3月:「初金家族の会」からのお知らせ(次回は4/7・金)

「初金家族の会」からのお知らせ

 春まだ浅い3月3日初金の日、豊島神父様は、3月1日の灰の水曜日に因んでの教訓として、本当の意味の断食とは今日のイザヤの預言にあるように、「つぐないの断食を苦行としてでなく、愛のために、愛の行いとして行うこと、それが主の悲しみ、主の苦しみをわが身に受け止めることになるのです」と話されました。

 続いての初金家族の会では、「現代に生きる私たちにとって、殉教とは・・・」という奥の深いテーマでのわかちあいをしました。中嶋 誠さんがキリシタン時代の西欧社会の信仰、思想の背景、宣教、布教の歴史の概要、国内外の様々な立場の人たちの心の葛藤、日本では圧政の下、多くの庶民が真剣に天国での救いを求めていた事実の数々などについて話され、参加者からも様々な感想をはじめ、話題の遠藤周作原作の映画「沈黙」の感想あれこれも出ました。

 豊島神父様は、「時代は移り変わっています。往年の、搾取され、極端な貧困にあえいでいた時代の人たちの姿に思いを馳せ、神様、私を今、この時、悲しみ、苦しみから救ってください、栄光を現してくださいという願いを学び、信仰を守り抜いてきたことで命を捧げた人たち、異なる道で信仰を後世に伝えた人たちすべては神様の慈しみの温かいみ手にあることを信じましょう」と話され、50人近くの参加者それぞれに様々な思いが深く心に残るひとときでした。

 次回、4月7日(金)、花や緑の季節の初金家族の会では、一品持ち寄りの楽しいお鍋を囲んで皆さんで歓談しましょう。午前11時前から会場は信徒館です。
 どうぞお気軽にご参加ください。

4/2(日)特別講話「四旬節 愛の献金」とは?

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四旬節の季節になりました。
今年も、教皇フランシスコから「四旬節教皇メッセージ」が出され、
真の回心の道を歩めるように、また、
困窮している兄弟姉妹の中におられるキリストに仕えるようにと
呼び掛けられています。

四旬節中の「愛の献金」は、
この呼びかけにこたえる一つの手段です。

この献金は、カリタス・ジャパンを通し、
日本全国、また、諸外国の難民や孤児、
貧困、失業、飢餓などに苦しむ人々の命を守るため、
また、自立支援のために用いられています。

各教会でも献金が呼びかけられ、
ポスターや祈りのカード、募金箱などが
置かれているかと思います。

ただ漠然と募金するのではなく、
その募金がどのように用いられ、
どのように苦しむ隣人とつながっていくのか、
知りたいと思いませんか?

多摩教会では
カリタス・ジャパンから、
瀬戸神父さまをお迎えし、
四旬節の特別講話として
企画いたしました。

皆さま、ぜひご参加ください。
お待ちしております。

44-025caritassmallc四旬節「愛の献金」とは?
全世界にわたるカトリックの援助

日 時: 4月2日(日)
講話 11:00~12:00 / 補講 13:00~14:00
( 両方出られても、片方だけでも )
講 話: 瀬戸高志 神父
(レデンプトール修道会/カリタス・ジャパン援助部会秘書)

無 料 * 事前の申込不要
☆ お車でのご来場はご遠慮ください ☆

44-025【 参 考 】
・ 「カリタス・ジャパン 公式サイト
・ 「四旬節キャンペーン」 (カリタス・ジャパン)
・ 「四旬節写真展2017」 (カリタス・ジャパン)・・・2016年四旬節献金の支援先の写真集です。
・ 「2017年 四旬節教皇メッセージ」 (カトリック中央協議会)

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多摩教会への交通アクセス Google Map
教会簡易地図ペイント作成-2015ここナツ用-500

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遠方からお越しの方、
ご体調の関係で、車のご利用を考えておられる方は、
以下の近隣駐車場をご利用ください。

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巻頭言:主任司祭 豊島 治「き ま す」

き ま す

主任司祭 豊島 治

 寒い日々、私が修道院のミサから帰るとオアシス広場に雀(スズメ)がいます。
 まだ人の往来の時間ではない静かな空間で元気に鳴いています。
 空が青くなり道路の往来がにぎやかになってきたころ、鶇(つぐみ)が舞い降ります。雀はその場をゆずり飛び立ち、鶇はオアシス広場の主(あるじ)となります。これが、今年「春一番」までの多摩教会・朝の風景です。

 「復活祭が遅い年は春がくるのも遅い。」といわれます。
 どうりで毎年多摩西部では復活祭の前に桜が満開になっているような気がします。
 3月1日から四旬節を迎えるにあたって、私たちは季節の「春」より上の「喜びの春」の体験を迎えるようになろうではありませんか。

