巻頭言:主任司祭 晴佐久昌英「早稲田大学非常勤司祭」

早稲田大学非常勤司祭

主任司祭 晴佐久 昌英

 気がつけば、もう7年間も早稲田大学の非常勤講師をしています。
 これまでも純心女子大学や、立教大学などで講義をしたことはありますが、天下の早稲田大学から、「世界の宗教」という教養課程の輪講で「キリスト教」を担当してほしいという依頼があった時は、驚きました。それが、理工学部からの依頼だったからです。
 早稲田の理工学部といえば、まさに科学者、技術者のエリート養成機関です。おそらくは宗教を「非科学的」で「反知性的」な営みであると思い込んでいるであろう学生たちを前に、果たして晴佐久神父の取り柄である、直球の福音宣言はどう受け取られるだろうかと、正直言って怯む思いがありました

 しかし、講義を始めてみてすぐに、そのような躊躇は全く無意味であったことを知りました。理系の学生であるにもかかわらず、いやたぶん、理系の学生だからこそ、理性的かつ誠実に「神」について考えていることが分かったからです。何系であれ、およそ二十歳前後の青年たちが最も知りたいことといえば、この世の本質についてです。
 「宇宙はなぜ存在しているのか」
 「人間が生きる意味は何か」
 「科学の意義とは何か」
 「神は存在するか」
 そのような問いについて、講義で一つひとつ答えて行きます。
 「宇宙は神の望みによって誕生し、神の愛の現れる場として存在する」
 「人間は神の子として誕生し、神に愛されるために生きている」
 「科学の意義は、神の愛の業に協力することにある」
 「宇宙があり、人間が生き、科学が進歩することはすべて、神の存在を証ししている」
 みんな目を輝かせて聞いていますし、中には涙を流す学生もいます。リアクションペーパーには、「この講義に出会えただけでも、ここに来てよかったと思います」とか、「自分が実は有神論者であったことに気づきました」などという感想が多く寄せられます。

 実をいうと、科学と宗教は本来、非常に親和性の強い営みです。どちらも、普遍主義こそがその本質だからです。
 科学は、徹底した普遍主義です。いつでもどこでもだれでもが同じ実験結果を得られるのでなければ、真に科学的とは言えません。ある人がいくら「ナントカ細胞はあります」と主張しても、みんながそれを確かめられなければ真理とは言えませんし、人類の役には立たず、単なる独りよがりの原理主義とみなされてしまいます。
 宗教も、徹底した普遍主義でなければなりません。いつでもどこでもだれにでも通用する教えでなければ、真に宗教的とは言えません。ある人がいくら「この教えこそが真実です」と主張しても、みんながそれによって救われるのでなければ真理とは言えませんし、人類の役には立たず、かえって争いを生み出す原理主義になってしまいます。
 徹底して全人類の共通善に奉仕し、究極の普遍主義を目指し続けるという意味で、科学と宗教は同じ目的を持っていると言っていいかも知れません。かたやそれを真理と呼び、かたやそれを神と呼ぶとしても。

 そんな講義を続けて早7年、最近忙しいこともあって、この講義も今年限りにしようと思っていた矢先に、一人の学生が講義の影響を受けて多摩教会に現れ、毎週のミサと入門講座に通うようになり、夏の青年キャンプにまで参加することになりました。7年目にして初めてのことであり、今までの苦労がすべて報われたような思いです。
 来年もまた、早稲田大学非常勤司祭として、入門講義を続けることといたしましょう。

連載コラム:「オアシスに集い憩う旅人たち」

連載コラム「スローガンの実現に向かって」第55回
オアシスに集い憩う旅人たち

稲城・川崎地区 柴田 郁夫

 15年ほど前より、現在は月に一、二度ですが、都内のとある教会の英語ミサで、侍者の奉仕を続けています。そこに集う会衆はフィリピン系の人が半数以上を占め、場所柄、インドの人々も多く、また少数ですが欧米やアフリカ系の人もいて、国際色豊かなミサとなっています。三段ほど高くなっている内陣から会衆席を見回すと、そこには、さまざまな国から来た人々が心を一つにして歌い、祈る姿があります。そして一つのチボリウムから分けられる聖体を拝領し、ミサ後にしばし交流を楽しんで帰って行きます。言葉も文化も異なる地で日々緊張を強いられながら生活する彼らが週の初めに教会に集い、御言葉といのちのパンを頂き、それぞれの日常に戻る。それは砂漠の旅人がオアシスに立ち寄りのどを潤し、しばしの憩いの後にまた旅立っていく姿を彷彿させます。

