連載コラム:「ひんやりパラダイス」を終えて

「荒野のオアシス教会を目指して」

やさしく、あたたかく、心からのオアシスづくり
連載コラム「スローガンの実現に向かって」第81回
「ひんやりパラダイス」を終えて

稲城・川崎地区 伊藤 直子

 ようやく夏らしい日差しの戻った8月12日(土)の午後2時から、入門講座主催の「ひんやりパラダイス」が開かれました。今年の春に入門係になって以来最初のイベントです。新米入門係として何が何だかわからないままに企画から参加しました。
 来てくださる方に福音とひと時の涼を楽しんでもらいたいと、何度もメンバーでミーティングを重ねて、メニューや役割分担を決めました。私はかき氷とケーキを準備することになりましたが、一抹の不安もありました。世間ではその日はお盆の始まりで3連休の初日です。一体どのぐらいの人が来てくれるのか、8月になって記録的な長雨が続き、気温もさっぱり上がらない中で心配して迎えた当日でした。
 12時半ぐらいから台所で準備しながらも皆ソワソワして会場の様子をうかがっていました。8人以下しか集まらないんじゃないかという神父様の不吉な予想もありましたが、幸い始まるころには用意したイスがいっぱいになるぐらい沢山のお客様を迎えることができました。その中にはホームページを見た初めての方が何人もいて、台所に嬉しい悲鳴があがりました。

 最初は豊島神父様のお祈りとお話でスタートです。いつも45分で集中力が切れるとおっしゃっているのに、時計をみたら1時間以上もお話してくださいました。参加者の中にはお子さんもいましたが、お話にじっと聞き入っていました。
 そのあとは、かき氷やデザートといった冷たい食べ物と3種類の温かいスープを食べながら、およそ2時間の歓談タイム。楽しい時間はあっという間に過ぎ、皆さんが帰り際に「おいしかった」「楽しかった」と喜んでくださったのが何にも勝る神様からのご褒美です。イベントを土曜日に設定したので、何人かはそのまま土曜の夜ミサにも参加していただけたようです。

 私はおととし初めて多摩教会を訪れて、金曜日夜の入門講座に参加するようになりました。それまで入門講座とは、真剣に洗礼を考えている人が真面目に教理をお勉強するところという、ちょっと厳しそうなイメージを持っていました。恐る恐る講座に臨みましたが、信徒館のテーブル一杯に座っている多くの入門講座の参加者はいろいろな動機で集まっていました。多摩教会の敷居は実はとっても低かったのです。
 豊島神父様がいらしてからは、私のような主婦にもありがたい待望の平日昼間の入門講座が始まりました。去年と今年でまったく違うお話が聞けるので、信者になってからもずっと通い続けています。毎回良いお話を聞いて仲間とのおしゃべりも楽しめるので、金曜日が待ち遠しいぐらいです。教会で出会った人達と交流を深めるうちに、おととし初めて聞いたときはピンとこなくて絵空事のように感じてしまった「教会家族」という言葉も、少しずつ実感するようになってきました。
 今回の「ひんやりパラダイス」のようなイベントをきっかけとして、一人でも多くの人に入門講座の楽しさ、そして多摩教会の良さを伝えていけたらと思います。私もそうやって迎えてもらった一人なのですから。

9月:「初金家族の会」からのお知らせ(次回は10/6・金)

「初金家族の会」からのお知らせ

 例年以上に蒸し暑かった厳しい夏が過ぎ、ようやく秋の気配が感じられた9月1日、初金ごミサのあと信徒館で、カトリック学校に長年お勤めになり、現在もカトリック学校教職員の方々対象の養成塾でご活躍の北村司郎さんが、「カトリック学校の現状と課題」について、次のようにお話ししてくださいました。

