福島から語る@多摩東

rev2-20171123-Fukushima
102-07

福島、忘れていませんか?

2011年の原発事故から6年。
今一度、あの「福島」の現実を知る機会です。
ぜひ、来て、見て、感じて、知ってください。
そこから、きっと何かが生まれます。

下記は、当教会主任司祭の豊島 治(とよしま おさむ)神父からのお知らせです。

 11月23日に三教会(調布、府中、多摩)教会合同企画として、東京教区のカトリック東京ボランティアセンターとの共催で、「福島から語る@多摩東」を多摩教会にて10時より開催します。
 福島原発から一番近いカトリック原町教会の一角にボランティアを受け入れる「カリタス南相馬」があり、所長の畠中ちあき氏と、現在原町教会でミサをささげておられる幸田司教さまがこられます。
 また浪江町で被災者救助にあたっていた消防団員が、原発事故の危険から救助を断念して、避難を余儀なくされたときの話「無念」の上演も、現地の方をお招きして、知る機会をもちます。
 「食祭の秋」に行う企画なので、現地の魅力的な旬の味を共に楽しむ用意もできています。

 私もいままで7回、南相馬に赴いていますが、何よりも現地を訪れるのがいいと考えています。11月23日は日曜でなく勤労感謝の日の木曜日ですので、「ちょっと寄っていこうかな」ということにならないかもしれませんが、その先どんな想いで出来事をとらえるのかの再考することを含め、皆様の参加をおまちしています。

(「多摩カトリックニューズ」10月号巻頭言、”「きずな」生まれます“より)

ぜひ、ご参加ください。

102-07🌾 福島から語る@多摩東 🌾
日時: 1123日(木・祝)10時開始
== プログラム ==
紙芝居「無念」上演
講話:畠中ちあき所長、幸田和生司教
まとめの話:豊島治神父
懇親会・被災地ゆかりの品の販売
======
場所: カトリック多摩教会
住所: 東京都多摩市聖ヶ丘1-30-2
事前申込不要・入場無料
(自由献金にご協力ください)

102-07

多摩教会への交通アクセス Google Map
教会簡易地図ペイント作成-2015ここナツ用-500

102-07

遠方からお越しの方、
ご体調の関係で、車のご利用を考えておられる方は、
以下の近隣駐車場をご利用ください。

(クリックで拡大表示)

巻頭言:主任司祭 豊島 治「きずな」生まれます

「きずな」生まれます

主任司祭 豊島 治

 異常気象という言葉が頻繁にきかれるようになって、緊急支援が必要なケースが多くなっています。大きな災害のニュースがあると、私たちの多くは「なにかできることはないか」という気持ちをもちます。被災された方を助けるためはもちろんですが、人知を超える大事態という怖れを感じ、なにかすることで自分を持ち直したいというのもあるかもしれません。

 「想定外」ということばを何回も耳にした2011年の大震災。励まし合うために「きずな」ということばもありました。個人でも教会単位でも、多くの人が赴いて祈り・活動をしてきました。震災から5日目にして、現地での対策本部を開設した一人、カリタスジャパン(当時)の成井神父さまは後におっしゃったひと言に力がありました。

 「きずなという言葉は人と人との疎通があって初めて成り立つのです」

 ボランティアにしても、ただ瓦礫撤去を黙々とするのでなく、現地の人と過ごしお茶をし、交わし合う言葉でどれだけお互いが得るものが大きかったかを。ボランティアケアの現場から得られた信念です。
 震災時には必要なところと連携し対応していくカリタスジャパンをはじめ、日本の司教団は今も各所のボランティアベースを拠点に被災地につながりをもちつづけています。

 11月23日に三教会(調布、府中、多摩)教会合同企画として、東京教区のカトリック東京ボランティアセンターとの共催で、「福島から語る@多摩東」を多摩教会にて10時より開催します。福島原発から一番近いカトリック原町教会の一角にボランティアを受け入れる「カリタス南相馬」があり、所長の畠中ちあき氏と、現在原町教会でミサをささげておられる幸田司教さまがこられます。また浪江町で被災者救助にあたっていた消防団員が、原発事故の危険から救助を断念して、避難を余儀なくされたときの話「無念」の上映も、現地の方をお招きして、知る機会をもちます。「食祭の秋」に行う企画なので、現地の魅力的な旬の味を共に楽しむ用意もできています。

