巻頭言:主任司祭 豊島 治「意識もちます」

意識もちます

主任司祭 豊島 治

 記録的な猛暑と災害に見まわれた令和最初の夏が終わろうとしています。平日も扉を開け祈りの場となっている多摩教会聖堂ですが、この夏は一時室内温度40度を記録しました。祈りに来られた方の安全のために、風通しをよくする施工を計画することになるほどの状況でした。予報では、これから秋雨前線が活動し始めるとのことですので過ごしやすくなるのでしょう。令和元年も、あと4カ月を残すのみとなりました。2カ月後には待降節、季節は冬です。時の流れに溺れないで、しっかり時の徴(しるし)を感じていきましょう。

 今年9月1日から10月4日(アシジのフランシスコの記念日)において、教皇フランシスコが教皇庁に新しく設けた部署、「人間開発のための部署」(Dicastery for Promoting Integral Human Development)は、「被造物の季節」への参加を呼びかけています。神さまがお造りになられた被造物が共存している家(common home)を想い、祈りましょうという呼びかけととれます。内容の検討&実践については、これから教会の委員会に委ねますので、次号のニューズでの報告となります。

 教皇フランシスコは、「共存している家」という表現で、私たちの生きている地球規模の視点を提唱しています。2015年5月回勅「Laudato si (あなたを称えます)」は、地球温暖化や環境問題に警鐘を鳴らし、「大胆な文化的革命(CNNニュース訳)」の必要性を訴えています。
 日本の場合、頻発する局地的短時間豪雨は、1970年代と比べて2018年は回数にして約20回増であり、降雨量はおよそ2倍に増えています(気象庁アメダス)。21世紀は災害の世紀、主原因は温暖化、すなわち化石燃料の消費と森林の消滅といえます。大気中の1カ月の二酸化炭素平均濃度は、18世紀末は280PPMでしたが、現在は400PPMで、これにより宇宙空間に逃げるべき熱線を吸収し、気温が上昇、温暖化→豪雨、土砂災害や氾濫へと至ることが多くなりました。
 地球上の酸素の三分の一を供給し、「地球の肺」といわれる南米アマゾン森林が延焼し続けているのは、政府の森林伐採の無計画さが原因とされており、現状は過去10年で最悪と報道されています(日経BP)。漢検協会が出した2018年の今年の漢字が「災」であったことから、状況は私たちの共通認識といえます。

 では、私たちは、いかにして、この現実を生きるのか? ゴミ削減やリサイクルが一案です。そして、阪神・淡路大震災のときから啓発されたのは、「災害時の備え(備蓄&行動方法)」の呼びかけです。
 1995年の阪神淡路大震災のとき、発生時刻は1月17日5時46分で、延焼していました。兵庫県庁には当直制度はなく、職員や家族が被災され緊急招集できず、役所の機能はアンコントロール状態にありました。そこから事前の防災対策と災害発生時の応急対応が全国民的な備えとして必要であり、啓発と養成が必要ということになりました。これが2002年の閣議決定、「民でできることは民で」、「法人の活躍」の内容です。東京都は、これに加えて小池都知事から各宗教施設も協力を呼びかけられています(2017年9月21日)。公官庁の経費削減も進んでいるので、避難所を役所の職員無しで互いに設立し、運営し合い、危険を回避する能力を持ち、協力して助け合いながら生きるのだという意識と訓練の呼びかけです。

では、教会として、クリスチャンとしてどうしていくのか?まず、諦めないことです。焦らないことです。そして動転しないこと。どんな状況においても識別を仰ぐことです。自分には「もうこれしかできない」ということは、自分にも「まだこれならできる」という余地が残されている、ということであるはずです。
 そのような前向きの姿勢を保って生きるために、 十字架に心を向けましょう。あの十字架の上で、手足を釘づけにされた私たちの救い主は、もはや何もできないように思えます。「さあ、その十字架から降りてみろ。そうしたら信じてやる。」 人々はこのようにはやし立てたのです。それは私たちの「あきらめの正当化」の象徴です。これは打破しなければなりません。そして打ち砕くことができるのです。なぜなら根拠がしっかりキリストの生涯にあります。
 十字架の死によって、私たちに、そのいのちを与え尽してくださった方を信じるとは、どんなときも「わたしに従いなさい」との十字架の主の呼びかけに従うということです。そのような信仰に立つことができれば、「自分にはもう何もできない、自分にできることはもう何もない」とは言えないはずなのです。