 さて、奉仕を始めた当初、気になることがありました。それはミサ中に聖堂内で遊ぶ子どもです。英語ミサに集まる子どもの多くは、フィリピン人の女性と日本人の男性との子で、ほとんど英語ができません。いわゆる「泣き部屋」が設けられていますが利用しない親子も多く、子どもは退屈しのぎに堂内で遊び回ります。言葉も分からないミサでは無理もありません。ただ、「親がもっと気を配るべきなのに」と苦々しく思ったものでした。
 ある日のミサで、4歳くらいの男の子2人が聖堂内を走り回っていました。当時の主任司祭はアメリカ人で高齢のM神父で、普段は気さくなおじいちゃんでしたが、ミサの時は神経をピリピリと尖らせ、侍者の動きに少しでも粗相があると後できつくダメ出しをされました。そんな方でしたから、子どもが駆けずり回っていて気に触らないはずはなく、横で奉仕をしながら「きっと苛々しているだろうな」と思うと、こちらまで苛々してきました。結局、子どもたちは終わりまで騒いでいました。
 さて、ミサが終わって退堂するやM神父は祭服姿のまま踵を返して祭壇へと戻って行きました。先ほどの子どもがまだ遊んでいたので「きっと雷が落ちるぞ」と思いながら見ていると、なんとM神父は祭壇に座り込んで子どもたちと遊び始めたではありませんか。その姿を見て、私は雷に打たれた思いでした。
 「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである」(マタイ19:14)
 何度も耳にしているはずのこの御言葉ですが、私はマルタのように多くのことに気をとられ思いわずらった状態で、福音を理解し思い巡らす余裕がなかったのです。己の浅薄さ、未熟さを痛感し、恥じました。それとともに泣き部屋があるのも善し悪しだとも感じました。そして、その日以来、私はミサ中に子どもがどんなに騒ごうとも全く気にならなくなりました。私に身をもって福音を示してくださったM神父は昨年の暮れに惜しまれつつ、主の御許へお帰りになりましたが、私はあの日のM神父の姿と教えを生涯忘れることはないでしょう。

 時が過ぎて私も子を持つ親の立場となり、昔とは反対の意味で気をもむようになりましたが、幸いなことに(?)ここ多摩教会には泣き部屋がなく、神父様をはじめ信者の皆様が温かい目で見守ってくださるので、心置きなくオアシスに憩わせていただいております。

投稿記事「神様の衣に触れて」-コンサート CARPE DIEM (カルぺ・ディエム)-

神様の衣に触れて
-コンサート CARPE DIEM (カルぺ・ディエム)-

稲城・川崎地区 小俣 浩之

 神父様、私はあのとき、病院の小さな聖堂で、神様の衣に触れていたのですね、あの温かさ、あの優しさ、あの安心感、涙がとどめなく流れました。あのときの想いを込めて、音楽を作りたいとずっと願ってきました。ミサ曲の終わり近く、「神の子羊、世の罪を除きたもう主よ」を、最後に静かに静かに歌うフレーズを、今年の復活徹夜祭の朝、書き上げたとき、あ、私はこの曲を書くために生まれてきたんだ、と感じました….。

 「音楽の歴史にのせて楽しく旅するコンサート」と題して、2015年6月27日に開催したコンサート“CARPE DIEM”、多摩教会のスタッフの方々のご協力はもとより、多くの皆様の励ましに支えられ、無事に終えることができました。グレゴリオ聖歌から始まり、ルネッサンス、バロック、古典派、ロマン派と時代を追って器楽や合唱の数々の名曲を演奏し、プログラムの最後、今回初演となったミサ曲の最終小節のフェルマータの歌声が消えるまで、長丁場にもかかわらず大勢の方が耳を傾けてくださいました。本当にありがとうございました。
 正直のところ、ここまでうまくいくとは思っていませんでした。なにもかもうまくいった、いま、振り返ってみると、そんな感想が湧いてきます。梅雨の真っ最中で雨模様を覚悟していたのですが、最後には天気も味方してくれて、前日まで続いていた雨もすっかり止み、約270名という大勢のお客様に足を運んでいただき、1年前にホールを予約したときには想像もしていなかった大盛況のコンサートになりました。コンサートは多摩教会の土曜日のミサの時間帯と重なってしまったのですが、当日のミサでは「後方支援」のお祈りもしてくださっていたとのこと、お祈りの力を目の当たりにしたような気がします。

