3/24(日)四旬節特別講話:平 孝之神父様

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3月24日(日)の10時のミサ後、11時ごろから、
「拡大入門講座」(一般開放講座)を開催いたします。
今回は、「四旬節特別講話」となります。

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 復活祭前の準備期間を四旬節と呼びます。古くから、復活祭に洗礼を受ける志願者の直前の準備期間と考えられてきました。また、すでに洗礼を受けた信者も、この期間を通して節制と回心につとめ、自分の生活をふり返ります。

 多摩教会保護の聖人であるコルベ神父さまと同じ修道会、コンベンツアル聖フランシスコ修道会の平孝之神父さまをお迎えし、お話をうかがいます。
 皆さまのご参加を、心からお待ちしております。

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💠 四旬節特別講話 💠
【 拡大入門講座(一般開放講座)】
講 話: 平 孝之 神父(コンベンツアル聖フランシスコ修道会)
演 題:「復活祭をむかえるにあたって = 復活祭を迎えるヒント =」
日 時: 2019年3月24日(日)10時のミサ後、11時ごろから12時ごろ
場 所: カトリック多摩教会Google Map 聖堂
= 無 料*申込不要 =

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🔹四 旬 節🔹
【 今年の大斎・小斎(断食の日)は、3月6日と4月19日です 】

 復活祭(イースター、復活の主日)は、キリストの復活を記念する、キリスト教の最も重要な祭日です。

 復活祭前の準備期間を四旬節と呼びます。古くから、復活祭に洗礼を受ける志願者の直前の準備期間と考えられてきました。また、すでに洗礼を受けた信者も、この期間をとおして節制と回心につとめ、自分の生活をふり返ります。

 四旬節は「40日の期間」という意味です。40という数は、イエスが荒れ野で40日間断食をしたことに由来していて、それにならって40日の断食という習慣が生まれました。けれども実際には、復活祭の46日前の水曜日(灰の水曜日)から四旬節が始まります。それは、主日(日曜日)には断食をしない習慣だったからです。灰の水曜日に教会では、回心のしるしとして頭か額に灰をかける「灰の式」という典礼があります。

 キリスト教が根付いている国では、この灰の水曜日の直前に、「カーニバル(謝肉祭)」というお祭りがあります。古代や中世期の信者たちは四旬節に肉食を断っていたので、その前にごちそうを食べて大いに騒いでいました。その習慣がこんにちまで続いているのですが、教会とは直接関係ありません。

 断食については、現在では完全に食事を断つというよりも、十分な食事をひかえることと考えられていて、以下のように「大斎小斎」があります。大斎小斎を守る日は灰の水曜日聖金曜日(復活祭直前の金曜日)、小斎を守る日は祭日を除く毎金曜日です。

• 大斎
1日に1回だけの十分な食事とそのほかに朝ともう1回わずかな食事をとることができ、満18歳以上満60歳未満の信者が守ります。
• 小斎
肉類を食べないことですが、各自の判断で償いの他の形式、とくに愛徳のわざ、信心業、節制のわざの実行をもって代えることができ、満14歳以上の信者が守ります。
大斎小斎も、病気や妊娠などの理由がある人は免除されます)

入門講座(3月・4月・5月)

= 入門講座からのお知らせ =
入門講座は、3月、4月、5月の間、不定期での開催となります
ご注意ください

3月の予定
(4月以降は、追ってお知らせいたします)

※日曜日のクラス

日にち時 間内 容
3月 3日(日)11時15分~入門係による分かち合い
3月10日(日)休 講休 講
3月17日(日)11時15分~入門係による分かち合い
3月24日(日)11時15分~神父さまによる拡大入門講座「復活祭を祝うヒント」
3月31日(日)11時15分~入門講座(堅信講座も兼ねます)

* * *
※金曜日のクラス:3月29日(金)のみ(3月はこの日以外ありません)

