巻頭言:主任司祭 晴佐久昌英「日本一の教会においでください」

日本一の教会においでください

主任司祭 晴佐久 昌英

 この巻頭言も、晴佐久神父としては最終回ということになりましたので、心置きなく、言いたいことを言わせていただきます。

 多摩教会は、日本一の教会です。まあ、「日本一」は言葉のあやにしても、少なくとも、「今の日本で、特別に聖霊の働きを感じられる教会」であることは、間違いありません。実際に多摩教会に出会って福音に触れ、多摩教会に歓待されて救われた人たちは、それを肌で感じているはずです。中でも、それぞれの闇の中から信仰の光へと導かれ、今年の復活祭に洗礼を受ける人たちは、その聖霊の働きの証し人です。
 その中には、幼いころキリスト教に出会ってから洗礼を求め続けて来たのに、どうしても救いを見出だせずに、長年にわたって苦しんできた人がいます。
 親に嫌われ、学校や職場ではいじめられ、家から一歩も出られずにいた人もいます。
 怪我と病気で苦しみ、激しい痛みのせいで生きる希望を失っていた人もいます。
 大学生の息子に突然先立たれて、絶望の淵をさまよっていた夫婦もいます。
 父親の介護と死をきっかけに、本物の宗教を求め始めた、全盲の男性もいます。
 何度も自殺未遂を繰り返しながら、自分の本当の居場所を求めて、様々なところをさまよい歩いてきた女性もいます。
 精神科の閉鎖病棟の中で多摩教会の信者と出会い、その信者を見舞いに来た神父に招かれて、教会に通いだした青年もいます。
 人生に行き詰って先が見えず、真っ暗な思いで教会を訪ねたのに冷たく対応されて傷つき、やっとの思いで暖かい教会を探し出して来た大学生もいます。
 最愛の夫を亡くしたことをきっかけにして、初めて真剣に自分の生き方を模索して訪ねてきた奥様もいます。
 つい最近、深刻なガンを宣告されて大きなショックを受け、一日も早く救われたいと願って、必死な思いで受洗を希望してこられたご婦人もいます。
 みんな、多摩教会で福音に出会って安心の涙を流し、教会家族に受け入れられてキリストと結ばれ、救いの喜びに目覚めて洗礼の秘跡を願い出た人たちです。
 今年が特別だということではありません。毎年、こうして闇から光へと、大勢の人が招き入れられてきました。今年の受洗者は37名です。晴佐久神父在任の7年間で、多摩教会創設以来の洗礼台帳ナンバーは、419番から721番まで、303人分増えました。

 すべては、聖霊の働きです。聖霊こそは、恐れと無知の闇の中にいる神の子たちをキリストのもとへ導いて、真理を教えてくれるのです。すなわち、この世界が生きるに値すること、この人生は決して無意味ではないこと、この命は死で終わるものではないこと、この私は天の父に、永遠に愛されていることを。
 確かに、世界は苦しみに満ちています。人生は無駄に過ぎていくように思われます。命はあまりに儚く、自分は誰からも見捨てられているように感じることさえあります。病気、障害、虐待、貧困、災害、不和、戦争。この世界を生きるということは、なんと過酷なことでしょう。確かに、この世界は苦難と苦悩に満ち満ちています。
 でも、ご安心ください。この世界には、多摩教会があります。福音を語る多摩教会のキリスト者がいます。福音を語る多摩教会のキリスト者たちという、日本一の教会家族があります。
 たとえ神父が代わっても、多摩教会に働く聖霊は決して変わりません。

 多摩教会の教会家族と共に働いた7年間は、我が司祭生活で、最も恵みに満ちた日々でした。教会家族のみなさんの愛情と忍耐のおかげです。感謝の言葉しかありません。みなさんは、本物の教会家族です。これからも、本当に多くの人を救うことでしょう。
 聖霊に導かれてこの文章を読んでいる、まだ福音を知らない方に、申し上げたい。
あなたは、神の子です。神に愛されています。あなたはもう、天の父の親心によって救われています。安心して信頼して、希望をもって、日本一の多摩教会においでください。

連載コラム:「神父さま、ありがとうございました!」

「荒野のオアシス教会を目指して」

一瞬の勇気で、一生の家族!
連載コラム「スローガンの実現に向かって」第63回
神父さま、ありがとうございました!

