7月:「初金家族の会」からのお知らせ(次回は9/1・金)

「初金家族の会」からのお知らせ

 願いごとを短冊に書いて笹竹に結び付けた幼い頃の七夕の思い出が心によぎる7月7日、豊島神父様は初金ミサのお説教で、「私たちはそれぞれ願いを持って生きています。願いは、かなうこともあれば、かなわない時もあります。人生の歩む道は神様が与えてくださいます。今はそれぞれに人生の予習の時なのです。最終目的の地で神様の素晴らしさという100点満点の答えがわかるよう、本当の意味の力、エネルギー、希望を教会で、そしてご聖体からいただくよう心がけましょう」と話されました。

 続いての初金家族の会では30数人の参加者の前で、関戸・一ノ宮地区の井上信一さんが海外で奉仕している宣教者の現状を次のように話されました。

 「今、世界各地40か国で270人ほどの司祭、修道者、それに信徒が、宣教者として積極的に活躍しています。例えば、ウガンダ、南スーダン、チャド、コンゴ、マダガスカル、ボリビア、ブラジル、そしてアジア諸国で、医療、教育、保育の分野で福祉活動と福音宣教に従事しておられ、また特に南米では日本からの移住邦人の司牧にも尽くされています。皆さんが現地に骨を埋める覚悟で献身的に、奉仕され、緊急避難もできない戦乱の地、民族間の争いが絶えない危険な場所、交通不便な土地でも、進んで民衆の中に溶け込んで働いておられます。
 この数年、宣教者からの援助申請は日本の災害などを気遣って遠慮がちではありますが、私たちのささやかな支援でも、現地では大きな支え、力となっています。最近のケースでは南スーダンで難民の支援活動を行っているシスター下崎(イエスのカリタス修道女会)に食糧援助のため、50万円を送金しました。『海外宣教者を支援する会』の機関誌《きずな》が、信徒館の入口脇に置いてありますので、ご覧ください。またインターネットでも『海外宣教』と検索するとホームページで、これまでの資料を全て読むことができます。これからも皆さんのご理解、ご協力をお願い致します」

 8月初金ミサはありますが、家族の会はお休みで、次回は9月1日(金)です。
 「初金家族の会」は、初金のごミサのあと、信徒館で貴重な体験など聴いて語り合い、お互い信仰の絆を深め合う、楽しい集いです。どうぞどなたでも、お気軽にお立ち寄りください。(11時ごろからです)

巻頭言:主任司祭 豊島 治「ネコ、くつろぎます」

ネコ、くつろぎます

主任司祭 豊島 治

 春の穏やかさは終わり、気温の変動を気にしながら過ごす時季となりました。
 そんな気候でも、あいかわらず多摩教会には毎日夕刻から一匹のネコが訪れ、午後教会に居る人の注目を浴びています。
 名前は未だ無いそのネコはニュータウン通りを行き交う車の数がすくなくなるころ、トヨペット販売店さんのほうから斜め横断し、橋を渡り、ちゃんと正面から入られます。教会の扉が開いていても入ることはしないで、構内で自由にすごしています。

 動物写真の岩合光昭さんが残したメッセージで『ネコが幸せになれば、人も幸せになり、地球も幸せになる』というのがあるそうです。たいがいの家畜は紐でつながれてきた歴史がありますが、そうではなく唯一といっていいくらい自由で人の思い通りにならず過ごしてきた。それゆえネコには衰えてない野生の勘があり、人よりも環境に敏感であること。自然に対して畏怖という感覚がうすくなりがちな人間が利益主義に没頭していることに対し警鐘をならしているという意味があるそうです。

 教会の暦は、復活節も聖霊降臨の祝いで結ばれ、年間の典礼をすごしています。
 復活徹夜祭で洗礼式、聖霊降臨で堅信式、キリストの聖体の日に初聖体式と入信の秘跡に関わったこの期間、神さまがおつくりになったこの世界を正しく誠実に味わっているか。恵みとして感謝し、それを伝えるために奉仕していく使命を遂行できているかを年間の典礼でみていきましょう。

 今は空前のネコブームといわれます。「ネコ・カフェ」なるものも存在し、ネコに引っ掻かれた跡を見せ合いながら、魅力を楽しんでいる利用者が映像で時々紹介されています。
 しかし、ブームの流れでみるのではなく、被造物が共存し合う共同体とはどうなのか、神さまのまなざし、いのちのまなざしについての学びをもって、エコロジーな視点で夏を過ごしてはいかがでしょうか。