時 間内 容
10時00分ロザリオの(で)祈り=光の神秘=(集会司式者担当)
13時30分十字架の道行の祈り(入門係担当)
19時00分ロザリオの(で)祈り=受難の神秘=(入門係担当)

・・・上記の祈りは、3月29日~30日教皇の勧め「主にささげる24時間」のプログラムの一部です

巻頭言:主任司祭 豊島 治「すごします」

すごします

主任司祭 豊島 治

 3月6日は今年の灰の水曜日となっています。復活祭までおよそ40日を逆算したこの期間を四旬節としています。
 フランシスコ教皇様は今年の四旬節メッセージのなかで、人間と被造物との関係を見直すことをはじめに訴えられています。時間の経過が早いのか、それとも情報が多いのか、私たちは一つひとつのことを丁寧に考えて過ごすことが難しくなっています。そんな中で教皇様は今年も、断食と祈りと施しをもって復活祭の準備をするよう呼びかけておられます。
 そして、断食・祈り・施しについて具体的な実践の心構えを記されています。エントランスに置いておきますので、どうぞお読み下さい。後日、中央協議会のホームページにも掲載されると思います。

 灰の水曜日というと、平日でもあって日本ではあまり認識する機会が少ないのが現状のようですが、昔、ポーランドの方と一緒に灰の水曜日を迎えたときのことが思い出されます。それは、私の今までの感覚にとっては、新鮮な出来事として記憶に残っています。
 すべてのポーランドの人がそうであるとはいえませんが、彼らはしっかり灰の水曜日の生活を、自然に過ごしていました。まず、灰の水曜日は徹底的に食事を控えます。彼は重機を動かす仕事のため、集中力維持のために1回の食事はしっかりいただき、ただ肉類は食べません。そしてミサに行きます。
 ただ、灰の水曜の前の週の木曜日に、彼はふるさとの家族から航空便で届いたドーナツをどっさりテーブルに置いて、勢いよく食べていました。これが彼らの昔からの風習で、四旬節の始まる前の木曜に食べる「ポンチュキ」とよばれる、ドーナツのような、油で揚げたお菓子です。私の翻訳が正しければ、彼らはこの木曜日のことを、「脂の木曜日」と呼んでいました。彼らは、「木曜=キリストの晩餐→食事を祝う」「金曜日=キリストの受難→節制と苦しみを共感する」「日曜日=主の復活→祝い」という曜日感覚が生活のなかに入っていて、木曜日は質素ながらもしっかり食事を楽しんでいることが多かったのです。

 日本のある幼稚園では、四旬節中、週1回金曜日の昼食を、「おにぎり弁当の日」としているところがあるそうです。いつもはお弁当箱を(いろど)っているいろいろなおかずを控えて、その分の費用を「施し」にまわすというもので、強制ではありません。でも、保護者のかたは、それぞれ知恵をもってご飯の種類を変えたり、おにぎりの中の具を工夫したりして、「傑作おにぎり弁当」を子ども達に提供していました。いろいろやり方はあるようです。

 ご存じのとおり、子どもたち、高齢の方、病気、妊娠など、健康上の理由などから通常の食事をとることが勧められるのはいうまでもありません。また、断食ということばで、近年のダイエットのための断食や食事制限と、四旬節の勧めとは同じではありません。ダイエットや健康管理は自分のためにするものです。共に生きる人類の仲間を想うところから、この世界を見ていく必要があるというのが視点です。四旬節メッセージの断食についての文書もお読み下さい。規定されているのは、灰の水曜日(今年は3月6日)と聖金曜日(今年は4月19日)です。

 「地のすべての獣と空のすべての鳥は、地を這うすべてのものと海のすべての魚と共に、あなたたちの前に恐れおののき、あなたたちの手にゆだねられる。動いている命あるものは、すべてあなたたちの食糧とするがよい。わたしは これらすべてのものを、青草と同じようにあなたたちに与える。」(創世記9.2-3)

