連載コラム:「Accueillir=受け入れる」

人生の旅をいっしょに
= ウエルカムのサインをあなたからあなたに =
連載コラム「スローガンの実現に向かって」第94回
「Accueillir=受け入れる」

稲城・川崎地区 ベルナデッタ 小俣 真菜

 フランス生活に溶け込んできた頃、家の近くのミサに与った。そのとき « 献金 »の係をやってくれと頼まれたことを、今でも鮮明に覚えている。近くの住民しか来ないような小さな教会で、日本人の私に声をかけてくれたことがとっても嬉しかったのだ。この時ようやくフランスに受け入れられたように、ふと感じた。

 私は2017年5月から1年半ほど、フランス・リヨンに暮らした。リヨンはフランスのローヌ・アルプ地方に位置し、他の都市への移動に利便性が優れた街である。カトリックの教会も多く、毎日曜日、どの教会のミサに与るか決めることは滞在中の楽しみの一つであった。その中で、Basilique Notre Dame de Fourvière=フルヴィエール大聖堂と、Église de Saint-Nizier de Lyon=サン・ニジエール教会が、いつも通うお気に入りの教会となった。フルヴィエール大聖堂は、ペストが流行した時代、リヨンを守ってくれたマリア様に感謝して建てられた教会である。丘の上にあるこの教会は、リヨンを見下ろして日々市民を守ってくれているのだ。いわば、リヨンのシンボルともいえる教会である。

 渡仏して早速出会った文化の違い、それはミサで握手をすること。ミサに与り、主の平和の挨拶で「La paix du Christ=主の平和」と言いながら周りの方々と握手をする。当初は、今までお辞儀の文化の国にいたため、もちろん抵抗はあった。しかし、フランス人をはじめ現地の人々の握力がしっかりと強く感じ、それはまるでパワーをもらっているかのようで心地よかった。そしてミサ後には、教会の入り口の扉の前で司教様や神父様が待っていてくださって、「Bon dimanche !=良い日曜日を!」と挨拶を交わしながら握手をする。これがまた皆笑顔で挨拶をするので、今週もまた頑張ろう!という気持ちにさせてくれるのだ。「握手をする」ということは、お互いに受け入れ合おう、という気持ちの表れとも言えるのではないだろうか。そしてフルヴィエールの丘からリヨンの景色を一望して心を落ち着かせ、小道を通って旧市街へと出て、マルシェ(川沿いの露店の市場)で季節の果物を買って家路に着く。週の安息日である、休日モード全開なフランスの日曜日を存分に堪能する、というこの新しい習慣。私は週の中で一番と言っても過言ではないほどワクワクした。

 最近では、サン・ニジエール教会へも足を運んでいた。この教会はいつもフォークソングの聖歌を歌う教会で、さらに子供の数も、とても多かった。硬い雰囲気のフルヴィエールとはまた趣が異なるこの教会で、大きな感動をした出来事がある。ある日、乳幼児洗礼式が行われた。まだ生まれて間もない赤ちゃんは、神父様の「父と子と聖霊の御名によって」という声に合わせて裸で洗礼盤に入れられる。不思議なことに、直前まで泣いていた赤ちゃんも聖水に浸かると泣き止む。式の終盤では白い衣を着せられた赤ちゃんを、フォークソングに合わせて、お父さんたちが私たち会衆に向かって高く上げた。これから新しい世界を知っていく赤ちゃんのぼーっとした顔、その光景がとても愛おしく、何か温かいものを感じた。
 さらにこの教会では、ミサが始まってから、左隣の方と自己紹介をする時間が設けられている。例えば、なぜあなたは教会に来ているの? 誰のために祈っているの? といった類である。たまたま私の隣にいたマダムは、「いとこの病気が治るようにお祈りしているのよ」と答えた。こうした問いかけを受けて、私が思ったのは、1歳の時に洗礼を受けた私にとって、教会へ行くことは学校に行くこととほぼ同じだったな、ということである。日本では、教会にいる仲間と笑って話してご飯を食べる、それが私にとっての教会だった。このたった2分ほどの短い自己紹介なのに、いつの間にかお互いに打ち解けているのだ。ミサが終わった時には、自然と「Bon dimanche!」と口から出てくるものだから、教会って面白いな、楽しいな、と日々感じる。
 しかし留学というものは、楽しいだけでは終わらない。日本では容易く行えることが、フランスでは非常に労力が要る。例えば、銀行口座を開いたり閉めるために、数日銀行に通ったり、授業中は自分の意見を20分ほど論理立てて発表したり、といった感じだ。自然と自己解決能力が鍛えられ、たくましい人間にならざるを得なかった。そんな生活で、教会は心の休まる場所となったのである。

