上映会「さとにきたらええやん」

106-0911月13日(日)
📽 多摩教会で
映画上映会を行います 📽

ドキュメンタリー映画で、タイトルは
「さとにきたらええやん」
大阪西成区釜ヶ崎にある「こどもの里」が舞台です。

「こどもの里」は、
子どもたちの遊び場、学習の場。
お父さん、お母さんの休息の場、相談の場。
地域の貴重な集いの場・・・。
さまざまな事情で、状況で集う子どもたち、
それを取り巻く大人たちの姿を、
真摯に温かな目で見つめたドキュメンタリー映画です。

〔 本年度 文化庁映画賞(文化記録映画部門)優秀賞授賞作品 〕

上映: 第1回:13時~ 第2回:15時~

*** 入場無料 ***

会場:カトリック多摩教会 簡易地図Google Map
東京都多摩市聖ヶ丘1-30-2
042-374-8668
公共輸送機関でご来場ください近隣駐車場

主催:カトリック多摩教会「やさしい会」

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翌週の20日(日)14時からは、
この「こどもの里」の開設者であり理事長の
荘保共子(しょうほ ともこ)さんの
講演会も予定しております。(無料)
ぜひ、併せてご参加ください。
お待ちしております。(> ご案内のページ

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【ご参考】(以下それぞれ、クリックで該当ページにジャンプします)
映画『さとにきたらええやん』公式サイト
巻頭言:主任司祭 豊島 治「おわりにあたって、はじめます」(「多摩カトリックニューズ」10月号)
大阪・西成 こどもの里(その1)つながる力、支えに(「毎日新聞」2016年10月16日 東京朝刊)
大阪・西成 こどもの里(その2)「安心できる居場所」(「毎日新聞」2016年10月16日 東京朝刊)
映画『さとにきたらええやん』(Official Facebook)
映画『さとにきたらええやん』(Official Twitter)
予告編:映画『さとにきたらええやん』(YouTube)
・ 作品情報〔「さとにきたらええやん」(Yahoo!映画)「さとにきたらええやん」(映画.com)〕など

巻頭言:主任司祭 豊島 治「おわりにあたって、はじめます」

おわりにあたって、はじめます

主任司祭 豊島 治

 11月を間近に迎え、町の様子は一年の終わりを感じる挨拶や風景となりました。カトリック教会の一員として特別な聖年の期間を与えられた私たちは、巡礼手帳をもって教区内の歴史ある教会を巡り、また「いつくしみ」をテーマにしてバザーを行いました。今のわたしたちは、神様のいつくしみの広さに合わせて視野をひろげることができたでしょうか。

 11月20日で閉幕する特別聖年ですので、しっかり残りの期間を意識してすごすことができるよう大事にしましょう。日頃の教会生活も大事ですが、教会として特別にこんな場をつくっていただきました。

 11月13日13時からは多摩教会の活動会のひとつ「やさしい会」の皆さんに手伝ってもらって、上映会をします(※1)。選んだ映画は『さとにきたらええやん』というドキュメンタリー映画です。10月末まで都内の映画館で上映されていた素材を配給会社ときちんとした手続きのもとで上映します。脚色・解説もないそのままのこどもの日常を描きながら、メッセージを伝えている映画です。今年9月に平成28年度文化庁映画賞において、文化記録映画優秀賞の受賞がきまりました。

 11月20日には上映された映画の舞台となった施設の荘保共子(しょうほともこ)さんによる講演会があります(※2)。この企画は多摩東宣教協力体(府中・調布・多摩教会で構成)が主催ですが、多摩教会「教会家族委員会」が担当してくださいます。普段は子どもたちと話し、分かち合う日常をすごしておられるので、大勢のおとなの前での講演会だと荘保さんのすばらしさが伝わらないかもしれません、皆さんの質問の時間を多くとりますので、参加される方は、よりよいものになるよう助けてください。