 私は、今年1月に災害対応チームリーダーとして東京大司教から任命を受け、今まで準備をしてきましたが、9月初旬に今後の東京教区の方向性を提案するプレゼンを、大司教様の前で一人ですることになっています。具体的な呼びかけが皆さんにきたときは、「なぜ教会がするの?」ではなく、クリスチャンであるからの強みでいていただきたいとおもいます。9月1日、東京都は防災の日。地域では、防災&災害対応行事が行われています。意識の一端を提供ください。

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201907-1

【 豊島神父が資格講習受講中、鶴巻神父さまが長崎からサポートに来てくださいました。神父さまは、「また2月に来ます」とおっしゃっていましたが、お知り合いの結婚ミサのための上京かたがた、多摩教会にお寄りくださるということです。(8月16日講座の一コマ)】

連載コラム:「大川小学校の衝撃」

= 弱音・不安は神様に預けて、受け入れあう笑顔をもらいに行こう =
連載コラム「スローガンの実現に向かって」第101回
「大川小学校の衝撃」

南大沢地区 加藤 泰彦

 夏休みを利用して、2年ぶりに東北の震災被災地を訪れました。福島県内は、帰還困難区域とそれ以外の地域の差が、より鮮明になっていました。人の気配のまったくない、雑草が生い茂り放題の土地と、除染がおこなわれ人々が住めるようになったところに、ぴかぴかの公共施設が新たに建てられた土地。その差の深まりが、どうにもやり切れない思いを残しました。
 今回はこの福島県に加えて宮城、岩手まで足を伸ばしました。常磐道を北へ、仙台を過ぎて三陸自動車道に入り50kmほど走ったところにある河北(かほく)インターでおりました。一般道に入りしばらく走ると、北上川に沿った道となり、下流に向けてさらに行くと河口まで3.8キロの地点に、宮城県石巻市立大川小学校(跡地)が現れます。周囲にあったであろう集落は、今は殺風景な更地になり、ただ小学校の廃墟だけが大きな傷跡をとどめてそこにありました。
 人間の力をはるかに超えた圧倒的な力の爪あとがそこにはっきりと残されていました。1985年に建てられたモダンな2階建て校舎は、無残な姿でそこにありました。ニュースなどで映像としては何度も目にしていたものの、いざその現物の前に立つと、言い知れぬ衝撃が襲い、思わず足がとまりただ目を閉じて頭を下げるしかありませんでした。
 全校児童108名、教職員13名。地震発生直後、子供達は校庭に集められ避難先の決定をめぐって議論している大人たちを待っていました。まだ雪の残る肌寒い時期に。大人たちの議論はなかなかまとまりません。学校の背後には小高い裏山があります。しかし、そこは雪でぬかるんでいる上、新たな地震で崩落が起きるかもしれない。河口から4キロ近く離れているここまでは、まさか津波は来るはずがない。
 結局避難先に選ばれたのは、学校の西200mくらいにある、北上川に掛かる新北上大橋のたもとの小高くなった場所(三角地帯と呼ばれる。標高は6~7m)。地震発生からこの時点ですでに40分余りが過ぎていました。移動が開始された直後、河口から北上川を遡行してきた津波が襲いました。地震発生から約50分過ぎた15時36分ごろのことです。子供たち74名、教職員10名が亡くなりました。

