7月:「初金家族の会」からのお知らせ

「初金家族の会」からのお知らせ

島田 潤一

 梅雨時の豪雨の被害が報じられる中での7月初金の日となりました。神父さまの説教は、秘跡に関するものでした。ゆるしの秘跡の意義と大切さの話があり、ついで病者の塗油の秘跡に関連し、病床訪問で出会った人々の病気の受け止め方について、「病気を嘆き、恨み、のろい、絶望する人も多い。でも、今日の創世記の福音で、アブラハムの生涯は人の生涯を象徴し、病気などもその通過点で、神の声を聞き成長する。マタイの福音は、困難な病気の時こそ神が現れ、癒やしてくださることを示している」と話してくださいました。

 ミサ後の初金家族の会では、中嶋誠さんが、「故松原陸さんと歩んだキリシタン史探求」というテーマで話されました。五島、長崎、豊後にキリスト教を根付かせたド・ロ神父、アルメイダの業績、足跡についての紹介がありました。信仰の伝承の過程で、隠れキリシタンの中に日本的キリスト教の芽生えともいえるものが見られることを示されました。信仰の起源を暗示するものとも感じられます。資料は40ページ強と量が多く、後で熟読すれば多くの気付くところがあり、さらに理解が深まりそうです。中嶋さんのあふれ出る信仰を分かちあうことができたと思います。

 初金家族の会を立ち上げ、運営の主体を担ってきた松原さんが帰天、志賀さんが高齢のため離れることとなり、会の趣旨である「スローガンの実現」のスローガンも変遷し、会へのニーズにも変化が見られます。この状況に鑑み、「初金家族の会に関するアンケート」を実施し、広く意見を募って、その結果を参考に、9月の会の運営について話し合う予定です。なお8月は初金家族の会は休みとなります。

巻頭言:主任司祭 豊島 治「提出します」

提出します

主任司祭 豊島 治

 50日間の復活節が、聖霊降臨の祭日をもって終わりました。聖霊降臨は聖霊が与えられる日でもありますが、奇数年の今年は、司教座聖堂(カテドラル)での合同堅信式への参加の年でした。そこで、多摩教会復活徹夜祭での受洗者で準備ができた方や、幼児洗礼で規定の年齢に達した6名が堅信の秘跡を受けられました。このことで、今年度の入信の秘跡プログラムが結ばれたことになります。

 その合同堅信式には、東京・千葉の教会から170名ほどの受堅者が恵みを受けたのですが、その6月9日は、東京大司教が出された「宣教司牧方針の方向性」への答申締め切り日でもありました。多摩教会では、1月1日に発行した『2019年に向けて』(初日の出の光が多摩教会を照らしている表紙の冊子です)において、大司教さまからのお願いということで、この答申づくりを皆さんに投げかけました。多摩教会からは、四つのグループの参加をいただきました。事前に大司教さまからは、複数人で話し合うようにという要請もあり、個人で出された方には、教会家族委員会がその意を汲み取りながらまとめてくださり、五つの答申は、大聖堂内で大司教さまの面前にて本部事務局長に提出されました。
 多摩教会の他にも72の答申が提出されて、カトリック新聞には、2年後をめどに東京大司教からの宣教司牧方針となるとあります。この機会に少しずつ、多摩教会として出された内容について、少し解説も加えて報告します。

 ◎ なげかけその1 「 修道会の垣根を越えた、教区における司牧協力体制の充実 」
 「司牧協力体制」という言葉に具体性が見えなく返答に困ったようです。また、「修道会とは何か?」という質問もだされています。6月2日にはサレジオ会の北川大介神父さまが、その点について講話をしてくださっています。修道会の特性を、壁ではなくて多様性から来る力となるよう考えていければ、というような回答が多くありました。

 ◎ なげかけその2 「 滞日外国人司牧の方向性の明確化と見直し 」
 「滞日外国人と話していないからわからない」という回答もありました。「日本語でゆっくり話せば解決する」という意見も聞きましたが、多摩教会にもミサで共に祈っている仲間がいます。今やスマホで翻訳できる機能もついています。使ってみてはどうでしょうか。