 ノアの箱船で上陸後、神のことばに忠実であった彼らに対しての宣言で、被造物である動物を食べることを許されています。いのちの重さを忘れないように、味だけでなく、いのちの重さを考えましょう。
 このようなことから、「施し」である「愛のみ(わざ)」が求められます。かつては毎週金曜日に行われていた断食は、その後、金曜日は「愛のみ業」の実践をいつもより多く行うようにという呼びかけに代わっていったそうです。現在は、「愛のみ業」は「愛の奉仕(カリタス=ラテン語)」ということばで明記され、通常の自らの生活を削ってでた「痛み」を行動として、そして、献金としてささげるようになりました。そうした意味で、四旬節は愛の献金の実践をすることになり、これは担当カリタスジャパンからの提案が日本の司教総会で承認され、全国のカトリック教会をとおして、一人ひとりの行動で実践されることであります。信徒でなくても、つながりをもつ学校でも呼びかけています。最近行った焼き鳥屋さんにも、「四旬節愛の献金箱」がレジ横にあり、びっくりしました。数分様子をみていたら、「つくね」50本分にあたる金額を献金して帰られるお客様がおられました。それぞれやり方がありますね。

 灰の水曜日、当日のミサは日曜主日のミサとあまり大差ないように見えますが、聖歌の曲調も異なります。「あなたはちりであり、ちりに帰って行くのです」「回心して福音を信じなさい」という呼びかけで一人ひとりが灰を受けるとき(会衆全員、受けられます)、いつもと違う気持ちがでてくるのでしょう。典礼委員会で呼びかけがあるかと思いますが、水曜日外出で多摩教会10時ミサに赴くことができれなければ、参加できる他の教会で灰を受けることを検討しましょう。多摩教会では翌日曜の四旬節第一主日での灰の式は行われないのでご注意下さい。


Ponchokiこれがポンチュキ。砂糖をまぶした揚げパンで、ジャム入り

「教会委員長就任にあたって」

寄 稿
教会委員長就任にあたって

2019年度司牧評議会委員長 小俣 浩之

 これまでお二人の委員長のもと、3期6年にわたり副委員長として過ごしながら委員長のご活躍ぶりを間近に拝見させていただき、とても私はその器ではないと痛感していました。半面、委員長のご苦労の大きさも近くにいてよくわかり、せめて私が委員長を引き受けることで、教会奉仕に携わる方々の負担がほんの少しでも軽くなればと、今回の互選会には腹を括って臨みました。そして何よりも、豊島神父様の過負荷が相当なものであり、今後その度合いが増すに違いないことを実感するにつれ、少しでも雑務を引き受け、せめて精神的負担だけでも軽減させていただくことができればと願い、委員長を引き受けさせていただくことにしました。

 ところで今年度のスローガン、もう覚えていただけましたか?「弱音・不安は神様に預けて、受け入れあう笑顔をもらいに行こう」です。腹を括って互選会に臨んだものの、いざ本当に委員長として選出されたときは、ああどうしようと悶々とした日々を過ごしていました。果たして私などがこの任をこなすことができるのか...、主がお望みならば私をお使いください、そう祈るばかりでした。いよいよ信徒総会も迫ったある日、今年度のスローガンとして神父様から頂いたのが、「弱音・不安は神様に預けて...」でした。この言葉がそのときの私の心にすっと染みわたり、気持ちがものすごく軽くなったのです。他にもいくつか素晴らしいスローガン候補があったのですが、もうコレ、これしかありませんよと神父様に即答したのでした。皆さんもきっとありますよね、なんだか面倒くさいなあ、心配だなあ、どうしよう、そんなふうに思うこと。そういうのは神様にお預けしてしまいましょう。そして一歩踏み出したその先に、「受け入れあう笑顔」を見ることができるのです。

