巻頭言:主任司祭 豊島 治「認めます」

認めます

主任司祭 豊島 治

 梅雨にはいり、当然ながら雨の降りしきる日々をすごしています。外に出て活動できない塞いだ気持ちを和ませてくれる神さまの被造物のひとつに「紫陽花」の存在があります。
 雨のなか、濡れて輝き存在感をしめすその花には、「この一日も素晴らしい日」という神さまのメッセージを感じます。多摩教会の構内に紫陽花はありませんでしたので、日常の風景から探して愛でることをお勧めします。

 梅雨にはいる前後のニュースは、外交のイベントと併せて悲惨なものもありました。新幹線内殺傷事件については衝撃・恐怖が広がり、世論ではセキュリティ問題も取り上げられました。MXTVの事件後調査ですが、新幹線乗車前のセキュリティチェック実施の是か非かのアンケートでは、全乗客に対して実施が810人、ランダムでの実施が732人、必要なしが654人というのです。大きな事件ですし、自分の身にふりかかることを想像してみると、環境整備しセキュリティを厳しくしてみるという意見もわかります。
 ただ、加えてその後の報道各社の取材で人物像が浮かび上がってきましたが、注意をひいたのは、加害者とされる人の心情にあった「自分が何故生きているかわからない」というものでした。母親による「あの子は自殺はあっても、他殺は考えられなかった」というコメントの入った続報も、生きていることへの絶望感が伝わってくる内容でした。
 本人は経済的貧困のなかにいませんでしたし、家族関係の問題も祖父母と養子の関係を新たに構築しており、お金ない・家がないという問題に対しての社会的システム対策は行っていたのですが、それでも「生まれし それ故生きる」という根本の充実感には至らず、「消えてしまいたい」という心情吐露になったということでした。

 「生まれし それ故生きる」という意欲は、存在価値を感じられるかどうかだといいます。それは私たちにとっても同じで大切です。インターネットで自分を発信して、そのコメントを得る機能(例えばSNS)が利用されているのをみると、存在価値を繰り返し感じていないと誰もがひとりでいられない気持ちを持っていることがわかります。よく使われる、アイデンティティを「自分が自信をもっていること&自分のよりどころ」と定義するなら、アイデンティティの構築は、自分以外との関わりと評価によって成るのでしょう。私たちは、モラルだけで全行動を制御できるほど完全ではありません。「自分の存在を認めてくれる方・家族・仕事・人を失いたくはない」という気持ちも持っているので、お互いのいのちを大切にします。
 私たちキリスト者は、神さまによる「(すべてをご覧になって)きわめて善かった」(フランシスコ会訳)という創造のときのことばと、「あなたは、わたしの愛する子」ということばをはじめとして、自分を見つめていきます。ミサの中で呼びかけられるみことばと聖体とで、はじめの関わりを確認できます。そして、派遣された場で、自分のペースでその先を構築します。

 一助になるかはわかりませんが、6月17日には拡大入門講座を実施に「被災地の心のケア」として傾聴を実践してきたシスター丸森から当時の様子と感じたことをうかがいます。
 また、7月7日には、東京カテドラルで「(国籍をこえて)人々が出会うために」というShare the Journey東京アクションの企画が行われ、私も実行委員の一人で企画しています。詳しくはチラシ、またはカリタスジャパンのホームページ( https://www.caritas.jp/wp-content/uploads/2018/05/tokyo1807.pdf )でご確認ください。
 このアクションデーのあとに、本企画と連動した多摩教会として実施したリーチアウトフォト(reach out = 手を差し伸べる)を公開したいと思っています。

 紫陽花は、次のシーズンの花芽を守るため、花が咲いたらできるだけ早めに花の部分を取るものだと、昔世話になったシスターから教わりました。今の社会が求めているものの一つに、自分の存在を認める欲求があることも気にしながら、今のことが終わったら、次の神様のすばらしさを見つける一歩をはじめて、その繰り返しをしながら自分自身を手入れしていきましょう。

