に与えられた最初のミッションは、地区の軽食当番で、おうどん100食をサービスするお手伝いでした。
 「無料券2食、お願いします!」
 それは、その日初めてこの教会へ来られた方への無料の軽食サービス。私が教会家族になってはじめて「おもてなし」側に参加できた瞬間?でした。
 この連載コラムに「文章を書いてもらえませんか?」と声をかけていただき、新受洗者の私には無理ではと躊躇しながら、ふと、今年のスローガンが「荒野の中のオアシス教会をめざして今年私は人にもっと優しくなります」だったことを思い出しました。
 新受洗者だからこそ、この教会に初めて出会った時のこと、ここが心のオアシスだと気付いた時のことを、これから初めて教会と出会う方たちとの接点として、お伝えすることならできるかもしれない、と思い直しました。私は皆さんに、素敵なおもてなしをしていただいたからです。

 母の葬儀ミサ後、初めての土曜日、聖堂の一番後ろの席でミサに与っていた私に、「神父様にご挨拶をされていかれたら? 神父様も喜ばれると思いますよ」とそっと優しく声をかけてくださった方。
 道端に雪が残る夜、明かりの灯る信徒館の入門講座で、「はじめての方ですね! ようこそ〜」と温かいハーブティを笑顔で差し出してくださった方。
 ドキドキしながら神父様と面談をし、洗礼許可証にサインをいただいた直後、ボーっとしている私を促して、神父様は許可証を手に持ったまま、隣の会議室にいた10名ほどの方に声をかけられたのです。
 「皆さん、お祈りいたしましょう。神さま、天の父よ・・・○○さんをこの教会の家族として、兄弟としてお迎えいたします。どうか・・・」
 家族?? 兄弟??
 自分ひとりで、神さまと向き合うことばかりを考えていた私の目の前に、目を閉じて十字を切り、手を合わせて私のために祈ってくださる皆さんの姿が飛び込んできたのです。
 「安心の涙」が溢れてきて止まりませんでした。

 7月、そうめんパーティに、数カ月前から入門講座に通い始めた若い女性が参加してくれました。
 ヒノキの飯台に沢山のロックアイスを使い、氷の間に涼やかに盛り付けられたそうめんは、まるで渓谷の水の流れのようでした。その上にそっと山若葉色のもみじの葉も添えられていました。
 夢中でそうめんをいただいていた私に、口数の少ない彼女が「美味しい。こんなに沢山のロックアイスと一緒にきれいに盛り付けられているそうめんを食べるのは初めて」とつぶやいてくれたのです。おもてなしの心が優しく添えられた一皿が、彼女の心に届いた瞬間だったように感じました。
 神さまの家である教会が差し出す一杯の水。ひとつひとつの小さなおもてなしが、ある日心の中でつながった時に、不安や困難の中にあっても、人は「あっ、私は神さまに愛されている」と気付くのではないでしょうか。
 私たち新受洗者は、生後やっと7カ月になりました。時々、前のめりになったり、後ずさりしたりしながらですが、毎週、晴佐久神父様から「福音」という栄養をいただき、少しずつ成長中です。
 荒野の中の本物のオアシスへ、もう一人の誰かが出会えるように。
 私も幼子のように小さなおもてなし、笑顔から始めてみたいと思います。

11月:「初金家族の会」からのお知らせ

「初金家族の会」からのお知らせ

  11月6日、初金ごミサの中で赤ちゃんの洗礼式があり、可愛い笑顔に心がなごみました。
 晴佐久神父様はお説教で「この日の福音で、金持ちの管理人が主人に借りのある人、一人一人を呼んでその人たちの主人に対する借金証文の金額を少なく書き直させたことを、『この抜け目のないやり方は大変賢いふるまいだと主人は褒めた』という譬えは少しわかりにくいかもしれません。神様からいただいた命、心、時間、才能、家族など沢山の大きなお恵みをどのように生かし、他人のために活用するかが大切、人間にとって最高の幸せは、困っている他人のために幸せを分けてあげることという教えなのです」と話されました。

