2014年「多摩カトリックニューズ」バックナンバー

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2014年


12月号

(No.496)

2014.12.20

「三ツ星」の教会をめざして晴佐久 昌英 神父
最期のプレゼント南大沢地区
波多野 直子
「初金家族の会」からのお知らせ


11月号

(No.495)

2014.11.22

たすき君と、哲学者晴佐久 昌英 神父
教会はイエス様の体、教会の母は聖母マリア、教会は私たちのオアシス諏訪・永山・聖ヶ丘地区
中嶋 誠
「初金家族の会」からのお知らせ


10月号

(No.494)

2014.10.25

暗闇の聖人晴佐久 昌英 神父
星に導かれた羊飼い関戸・一ノ宮・府中・日野・野猿地区 
原田 聖子
「初金家族の会」からのお知らせ


9月号

(No.493)

2014.9.20

乞田川散歩晴佐久 昌英 神父
荒れ野のオアシスにたどりついて稲城・川崎地区
岡田 恵子
武蔵野ダルク 渡邉 肇さんの講演会報告塚本 清
「初金家族の会」からのお知らせ


8月号

(No.492)

2014.8.23

ここヤシ キャンプ晴佐久 昌英 神父
心のオアシス稲城・川崎地区
酒井 眞知子
教会学校の合宿に参加して塚本 清
「初金家族の会」からのお知らせ


7月号

(No.491)

2014.7.19

さかさま社会晴佐久 昌英 神父
「マルタ、マルタ」と主は呼んでくださった貝取・豊ヶ丘地区
山藤 ふみ
「初金家族の会」:7月例会報告


6月号

(No.490)

2014.6.14

おうちミサ晴佐久 昌英 神父
私のオアシス諏訪・永山地区
小川 紀子
「初金家族の会」:6月例会報告


5月号

(No.489)

2014.5.24

お墓の上の列聖式 晴佐久 昌英 神父
2年生になりました。この1年を振返って!諏訪・永山地区
山本 博光
あかつきの村のリーさんのこと桜ヶ丘地区
佐倉リン子
「初金家族の会」:5月例会報告


4月号

(No.488)

2014.4.26

復活祭に思う司牧評議会委員長 塚本 清
気づかないとき、神様は常に私のそばにおられた南大沢地区
ウェケ・マイナ・アーネスト
「初金家族の会」:4月例会報告


3月号

(No.487)

2014.3.15

喜びの四旬節晴佐久 昌英 神父
6日+23時間はこの1時間のために諏訪・永山地区
浜野 美穂
「初金家族の会」:3月例会報告


2月号

(No.486)

2014.2.22

純白の鎮静剤晴佐久 昌英 神父
音楽と私 -音楽から授かる恵み-諏訪・永山地区
佐々木 邦雄
「初金家族の会」:2月例会報告


1月号

(No.485)

2014.1.18

霊的炎の発火点となりますように!晴佐久 昌英 神父
侍者席から見えるオアシス南大沢・堀之内地区
平井 達彦
「初金家族の会」からのお知らせ

巻頭言:主任司祭 晴佐久昌英「たすき君と、哲学者」

たすき君と、哲学者

主任司祭 晴佐久 昌英

 ふと街角で見かけた、まったく見知らぬ人のことが、なぜかいつまでも心に残っていることってありませんか。
 たとえば、あれは確かまだ神学生のころ、羽田空港からモノレールで浜松町に向かう途中、窓の外をぼんやり見ていた時のこと。倉庫街の殺風景なビルの裏手の、錆びた鉄製の非常階段の途中に、作業着を着た中年男性がポツンと腰かけて、遠くの空を眺めている姿が見えました。
 (どんな暮らしをしているんだろう。何を考えているんだろう。これからどんな人生を歩んでいくんだろう・・・)
ほんの数秒見かけただけですし、普通に考えたら何の関係もない人にすぎませんが、そのときはなぜか、いろいろと想像してしまったのです。
 (たとえ一瞬でも、こうして見かけて、気に留めてしまったからには、何かの縁があるはずだ。もしかしたら、神さまが用意してくれた大切な出会いかもしれない・・・)
 そんな思いにさえなって、以来、その時の光景が、ふとした折に甦るのでした。
 (あの作業服の人、どうしているだろう。ただの通りすがりの人として、二度と会えないなんて、なんだかさみしいな)というような、ちょっと切ない気持ちと共に。