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6月:「初金家族の会」からのお知らせ

「初金家族の会」からのお知らせ

 6月1日の初金は、聖ユスチノの記念日。豊島神父様は聖ユスチノについて次のように話された。
 「ユスチノは、多くの宗教家などより見聞きしたものを心にとどめ、見直し、祈りの中で聖霊に導かれ多くの書物を残した。その考えの基本は『聖体と御血』を重要視したものであり、現在にも未来にも通ずるキリスト教の教理と実践の基礎となるものへと導いた。
 6月は司祭の月でもあるが、司祭はいろいろストレスに曝らされる場面も多い。そのため神との対話、祈りにより対応する必要がある。祈りとは情報を単なる知見から、生きる喜びに転換、高めることであり、神の愛を感じるのもこの時である。この愛と希望の提案をご聖体のうちに求めたいと思う」

 初金家族の会では、3月に豊後・平戸・生月島巡礼旅行に参加された中嶋誠さんのお話を聞いた。大分県関連では、多くの史跡があり、布教活動が活発に行われていたが、信仰の伝承が途絶えたことなどが紹介された。この地で功績を残した不遇の宣教者L.Deアルメイダに言及し、西洋の医療技術を持ち込み、日本最初の病院の開設と布教をしたこと、55歳まで叙階できなかったが、不屈の意思で1万人近い人々に洗礼を授けたことなど、感銘深い話であった。提供された資料はA4で20ページ及ぶもので、当時のキリスト教の宣教事情を知るため非常に参考になった。また、松原睦さんが準備された「南蛮貿易年表」も添付され、充実していた。

 「初金家族の会」は初金ミサの後、信徒会館で貴重な体験を披露、分かち合い、信仰を語り合う、信仰家族の絆を深め合う楽しい会です。
 7月は道官芳郎さん(俳人協会会員)に「俳句に詠まれたキリスト教」というテーマでお話いただきます。多数の方の参加をお願いします。

巻頭言:主任司祭 豊島 治「重ねます」

重ねます

主任司祭 豊島 治

 梅雨入りを意識させるこの時期にしては気温の高さにおどろく身体をいたわりながら、聖母月(5月)からみこころの月(6月)へと教会の暦はすすんでいきます。
 今年から聖霊降臨の主日の翌月曜日が「教会の母マリア」を記念する日として定められました。今年は5月21日月曜日です。当日多摩教会聖堂でのミサはありませんが、その他のところでミサに赴く方は、すでに発行されている毎日のミサの内容が変更されていますので、中央協議会のホームページから差し替え箇所を確認ください。

 多摩教会としての5月から6月は、「備えの時期」ともいえる感覚があります。キリストの聖体(今年は6月3日)では7人が初聖体をうけるための勉強をしていますし、多摩教会の構内を使ってのバザー(10月21日)も準備がはじまっています。郊外の黙想の家での研修や子ども達の合宿の企画もはじまるときいています。

 教会の母マリアの記念について「マリアはキリストを生み育てキリストが十字架の死の前にあがなわれた人々の母とされた。」というパウロ6世教皇のことばをもって受け止められ、今年のルルドの聖母(2月11日)に記念する旨が発表されたものです。
 新しいでも通例のことでも始め時は高揚することもあれば、不安もついてまわります。同時に準備を進める過程のなかで思い通りに行かない事に対して、大なり小なりの「痛さ」を持つこともあるでしょう。教会の母としてマリアを記念に据えたことは、わたしたちのそうした気持ちを受け止めささげてくださること、そして広い意味で恩寵へと行き着く先を示してくださっていることになります。

 6月3日は初聖体が行われますが、同時に星野正道神父様の主司式によるものです。星野神父様は1993年3月の叙階ですので、司祭叙階から25年の銀祝の年になります。瀬田にあったアントニオ神学校卒業しての叙階ですので、教区司祭と異なる要請を歩んでこられています。それゆえ霊性も豊かさをもっておられることは感じられている方もおられるでしょう。2006年から2008年まで多摩教会協力司祭として主任司祭のもとで助けをいただきました。
 私は、神学校3年目のとき、教区神学生の黙想会で星野神父様の指導をいただきました。そのときの「自分の今の生活とその先の生涯をキリストの生涯と合わせてみなさい」という言葉が今も残っています。司祭というのは、はかりしれない大きな恩寵に向かいながら、苦悩で眠れない日々の疲れを感じながら、キリストの生涯と関われることを喜びとし、また福音を携えて前進するものと感じています。25年の歳月のあいだ、神父様に与えられた神の関わりの祝いを私たちはミサ後のパーティで表す機会をもちますが、現在、星野神父様のこれからを祈る霊的花束も募っています。聖堂エントランスホールにある用紙をお使い下さい。