 私もいままで7回、南相馬に赴いていますが、何よりも現地を訪れるのがいいと考えています。11月23日は日曜でなく勤労感謝の日の木曜日ですので、「ちょっと寄っていこうかな」ということにならないかもしれませんが、その先どんな想いで出来事をとらえるのかの再考することを含め、皆様の参加をおまちしています。

連載コラム:「シニアの、シニアによる、シニアのための集い、開催しました!」

「荒野のオアシス教会を目指して」

やさしく、あたたかく、心からのオアシスづくり
連載コラム「スローガンの実現に向かって」第82回
シニアの、シニアによる、シニアのための集い、開催しました!

「シニアの集い」実行委員 小俣 浩之

 シニアの皆さん、今年のシニアの集い、お楽しみいただけましたでしょうか?今年いらっしゃれなかった方、来年はぜひ、いらしてくださいね。
 新たにシニア対象者に加わった方は15名。えっ、あの人も? あの方、バリバリなのにもうシニア? うそでしょ? えっ、びっくり。毎年のことながら、シニアデビューされた方々を見ますと、その若々しさに驚かされます。多摩教会のシニア対象(75歳以上)は、いまや総勢160名を超えています。

 「多摩教会のシニアは元気だ!」、豊島神父様のそんなお言葉を受け、今年のシニアの集いを「シニアの、シニアによる、シニアのための集い」と銘打って開催することにいたしました。シニアの皆さんが中心になって、皆さんのための集いを開いていただきたい、「シニアの、シニアによる、シニアのための」には、そんな意味合いが込められています。
 その第一回目となる今年は、そのことをシンボリックに表すべく、実行委員長をシニア対象者の北村司郎さんにお願いし、企画段階から加わっていただきました。北村実行委員長のもと、信徒館2階の小部屋に潜んで事前にお弁当やデザートの試食もして、献立を吟味いたしました。年に一度の大切な会ですから、シニアの皆さんには美味しいお食事を召し上がっていただきたい、しっかり吟味した上(たっぷり試食した上? いやいや試食は少しずつでしたよ)、例年よりも豪華なお弁当にして、お吸い物、お菓子、フルーツ、さらにひと口ビールもお付けしました。献立の最終決定権は、当然ながら北村実行委員長の手にあります。役得ですね、これは。来年の実行委員長立候補者(シニア対象者に限る)、お待ちしてま~す。関戸・一宮・府中・日野・野猿地区の皆さま、食事会の事前準備、当日の配膳、片付け、ありがとうございました!

 当日は「シニアの奉仕によるミサ」から始まりました。侍者、先唱、朗読、朗唱、奉納、すべてシニアの方々が奉仕します。明るい秋の朝の光の中で、厳かな所作、熟練の味わいを醸し出して、ご奉仕してくださるミサ、素晴らしかった。ミサ後、聖堂でイベント、教会学校の子どもたちの「ありがとう」の歌とメッセージ、花束贈呈、シニア代表のごあいさつなどなど。今年は60名ほどが集いに参加されましたが、聖堂での写真撮影もいよいよ大掛かりな撮影会となりました。前4列の椅子を移動させて、にわか作りのひな壇を設け、写真の準備を始めてから実際にシャッターを押すまで、ずいぶんと時間がかかっちゃいましたね、長い間、お待たせしちゃってすみませんでした。でも、皆さまの笑顔溢れるとっても素敵な「家族写真」が出来上がりましたよ。
 その後、信徒館1階でのお食事会。豊島神父様は、文語で食前の祈りを唱えられました。さすがシニア世代の皆さま、文語のお祈りに自然に唱和されていました。ミサ中に霊名の祝日のお祝いをさせていただいた平神父様に乾杯のご発声を賜り、会食、ご歓談、意見交換と、和やかな時間が進みます。参加者全員でカトリック聖歌「野ばらにおう」と「あめのきさき」も歌いました。