 説明が遅れましたが、映画と講演会の共通のテーマは「こどものしんどさ&すばらしさ」です。こどものしんどさは親のしんどさであり、親のしんどさは社会のしんどさを示しているともいえます。社会のしんどさをこどもが受けて生きているともいえるのです。
 映画の舞台は大阪西成区(通称釜ヶ崎)にある「こどもの里」という36年間つづけていた子どもの場とつながっている子どもたちです。翌週はそこに職員として関わった荘保さんの分かち合いとなります。「こどもの里」は運営母体がフランシスコ会⇒ 守護の天使修道女会⇒ カトリック大阪教区と時代の変遷にあわせながら、3年前独立したところです。
 毎日新聞ホームページ(10月16日版)にも記事の掲載がありました(※3)

 「こどもの里」の大きな信念が二つあります:

 1つは、子どもの最善の利益を考えること⇒ 安心して遊べる場・生活の場と相談を中心に、つねにこどもの立場に立ってこどもの権利を守り、ニーズに応えるのをモットーにすること(安心)。
 2つは、自分に与えられた境遇のなかで、子ども(人)のもつ「力」を発揮、駆使してたくましくいきている素晴らしい子どもたちを、社会の偏見や蔑視から守り、自信をもって自分の人生を選び進めるよう支援することをモットーとすること(自信・自由)。

 『いつくしみの輪をひろげよう』とバザーを行った多摩教会がこの企画によって『いつくしみを深める』ための一助となれば幸いです。

108-04 【 参照 】

※1:「上映会をします」
 10月13日(日)、カトリック多摩教会の信徒会館にて、2回、映画「さとにきたらええやん」の上映会を行います。
 第1回:13時~ 第2回:15時~
 ご案内を、こちら に掲載しておりますので、ぜひご覧ください。
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※2:「荘保共子(しょうほともこ)さんによる講演会があります」
 10月20日(日)14時30分から、カトリック多摩教会の信徒会館にて行います。
 ご案内を、こちら に掲載しておりますので、ぜひご覧ください。
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※3:「毎日新聞ホームページ(10月16日版)にも記事の掲載がありました」
 以下が該当のページです。一定の期間後、リンクが外れるかと存じますが、ご了承ください。
 ・ 「大阪・西成 こどもの里(その1)『つながる力、支えに』・(その2)『安心できる居場所』」(「毎日新聞」2016年10月16日 東京朝刊)
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連載コラム:「日々のオアシス」

「荒野のオアシス教会を目指して」

一瞬の勇気で、一生の家族!
連載コラム「スローガンの実現に向かって」第70回
日々のオアシス

A・W(ペンネーム)

 私が受洗したのは高校2年生の復活徹夜祭の時です。キリスト教との出会いをさかのぼると、母が持っていた十字架のペンダント(ロザリオに似ていて薄紫色の透明なガラス玉が連なっているが、ロザリオの様なT字型にはなっておらず、ご像がついていた)をきれいだなと憧れや畏れをもって眺めていた幼い子どもの頃にさかのぼります。
 そのペンダントは戸棚の中にしまってあったのですが、こっそり戸棚をあけては拝んでいたりもしたように覚えています。母はプロテスタント系のミッションスクールの出身だったので、家の中に新約聖書や讃美歌集がありました。時折「主われを愛す・・・」と口ずさんだりもしていました。

 教会にはじめて行ったのは小学生になってからです。学校の帰り道に見知らぬ女性が声をかけてきたのです。私の記憶ではその人はシスターのようにベールをつけていました。「日曜日に教会に来て見ませんか?」現代の子供ならば不審者!? と逃げ出し、学校も家庭も大騒ぎになりそうな話ですが、私が小学生だった頃は今思えばのんびりしたもので、素直な子供だった(?)私は友達と一緒に次の日曜日に教会に行ったのでした。初めて行った教会で何のお話を聞いたのか何も覚えていませんが、それがはじめての「教会」との出会いでした。しかし一度行って、それきり続けていくことはありませんでした。
 大人になって、その教会はどんな教会だったのだろうと「グーグル・マップ」で検索したら、便利なものでちゃんと見つかりました。プロテスタント系の教会で、今も福音を伝える活動をされているのをホームページで知ることができ、なんだか嬉しくなりました。