 6月17日は被災地の活動をなされているシスター丸森をお招きして、拡大入門講座を行います。拡大入門講座とは通常の主任司祭の講座にかわって、修道者・司祭を招いて経験や霊性に導かれた「証し」をうかがうものです。入門講座を卒業された方も参加をおすすめします。
 シスターは福島県内の教会関係と連携して被災地の心のケアの一環である傾聴を実践されました。わたしたちは関わりなくしては自分を肯定することもできませんし、その会話というのは重要な役目をはたしているのですが、「聞く」という助けは被災地の人をはじめ、喪失感と向き合っていた方々とはどうであったのかの様子を聞ければとおもいます。詳しくはホームページまたはエントランスにあるちらしをご覧下さい。

 神様の想いは愛に満ちていると同時にはかり難いもの。その事柄に心をあわせて生涯を歩んだマリアの姿に倣うために、するべきことを積み重ねながら、み言葉をしっかり受けなおす時期にいたしましょう。

連載コラム:「第7回チャリティ・コンサートを終えて」

人生の旅をいっしょに
= ウエルカムのサインをあなたからあなたに =
連載コラム「スローガンの実現に向かって」第88回
第7回チャリティ・コンサートを終えて

崔 承埈(チェ・スジュン)

 輝かしい新緑と美しいギターの音色、毎年GW連休の始まりを飾るチャリティコンサートを今年も大盛況のうちに終えることが出来ました。震災の年2011年に、元々日本にコンサートの予定があったキム・ソンジンさんが震災直後、被害者の為に何か役に立ちたいと自ら申し入れがあり、チャリティコンサートを行ったのが原点です。
 まだ記憶に新しい震災直後の5月は余震が続き、福島原発も予断を許さない状況であった為、多くの外資系企業が従業員を東京から避難させ、予定されていたコンサート等もアーティストの来日キャンセルが相次ぎましたが、キムさんは潔く来日を決断してくれました。
 今年に至るまで合計7回のチャリティコンサートを通じて、被災地を思いやる気持ちはもちろん、通訳の要らない共通言語としての音楽の素晴らしさを伝えてくれています。挨拶や曲の解説は通訳を介さないと通じない。しかし演奏が始まると国、言語、人種の壁は消える。この当たり前のようで不思議なことは、きっと神様の御業だと思います。

韓国でもキムさんの趣旨に賛同する音楽の仲間が増え、今年はヴァイオリンとクラリネットも加わり、いつも以上に華やかで迫力のある音楽を楽しむことが出来ました。ギターは独奏楽器としても素晴らしいですが、今回のようなギター五重奏、ヴァイオリン、クラリネットとのアンサンブルにおいても主演と助演をしっかりつとめ、様々なジャンルを消化できるオールマイティーな楽器であったこともとても興味深かったです。
 『愛の挨拶』の美しい旋律で始まり、『アヴェ・マリア』、ジブリのお馴染みの温かいメロディ、情熱的なタンゴ、『死の舞踏』、『オペラ座の怪人』といった大曲まで、誰もが楽しめる選曲も素晴らしかったです。全ての曲のアレンジを行った音楽監督のジョンさんは聞き手に臨場感を感じさせることがひとつの編曲ポイントとのことで、曲の主要メロディが偏ることなく、色々な人と楽器に分散されることによって演奏に立体感を与えているそうです。
 韓国の演奏者たちと日本の聖歌隊による合奏も大変感動しました。いつかクリスマス・コンサートとして開催し、キャロルともっと沢山の曲を合奏出来ればと思います。キムさんが1回目以降一貫して伝い続けてきたメッセージ、「音楽を通じて被害を受け苦しんでいる人々を思いやる」を今後も実践していきます。