 「幼稚園から大学まで、日本のカトリック学校在籍の児童、生徒、学生数は、2016年現在で約20万人。教職の修道者数が年々減少し、児童生徒数も減っているので、学校経営そのものが難しくなっているところが多い。
 いろいろな面で移り変わりの激しい今の社会の中、カトリック学校が存続するために、共学化、進学校化を図るところもある。そのような現状の中で、カトッリク的な教育はいかにあるべきかは大きな問題、なかでも道徳教育と宗教教育との関連をどのように考え実行するか、減少している修道者に代わる教職の役割を誰が、どのようにやるのかなど、課題山積です。
 『国ありき、経済第一の教育』から、人第一、人間の存在そのものを大切にする「人ありきの教育」を、修道者に代わって、今、学校の中にいる教職員が(信徒も信徒でない方も含めて)一緒になって行うべきではないでしょうか

 以上のような北村さんのお話のあと、参加したカトリック学校の卒業生数人から、「一人ひとりを大切に、心温まる働きかけだったカトリックの教育指導を受けたことが信仰生活へのきっかけになった」などと感想が述べられました。

 次回10月6日(金)には、府中の島田潤一さんが、遠藤周作著、『沈黙』に出てくるキチジローについて話される予定です。
 「初金家族の会」は、初金のごミサのあと、信徒館で貴重な体験など聴いて語り合い、お互い信仰の絆を深め合う、楽しい集いです。どうぞどなたでも、お気軽にお立ち寄りください。(11時ごろからです)

巻頭言:主任司祭 豊島 治「導かれます」

導かれます

主任司祭 豊島 治

 急な気温の低下もあり。聖母被昇天は雨という気候の変化に心身ともに、とまどいをもった一カ月でした。皆様の体調はいかがでしょうか。
 今年は8月13日に「恐れることはない」の福音箇所があった年間第19主日のミサ、14日に多摩教会保護の聖人コルベ神父さま記念日のミサ、そして15日聖母被昇天と続きました。この三日間のミサをコルベ神父さまの生涯からみると、ふしぎな計らいを感じます。

 コルベ神父さまが列聖されたのは1982年。当時私は30数人の同期といっしょに堅信準備の勉強会に通う日々でした。そのなかでコルベ神父さまの生涯を学ぶことになりました。家族を想って命乞いを訴えたガイオニチェク氏の身代わりを申し出て処刑された神父さま。命の大切さとすばらしさ、いのちを育む家族への想いに話はつながっていたのです。「聖母の祝日に召されたい」と願ったコルベ神父さまは、亡くなった翌8月15日(聖母被昇天の日)に火葬されました。

 堅信をうける仲間と学びと分かち合いのなかで、凛としたコルベ神父さまの言葉やふるまいに感銘をうけました。そしてもうひとつ、ガイオニチェク氏の「死にたくない、家族をのこしてはいけない」という言葉に当時の私は何か感じました。生死をかけた緊張の場で発した家族への愛です。

 8月30日に教皇フランシスコの使徒的勧告「愛のよろこび」の日本語訳が発行されます。教皇さまは対話するための道具となるようにと、この本の活用をすすめられました。320ページもあるのですが、読んで分かち合うことによって「困難な状況」にある家庭を励まし、助けることができると訴えられました。

 結婚して家族をもつというあこがれは華々しいイメージを与えます。しかし、結婚そして家族は、入籍や結婚式当日に突然生まれるわけではありません。家族を形成してゆく過程にはときには、辛い毎日を二人でのりこえていきます。二人から、はじめて、一緒に創造していく長い人生航路の間には、喜怒哀楽の出来事が含まれています。人は他人の痛みは正確にはわかりません。どんな間柄でも同じです。しかし痛みは教えてくれます。痛みを分かち合いたい人がいて、そこで大切な存在に気づかせてくれるのです。コルベ神父さまは「家族の保護聖人」にもなっています。多摩教会を見上げるとき、聖人のとりつぎを願い、家族を思うことからくる痛みの意味を悟らせてくださいと願えるでしょう。そして今後、多摩教会で結婚の誓いをなさる方々には結婚講座をしっかりと行い、しっかりとした気持ちをもって向かっていくよう導きたいとおもっています。

