巻頭言:主任司祭 豊島 治「重ねます」

重ねます

主任司祭 豊島 治

 梅雨入りを意識させるこの時期にしては気温の高さにおどろく身体をいたわりながら、聖母月(5月)からみこころの月(6月)へと教会の暦はすすんでいきます。
 今年から聖霊降臨の主日の翌月曜日が「教会の母マリア」を記念する日として定められました。今年は5月21日月曜日です。当日多摩教会聖堂でのミサはありませんが、その他のところでミサに赴く方は、すでに発行されている毎日のミサの内容が変更されていますので、中央協議会のホームページから差し替え箇所を確認ください。

 多摩教会としての5月から6月は、「備えの時期」ともいえる感覚があります。キリストの聖体(今年は6月3日)では7人が初聖体をうけるための勉強をしていますし、多摩教会の構内を使ってのバザー(10月21日)も準備がはじまっています。郊外の黙想の家での研修や子ども達の合宿の企画もはじまるときいています。

 教会の母マリアの記念について「マリアはキリストを生み育てキリストが十字架の死の前にあがなわれた人々の母とされた。」というパウロ6世教皇のことばをもって受け止められ、今年のルルドの聖母(2月11日)に記念する旨が発表されたものです。
 新しいでも通例のことでも始め時は高揚することもあれば、不安もついてまわります。同時に準備を進める過程のなかで思い通りに行かない事に対して、大なり小なりの「痛さ」を持つこともあるでしょう。教会の母としてマリアを記念に据えたことは、わたしたちのそうした気持ちを受け止めささげてくださること、そして広い意味で恩寵へと行き着く先を示してくださっていることになります。

 6月3日は初聖体が行われますが、同時に星野正道神父様の主司式によるものです。星野神父様は1993年3月の叙階ですので、司祭叙階から25年の銀祝の年になります。瀬田にあったアントニオ神学校卒業しての叙階ですので、教区司祭と異なる要請を歩んでこられています。それゆえ霊性も豊かさをもっておられることは感じられている方もおられるでしょう。2006年から2008年まで多摩教会協力司祭として主任司祭のもとで助けをいただきました。
 私は、神学校3年目のとき、教区神学生の黙想会で星野神父様の指導をいただきました。そのときの「自分の今の生活とその先の生涯をキリストの生涯と合わせてみなさい」という言葉が今も残っています。司祭というのは、はかりしれない大きな恩寵に向かいながら、苦悩で眠れない日々の疲れを感じながら、キリストの生涯と関われることを喜びとし、また福音を携えて前進するものと感じています。25年の歳月のあいだ、神父様に与えられた神の関わりの祝いを私たちはミサ後のパーティで表す機会をもちますが、現在、星野神父様のこれからを祈る霊的花束も募っています。聖堂エントランスホールにある用紙をお使い下さい。

 6月17日は被災地の活動をなされているシスター丸森をお招きして、拡大入門講座を行います。拡大入門講座とは通常の主任司祭の講座にかわって、修道者・司祭を招いて経験や霊性に導かれた「証し」をうかがうものです。入門講座を卒業された方も参加をおすすめします。
 シスターは福島県内の教会関係と連携して被災地の心のケアの一環である傾聴を実践されました。わたしたちは関わりなくしては自分を肯定することもできませんし、その会話というのは重要な役目をはたしているのですが、「聞く」という助けは被災地の人をはじめ、喪失感と向き合っていた方々とはどうであったのかの様子を聞ければとおもいます。詳しくはホームページまたはエントランスにあるちらしをご覧下さい。

 神様の想いは愛に満ちていると同時にはかり難いもの。その事柄に心をあわせて生涯を歩んだマリアの姿に倣うために、するべきことを積み重ねながら、み言葉をしっかり受けなおす時期にいたしましょう。

連載コラム:「第7回チャリティ・コンサートを終えて」

人生の旅をいっしょに
= ウエルカムのサインをあなたからあなたに =
連載コラム「スローガンの実現に向かって」第88回
第7回チャリティ・コンサートを終えて

崔 承埈(チェ・スジュン)

 輝かしい新緑と美しいギターの音色、毎年GW連休の始まりを飾るチャリティコンサートを今年も大盛況のうちに終えることが出来ました。震災の年2011年に、元々日本にコンサートの予定があったキム・ソンジンさんが震災直後、被害者の為に何か役に立ちたいと自ら申し入れがあり、チャリティコンサートを行ったのが原点です。
 まだ記憶に新しい震災直後の5月は余震が続き、福島原発も予断を許さない状況であった為、多くの外資系企業が従業員を東京から避難させ、予定されていたコンサート等もアーティストの来日キャンセルが相次ぎましたが、キムさんは潔く来日を決断してくれました。
 今年に至るまで合計7回のチャリティコンサートを通じて、被災地を思いやる気持ちはもちろん、通訳の要らない共通言語としての音楽の素晴らしさを伝えてくれています。挨拶や曲の解説は通訳を介さないと通じない。しかし演奏が始まると国、言語、人種の壁は消える。この当たり前のようで不思議なことは、きっと神様の御業だと思います。