 2月の25日の土曜日は黙想会をします。「多摩教会黙想会は初ではないか」とおっしゃった方がおられました。新しい人を招き常に宣教の熱意をもって歩んだ教会は一旦振り返ることが必要です。個人としても共同体としても。
 14時から17時半まで行います。その後ゆるしの秘跡があり、ミサへと続きます。

 2月26日には「列福記念特別講話」があります。福者ユスト高山右近が2月7日に列福されました。私たちにとって殉教はどんなふうにとらえているのか、30分くらいの短い講話をきいて今の私になにができるか身につけましょう。

 その一カ月後、4月2日にカリタスジャパンの瀬戸神父さまをお招きして四旬節特別講話があります。四旬節の期間中「愛の献金」がおこなわれます。四旬節メッセージに即して過ごすことをミサ後30分くらいの講話をきいて役立てましょう。喜びの春を体感するために。

連載コラム:「見返りを期待しない他者とのかかわり」

「荒野のオアシス教会を目指して」

一瞬の勇気で、一生の家族!
連載コラム「スローガンの実現に向かって」第74回
「見返りを期待しない他者とのかかわり」

諏訪・永山・聖ヶ丘地区 南部 憲克

 飛行場を出ると外は真っ暗だった。深夜の暑さと車のクラクションに排気ガス、私はインドに初めて降り立った。ここはムンバイ。後ろからほんのかすかに袖を引く者がいる。必ず振り向かせるとの強い意志を感じる。意志に振り向けば、腰骨に1歳ほどの子を乗せた母親が、すでに右手を差し出している。子は、じっと私を見つめて、まばたきもしない。明らかに母親に協力している。これが母子の職業。紙幣を握った右手は素早くサリーの中へ。言葉はない。高い方から低い方へ水が流れるのは当たり前なのだ。
 「見返りを期待しない他者との関わり!」これがインドの最初だった。

 もう27年も前になる。NGOの主宰者とインドやバングラディシュを訪問することになった。
 小さなビニール片を重ねた屋根のスラム街。たくさんの子どもたち。恐る恐る1人が寄ってきて、私の受け入れを見るとたちまちとり巻く。元気が私をとり巻く。貧しさには負けていない。失礼がないように大声で叱る父親、母親は、土間の片隅で夕食の支度をしている。これが家族。
 ささくれた黒板でチョークの授業が進む。40人ほどの教室。中学生のような女の子のそばには1年生のような男の子もいる。それだけではない。ガラスのない窓から重なるように顔、また顔、顔がのぞいている。外の子どもたちは、仕事をしていて、学校には行けないのだ。
 生まれてから死ぬまで固定化された格差社会。だが、子どもたちには屈託がない。NGOはこの壁を取り崩そうと子どもたちに「教育」を贈り、学校を建設し、井戸も掘り、病気の子を救うこともしてきた。

 私の里子の1人は、南インド・チェンナイにある「マルコホーム」の少女だ。デカン高原の南端、大きな岩に小さな灌木の不毛の地。5人のシスターが、大きなマンゴーの木の下で、鍬を振り上げて、井戸を掘り、学校を作ってきた。25人ほどの子どもたちは、玄関先で勉強の最中だった。「ホールへ集まりなさい」シスターの声。誰も立ち上がらない。だけど動き出している・・・。皆手で体を引きずって移動している。誰も手助けしない。マルコホームは、ポリオなどで親から捨てられた子どもたちが暮している。
 NGOが、毎年手術費を届け、順に手術を受けて歩けるようになった。中には麻酔を断った子もいた。麻酔代を他の子の手術費に充てたのだ。
 数年後、女の子に再会した。しきりに目をこすった。親と呼べる人を持たない。親に会えたうれしさに涙が出て止まらないのだ。女の子は、手術を受けても自分の足で立つことはできなかった。やがて女の子は17才になった。「私は弁護士になって、障害を持った人や貧しい人や女性のために闘いたい」と表明した。少女は、飛び抜けて成績が良く、六年制の大学へ入学した。しかし、その先は難関らしい。女の子は銀行員になった。眼鏡の奥には柔和な目があり、動作は落ち着き払っている。きっと人の苦しみや悲しみに寄り添うように生きているに違いない。

 「日本の家族が幸せで健康でありますように!」里子たちは祈ってくれている。皆、毎日、早朝からのミサを欠かさない。期待しないのに届けられる見返り。オアシスはこんな人と人との関わり。
 NGOの名は、「エスナック」。主宰者独りで1人の里子から始めて35年、巣立った子は6000人を超える。主宰者はシスター藤田。私の代母だ。