 ◎ なげかけその3 「 継続信仰養成の整備と充実 」
 「日曜日の講座が必要」という意見が複数ありました。洗礼後の講座や、中高生向けの講座をという、強い要望もありました。通常の日曜日の入門講座でも配慮しています。また、誰でも聞くことができる拡大入門講座(専門的な分野で活躍している司祭&修道者が講師)や、特別入門講座(あるテーマに絞って解説する講話)を適時開催していますが、具体的な講座内容の提案もあり、ニーズは高いと感じました。司祭以外の講話も希望とありますが、講師の選定に難しいものがあります。継続信仰養成という題名ですから、次につなげなくてはなりません。多摩教会全体の雰囲気を加味して、スケジュールの組み立てをしなくてはならないからです。東京教区としては準備を進めているようです。

 紙面の都合で最初の三つしか挙げることができませんでした。また機会あれば、紹介できたらと思います。

 多摩教会では16日のシスター内海、30日猪熊神父様の講話以降は、しばらくゲストスピーカーがいないという通常のミサ、地区集会、講座、活動会となります。それは分かち合いを重ねながら、次へ向かう大事な期間ともいえます。教会の暦は、6月10日から年間に戻っています。王であるキリストの祭日に至る典礼歴の年間の季節は、主の復活と聖霊降臨によってこの世界の歴史の中に誕生した教会の、世の終わりまで続く「現在」を指し示しています。多摩教会という神さまの場で、時を過ごしていきましょう。それに、6月はイエスの聖心(みこころ)の月です。この月にわたしたちの心をイエスに向けるために、ミサや各自の時間で福音書をじっくり味わいましょう。福音書は、弟子達が知ることのできたイエスの心の中にある想いを伝えているのです。弟子たちが語り伝えずにはいられなかったイエスの心の想いを、私たちの心を開いて、受け止めなければなりません。

6月:「初金家族の会」からのお知らせ

「初金家族の会」からのお知らせ

島田 潤一

 6月の初金の日が梅雨入りの日となりました。この一カ月のあいだに、命に関わる暗い事件も起こりました。神父さまの話は、この川崎の事件も含め、命の大切さを考えさせるものでした。命と関連して重要なものに、心をむしばむ孤独と孤立があります。そこから逃れようともがく時、悪魔を呼び込むこともあるのです。そのようなときは、聖霊により、神様との関係に目覚め、祈るしかありません。御聖体を頂き、心を更新することを強調されました。

 「初金家族の会」を立ち上げた松原 睦さんが、突然帰天されましたので、故松原 睦さんを偲ぶ会としました。松原さんと共に初金家族の会を立ち上げた思い、当時の話を志賀晴児さんが、その後の教会ホームページを立ち上げた時の話を井上信一さんが話されました。松原さんのライフワークとも言える「香」の研究、追求についての話などがあり、松原さんの人柄が偲ばれました。
 最後に、奥様の松原文子さんに、ご主人を偲ぶ思い出をお話しいただきました。松原さんの信仰に対する思いを分かち合い、初金家族の絆を深め合えたのではと思います。

 次回、「初金家族の会」は、7月5日の初金ミサの後、11時頃から信徒会館で、中嶋誠さんに「故 松原睦さんと歩いたキリシタン史探求」とのテーマで、巡礼の中でキリシタン信仰の核心を追い求めた話をしていただきます。
 「初金家族の会」は、初金ミサの後、貴重な体験を披露し、分かち合い、信仰を語り合う、信仰家族の絆を深め合う楽しい会です。皆様、どうぞお気軽にお立ち寄りください。

巻頭言:主任司祭 豊島 治「聞こえています」

聞こえています

主任司祭 豊島 治

 突然の真夏日の到来となりました。暑さ慣れしていないこの時期の気温30度超えは、体調にひびくといわれています。かといって、急激なクーラー内生活もまた負担になり得ますので、どう過ごすか難しいものです。

 先日、神学院で司祭を目指す神学生と、その同伴の司祭方に、講話をしてきました。院長さまから依頼があったとき思い出したのですが、私は2005年の司祭叙階でしたので、今年で15年となるわけで、神さまの計らいと原点復帰を促されたように感じました。