入門係一同

◎ 「目の前にいる苦しんでいる人に福音を届けて救ってあげたい」という晴佐久神父様の優しい熱意は、この7年間、決して弱まることはありませんでした。神父様は目の前にいる人に、ひるむことなく宣言します。「神様はあなたを愛している!」と。神父様のこの優しさと確固たる信仰に引き寄せられるように、苦しんでいる多くの人が入門講座を訪れて、癒され、キリストに出会って、洗礼にまで導かれました。キリストを信じる一人の司祭が、彼の優しい心の「オアシス」から湧き出る“永遠の命に至る水”(ヨハネ4.14)を喜んで与え続ける場・・・。晴佐久神父様の入門講座はそのような場であったと思います。この恵みの場に7年間も置かせて頂けたことこそ、大きな恵みでした!本当にありがとうございました。 (本江 敏子)

◎ 求道者の皆様との素敵な出会いで、私の信仰の何かが大きく変わりました。このお恵みに心から感謝いたします。神父様、7年間有難うございました。 (マリア マグダレナ)

 ◎多摩教会の一歩外に出れば、悩み苦しむ心の内を話せる場所がどこにあるのか。入門係はやっとたどり着いた人に心のこもったお茶でもてなし、隣に寄り添い共に泣き、神に本当に愛されていると気付いた時、人は光輝くように変わる奇跡を神父様を通して体験しました。カトリックの真髄を教えて頂き、神父様に出会えたことに感謝しております。 (井関 起久子)

◎ 晴佐久神父様と出会わなければ、60年経っても神様の愛に気付かずにいたかもしれません。この多摩教会に来たことも、洗礼を受けて間もなく入門係の方のお誘いで入門係としてお手伝いしながら4年間神父様のお話を聞くことができたことも、晴佐久神父様を通して神様の計り知れない愛に感謝しています。ありがとうございました。 (大矢 むつみ)

◎ 毎週金曜日を心待ちに、語られる1時間半もの福音をブログに書くのが生きがいでした♪洗礼に関わるお手伝いを通しての学びは、一生の宝物です。ダメ出し、無茶ぶり、びっくり続きの刺激的な日々のなか、超怖かった神父様が随分平気になり、「恐れるな!」の御言葉を実体験した2年間でした。 (岡田 恵子)

◎ 「金曜入門のお茶入れおばさん」になりたくて毎週、教会にいそいそと通いました。神父様が語る福音に若い人たちと共に笑い感動で胸震わせ、美味しい手作りケーキを頂きながら分かち合いでも沢山の元気を頂きました。晴佐久神父様や皆様に心から感謝です。 (小川 紀子)

◎ 入門係にならなければ出会えなかった、入門者の方々との出会いに感謝します。大きな試練を抱えた人生が、入門者が口を開き、語ることで、そして聴かれることで、神の作品という、尊い物語となってゆく、そのような恵みの場面に、数多く立ち会うことができ、私自身励まされました。 (加藤 幸子)

◎ 日曜日の入門講座は、聖堂入口の行われ、神父様の恵みと、励まし、癒しの福音の話に皆さん、沢山の喜びを頂きました。今年10名の洗礼志願者を導いてくださいました。神父様、七年間の入門講座ありがとうございました。 (木戸口 育子)

◎ 多摩教会に来てすぐに、「やってみない?」とお声がけ頂き、端っこでやらせて頂いた入門係。お客さま気分でなくて家族の一員だから家業をお手伝いし、みんな気持ちを合わせて新しい家族を迎える。晴佐久神父さんは有名人というより心の中では尊敬してるけど熱血お父さん。もっと言葉を鍛えそしてもっと優しい人に、福音を生きて語れる人になりますから見守っていてください。 (笹田 彩子)

◎ 20年ぶりに不安いっぱいで来た教会が多摩教会だった事を、神様に感謝しています。「本当の信仰が分かるように」と入門係を勧めてくださり、不安の雲を取っ払い、天井の青い空「すでに救われていること」を教えてくれたのは晴佐久神父様です。神父様の語る福音の強さ、温かさに、皆さんと共に救われました。 (酒井 眞知子)