韓国でもキムさんの趣旨に賛同する音楽の仲間が増え、今年はヴァイオリンとクラリネットも加わり、いつも以上に華やかで迫力のある音楽を楽しむことが出来ました。ギターは独奏楽器としても素晴らしいですが、今回のようなギター五重奏、ヴァイオリン、クラリネットとのアンサンブルにおいても主演と助演をしっかりつとめ、様々なジャンルを消化できるオールマイティーな楽器であったこともとても興味深かったです。
 『愛の挨拶』の美しい旋律で始まり、『アヴェ・マリア』、ジブリのお馴染みの温かいメロディ、情熱的なタンゴ、『死の舞踏』、『オペラ座の怪人』といった大曲まで、誰もが楽しめる選曲も素晴らしかったです。全ての曲のアレンジを行った音楽監督のジョンさんは聞き手に臨場感を感じさせることがひとつの編曲ポイントとのことで、曲の主要メロディが偏ることなく、色々な人と楽器に分散されることによって演奏に立体感を与えているそうです。
 韓国の演奏者たちと日本の聖歌隊による合奏も大変感動しました。いつかクリスマス・コンサートとして開催し、キャロルともっと沢山の曲を合奏出来ればと思います。キムさんが1回目以降一貫して伝い続けてきたメッセージ、「音楽を通じて被害を受け苦しんでいる人々を思いやる」を今後も実践していきます。

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巻頭言:主任司祭 豊島 治「隠れています」

隠れています

主任司祭 豊島 治

 復活祭を祝い復活節にはいりました。高低差の激しい気温にふりまわされていたので春を満喫する時間も少なかったのではないでしょうか。復活された主に出会ったわたしたちはその「いのち」を祝い、その無限な力をうけとめるという復活節を祝いとして、過ごしていきましょう。聖母の月である5月はもうすぐです。

 4月1日の復活祭ミサでは、第四代主任司祭 宮下神父様をお迎えしました。主の復活と宮下神父様の銀祝(叙階25年)をあわせたので、祝い事2倍の日となりました。ミサの前に宮下神父様から、二つのものが私にわたされました。一つは叙階25周年の記念カードです。ご自身で用意されたとのことです。皆さんにどうぞという意向でしたので、聖堂エントランスで受け取ってください。もうひとつは、木彫りの聖母子像でした。私には見覚えがあります。1999年、私は立川教会で神学生として滞在していました。突然いらっしゃって、当時の立川教会主任の岩橋神父様とお茶をしました。そのときに「これ、フィリピンまで行って買ってきた。これに台座をつけたらいいと思ってさ、いいでしょ」と示しておっしゃっていたのです。祝いの時間が終わってしばし神父様が信徒館や聖堂を見上げ「なつかしいな。かわってないな」と思いを話しながら歩いて回られました。

 15日には堅信式が宣教協力体(多摩、府中、調布)合同で調布教会にて行われました。
 多摩教会からは16名と三教会のなかで一番多い人数でした。多摩教会は以前は大人の洗礼式では洗礼・(初)聖体・堅信の入信の三秘跡を復活徹夜祭でおこなってきています。一緒にするか、別々にするか司祭のなかでも意見があるようですが、多摩教会は昨年から堅信は使徒の後継者である司教司式で行うことにしました。当日の司教様の説教や堅信の儀の式中で堅信の意味を確認する内容でありました。明るい、笑いありのひと時でした。

 そして現在進行中ですが、空調交換工事を行っています。大規模な空調システムを多摩教会はとりいれています。そして空き地のない多摩教会のなかで、施工についても段取りについても準備は困難がありました。着任する前から、多摩教会側は業者との打ち合わせがされていましたが、大規模な工事は、教区の大司教を主とする役員の方の承認を得なければならず、この方々の理解を得るためにも別途調査が必要でした。多摩教会の修理だから多摩教会だけで決めるわけにはいかない案件だったのです。この件については私も奔走しました。これから先の工事でも、こういった理由で不便をかけることになるかとは思います。はじまって一週間の工事をみていると、よくこんな巨大なものが教会の倉庫・香部屋天井裏に収納できたものだと驚くばかりです。総計32馬力(後ろは別期間に施工ですが8馬力)です。その力はこの一つ一つのパーツで思い知らされました。写真にあげておきますが、この写真に写っている範囲は全体の約5分の1です。ということはこの5倍のものが私たちの快適にするための空間形成の一役となっているのです。