 司祭へと進む自分を意識したのは、中学2年生のときでした。通っていた教会に、「カッコイイ(?)」神父様たちが着任しました。おもしろくって、笑いがあって、でも落ち着きがあっての風格でした。4人の神父様が一つの教会でミサをされていたので、バランスがとれていたのかもしれません。
 一方、家庭状況ですが、父は昭和20年という戦争さなかでスパー神父様と出会い、洗礼を受けました。スパー神父様は、現在、「聖書と典礼」などを出版しているオリエンス宗教研究所の初期メンバーになっていた方です。父は神父様との出会いのなかで、親のように慕っていただけあって、自身が家庭をもち、家族の会話の中で今まで出会った司祭の思い出話が、多くありました。だからでしょうか、私が教会であった話の中で、司祭のちょっとした嫌みの話題になると、父に猛烈に怒られました。父が私にしていた信仰教育というのは、それだけかもしれません。私が神学校に入るとき、「司祭はハッピーな人生を送れないぞ」と静かに言いました。その父も、今年で帰天して10年となりました。
 母は戦争の疎開先の学校で出会ったシスターに憧れて、洗礼を受けたということでした。本気でシスターになりたかったのと聞いてみましたが、長い識別の期間を経て、社会の中で働く道を選びました。私の幼少期には、「さみしくなったらロザリオを唱えなさい」と言って、毎年5月になるとロザリオを買って、取り替えてくれました。その母も、現在ちょっと記憶が曖昧になってきました。

 そんな両親をもった私は、生後三カ月で洗礼を受けています。「善いと思ったことはすぐに」という私のパターンは遺伝のようです。その後、普通に近くの公立学校に義務教育時代は通っていました。しかし、不思議なことに、小学校の担任の先生の結婚相手は牧師で、中学の担任の先生はクリスチャンでした。小学校の先生は、卒業時の通信欄に、「こんなにクリスチャンであることを平気で公言できるあなたにびっくりしました。尊敬してます」と書かれていて、怒られっぱなしの小学生生活でしたので、コメントをみて意外に感じました。
 中学の先生は、「馬鹿は神父になれない。だから勉強しろ」が在学中のコメント、「ひとつのことを成そうとするのは素晴らしいこと」というのが卒業時のコメントでした。

 「普通に信じて生きていく」というスローガンを聞くと簡単ですが、難解なことに遭遇すると試練となる内容です。自分の力を信じすぎてバランスを失うし、自分を卑下すると、これもまた不安定になることがあるからです。ある程度の「不偏心(かたよりのないこころ)」が必要です。それができるのは心の自由を持つときです。祈り方も大事になります。
 これだ!というものがあって、洗礼なり修道院や神学校にはいるスタートがあっても、それが自分の人生に効き目をもたらすためには、ゆっくりとした時間とタイミングと相性という意味で、よき計らいが必要です。焦らないことです。

 4月の終わりの日曜日、多摩教会の主日ミサを平神父様に委ね、カリタスジャパンの務めで生まれ故郷の教会である高円寺教会でミサ&講話をしてきました。神学校に入ってから23年のご無沙汰にもかかわらず、その分年を経た教会の皆さんが、「しっかりやっているか? 大丈夫か?」の様相で講話の場にいてくださったとき、自分は見えない神さまの計らいに導かれているなと感じました。そして十年以上の友人関係だった人、40年間親のように指導してくれた方と親戚、また多摩教会の歴史のなかで大切なものを与えてくださった方々への葬儀の祈りをする機会がこの一カ月の間にありました。寂しさと同時に神のなさる素晴らしさをくみ取ることができる祈りの中で、その人生に向けた神さまの計らいの偉大さに驚嘆します。

 召命(しょうめい)という教会専門用語ですが、広い意味ではすべての人に神さまからの使命がある、狭い意味ではその呼びかけに賭けて司祭、修道者になるとあります。英語にあたるvocationには「天職」という説明が辞書にありました。
 多摩教会では、6月16日には、聖堂イコンを制作され、多摩教会とゆかりのあるシスター内海が2年ぶりに来日、多摩教会で講話をしてくださいます。6月30日には、多摩教会の信徒から神学校に入り、司祭となって25年になる猪熊太郎神父様の感謝と講話のチャンスがあります。
 広い人生の大海原で、神さまが導いてくれるということに賭けてみる。それはすべての人に該当します。そして見えない事が多いけれど、あの方が愛をもって見守ってくれている。そんな生き方を目指す我々に対して示唆となる言葉が、このお二人から頂けるかもしれません。