 コンサート会場の若葉台 iプラザホールは、一流の演奏家が好んでCD録音にも利用する素晴らしい響きのホールです。そしてステージ上には気品のある美しい音色を奏でるスタインウェイのコンサートグランドピアノ。ピアニストもソリストも合唱団も、この日のためにそれはそれは一生懸命に練習を積んできましたが、あのホールの響きとピアノの音色が、その練習の成果を、そして音楽に誠実に向き合う演奏者の想いを、見事に後押ししてくれたように思います。ピアノ教室の子供達も音楽の旅に一緒に参加してくれましたが、極上の音響を誇るホールで大観衆を前に、子供達は臆せず演奏し、音楽史の旅の一場面をしっかりと担ってくれました。
 このコンサート、当初はまったくの自主公演というつもりでしたが、多摩教会後援にしていただき、多摩教会の信徒が地域の皆様に「音楽会」というかたちでおもてなしをしている、そういう雰囲気が会場に満ち溢れていたことが、ご来場くださった多くのお客様の好評を得ることにつながったと思っています。あの晩、ロビーには晴佐久神父様のカードや著作も販売され、ホールはあたかも多摩教会の出張所のようでした。ふだん、教会とは縁のない一般のお客様もけっこう来られていたようで、ステージでの演奏そしてロビーでの心のこもったサービスによって、教会の温もりを、そのような方々も感じていただけたのではないでしょうか。こうしたおもてなしによる福音宣教の一端を担えたことが、なにより幸せです。

 終演後、永山駅前のお店の一角を借り切って、演奏者もスタッフもみんな笑顔でお互いの疲れを癒やし合いました。
 その宴の席でも、忘れられない出来事がありました。合唱団のメンバーに、来年の春、洗礼を受けることになっている方がいらっしゃるのですが、その方を力づけるための祈りをこめて、「復活の続唱」の混声合唱を全員で歌ったのですよ、なんと飲み屋の一角で。教会の仲間達の温かい歌声に包み込まれて、その方の目から涙が溢れていました。神様の衣に触れたのですね。

「初金家族の会」からのお知らせ

「初金家族の会」からのお知らせ

 梅雨真っ盛り、大雨の7月3日、初金ミサでの福音は主イエスと、トマスとの有名な対話、「信じない者ではなく、信じる者になりなさい」の箇所でした。「私たちが最初に福音に出会った時に励まされた大きな感動を忘れないように」との晴佐久神父様のお話が心にしみました。

 続いての家族の会では、永山地区のトマス三郎さんが30年前に母上様から受洗に導かれた後の信仰体験の数々を披露されました。色々な職場、住まいの変遷などを通して次々と接した数多くの教会での思い出などが印象的でした。

 来月、8月は初金ミサはなく、家族の会はお休みで、次は9月4日(金)稲城地区の竹内博年さんにブラジル在勤7年の体験をお話しいただく予定です。みなさま、楽しい集いにどうぞお気軽にご参加ください。

巻頭言:主任司祭 晴佐久昌英「ここヤシの家に小聖堂を!」

ここヤシの家に小聖堂を!

主任司祭 晴佐久 昌英

 ついに念願かなって、「ここヤシの家」の小聖堂の建設が始まりました。
 この建物の建設に、ぜひご協力をお願いします!
 ここヤシの家というのは、晴佐久神父が一昨年、奄美大島の南に位置する加計呂麻島の海辺に開設した合宿所で、600坪の敷地に20人ほど泊まれる宿泊棟が建っています。寝室にシャワールーム、トイレ、キッチンはもちろん、30畳ほどのライブスタジオもある、夢の合宿所です。
 「ここヤシ」というのは、「こころのいやしを求める青年のつどい」のことで、昨年夏にこの合宿所で「第1回ここヤシキャンプ」を開催し、日ごろ心の病などで苦しんでいる青年たちが「これこそ教会だ!」「ここが神の国だ!」と言えるような天国的な日々を実現することができました。詳しくは、昨年のニューズ8月号巻頭言をごらんください。(>>>こちら です)