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5月:「初金家族の会」からのお知らせ

「初金家族の会」からのお知らせ

 5月は教会工事作業関連で、初金家族の会はお休みになりました。6月は、6月1日の初金ミサ後、信徒館にて開催いたします。
 今回のタイトルは、「豊後の切支丹と平戸の聖地、隠れ切支丹の里、生月を訪ねる」です。この巡礼に参加した発表者、中嶋誠さんと、多摩教会からの同行者4名のかたのお話です。大分県、長崎県と回りました。この巡礼の様子を分かち合えるよう、多数の方の参加をお願いします。

 「初金家族の会」は、初金ミサの後、信徒会館で、貴重な体験を分かち合い、信仰を語り合いながら、信仰家族の絆を深め合う楽しい会です。皆様、どうぞお気軽にお立ち寄り下さい。
 初金家族の会は、初金ミサの後、11時ごろから開催の予定です。

巻頭言:主任司祭 豊島 治「隠れています」

隠れています

主任司祭 豊島 治

 復活祭を祝い復活節にはいりました。高低差の激しい気温にふりまわされていたので春を満喫する時間も少なかったのではないでしょうか。復活された主に出会ったわたしたちはその「いのち」を祝い、その無限な力をうけとめるという復活節を祝いとして、過ごしていきましょう。聖母の月である5月はもうすぐです。

 4月1日の復活祭ミサでは、第四代主任司祭 宮下神父様をお迎えしました。主の復活と宮下神父様の銀祝(叙階25年)をあわせたので、祝い事2倍の日となりました。ミサの前に宮下神父様から、二つのものが私にわたされました。一つは叙階25周年の記念カードです。ご自身で用意されたとのことです。皆さんにどうぞという意向でしたので、聖堂エントランスで受け取ってください。もうひとつは、木彫りの聖母子像でした。私には見覚えがあります。1999年、私は立川教会で神学生として滞在していました。突然いらっしゃって、当時の立川教会主任の岩橋神父様とお茶をしました。そのときに「これ、フィリピンまで行って買ってきた。これに台座をつけたらいいと思ってさ、いいでしょ」と示しておっしゃっていたのです。祝いの時間が終わってしばし神父様が信徒館や聖堂を見上げ「なつかしいな。かわってないな」と思いを話しながら歩いて回られました。

 15日には堅信式が宣教協力体(多摩、府中、調布)合同で調布教会にて行われました。
 多摩教会からは16名と三教会のなかで一番多い人数でした。多摩教会は以前は大人の洗礼式では洗礼・(初)聖体・堅信の入信の三秘跡を復活徹夜祭でおこなってきています。一緒にするか、別々にするか司祭のなかでも意見があるようですが、多摩教会は昨年から堅信は使徒の後継者である司教司式で行うことにしました。当日の司教様の説教や堅信の儀の式中で堅信の意味を確認する内容でありました。明るい、笑いありのひと時でした。

 そして現在進行中ですが、空調交換工事を行っています。大規模な空調システムを多摩教会はとりいれています。そして空き地のない多摩教会のなかで、施工についても段取りについても準備は困難がありました。着任する前から、多摩教会側は業者との打ち合わせがされていましたが、大規模な工事は、教区の大司教を主とする役員の方の承認を得なければならず、この方々の理解を得るためにも別途調査が必要でした。多摩教会の修理だから多摩教会だけで決めるわけにはいかない案件だったのです。この件については私も奔走しました。これから先の工事でも、こういった理由で不便をかけることになるかとは思います。はじまって一週間の工事をみていると、よくこんな巨大なものが教会の倉庫・香部屋天井裏に収納できたものだと驚くばかりです。総計32馬力(後ろは別期間に施工ですが8馬力)です。その力はこの一つ一つのパーツで思い知らされました。写真にあげておきますが、この写真に写っている範囲は全体の約5分の1です。ということはこの5倍のものが私たちの快適にするための空間形成の一役となっているのです。