 石巻市の小学校のほとんどは、子供たちを高台に避難させて犠牲者はありませんでした。なぜ、この小学校だけが全児童の三分の二の犠牲者を出したのか・・・。学校側の責任をめぐって現在も民事裁判が続いています。
 この土地に立って、さまざま思いが頭をよぎりました。この建物をこのような形に破壊してしまった、どす黒い巨大な怪物に出会った子供たちは何を思ったのだろうか。今年の暑い夏の炎天下、そばを流れる北上川は何事もなかったかのように悠々と流れていました。雪の残る3月11日、何が人間の判断を誤らせてしまったのか。止め処のない問いがつぎつぎにわいてきました。考えあぐね、敷地をさまよい、おろおろしていた時、「出発するのでクルマに戻ってください!」の声にはっと我にかえりました。

(画像はスライドショーになっています)

8月:「初金家族の会」からのお知らせ

「初金家族の会」からのお知らせ

島田 潤一

 酷暑が続き、夏祭りの時季となりました。神父様の説教では、カトリック教会における祝祭日の意義について、次のような話がありました。
 「祭日には神様に触れ、その計画の中で祝福されていることを感じ取ることが大切です。私たちはともすれば『せっかち』に結論を出したがります。コヘレトの言葉は何事もその『時』があることを示しています。人の時計の感覚では無く、自然の移ろいと共にある神様目線で見る『時』には、また異なるものが見えてきます。神様が良しとし、導こうとする方向が見えてきて、明日への希望となります。」

 9月の初金家族の会は、ミサの後11時頃より信徒会館で開催予定です。今回は「7月初金家族の会からのお知らせ」でご案内しました「会の趣旨の再確認と見直し、拡充」「会に対するニーズの変化への対応」「対応する卓話など具体的実施事項に関する提言」などについて話し合う予定です。この結果をもとに、「今後の運営の方向、実施事項」をまとめて行く予定です。

 「初金家族の会」は、初金ミサの後、貴重な体験を披露し、分かち合い、信仰を語り合う、信仰家族の絆を深め合う楽しい会です。今回より広く皆様の意見をくみ入れ、ご参加の幅を広めたく、ご協力をお願いします。

長崎から神父さま訪問

2019081617
8月16日(金)17日(土)は、長崎から神父さまをお迎えして、お話を伺います。
難しく、肩のこるような講話や講義ではなく、くつろぎながら聴くことができる場を設けました。
両日ともに、申し込みや参加費などは不要です。
どなたでも、お気軽においでください。

16日(金)は、二人の司祭の対談形式で「病者のためのミサと病者にとってのミサ」について、17日(土)は、お茶を飲みながら「被爆地視点の平和観と教皇来日」について伺います。

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🔹「病者のためのミサと病者にとってのミサ」🔹(教区福祉委員会共催)
8月16日(金)16時から、二人の司祭の対談形式で行われます。
場所は、多摩教会のホール(聖堂前室)です。
長崎からお迎えする鶴巻神父様は、曽根教会主任時代、地域のバレー大会に選手となって活躍。地域の拠点としての「けいこ(東京でいう「教会学校の」勉強)」「聖歌づくりと指導」などを幅広く行い、教会を育成されていました。ところが、2012年、夕食後に司祭館内で倒れ、ドクターヘリで搬送されます。脳出血と診断され、緊急オペで意識を戻しますが、右半身に力が入りません。現在は工夫して、バリアフリーの小瀬良集会所で、オルガンなしの静かなミサを、高齢者と共に捧げておられます。
ずっとリハビリに通い続け、継続訓練としての水泳を大切にされているせいか、目標を持った鍛錬の日々が結実し、県大会で水泳金賞を受賞。
東京パラリンピックが来年8月25日から始まりますが、リハビリ訓練としての価値観から、スポーツアスリートとしての価値観への転換期に、当事者として実感を持つことになられました。
カトリック教会は、病を持つ方と、病者のためのミサや、病者の塗油など、秘跡に関係した接点を持っています。秘跡を執行する務めと、それを受けてきた両方の側面から、ミサでどのような恵みや実感を受けたか、また、そこからくるミサへの向き合いかた、病床にあるときの願いに「神の愛」をどう実感したかなど、東京教区福祉委員会の委員でもある当教会主任司祭の豊島神父が、対談形式でお話を伺います。