 「美食・芸術・素敵な街並み」というのが、所謂フランスのイメージかもしれないが、信仰の面でも十二分に堪能した生活となり、神様ありがとう、と思った。何よりも強く感じたことは、「受け入れる」ことによって自らの心が大きくなる、ということである。これは簡単そうだが、それでいて少し勇気の要るものかもしれない。しかし、ミサに与ると新しい輪の広がりを自分なりに感じ、教会を出てから「ハッピー!」と心の中で高揚しながらしばしば叫んでいたものだ。小さい私を受け入れてもらった喜びと、隣人を受け入れることで広がる楽しさを知った今、この気持ちを分かち合っていきたい。

神に感謝!

12月:「初金家族の会」からのお知らせ

「初金家族の会」からのお知らせ

島田 潤一

 今年の初金の日までは、クリスマスの月らしからぬ暖かい日が続きました。
 初金ミサのお説教で豊島神父さまは、信者の方が急遽されたのに関連して、生誕の時と対峙し、「必ず終わりの日はくる。Adventはこのような意味も含むものです」と話され、リハビリ病院の話も加えて、生きる時の苦しみ、そのとき力になるものについて述べられました。また、聖アンプロジオに関連して説教の役割を示され、「人は聴く、見るなどにより情報を得て知識としますが、今日のマタイによる福音は体で感じる、信じる、従順など知識をベースにした知識と異質なものが必要なことを示しており、これは簡単なものでなく生涯を通じ求めていくべきものです。ミサでの御聖体はこの助けとなります」と結ばれました。

 初金家族の会では、聖堂で黒川優子さんのボーカル、滝口みゆきさんのオルガンによるミニコンサートが開かれました。カトリック聖歌集の「ああベトレヘムよ」に始まり、全員での合唱も加えて進み、滝口さんのオルガン独奏、「Sarabande」 もあり、最後は黒川さんによる「Ave Maria」の美しい独唱で終わりました。一足先のクリスマスの雰囲気を感じました。
 コンサートの後は信徒会館での懇談となり、黒川さん、滝口さんの音楽に関連する履歴の披露に始まり、日頃の発声法の訓練などについての裏話もあり、発声法に関連する腹式呼吸なども話題になりました。今回のコンサートと懇談を通じ、聖歌と信仰への理解を共有し、分かち合えたのではないかと思われます。

 2019年1月4日の初金ミサは捧げられますが、初金家族の会はお休みで、次回は2月1日(金)のミサの後、午前11時頃から開催の予定です。
 「初金家族の会」は、初金ミサの後、貴重な体験を披露し、分かち合い、信仰を語り合う、信仰家族の絆を深め合う楽しい会です。皆様、どうぞお気軽にお立ち寄りください。

2018年「多摩カトリックニューズ」バックナンバー

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2018年


12月号

(No.544)

2018.12.15

来てしまうクリスマス豊島 治 神父
Accueillir=受け入れる稲城・川崎地区 小俣 真菜
「初金家族の会」からのお知らせ島田 潤一


11月号

(No.543)

2018.11.24

息します豊島 治 神父
2018年のバザーを終えて稲城・川崎地区 マルコ 高橋 岩夫
「初金家族の会」からのお知らせ島田 潤一


10月号

(No.542)

2018.10.20

歩いてみます豊島 治 神父
ジャネットのオアシス南大沢・堀之内地区 セツコ
「初金家族の会」からのお知らせ島田 潤一


9月号

(No.541)

2018.9.15

仲良くします豊島 治 神父
神の生命と、私たち人類の憧れ福音史家ヨハネ 山口 泰司
「初金家族の会」からのお知らせ島田 潤一


8月号

(No.540)

2018.8.18

お伝えします豊島 治 神父
渡辺治神父様のこと南大沢地区 加藤 泰彦
「初金家族の会」からのお知らせ島田 潤一


7月号

(No.539)