201905-01「排除ZEROキャンペーン」の講演を調布教会で

連載コラム:「チャリティギターコンサートを終えて」

= 弱音・不安は神様に預けて、受け入れあう笑顔をもらいに行こう =
連載コラム「スローガンの実現に向かって」第99回
「チャリティギターコンサートを終えて」

南大沢地区 加藤 泰彦

 夏が来れば思い出す、はるかな尾瀬、遠い空
 皆さんの歌声がひとつになり、聖堂に響き渡りました。

 4月28日午後、今年で第8回目となるチャリティコンサートが幕を閉じました。
 ソウル在住のギタリスト、キム・ソンジンさんを中心にしたギター五重奏団「グランギタークインテット」とヴァイオリニストのキム・スオンさん、このコンサートのために忙しいスケジュールをやりくりして多摩教会までいらしてくださいました。

 2011年5月1日、東日本大震災発生から2カ月もたたないこの日、韓国からこの震災復興のために音楽を通じて協力をしたいという熱意のもと、キム・ソンジンさんのギターコンサートが開かれました。この初回からずっとコーディネーターをしてくださっている、崔承埈(チェ・スンジュン)さんからこの話をいただいたときには、ちょっとびっくりしました。この時期にコンサートを予定していた海外の演奏家たちの多くは、コンサートをキャンセルしていました。それにもかかわらず、コンサートを開いてくれたのです。後で聞いたことですが、周囲からは大反対されたとか。
 ギターコンサートには多摩教会聖堂はうってつけの場所です。ギターの音量に見合った適度な広さと、すばらしい響きを生む高い天井。初めてのコンサートは大きな反響をもって終わりました。それ以降、ほぼ毎年、彼はこの多摩教会に足を運んでくれました。初回は一人の演奏でしたが、その後、ギター二重奏、ヴァイオリンとの二重奏、ギター五重奏、五重奏にヴァイオリンとクラリネットが加わるという内容のバージョンアップがされてきました。次々新たな協力者が集まり、音楽を通しての震災復興支援活動の輪が広がっていきました。

 震災の記憶は年を経るごとにだんだんと人々の記憶から遠のいていくにもかかわらず、この活動を続けてくださったキム・ソンジンさんはじめ皆さんには、心から感謝の拍手を送りたいと思います。今回も来てくださったヴァイオリンのキム・スオンさんは、昨年のコンサートの後で、演奏しながら普通の演奏会では味わうことのできない感動に包まれた、というお話をしてくださいました。大震災で被災された方々、なくなられた方々、復興支援に携わる方々、すべての人々へ思いを馳せ、あの出来事を忘れない、いつまでも記憶にとどめる。その会場の雰囲気が彼女の心を揺さぶったのかもしれません。

 昨年からは、多摩教会混声合唱団「ぶどうの実」との競演も実現しました。音楽を通じての交流も深められました。

 このチャリティコンサートは今回を持って終了することになりました。今年のコンサートでいただいたアンケートでは、存続を求める声が大きかったのですが、コーディネーターを務めてくださった崔さんが、お仕事の都合でしばらく日本を離れられることになったため、とりあえず一区切りをつけることにいたしました。
 今後また新たな機会があれば、ぜひキム・ソンジンさんはじめ皆さんの演奏を聞きたいと思います。夏が来ると思い出す、あのコンサートを!

201905-02キム・ソンジンさんを中心に結成されたギター五重奏団「グランギタークインテット」

5月:「初金家族の会」からのお知らせ

「初金家族の会」からのお知らせ

島田 潤一

 やっと五月晴れとなった10連休の半ばの初金の日でした。豊島神父さまの説教は、初金の日の福音に関連し、使徒フィリポ、ヤコブについて話され、キリストのなかにとどまることの意味と大切さを示されました。また、病床訪問での話より、病床での平安のために、いつも共にいてくださるキリストを信じ、すべてを委ね、すがることと話されました。

 5月、初金家族の会は、お休みでした。次回は6月7日となり、初金ミサの後、11時頃より、信徒館での開催を予定しています。テレビ番組、「夜の巷を徘徊する」のなかでカテドラルマリア大聖堂を紹介したところの視聴を予定しています。聖堂に込められた思い、パイプオルガンの音色に触れ、信仰を深めたいと企画しました。