◎ 「いいこと思いついちゃった!!」という晴佐久神父様のあふれるアイディア(聖霊のはたらき、とも言う)に「え〜!!」と叫びながら、実現するのに必死の駆け抜けた6年間でした。大変なこともありましたが、福音が奇跡を起こすのを神父様のすぐそばでたくさん見てこられた、すばらしい恵みの時でもありました。ありがとうございました。 (佐々木 由理子)

◎ 晴佐久師にはスイッチがある。ミサではそれがオンになり、聖霊が降りて神の御言葉を語り、神はすべての人を救うと言い切る。終わるとオフになり、やんちゃな少年になる。ローマ巡礼で聖ヨハネ・パウロ二世の墓前でひざまづき真剣に祈る師の後姿に、どれだけ多くの人の想いを背負っているのかと感銘を受けた。どうぞ健康で。神の国のために。 (佐内 美香)

◎ 晴佐久神父様、入門講座日曜日の係を7年間させていただき沢山の導きに感謝です。毎回、入門者と同じ気持ちになって講座を聞かせていただき、素朴な質問に優しい言葉で、分かりやすく答えていただけるので、どんな方でもキリストに出会えた喜びの歓喜の涙を流されます。私も神様がどれだけ愛を持って導いてくださっていると、心から信じることができました。上野、浅草教会姉妹としても宜しくお願い致します。 (三浦 智津子)

◎ 入門講座は福音の入り口です。晴佐久神父様はこの世で傷つき、疲れはてて教会に来た方々に「あなたは必ず救われる」と宣言し続け、入門係もそれに奉仕してきました。そしてその福音は多くの実りを結び、その実りを見て私も多くの励みを頂きました。晴佐久神父様お疲れ様でした。今後とも教会を問わず全世界で福音が実を結びますように。 (ヨハネ)

◎ 傷つき、自分を責め、やるせなさや虚無に苛まれ、たどり着いた迷路の果て。きっとそこが晴佐久神父様の入門講座です。ただ一つの福音、神の愛を知ることで世界が変わる。心を閉ざしていた人の柔らかい笑顔。泣くことさえできなかった人の再び流した涙。入門係が出会える美しく尊い瞬間です。これからも、つながろう・つなげようと思います。神父様、安心してくださいね。もう、だいじょうぶぅ! (松澤 郁子)

◎ 「なんか感動した♪ アンコールないの?みんなでやるとか」新年会余興への神父様の言葉。キラキラトリオ組もうよ☆求道中の口約束も実現。アンコール所望でクインテットに膨らみ、前年の拙い演奏は大初笑いを誘い「あれでいいんですね♪楽かった」を喜ぶ入門係達。逆転の発想。1.2倍。みかん星人なソコの30番☆求めよ♪さらばじゃ?なくて?つ♪づ♪く♪ (◯子)

◎ 神父様には二人の子供の結婚式、主人の亡くなる直前の終油そして葬儀と、人生の最も大きな秘跡を授けていただきました。入門係に入れていただき、支え励ましてくれる仲間ができたこと、神父様の力強い福音宣言を繰り返し伺い、勇気をいただいたこと、多くの方々との出会い、教会家族の一員である幸せに感謝です。 (山下 眞由美)

◎ 多くのことを学びましたが、特に良かった点は2つあります。皆で一緒に学ぶことができたこと。金、土、日の受講者がどの講座を受けても、同じ内容を聞くことができ、終わったあと、コーヒーとお菓子でそれぞれ雑談することはお互いの関係を深め、心を癒すことができます。洗礼の後、知り合いがいれば孤独にならず、信仰が浅くても教会に来ることができます。そのうち信仰を深めてゆけるでしょう。もっとお聴きしたかったことは、掟とゆるしの秘跡についてです。悔い改めはとても大切なことと思います。 (マリア)