連載コラム:「石の門の聖マリア」

「荒野のオアシス教会を目指して」

やさしく、あたたかく、心からのオアシスづくり
連載コラム「スローガンの実現に向かって」第78回
「石の門の聖マリア」

セシリア 仙石 つかさ

 5月の中旬、私は友人と、スロベニア、クロアチアを旅してきました。
 マロニエの花が咲き、石造りの建物が連なるスロベニアでは、9世紀に、砦として建てられた「リュブリャナ城」、城の中の静謐な「聖ジョージ礼拝堂」、バロック調の荘厳なお御堂の「聖ニコラス大聖堂」、可愛らしいピンク色の「聖フランシスコ会教会」、天に伸びる鐘楼をもつ「聖母被昇天教会」、澄み切った湖の湖畔に佇む「ブレッド城」と、行く先々で感激でした。また、暗闇でキラキラと輝き、動物や人の顔に見える多種多様な純白の石柱や、オーロラやダイヤモンドのような鍾乳石が全長21キロに渡り広がっている「ポストイナ鍾乳洞」では、まるで、ルーベンスの絵の中に迷い込んだようでした。
 アドリア海に面したクロアチアでは、バラの天窓や「涙の聖母」の祭壇画がとても美しかった「聖ヤコブ大聖堂」、キリスト教徒を迫害した皇帝の「ディオクレティアヌス宮殿」、男性合唱の奏でたハーモニーが心に染み入った伝統音楽の「クラパ」、まばゆく凜とした空気が漂う「聖母被昇天」の祭壇画を掲げた「ドゥブロヴニク大聖堂」の主祭壇、エメラルドグリーンに輝く「プリトヴィツェ湖群国立公園」、修復中にも関わらず、「お帰り」と招かれた「聖母被昇天大聖堂」など、さまざまなものにふれ、美味しいワインも堪能しました。

 紀元前から、ギリシャ植民都市として築かれたクロアチアは、長い歴史から、城壁に囲まれた市街地が多数点在し、首都リュブリャナでも、その面影を残す「石の門」と呼ばれるグラテツ地区と外界を隔てていた入口がありました。内部には「聖マリアの礼拝堂」があり、およそ300年前の大火災で奇跡的に無傷で残り、祭られていた「聖母マリア」のイコンの前に立ったとき、私は一瞬、幼子に戻り、マリア様に抱かれました。子どものことで悩み、受洗してなお、自分は愛情の薄い人間との思いを引きずっている私に、「そんなあなたでいいのよ」と溢れる愛を注ぎ、微笑んで、私をまるごと包んでくださることを感じました。

 この旅をともにした4人も、それぞれに子どものことで悩み、暗い迷路にいた時に出会った仲間です。苦しみ悲しみを共にし、分かち合ってきました。この仲間こそ、私にとってのオアシスだと気づき、このような友を与えてくださった主に、感謝の気持ちがふつふつと湧き出しました。
 私は、感謝の気持ちを忘れずに、このかけがえのないオアシスを大切にして、常に共にいてくださるマリア様を感じながら、祈りの日々を送りたいと思います。

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画像左は、「聖母被昇天」の祭壇画を掲げたドゥブロニク大聖堂の主祭壇(クロアチア)
画像右は、ブレッド城(スロベニア)
= 双方、記事投稿者提供 /画像はクリックで拡大します=

6月:「初金家族の会」からのお知らせ(次回は7/7・金)

「初金家族の会」からのお知らせ

 緑の季節、6月2日の初金ごミサで、豊島神父様は、「全てをご存知の神様の愛のど真ん中で私たちは生きています。貴い教えを大切に、従順に過ごしましょう。他人に対して従順であるよりも、むしろ自分に対して従順であることの方が難しいです。神様に愛されていることに気づかずにいる私たちのためにも愛が注がれていることを思い、熱心にごミサにあずかりましょう」と話されました。

 続いての初金家族の会では、去る3月末、10日間のイスラエル巡礼に多摩教会から参加なさった4人の信徒のうち、中嶋誠さんと岩藤大和さんのお二人が、旅のスライド写真を上映しながらご体験を話されました。

 ≪四旬節に聖地で黙想を≫と目指した巡礼で、ナザレ、ガリラヤ、ヨルダン川沿い、エマオほか、イエス様が誕生し、育ち、教え、歩かれた場所、そして受難の道や、数々の由緒ある教会を目の当たりにされた参加者として、「頭で描いていた聖書の中の風景とは全く違って、花咲き乱れ、野鳥の心地よい囀りも聞こえる楽園そのものの現地の姿でした。神様の愛がこの美しい地で育まれたのだ、風土が人を作るのだと実感しました。 イエス様が聖トマスに言われた、『あなたは私を見たから信じたのですか、見ないで信じる人たちは幸いです』(ヨハネ20・29)とのみ言葉を体感しました」など、実り豊かな巡礼の旅の報告でした。