 使徒的勧告『愛の喜び』は入荷次第、一年前にでた英語版とともに売店にて購入できます。

連載コラム:「心の病で苦しんでいる人のための夏祭り」

「荒野のオアシス教会を目指して」

やさしく、あたたかく、心からのオアシスづくり
連載コラム「スローガンの実現に向かって」第80回
「心の病で苦しんでいる人のための夏祭り」

諏訪・永山地区 佐内 美香

 2012年クリスマス。心の病の人のためにクリスマス会をしようという、晴佐久神父様の提案で、「心の病で苦しんでいる人のためのクリスマス」、通称「ここクリ」が誕生。「年に一回なんて淋しい」という参加者の声に応えて、2014年夏から「心の病で苦しんでいる人のための夏祭り」、「ここナツ」が続いて誕生した。
 今年も「ここナツ」は主日のミサから始まった。そして参加者が書いた七夕飾りの短冊が奉納された。続いてフルートの演奏、正太郎くんのコンサート。どちらも心のこもったパフォーマンスで、その場の雰囲気をなごませたと思う。その後、信徒館に場所を移し、皆で食卓を囲んだ。一つのテーブルに2、3人のスタッフがつき、参加者のお相手をする。初めはポツリ、ポツリの会話でも徐々にうち解けてきて、時折笑い声も聞こえる。熱心に話を聞く人、少し暗い表情の方に語りかけている人、スタッフも慣れないながらも参加者の心に寄り添うことを心がけて接していた。食事はすべて手作り。この日のために皆腕をふるった。今年は国際色豊かなメニューで、タイ、ドイツ、イタリア、エジプトなどバラエティに富んだご馳走となった。食材も信徒の方が、ご自分の畑で作られた野菜を沢山提供してくださった。産地直送だ。楽しいひと時も終わりに近づき、皆で聖歌をいくつか歌った。名残惜しいのか、それでもおしゃべりは続く。最後の方が帰られたのは予定の時間をだいぶ過ぎていた。

 晴佐久神父様の異動後、去年に引き続き、今年も「ここナツ」を提案したが、正直なところ以前のように実行できるのか心配だった。「ここナツ」「ここクリ」に対する多摩教会の熱意も、年々冷めつつあるのではと懸念していた。実際ミーティングの出席者も少なかった。心がくじけそうになり始めたころ、数名の方々が助言してくださったり、準備を手伝ってくださり、当日のメドもついてきた。そして本番、ふたを開けてみるとスタッフ総勢約30名でお客様をお迎えすることができた。さすが多摩教会、いざという時の団結力は凄い! 今までのように、いや、今まで以上に良い集いとなった。

 ルカによる福音書(17:20)に、「神の国は、見える形では来ない。『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ」というイエスの言葉がある。この世には辛いことが多々ある。人は自分が生きるだけで精一杯だ。心の病の人、貧困の中にいる人を顧みる余裕がない。そんな中でキリスト者に求められているのは何か? 微力ながらも、そのような人々に神の国を垣間見せてあげたい。教会はこの世という砂漠の小さなオアシスだ。渇いている人の喉を潤すことができる。
 今年の参加者は約20名。でもこの裏にはもっと沢山の人々がいる。「いつかここナツに行けるようになりたい」「こんな催しがあるんだ」と心の励みになるだけでいい。私たちの知らないところでこの集いが種となり、小さな花をたくさん咲かせてくれることを願っている。

巻頭言:主任司祭 豊島 治「ここにいます」

ここにいます

主任司祭 豊島 治

 連日うだるような暑さがつづき、夏休みシーズンにはいりました。
 年々暑さを増していくように感じる傾向をとらえ、どの観測ポイントが最高気温だったかを競う「暑さ自慢」という地域の楽しみイベントがあるときくと何でも前向きにとらえることが力になるのだなと感じます。

 連日の暑さで聖堂の生花もたった数日で力をなくしてしまいます。先日祭壇の生花のなかでたった一本ですがこの酷暑の四日間を生き延びている草がありました。

 花や草、そして木は他のところに移動することができません。花・草・木が動くなどは原則考えられない、置かれた場所・条件で自分のありのままを示すことになるのです。さらにその成長は
 ◎ ゆっくり
 ◎ 少しずつ
 ◎ 知らないうちに
なされます。