特別寄稿:「晴佐久神父様、ありがとうございました」

【 特別寄稿 】
晴佐久神父様、ありがとうございました

司牧評議会委員長 塚本 清

 2009年に多摩教会に着任されてから7年間、私達多摩教会の求道者や信徒を導いてくださった晴佐久神父様が、今年の司祭異動で浅草教会・上野教会へ転任されることになりました。この7年間に神父様が始められたことは、1月の多摩カトリックニューズの巻頭言で神父様御自身が書かれている通りですが、これらを含めて多摩教会では、実に多くのグループが活動をしています。今回は、その中で私も多少かかわった活動での神父様の様子を振り返ってみたいと思います。
 教会学校では、神父様は月に1回、子どもたちに直接お話をされていました。教会の中で、子どもたちにとって神父様というとどうしても遠い存在に思えることがあるかもしれませんが、これで身近な方だと思えるのではないかと感じました。また、教会学校の運営で、ともすればマンネリに陥りがちな時に、それではいけないということを教えていただいたことも記憶に残っています。
 病床訪問チームは、以前は個人的におこなっていた、信徒による病床への訪問やご聖体の授与をチームとしての活動としてくださいました。これによって教会の中でどのような方が病床におられ、ご聖体を必要とされているのかをチームとして把握することができました。神父様と一緒に病床訪問に行くと、主日のミサでの朗読箇所を読まれ、お祈りやお話をされていました。それがとても豊富な内容だったので、いつも時間をオーバーしていました。病床におられる方への神父様のまなざしも優しいものでした。これらのことすべてを通じて、一人一人を大切にする神父様の様子が強く印象に残りました。
 司牧評議会の副委員長や委員長になったときも、多くのご指導をいただきました。私の足りないところを指摘していただいて、司牧評議会がスムースに進むようにしてくださいました。会議の議題が多いときなど、私は事務的に処理しがちでしたが、神父様は行事や活動の大切なところを示してくださって、教会の活動の精神を思い起こさせてくださいました。
 これ以外にも多くのことがありますが、私が一番すばらしいと思ったのは、神父様の宣教に対する熱意でした。入門講座に参加された方の中から、毎年30名前後の受洗者が誕生して、信徒がどんどん増えていきました。そのほかに、バザーやクリスマスでの行事や教会に初めてこられた方の受け入れ、心の病に苦しんでいる方のための活動などなど多くのことを、キリスト教を広めるために行われてきました。実に多くの方々を受け入れていかれたことと思います。そして集まってこられた方々に福音を語り、神様の愛を伝えていかれました。これらのことをすべて書いていったら、何ページにもわたることでしょう。
 これを読まれている方々の一人一人にも、神父様の思い出がたくさんあることと思います。
 2012年に神父様は司祭叙階25年の銀祝を迎え、わたしたちも一緒にお祝いをいたしました。これからも健康に留意していただいて、大いに活躍していただきますように、私達もお祈りしたいと思います。最後に、神父様、7年間本当にありがとうございました。

3月:「初金家族の会」からのお知らせ

「初金家族の会」からのお知らせ

 早咲きの桜のたよりにようやく春の訪れを感じるようになった四旬節第三金曜日、3月4日のミサの説教で晴佐久神父様は、「大宇宙の根源の法則、すなわち、主である神を愛し、隣人を己のように愛しなさいとの神様の愛の掟こそ最高の教えです。私たちは幼児が全面的に親に甘えるように徹底して神様に依り頼みましょう」と、この日の福音について熱心に話されました。

 続いての初金家族の会では、広報委員の中嶋 誠さんが5月に予定されている五島列島の教会への巡礼計画に因んで、ザビエル来日時代からの宣教の歴史、土地の伝統文化と融合しながらの宣教師たちの努力の様子などを話されました。
 医療、産業面などで人々を励ましながら、「くつろいでください」と呼びかけた往年の宣教師たち、ひっそりと教えを守ったかくれキリシタンの秘密ことばの工夫の数々など、自作の絵を交えての中嶋さんの造詣の深い卓話でした。

 次回、4月1日、初金ミサ後の家族の会は信徒会館で、もちよりの手作りお惣菜鍋料理をつつきながら、なごやかに歓談する予定です。係では皆様の気楽なお越しを歓迎いたします。

