巻頭言:主任司祭 豊島 治「かわります」

かわります

主任司祭 豊島 治

 皆様もご存じかと思いますが、毎年10月の最後から2番目の主日は『世界宣教の日』と定められています。これに関連して教皇フランシスコは、今年の10月を「福音宣教のための特別月間」とすることを意図されました。これは前号の「多摩カトリックニューズ」巻頭言でもお知らせしていますが、その背景はとても歴史があります。

 ちょうど100年前、第一次世界大戦直後の1919年に、当時の教皇ベネディクト15世は福音宣教に関する使徒的書簡『マキシムム・イルド』(Maximum illud,1919)を発布して、教会があらゆる利害関係を拒み、「聖なる生活と善行を通して、主イエスがより広く知られ、イエスの愛が広まることこそが、宣教活動の目的」であることを思い起こさせました。このことを記念して、教皇フランシスコが「福音宣教のための特別月間」を制定されたのは、「諸国民への宣教」に対する新たな熱意と推進力を、現代の教会に加えるためになるとしています。

《教皇様の想い》
 今年の11月23日から26日に、教皇の訪日という恵みの時を迎えます。私たちは、この歴史的な出来事を神様の恵みの追い風として、福音宣教の熱意を新たにできます。
 そのために教皇フランシスコが公布した使徒的勧告『福音の喜び』は、現代の教会がとりくむべき、新しい福音宣教の重要な指針となるものです。この中の序文において教皇様が、「新しい福音宣教は、すべての人によびかけられており、それは基本的に三つの領域で実行されるべきである」と述べていることがポイントです。
 【第一の領域】として、「定期的に共同体に参加し、主の日に集まって、み言葉と永遠のいのちのパンで養われる信者」また「頻繁に礼拝には参加しなくても、強くて誠実なカトリック信仰を保ち、さまざまな形でそれを表す信者」としています。
 【第二の領域】は、「洗礼を受けながらも洗礼の要求することを実行していない」人々の領域を指し、文書では「教会への心からの帰属感をもっていない人々」としています。
 最後の【第三の領域】は、「イエスキリストを知らない人々、または、拒み続ける人々」としています。
 この内容を挙げて、「【第三の領域】の人々への福音宣教に励むために、【第一の領域】にある人々が福音宣教の熱心な担い手となり、【第二の領域】の人々、いわば、教会から離れている人々が『信仰と喜びの福音にかかわりたいという願いを取り戻すよう』努めることも大切」と説きます。

《日本の司教団の呼びかけ》
 2019年10月を特別月間に定める決定をされたのは、2017年という2年前のことです。教皇様の熱意をうけて日本の司教様全員は、「ともに喜びをもって福音を伝える教会へ」という呼びかけを今年3月に発布しています。5項目で構成されています。
 ① 福音宣教をする教会の魂 → 聖霊に祈るという教皇様の薦めに従い、特別月間の祈りができています。それを個人・家庭・職場・聖堂・修道会員ともにささげること。
 ② イエスとの出会い、ともに出向く → ミサにおけるイエスとの出会いを大切にし、さらに愛を広げるためにさまざまな現実に出向くこと。
 ③ 殉教者や聖人にならう → このなかで、日本の殉教者である26聖人殉教者をはじめ、聖トマス西と15殉教者、日本福者205殉教者、福者ペトロ岐部と187殉教者、また、世界大戦前後の困難の中で宣教のために力を尽くしたコルベ神父、チマッティ神父、北原怜子さんのことを励みととらえること。
 ④ 「諸国民の宣教」に関する研究や養成 → 日本の中では1970年代に福音宣教担当司祭を任命し(東京教区司祭)福音宣教に力を入れてきています。移る時代に、どのように福音宣教はつながっているのか、立場&状況&時のながれを意識して、「昔にもどる」のでなく「今を生きる」という視点を求めている流れにのること。
 ⑤ 宣教活動に従事するキリスト者の支援や国内外の災害復興支援 →宣教活動を支援する通年の取り組みとして、「世界宣教の日」「宣教地召命促進の日」「世界こども助け合いの日」の共同祈願&ミサ献金での支えについて意識をのせること。
 災害復興支援は千葉の出来事があったように、私たちの災害をあきらめの視点でなく、復活信仰に基づいた識別ある視点を享受すること。