 私は本来、フィーリングで生きているような人間で、整理整頓して考えることや、統率力に長けているとはとてもいえません。ですので、私のやるべきことは、まずは皆さんが様々な奉仕をしやすくなるように努めることかなと思います。それと、これから委員長になる方のためにも、特にもっと若い世代、現役バリバリの方でも(こんなふうですが私も現役バリバリのつもりです)、チーム力で委員長できますということも示せたらいいなと思っています(副委員長の方々、引き続きよろしく!)。

 さて、現実に目を向けると、たとえば建物維持等のためにお金は非常に重要な課題です。これについてはさらに多くの皆さんに、いっそう意識を高めていただきたいところではありますが、そのためにあまりにギスギスとしすぎては、本末転倒、それどころか教会自体が不活性化し、かえって経済状態が悪化するリスクもあるのではと考えています。
 いろいろと皆さんにご協力を仰ぐこともあるかと思いますが、どうかこれからも気持ちをひとつにして、受け入れあう笑顔に満ち溢れた素晴らしい共同体として、多摩教会がさらに発展するよう、ご一緒にがんばりましょう。よろしくお願いします!

連載コラム:「立春の日の明け方、こんな夢を見た」

= 弱音・不安は神様に預けて、受け入れあう笑顔をもらいに行こう =
連載コラム「スローガンの実現に向かって」第96回
「立春の日の明け方、こんな夢を見た」

福音史家ヨハネ 山口 泰司

 例によって私は、とうに取得しておくべきものを、自身の怠慢によって、まだ取得してこなかったことに気付いて、途方に暮れている。今からでも遅くない、何とかしなければ、と焦るのだが、どこを訪ねて何をしたらよいのか、皆目わからない・・・。高校や大学の卒業試験さえまともに受けずに、今日まで万事ごまかしで通してきたのだ。だが、ひとは騙せても、自分までは騙せない。もう一刻の猶予も許されない。今日の若者たちの目の覚めるような活躍ぶりを見てみるがよい。彼らのまぶしいばかりの姿は、みんな、幼いころからの決意と精進のたまものではないか!

 気が付くと、私は、大きな象の背中に乗って、どこかを目指しているようだが、ここがどこで、どこを目指しているのかもわからずに、またまた呆然自失している。すると、なぜか私の後ろに乗っている見知らぬ人物が、気のせいか、こう呟いたように感じる。「君は、南の方に続く、あの海岸線を辿って、さらに南の島々を訪ねては、私と一緒に探索の旅を重ねてきたではないか。決して、何もしてこなかったわけでは、ない」。見ると、確かに南の方には、長い海岸線の遥か向こうに、緑の美しい島々が点々と霞んでいる。でも私には、思い当たる節がない。きっと誰か別人のことだろう。そう思って振り返ると、颯爽たる風貌の人物が、落ち着き払った様子で一枚の名刺を差し出して、こう言う。「これをもって行って、見せたらよい」。名刺には、名前も記してあったようだが、ただ小さなマークだけが目に入る。いったいこの人は誰で、どこに行けというのだろう。そう思っていると、場面は一転してしまう。
 私はずいぶん昔に亡くなったはずの父を伴って、かつて学んだある外国の大学の裏山の径を辿っている。右手下方には、もう何百年も前に建てられたカレッジのチャペルが順に姿を現して、懐かしさに胸を突かれる。その一つに少し近づくと、まるで廃れた修道院を思わせるような古さだ。父は無言で、何もかも知っているような面持ちで、静かに見守っている。私は安心したのか、そのまま、再び眠りに落ちたようだ・・・。