 「初金家族の会」は、初金ミサの後、貴重な体験を披露し、分かち合い、信仰を語り合う、信仰家族の絆を深め合う楽しい会です。皆様、どうぞお気軽にお立ち寄りください。

巻頭言:主任司祭 豊島 治「つづきます」

つづきます

主任司祭 豊島 治

 ご復活おめでとうございます。そして、洗礼を受けて、神さまの親心と密接に結ばれたすべての方々にお慶びを申し上げます。
 教皇来日という報道も現実味をおびています。そして、教皇さまを正々堂々「パパさま」と呼べるのも、洗礼を受けたつながりによるものと言えます。噂の域を出ませんが、東日本大震災被災地訪問を検討されていると、TBSで報道されていました。もし実現すれば、それは意味深いことでしょう。2011年の震災発生当時から生活の場が失われ、恐怖と混沌の現実が今なお続いている状況に降り立つだけでも、言葉以上の印象があるように思えるのです。

 被災地の各拠点は、政府や協議会が定めている2021年の転換年を前にして、支援の再検討を重ねています。多摩教会が属している宗教法人カトリック東京大司教区は、福島第一原発に一番近い福島県南相馬市原町区内のカトリック教会の敷地に、「カリタス南相馬(みなみそうま)」を3年前に設立し、東京では六本木に啓発活動支援拠点として、「カトリック東京ボランティアセンター」をもって活動してきました。二つとも幸田名誉司教が責任をもっています。このうちの「カリタス南相馬」は、復活祭の翌日4月22日に東京教区所属から「一般社団法人 カリタス南相馬」となる運びとなりました。これは、カトリック組織の独立という意図で行うわけではありません、やむを得ない理由があります。
 現教皇の前任者ベネディクト16世教皇は、教会の本質として ①祈る教会(典礼) ②証しする教会 ③愛の奉仕をする教会(ラテン語でカリタス)を挙げられています。すべての教会は、このことを「時のしるし」として受け止め邁進しています。
 ところで、私たちが日本で属する宗教法人規則の目的の項目には、「救世主イエス・キリストの啓示に基づき、唯一、聖、公、使徒継承をその特徴とするカトリックの教義をひろめ、儀式行事を行い、信者を強化育成する業務、事業を行う」というくだりがあります。
 カリタスの活動は、カリタス南相馬の活動も含めて、愛の奉仕によるものです。しかし、地域に基づいて開かれた場となる数々の企画は、宗教法人の規定枠を越えてしまうことになるのです。そこで、先駆的な取り組みとして、カトリック精神をもった法人を設立する運びになったのです。もちろん各カトリック教会諮問組織に伺いをたてて、了承をいただき、理事に仙台教区の平賀司教さま、幸田名誉司教さま。設立時社員に菊地大司教さま、そして私、豊島神父も名が入っています。しかし、独立することには変わりないので、財政は厳しくなります。
 一般社団法人になると、呼びかけに応えて下さった寄付者の方々の税制優遇の制度も受けられるそうです。方法&優遇対象の範囲について、詳しくはカリタス南相馬事務所に問い合わせください。

 多摩教会の対外行事のいくつかは、偶然にもこれに関係する内容になりました。
 復活祭の翌週、4月28日には、東日本大震災被災地のためのチャリティーコンサートがあります。当日、私はカリタスジャパンの仕事で高円寺教会でミサと講話があり、やむを得ず欠席となりますが、主任司祭としてメッセージを記して、来場の皆さんに呼びかける予定です。コンサートは午後からです。チラシをご覧下さい。

 4月27日から5月3日まで、多摩教会聖堂エントランスでは、「教皇さまを知る企画」として、写真展をいたします。現在、「なんみん(従来難民と記していた)」とされた方々への教皇メッセージの背景を知っていただくものです。3日の初金10時のミサ後には、少し説明会もいたします。(多摩カトリックニューズ前号にて既報)