巻頭言:主任司祭 晴佐久昌英「7年間の巻頭言」

7年間の巻頭言

主任司祭 晴佐久 昌英

 多摩カトリックニューズの巻頭言も、残すところあと1回となりました。ここまで7年間にわたり、82回分の原稿を読んでいただけたことを感謝します。遅筆の主任司祭に対する編集部からの心配そうな催促も、次回で最後かと思うと万感の思いです。
 カトリックニューズの重要な目的は多摩教会の全信徒の情報共有ですから、なるべく巻頭言も、主任司祭の目から見た、教会内の重要な話題を取り上げるようにしてきました。どんな話題を取り上げるかは、その時々の思いつきですが、それを7年分並べてみると、そこに、おのずとこの七年間が浮かび上がってきます。

 2009年度4月に転任してきた最初の原稿のタイトルは「はじめまして」です。「これからどんな『はじめまして』が待っているのか、わくわくしています」と、初々しく書いています。その後、5月の「天国の受付」、6月の「天国の入門講座」というタイトルが続くように、受付チームを作ったり、入門講座を始めたりと、人々を受け入れる教会にする工夫をし始めました。7月は「病床も聖堂」で病床訪問チーム発足、8月は「天国の応接室」で面談室設置、10月には「教会ショップ『アンジェラ』」で売店の設置と、毎月のように何かを始めています。
 10年度は、4月に「赤ちゃんは家族を元気にする」で34人の洗礼式の報告をし、「洗礼と聖体を中心とした共同体づくり」が実りを結んでいることを証しして、「来年の復活祭に向けて、新たなスタートです」と書いています。6月には「『多摩教会からのお誘い』をご活用ください」として、多くの人を教会に招くためのプリント発行を報告し、8月は「教会縁日へどうぞおいでください」で、聖堂でのバイオリンコンサートや納涼祭、バザー等のイベントを「一般の人々を神の御許へとお招きする何よりの好機に」しようと呼びかけています。
 11年度は、いうまでもなく東日本大震災の年です。震災の1週間後、3月号の「地は震えても天は揺るがない」で、「たとえ家族を亡くし、家を失い、放射能が降り注いでいる中でも、キリスト者は決して滅びないイエスの言葉に希望を置きます」「怖いのは地が震える事ではありません。私たちの心が震えて神を見失うことです。今こそ、神の愛に立ち帰るとき。地は震えても、天は決して揺るぎません」と書きました。その後、6月に塩釜、7月に釜石と宮古、8月塩釜、9月釜石、11月福島と、被災地の訪問報告が続きます。12月には、「福音の村」で、説教HPの開設が報告されています。
 12年度は、私の司祭25周年の年でした。4月号「さあその日をめざしてがんばろう」で写真詩集『天国の窓』について書き、5月号「『想定外』の25年」で、記念ミサの報告をしています。救いの普遍性について明確に語りだした年でもあり、6月号「天の救い地の救い人の救い」は、私にとって重要な概念ですが、この巻頭言が活字になった最初です。9月号「あなたはもう救われている」で、「閉じ込められていた『救い』の普遍化」について語ったラジオ放送が大きな反響を呼んでいること、10月号「十字を切る」では、普遍的救いについての私の本が出版されたことが、書かれています。
 13年度は、新教皇フランシスコについて新鮮な感動を持って書いているのが特徴的で、開かれた教会にしていこうという、積極的な内容が目立ちます。
 14年度は、心の病で苦しんでいる方々のことや、弱い立場にある人のこと、そのためのイベントなどが主な内容になっていきます。
 15年度は、インターネットの活用、教会合宿の効用、教会家族委員会の意義、聖劇ミュージカルの実りの大きさなどなど、具体的な教会活動が印象的です。

 こうして、7年間の巻頭言を振り返ると、それは、神さまが大きな恵みを与えてくださった、かけがえのない年月であったことが浮かび上がって来ます。みなさんとともに精一杯がんばった、幸いな日々でした。折に触れて読み返していただければ、幸いです。


( 晴佐久神父の今までの巻頭言は、こちら に一覧表があります。そこから読めるようになっておりますので、ご活用ください )