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🔹「被爆地視点の平和観と教皇来日」🔹
(NAGASAKI=被爆地視点の平和観、教皇来日の最初が長崎という情報からくる期待)
8月17日(土)16時30分からお茶を飲みながらお話を伺います。
場所は、多摩教会のホール(聖堂前室)です。
8月9日午前11時すぎ、浦上での原子爆弾投下によって10数万人の命が失われました。鶴巻神父は被爆4世。被爆した家系という、目に見えないものを抱えて生きるなかで、1980年代の聖ヨハネ・パウロ2世教皇が発せられた「平和メッセージ」はどう映ったのか。そして、現教皇フランシスコの来日が期待される今の長崎はどうなのかを、神父さまの近況と併せて、お茶を飲みながら伺います。

※ 17日(土)18時30分から、18日(日)10時からの多摩教会のミサは、鶴巻神父さまの主司式、説教となります。(参考:次回ミサ@カトリック多摩教会

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💠鶴巻健二神父💠
幼児洗礼。長崎市木鉢教会に通う。中学一年で長崎教区の小神学校に入学。
22歳でサンスルピス神学院に進学。2005年司祭叙階 → 下五島「福江教会」(浜脇教会、牢屋の窄教会、奈留教会、江上教会含む)助任司祭 → 2008年長崎市「浦上教会」助任司祭 → 2009年上五島「曽根教会」(大水教会、小瀬良教会含む)主任司祭(療養&リハビリ) → 現在、長崎市「小瀬戸集会所」

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多摩教会への交通アクセス
Google MapChurchMap-HPforMass

☆電車のご利用
小田急多摩線「小田急永山駅」、京王相模原線「京王永山駅」より徒歩15分
京王相模原線「聖蹟桜ヶ丘駅」より、徒歩20分

☆バスのご利用
※「小田急永山駅/京王永山駅」より
 6番のりばバス乗り場案内図 時刻表 =2018年9月25日現在=
  桜22系統~桜25系統「聖蹟桜ヶ丘駅」行き
   二つ目の「諏訪下橋(すわしたばし)」停留所下車。
    横断歩道を渡り、バスの進行方向で川沿い100m右。

※「京王線・聖蹟桜ヶ丘駅」より
 11番のりばバス乗り場案内図
  桜22系統~桜24系統
   二つ目の「車橋 (くるまばし)」停留所で下車 。川沿い200m左。

☆タクシーのご利用
永山駅より 「馬引沢橋(まひきさわばし)そばの多摩教会」で。基本料金。
聖蹟桜ヶ丘駅より「馬引沢橋(まひきさわばし)そばの多摩教会」で。1300円前後。

☆近隣駐車場のご案内
遠方からお越しの方、お体の具合などで車のご利用をお考えの方は、以下の近隣駐車場をご利用ください。

41-26

カトリック多摩教会

住所: 東京都多摩市聖ヶ丘1-30-2
<鎌倉街道・馬引沢橋(まひきざわばし)そば>

電話: 042-374-8668

聖コルベ記念ミサ

20190814-1
8月14日は、聖マキシミリアノ・マリア・コルベ司祭殉教者の記念日にあたります。
聖コルベは、多摩教会保護の聖人でもありますので、記念のミサを行います。
どなたでも、ぜひご参加ください。
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🔹 聖コルベ 🔹
聖コルベは、日本やポーランドで深く崇敬されているカトリックの神父です。
アウシュビッツで亡くなった多くの人の一人ですが、現地では、彼は他者のために命をささげた殉教者として特別な存在とされています。
コルベ神父は、1930年36歳で長崎に上陸し、日本の出版事業に貢献、現地の学力向上に寄与しました。日本、中国、インドに修道院を設立し、1936年、ポーランドに戻った3年後に第二次世界大戦が起こり、ナチスに拘束され、拷問を受けます。1941年にアウシュビッツに送られ、16670の番号を身体に刻まれ、日々の過酷な労働にも課されます。
1941年、夕方の点呼で囚人一人が不足したとき、ガヨヴィニチェクという人含めた10人が見せしめの処刑に指名されますが、コルベ神父は、「わたしは神父です。妻も子もいません。身代わりになります」と申し出ます。餓死の刑でしたが、17日間たっても生き延び、ナチス軍によって最終的には毒薬剤を投与され、8月14日帰天されました。
カトリック教会は、その8月14日を記念日とし、聖人へ思いを馳せること、それゆえ戦争による悲惨なことが起こらぬよう祈り、できる行動を祈りと共に誓います。