2018.7.14

むかいます豊島 治 神父
音楽の力、信じます稲城・川崎地区 小俣 浩之
「初金家族の会」からのお知らせ島田 潤一


6月号

(No.538)

2018.6.16

認めます豊島 治 神父
「初金家族の会」からのお知らせ島田 潤一


5月号

(No.537)

2018.5.19

重ねます豊島 治 神父
第7回チャリティ・コンサートを終えて崔 承埈(チェ・スジュン)
「初金家族の会」からのお知らせ島田 潤一


4月号

(No.536)

2018.4.21

隠れています豊島 治 神父
宗教の未来と教会諏訪・永山・聖ヶ丘地区 佐内 美香
四旬節福島巡礼の旅‐報告No.2中嶋 誠
「初金家族の会」からのお知らせ島田 潤一


3月号

(No.535)

2018.3.17

祝います豊島 治 神父
四旬節福島巡礼の旅マグダラの聖マリア 優(ペンネーム)
「初金家族の会」からのお知らせ島田 潤一


2月号

(No.534)

2018.2.22

応えます豊島 治 神父
祈りと聖劇の夕べ中高生会 濱野 洋一郎


1月号

(No.533)

2018.1.20

前進します豊島 治 神父
祈りと聖劇の夕べ実行委員長 落合・鶴牧地区 H .S

(その他の年度は こちら からご覧ください)

巻頭言:主任司祭 豊島 治「息します」

息します

主任司祭 豊島 治

 多摩カトリックニューズ発行の11月24日早朝、2025年大阪で万国博覧会が行われることが決定したと、海外メディアからの情報がでました。訴えたテーマは、「いのち輝く未来社会のデザイン」。健康で豊かに生きる方法を探る「未来社会の実験場」との位置づけです。

 福島県南相馬市にあるボランティアベース「カリタス南相馬」。その運営には東京六本木に拠点を置くカトリック東京ボランティアセンター(CTVC)もお手伝いしていますが、運営委員会の席上、いまなお困難が続く被災地にあるボランティアベースのモットーを掲げる文言を確認するとき、生きとし生けるものを意味する『いのち』の表記が議論になりました。「命」とするか「生命」をいのちと読ませるかという内容です。
 教員出身の委員さんは「生命」を薦められ、震災当初から活動している方の一人は「命」を好むという具合になりました。沖縄で使われる「命どぅ宝(ヌチドゥタカラ)」についても話が広がりましたが、カトリック教会の儀式書では「いのち」とひらがな表記となっており、カトリック精神をもってする活動であるので、この会議での結論は「いのち」の表記となりました。

 読み手の感覚も多様でしたので、儀式書に依拠する「いのち」として決着したのですが、学説ではいろいろあるようです。近年読んだある学者の説は:
 『「いのち」は【生(い)の霊(ち)】の意味からくると推測する。「い」は【生き】であり源は「息吹(いぶき)」の「い」。生のあかしである息吹を儀としているというものである』
 ちなみに「命」は:
 『古くは「令」からきており、神殿の役人が衣装をいただくとき、ひざまずいて、神託を受けるかたちで、その真意を「令」とし、のちにこの字が「命」となった』
 というものでした。カトリック教会儀式書がこの説からとったかどうか、私はそこまで深めることはしませんでしたが、「いのち」には【息吹き】の意味が含まれているとなると、つい現代に生きる私達の社会には息苦しさがあるのを思い出してしまいます。

 救い主がこられることを意識する待降節がはじまります。同時に私達にもいつか物事に終わりがあることを意識します。次の世代に生きることの喜びを伝える雰囲気をつくりましょう。そのために息苦しい気持ちで過ごしている人とつながって、生まれた喜びの一面である「神は命の息を吹きいれられた」(創世記)を意識し、「息すること=生きていることの意識」を多くの人と実感する機会が増えますように。

 まず、日々の生活のなかで意識した深呼吸の回数を増やしてみてはいかがでしょうか。
 それが祈りにつながりますように。
 そこから幼子イエスの生まれた風景、誕生からの最初の仕事である息吹の繰り返しを主が繰り返していることを思い起こすことができますように。
 そして、この私が神によって支えられている勇気に変わることができるように。
 それゆえ 互いを愛せるように。