連載コラム:「福音を語るとは」

「荒野のオアシス教会を目指して」

一瞬の勇気で、一生の家族!
連載コラム「スローガンの実現に向かって」第62回
福音を語るとは

落合・鶴牧・唐木田・町田地区 北村 司郎

 私が晴佐久さんというお名前を知ったのは、1979年10月号の寺西師の多摩カトリックニュースへの巻頭言「晴佐久さん覚えていますか」です。正確にはそれ以前にも多摩ブロックの練成会のリーダーとして2回ほど参加させていただいているので、その際に、晴佐久神父様にお会いしていると思いますが、残念ながら記憶にありません。この巻頭言は「荒れ野から」(教会の本棚にあります)に収録されておりますので、ご一読をおすすめします。また、この本のカットは神父様が神学校時代に書かれたものですから合わせて、ご覧になったらよろしいかと思います。寺西師はこの文の中で晴佐久さんご夫婦(神父様のご両親)の病床での様子を垣間見て、「私たちの中に神の国は来ている」とおっしゃっています。神父様の言葉の中によく「福音を語る」という言葉が語られますが、その原点は、晴佐久神父様の家庭の中にあったことを感じます。神の国の中では福音が語られます。福音が語られている場所、それがオアシスなのです。教会は神の国、そして、オアシスです。

 晴佐久神父様の在任中の2012年の秋ごろ、ショッキングな記事が一般紙に出ました。ミラノのマルティー二枢機卿が亡くなられた際に言われた言葉、「今の教会は200年、後戻りしてしまった」というものでした。その半年後、現在の教皇様が選出され、大きく変化していきます。教会はこの世界の中にあるわけですから、今から考えると、その時代背景を反映し大きな問題を提供し、変遷してきたことは周知の事実です。だからこそ、必要なのはイエス・キリストがどのように人々に教え、かかわったかです。それが、教会の原点なのです。神父様はそれを、「福音を語る」、「もう大丈夫、神さまが私たちと一緒にいる」そんな簡潔な言葉で話されたのだと思います。それをこの7年間、身をもって語り続けたのだと思います。
 福音書が書かれた目的は歴史書でも、倫理書でも哲学書でもなく、宣教のためです。イエスの言動は人間存在の根本的なもの、「私そのもの」( being )にかかわるものです。それに対して、この世を生きていく物質的なもの、能力的なものなど( doing )ではありません。いくら多くの財産、高い学力をもってしても、人間の幸福にはつながりません。イエスはそのようには教えませんでした。人々に接しませんでした。 being だからこそ普遍性(カトリック)があるのです。神父様の話が他宗教やプロテスタントの方々に受け入れられるのは、 being の話だからだと思います。受洗する方々が多いのはそのためだと思います。

 多摩教会の信徒数は今年の受洗者を加えると、1200名位になります。この数字は、この多摩の地に教会を、と教区にお願いしたとき、試算した数字です。多摩ニュータウンとその周辺の人口は当初40万人だったのですが、計画変更で30万人になりました。その0.4%すなわち1、200名が目標でした。聖堂もその数から250名を収容できるスペース、と考えました。当初の計画が実現していくことで、歴代の神父様6名の努力を思い起こします。私自身8年間のブランクはありましたが、この教会に属していられたことに感謝しています。
 晴佐久神父様、7年間お疲れさまでした。そして、どうもありがとうございました。これからもご活躍をお祈りいたします。

2月:「初金家族の会」からのお知らせ

「初金家族の会」からのお知らせ

 立春を過ぎても大気の冷たかった2月5日は「日本26聖人殉教者の祝日」でした。
 この日の初金ミサで晴佐久神父様は、「すべての民を私の弟子にしなさいとのイエスのことばに、ハイと答えて信仰を守り通したのが26聖人です。殉教者、コル神父様を守護の聖人と仰ぐ多摩教会の信仰家族の私たち、仮に、今ここに集まっている40数人一人一人が、一年をかけて身の回りの一人の人に福音を伝えれば、来年には40数人が信徒になるのです」と身近な人への宣教を呼びかけられました。