 目が覚めると、昨夜の気落ちした気分はすっかり消えて、何か希望とやる気に満ちている。昨夜は、人生の根本問題の解決法を説いた、ある不思議な書物の一節を読んで、この十年来続けて来た私の努力は一体何だったのかと、そのあまりの違いに、ただの虚しさを超えた遣り切れなさを抱えて、そのまま床に就いたのだった。
 それにしても、あの人物は、いったい誰だったのだろうと改めて考えていると、印度の聖典『バガヴァッド・ギーター』の王子アルジュナとクリシュナ神のことが思い出される。クリシュナは、戦場を前に、武人としての務めを忘れて立ち尽くすアルジュナに、人にはそれぞれの使命があって、誰もそれを避けて通ることは許されないのだ。どんなに困難でも、勇気を鼓して、おのが使命を果たすことが神に仕える者の道なのだと、諄々と説くのであった。
 そうだ。あの不思議な書物に書いてあった人生の根本問題の解決法とは、その所在には、ずっと前から気付きながらも、そのあまりに高度な内容を前に怖気づいて、これまで一度もまともに取り組んでこなかったものだ。愚かにも私は、真剣に挑戦しようともせずに、自分の無力と不甲斐なさを、いたずらに嘆くばかりであったのだ・・・。そう考えると、教会では、今日は「病者の癒しのミサ」の行われる日であったことに、思い当たる。すると、突然、あれは、見知らぬ青年と父とクリシュナ神に姿を借りたイエス様ご自身であったのだという確信が、五体を走る。

 教会では、案の定、弱気とごまかしという病にとりつかれていた私を一喝するよう言葉が次々と繰り出されて、私を圧倒する。
 「災いだ。私は滅ぼされる。私は汚れた唇の者。汚れた唇の民の中に住む者」というイザヤの言葉は、昨夜の私の気持ちそのままではないか。だが、セラフィムの火鋏にはさんだ炭火で唇を焼かれたイザヤの、主のみ言葉に決然と応えようとする言葉は、何と力強いのだろう。「私がここにおります。私を遣わしてください」。ここには、一点のたじろぎも躊躇(ためら)いも見当たらないではないか。
 それに応えるかのような、続くパウロの言葉も、何と謙遜で、誇りに満ちていることだろう。「私は神の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でも、一番小さな者であり、使徒と呼ばれる値打ちのない者です」としながらも、「私は他のすべての使徒よりずっと多く働きました」というのは、神の恵みによって使命を果たし続けてきた者だけに許される、なんと誇りに満ちた、輝かしい感謝の言葉なのだろう。私はと言えば、「やっと最後に、月足らずで生まれたのだもの」と言っては、ただただ誤魔化すばかりだったというのに・・・。
 そして最後は、ペトロの持ち船に乗ったイエス様の言葉と行いに、おそらく何の備えもないまま、全てを捨てて着き従ったペトロ、ヤコブ、ヨハネの、何という潔さだろう。御子キリストによって召し出された者の、恐れを知らぬ一途の姿が、胸を打つ。私たちも、それぞれに、この世に使命を負って生まれてきたというのに、私の、何という卑怯・未練なのだろう。言い逃れ・弱腰は、文字通り死に至る病なのだ。
 ミサの終わりに、病者の癒しの香油を塗っていただいた私は、「そうだ、私も行って、そのように行うのだ。ただ、やるだけのことではないか」と、まるで憑き物が落ちたような気持ちで、帰途に就いたのだった。あの夢に現れた人物は、今日のミサを先取りして、私を温かく励ましてくれていたのだと気付くと、私は、こみあげる感謝の涙を抑えることができなかった。

2月:「初金家族の会」からのお知らせ

「初金家族の会」からのお知らせ

島田 潤一

 積雪が予報された厳寒の2月初金でした。豊島神父さまの説教は聖書の翻訳改訂で病気に関連する記述の見直しが行われることにちなみ、病気に関する考え方について、次のようなお話がありました。
 「健康・病気の本質は何か、治療が困難な病気、福祉の狭間の問題、多々困難はありますが、教皇様の医療関連者への『善意に、寛容に、愛の奉仕をもって』との言葉が救いになるでしょう。
 今日の福音は神の国のイメージとして『土』という言葉をとりあげています。食物を豊かに育てるには、適切な空気、水、栄養などの存在が要件です。私たちも誰かと共に神の国のベースとなる土に、愛、優しさ、思いやりを耕し込むことが必要です。神さまの恵みを受け、良い土作りができることを願いながら御聖体をいただきます。」