 5月12日は同じテーマですが、写真も鮮明で、説明も時間を掛けた内容のものを、調布教会、府中教会と3教会合同で調布教会にて行います。13時からです。

 5月19日は、森名誉司教さまにおいでいただきます。これは、3年後2022年が多摩教会創立50周年を迎えるための布石にあたります。ミサのあと、「いのちのまなざし」初版の発行に関わった司教さまによる、今の私たちのいのちについて、とりまく社会について話されると思います。近日印刷されるチラシを参照ください。

 多摩カトリックニューズ次号発行のときは、もう元号が「令和」に変わっているのですね。多摩教会には改元をこえても、いつも通りでしょう。今、なにかを引きずっていて、不具合であるのなら、改元5月1日をもって、あるいは学びを通して、気分を一新して活動してはいかがでしょうか。

caritas-minamisohma-s小金井教会を中心とした支援で110万円相当の電光看板が設置され、福島県相馬市の輝きとなりました。
(カトリック系3施設が並記されています)

連載コラム:「多言語による聖書輪読」

= 弱音・不安は神様に預けて、受け入れあう笑顔をもらいに行こう =
連載コラム「スローガンの実現に向かって」第98回
「多言語による聖書輪読」

マイナ・アーネスト・ウェケ Maina Emest Weke

 聖書に書かれているのは神の御言葉ですが、その文章の組み立て、言葉選び、言葉のリズムなどには非常に優れた特徴があります。これらの特徴がよりはっきりするのは、幾つかの聖書の翻訳を読み比べる時です。
 今、多摩教会の聖書輪読では三つの聖書を使用しています。日本語聖書はカトリック教会標準の「新共同訳」。英語の聖書は二つ、アメリカのカトリック教会標準の「New American Bible Revised Edition」(2010)と、分かりやすい英語で書かれている「Common English Bible」(2011)です。聖書輪読の仲間は20名前後で、普段集まる平均人数は6名です。

 聖書の御言葉に興味をもち始めたのは、20年以上前の大学の学部の時で、カトリック学生の祈りのグループの一員としてでした。当時お気に入りの聖書は、節ごとに詳しい注釈が沢山詰まっている「新エルサレム聖書」(New Jerusalem Bible,1985)でした。ある注釈では、アラム語やギリシア語から訳された聖書本文の表現の問題が明らかにされていました。また、歴史的な背景も解説していました。それらの追加情報をもって聖書を読むと、以前より聖書の語句が生きたように感じました。
 それから、日本に来ました。はじめは、ひらがなとカタカナを読むのが限界でした。もちろん、日本語はまだ理解できませんでした。日本語のミサを理解できるまで年月がかかりましたが、やがて新しい言語環境に慣れて、ミサの全体を理解できるようになりました。
 約5年前、昔の友人たちとの聖書輪読と分かち合いの楽しさを思い出し、もう一度やりたいと思い始めました。今度は、多摩教会の仲間のなかで輪読をやってみたい人と一緒に、聖書の英訳と日本語訳を比較しながら読もうと思い立ったのです。幸運なことに、教会の多くの信者さんは、英語の聖書にも大きな関心を持っていました。皆さんの支援を得て、およそ5年にわたって、毎週日曜日にミサ後、日本語と英語で聖書輪読をしながら聖書本文についての分かち合いをやってきました。

 この多言語聖書輪読を通じて、いくつかのことを学んできました。まず、当たり前かもしれませんが、順に朗読することで、ペースがゆっくりとなり、偉大な言葉の選ばれ方と、美しい文章に気づきやすくなります。
 二つ目は、聖書に描かれた使徒たちを通しての気づきです。読むほどに、使徒たちは、私たちのような人間だったことがより明確になり、イエス様の教えは直接私たちに宛てたものであるということを感じます。彼らはキリストによって選ばれた聖なる人々でした。しかし、彼らが直面した信仰問題は、私たちが今日直面している信仰問題です。
 この輪読会には、たまに海外からの参加者もあります。その時は、彼らの母国語で聖書の文法表現も比較して分かち合います。多言語の聖書輪読によって、聖書の御言葉をよりよく味わうことができます。ところで、翻訳が変わっても変わらない、一つの例外に気づきました。それはキリストの御言葉です。今まで確認している限り、どんな訳もキリストの御言葉はほとんど同じです。これに気づいて、非常に安心しました。
 最後に、どなたでも興味をお持ちの方は日曜日のミサ後、信徒館でご一緒に聖書輪読をしましょう。