 私たち人はどうでしょうか。人は移動することで自分が心地よい状況に向かうことができます。逆に人は自分の思い通りにならないとストレスになることがあります。
 「置かれた場所で咲きなさい。」あるシスターの有名な言葉がありました。あらゆる危険を回避するために行動することは大事です。その一方、「静」のなかで得られる気づきも生きる力(ちから)になるのです。
 私たちに同伴してくださる神さまの導きにおいてゆっくり・少しずつ・知らないうちに信仰者にしてくれている。その信頼をもとに適度な温度管理のもとで祈りをもってすごしてみてはいかがでしょうか。

連載コラム:「初聖体パーティーでの感謝」

「荒野のオアシス教会を目指して」

やさしく、あたたかく、心からのオアシスづくり
連載コラム「スローガンの実現に向かって」第79回
「初聖体パーティーでの感謝」

桜ヶ丘地区 馬渡 美香

 初聖体おめでとうございます。初聖体の一日を楽しんでいただけたのなら嬉しいです。
 地区委員としては、初聖体パーティーが無事に終わってホッとしています。
 地区委員で行事を分担する時に、桜ヶ丘地区はメンバーが少ないので、できるだけ負担感のない行事を担当できればと、事前に委員で「初聖体パーティー」と決めていました。司牧評議会で行事決めがはじまり、初聖体パーティーに立候補。どの地区も手を挙げなかったので、すんなりと決まりました。そのはず・・・。情報収集が甘かった桜ヶ丘地区は、決まった後で初聖体パーティーの大変さを知ったのです。
 引き受けた以上は、とにかくやらなくてはと必死・・・。昨年度丁寧に書かれていた資料を参考にしながら、メインテーブルのコーディネートは小田切さんへ、会場の飾りつけは、教会学校の子ども達に制作してもらったり、小野原さんにお願いしたり、司会進行は小俣さんにお願いしました。皆さんお忙しい中、とても快く引き受けてくださって本当に感謝です。そして、当日の実働部隊人数も少なそうなので心細く、他の地区の方に声を掛けると、これまた気持ち良く引き受けてくださいました。
 皆さんが快諾してくださったことが本当にありがたく、不安いっぱいの私たちを支えてくださいました。皆さんのお力がなかったら、とてもできなかった初聖体パーティーでした。

 教会って本当に素敵ですね。ピンチの私たちにたくさんのお恵みを頂き、神様の力が働いていることも実感しました。心のこもった差し入れもたくさんいただきました。お菓子や手作りのケーキ、子どもたちが自ら作ってくれたものなど、そして、唐揚げの差し入れも・・・。実は予算の関係で注文出来なかった子どもたちが大好きな唐揚げなので、メインテーブルに置かせていただくと、おいしそうにかぶりついている姿がありました。
 子どもたち、保護者の方々、そして子どもたちを見守ってきたさまざまな皆さんが初聖体を心から喜んでおられて、そんな初聖体パーティーというオアシスの場を提供させていただけたこと、皆さんのお祝いの気持ちに桜ヶ丘地区が花を添えられたことがうれしかったです。
 初聖体を受けた子どもたちが、メインテーブルに着くなり、うれしそうに、でも恥ずかしそうに、「あのさ・・・これ、豪華すぎない??」と声を掛けてくれました。どの子も、「うわぁー!!」と喜んでくれて、いっぺんに疲れが吹き飛びました。子どもの力はすごいですねぇ。元気をたくさん頂きました。パーティー後には、皆さんから喜びの声や労いの声を掛けていただき、本当に嬉しかったです。
 今年は6人のお子さんが初聖体という素敵な年にパーティーの担当をさせていただくことができ本当に良かったです。子どもたちが大きくなった時、多摩教会の皆さんにお祝いしてもらったことを少しでも覚えていてくれたらうれしいです。

 初聖体パーティーを通して皆さんの温かさに触れることができました。始めは不安いっぱいのスタートでしたが、今は感謝の気持ちでいっぱいです。おめでとうございます。そして、ありがとうございました。

7月:「初金家族の会」からのお知らせ(次回は9/1・金)

