カトリック多摩教会の入門講座で、交流会を開催いたします。
夏休みの幕開けを、ご一緒に楽しみませんか?
終了は16時から17時の間を予定しています。
事前の申し込み不要で、入退場も自由。
参加費無料
どうぞお気軽にご参加ください。
お体の具合などで車のご利用をお考えの方は、
以下の近隣駐車場をご利用ください。
住所: 東京都多摩市聖ヶ丘1-30-2
<鎌倉街道・馬引沢橋(まひきざわばし)そば>
電話: 042-374-8668
住所: 東京都多摩市聖ヶ丘1-30-2
<鎌倉街道・馬引沢橋(まひきざわばし)そば>
電話: 042-374-8668
前号でもお伝えしましたが、私はカリタスジャパンの担当をしています。いまは全国の担当者の会議を運営する係をしていますが、前は自死のことについての部会にいました。幸田司教さまたちと一緒に執筆して小冊子をだしています。
またその関係で、わたしはたまに福島県南相馬市の原町というところにも出かけていきます。CTVCカトリック東京ボランティアセンターが運営するボランティアベースがあるからです。6月1日でカリタス原町ベースは開設4周年になります。福島第一原発から25キロというところにあって、最初は屋内退避、それから緊急時避難準備区域というところに指定されていて、ボランティアベースを開くまでに震災から一年かかりました。20キロ圏内はずっと今に至るまで人が住めないままでした。今ようやく帰還がゆるされようとしているこの地域のそばのベースですので、家の片付けなどのボランティアのニーズがまだまだたくさんあります。
原町教会はもともと信徒数の少ない教会でしたが、原発事故により、多くの人がこの地域を去ることになり、さらに信徒の数が減ってしまい、日曜日のミサに来る人は10人以下になっていました。司祭は何年も前から住んでいませんでした。でも今、司祭が定住していますし、そこにベースができ、四つぐらいの修道会のシスターも越してきて、毎朝、ミサが祝われています。朝のミサが教会であって、ベースでスタッフも含めて一緒に朝ごはんを食べ、その日の活動に出かけて行く。もともと過疎高齢化の進んだ地域でした。原発事故によってそれは更に進んでいます。警戒区域の指定が解除されてもどれだけの人が帰れるか分かりません。そういうお年寄りに、あなたは一人じゃないよ、と伝えるために出かけて行くのです。
ミサからくるこうした力は普遍です。ミサに集まり、その中で神とのつながり、聖体をうけキリストとのつながり、そしてそこから出かけて行く。
多摩教会において通常のミサでは多摩地区への宣教のきっかけとなったメイラン神父様からうけついだカリスを用いています。歩いて神奈川、多摩、埼玉に福音を伝えた宣教師メイラン神父の熱意が、多摩教会のミサからも発せられます。
また、今後多くなることが予想される病者への聖体をお運びすることに関してですが、先日布告された規定に適合するため、希望の方は主任司祭への連絡をお願いすることにしました。その際、内容を説明し、専用の容器についての説明をいたします。
どんなときも、キリストはミサという食事をわたしたちに残してくれました。神とのつながりを味わい、イエスとのつながりを深く感じ、人とのつながりを忘れない、すべての気持ちをこめて。
「荒野のオアシス教会を目指して」
「ピクシス」をご存じですか?
ピクシスは御聖体を入れるふた付きの容器のことです。信徒の皆さまは「もちろん、ご存じ!!」だと思いますが、転会した方や新受洗者の皆さまは御存じないのではと思います。
私は5年前に転会させていただきました。その前、17年間お世話になったプロテスタントの教会では、月に1回、第一週目に聖餐式がありました。聖餐式では、もちろん聖別されたものですが、ご近所のパン屋さんの食パンを一口大にカットしてあるものとブドウジュースを頂いていました。転会を許された多摩教会で初めてホスチアに出会い、そしてピクシスという言葉も最近になって知りました。
それは今年の春、主人が思いがけず入院・手術・再入院となり、神父さまとお話しした時に、ホスチアを頂いて届ける方法があることを教えていただき、病院に届けることができたからです。神父様からピクシスをお借りしましたが、「大切な物なので紐付きの専用ケースに入れ、男性の場合は首から下げ胸のポケットに入れてお届けすること、女性の方も特別大切に扱ってください」とお話しがありました。病院で御聖体を頂きましたが、神様がすぐそばでお守りくださっているようで、病床であっても、「ここも教会と同じオアシス」・・・とホッと安心することができました。
ピクシスについてインターネットで調べてみますと、教会によってピクシスの扱い方に違いがあるようです。豊島神父さまも「ルールがあります」とお話しされていますので、もしも必要な時には、神父様にご相談されるとよろしいかと思います。
現在、ピクシスの活用は、病床訪問時が中心かと思いますが、これから高齢化社会の問題が出てきます。病気でなくても、身体上の不都合等で教会に伺えなくなってきた信徒の方にも主任神父さまが都合で赴くことができない場合、ピクシスを使って御聖体をお届けすることがある、と教えていただきました。多摩教会は優しい時間と空気が流れていて、沢山の笑顔がある教会だと思います。
何年経っても、何十年経っても、今と変わらず誰にでも優しい教会であるために、ピクシスが病床の方の希望の源として使用できたら・・・と願っています。