《多摩教会の取り組み》
 教皇様、日本の司教様方の想いを東京教区長は文書にしています。このことを受けて、コルベ神父を保護聖人としている多摩教会は巡礼指定教会となりました。このことから以下のことを考えています。はっきりしましたらHPでのお知らせいたします。
 10月 6日 : 11時ぐらいから 短い講話とロザリオ一環
 10月 8日 : 11時15分ぐらいから 短い講話とロザリオ一環
 10月20日 : (構内でバザーのため時間未定→ホームページでお知らせ) 短い講話と祈り
 10月27日 : (時間未定) コルベ神父についての講話と祈り
 10月はロザリオ月でもあります。そして短い講話では、日本の司教団の呼びかけ④に基づいて司教文書や教皇文書を短めに紹介して考えてもらう機会となります。ご参加ください。 

pope-francis

連載コラム:「S君の孤独死のこと」

= 弱音・不安は神様に預けて、受け入れあう笑顔をもらいに行こう =
連載コラム「スローガンの実現に向かって」第102回
「S君の孤独死のこと」

関戸・一ノ宮・府中・日野・野猿地区 井上 信一

 S君は小生にとって、大学の新入生として昭和28年に出会って以来の親友でした。彼はフランス語、アラビア語など六つの言葉をマスターし、NHKの国際部で思う存分活躍し、中東問題の専門家として、ニュースの解説にも時折り顔を見せていました。退職後も同時通訳、翻訳家として充実した生活を続けていました。
 そんな彼が、一昨年の復活祭に川崎のカトリック鷺沼教会で洗礼を受けました。古くからの信者であった奥様が、一昨年に重い病に罹ったこと、そして彼自身が心臓の疾患で苦しむようになったことが契機だったようでした。その奥様が昨年6月に亡くなり、鷺沼教会の葬儀に仲間と参列しました。子供もいなかったので、喪主席で一人ぽっちで座っているのが、淋しそうでした。

 猛暑が続いていた先月の26日の夜、S君と偶々、同じマンションに住んでいる家内の友人から電話があり、彼が孤独死したことを知らされました。8月4日頃から新聞がポストにたまっているのに隣人が気づき、警察に連絡したが、警察も単独では中に入れないとのこと。彼が契約していた弁護士とやっと連絡が取れ、8月20日部屋に入り、死亡が確認されたそうです。社会人として立派に生き、何事にも几帳面だったS君が、こんな形で生涯を終えたことに、言いようのない淋しさと悔しさ、そして驚きを禁じ得ません。
 遺体はすでに警察と弁護士との計らいで、荼毘に付されていたので、追悼ミサが8月31日に鷺沼教会で執り行われました。主任司祭の松尾神父様はそのミサの説教で、あの暑さの中で、何故Sさんに電話一本掛けること、はがき一枚を書くことを考えなかったかと悔やんでいることを、切々と話されました。それはまた参列している人々の胸にも響く、呼び掛けとも聞えました。

 孤独死のケースは私たちの教会でも、すでに幾つか経験しています。これからますます一人暮らしが増えて行く中で、どう対応して行けば良いのか。これという特効薬はないでしょう。教会全体で、そして地区単位で取り組むことが必要でしょうが、何よりも自分で、身近な人々とのコミュニケーションを保つことが大切でしょう。高齢者としてお互いに連絡のネットワークを作っていくという自助努力が欠かせないと思います。
 今年のシニアの集いために、総務の仕事を少し手伝わせてもらっていますが、集いに参加できない人のお名前を確認しながら、考えさせられました。未だ頭脳も明晰、声もしっかりしているのに、健康の問題で参加できない方々の顔が浮かんできます。
 シニアの集いで楽しい一時を過ごすのも嬉しいけれど、このような境遇にある方々のために祈ることが、先ずは大切なことではないでしょうか。その祈りを皆で共有できれば、それなりの力になるのではと思っています。

9月:「初金家族の会」からのお知らせ

「初金家族の会」からのお知らせ

島田 潤一

 台風の前の暑い晴れ間となった初金の日の神父さまの説教です。キリスト教の歴史に関する話の後、福音にある新しい革袋に新しいぶどう酒の話がありました。
 「新しいとは、そのときの真理を示すものです。今重要なのは、被造物に対する考えを改め、神様により与えられた被造物を大切にすることです。これは台風、地震など自然災害と関連する人災の軽減につながる事です」
 また、教皇による被造物を大切にする祈りのキーワードの解説がありました。