 カトリック教会との出会いは私を声楽に導いてくれたピアノの先生です。中学3年生の時にカトリック小田原教会に連れて行ってくれたのです。聖歌隊と一緒に毎週の歌ミサで歌うことがとても嬉しかったことを思い出します。
 洗礼を受ける決心をした日のことは今でも覚えていますが、学校帰りに寄り道して横浜(当時、横浜高島屋内の有隣堂の一角に「サンパウロコーナー」という女子パウロ会が運営するキリスト教に関する本や聖品を扱うお店がありました)から帰る相鉄線の電車内で夕日を眺めていたら、「私は神様から愛されている!」という確信が唐突に心に湧きあがったのです。
 そう思うに至るまでに様々な出会いがありました。教理の勉強をもう一人の求道者の男子高校生と1年間受けましたが、彼は受洗直前に世を去りました。キリスト教の勉強をしていると知って、初対面の神父様が本をプレゼントしてくださいました。また、私が気づかないところでも、たくさんの方が祈ってくださったのだと思います。ピアノの先生に代母になっていただき、先生と同じ「セシリア」と、聖人伝を読んで共感した「幼きイエズスの聖テレーズ」の霊名をいただきました。・・・それから四半世紀を超え、今回、このように普段は思い返すこともない自分の歩んできた道のりを振り返ってみると、月並みな言い方ではありますが、全てが神のみ摂理のうちにあるのだと気づかされます。

 さて私にとっての「オアシス」とは何か。
 それは日々の生活の中で、人と心が通ったときに感じる喜びで、それは心を照らしてくれます。「砂漠のオアシス」は人を憩わせますが、それ自体は静かで単純で誇りません。そのような在り方を目指して歩んでいきたいと思います。

10月:「初金家族の会」からのお知らせ(次回は11/4・金)

「初金家族の会」からのお知らせ

 「ロザリオの聖母記念日」10月7日の初金ミサで豊島神父様は、「万国共通のロザリオの祈りは、いろいろな心配ごとを聖母の取り次ぎで神様にお任せいたしますというお祈りです。大切にしましょう」と話されました。

 続いて初金家族の会は神父様のお祈りに始まり、多摩市・鶴牧の中村安男さんのミャンマーでの奉仕活動のお話でした。
 長年、飼料生産会社で勤務された中村さんが、お仕事を通して知りあった現地の人々との交流から、畜産や稲作の指導をはじめ貧しい村の子供たちに文房具を届けたり、そろばんを教えたり、時にはうなぎの蒲焼を紹介するなど、多岐にわたる体当たりボランティア活動の数々を披露されました。
 中村さんは特許までとられたご自身の体験から生ごみに発生するメタンガスでの発電方法を現地で教えたいと、まだまだ身近で役立つ生活指導の意欲に燃えておられます。

 ミャンマーで道路の穴を修理している人に、何故そんなことをしているのかと尋ねたら、「生まれ変わって蛙にならないための奉仕だよ」と素朴な答えが返ってきたそうです。
 たとえ豊かではない暮らしでも、明日のことを心配せず、家族を大事にし、地域での助けあいを第一にと考える、《ほほえみの国》、東南アジア、ミャンマーの人々から学ぶことは数知れないというお話の締めくくりは、中村さん自作の次の一句でした。

 ★ 聖霊に (ゆだ)ねて一路(いちろ) 去年(こぞ) 今年(ことし)

 次回、11月4日の初金家族の会では、カトリック信徒の日常や神学生の養成などを紹介したNHKの新日本風土記「長崎の教会」をご一緒に視聴して、皆さんで話し合う予定です。

 「みんな違って、みんないい」、様々な話題のやりとりでお互いの信仰を深める楽しい集い、初金家族の会です。ご参加を歓迎いたします。

巻頭言①:主任司祭 豊島 治「猫。います」

猫。います

主任司祭 豊島 治

 8月22日、台風九号が関東地方に上陸し、多摩市は初めて避難勧告を発令、教会から1キロ北にある大栗川周辺にお住まいの方に避難所へいくようにとよびかけました。氾濫危険水位をこえたというのです。実際氾濫することなく水かさは下がりましたが、緊張しました。
 そのような事態のとき、教会も浸水を防ぐため、止水板を据えます。夜中強い雨にうたれながら、川の増水におののきながら、道具をとるために駐車場にはいっていくと白い子猫が三匹親猫を中心に走り回っていてさながら屋内運動会のようです。