 合宿の中心は、何と言ってもミサです。
 日ごろ人知れずつらい思いを抱えている青年たちが、ひとつの家族として共に福音を聞き、互いの苦しみを分かち合って祈り合い、祭壇を囲んでキリストの体をいただくひとときは、人間はこのようなことのために生まれ、生きているのだと感じることのできる、かけがえのない体験です。実際に、「今まで多くのミサに出て来たけれど、一番素晴らしいミサだった」と涙した青年もいました。
 合宿所ではいつも、外のひさしの下のようなところにイスを並べてミサをしていましたが、やはり一番大事なことを一番大事にしようということで、このたびの小聖堂建設という運びになりました。
 本当は敷地内の別の場所に立派な聖堂を建てる計画があり、その名も「ステラ・マリス(海の星=聖母マリアの別称)聖堂」と決まっているのですが、今はとてもそんな資金はなく、とりあえずスタッフルームも兼ねた小聖堂を建てることにしたものです。
 敷地内で最も海側の立地のいいところに12畳ほどの小屋を建てているのですが、実は建物の中心はその小屋というよりは、海側に向けて16畳ほど張り出した屋根付きのオープンテラス。いわゆるウッドデッキですが、満潮時には直下まで波が来るという、水上バンガローを思わせる夢のロケーションです。この夏、このテラスで、潮風に吹かれ、波の音を聞きながら仲間たちとミサを捧げられると思うと、今から胸がドキドキします。

 思えば、青年たちのたまり場だった我が家は、ほとんど合宿所のようなものでした。マンションの一室ではありましたが、そこに一度に30人泊まったこともありますし、家庭ミサだって何度やったことか。教会の仲間たちみんなで飲みかつ食い、時には深夜まで未来の夢を語り合ったりしたものです。
 そんなときよく出てきた話題が、信じる仲間たちの居場所づくりでした。いつの日か、どこかに土地を求めて、このマンションのようにみんながいつでも集まれる家を建て、ステキな聖堂を作ってミサをしよう、と。おとぎ話のようなそんな夢を語り合っているときは本当に楽しかったけれど、40年もたってからそれが実現していることに、われながら驚いてもいます。さらに驚くのは、今、そこでの「ここヤシキャンプ」を企画しているスタッフの中に、その頃夢を語り合った仲間が5人も参加している、という事実です。夢を語ること、そして夢を見続けることって、大切ですね。

 小聖堂兼スタッフルームの建設には、250万円かかります。お世話になっている隣の海宿のご主人が、ぼくらの夢の実現のために、原価で建ててくれているので、破格の値段です。すでに棟上げが終わり、写真も届きましたのでご覧ください。
 夢の実現のために、みなさんからのご寄付を募っています。ご協力くだされば幸いです。寄付の方法は、「福音の村」のホームページをご覧ください(>>>こちら です)。なお、ご寄付くださる方は、ぜひとも住所氏名をお知らせください。今年の夏に、プロのカメラマンが撮影する、合宿所の映像及び晴佐久神父が毎夏キャンプをしている近くの無人島の映像を編集した限定DVDを、ささやかなお礼として差し上げたいと思います。
 映像には、ドローンの4Kカメラによる空撮映像も入ります。お楽しみに!

  
(画像はそれぞれ、クリックすると拡大表示されます)

連載コラム:「神様の御心はここに」

連載コラム「スローガンの実現に向かって」第54回
神様の御心はここに

諏訪・永山地区 秋吉 めぐみ

 「どうして転会したの?」と聞かれる。昨年、主人がカトリックで洗礼を受けることになり、長い間の私の願いが叶うことになった。嬉しくて嬉しくて、二人並んで神様の御前に立つという夢を実現するには、私が転会するしかない、と思ったのは確かである。が、実はそれだけではなかった。ひと言、私の方もカトリックの「神様のやさしさ」に触れ、魅かれてしまったからだ。