 初金家族の会は、ミサの後、信徒館で開催。初金家族の会の今後の進め方について話合った結果、今後は「少人数グループに分かれ、静かな環境で、話し合い、分かち合う」ことを中心に運営し、従来の卓話を全員で聴く方式は、卓話の提供者が出た時に柔軟に実施することとなりました。
 今の教会で、「静かな場所で、ゆっくり話す環境がほしい」「少人数グループにしないと、各個人レベルで発言機会が少なくなり、十分な話し合いができない」など、指摘要望があり、実施方法の変更となりました。

巻頭言:主任司祭 豊島 治「意識もちます」

意識もちます

主任司祭 豊島 治

 記録的な猛暑と災害に見まわれた令和最初の夏が終わろうとしています。平日も扉を開け祈りの場となっている多摩教会聖堂ですが、この夏は一時室内温度40度を記録しました。祈りに来られた方の安全のために、風通しをよくする施工を計画することになるほどの状況でした。予報では、これから秋雨前線が活動し始めるとのことですので過ごしやすくなるのでしょう。令和元年も、あと4カ月を残すのみとなりました。2カ月後には待降節、季節は冬です。時の流れに溺れないで、しっかり時の徴(しるし)を感じていきましょう。

 今年9月1日から10月4日(アシジのフランシスコの記念日)において、教皇フランシスコが教皇庁に新しく設けた部署、「人間開発のための部署」(Dicastery for Promoting Integral Human Development)は、「被造物の季節」への参加を呼びかけています。神さまがお造りになられた被造物が共存している家(common home)を想い、祈りましょうという呼びかけととれます。内容の検討&実践については、これから教会の委員会に委ねますので、次号のニューズでの報告となります。

 教皇フランシスコは、「共存している家」という表現で、私たちの生きている地球規模の視点を提唱しています。2015年5月回勅「Laudato si (あなたを称えます)」は、地球温暖化や環境問題に警鐘を鳴らし、「大胆な文化的革命(CNNニュース訳)」の必要性を訴えています。
 日本の場合、頻発する局地的短時間豪雨は、1970年代と比べて2018年は回数にして約20回増であり、降雨量はおよそ2倍に増えています(気象庁アメダス)。21世紀は災害の世紀、主原因は温暖化、すなわち化石燃料の消費と森林の消滅といえます。大気中の1カ月の二酸化炭素平均濃度は、18世紀末は280PPMでしたが、現在は400PPMで、これにより宇宙空間に逃げるべき熱線を吸収し、気温が上昇、温暖化→豪雨、土砂災害や氾濫へと至ることが多くなりました。
 地球上の酸素の三分の一を供給し、「地球の肺」といわれる南米アマゾン森林が延焼し続けているのは、政府の森林伐採の無計画さが原因とされており、現状は過去10年で最悪と報道されています(日経BP)。漢検協会が出した2018年の今年の漢字が「災」であったことから、状況は私たちの共通認識といえます。

 では、私たちは、いかにして、この現実を生きるのか? ゴミ削減やリサイクルが一案です。そして、阪神・淡路大震災のときから啓発されたのは、「災害時の備え(備蓄&行動方法)」の呼びかけです。
 1995年の阪神淡路大震災のとき、発生時刻は1月17日5時46分で、延焼していました。兵庫県庁には当直制度はなく、職員や家族が被災され緊急招集できず、役所の機能はアンコントロール状態にありました。そこから事前の防災対策と災害発生時の応急対応が全国民的な備えとして必要であり、啓発と養成が必要ということになりました。これが2002年の閣議決定、「民でできることは民で」、「法人の活躍」の内容です。東京都は、これに加えて小池都知事から各宗教施設も協力を呼びかけられています(2017年9月21日)。公官庁の経費削減も進んでいるので、避難所を役所の職員無しで互いに設立し、運営し合い、危険を回避する能力を持ち、協力して助け合いながら生きるのだという意識と訓練の呼びかけです。