2月:「初金家族の会」からのお知らせ(次回は3/3・金)

「初金家族の会」からのお知らせ

 北風の冷たかった節分の2月3日、初金ミサで豊島神父様は「世間的には損な生き方、茨(いばら)の道かもしれませんが、沢山のお恵みを受けている私たちです。 真っ直ぐな道を歩きましょう。神様はきちんと支えてくださいます」と話されました。

 続いての初金家族の会では、ニューヨークの国連日本政府代表部で7年間、そして、国連児童基金(ユニセフ)の南太平洋フィジー事務所で2年間、帰国後は東京の在日外国大使館で20年以上勤務されている多摩教会信徒の方がお話ししてくださいました。外国からの在日政府高官の間で、日本人そして、日本料理やテレビ番組などの日本文化に対し、いかに関心が強く人気があるかについて、また異文化のなかでのご自分の失敗談など、ユーモアを交えた貴重なお話を披露なさり、初参加の8名も交えて40数人が集まって盛会でした。

 初金家族の会、次回3月3日には、遠藤周作原作、スコセッシ監督が映画化した「沈黙」をめぐって、現代に生きる私たちにとって「殉教」とは・・・との問いかけをテーマに、信徒の中嶋 誠さんにお話ししていただき、ひき続き豊島神父様を交えてみんなで自由に意見交換、わかちあいをする予定です。
 映画をご覧になった方も、見ていない方も、この機会にどうぞご参加ください。

2/26(日)「殉教者って?」特別講話

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2017年2月7日(火)、
ユスト高山右近(1553~1615)の列福式が、
大阪城ホールで行われました。
(列福式:カトリック教会で、「聖人」に次ぐ崇敬の対象である「福者」に列せられる式)

戦国キリシタン大名の高山右近は、
キリスト教への憎悪のもとで命を落とした
「殉教者」として列福されました。

ちょうど、
遠藤周作原作の映画『沈黙』(マーティン・スコセッシ監督)
話題になっていますね。

そこで、多摩教会では、
「殉教者って? それってどうなってるの?」と題し、
特別講話の機会を設けました。

「殉教といえば・・・!」の
カトリック長崎大司教区から、
鶴巻健二神父さまをお迎えして
お話しいただきます。

ぜひ、お気軽にご参加ください。
お待ちしております。

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「殉教者って? それってどうなってるの?」
日 時: 2月26日(日)10:45~11:45
( 10時からのミサ終了後 )
講 話: 鶴巻健二神父 (カトリック長崎教区)

無 料 * 事前の申込不要
☆ お車でのご来場はご遠慮ください ☆

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多摩教会への交通アクセス Google Map
教会簡易地図ペイント作成-2015ここナツ用-500

44-027

遠方からお越しの方、
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巻頭言:主任司祭 豊島 治「チャンスに乗じます」

チャンスに乗じます

主任司祭 豊島 治

 皆様は、年末年始をどのようにお過ごしになられたことでしょうか。私は多摩教会で初めてのクリスマス。そして大晦日から元旦と皆様と祈りを共に出来ましたことを特にありがたく感じました。また、元日ミサの中で、皆様の幸いと平和をお祈りいたしました。 皆様方も、それぞれの場で一年のことを祈願なさったことでしょう。時間の流れは速いもので、今年ももうずいぶんと過ぎていってしまいました。

 ある日曜、主日のミサに観想修道会で過ごしている方が、北海道からわざわざ私に会いたいということで多摩教会にいらしてくださいました。彼は車の免許を取得せよという命令をうけたためしばらく東京にいて、その都内滞在先からわざわざ3時間もかけて10時のミサに間に合うようにいらしたのです。普段は北海道の山のなかで、祈りと労働の日々を過ごし、気分転換になる刺激的な出来事もあまりないところで生活しているのに、とても充実している表情をされていました。

 「幸せになりたい」という願いは、私たちに共通する根源的な欲求です。何を買うか、何を着るか、どこに住むか、どれを食べるか、誰と暮らすか。どれも「もっと幸せになるために」選び、決断します。多摩教会では今年結婚式が予定されていますが、結婚とは「幸せになるために」するとても大きな決断でしょう。結婚式というイベントでなくとも、私たちは毎日、いや毎瞬、毎瞬、幸せを願い、探し、選んでいると言えるかもしれません。では、「何が私を本当に幸せにしてくれるもの」なのでしょうか。社会や世間がもてはやしているものを手に入れることが、本当に私にとって価値ある幸せの保証なのでしょうか。それがないと不幸なのでしょうか。