 さて、会の終わりが近づいた頃、豊島神父様に改めてお話をお願いしました。そのとき神父様から出たお言葉は・・・。
 「シニアの皆さん、この会は生存確認の会ではなく、青年会だと思ってください!」神父様からのこの力強いメッセージを頂いたとき、シニアの皆さんが共感して嬉しそうにうなずくお姿、とっても印象的でした。そしてその瞬間、あっ、この場こそが、シニアの皆さんにとっての「オアシス」なんだな、と改めて気づかされました。
 とっても素晴らしい一日になりました。この集いに実行委員として関わることができたこと、神様に感謝いたします。

10月:「初金家族の会」からのお知らせ

「初金家族の会」からのお知らせ

 10月6日(金)、豊島神父様はお説教で、「今日の答唱詩編に、『あなたは私の隠れ場、苦しみから私を助け出し、救いの喜びでおおってくださる』とあるとおり、私たちが落ちこんだとき、傷ついたときにこそ、救いの手を差し伸べてくださる神様の本当の素晴らしさに向き合うことが大切です。苦しいときには、愛のみ心の次なるわざを待ちましょう」と話されました。

 続いての初金家族の会では、府中の島田潤一さんが遠藤周作著『沈黙』の脇役、キチジローの生き様を取り上げ、当時の信仰環境や、「主の祈り」の人を許すということなどについてお話しなさいました。
 参加者からは、「人はそれぞれ価値観、感情を持っている。相手の価値観を認めることも必要」「ただ許すというだけでなく、差別のない社会を目指し、自然環境を良くするように努めることなどが大事」「相手を許さないという自分自身の気持ちを許すこと」「もともと作品のタイトル『沈黙』が、遠藤氏自身が用意した『日なたの匂い』であったことで明らかなように、砂の文化の中で生まれた宗教が、石の文化で西欧化し、それが木の文化の日本でどのように受けいれられ、とけ込まなければならないのかが著者自身の探究であり、もがきだったのでは・・・」など、さまざまな感想、意見が述べられました。

巻頭言:主任司祭 豊島 治「愛 あります」

愛 あります

主任司祭 豊島 治

 気がつけば9月の後半。カトリック売店には2018年カレンダー・手帳が並び始めました。通称『パパさまカレンダー』『祈りの風景』『カトリックカレンダー』というおなじみのレパートリーですが、陳列棚をみると時間が経つ早さにしみじみとします。

 人間ほど約束をし、予定をたてて生きる存在はあまりありません。先輩の司祭のなかには単年の手帳では間に合わないとかで『三年手帳』『五年手帳』を購入して数年先の予定を書き込んでいらっしゃいます。予定箇所が多ければそれは「多忙」ということになるでしょう。
 逆に予定が書かれていない「空白」部分に注目してみましょう。「自由な時間」もしくは「手帳に書き込むほどではない日常的な予定」という意味で使用されているかと考えますが、その白い部分に私たちと神さまとの関係を思い起こしてみてはどうでしょうか。

 今月20日から那須にあるトラピスチヌの宿泊施設を貸し切り使用させていただいて、現地にいるトニー神父さまの協力のもと、個人が黙想する機会を得ます。観想修道院で行うのは初めてなので、普段典礼や講座に関わる方数名に参加してもらいます。
 黙想を英語で表現すると「meditation(メディテーション)」ではなく「retreat(リトリート)」であると英語の先生が教えてくれました。後者は辞書でみると第一の意味として「前線から撤退する」とあります。「やるべきこと」に翻弄されている私たちですが「生かされている」という基本的土台をとりもどすには一時的な「撤退」もありです。撤退先は奄美大島もいいところですが、トラピスチヌでは食事を修道女さんたちがつくってくれます。

 今年刊行された冊子に日本の司教団からの『いのちのまなざし』と教皇さまからの『愛のよろこび』がありますが、両方とも「わかっているつもり」「そのうちに」という忙しさ・煩わしさ・恐れなどの各衝動によって、なおざりになりがちな大切なことを確認させてくれます。誰にでも生まれた意味がある、世界や社会のはしっこにおいやられて、メジャーなグループを羨ましそうにみて悩みながら生きている人たちは究極の選択を迫られている。そんな状況でも福音の光は闇の柵(しがらみ)を解放させ、愛の力が輝きの場所へと導きます。遠方にいかなくても日常の生きる意味を確認することができるので、手帳の白い部分の時間の過ごし方に是非ご活用ください。