 かくれたところに大事なものがある。設備もそうですが、主日のミサのために聖堂の椅子と机を水拭きして整える方、食事を準備する方、意見・書類などを取りまとめる方、神と人のために奉仕する教会をつないでくれる方もそうです。そして全体を見守ってくださる聖母マリアの取り次ぎ。復活の主の力強い福音の存在。見えないけど、発見しづらいけど存在するのです。勇気をだしてすすめていきましょう。

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菊地大司教の司式による堅信式

旧送風機1-S 旧送風機2-S
香部屋天井裏にあった旧送風機 高さ2メートル、幅1.8メートル

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聖堂前に出されたダクト。これだけでも全体の5分の1になりません
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(それぞれの写真はクリックで拡大します)

 

連載コラム:「宗教の未来と教会」

人生の旅をいっしょに
= ウエルカムのサインをあなたからあなたに =
連載コラム「スローガンの実現に向かって」第87回
宗教の未来と教会

諏訪・永山・聖ヶ丘地区 佐内 美香

 最近、第二バチカン公会議を勉強中。エキュメニズムが強く打ち出されている公会議後の他宗教との交わりをどう考えていったらよいのだろう。「宗教の未来を話そう」というシンポジウムに行ってみた。
 シンポジウムは仏教の僧侶、神道の禰宜、ムスリム(イスラム教徒、イスラムに聖職者はいない)、キリスト教の司祭(晴佐久神父)の4人に事前に聞いた3つの質問への回答をもとに、ディスカッション形式で進められた。
 質問1:宗教とは何か?
 僧侶は物事の判断基準、禰宜とムスリムは生きるヒント、司祭は一人では生きていかれない人間が仲間とつながり、神の愛に気付くことと答えられた。
 質問2:不安な気持ちを抱えて何かを信じたい。そのような時、宗教が果たす役割とは?
 僧侶は心のお守り、禰宜は心のよりどころ、ムスリムは不安をなくすこと、司祭は一人では解消できない不安や血縁を越えた「福音家族」としてつながりを持ち、奉仕し合うことと答えられた。
 質問3:宗教の未来像とは?
 これについては、このシンポジウムの本題として多くの意見が交わされた。僧侶はインターネットの有効活用やご自身がフランシスコ教皇に諸宗教者の集いで謁見された時の教皇の「外に出て自分の言葉で語れ」という言葉に共感したこと、仏教は家単位から個人の信仰へとなることを期待していることなどを話された。禰宜は神社という日本独自の地域に根付いた宗教の特質を生かして、祭りや年中行事など、世代をつなぎ地域社会に貢献していく努力を続けたいと話された。ムスリムは特定の教会に属さない個人信仰というイスラムのかたちから、宗教を超えた個人個人のつながりの方を重視したいと話された。司祭は原理主義から限りなく離れた宗教、押しつけるのではなく相手の立場に立ってそれぞれの宗教が共に困っている人を助ける世界を目指そうと話された。

 このシンポジウムは各宗教の代表者が他の宗教を尊重しつつ自分たちの思いを語る良い機会だったと思う。宗教は山登りに例えられる。登り口、ルートは違っても目指す頂上(神仏)は同じだと。
 だが、それぞれの宗教には独自の歴史や文化的背景の違いがある。その垣根を越えて大いなる力のもと、協力し合える未来であることを望む。
 幸せとは安心して生きていくことだ。すべての人々が安心して生きる神の国を実現するために、特に神に救われた体験をもつキリスト者たちは、迷える人々と神を出会わせるお手伝いができるのではないだろうか。その役割は大きい。そのためにも教会は人々が憩える場所としてのオアシスでなければならない。教会を教会として機能させ、門戸を開き、外に出て行き、宗教を越えて多くの人々のために奉仕し、幸せの輪を広げることが、キリストに選ばれし者の使命だと強く感じた。そしてそのことが宗教の未来を明るく照らすのだと思う。