 続いての初金家族の会では、藤沢からの青年二人も初参加、卓話では長年教会の広報で活躍された府中市の松原 睦さんが「“面倒くさい、後でしよう”からの脱出」と題して生活の知恵の数々を披露なさいました。≪逃げずに、とにかく手を付ける、予定を立てメモを書く、単純なことからまず手をつける≫など、具体的な「スグやる実行例」を挙げてのお話で、日常的な事柄の体験談が家族の会の雰囲気に溶け込み、「なるほど、今日帰ったら早速机の上を片づけよう」などの声が笑いを誘ったひとときでした。

 初金家族の会は教会内外の顔ぶれからよもやま話あれこれをやりとりできるなごやかな集いです。お昼前のひととき、どうぞどなた様もお気軽にご参加ください。
 次回12月4日には、聖堂で波多野直子さんが楽しいクリスマスの曲をオルガン演奏してくださいます。 

私の十字架(受洗者記念文集)

ペトロ ゆうし(仮名)

 私は、罪を犯しました。決して赦されることはない、重い十字架を背負いました。
 罪の意識に囚われ、暗闇に自ら落ちていきました。私は、すべてを失いました。

 暗闇で苦しみ、もがいていました。

 昨年のクリスマス、「ここクリ」で初めて教会に足を踏み入れました。聖堂で歌を聴き、胸が苦しくなり涙をぼろぼろと流しました。晴佐久神父様は、「友達になりましょう」と言ってくださいました。なんか、またここに来たいと思いました。
 年明けには、毎週金曜日の夜に入門講座に通うようになりました。一週間をなんとか生き抜き、すがる思いで教会に来ました。毎回、神父様のお話を聴き、教会の皆さんとお話をして、おいしいご飯をいただきました。
 「教会家族」これは、私が好きな言葉です。共に食卓を囲み食事をし、心を開き話をする。これは、本当の家族です。私の帰る場所。私が私でいられる。何も飾らず気取らず、弱い自分でいていい、ありのままの自分でいられる、そんな場所ができました。
 ミサでは、毎回涙がぼろぼろと溢れ出て泣き続けていました。自分が犯した罪に、十字架に押し潰されていたのかもしれません。何回も何回も十字を切り、お祈りしました。

 洗礼を受けたあの日、初めて御聖体をいただきイエス様が私の体に入ったとき、心がとてもとても温かく感じられました。イエス様が私の十字架を一緒に背負ってくれている、「もう大丈夫だよ」と語りかけてくれている、そう思えました。苦しみの涙は、止まりました。
 私の罪は、赦されたわけではありません。ひとの罪を赦せる心ができたとき、私の罪も赦されるのかもしれません。私のように苦しんでいる人に、そっと寄り添える者になりたいです。
 いま私にできることは、お祈りすることだけです。大切なひとを想い、笑顔でいられますように、心穏やかでいられますように、お守りくださいと、神様にお祈りしています。

 私は、教会に来ることができてよかったです。あのクリスマスの日、神様が私に進むべき道を、そっと照らしてくださったのだと思います。私はすべてを失いましたが、神様の存在を知ることができました。晴佐久神父様を通して福音を聴き、イエス・キリストの教えを知り救われました。
 晴佐久神父様、入門係の皆さん、代親さん、教会で出逢った皆さん、私の心にそっと寄り添って温かく接していただき心から感謝します。これからも、どうぞよろしくお願い致します。

 天の国にいくのは、もう少し先にします。イエス様がもういいよと呼んでくれるまで、生きていきます。

 主よ、私の進むべき道を迷わぬように明るく照らしてください。
 主よ、変えられないものを受け入れる心の静けさと、変えられるものを変える勇気をお与えください。
 主よ、心に平安をお与えください。

 神に感謝  キリストに賛美

ただただ存在しているという事実(受洗者記念文集)