 聖書を読んでいると、イエスと関わって救われる多くの人が、「通りすがりの人」であることに気づかされます。
 イエスが旅に疲れて井戸のそばに座っているところへ、たまたま水をくみに来たサマリアの女。イエスが町の門に近づいたとき、ちょうど一人息子を亡くして泣いていたナインのやもめ。イエスが町を通っていたとき、イエスを見ようとして木に登っていたエリコのザアカイ。そもそも、ペトロもヨハネも、最初は、イエスが「湖のほとりを歩いておられたとき」に声をかけられたのでした。
 イエスは、「たまたま」、「目の前にいる」、「救いを求めている人」を救います。
 それこそが、キリスト教の、最も基本的なあり方なのです。
 神の摂理のうちにあっては、この世に無縁な人など一人もいないのであり、たとえ「通りすがり」であったとしても、出会った人はだれでも「神の結んだ家族」だと信じて関わっていくことこそが、神の国を作っていく最高の道なのです。

 かつて、多摩修道院での早朝ミサに車で向かう途中、必ず見かける青年がいました。修道院近くの交差点で信号待ちをしているとき、毎朝、6時13分きっかりに目の前の横断歩道を渡って行くのです。いつも大きな肩掛けカバンをたすきにかけていたので、勝手に「たすき君」と名付け、毎朝会うのを楽しみにしていました。
 たすき君が前を通るとき、車の中で勝手に話しかけます。
 「たすき君、おはよう! どうしたの、この暑いのにマスクなんかして。夏風邪でもひいた? 無理しないで休みなよ」
 「お、新しいダウンジャケットだね。似合うよ。寒いねえ、今度、教会に飲みにおいでよ。ナベでもつつきましょう」
 四季折々に話しかけているうちに、一方的に親近感も増し、いつしか、たすき君を教会に誘うチャンスはないものかと、本気で考え始めていました。
 ところが、あの3・11の日以来、たすき君は、ぱったりと姿を見せなくなってしまったのです。放射能が怖くて関西に引っ越してしまったのか、親が心配で東北の実家に帰ったのか。なんにせよ、ついに声をかけることもできないまま、二度と会えない人になってしまい、小さな後悔だけが残りました。
 神が出会わせてくれた人。
 勇気を持って関わることで始まる神の国。

 あれから3年たち、最近、同じく6時13分に目の前を渡って行く、二代目たすき君とでもいうべき60代?の男性が現れました。白髪交じりの紳士で、いつも空を眺めたり、花に見入ったり、落ち葉を拾って物思いにふけったりする様子がなんともユニークで、勝手に「哲学者」と名付けて、車の中で話しかけています。
 「何をお探しですか? お望みなら、福音についてお話ししましょうか?」
 神が出会わせてくれた人。
 今度は、後悔したくありません。

連載コラム:教会はイエス様の体、教会の母は聖母マリア、教会は私たちのオアシス

連載コラム「スローガンの実現に向かって」第47回
教会はイエス様の体、教会の母は聖母マリア、教会は私たちのオアシス

諏訪・永山・聖ヶ丘地区 中嶋 誠

 来年の3月17日は、日本カトリック史上の奇跡とまで言われた、あの浦上の老婦人、杉本百合が、「ワタシノムネ、アナタトオナジ」と大浦天主堂のプチジャン神父にささやいた信徒発見から150年を迎えます。詳しいことは知りませんが、さまざまな記念行事が行われるものと思われます。フランシスコ教皇もこの機に訪日して、いただきたいと祈念しているところです。

 私は、今年4月に洗礼を授かりました。一昨年の11月と今年の6月と、受洗の前後2回、この信徒発見の地、長崎を訪れました。初めは外海と五島列島、2回目は生月島と平戸島を訪れました。この10数年、私は、日記帳の余白に、目にした興味ある人物やそのしぐさ等を描き、またスケッチブックに、旅で巡り合い感じ入った風景や物を描き、評を加えては絵日記としてきました。この「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」の旅では、禁制の高札撤去後にパリ外国宣教会神父の手で建てられた教会、そして踏絵などのキリシタン迫害の遺品、生月島の隠れキリシタンの「お掛け絵」などをスケッチし、他の旅では持ち得ない歴史感と殉教したキリシタンに対する同情の念を持つことになりました。
 二度の旅では、主に教会を、ガイドの方からその歴史について案内してもらった上で、スケッチをする対象を定めて描き、後で色付けをしました。この中で、皆さんにご紹介したいのが、下のスケッチです。平戸島の山野教会の玄関口に貼られていた小学生が描いた聖家族と聖母子の絵。そして掃除が行き届いたお御堂内の棚にきちんと並べられた典礼聖歌集です。