 この期間、いつもより目標を高く設定してクリスマスを迎えましょう。

連載コラム:「2018年のバザーを終えて」

人生の旅をいっしょに
= ウエルカムのサインをあなたからあなたに =
連載コラム「スローガンの実現に向かって」第93回
2018年のバザーを終えて

稲城・川崎地区 マルコ 高橋 岩夫

 10月21日(日)秋晴れの澄んだ空気の中、佐々木実行委員長の手によって、バザー開始の鐘の音が鳴り響きました。
 今年のバザー準備は、まだ少し寒さの残る4月からスタート。第1回実行委員会から活発な意見交換が重ねられました。まずは今年のスローガン。豊島神父様が東京教区ニュースのインタビューに答えておられた「皆が一つになるように」が候補にあがりました。多摩教会に集う人達、教会まで足を運べなくても祈りでつながっている人達、遠くや近くのあの人この人達が皆、イエス様の元に「一つになるように」と(私は解釈しましたが、もっと深い意味がありますね、きっと)満場一致で決定しました。その他、バザー収益金の用途から台所の使い方まで丁寧に話し合われ、今年は調理時の衛生面についても確認されました。食中毒対策は各地区からも様々な提案が出て、有効な情報交換が行われました。
 会場のレイアウトを決めるときは、早めに売り切るお店と最後まで残ってお客様を待つコーナーとのバランスなども配慮したレイアウトに決まり(その効果は後程報告します)、全6回の実行委員会は毎回濃密な話し合いとなりました。

 バザー前日は、恒例の手作りアート作品が搬入され、信徒館は早くもバザーのにぎやかな雰囲気になりました。2階では、これまた恒例の献品値段付け。例年、この値付け作業はたくさんの品物を相手に皆で苦戦(?)するそうですが、今年は献品数が例年よりは少なかったものの、多種多様な品物が集まり値段を付けるのが難しかったようです。続いて、会場設営です。こちらは、テントやテーブル等の準備で力仕事となるため、多くの奉仕者を募集しましたがなかなか集まらず、担当の寺田さんを中心に少人数による作業になってしまいました。次年度への課題の一つです。

 そしていよいよバザー当日。秋晴れの素晴らしい主日となりました。神に感謝、皆さんに感謝です。
 教会の周囲には「多摩教会バザー」ののぼり旗がはためき、入り口では昨年から出店を始めた「青果多摩」の新鮮野菜が多くの人々を出迎えます。その隣では、恒例の「焼きそば」が美味しそうなソースの香を運び、道行く人々を誘います。駐車場2階の献品コーナーは今年も掘り出し物がずらりと並び、お客様を待っています。準備がすべて整った午前11時、豊島神父様からの依頼を受け、実行委員長が開始を告げる鐘を響かせました。待ち構えていた多くの人たちが、一斉にあのコーナーやあの販売店へと流れ、バザーの盛り上がりはあっという間に最高潮です。
 皆さんは、お目当ての品物を手にし、食することが出来ましたでしょうか? 出店、出品された皆さんも、おいしい食べ物に手作り作品、手間暇に創意工夫、本当にお疲れさまでした。例年のことながら、共用の物品を大量に仕入れてくださる方々、実行委員の気づかない細やかな準備をさりげなくやってくださる方々、ここに掲げることが出来ないくらいのたくさんの方々の奉仕のおかげで、無事にバザーを終えることが出来ました。この場を借りて深く感謝申し上げます。

 最後に我が稲城・川崎地区が関わるエピソードを一つ。毎年、教会の近隣の方々に「バザーご招待券(飲食のみ無料券)」を配布しています。この券が、今年は60枚配布された内18枚ほど使用され、教会に足を運ぶ人が多かったことは嬉しいことでした(昨年の利用は2枚)。その中に、老人ホームから車いすでいらしたお客様がおられましたが、午後からゆっくりのご来場でした。早めに売り切れとなるお店が多い中で、ウチの地区は「まったり最後まで続く店」を掲げてやっていたので、遅めの到着のお客様に、温かな食べ物や飲み物を提供することが出来ました。売り方のバリエーションや、会場のレイアウトを丁寧に考えてきて良かったなーと思えたエピソードです。
 実行委員を2年続けてやらせていただきましたが、私にとっての「オアシス」は、ここ“カトリック多摩教会”であり、そこに集う多くの方々の温かな思いなのだなと、いま改めて感じています。ありがとうございました。