 それから毎晩、私がはいってきても逃げることなく、四匹がそろって夜の見回りをしている私を礼儀よく見守ってくれるのです。ペットを飼うことに興味がなかった私も夜の面会者に期待するようになっていました。

 この夏、日本版が発行された教皇回勅『ラウダート・シ ともに暮らす家を大切に』にこんな節がありました。
 「聖フランシスコは、傷つきやすいものへの気遣いの最良の手本であり、喜びと真心をもった、インテグラルなエコロジーの最高の規範(略)ちょうど、だれかと恋に落ちたときにおこる出来事のように、彼が太陽や月や小さな動物をみつめるときは(略)被造物すべてを賛美に引き込むのです」

 7月22日からはじまった、画面上のモンスターを集めるスマートフォンゲームのブームも過ぎ去った8月末、本物の猫が無邪気に遊び回る光景は緊張している私を落ち着かせてくれました。飼い猫ではないようです。でも何か得になるものをもとめてさまようのでなく、孤独にたたずんでいるのではなく、居心地よく元気に跳ねまわる猫が多摩教会にいます。

巻頭言②:主任司祭 豊島 治「カリタス・ジャパンについて回答します」

カリタス・ジャパンについて回答します

主任司祭 豊島 治

 こんどのバザーでは収益は、カリタス・ジャパン経由で被災地に送られるということになっています。私はカリタス・ジャパン担当司祭ですので、少しばかり説明させていただきます。

 カリタス・ジャパンは、日本の司教団のもとにある国内外の活動団体に金銭援助・啓発するNGOです。各教区に教区長が任命した担当司祭がいて年二回会議があります。
 166カ国が加盟する国際カリタス(カリタス・インターナショナル)の一員です。

 国際カリタス(カリタス・インターナショナル)は、世界165カ国カトリック教会が加盟して本部があります。現在副総裁は菊地司教さまです。災害など緊急支援が必要だと訴えると、バチカンにある本部から全世界のカリタス加盟国で緊急募金が行われ、被災地に送られます。東日本大震災ではこのシステムが機能して世界中から支援をいただきました。

 東日本大震災では日本の司教団が一致して支援することがきまり、10のボランティアのベースやデスクが各所にでき、被災地に生きる人とともにすごしています。その際地域に親しみ、なじんでいる「カリタス」の名称をつけました。被災地ベースのひとつカリタス釜石はカリタス・ジャパンとは別の組織です。関わり方としては一年更新で情報共有や資金援助を行っています。東京カリタスの家も別の組織で東京教区が関わっている団体です。

 日本国内も含めて世界から人的支援や金銭支援の受付を行っています。二回の厳しい審査をもって支援をきめます。順次審査をして支援が的確に行われているか国際審査をうけている、カトリック教会唯一の公認支援団体なのです。定例でどのような支援をし、その効果がどうであったかの説明をしています。

連載コラム:「オアシスの出発点」

「荒野のオアシス教会を目指して」

一瞬の勇気で、一生の家族!
連載コラム「スローガンの実現に向かって」第69回
オアシスの出発点

諏訪・永山・聖ヶ丘・連光寺地区 渡辺 悠(ペンネーム)

 僕は、プロテスタントの幼児洗礼です。2歳のときでしたから、今から12年前のことです。今思い出しても水をかけられたぐらいしか覚えていません。その後も母の影響で別のプロテスタント教会で、教会学校に通いました。しかしある理由で、その教会から離れることになり、教会学校も小学校2年生のころにやめてしまいます。その後はいろいろな教会に行き、母は「所属教会をどこにしようか」としばらく考えていましたが、そのうち所属教会がなくても神様とつながることはできると思うようになり、しばらくはあっちの教会に行き、こっちの教会に行く生活(これを僕の言葉で「教会難民」と言います)をしていました。
 その少し前に、母が友人から晴佐久神父様というすごい方がいると聞き、調べたところ多摩教会にいることがわかりました。僕が初めて多摩教会に行ったのは初金のミサで、小学校3年生のころでした。その後もしばらくは「教会難民」でしたが、日曜日に教会に行かれなくなり、多摩教会の土曜日のミサに多く行くようになりました。当時、僕は多摩教会の信者になりたいとは思っていませんでしたが、ある日僕は言ってしまいました。
 「僕、カトリックになりたい」
 母はすごくびっくりして、すぐに晴佐久神父様に相談したら
 「大丈夫です。仲間になりましょう」
 と言ってくれました。
 そして、2014年5月、僕は母と一緒に転会しました。こうして僕は多摩教会の一員になりました。