41-025

💠 聖コルベ記念ミサ 💠
日 時: 2019年8月14日(日)10時から
場 所: カトリック多摩教会Google Map 聖堂
    ( 東京都多摩市聖ヶ丘1-30-2 / TEL:042-374-8668 )
司 式: 豊島 治神父(当教会主任司祭)
= 無 料*申込不要 =

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多摩教会への交通アクセス
Google MapChurchMap-HPforMass

☆電車のご利用
小田急多摩線「小田急永山駅」、京王相模原線「京王永山駅」より徒歩15分
京王相模原線「聖蹟桜ヶ丘駅」より、徒歩20分

☆バスのご利用
※「小田急永山駅/京王永山駅」より
 6番のりばバス乗り場案内図 時刻表 =2018年9月25日現在=
  桜22系統~桜25系統「聖蹟桜ヶ丘駅」行き
   二つ目の「諏訪下橋(すわしたばし)」停留所下車。
    横断歩道を渡り、バスの進行方向で川沿い100m右。

※「京王線・聖蹟桜ヶ丘駅」より
 11番のりばバス乗り場案内図
  桜22系統~桜24系統
   二つ目の「車橋 (くるまばし)」停留所で下車 。川沿い200m左。

☆タクシーのご利用
永山駅より 「馬引沢橋(まひきさわばし)そばの多摩教会」で。基本料金。
聖蹟桜ヶ丘駅より「馬引沢橋(まひきさわばし)そばの多摩教会」で。1300円前後。

☆近隣駐車場のご案内
遠方からお越しの方、お体の具合などで車のご利用をお考えの方は、以下の近隣駐車場をご利用ください。

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カトリック多摩教会

住所: 東京都多摩市聖ヶ丘1-30-2
<鎌倉街道・馬引沢橋(まひきざわばし)そば>

電話: 042-374-8668

7/28(日)夏期拡大入門講座:平 孝之 神父「平和について」

20190728
夏期拡大入門講座の開催が決まりました。
今回は、平和について、ご一緒に考えます。
演題は、「平和へ向けた行動者 カトリック司祭 聖コルベ」
7月28日(日)10時のミサ後、聖コルベと同じ修道会(コンベンツアル聖フランシスコ修道会)の、平孝之神父さまに お話しいただきます。
どなたでも、ぜひご参加ください。

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💠 夏期拡大入門講座 💠
講 話: 平 孝之 神父(コンベンツアル聖フランシスコ修道会)
演 題: 「平和へ向けた行動者 カトリック司祭 聖コルベ」
日 時: 2019年7月28日(日)10時のミサ後(11時前ごろ)から
場 所: カトリック多摩教会Google Map 聖堂
    ( 東京都多摩市聖ヶ丘1-30-2 / TEL:042-374-8668 )
= 無 料*申込不要 =

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🔹 メモ 🔹
 日本のカトリック教会は、8月6日から15日までを「日本カトリック平和旬間」とし、今年も、「平和に対する責任を思い、平和について学び、平和のために祈り、平和を求めて行動する」特別な期間を過ごします。

***「平和旬間」とは?***
 1981年、教皇ヨハネ・パウロ2世は、広島の地で「戦争は人間の仕業です。戦争は人間の生命の破壊です。戦争は死です」「過去を振り返ることは、将来に対する責任を担うことです」と訴えられました。
 この広島での呼びかけにこたえて、日本の司教団は「平和旬間」を定めました。毎年、広島に原爆が投下された8月6日から、8月9日の長崎の原爆投下をはさんで、第二次世界大戦終戦に至る8月15日までの10日間を、とりわけ平和のために祈り、平和について学び、行動する期間としています。