連載コラム:「ひんやりパラダイス」を終えて

「荒野のオアシス教会を目指して」

やさしく、あたたかく、心からのオアシスづくり
連載コラム「スローガンの実現に向かって」第81回
「ひんやりパラダイス」を終えて

稲城・川崎地区 伊藤 直子

 ようやく夏らしい日差しの戻った8月12日(土)の午後2時から、入門講座主催の「ひんやりパラダイス」が開かれました。今年の春に入門係になって以来最初のイベントです。新米入門係として何が何だかわからないままに企画から参加しました。
 来てくださる方に福音とひと時の涼を楽しんでもらいたいと、何度もメンバーでミーティングを重ねて、メニューや役割分担を決めました。私はかき氷とケーキを準備することになりましたが、一抹の不安もありました。世間ではその日はお盆の始まりで3連休の初日です。一体どのぐらいの人が来てくれるのか、8月になって記録的な長雨が続き、気温もさっぱり上がらない中で心配して迎えた当日でした。
 12時半ぐらいから台所で準備しながらも皆ソワソワして会場の様子をうかがっていました。8人以下しか集まらないんじゃないかという神父様の不吉な予想もありましたが、幸い始まるころには用意したイスがいっぱいになるぐらい沢山のお客様を迎えることができました。その中にはホームページを見た初めての方が何人もいて、台所に嬉しい悲鳴があがりました。

 最初は豊島神父様のお祈りとお話でスタートです。いつも45分で集中力が切れるとおっしゃっているのに、時計をみたら1時間以上もお話してくださいました。参加者の中にはお子さんもいましたが、お話にじっと聞き入っていました。
 そのあとは、かき氷やデザートといった冷たい食べ物と3種類の温かいスープを食べながら、およそ2時間の歓談タイム。楽しい時間はあっという間に過ぎ、皆さんが帰り際に「おいしかった」「楽しかった」と喜んでくださったのが何にも勝る神様からのご褒美です。イベントを土曜日に設定したので、何人かはそのまま土曜の夜ミサにも参加していただけたようです。

 私はおととし初めて多摩教会を訪れて、金曜日夜の入門講座に参加するようになりました。それまで入門講座とは、真剣に洗礼を考えている人が真面目に教理をお勉強するところという、ちょっと厳しそうなイメージを持っていました。恐る恐る講座に臨みましたが、信徒館のテーブル一杯に座っている多くの入門講座の参加者はいろいろな動機で集まっていました。多摩教会の敷居は実はとっても低かったのです。
 豊島神父様がいらしてからは、私のような主婦にもありがたい待望の平日昼間の入門講座が始まりました。去年と今年でまったく違うお話が聞けるので、信者になってからもずっと通い続けています。毎回良いお話を聞いて仲間とのおしゃべりも楽しめるので、金曜日が待ち遠しいぐらいです。教会で出会った人達と交流を深めるうちに、おととし初めて聞いたときはピンとこなくて絵空事のように感じてしまった「教会家族」という言葉も、少しずつ実感するようになってきました。
 今回の「ひんやりパラダイス」のようなイベントをきっかけとして、一人でも多くの人に入門講座の楽しさ、そして多摩教会の良さを伝えていけたらと思います。私もそうやって迎えてもらった一人なのですから。

9月:「初金家族の会」からのお知らせ(次回は10/6・金)

「初金家族の会」からのお知らせ

 例年以上に蒸し暑かった厳しい夏が過ぎ、ようやく秋の気配が感じられた9月1日、初金ごミサのあと信徒館で、カトリック学校に長年お勤めになり、現在もカトリック学校教職員の方々対象の養成塾でご活躍の北村司郎さんが、「カトリック学校の現状と課題」について、次のようにお話ししてくださいました。