 ところで、なぜ僕がカトリックになったかというと、実は「なりたい」と言ったときは、どうして僕がそんなことを言ったのかよくわかりませんでした。しかし、今思えば神様からの使命でカトリックになったと僕は思います。
 僕は、福音で満ち溢れている多摩教会が大好きです。テロや戦争、自然災害が続いているこの時代。そんな時代だからこそ福音が必要でしょう。学校や仕事でストレスがたまってしまう日々がつらいと思う人も多いと思います。僕も学校で苦しい体験をいっぱいしてきて、一時期は学校に行かれなかった時もあります。
 晴佐久神父様や豊島神父様が教えてくれた神様の福音を聞くと、心が安らかになります。あと、教会家族を大切にしているところも多摩教会のよいところだと思います。家族とは血のつながりのことではなく、互いに支えあい、助け合うことこそが家族なのだと僕は思います。教会も、そのような場所と言ってよいと僕は思います。多摩教会の人は、みんな親切です。去年と今年は、親切な青年会のメンバーに招かれ、中高生キャンプに行きました。福音に満ち溢れ、支えあってくれる仲間がいる。まさに「オアシス」であり、これから福音を必要としている大勢の人々が行き、そこから福音が広がっていく「オアシスの出発点」と言える場所だと僕は思います。
 「わたしは君にオアシスという最高の体験をしてほしいから、君を多摩教会に呼んだ」
 神様の声が、聞こえてきたような気がしました。

 このオアシスを福音でいっぱいにしてくれた晴佐久神父様と豊島神父様、優しく心温かいオアシスのみんな、そして僕をこの素晴らしいオアシスに招かれた神様に感謝します。
 皆さまに平和と祝福があるよう、お祈りしています。

9月:「初金家族の会」からのお知らせ(次回は10/6・金)

「初金家族の会」からのお知らせ

 9月2日の初金ごミサで豊島神父様は、「私たちの体は二つの要素から成り立っている。外側は年と共に弱くなり、うまく行かないことが多くなるが、内なる心がしっかりと成長して信仰を継承、神様がお与えになる信仰が育っている。み言葉を聞き、みこころを味わって、キリストが内に居て下さることを実感、外なるいろいろの弱さを取り去るよう願って御聖体をいただきましょう」と話されました。

 続いての初金家族の会は神父様のお祈りで始まり、鶴牧の北村司郎さんから「多摩教会のはじまり」について、実体験からの素晴らしいお話を聞くことができました。
 多摩教会の第一回家庭ミサは昭和47年6月でした。そして寺西神父様と集まった信徒の方が、荒れ野を旅する教会を盛り立てて、年間の教会行事を工夫しながら奉仕し、やがてマンションへ移り、かおり保育園ができあがり、今日の多摩教会へと展開するのですが、荒れ野はニュータウンの周辺の現実であったようです。
 教会、エクレジアは寄り合いを示す言葉だそうですが、折しも多摩ブロックの活動が活発で多摩地区の若者が沢山集まり、信徒の皆さんもハイキングへ行くなど、工夫しながら教会行事が開かれ、聖母被昇天のパーティーで今も行われているバーベキューは第一回からの作業でした。まさに寄り合いという本来の歩みがあったようです。

 北村さんのお話のあと、出席の皆さんからも活発なお話が出ました。
 被昇天のパーティーはある時期には、お盆に若者が帰って集まる場所であったとか、若い人たちが教会でいろいろと教わって育っていったなど、これからの教会活動にも活かしたいと感じる分かち合いができました。

 初金家族の会、次回10月6日には、信徒の中村安男さんのミャンマーでの奉仕活動のお話を予定しています。
 「みんな違って、みんないい」、初金ごミサに続いての初金家族の会に、皆様どうぞご参加ください。