 続いての初金家族の会では同会進行係の志賀(稲城市)がバチカン放送局在勤中の生活体験から心やさしいローマ市民の暮らしの一端を紹介しました。質素で楽しい休日の過ごし方、少々のこころづけ(チップ)活用で対人関係に融通を効かせる大人の知恵、外国からの移民や生活弱者への暖かい民間支援の実際など、おおらかで、気さくで、おせっかい好きなイタリア人のホンネの暮らし方の話でした。
 次回、3月4日には広報部・中嶋 誠さんの卓話で「五島列島の教会への巡礼計画」を予定しています。

 初金ミサのあと、お昼までの1時間、お茶でくつろぎながら楽しい話題のやりとりが出来る気楽な初金家族の会にどうぞお立ち寄り下さい。

巻頭言:主任司祭 晴佐久昌英「二つの『みんなの家』」

二つの「みんなの家」

主任司祭 晴佐久 昌英

 このたび、東京教区の人事異動により、わたくし晴佐久神父は、浅草教会・上野教会へ転任することとなりました。司祭叙階以来担当する、七つ目の教会ということになります。
 最近は司祭の数が少なくなってきたため、二つの教会を担当するということが珍しくなくなりました。任命書では、浅草教会と上野教会、双方の主任司祭ということになっています。つまり、どちらの教会の信者さんにとっても、自分たちの主任司祭は晴佐久神父であり、ミサも二つ、教会委員会も二つなら、入門講座や聖書講座も二つずつ、当然司祭館も二つで、半分ずつ暮らすことになります。
 そう聞けば大変そうに聞こえるかもしれませんが、実は以前、青梅と五日市という二つの教会を担当した経験があり、それはそれでいい面もたくさんあって楽しかったので、むしろ、「わーい、二つも任せてもらえる!」という思いです。一つでもこんなに大きな恵みがあり、実りがあるのだから、二つなら倍、いや、二つならではの相乗効果で倍以上の、さまざまな喜びが生まれるということを知っているからです。

 多摩教会は、七年間の在任となりました。これは、私としては最長期間です。この間、「荒れ野のオアシス教会をめざして」をスローガンにして、「福音を語る教会」、「人々を受け入れる教会」、「家族として共に生きる教会」を目指してきましたが、この七年間で、ある程度の実りはあったと言えるのではないでしょうか。
 この間に新たに生まれたグループを見れば、分かりやすいかも知れません。受付チーム、入門係、病床訪問チーム、教会ショップアンジェラ、カフェオアシス、合唱グループ葡萄の実、侍者会、ホームページ福音の村、おやつの会、初金家族の会、青年会、後期青年会、混声合唱団カルペ・ディエムなどなど。イベントの実行委員会としては、祈りと聖劇の夕べ、心の病に苦しんでいる人のためのクリスマス会、心の病に苦しんでいる人のための夏祭り、そして先月の祈りと歌の夕べ、聖劇ミュージカル「みんなの家」などなど。また、第一日曜日のいやしのミサや、第三日曜日の心のいやしを求める青年の集いも、毎月続けてきました。
 これらはすべて、「福音を語る」ため、「人々を受け入れる」ため、「家族として共に生きる」ためのグループです。あってもなくてもいいようなグループではありません。キリストの教会として、神の国の目に見えるしるしとして、多摩市聖ヶ丘に十字架を立てて看板を出している教会として、あってあたりまえのグループばかりです。

 浅草と上野というところは、人の集まるところです。伝統があり、文化に恵まれ、若者が多く、交通の要所でもあります。苦しみの中で福音を求めている人、孤独の中で教会家族を求めている人も、大勢いることでしょう。そこに十字架を立てて看板を出している教会の使命を思う時、そのお手伝いができる喜びに心は躍ります。
 司祭生活最長の七年を共にし、司祭生活最良の教会家族を離れていくのは、正直言って本当にさみしい思いです。しかし、神のみこころは常に前を向いています。晴佐久神父、二つの十字架、二つの看板の元へ出発です。
 思い浮かべてください。二つの受付、二つの入門係、二つのカフェ、二つの青年会、二つの教会家族、二つの「みんなの家」!