ヒバ(仮名)

 これまでいろいろ悩んできました。
 けれどそんな私の勝手な思いとは関係なく、これまでもこれからも、何か大きなものに包まれて、守られ肯定されているのだとわかりました。
 私は、どんな目に合おうとも何に悩もうとも、自分は変わらずに、確かにこの世界に存在しているし、そのことがとてもありがたく、奇跡的なことだと思っています。
 教会に来て福音を聞いて、この、自分が世界にただただ存在しているという事実が、無条件に肯定され守られているということの証しだと実感しました。
 この明るい気持ち、神に守られ、聖霊と共にいるという実感、これを常に忘れずに持って生きていきたいと思うし、この気持ちがあれば今後どんな辛いことがあっても乗り越えられるんじゃないか、と思っています。
 洗礼を受けても、相変わらずいろんなことに一喜一憂し、悩んだり苦しんだりしています。
 ただ、全ては自分とかこの世界をはるかに超えた、素晴らしい出来事に繋がる何かであると信じています。
 こういう気持ちを確信させてくれた神父さん、教会のみんなに感謝します。そして神様の導きに感謝します。 アーメン

神さまのお導き(受洗者記念文集)

セシリア 水口玲子(仮名)

 朝、目を覚まし、今日も健康で起きられた、と感謝する。
 お湯を沸かし、ドリップのコーヒーを入れ、ゆっくり飲む。
 青天の空を見上げ、今日もお天気、と洗濯機を回す…

 そんな何気ない日常の一コマが、恵みに満ちた幸せなことなのだと気付いたのは、信仰を持つようになってからでした。
 こんな感謝とおだやかで満ち足りた気持ちを以前から持っていたなら、人生違っていただろうに…とも思いました。でも、遅ればせながら信仰に巡り合えた、そのことに感謝の毎日です。

 一番苦しかったとき、神さまがドロ沼へ手を差し伸べて引き上げてくださった、あの感覚。あの時の気持ちは、これからも決して忘れることのできない大きな喜びとなって、心に残っています。
 それ以来、祈りによって自分がなすべきことを導かれ、そして、その導きに沿って行動すると、驚くほど物事がすんなり運ぶこと。それも、大きな喜びとなりました。
 そこに至るまでに「もう大丈夫」「相手をそのまま受け入れる」等々、数々のお言葉で信仰へ導びいてくださった晴佐久神父さまなしには、ここまで来られなかった…と心の底から感謝しております。

 これからもクリスチャンとしての自覚を持ち、悔いのないよう生きて行こうと思います。
 神父さま、教会の皆さま、本当にありがとうございました。

「救い」を信じて(受洗者記念文集)

和田 深雪(仮名)

 私が洗礼を受けようと思ったのは、洗礼によって神様の「救い」というものに、もっと深く触れてみたいと思ったからです。
 そもそも神様を知るきっかけとなったのは、私が五年生のときにカトリックの学校に編入した事です。その前に兄がカトリックの学校に入っていましたが、あまり身近に感じることはなく、「私立の学校ってすごいんだな〜」という位にしか思っていませんでした。カトリックの学校に入ったことで、「祈り」や「宗教」、「神様」、「イエス様」の事を身近に感じる事が出来ました。
 しかし、私はその学校になじめず、浮いていました。それは、「イベント時以外は、聖堂に出入りしてはならない」など、カトリックらしからぬ規則や、「面倒くさいことには関わらない」という教師の姿勢に疑問を持っていたのが私だけだったという事もあると思います。ですが、一番の理由は、「みんな同じ」が要求されるこの時代、私が良い意味でも悪い意味でも「みんなと違って」いたからだと思います。
 私は、中途半端な平等主義が大嫌いでした。「みんな同じ」という考え方もそうです。そういう考え方は、個々の能力を伸ばすどころか縮める事になってしまうからです。ですが、私がそのような行動をとったり、そのような事を思わせる事を話したりすると、その考え方が理解不能に思える教師や生徒は、「変な奴」という目で見るようになります。学校の居心地はどんどん悪くなるばかりで、学校に行くのが嫌になってきました。
 「こんな私を好きになったり、愛してくれたりする人は誰もいないのか」私がそんな事を毎日悶々と考えていた時、学校の宗教の時間で、こんな事を習いました。