 初金家族の会、次回の7月7日は、「海外で奉仕する宣教者たち」と題して、信徒の井上信一さんのお話を予定しています。ごミサのあと、信徒館で貴重な体験など聴いて語り合い、お互い信仰の絆を深め合う、楽しい集いです。皆さま、どうぞお気軽にお立ち寄りください。(11時ごろからです)

心の病で苦しんでいる人のための夏祭り(7月9日)

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🎇 夏のお祭り🎆って楽しそう・・・。
でも、
「にぎやかな場所になんか、入っていけない」
「お祭り? かえってさみしくなるし・・・」
「私なんか、そんなのに出たらジャマになるだけ」
・・・なんて思っておられる方、いらっしゃいませんか?

そんな思いに苦しんでいる方たちのための
 夏祭り です。

毎年とっても喜んでいただいているので、
今年も開きます。

やさしいお話、音楽、食べものなどなど準備して、
居心地がよくなりますようにと願いつつ、
心からお待ちしています☺

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💠 ここナツ 💠

「心の病で苦しんでいる人のための夏祭り」
日 時: 7月9日(日)
( 開場:15:30・ミサ:16:00・夏祭り:17:00 )

= ミサは、信者でなくても大丈夫です =
入退場自由*無 料
  申し込み不要
☆ お車でのご来場はご遠慮ください ☆

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多摩教会への交通アクセス Google Map
教会簡易地図ペイント作成-2015ここナツ用-500

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遠方からお越しの方、
ご体調の関係で、車のご利用を考えておられる方は、
以下の近隣駐車場をご利用ください。

(クリックで拡大表示)

巻頭言:主任司祭 豊島 治「いのります」

いのります

主任司祭 豊島 治

 6月はみこころの月となっています。カトリック関連の店舗ではいわゆる「信心グッズ」が目立つように展示されており、雰囲気をだしています。安価なものから細かい装飾をほどこしたものまで並んでいます。でも飾って眺めるというのが第一義ではなく、祈りのために使われなければ本来の意味はありません。

 最近、小学校からの知り合いで長い間教会に通っていなかった方から連絡があり、ご両親が帰天されたので祈りを頼まれました。17年前に主の祈りの文言が変わったことも知らない彼が葬儀ミサの最前列に座り、ロザリオの珠をくくり祈っていた姿に放蕩息子の帰還がはじまっているような内面の変化を感じました。

 幼児洗礼である私や彼にとって教会はもう一つの家の感覚でした。小学生のころは「神父さん」は教会のお父さんみたいに思っていました。ミサを祝って分かち合うその繰り返しを過ごしてきた訳ですが、多くの恩人といえる神父様と出会いました。厳しさを感じる神父様や、こだわりを持っている神父様などいろいろでした。ある教会の神父様はとてもおっしゃることが厳しい方でした。常に教会の人はその神父様に注意をうけていました。しかし、ある日の夕方その神父様のお母様が母国で帰天されたという一報がはいりました。普段は元気いっぱいの、よくお話好きな神父様は聖堂後ろにあるマリア像のところに座り小さくなって肩を震わせて泣いておられるのを見ました。
 その影響でしょうか、私の父が亡くなった8年前から親の存在の偉大さを感じるとき十字架の前で、またはマリアさまに向かって小さく背中をまるめて祈るようになっていました。その静かな時間は忙しくしている時とは異なるまなざしを感じます。そして次へ向かう力となります。

 偶然ですが、多摩教会が誕生した1972年は私の生まれた年でもあります。多摩教会も出会いと別れを繰り返し、その祈りと行動によって支えられ生かされてきました。マリアさまの保護のもとに導かれ、歴史の重みと暖かさを多摩教会聖堂が献堂された今年5月14日の主日ミサで感じました。

 今年の12月には多摩教会にて初代主任司祭寺西神父様が主の降誕のミサを行います。神父様は今年ダイヤモンド祝である叙階60周年を迎えるのです。どうか司祭のためにお祈りください。