「初金家族の会」からのお知らせ

 願いごとを短冊に書いて笹竹に結び付けた幼い頃の七夕の思い出が心によぎる7月7日、豊島神父様は初金ミサのお説教で、「私たちはそれぞれ願いを持って生きています。願いは、かなうこともあれば、かなわない時もあります。人生の歩む道は神様が与えてくださいます。今はそれぞれに人生の予習の時なのです。最終目的の地で神様の素晴らしさという100点満点の答えがわかるよう、本当の意味の力、エネルギー、希望を教会で、そしてご聖体からいただくよう心がけましょう」と話されました。

 続いての初金家族の会では30数人の参加者の前で、関戸・一ノ宮地区の井上信一さんが海外で奉仕している宣教者の現状を次のように話されました。

 「今、世界各地40か国で270人ほどの司祭、修道者、それに信徒が、宣教者として積極的に活躍しています。例えば、ウガンダ、南スーダン、チャド、コンゴ、マダガスカル、ボリビア、ブラジル、そしてアジア諸国で、医療、教育、保育の分野で福祉活動と福音宣教に従事しておられ、また特に南米では日本からの移住邦人の司牧にも尽くされています。皆さんが現地に骨を埋める覚悟で献身的に、奉仕され、緊急避難もできない戦乱の地、民族間の争いが絶えない危険な場所、交通不便な土地でも、進んで民衆の中に溶け込んで働いておられます。
 この数年、宣教者からの援助申請は日本の災害などを気遣って遠慮がちではありますが、私たちのささやかな支援でも、現地では大きな支え、力となっています。最近のケースでは南スーダンで難民の支援活動を行っているシスター下崎(イエスのカリタス修道女会)に食糧援助のため、50万円を送金しました。『海外宣教者を支援する会』の機関誌《きずな》が、信徒館の入口脇に置いてありますので、ご覧ください。またインターネットでも『海外宣教』と検索するとホームページで、これまでの資料を全て読むことができます。これからも皆さんのご理解、ご協力をお願い致します」

 8月初金ミサはありますが、家族の会はお休みで、次回は9月1日(金)です。
 「初金家族の会」は、初金のごミサのあと、信徒館で貴重な体験など聴いて語り合い、お互い信仰の絆を深め合う、楽しい集いです。どうぞどなたでも、お気軽にお立ち寄りください。(11時ごろからです)

巻頭言:主任司祭 豊島 治「ネコ、くつろぎます」

ネコ、くつろぎます

主任司祭 豊島 治

 春の穏やかさは終わり、気温の変動を気にしながら過ごす時季となりました。
 そんな気候でも、あいかわらず多摩教会には毎日夕刻から一匹のネコが訪れ、午後教会に居る人の注目を浴びています。
 名前は未だ無いそのネコはニュータウン通りを行き交う車の数がすくなくなるころ、トヨペット販売店さんのほうから斜め横断し、橋を渡り、ちゃんと正面から入られます。教会の扉が開いていても入ることはしないで、構内で自由にすごしています。

 動物写真の岩合光昭さんが残したメッセージで『ネコが幸せになれば、人も幸せになり、地球も幸せになる』というのがあるそうです。たいがいの家畜は紐でつながれてきた歴史がありますが、そうではなく唯一といっていいくらい自由で人の思い通りにならず過ごしてきた。それゆえネコには衰えてない野生の勘があり、人よりも環境に敏感であること。自然に対して畏怖という感覚がうすくなりがちな人間が利益主義に没頭していることに対し警鐘をならしているという意味があるそうです。

 教会の暦は、復活節も聖霊降臨の祝いで結ばれ、年間の典礼をすごしています。
 復活徹夜祭で洗礼式、聖霊降臨で堅信式、キリストの聖体の日に初聖体式と入信の秘跡に関わったこの期間、神さまがおつくりになったこの世界を正しく誠実に味わっているか。恵みとして感謝し、それを伝えるために奉仕していく使命を遂行できているかを年間の典礼でみていきましょう。

 今は空前のネコブームといわれます。「ネコ・カフェ」なるものも存在し、ネコに引っ掻かれた跡を見せ合いながら、魅力を楽しんでいる利用者が映像で時々紹介されています。
 しかし、ブームの流れでみるのではなく、被造物が共存し合う共同体とはどうなのか、神さまのまなざし、いのちのまなざしについての学びをもって、エコロジーな視点で夏を過ごしてはいかがでしょうか。