 「幼稚園から大学まで、日本のカトリック学校在籍の児童、生徒、学生数は、2016年現在で約20万人。教職の修道者数が年々減少し、児童生徒数も減っているので、学校経営そのものが難しくなっているところが多い。
 いろいろな面で移り変わりの激しい今の社会の中、カトリック学校が存続するために、共学化、進学校化を図るところもある。そのような現状の中で、カトッリク的な教育はいかにあるべきかは大きな問題、なかでも道徳教育と宗教教育との関連をどのように考え実行するか、減少している修道者に代わる教職の役割を誰が、どのようにやるのかなど、課題山積です。
 『国ありき、経済第一の教育』から、人第一、人間の存在そのものを大切にする「人ありきの教育」を、修道者に代わって、今、学校の中にいる教職員が(信徒も信徒でない方も含めて)一緒になって行うべきではないでしょうか

 以上のような北村さんのお話のあと、参加したカトリック学校の卒業生数人から、「一人ひとりを大切に、心温まる働きかけだったカトリックの教育指導を受けたことが信仰生活へのきっかけになった」などと感想が述べられました。

 次回10月6日(金)には、府中の島田潤一さんが、遠藤周作著、『沈黙』に出てくるキチジローについて話される予定です。
 「初金家族の会」は、初金のごミサのあと、信徒館で貴重な体験など聴いて語り合い、お互い信仰の絆を深め合う、楽しい集いです。どうぞどなたでも、お気軽にお立ち寄りください。(11時ごろからです)

巻頭言:主任司祭 豊島 治「導かれます」

導かれます

主任司祭 豊島 治

 急な気温の低下もあり。聖母被昇天は雨という気候の変化に心身ともに、とまどいをもった一カ月でした。皆様の体調はいかがでしょうか。
 今年は8月13日に「恐れることはない」の福音箇所があった年間第19主日のミサ、14日に多摩教会保護の聖人コルベ神父さま記念日のミサ、そして15日聖母被昇天と続きました。この三日間のミサをコルベ神父さまの生涯からみると、ふしぎな計らいを感じます。

 コルベ神父さまが列聖されたのは1982年。当時私は30数人の同期といっしょに堅信準備の勉強会に通う日々でした。そのなかでコルベ神父さまの生涯を学ぶことになりました。家族を想って命乞いを訴えたガイオニチェク氏の身代わりを申し出て処刑された神父さま。命の大切さとすばらしさ、いのちを育む家族への想いに話はつながっていたのです。「聖母の祝日に召されたい」と願ったコルベ神父さまは、亡くなった翌8月15日(聖母被昇天の日)に火葬されました。

 堅信をうける仲間と学びと分かち合いのなかで、凛としたコルベ神父さまの言葉やふるまいに感銘をうけました。そしてもうひとつ、ガイオニチェク氏の「死にたくない、家族をのこしてはいけない」という言葉に当時の私は何か感じました。生死をかけた緊張の場で発した家族への愛です。

 8月30日に教皇フランシスコの使徒的勧告「愛のよろこび」の日本語訳が発行されます。教皇さまは対話するための道具となるようにと、この本の活用をすすめられました。320ページもあるのですが、読んで分かち合うことによって「困難な状況」にある家庭を励まし、助けることができると訴えられました。

 結婚して家族をもつというあこがれは華々しいイメージを与えます。しかし、結婚そして家族は、入籍や結婚式当日に突然生まれるわけではありません。家族を形成してゆく過程にはときには、辛い毎日を二人でのりこえていきます。二人から、はじめて、一緒に創造していく長い人生航路の間には、喜怒哀楽の出来事が含まれています。人は他人の痛みは正確にはわかりません。どんな間柄でも同じです。しかし痛みは教えてくれます。痛みを分かち合いたい人がいて、そこで大切な存在に気づかせてくれるのです。コルベ神父さまは「家族の保護聖人」にもなっています。多摩教会を見上げるとき、聖人のとりつぎを願い、家族を思うことからくる痛みの意味を悟らせてくださいと願えるでしょう。そして今後、多摩教会で結婚の誓いをなさる方々には結婚講座をしっかりと行い、しっかりとした気持ちをもって向かっていくよう導きたいとおもっています。

 使徒的勧告『愛の喜び』は入荷次第、一年前にでた英語版とともに売店にて購入できます。