11月:「初金家族の会」からのお知らせ

「初金家族の会」からのお知らせ

 11月2日の初金ミサで、豊島神父さまは、死者の日に因み、死のとらえ方について話されました。日本では葬儀は厳粛で悲しみを表すものでしたが、外国ではこれと異なる情景の葬儀も多く、これは死の受け取り方の違いによるものとの話をされました。煉獄と天国の話に関連づけ、死のとらえ方についての考えを示されました。死は悲しい、怖いとする人もいるが、生誕の時と同様、死を、希望を持って迎えることができるものです。

 初金家族の会では、中嶋 誠さんより、中東での現地ビジネスで経験した多様性についての話を聞きました。中東の概要に始まり、サウジアラビアでの大学プロジェクト推進で経験した実体験によるものを、約30ページの資料に基づき話されました。
 中東はキリスト教発祥の地ですが、今も旧約聖書を彷彿とさせる慣行が存在し、そのことがベースとなり、日本では考えられない、思ってもみない規制などが多数存在します。ビジネス・プロジェクトは、サウジアラビアで東京都23区の半分程度の広さの大学の新設に関連するものでした。プロジェクト推進に関し、仕事の進め方、ビジネス面での顕著な違いを感じたとのことです。それは、ビジネスでの組織行動の実務で、コンテキストと言われる社会文化の違いによる組織指揮命令での情報と行動、感性と問題意識のギャップでした。多様な中東の人々には、日本人同士の感覚では組織運営はうまくいかず、それなりの分析工夫が必要だったとのことでした。
 中嶋さんのお話で、生活面でも仕事の面でも、中東と日本はそれなりの違いがあり、今後増えることが予想される外国の人々と共に生きていくには、相互の理解、努力が必要なことを認識共有できたのではないでしょうか。

 初金家族の会、次回は12月7日の初金ミサの後、午前11時頃から、「貝取・豊ヶ丘地区の黒川 優子さんによる歌声コンサート」を予定しています。ご一緒に美しい歌声を楽しみましょう。
 「初金家族の会」は、初金ミサの後、貴重な体験を披露し、分かち合い、信仰を語り合う、信仰家族の絆を深め合う楽しい集いです。皆様、どうぞお気軽にお立ち寄りください。

11/11(日)特別入門講座:下川雅嗣神父様

20181111Frshimokawa
11月11日(日)11時から、「特別入門講座」を開催いたします。
 この講座では、通常の入門講座の時間に、外部から司祭・修道者をお招きし、経験・霊性に導かれたお話をお聴きします。
 入門講座を卒業された方も、ぜひ聞いて、知って、力にしてください。
 今回は、「教会(社会問題)入門講座」となります。
 
◎ 同日、13時半から行われる、福祉の集い、「夜回り神父さん トウキョーの街みて語る」(於:カトリック府中教会)とは別の集いですので、ご注意ください。
 共に、どなたでもご参加いただけます。
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 今回お迎えするのは、イエズス会の、下川雅嗣(しもかわ まさつぐ)神父さまです。
 宗教ではよく、平和や絆というような言葉を使います。しかし同時に、現実に格差があることの表明でもあります。現実を知ってから解決を見出すことは、大衆の世論に過度に依拠する現代社会においては大事な感性です。
 今回、現実の貧しさはどこからくるのか、この社会構造を実際見て、研究・熟考した司祭の目線でひもといて、わたしたちは目の前の出来事をどうみるのかを深めたいと思います。
 皆さまのご参加を、心からお待ちしております。

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💠 教会(社会問題)入門講座 💠
講 話: 下川 雅嗣 神父
演 題:「教会はなぜ社会問題とかかわるのか = 実践して語る =」
日 時: 2018年11月11日(日)10時のミサ後、11時から
場 所: カトリック多摩教会 聖堂
= 無 料*申込不要 =