 初金家族の会は、志賀晴児さんが情報過剰時代についての様々な社会現象などや、マザー・テレサ、曾野綾子さんの言葉をまじえて話され、マスコミについては真実を伝える勇気を、受け手の私たちにとっては正しい判断ができる知恵を授かれるようにお祈りしたいと結ばれました。
 この話の後の懇談では、ネット掲示板情報を信用しての痛ましい事件、幼児虐待事件の情報の発信、評価などについての意見が交わされ、教育、情報の扱いの重要さを認識され、信仰の上でも重要なことが分かち合えました。

 次回の初金家族の会は、3月1日、初金ミサの後、午前11時頃から開催の予定です。1時間ほどで、場所は信徒館です。NHK(Eテレ)のビデオ、「あしたも晴れ!人生レシピ」より、シスター鈴木秀子さんの「苦しみを幸せに変える人生を」を観て、シスターの信仰を分かち合うことを企画しています。
 「初金家族の会」は、初金ミサの後、貴重な体験を披露し、分かち合い、信仰を語り合う、信仰家族の絆を深め合う楽しい会です。皆様、どうぞお気軽にお立ち寄り下さい。

巻頭言:主任司祭 豊島 治「備えます」

備えます

主任司祭 豊島 治

 新しい一年のはじめにあたり、ご挨拶申し上げます。1月1日に主任司祭メッセージを冊子にして、お配りしています。聖堂エントランスのラックからお取りください。そこに、大司教様から私たちへ意見を求める「宿題」ともいえる呼びかけがあります。締め切りは3月いっぱいですので、それぞれ一読し、最終頁の回答書に記入のうえ、エントランスの投函口に入れてください。今年も私たちの「おもてなしのこころ」が、神の愛ゆえに力となりますように。

 東京教区では新年早々、1月7日に司祭人事異動の第一報が発表になりました。多摩教会ゆかりの神父様では、宮下良平神父様(多摩教会第四代主任司祭)がメキシコでの研修休暇を終え目黒教会主任司祭に、加藤豊神父様(同第五代主任司祭)は小金井教会管理者から同教会主任司祭に。また、2006年から2年間多摩教会協力司祭をなさり、現在も教区本部協力司祭、調布市の学校で聖務にあたっていた星野正道神父様は1月に出版されたご著書『いのちに仕える私のイエス』のなかに、4月より和歌山県にて新設されるカトリック大学に移られる旨の記述もありました。星野神父様につきましては、今後も東京に用事がある際には、多摩教会に顔をだされるとおっしゃっています。私も主任司祭を引き続き務めます。