豊島神父様が、メイラン神父様のカリスを使ってミサをささげていられるのを見ていると、神様の不思議な力を感じます。というのは、メイラン神父様は、八王子教会で43年間主任司祭の職につかれ、八王子教会に所属していた私の曽祖父、祖父、父や親戚なども大変お世話になったと聞いていたからです。そこで、メイラン神父様のことをご紹介しておきたいと思います。
神父様は1866年(慶応2年)にフランスで生まれ、パリ外国宣教会の神学校を卒業されて1889年(明治22年)に司祭に叙階され、宣教のため日本に来られました。当時は船による旅で約4カ月かかったとのことで、宣教師として日本に行くということは、故郷や家族との生き別れを意味していました。また、この宣教会の慣例で出発の時の見送り人は一人もいなかったとのことです。日本に着いて日本語の勉強などをしてから、1893年(明治26年)に八王子に来られ、それ以前に八王子で宣教活動をしていたテストヴィド神父様(神山の復生病院の創設者)の後を継いだのでした。
当時は教会の数も少なく、神父様の宣教活動は八王子だけでなく、五日市、青梅、奥多摩、入間(埼玉)、津久井(神奈川)、甲府(山梨)やその近隣の地域などにも及んだそうです。この時代の宣教は、すべて徒歩で行われました。宣教活動が広範囲にわたっていたため、神父様は信徒が信仰を維持できるように家庭での信仰生活に重点を置き、家族そろっての祈りの時間をとるように要請し、信徒は子どもばかりでなく大人も教理の勉強に努力をするようにしていきました。このほかにも八王子教会の本町幼稚園やカトリック府中墓地の設立などにもかかわったということです。
そして1936年(昭和11年)に清瀬の「ベトレヘムの園」に移り、ここで1949年(昭和24年)に帰天されるまで過ごされたそうですが、戦争の影響があった時は、かなりつらい経験もされたとのことです。
明治の時代になり、日本でキリスト教の宣教ができるようにはなっても、ヨーロッパからは遠い日本に来る宣教師は数少なかったことと思います。その時代に広大な地域を徒歩で宣教し、信仰の種をまいていった神父様方のことを思うと、その業績は私たちの想像を超えるものではないでしょうか。八王子を始め、多摩西部、埼玉県南部、神奈川県北部、山梨県などを宣教のために踏破し、まいていった信仰の種が今の私たちにつながっていると思います。
(参考文献)
・ 『キリストを背負って六十年 メイラン神父の伝道記録』(昭和62年 塚本昇次著)
・ 『八王子教会百年 1877年~1977年』(昭和52年 カトリック八王子教会百年記念誌編集委員会)
豊島神父様は3日、初金ミサの説教で、「見失った小羊は決して特別な羊ではありません、日常の私たちの立場と同じです。絶えず迷える一匹の小羊をさがし、助けてくださる主が側におられることを信じて生活しましょう」と私たちを励まされました。
続いての初金家族の会は、神父様のお祈りからはじまり、竹内秀弥さんがシスター内海郁子さんを紹介され,シスターから聖堂のイコンについて詳しいお話しを伺いました。懇談はイコンから信仰の問題に発展し、シスターを囲んでの熱心な分かち合いが正午すぎまで開かれました。
来月、7月1日の初金家族の会は、先に五島列島・長崎の巡礼を終えられた中嶋誠さんを中心に、五島・長崎での信仰生活などを話し合う予定です。
様々な話題でお互いに信仰の絆を深める初金家族の会です。どなたでもどうぞお気軽にご参加ください。
4月14日、熊本で大きな地震がありました。最大震度7(益城町)があった二日後に同規模の地震が発生し、被災地では復興への気力が挫かれる状態が一時ありました。
私は2009年にカリタスジャパンの教区担当に任命されました。カリタス・インターナショナルに属し、バチカンに本部があり165カ国が加盟しているものです。引き受けた当初は特に責務の大きさを意識することは正直ありませんでした。翌年2010年教皇様は「主の言葉」という勧告を発表し福音は宣言するだけでなく行動も伴うという旨のよびかけがなされました。
2011年の東日本大震災をはじめネパール、ミャンマー、熊本などそれぞれの被災地から「助けてほしい」という被害発生緊急メッセージが入るたびに、カリタス・インターナショナルからよびかけられ、世界中の教会が窮状をうけとめ祈り、物心両面の支えを各地の教会に要請するのです。近年その回数は増えています。
東日本大震災のときからカリタスジャパンは、義援金の受付だけでなくボランティアの派遣・現場ニードの把握、ときには運営をするようになりました。
同時期に「啓発部会」も改組設立され、命の大切さを啓発するなかで「自死」への取り組みをはじめました。教皇様のよびかけも力強い助けになっています。
日本のカトリック教会は伝来当初から苦しむ人とともに歩み、教えられてきました。その600年の蓄積は阪神淡路大震災のときも、そしてその後につづく国内被災地援助のときも助けになったと考えます。
5月9日、熊本震災のため熊本県菊池教会にボランティアベースがたちあがり活動がはじまりました。瓦礫撤去から心のケアの活動まで幅広く活動していると聞きました。東日本大震災被災地の各ベースも新たな展開を考えて進んでいくでしょう。現場主義を貫く貴重な組織です。
カトリック教会は司教の呼びかけのもと一致して働きます。司教協議会傘下にあるカリタスジャパンから緊急募金のよびかけがありましたら原則2回の主日をつかって受付・送金をいたします。それ以降は個人で振込となります。