寄稿:「四旬節福島巡礼の旅」‐ 報告No.2

= 寄 稿 =
四旬節福島巡礼の旅‐報告No.2

中嶋 誠

 私は、昨年11月の「福島から語る@多摩東」以来、福島、とりわけ原発事故によって避難を余儀なくされた人々や風評被害に苦しむ方々に心を寄せたいとの思いが増していました。そんな折、第一原発入構の企画を知り、原発の必要悪と絶対悪論の中で、自分の立ち位置について頭の整理ができぬまま、参加の手を挙げました。

 原発入構日の早朝、ホテルの一室でのミサの中で、星野正道神父様は、巡礼の旅について、「慣れ親しんだものから離れたところに身を置き、自らと相対すること」と話されました。
 海に向かって祈る組と別れ、原発に向かうバスの車窓からは、時折廃虚化した無人の家々が眺められました。家のまわりを覆う若葉に、若葉は居ることができても帰還できぬ人々、とりわけ思い出をこの地に残して避難を余議なくされている中高生や青年の無念が重なりました。確かに除染は進んでいるようですが、時間の経過と共に痛みはより増し、複雑になっているのだと考えていました。
 第一原発から10キロ程離れた東京電力の旧エネルギー館で入構の事前説明を受け、東電のバスで国道6号線を北上。車窓からの景色は、いきなり地震で崩れたガソリンスタンドや放置されたスーパーマーケットらしき店に変わりました。そこは帰還困難地域でした。晴天、静寂の中でのこの景色は、目に見えぬ放射線被害の深刻さを感じさせます。
 厳重な入構チェックを受けた後、見学者全員が放射線量測定器着用を義務付けられ、見学によって浴びる放射線量は、最大10マイクロ・シーベルト、これは歯科でレントゲンを撮る時に浴びる量に匹敵するとの説明を受けました。その後の専用バスでの小一時間の見学では、防護服の着用も求められず、バスもごく普通のバスで、ここまで構内の除染は進んでいるのだと感じました。
 第一原発の敷地内は、汚染水・処理水タンクが文字通り林立、その間を縫うように災害に遭った設備を見て回ります。普通の作業着姿の作業員を多く見かけました。敷地内は汚染度の高い順に3段階のゾーンに区分されていますが、防護服なしで働ける汚染度の一番低いゾーンが殆どになったと聞き、除染作業の進捗を確信しました。原子力発電炉1号機、2号機の間を通った時に2、3度外気の時間当たりの放射線量を計り、報告がありましたが、いずれも200~300台のマイクロ・シーベルトでした。
 初めての入構で比較は難しいのですが、新聞、テレビの報道で見てきた無残な姿となった1号機、2号機、3号機では、この7年間で、がれき撤去や汚染拡散防止作業が相当進んだように見えました。世界的にも廃炉に至るまでの作業が確立していない現実の中で、第一原発関係者の不断なき努力を見た思いです。

 バスでの見学終了後、我々が浴びた放射線量が10マイクロ・シーベルトを超えていないかのチェックがまるで出国手続きのように行われ、場所を旧エネルギー館に移し、東電担当者との質疑応答がありました。
 汚染水の処理に関するものが多かったのですが、私にとっては、我々の中の一人が、「撤去や汚染拡散防止策に関し技術創出・革新のための基資料は何か」と質問したのに対し、「原爆実験のデータだ」との返答があったのが最も印象深く、またやり切れぬ思いもしました。
 第一原発では、3千人が廃炉作業に当たり、うち60パーセントの作業員が地元福島県の方だそうです。作業は、3号機の使用済み燃料取り出しが今秋開始の目途が立ったものの、1号機、2号機に関しては、今後2~3年を要する。3号機も含めた電炉底にあるデブリ(燃料が、冷却不足で溶け落ちたもの)は、その状況を把握するための調査が続いているようです。また一般的には、ロボットを使っての遠隔操作は、新たな技術の創出・革新から始まり、難航が予想されると言われています。頑張って欲しい。質疑応答終了後、私の関心先は、津波、水素爆発で傷ついた施設から、福島復興に希望を持ち、道筋のない廃炉作業に取り組む人々へと移っていました。
 困難な環境の中で、見通しの至難な作業に邁進する方々に神様の恵みが注がれますようにと祈られずにはいられません。