 もし、神様に、「がんばっているあなたにご褒美として、幸せになるために三つの願いをかなえてあげよう」と言われたら、私は悩むでしょう。何を求めたらよいのかと。どうなったら幸せになれるかと。
 次のように即答できれば幸せです。「このままにしておいてください。いまある人との絆を大切にできれば」。それは世間から見たらちっぽけな、ささやかな幸せかもしれませんが、現状の自分を受け入れられることは本当に「幸せ」なことだと思います。

 自分は「幸せになってはいけない!」と決めてしまっている方がおられます。あんな事をした自分は、あんな否定的な扱われ方をした自分は幸せになる資格がないと決めてしまっている人がいます。
 神の赦しと慈しみから除外されている人はいません。救いの泉から外されてしまっている人は一人もいません。
 まずは、私を赦してくださっている神に自分で安堵することから始めましょう。そして自分を赦すこと、自分を認め受け入れることができたら、隣人へのまなざしが優しくなることでしょう。 そしてより多くの人を招きましょう。
 2月からはゆるしの秘跡や再認識のチャンスが多くあります。赦しと和解の恵みが皆さんのうえにありますように。

連載コラム:「生後三日目の洗礼」

「荒野のオアシス教会を目指して」

一瞬の勇気で、一生の家族!
連載コラム「スローガンの実現に向かって」第73回
「生後三日目の洗礼」

落合・鶴牧・唐木田・町田地区 日野 美津子

 去年の10月、私はふるさとの平戸に行ってきました。年老いた兄夫婦が元気なうちにという思いと、懐かしさで、長崎で行われた研修会を終えて、バスと車で3時間もかかる平戸に向かいました。親はもういなくて、家もありませんが、まず自分が育った家の跡地だけでも見たくて、目的の兄の家より先に行きました。
 私が育ったところは、左前方に生月島(いきつきしま)、右前方に度島(たくしま)が見える平戸島の最北端です。この2つの島を毎日見て育ち、行くことなど考えたことがありませんでした。ところが、だいぶ前に平戸と生月を結ぶ橋が出来ていたことは聞いていたので、今回チャンスと思い、私は初めて、何回か行ったことのある兄夫婦と、ワクワクして出かけました。私は、過去の生月での出来事は何も知りませんでした。

 初めて見る水色で塗られた橋は、空と海と大自然に溶け込んだ美しい橋でした。丘の上の教会の庭に設置されたファティマの聖母と牧童たちが私たちを迎えてくれました。お御堂の中は、左右と後ろの壁はステンドグラスを思わせるような南米から取り寄せたという色とりどりのちょうちょの羽で飾られていました。毎日見慣れていた島は、教会も庭も聖堂内も、また島全体もオアシスでした。
 この教会の出身者の中に、毎年、9月28日に祝われる聖トマス西がいます。1634年11月11日に処刑された69人の中に、二人の神父様がいました。その中の一人です。この69人の殉教者たちは、26聖人たちと同じ西坂の丘で斬首、火あぶりで殉教し、二人の神父様は穴吊りにされて殉教しました。教会の近くには、「黒瀬の辻殉教地」があり、神父様のお父様が殉教したところでした。目の前には、海と無人島が見え、この島で大勢の人の拷問、処刑が行われたそうです。
 何も知らずに、この島に来た私は、恵みとショックを同時に受けて、生月を後にしました。やがて、見慣れた平戸の無人島の前を通るとき兄が指さして、この島でも大勢の人たちが拷問処刑されたと教えてくれました。私の生家の近くの浜でも、殉教者の血で海が染まったといわれている場所があります。

 久しぶりのふるさとにワクワクしながら旅立った私は、一週間後には、多摩の自宅で400年前に起こっていた出来事に深い感銘を受け、殉教者の苦難と受難を思い、祈りのうちに、涙と恵みに浸されました。ましてや、私たちがキリストの受難を思うとき、どれほどの恵みが注がれてくることでしょう。
 主が聖ファウスティナにおっしゃった言葉が思い出されます。「私の受難を1時間黙想する方が、血を流す鞭打ちを1年間行うより、もっと多くの功徳がある」。

 私の田舎では、赤ちゃんが生まれると、洗礼はいつ授けていただくかと、まず洗礼のことを心配していました。私は生後3日目にその恵みをいただきました。第一に信仰、死ぬも生きるも、主のためとの先祖の思いの行動だったのだと感謝しています。
 この世のものにはとらわれず、主と聖母を愛した殉教者、聖人たちにならい、この世で最高のオアシスである主と聖母の二つのみ心の中にいつもとどまり、養い育てていただきたいと思います。

      

カトリック山田教会(蝶の装飾画)
生月島「カトリック山田教会」(蝶の装飾画)
   
生月島「黒瀬の辻殉教地」
生月島「黒瀬の辻殉教地」(ガスパル様)