 司祭人事異動というと、教会の間の異動という側面もありますが、多様化の時代背景もあり、他の職務についても発表がありました。新設されたのが、「オリンピック担当チーム」と「災害対応チーム」です。
 オリンピックチームに関しては、ご存知のとおり、東京オリンピック&パラリンピック関係で来日される信徒への司牧です。通常選手村にはそれなりの設備があり、期間限定とはいえ、必要なことになります。
 災害対応チームについては、実のところ、メンバーの確保を含めて、何も決まっていません。担当リーダーとして任命された私も、人事発表の五日前に、メールで名前が載る旨の連絡があったくらいです。ただ、その背景だけはお伝えしておこうと思います。
 私がカリタスジャパンの担当になった2009年、今では災害時にはカリタスジャパン(略称CJ)という信用がありますが、当時はそれほどではなく、福祉を専門とする方々が議論をしたうえで、啓発活動や国内&海外への援助を相応に行っていました。そんな中で、東日本大震災により、注目度は国内外で高くなりました。震災が発生して CJ チームが現地に行き、ニーズを確かめ、実行に移しました。 各地の雰囲気を考え、各所にベースを設立し、日本の司教たちは2013年まで支援するという流れにもっていきました。各所で心のケア、街の再建という難題と現在も向き合っている各ボランティアベースですが、被災者支援などで連帯したNPOをはじめとする団体から、「カトリック教会は、災害時、どういうシステムで行動するのか」という問い合わせがあったといいます。私にも数件ありました。
 そんな流れが強かったのでしょうか、CJ の対応を経験した人たちが、2018年に協力して、カトリック教会版「災害時対応マニュアルの試案」が作成されました。私個人はこれをみて、全国で汎用するためには、もう少し修正しなくてはと思っています。しかし、海外どころか日本でも、毎年のように災害が起こるようになった現在、意識しておくことは大切なことです。
 また、東京都に限ったことでいえば、昨年12月、大規模な災害で想定される帰宅困難者の受け入れ先として、宗教施設の活用をすすめています。同7月から9月にかけて、東京都宗教連盟が4,068の施設に調査をし、およそ600の施設が協力の意向をもっていると回答したとNHKが報道しています。カトリック教会がどのような対応をしたかは述べていませんが、カトリック教会規模の大多数の施設は、消防法で専任の「防火管理者」の任命が義務付けられ、規模によっては防災管理者の資格も必要となっているケースがあり、法規上でも帰宅困難者対策が命じられています。

 東日本大震災のときは、キリスト教会だけでなく、僧侶の方も何人か僧衣を身にまとい、人たちの中に入っていく姿をみています。従来の宗教のイメージはこのとき、良い方向に変わってきたかと思うのです。神の愛の実践は、どこにあっても力を発揮する証を、今、求められています。

 災害は起こらないことにこしたことはありません。でも、心の準備と円滑な情報供給は、教会の中でも必要となることをふまえ、多摩教会の中でも担当者を中心に、できることを模索することになるかと思いますし、東京大司教による私の新しい任命に対しての、皆様のご理解をいただきたく思います。

連載コラム:「侍者奉仕の思い出」

人生の旅をいっしょに
= ウエルカムのサインをあなたからあなたに =
連載コラム「スローガンの実現に向かって」第95回
「侍者奉仕の思い出」

愛宕・乞田・鹿島・松が谷・和田地区 齋藤 浩

 わたしが侍者の奉仕をはじめたのは、小学校4年生のころですから、侍者歴はもうかれこれ70年近くになりました。当時のミサは、今と違って、司祭は会衆に背を向けて、祭壇中央の聖櫃に向かいミサを挙げていました。侍者も「ミサごたえ」といって、ラテン語の祈りを唱えなくてはなりませんので、一生懸命にラテン語の祈りを暗記した覚えがあります。(カトリック赤羽教会にて)
 第二バチカン公会議(1962~1965年)の典礼刷新を受けて、侍者の役割も大きく変わってきました。
 現在のミサ形式は、司祭と会衆が対面して心が一つになり、素晴らしいミサのあり方です。侍者の役割は昔と比べて大分楽になったと思います。
 わたしは高齢者の仲間入り、難聴や手のしびれを感じるようになりましたが、ミサの中で侍者の奉仕をしていると、不思議に手のしびれは感じられません。これは肉体の目では見えないですが、内陣におられるイエスさまとマリアさま、そして大勢の天使達に囲まれて、癒やされているのだと思います。
 しかし、難聴の方は大分悪化し奉仕に支障をきたすようになりましたので、残念ですがこの辺で侍者奉仕を引退させていただきます。
 多摩共同体のメンバーとして、一人でも多くの方が典礼奉仕に携わることができれば素晴らしいことです。
 ご健康な方は是非この奉仕に参加してください。
 これまでいろいろと、皆様もご指導ありがとうございました。 神に感謝!