 この山野教会は、江戸幕末の時代に、迫害から逃れるため、長崎外海から五島列島に移住したものの、安住の地は見つけられず、平戸島に移り住み着いた人たちの子孫の教会です。明治35年に仮教会が建てられ、現在の教会は大正13年に建てられたものを、15年ほど前に改築したものとのことです。
 車で訪問した6月6日、その朝は霧に包まれていました。周りもよく見えない、誰ともすれ違うこともない山道を登ったところに、やっと広い畑が見えました。そして霧の向こうに突然教会が現れました。この村落は20戸余り、村民すべてが同じ苗字だと聞きました。教会の前に立った私は、この村民の祖先が経験した苦難と教会設立、献堂の強い念を、一部なりとも感じ取ることができました。
 教会内部に入ると、絵と典礼聖歌集が目に入り、村民の教会を大切にする思いが胸に沁みてきました。典礼聖歌集には、一冊一冊、村民が真心を込めて丁寧に作ったと分かる布のカバーが掛かっています。子供が描いた聖家族、聖母子の絵とこのカバーが「教会はイエス様の体、教会の母は聖母マリア、教会はオアシス」と言っているように、私には聞こえました。

平戸の山野教会
平戸の山野教会

50冊の典礼聖歌集には手作りのカバーが
50冊の典礼聖歌集には手作りのカバーが

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「初金家族の会」からのお知らせ

「初金家族の会」からのお知らせ

担当: 志賀 晴児

 朝晩冷え込むようになった立冬の11月7日の例会では、キリシタン史に深い関心を寄せておられる信徒の中嶋 誠さんに、長崎、五島列島の教会や往年の人々の信仰などについての珍しいお話を伺いました。
 布教、宣教をめぐっての修道会の間の様々な動きをはじめ、長いキリシタン時代に日めくり暦などに寄せられた素朴な農民、漁民信徒の思いやりのこころ、マリア様への願いをこめた珍しい「お掛け絵」の話など、中嶋さんはご自身のスケッチを紹介なさりながら、広い学識、ご経験の一端を熱心に語られました。長崎教会群、キリスト教関連史跡などを世界遺産登録の候補にという声も聞かれる昨今にふさわしいお話でした。

 来月、12月5日の例会では、教会の「祈りと聖劇の夕べ」などでのビオラ演奏でおなじみの小俣 亜里さんが、クリスマス・ソングや、アヴェ・マリアの調べを聞かせてくださる予定です。

 「みんなちがって、みんないい」 楽しい初金家族の会に、どうぞお気軽にご参加ください。毎月第一金曜日、ごミサのあとお昼までの1時間です。

巻頭言:主任司祭 晴佐久昌英「暗闇の聖人」

暗闇の聖人

主任司祭 晴佐久 昌英

 ある40代のカトリック信者の女性が、親しくしていた司祭に、信仰の悩みを相談する手紙を書きました。何通にも及ぶものですが、内容はどれも深刻なものです。
 「神父さま、わたしは孤独です。望まれず、放棄された者。愛を求める心の孤独感は耐えられません。心の奥底にも、空虚と暗闇以外には何もありません。この未知の痛みは何とつらいのでしょう。その痛みは絶え間なく続きます。わたしの信仰は無くなりました」
 「神父さま、なぜわたしの魂には、このような痛みと闇があるのでしょうか」
 「わたしの魂の中では、神がわたしを望まれず、神が神ではなく、神が実在しないというその喪失による激しい痛みを感じます」
 「もし神が存在されないなら、人々の魂も存在しません。もし魂が存在しないなら、イエスよ、あなたも真実ではありません。天国、何という空無、わたしの心には天国の思いは、ひとかけらも入ってきません。希望がないからです。わたしの魂の中をよぎるこうした恐ろしいことをすべて書くのを恐れています。それらはイエスよ、あなたを傷つけるにちがいありません。わたしの心には信仰も愛も信頼もありません。多くの苦痛があるだけです。わたしは、もう祈っていません」