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***「聖コルベ」とは?***
= 聖マキシミリアノ・マリア・コルベ司祭殉教者(1894/1/8-1941/8/14)=
 昭和初期、長崎で困難な宣教活動をしていたコルベ神父は、ポーランド帰国後ナチスに非協力的人物として捕らえられ、アウシュビッツへ連行されました。逃亡犯の連帯責任で処刑者が選ばれた際、妻子ある若者の身代わりを申し出、飢餓牢にて帰天。47歳でした。
 「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」というキリストの愛を実践した現代の殉教者といわれています。
 1982年教皇ヨハネ・パウロ二世は、「マキシミリアノ・マリア・コルベを聖人と宣言し、殉教者として崇めるよう定める」として「聖人」の列に加えました。
 聖コルベは、当教会の保護の聖人でもあります。(詳しくは、> こちら をご覧ください)

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巻頭言:主任司祭 豊島 治「見つめます」

見つめます

主任司祭 豊島 治

 急激な暑さ&梅雨冷えの繰り返し、体調を崩されている方の話も伝わり聞いています。各方面からの情報や警報には敏感になっておきましょう。こんなときだからこそです。
 警報に注意と申しましたが、5日金曜日は、多摩教会聖堂の熱感知器があまりの暑さに火事と勘違いし、警報器が誤作動警報音を出しました。対応しましたので、ご安心ください。

 6月30日は、猪熊太郎神父様の叙階25年のお祝いでした。多摩教会の皆様にとって、仲間のうちから神学校に入り、司祭として活躍されているという現実の祝いと、神さまの導きのお祝いの場でありました。当日、私は共同司式される寺西神父様のお迎え役をいたしましたが、道中二人きりで話すことができました。こんなに長く会話する機会は初めてです。寺西神父様は、私が司祭への憧れを抱いたとき(1985年)の高円寺教会主任司祭でした。猪熊太郎神父様は、私が神学校へ行く決心をしたときの助任司祭でしたし、神学生1年目と2年目は、猪熊神父様のいらっしゃる教会でお手伝いをしました。この偶然ともいえる計らいに驚愕しています。
 私は2005年叙階ですから、叙階の年を1年目として数えると、15年目となるようです。そのなかで、いろいろな場に身をおいていましたが、およそ10年間、全生園(ぜんしょうえん)との関わりがありました。はじめの2年間は神学生として、後半8年間は主任司祭としてです。以下、ハンセン病の療養所の概要について、資料館にある内容を含めて一部紹介します。

日本のハンセン病の歴史:
 ① ハンセン病は古代から世界的に罹患者がおり、差別と偏見の対象だった

 日本の中世期において、ハンセン病患者は「業病(ごうびょう)」として差別され、村落共同体から追放されるなど、過酷な運命が待ち受けていたとされています。
 ちなみに日本ではじめて中世期のハンセン病患者を描いたアニメ作品に、ジブリの「もののけ姫」(1997年)があります。劇中では説明ありませんが、たたら場(砂鉄を集めて鉄をつくるところ。炉に空気を送る(ふいご)が「たたら」と呼ばれていたというところから、その名が付いた)が出てきます。登場するエボシ様という人物が、「私の秘密の庭園を見せよう」と話し、アシタカに、鍛冶、鉄砲をつくる患者の姿を見せます。ここが、村落から追放されてきた所なのです。そこで、アシタカがエボシ様を殺そうとしますが、そのハンセン病患者の村長が、「その人(エボシ)を殺さないでくれ、この人は我々を人間として扱ってくださった」という台詞があるのです。監督の宮崎駿氏が後に述べていますし、私は宮崎氏と全生園内のお墓で度々お目にかかりました。