では、教会として、クリスチャンとしてどうしていくのか?まず、諦めないことです。焦らないことです。そして動転しないこと。どんな状況においても識別を仰ぐことです。自分には「もうこれしかできない」ということは、自分にも「まだこれならできる」という余地が残されている、ということであるはずです。
 そのような前向きの姿勢を保って生きるために、 十字架に心を向けましょう。あの十字架の上で、手足を釘づけにされた私たちの救い主は、もはや何もできないように思えます。「さあ、その十字架から降りてみろ。そうしたら信じてやる。」 人々はこのようにはやし立てたのです。それは私たちの「あきらめの正当化」の象徴です。これは打破しなければなりません。そして打ち砕くことができるのです。なぜなら根拠がしっかりキリストの生涯にあります。
 十字架の死によって、私たちに、そのいのちを与え尽してくださった方を信じるとは、どんなときも「わたしに従いなさい」との十字架の主の呼びかけに従うということです。そのような信仰に立つことができれば、「自分にはもう何もできない、自分にできることはもう何もない」とは言えないはずなのです。

 私は、今年1月に災害対応チームリーダーとして東京大司教から任命を受け、今まで準備をしてきましたが、9月初旬に今後の東京教区の方向性を提案するプレゼンを、大司教様の前で一人ですることになっています。具体的な呼びかけが皆さんにきたときは、「なぜ教会がするの?」ではなく、クリスチャンであるからの強みでいていただきたいとおもいます。9月1日、東京都は防災の日。地域では、防災&災害対応行事が行われています。意識の一端を提供ください。

*****

201907-1

【 豊島神父が資格講習受講中、鶴巻神父さまが長崎からサポートに来てくださいました。神父さまは、「また2月に来ます」とおっしゃっていましたが、お知り合いの結婚ミサのための上京かたがた、多摩教会にお寄りくださるということです。(8月16日講座の一コマ)】

連載コラム:「大川小学校の衝撃」

= 弱音・不安は神様に預けて、受け入れあう笑顔をもらいに行こう =
連載コラム「スローガンの実現に向かって」第101回
「大川小学校の衝撃」

南大沢地区 加藤 泰彦

 夏休みを利用して、2年ぶりに東北の震災被災地を訪れました。福島県内は、帰還困難区域とそれ以外の地域の差が、より鮮明になっていました。人の気配のまったくない、雑草が生い茂り放題の土地と、除染がおこなわれ人々が住めるようになったところに、ぴかぴかの公共施設が新たに建てられた土地。その差の深まりが、どうにもやり切れない思いを残しました。
 今回はこの福島県に加えて宮城、岩手まで足を伸ばしました。常磐道を北へ、仙台を過ぎて三陸自動車道に入り50kmほど走ったところにある河北(かほく)インターでおりました。一般道に入りしばらく走ると、北上川に沿った道となり、下流に向けてさらに行くと河口まで3.8キロの地点に、宮城県石巻市立大川小学校(跡地)が現れます。周囲にあったであろう集落は、今は殺風景な更地になり、ただ小学校の廃墟だけが大きな傷跡をとどめてそこにありました。
 人間の力をはるかに超えた圧倒的な力の爪あとがそこにはっきりと残されていました。1985年に建てられたモダンな2階建て校舎は、無残な姿でそこにありました。ニュースなどで映像としては何度も目にしていたものの、いざその現物の前に立つと、言い知れぬ衝撃が襲い、思わず足がとまりただ目を閉じて頭を下げるしかありませんでした。
 全校児童108名、教職員13名。地震発生直後、子供達は校庭に集められ避難先の決定をめぐって議論している大人たちを待っていました。まだ雪の残る肌寒い時期に。大人たちの議論はなかなかまとまりません。学校の背後には小高い裏山があります。しかし、そこは雪でぬかるんでいる上、新たな地震で崩落が起きるかもしれない。河口から4キロ近く離れているここまでは、まさか津波は来るはずがない。
 結局避難先に選ばれたのは、学校の西200mくらいにある、北上川に掛かる新北上大橋のたもとの小高くなった場所(三角地帯と呼ばれる。標高は6~7m)。地震発生からこの時点ですでに40分余りが過ぎていました。移動が開始された直後、河口から北上川を遡行してきた津波が襲いました。地震発生から約50分過ぎた15時36分ごろのことです。子供たち74名、教職員10名が亡くなりました。

 石巻市の小学校のほとんどは、子供たちを高台に避難させて犠牲者はありませんでした。なぜ、この小学校だけが全児童の三分の二の犠牲者を出したのか・・・。学校側の責任をめぐって現在も民事裁判が続いています。
 この土地に立って、さまざま思いが頭をよぎりました。この建物をこのような形に破壊してしまった、どす黒い巨大な怪物に出会った子供たちは何を思ったのだろうか。今年の暑い夏の炎天下、そばを流れる北上川は何事もなかったかのように悠々と流れていました。雪の残る3月11日、何が人間の判断を誤らせてしまったのか。止め処のない問いがつぎつぎにわいてきました。考えあぐね、敷地をさまよい、おろおろしていた時、「出発するのでクルマに戻ってください!」の声にはっと我にかえりました。