 入門講座、ミサ後の私の心は、プロテスタントの聖書研究会、礼拝後のそれとは全く違うものだった。心軽く、自由な、ウキウキした、手を大きく広げて空を見上げて叫びたいような気持ち。一方、自らを戒め、律し、御言葉に従って過ごさねば、と、眉間にしわが寄るような気持ち。同じ御言葉をいただいているのに、この違いはなんなの?
 毎週、放蕩娘のようになって礼拝にでていた私は、神様からの御言葉によって「しっかりしろ! 来週は誇れる自分になって戻ってこい!」と言われ、「ごめんなさい、今週は頑張ります」と悔い改めの涙で一週間を始めるものの、良い娘にはなれず、またすごすごと礼拝へと戻っていくその繰り返し。その頃は、キリスト教はそういうものだと思っていた。愛のむち。毎週気持は新たにされるけれども、そこに喜びはなかった気がする。一方ミサの中の神様は、御言葉と一緒に聖霊を送ってくださり、「一緒にいるからだいじょうぶだよ。一緒に歩んでいこうね」と背中を撫でてくださる。そこには温かな喜びの涙があり、素直に御言葉に従いたくなる。毎週抱きしめていただくのだからミサが待ち遠しい。礼拝におられる神様、ミサにおられる神様、どちらも同じ神様だ。神様は愛の方。神様は私たち子どもの笑顔が嬉しい。だったら、神様の御心はどっちに?

 カトリック信者となった幸せな私だが、今の自分を生み、育ててくれたプロテスタントの教会には感謝している。あちらの教会員のことも大好きで、「実家の家族」と呼んでいる。神様の御心ある教会になりますようにといつも祈っている。
 私の一日は、晴佐久神父様の二つの日めくりカレンダーをめくることから始まる。まず声を出してゆっくり読む。しばし絵を眺める。絵の中に「私」を置く。ほら、今日も聖霊「✽.。.:*・゚」に包まれ守られている私。神様に愛されている私。だから「今日もきっといい日」。

巻頭言:主任司祭 晴佐久昌英「デジタル世界の市民となりましょう」

デジタル世界の市民となりましょう

主任司祭 晴佐久 昌英

 試しに、ネットで検索してみてください。「多摩市教会」で検索すると、カトリック多摩教会がトップに出て来ます。「多摩市キリスト教」でも、トップです。
 これは、とってもすごいことです。検索の順位は、アクセス数を始めとするいくつもの要素を元にほぼ自動的に決まってくるものであり、作為的な要素がないかぎりは、実際に重要なものほど順位が高くなる仕組みだからです。カトリック多摩教会が検索のトップに出てくるということは、この教会がこの地域においていかに重要な働きをしているかということを物語る、明白な証拠でもあるのです。
 たとえば、多摩市に住んでいる誰かが、試練の中で救いを求め、近くの教会に行ってみようと思ったとしましょう。パソコンで「多摩市教会」と打ち込むと、トップに「カトリック多摩教会」と出てきます。トップに出てくる教会ってどんな教会かなとクリックしてみると、多摩教会のホームページが現れます。スッキリとした分かりやすい画面と、初めての人に親切な内容。記事も豊富で更新も頻繁、見るからに温かい雰囲気です。ホームページを見慣れた人なら、ここが生き生きした教会であり、「だれでもおいでください」という熱意を持って、ていねいに受け入れ体制を整えていることがすぐわかります。
 そうして一人の神の子が、実際に教会の門をくぐり、福音に出会って救われ、試練を越えて生きる喜びに満たされるならば、教会のホームページはそのまま天国のホームページになっていると言えるのではないでしょうか。

 今年の新受洗者に、ネットの情報がどれくらい影響しているかを尋ねてみました。
 1:「インターネットの情報がなかったら、多摩教会に来ることはなかった」
 2:「インターネットの情報は、多摩教会に来るにあたって非常に役に立った」
 3:「インターネットの情報とはそれほど関係なく、多摩教会に来た」
 この3つのどれが当てはまるかを聞いたところ、それぞれおよそ三分の一ずつでした。私が多摩教会に着任してから6年間の成人の受洗者は約180名ですから、単純計算するとそれぞれが60名ほどということになります。
 多摩市にキリスト教の教会は数多くありますが、そんな中で、もしも多摩教会のホームページが検索の順位でずっと下位の方だったならば、また、「福音の村」も始めていなかったならば、60名ほどの人は確実に多摩教会に来ていないし、さらに60名ほどの人が来ていなかったかもしれない、ということです。

 教皇フランシスコは、2014年の「世界広報の日」メッセージで語っています。
 「インターネットによって、キリスト者のメッセージを『地の果てに至るまで』(使徒言行録1・8)届けることが可能です。教会の扉を開いておくということはまた、デジタル環境においても扉を開いておくことを意味します。それにより人々は、人生のどんな状況にいても教会に入ることができ、それによって、福音がすべての人に届けられるのです」
 そして、「大胆に、デジタル世界の市民となりましょう」と励ましておられます。