 ② 明治期には感染者を国立療養所に隔離することで、ハンセン病を根絶できると考えた
 近世期、幕藩体制の下で、ハンセン病患者は別個の存在として被差別民の中に組み込まれ、支配層からの統制、管理下にありました。近代になると、明治政府は、ハンセン病患者を社会から隔離して絶滅・根絶させる方針を出し、法を定めました。東村山市にある全生園は、東日本の中核の療養所です。患者を見つけると、貨物列車で東村山の駅に連れていかれ、そこから荷台に載せられ、園に入ります。そこから一生出ることは叶いませんでした。しかし明治期には、ある医師が隔離せず共存は可能としていたのですが、黙殺された事実もあります。戦後、治療薬が出て、安心できることになっても、隔離政策は根本的に変わらず、らい予防法(1953年)が1996年に廃止されるまで続き、ハンセン病患者は、優生保護法により「断種(優勢手術)」の対象にもなり、1万6千件行われたとあります。平成の時代までも政策は続き、1996年にやっと廃止されるのです。
 ①、②の事例によって、今は回復者とされている方々の家族が分断されたとあります。私も園内で一緒に食事したり、親しくなって会話をしたりして、いろいろ報道されていないこと、社会運動している方でも知らない事情をたくさん伺うことができ、バチカンにも説明したことがあります。私たちの家族が抱えている課題がそれぞれ違うように、回復者の皆さんも、抱えていることはいろいろあるようです。
 2019年7月10日付けで、日本の司教団は、隔離しなくていいと分かっていても、対応を取ってこなかったことを謝罪する声明を出しました。ある視点で見れば、仲間として、人として、関わる意識を持って関わってきたのは事実です。でも、もっと広く考える視野からくる援助が現代では要求されています。私たちも考えて行動する促しを受けています。

 先日の7月7日には、主任司祭霊名の祝いで霊的花束など贈り物を頂き、ありがとうございます。祈りの内容を見ては、その捧げてくださった一つひとつの言葉を、神さまは具体的にどうお示しになるのか楽しみにしています。世の中を善くしようというやり方には、社会運動などあるかと思いますが、私は自分の霊名のパウロから学びながらやってみたいと思っています。

連載コラム:「今の貴方のためのオアシス – 中高生会復活 -」

= 弱音・不安は神様に預けて、受け入れあう笑顔をもらいに行こう =
連載コラム「スローガンの実現に向かって」第100回
「今の貴方のためのオアシス – 中高生会復活 -」

濱野 洋一郎

 ついこの前、私は縁があって「中国ブロック高校生大会」というものに参加してきました。これは広島教区のイベントで、信者やカトリック系の学校へ行ってる15歳から18歳の人が集まって3泊4日の合宿をするものです。
 同年代が集まり、共に祈り、一緒にご飯を食べ、語り合うのです。とても楽しかったですが、ふと思い出すことがあります。それは、初代教会のことです。
 「信者たちは皆一つになって、すべての物を共有にし、財産や持ち物を売り、おのおのの必要に応じて、皆がそれを分け合った。そして、毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、神を賛美していた」(使徒言行録2・44-47)
 つまり、大会なんて言っていますが、教会なんです。建物ではない本物の教会。とても美しいし、憧れます。
 私はそのことを多摩教会の皆さんに知ってもらいたいので、中高生会を復活させました。中高生の若い時に本当の教会、本当の仲間を知ってほしいのです。いつだって信じられるから、人を信じることができるのです。
 10代は他の人が思っているよりも悩み、不安を持っています。だから、本当の仲間が必要なんです。かくいう私も青年会の仲間に信じられ、救われました。より多くの人に、特に10代の人にこの素晴らしい体験をしてもらいたいです。そのために何かが必要ならば、周りの人が命をかけて与えましょうよ。それが、福音ですし、キリストの教会がやるべきことです。
 しかし、大勢の人はそんなことは知っていると、そう言うでしょう。
 昔から言われているし、少し考えればわかることです。
 でも、だったら一緒にやっていこうよ。
 良きサマリア人の例えでも言われていますが、やればいいのです。実際どう思ってても、行動し、印を残せば、それは素晴らしいものになります。
 中高生会もみんながどう思っているのかわかりませんし、不安でいっぱいですが、それでも、一歩を踏み出し、やっていきます。
 その先に素晴らしいものがあると信じて、少しずつ歩み出していきましょう。