(画像はスライドショーになっています)

8月:「初金家族の会」からのお知らせ

「初金家族の会」からのお知らせ

島田 潤一

 酷暑が続き、夏祭りの時季となりました。神父様の説教では、カトリック教会における祝祭日の意義について、次のような話がありました。
 「祭日には神様に触れ、その計画の中で祝福されていることを感じ取ることが大切です。私たちはともすれば『せっかち』に結論を出したがります。コヘレトの言葉は何事もその『時』があることを示しています。人の時計の感覚では無く、自然の移ろいと共にある神様目線で見る『時』には、また異なるものが見えてきます。神様が良しとし、導こうとする方向が見えてきて、明日への希望となります。」

 9月の初金家族の会は、ミサの後11時頃より信徒会館で開催予定です。今回は「7月初金家族の会からのお知らせ」でご案内しました「会の趣旨の再確認と見直し、拡充」「会に対するニーズの変化への対応」「対応する卓話など具体的実施事項に関する提言」などについて話し合う予定です。この結果をもとに、「今後の運営の方向、実施事項」をまとめて行く予定です。

 「初金家族の会」は、初金ミサの後、貴重な体験を披露し、分かち合い、信仰を語り合う、信仰家族の絆を深め合う楽しい会です。今回より広く皆様の意見をくみ入れ、ご参加の幅を広めたく、ご協力をお願いします。

巻頭言:主任司祭 豊島 治「見つめます」

見つめます

主任司祭 豊島 治

 急激な暑さ&梅雨冷えの繰り返し、体調を崩されている方の話も伝わり聞いています。各方面からの情報や警報には敏感になっておきましょう。こんなときだからこそです。
 警報に注意と申しましたが、5日金曜日は、多摩教会聖堂の熱感知器があまりの暑さに火事と勘違いし、警報器が誤作動警報音を出しました。対応しましたので、ご安心ください。

 6月30日は、猪熊太郎神父様の叙階25年のお祝いでした。多摩教会の皆様にとって、仲間のうちから神学校に入り、司祭として活躍されているという現実の祝いと、神さまの導きのお祝いの場でありました。当日、私は共同司式される寺西神父様のお迎え役をいたしましたが、道中二人きりで話すことができました。こんなに長く会話する機会は初めてです。寺西神父様は、私が司祭への憧れを抱いたとき(1985年)の高円寺教会主任司祭でした。猪熊太郎神父様は、私が神学校へ行く決心をしたときの助任司祭でしたし、神学生1年目と2年目は、猪熊神父様のいらっしゃる教会でお手伝いをしました。この偶然ともいえる計らいに驚愕しています。
 私は2005年叙階ですから、叙階の年を1年目として数えると、15年目となるようです。そのなかで、いろいろな場に身をおいていましたが、およそ10年間、全生園(ぜんしょうえん)との関わりがありました。はじめの2年間は神学生として、後半8年間は主任司祭としてです。以下、ハンセン病の療養所の概要について、資料館にある内容を含めて一部紹介します。

日本のハンセン病の歴史:
 ① ハンセン病は古代から世界的に罹患者がおり、差別と偏見の対象だった

 日本の中世期において、ハンセン病患者は「業病(ごうびょう)」として差別され、村落共同体から追放されるなど、過酷な運命が待ち受けていたとされています。
 ちなみに日本ではじめて中世期のハンセン病患者を描いたアニメ作品に、ジブリの「もののけ姫」(1997年)があります。劇中では説明ありませんが、たたら場(砂鉄を集めて鉄をつくるところ。炉に空気を送る(ふいご)が「たたら」と呼ばれていたというところから、その名が付いた)が出てきます。登場するエボシ様という人物が、「私の秘密の庭園を見せよう」と話し、アシタカに、鍛冶、鉄砲をつくる患者の姿を見せます。ここが、村落から追放されてきた所なのです。そこで、アシタカがエボシ様を殺そうとしますが、そのハンセン病患者の村長が、「その人(エボシ)を殺さないでくれ、この人は我々を人間として扱ってくださった」という台詞があるのです。監督の宮崎駿氏が後に述べていますし、私は宮崎氏と全生園内のお墓で度々お目にかかりました。