 手紙の差出人は、マザーテレサ。イエスの呼びかけに答えてコルカタの町に入り、新たな修道会も認可され、本格的に貧しい人々のために尽くし始めたころの手紙です。
 驚かれる人も多いのではないでしょうか。あの信仰、あの活動、あのほほえみの陰に、まさかこのような魂の暗闇があったなどと、にわかには信じられません。しかもそれが亡くなるまで何十年も続いていたなどと、だれが想像したことでしょう。
 マザーテレサはそのような心の闇を、一人の司教と数名の司祭だけに、手紙や手記で打ち明けていました。彼女自身はそれらの焼却を願っていましたが、結果的には保管されて残り、死後公表されて一冊の本になり、このたびその日本語訳が出版されました。
 『マザーテレサ 来て、私の光になりなさい!』(※)(女子パウロ会)が、それです。
 一読して、驚きや感動と共に、苦しむマザーには申し訳ありませんが、深い安らぎを覚えました。なぜなら、そのような弱さ、無力、空虚こそはわたしたちキリスト者が等しく味わっているものですし、たとえ心の中にそのような暗闇を抱え、その痛みに耐えながらでも、キリスト者として生き、人々を救うことができ、聖者にすらなれるという事実は、人の思いをはるかに超えた神の愛のみわざの、最も美しいしるしだと思ったからです。

 若い頃から神との深い交わりを体験し、特にイエスの呼びかけを受けてからしばらくは「主はご自身を完全にわたしにくださった」というような満たされた日々があったのに、実際に奉仕活動を始めるとすぐに「恐ろしい喪失感」と「神の不在」に苦しむことになったマザーは、しかし、それでもなお神を求め、神を愛し、神に忠実であろうとします。「もし地獄があるとしたら、この苦しみがそれだと思います」とまで言いながら。
 50歳を過ぎたころ、マザーは一人の司祭から、心の闇についての貴重なアドバイスを受けます。「その試練に対するただ一つの答えは、神に対する完全な委託と、イエスとの一致のうちに暗闇を受諾することです」と。
 マザーは答えます。
 「神父さまのご親切に対するわたしの感謝を表明する言葉がございません。過去11年をとおして初めて、わたしは暗闇を愛するようになりました。今わたしは闇が、イエスの地上における闇と痛みの非常に小さな部分であることを信じるからです。イエスは、もはやご自身では苦しむことができないので、わたしのうちで苦しむことを望んでいらっしゃることに深い喜びを、今日ほんとうに感じました。今まで以上に、神に自分をゆだねます」
 なんと気高い魂でしょうか。イエスを愛するあまり、ついにその闇をも愛するマザー。その後マザーは、生涯この闇に苦しみながら、この闇を愛しとおしました。だれにも知られずに。
 「もしわたしが聖人となるとしたら、必ず『暗闇』の聖人になります。地上で闇の中に住む人たちに光を灯すために、いつも天国を留守にすることになります」
 マザーテレサの列聖式も、間近です。


※ 『マザーテレサ 来て、私の光になりなさい!』
『マザーテレサ 来て、わたしの光になりなさい!』
著者: マザー・テレサ
編集・解説: ブライアン・コロディエチュック
訳者: 里見 貞代
単行本: 四六版 並製640ページ
価格: 2,808円(税込み)
出版: 女子パウロ会