 「どんな人も、神様は平等に愛し、救ってくださる」

 「どんな人にも」。
 私も神様に愛されていて、救われるんだ!
 そう感じる事が出来ました。とても嬉しかったです。
 多摩教会に通うようになってから、「必ず救われる」という晴佐久神父様の言葉を聞き、再び嬉しくなりました。「必ず救われるから、大丈夫」。その言葉を聞き、私は「救い」についてもっと深く触れてみたいと思い、洗礼を受ける決心をしたのです。
 4月4日。私にとっては、洗礼式であり、また、中学校の入学式でもある日。新しい、生まれ変わりの日。セシリア・和田深雪として、新しく神様の子供となった日。私にとって、一生忘れられない日となると思います。
 何も変わらないかもしれません。また同じ事を繰り返す事になるのかもしれません。けれど、「私は救われる」。もう何も怖くはありません。新しい神の子として、一歩を踏み出せたのですから。


(ご本人の希望により、漢字、文章体裁など、すべて原文ママ)

教会は 神の愛の サービスステーション(受洗者記念文集)

島 聖一(仮名)

私は復活させられてしまいました。
そして「気づいた」と思っていたことも、実は「気づかされちゃった」ということに気づいちゃいました。

つい2年前の初ミサから2年ちょっとで洗礼を受けることができたということは、なんという幸せ者なんでしょうか。
ただただ、感謝、感謝、感謝です。

私はある人を恨んでいました。
一回目の神父面談ではただただ恨んでいる人のことばかりを延々と話していました。
その時は、恨んでいる人に私が支配されていることには全く気づいていなかったんですよね。
悪口を言うことによって、ある意味の満足感を得ていたような気がします。
ただ神父様に話したくて、聞いて欲しくて、わかって欲しくて
一回目の面談は悪口を話してたら、あっという間に終わってしまいました。

気づかされちゃったきっかけはある日突然やってきました。

恨んでいる人が突然私と同じ心臓病にかかって十数時間に及ぶ手術を受けたんです。何とか命はとりとめました。
(実は私も4年前に心臓弁膜症に罹り、人工弁置換術の手術を受けました。身体障害者1級1種の手帳を持ってます)

私が4年前に入院した時に見舞いに来てくれた人なので、見舞いに行かないわけにはいかないのですが、どうも気が進まず
「今はまだICUに入っていて意識もまだ戻ってないんだから、一般病棟に移ってから見舞いに行けばいいだろう」なんて思ってたんです。
そのことをネットの掲示板に書いたら、
いつもお世話になってる方(女性)から返事が来たんで読んだら
すぐに見舞いに行きなさい行きなさいって、うるさいくらいでした。
あんまりコワイので仕方なく見舞いに行ったんです。
まさに、行かざるを得なかったって感じだったんですよ。
実はその方、プロテスタントなんです。
なんで無視しないで従っちゃったのか不思議なんです。

そうだ、どうせICUに入ってることだし顔だけ見てすぐに帰ってくればいいや
まだ意識は戻ってないだろうし、話もできないだろうし、なんて思いながら
じゃー行ってくるか〜てな具合に大学病院に出かけて行ったら、
その人がICUに居なかったんですよ。
え〜死んじゃったの?
実は術後の経過が良好なのでお昼からICUを出た、ということで看護師さんに案内されて彼のベッドに行くと、ちょうど体につながっていた管が全部取り外されているところでした。
そして、看護師さんに頼まれちゃったんですよ。
「長い麻酔から覚めたばかりなので、できるだけ長く話しかけてください」と。
まさか、「仲が悪いので話などできません」とは言えないでしょう、困りました。