 ② 明治期には感染者を国立療養所に隔離することで、ハンセン病を根絶できると考えた
 近世期、幕藩体制の下で、ハンセン病患者は別個の存在として被差別民の中に組み込まれ、支配層からの統制、管理下にありました。近代になると、明治政府は、ハンセン病患者を社会から隔離して絶滅・根絶させる方針を出し、法を定めました。東村山市にある全生園は、東日本の中核の療養所です。患者を見つけると、貨物列車で東村山の駅に連れていかれ、そこから荷台に載せられ、園に入ります。そこから一生出ることは叶いませんでした。しかし明治期には、ある医師が隔離せず共存は可能としていたのですが、黙殺された事実もあります。戦後、治療薬が出て、安心できることになっても、隔離政策は根本的に変わらず、らい予防法(1953年)が1996年に廃止されるまで続き、ハンセン病患者は、優生保護法により「断種(優勢手術)」の対象にもなり、1万6千件行われたとあります。平成の時代までも政策は続き、1996年にやっと廃止されるのです。
 ①、②の事例によって、今は回復者とされている方々の家族が分断されたとあります。私も園内で一緒に食事したり、親しくなって会話をしたりして、いろいろ報道されていないこと、社会運動している方でも知らない事情をたくさん伺うことができ、バチカンにも説明したことがあります。私たちの家族が抱えている課題がそれぞれ違うように、回復者の皆さんも、抱えていることはいろいろあるようです。
 2019年7月10日付けで、日本の司教団は、隔離しなくていいと分かっていても、対応を取ってこなかったことを謝罪する声明を出しました。ある視点で見れば、仲間として、人として、関わる意識を持って関わってきたのは事実です。でも、もっと広く考える視野からくる援助が現代では要求されています。私たちも考えて行動する促しを受けています。

 先日の7月7日には、主任司祭霊名の祝いで霊的花束など贈り物を頂き、ありがとうございます。祈りの内容を見ては、その捧げてくださった一つひとつの言葉を、神さまは具体的にどうお示しになるのか楽しみにしています。世の中を善くしようというやり方には、社会運動などあるかと思いますが、私は自分の霊名のパウロから学びながらやってみたいと思っています。

連載コラム:「今の貴方のためのオアシス – 中高生会復活 -」

= 弱音・不安は神様に預けて、受け入れあう笑顔をもらいに行こう =
連載コラム「スローガンの実現に向かって」第100回
「今の貴方のためのオアシス – 中高生会復活 -」

濱野 洋一郎

 ついこの前、私は縁があって「中国ブロック高校生大会」というものに参加してきました。これは広島教区のイベントで、信者やカトリック系の学校へ行ってる15歳から18歳の人が集まって3泊4日の合宿をするものです。
 同年代が集まり、共に祈り、一緒にご飯を食べ、語り合うのです。とても楽しかったですが、ふと思い出すことがあります。それは、初代教会のことです。
 「信者たちは皆一つになって、すべての物を共有にし、財産や持ち物を売り、おのおのの必要に応じて、皆がそれを分け合った。そして、毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、神を賛美していた」(使徒言行録2・44-47)
 つまり、大会なんて言っていますが、教会なんです。建物ではない本物の教会。とても美しいし、憧れます。
 私はそのことを多摩教会の皆さんに知ってもらいたいので、中高生会を復活させました。中高生の若い時に本当の教会、本当の仲間を知ってほしいのです。いつだって信じられるから、人を信じることができるのです。
 10代は他の人が思っているよりも悩み、不安を持っています。だから、本当の仲間が必要なんです。かくいう私も青年会の仲間に信じられ、救われました。より多くの人に、特に10代の人にこの素晴らしい体験をしてもらいたいです。そのために何かが必要ならば、周りの人が命をかけて与えましょうよ。それが、福音ですし、キリストの教会がやるべきことです。
 しかし、大勢の人はそんなことは知っていると、そう言うでしょう。
 昔から言われているし、少し考えればわかることです。
 でも、だったら一緒にやっていこうよ。
 良きサマリア人の例えでも言われていますが、やればいいのです。実際どう思ってても、行動し、印を残せば、それは素晴らしいものになります。
 中高生会もみんながどう思っているのかわかりませんし、不安でいっぱいですが、それでも、一歩を踏み出し、やっていきます。
 その先に素晴らしいものがあると信じて、少しずつ歩み出していきましょう。