※お買い求めは、「女子パウロ会オンラインショップ(Shop Pauline)」や「Amazon」他、お近くのキリスト教書店などでどうぞ。

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連載コラム:「星に導かれた羊飼い」

連載コラム「スローガンの実現に向かって」第46回
星に導かれた羊飼い

関戸・一ノ宮・府中・日野・野猿地区 原田 聖子

  わたしがカトリック多摩教会に通うようになり、もうすぐ丸2年目になります。初めて来たのは、一昨年の「心の病で苦しんでいる人のためのクリスマス会」でした。
 わたしは、幼児洗礼を受け、一応カトリック信者の家庭で育ち、幼稚園はプロテスタント、小学校から高校まではカトリック系の一貫校に通いました。しかし、約40年前の当時のカトリック校は、第二バチカン公会議を受けた過渡期だったのでしょう。いじめもあり、そのため転校(外部受験)するということは、信者にとって「信仰に反する重大な問題」でした。中学のいじめで「高校は外部を受けたい」と伝えると、担任と校長(シスター)に「あなたは悪魔に操られているのよ!」と叱責され、両親の反対もあり、以後、信仰から離れてしまいました。
 その後、逃げるように九州の実家から東京の大学を受験して上京し、こちらで就職しました。その間は、たまにミサに出たり、困難に出会ったときには、幼い頃に身に付けた天使祝詞(アヴェ・マリアの祈り)を口ずさんだりする程度でした。
 39歳の時、職場の厳しいパワハラを受け精神的にも参り、「ずっと教会に行っていない罰かな」と思い、自宅近くのカトリック教会を訪ねましたが、何度も受け付けで追い返されました(精神疾患や障害に閉鎖的なところは多い)。やっと主任司祭と話す機会を得て、教会籍も復籍し堅信も受けましたが、今度は信者さんからのいじめが始まりました。

 そんな時、多摩教会の「心の病で苦しんでいる人のためのクリスマス会」を知ったのです。でも小教区以外の教会に行くことには遠慮があり、所属教会で夜半のミサを受け、翌日25日の日中のミサとクリスマス会に多摩教会に行くことにしました。寒く晴れた朝、自転車で小平市から多摩市に来て、明るい聖堂でのミサは、説教だけでなく、誰もが笑顔で温かく、その後のパーティにも部外者なのに招いてもらい、びっくりしました。
 社交的な場は苦手で、後片付けをしている時、知り合ったのが信者のミカエル君です。彼は、苦労の多い半生を何の屈託なく話してのけ、「こんな人生でも楽しまなきゃ」、「何か困っていることある?」と聞いてくれました。わたしは「居場所がない」と答えました。
 彼は、翌年の2月に急逝してしまいましたが、たまたま彼の葬儀ミサ当日の早朝、多摩教会ホームページにある『多摩カトリックニューズ』(2013年2月号)の晴佐久神父様の「巻頭言」(http://goo.gl/2DrCqD)で知り、駆け付けました。それからは、彼の友人たちが、わたしをずっとサポートしてくれました。彼の遺品の聖母像やロザリオなどを下さったり、納骨までの日々、共に祈りをささげてくださったり・・・。

 やがて、入門講座に通うようになりましたが、みなさん、わたしの体調(心因性)も、理解して接してくださいます。こうして、昨年の12月末(彼に最後に会った「聖家族」の主日)に、多摩教会に転籍しました。
 今、ここは、何があっても、わたしの「心の居場所」です。まさに「オアシス」です。わたしは、まだ「人生を楽しむ」まではできないけれど、「一瞬ずつ大切に過ごす」ことを努めています。小さな事に誠実でありたい。
 思えば、小学校低学年合同のクリスマス会での生誕劇で、わたしは2年連続「羊飼い」でした。当時は、多くの生徒と同じかわいいローブの天使の群れの一員になりたかったけれど、今、幼い「羊飼い」は天の父の計らいで、聖霊という多摩の「星」に導かれて「教会」というオアシスにたどり着き、御子イエスのみ前に居られるのでしょう。

「初金家族の会」からのお知らせ

「初金家族の会」からのお知らせ

担当: 志賀 晴児

 10月3日、初金のごミサで晴佐久神父様はこの日の福音から「生き地獄のような、ありとあらゆる苦しみを体験したヨブは、私はこの口に手を置きます。もう主張しませんと言いました。私たちも、全宇宙の創造主である神様のことばに耳を傾けましょう」と話されました。
 続いての家族の会では南大沢・堀の内地区の尾崎ひろみさんからスペイン巡礼の旅の思い出、スライド写真を交えてのお話しを伺いました。

 ご主人と二人でフランスからスペインにかけての巡礼の道、450キロを3週間かけて歩いたとのお元気な尾崎さん。素晴らしい田園風景の中できらびやかな教会の数々を目にしたり、色々な国の人たちとの触れあいも経験されたりした一方、雨の悪路などで難儀したことも多々あったそうです。巡礼者向けの比較的安い宿であるアルベルゲでは、庶民的雰囲気の宿ではありますが、出てきたホワイト・アスパラガスの味は天下一品だったなど、旅の思わぬハプニング連続のお話しぶりでした。