連載コラム:「神さまに招かれて」

「荒野のオアシス教会を目指して」

やさしく、あたたかく、心からのオアシスづくり
連載コラム「スローガンの実現に向かって」第77回
「神さまに招かれて」

南大沢・堀之内地区 佐々木 由理子

 私が洗礼を授かったのは、2010年の4月3日のことでした。晴佐久神父様が多摩教会で最初に洗礼を授けたメンバーのひとりでした。
 字数が決まっているのであまり詳細は書けませんが、ひと言にまとめると、突然「いつも喜んでいなさい、絶えず祈りなさい、全てのことに感謝しなさい」という声がはっきり聞こえて、「神様についに招かれた」と確信して、洗礼を決意しました。最初プロテスタント教会に行っていたのですが、大学のゼミのシスターから「どうしてもカトリックにして」と言われて、一度だけ行ってみる約束で多摩教会に行き、晴佐久神父様と出会って額に電気が走ってしまい、ここが私の場所だと確信しました。2009年11月から金曜日の入門講座に通い始めて、翌年の4月に受洗しました。

 前のプロテスタント教会には2年ほど通ったのですが、その間に洗礼に至らなかった最大の理由は、私が「今夜自分が死ぬとしても、天国に行けると確信していますか?」という質問にハイと答えられなかったことがあります。私には今、二人の大学生の子供がいますが、その上にもうひとり、妊娠38週、予定日目前に死産した息子がいました。彼を死なせてしまった私は人殺しだから、天国に行く資格はない、そう思っていました。
 初めて会った晴佐久神父様は、その超えられなかった壁をいとも簡単に取り払われました。「あなたがどれくらい信じているか、なんてどうでもいい。神があなたを招いているかを私は見る。あなたは間違いなく招かれていますよ」私の中で何かが変わりました。「今度の4月にこの聖堂で洗礼を受けましょう」との言葉に、思わず「ハイ」と返事をしていました。そして私は、「私のオアシス」に、ついにたどりついたのです。

 受洗した後は、目まぐるしい日々の中、晴佐久神父様が次々思いつかれるイベントのほとんどをスタッフとして駆け抜けてきました。去年、豊島神父様がいらっしゃってからも、相変わらずいろんなイベントのスタッフとして働いています。豊島神父様は、晴佐久神父様とはまた違ったタイプの、すばらしいタレントを持った神父様で、安心してついて行ける良い牧者です。いろんなことを深く考えていらして、とても信頼しています。

 2017年、下の息子が大学生になり静岡県での下宿生活が始まりました。突然私も半分一人暮らしのような生活が始まり、不覚にもちょっとウツ気味ですが、神様は私に次のステージを用意されているようです。
 受洗した日の日記に、「いろんな人にステキな贈り物をもらいましたが、なぜでしょう? 『花を咲かせてね』とか、『種まく人』とか、なんだかとっても植物を育てる人なコメントをたくさんの方にいただきました。信者になって、改めて周囲にお日様みたいな光りを注ぐ、種をまき、育てる人になりたい、としみじみ思います」、私はこう書いていました。
 人生も後半戦、元気に活動できる時間があとどのくらい残されているのかは分かりませんが、神さまのお仕事をこれからも精一杯つとめていきたいと思っています。

巻頭言:主任司祭 豊島 治「気づきます」

気づきます

主任司祭 豊島 治

 信徒館の外装塗装も復活祭までになんとか間に合い、外観がきれいになりました。近所の人も変化に気づいて声をかけてくださいます。改修の時期なのでこれから構内の整備がつづきます。

 その準備過程で司祭館内の棚移動などをしていたら、電話機棚でかくされた壁に:

 「御国がきますように」 と祈りながら、御国に呼ばれることを恐れるのはおかしい。
 《E assurdo dire “venga il tuo regno” e temere di essere esauditi.》

 という標語(?)が貼ってあるのに気づきました。前任の神父様が忘れて置いていかれたのか、後任の神父に気づかせたくてわざと残していったのかわかりませんが、私は日頃「恐れ」を感じたときにみることにしています。

 御国がきますように。
 私たちが常にささげている「主の祈り」にあることばであり、今年の主日は主にマタイ福音書が読まれていくことから、深めることができることばです。

 「さいわい(幸い)」という言葉もマタイ福音書を読むとその存在に気づきます。神の「さいわい」をうけると、安心し、更によき福音の光に照らされながら見て→聞いて→生きて→喜ぶといういのちの原則にかえることができます。人の良し悪しや、現在ただ今の状況と全く関係なくある不動のものです。

 マタイ福音書が「神は、わたしたちとともにある(1章23節)」という感動的な救い主の誕生の言葉ではじまり、「私は世の終わりまであなたがたとともにいる(28章20節)」という復活の救い主のことばでおわるのは、それらのことが共にあるという喜びを告げているかのようです。

 マタイ福音書をきいているうちに言葉のつかいかたに「縛りを感じる」という感想をいただきました。でもそのさきにある神様からの「さいわい」に心よせて、御国の本質に期待しながら秘跡を大事に、人との愛を尊びながら、与えられた一週間を大切に過ごしていきましょう。