でもでも、話し込んじゃったんですよ、なんと2時間ちょっと、
何を話したなんて覚えてないんですけどね。

覚えていることは、「楽しかったこと」だけなんです。

その後で彼はリハビリで廊下を歩かされたんですけど、私も一緒に歩いちゃいました。結局3時間位病院にいたんですよね。

大学病院から最寄り駅まで20分位歩いたんですけど、その時気づいたんです、
気づかされちゃったんです、
「なんで恨んでたんだっけ」

思い出せないんですよね。

なんだか心が解放されて、軽くなって晴れ晴れとした気分になってる
自分に気づいたんです。

私の心の大部分を占めていた恨みがなくなって、
空っぽになった心に神の愛が雪崩を打って入り込んできた、まさにそんな感じ、
そうとしか考えられませんでした。
「汝の敵を愛せよ」ってこういうことなんですかね?

今では元恨んでいた人と会うたびに二人して
「20〜30年前だったら二人とも生きていないんだよね〜、いただいた命なんだから大切に生きないとね〜」って、励ましあってます。

その後すぐに2回目の神父面談がありました。
私はうれしくてうれしくて、「気づいた」「いや〜気づいてなかった」とか
同じような言葉を20回位言ったようなんですよね、私は覚えてないんですけど、神父さまにそう言われちゃいました。

もう私は人を恨んで、その人に心を支配されるようなことは絶対ないです。

だって、神の愛に心を満たされた時の自分を知ってしまいましたから。

そして、ミサに行けば、神の愛で心は満タン状態。

もうサタンの誘惑など入り込めないですよ。
なにせ、ミサは毎週あるんですからね。
毎週満タンにして帰れるんですから、ガス欠にはならないでしょう。
もし、頑張りすぎちゃってガス欠になりそうになったら教会に行きましょう。

教会は 神の愛の サービスステーション

なんですから。

晴佐久神父様には大変お世話になりました。
代親の北村様、入門係、教会の皆様、私にカヌートという洗礼名を探してくれたFさん、大変お世話になったこと深く感謝しています。
他にも私に聖書を励まし読ませ、厳しく気づきの促しをしてくれた
プロテスタントの人からの導きもあってここまで来られました。
晴佐久神父さんに会わせてくれたのが、そもそもプロテスタントの人
だったのですから。

プレゼントされた大きい聖書で3度目の通読するのが楽しみです。

そして、最後に「すべて お任せします」ありがとうございました。


(スペース、改行、段落など、文章の体裁は、ご本人の希望により、原文ママ)

ありがとうございました(受洗者記念文集)

和田 まどか(仮名)

 「すべての悩みを手放して、楽になりましょう」・・・私が受洗させていただきたいと申し上げた時の晴佐久神父様のお言葉です。洗礼式を終えた今、神父様のこの言葉をかみしめつつあります。
 私は60代半ばのこの年齢まで、キリスト教とはまるでご縁がありませんでした。そんな私が、友人にサポートされて初めてミサにあずかったのは、ちょうど3年前の4月でした。この3年の間、代母様はじめ、友人たち、入門係の方々が、私をずっと見守り、支え続けてくださいました。何とお礼を申し上げてよいか。心より感謝しております。
 この3年間、回数を数えられないほどのミサにあずかってまいりました。そして御ミサを通して、少しずつ、少しずつ、固く閉ざしていた私の心が柔らかくなってきたような気がします。気付いたら「みこころのままに」という言葉が、静かに心にしみこんでいました。私にとって受洗は、ひとつの通過点でもあり、また、新しい人生のスタート点でもあります。この年齢になって、新しい人生がスタートできるとは何という幸せなことでしょう。
 最初の神父様のお言葉にもどりますが、私は今、「生きるのはラクなほうがいいなあ〜」としみじみと思います。
 これまで導いてくださった多くの方々に心より感謝申し上げます。そして今後ともどうぞよろしくお願いいたします。