 次の11月7日(金)には、中嶋 誠さんの長崎・五島列島、キリシタンの里を訪ねてのお話を予定しています。

 「みんな違って、みんないい。自由で楽しい初金家族の会」に、どなたでもどうぞお気軽にご参加ください。

巻頭言:主任司祭 晴佐久昌英「乞田川散歩」

乞田川散歩

主任司祭 晴佐久 昌英

 多摩教会の前を流れている川は、乞田川(こったがわ)といいます。
 唐木田の尾根の雑木林あたりから流れ出して、多摩センターや永山付近を通り、多摩教会の前を過ぎて、ほどなく多摩川へ流れ落ちる、5キロメートルほどの穏やかな川です。
 一見なんということのない川ですが、その流れのほとりに6年間暮らしている住人としてはなんとも慕わしく、四季折々の川辺の風情を味わっているうちに、いつしかかけがえのない隣人となりました。
 乞田川のほとりを、いつも薄暮の時分に散歩します。ちょうど教会の前は遊歩道が整備されていて絶好の散歩道ですから、ついつい川のせせらぎに誘われて歩いてしまいます。
 神父はどうしても運動不足になりがちですし、頭ばかり使っていますので、このお誘いはありがたい。悩める人の相談を何人も連続して聞いたり、すでに締め切りの過ぎた原稿を集中して書きあげたときなどは、我知らず教会の門を出て、目の前の馬引沢橋(まひきさわばし)の上で深呼吸。気づけばそのまま、無心に川のほとりを散歩しています。
 川筋はいつも程よい風が抜け、のどかなせせらぎが心に語りかけてきます。
 「まあ、のんびりやりましょう。水は流れゆくまま、時も流れゆくまま・・・」

 時の流れゆくままに、乞田川歳時記を。
 春先は、薄霞の沈丁花。いよいよ新しい季節が始まるときの、胸がキュンとする香りです。川沿いの農地に点在する紅梅白梅にも胸ときめき、ああ、もうすぐこの川も満開の桜に包まれるんだなあ、それにしても一年、早いねえ・・・と、ひとりごちます。
 春の盛りは、桜並木は言うに及びませんが、見逃せないのが川岸の百花繚乱。桃色、黄色、橙、白、水色、すみれ色などなどが絶妙な配置で咲き誇り、だれかが寄せ植えにしたとしか思えない奇跡の箱庭には、思わず「おみごと!」と声をかけるしかありません。
 初夏は、何と言ってもカルガモの親子。今年の一番人気は、子ども9羽の一家でした。母親の後を9羽の子どもたちが一列で必死に付いていく姿には、遊歩道を行く人全員、足を止めます。ともかく、かわいすぎる。どうか無事に育ってほしいと祈るばかり。
 盛夏の入道雲も、はずせない。川沿いの空は広く、沸き立つ積乱雲を見るのに絶好なのです。今夏は特に大気の状態が不安定で、手を合わせたくなるほど見事な金色の雲の峰を何度拝んだことか。夕暮れ時は頂が茜に染まって、もはや西方浄土と言うしかなく。
 そして、9月。その空に、うろこ雲。ススキの穂も揺れて、気づけば桜の葉も色づき始めています。個人的には最も美しい紅葉は桜の葉っぱだと思うのですが、どうでしょう。鮮やかな緋色と黄色のグラデーション。17時半には鈴虫が鳴きだす、乞田川沿いの道です。
 実は先ほども歩いてきたところですが、教会から一つ下の南田橋のたもとでは、気の早い金木犀から、忘れかけていた切ない思い出が香り立っていて、新しい季節の始まりの予感に、胸がキュンとしました。ふと、マフラーの匂いを思い出しました。

 そうして、散歩を終えて戻ってくると、薄暮の風景の中にひときわ明るく「カトリック多摩教会」の文字が光っています。なんて美しい光景でしょうか。そこは、神の家。キリストと出会う場所。聖霊の喜びが満ちているところ。何もかもが移ろいゆくこの世界の中で、決して変わることのない永遠のみことばが語られる救いの教会が、こうして確かに存在することは、どれほど尊いことでしょうか。
 橋のたもとに立ち、川のほとりに建つ美しい聖堂を眺めていると、自分たちはなんと恵まれた存在なのだろうという感動が沸き起こって来ます。
 さあ、そろそろ帰るとしましょう。もうすぐ、夜の入門講座の人たちが集まって来る時間です。永遠の福音を語らなくてはなりません。


【乞田川の周辺】
少しですが、乞田川沿いの様子をご紹介いたします。それぞれの画像は、クリックすると拡大表示されます。