下川雅嗣神父 略歴
 イエズス会会員。2001年司祭叙階、2002年上智大着任。
 毎週土曜日都会の夜回りに参加。現代社会の問題とつながって活動する。
 経済学部の教授を経て、現在、総合グローバル学部教授。研究関心分野は「国際貿易・発展論・貧困」。
 アジア各国の都市インフォーマルセクター、および、その経済発展に資する役割に関する経済的研究。
 また、アジア各国の貧困住民の様々な創造的取り組みと、その可能性、および、
 その国際的広がりと、国際機関・国家・NGOとの関係に関する研究。
 グローバリゼーションと貧困に関する経済学的研究。
 上智大学大学院グローバルスタディーズ研究科国際関係論専攻の教授も務める。
 著書(含、共編)に、『貧困・開発・紛争 グローバル/ローカルの相互作用』(上智大学出版)など多数。
 『世界格差・貧困 百科事典』メフメト・オデコン編集代表。下川神父は監訳者の一人。

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多摩教会への交通アクセス Google Map
教会簡易地図ペイント作成-2015ここナツ用-500

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遠方からお越しの方、
ご体調の関係で、車のご利用を考えておられる方は、
以下の近隣駐車場をご利用ください。

(クリックで拡大表示)

巻頭言:主任司祭 豊島 治「歩いてみます」

歩いてみます

主任司祭 豊島 治

 10月のカレンダーが現れると、クリスマスや年末を思い起こします。実際、教会売店にもカレンダーや手帳が未来の持ち主を待つかのように店頭に並んでいます。教会学校の聖劇も練習が始まりました。クリスマスの場面を主に演じ、救い主が訪れるという喜びを伝えることが多いこの劇は、いつから始まったのか定かではありません。実際に演じてみたり、演じている人に共鳴することによって、メッセージを体感することになるといわれています。
 「むかし、せかいはまっくらで なにもみえませんでした」
 これが当時4歳だった私の、聖劇デビューの台詞でした。黒いタイツを身につけ、神さまの創造前の風景と、救い主が生まれたベトレヘムの町が小さいことと、寂しさを衣装で表したのです。明治時代の日本、とくに関東地方の宣教に身を捧げたフロジャック神父様は、「ベトレヘムという暗く小さなまちに救い主が生まれ、光輝いた。この暗さがあったからこそ、光がうまれたという喜びがある」と力説しました。光をより際立たせる暗さという存在を意識させました。一方、現代の都会では、逆に光が煌々と輝いています。眩しすぎて、ちゃんと見ることを邪魔するくらい光量が多い場所もあります。照明だけでなく、宣伝用看板、宣伝用の動画。夜にもかかわらず明るいのは、ここに住む人が元気で活発だということを表しているかのようです。

 11月11日に、多摩教会が属する多摩東宣教協力体(多摩・調布・府中教会で構成)は、秋の協力企画として東京教区福祉委員会の企画を誘致し勉強会をひらくことになりました。今回の表題は、「夜回り神父さん、トウキョーの街みて語る」。オリンピックのメインスタジアムができる周辺の原宿・渋谷は夜の時間であっても街は明るく、その対局にはいのちのすばらしさを輝かすことが叶わない人がいる。講話者の下川神父様がその現場での人とのかかわりから得たことを分かち合い、私たちの街を考えるものです。
 私も学生時代から夜の町をグループで歩き回って必要な助けを行うことをしていましたが、ある場所では役所の人からその夜回りの最中、罵声や脅しを受けたことがありました。深い事情はわかりませんが、褒めてもらいたいとは考えていないものの、脅されるということは想定外でした。そこから、世には「何かが違う&大切な事柄が見落とされる勢いや圧力を感じる」という疑問がでてきたのです。必死に生きている人は、他の場所にもたくさんおられます。今回はオリンピック・パラリンピックを成功させようとそれだけに突進しようとしている風潮に対して、排除される人のことを意識し、広い視野、神さまの目線に近づけて、私たちがさらに人にやさしくなれればと思います。
 私個人は、オリンピック、パラリンピックに賛成でも反対でもありません。パラリンピックについては、この機会に東京の町にある無数の段差がなくなるよう整備されればと願います。例えば、歩行者はまたいで通過できる小さな段差であっても、車いすで移動している人には体に多大な衝撃が伝わり、痛みや苦痛をもたらすものになります。原宿周辺は路面がタイル貼りになっているところがあり、走行する人の気持ちを考えると、改善されてほしいと思います。
 結果だけでなく、アスリートの輝きだけでなく、出来事によって神さまの目線で「よい」ことがおこるよう期待したい。その心と行動と表現する言葉の準備として、東京ならではのこの企画のために府中教会まで足を運んでくだされば幸いです。府中教会には駐車場はありません。駅から歩くことをお薦めします。

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