 いまや、ソーシャルネットワークの時代です。ホームページ、ブログ、Eメール、フェイスブック、ツイッター、ライン、ありとあらゆるツールを使って、福音を発信しましょう。神の愛を語り、救いの喜びを証しし、「福音の村」を紹介し、多摩教会を宣伝し、様々な教会のイベントに誘いましょう。毎週のように福音を聞いているのですから、毎週のように福音を語りましょう。ネットを使えばチャンスは無限です。一日に一回はパソコンの前に座り、あるいはスマホを手にして、福音を流してください。
 あなたにほんの少しの情熱さえあれば、送信ボタン一つで、大航海時代の宣教師千人分の働きができる時代なのですから。

連載コラム:「事実の陰にこそ『愛の真実』が・・・」

連載コラム「スローガンの実現に向かって」第53回
事実の陰にこそ「愛の真実」が・・・

稲城・川崎地区 志賀 晴児

 ノーベル賞受賞者やオリンピック金メダリストなど、長い地道な努力の積み重ねで人並みすぐれた才能をようやく花開かせ、明るい社会づくりに多大な貢献をされた各界の方々が脚光を浴びています。まことに賞賛に値する快挙です。一方、大多数の市井の無名の一人ひとりがそれぞれの人生で何かを探し求め、たとえ、ささやかであっても社会のために何らかの役割を果たしています。人々が苦労して探し求めて得た事実の陰には、眼には見えず、手にも触れられない「愛の真実」が人知れず、隠れているのではないでしょうか。

 私も仕事で巡り合った様々なことをはじめ、数え上げれば限りがないほど夢中で答えを探し求めました。その結果、具体的な支えと多くの励ましとによって今まで導かれてきました。中でも学生時代に、「自分はなぜこの世に生まれてきたのか、この世の最上、最高の価値とは何だろう?」という疑問に真摯に応えてくださった何人もの素晴らしい師と巡りあった事実こそ、数多い「探しもの人生」での幸せな邂逅でした。リタイア後の日々をどのように充実してこころ穏やかに過ごすか、それが今、私の探し求めているものです。
 よくよく考えてみれば、私がこれまでの人生行路で得てきたのは自分で探し求めて見つけ出し、解決したものではなく、時の移り変わりの中でいつも他から与えられたという事実です。自分自身それなりに望み、努力したつもりでも、一人では何事も決して解決できず、また必ずしも甘い結果ばかりではありませんでした。でも、不思議な力によって支えられ勇気づけられたのです。「それが一番よかったからそのようになったのだ。これこそ私への愛の証し、感謝すべき貴重な贈り物だったに違いない」と、正直ずっと後になってやっと気づいたという次第です。オアシスははるか彼方に存在するものではなく、今現在、この私がオアシスの中にいるのです。

 戦争で非業の最期を遂げた方、重い傷病や様々な人生の難儀に直面して悩んでいる家族、事故や災難でひどい目に遭われた人々の苦しみを思えば、私の悩み痛み悲しみなど些細なもの、どんなに恵まれ平穏に過ごしてこられたことでしょう。これまでに受けた多くの事実の陰に、確かに私への暖かい愛の真実、心のよりどころ、オアシスが潜んでいたように思います。有難いことに肉親や多くの知人、友人たち、名前を知らない世の中の沢山の人々、そして何にもまして普段全く気づかずにいる偉大な力が、いつも私の痛み、苦しみを代わりに受け入れてくださり、不束で粗こつ者の私が幸運を頂いてきたのです。
 実際、老若男女を問わず人間誰でも突然どのような苦しみに遭遇するかは想像もつかず、苦難の真の意味を人智で推し量るのは困難ですが、「詩篇119-71、72」の「こらしめを受けたことが私を幸せに導き、私は掟を学んだ。あなたの教えは素晴らしい、すべての金銀にまさる」とのことばの真意を悟りたいものです。そして、一切を限りなく尊い御者にお任せした先人たちの確固たる信仰が、苦しみ、悲しみの意味するものを恵みと喜びの花束に変えた模範から少しでも智恵を学びとりたいと願わずにはいられません。