 かくれたところに大事なものがある。設備もそうですが、主日のミサのために聖堂の椅子と机を水拭きして整える方、食事を準備する方、意見・書類などを取りまとめる方、神と人のために奉仕する教会をつないでくれる方もそうです。そして全体を見守ってくださる聖母マリアの取り次ぎ。復活の主の力強い福音の存在。見えないけど、発見しづらいけど存在するのです。勇気をだしてすすめていきましょう。

堅信式-S
菊地大司教の司式による堅信式

旧送風機1-S 旧送風機2-S
香部屋天井裏にあった旧送風機 高さ2メートル、幅1.8メートル

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聖堂前に出されたダクト。これだけでも全体の5分の1になりません
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(それぞれの写真はクリックで拡大します)

 

連載コラム:「宗教の未来と教会」

人生の旅をいっしょに
= ウエルカムのサインをあなたからあなたに =
連載コラム「スローガンの実現に向かって」第87回
宗教の未来と教会

諏訪・永山・聖ヶ丘地区 佐内 美香

 最近、第二バチカン公会議を勉強中。エキュメニズムが強く打ち出されている公会議後の他宗教との交わりをどう考えていったらよいのだろう。「宗教の未来を話そう」というシンポジウムに行ってみた。
 シンポジウムは仏教の僧侶、神道の禰宜、ムスリム(イスラム教徒、イスラムに聖職者はいない)、キリスト教の司祭(晴佐久神父)の4人に事前に聞いた3つの質問への回答をもとに、ディスカッション形式で進められた。
 質問1:宗教とは何か?
 僧侶は物事の判断基準、禰宜とムスリムは生きるヒント、司祭は一人では生きていかれない人間が仲間とつながり、神の愛に気付くことと答えられた。
 質問2:不安な気持ちを抱えて何かを信じたい。そのような時、宗教が果たす役割とは?
 僧侶は心のお守り、禰宜は心のよりどころ、ムスリムは不安をなくすこと、司祭は一人では解消できない不安や血縁を越えた「福音家族」としてつながりを持ち、奉仕し合うことと答えられた。
 質問3:宗教の未来像とは?
 これについては、このシンポジウムの本題として多くの意見が交わされた。僧侶はインターネットの有効活用やご自身がフランシスコ教皇に諸宗教者の集いで謁見された時の教皇の「外に出て自分の言葉で語れ」という言葉に共感したこと、仏教は家単位から個人の信仰へとなることを期待していることなどを話された。禰宜は神社という日本独自の地域に根付いた宗教の特質を生かして、祭りや年中行事など、世代をつなぎ地域社会に貢献していく努力を続けたいと話された。ムスリムは特定の教会に属さない個人信仰というイスラムのかたちから、宗教を超えた個人個人のつながりの方を重視したいと話された。司祭は原理主義から限りなく離れた宗教、押しつけるのではなく相手の立場に立ってそれぞれの宗教が共に困っている人を助ける世界を目指そうと話された。

 このシンポジウムは各宗教の代表者が他の宗教を尊重しつつ自分たちの思いを語る良い機会だったと思う。宗教は山登りに例えられる。登り口、ルートは違っても目指す頂上(神仏)は同じだと。
 だが、それぞれの宗教には独自の歴史や文化的背景の違いがある。その垣根を越えて大いなる力のもと、協力し合える未来であることを望む。
 幸せとは安心して生きていくことだ。すべての人々が安心して生きる神の国を実現するために、特に神に救われた体験をもつキリスト者たちは、迷える人々と神を出会わせるお手伝いができるのではないだろうか。その役割は大きい。そのためにも教会は人々が憩える場所としてのオアシスでなければならない。教会を教会として機能させ、門戸を開き、外に出て行き、宗教を越えて多くの人々のために奉仕し、幸せの輪を広げることが、キリストに選ばれし者の使命だと強く感じた。そしてそのことが宗教の未来を明るく照らすのだと思う。

寄稿:「四旬節福島巡礼の旅」‐ 報告No.2

= 寄 稿 =
四旬節福島巡礼の旅‐報告No.2

中嶋 誠

 私は、昨年11月の「福島から語る@多摩東」以来、福島、とりわけ原発事故によって避難を余儀なくされた人々や風評被害に苦しむ方々に心を寄せたいとの思いが増していました。そんな折、第一原発入構の企画を知り、原発の必要悪と絶対悪論の中で、自分の立ち位置について頭の整理ができぬまま、参加の手を挙げました。

 原発入構日の早朝、ホテルの一室でのミサの中で、星野正道神父様は、巡礼の旅について、「慣れ親しんだものから離れたところに身を置き、自らと相対すること」と話されました。
 海に向かって祈る組と別れ、原発に向かうバスの車窓からは、時折廃虚化した無人の家々が眺められました。家のまわりを覆う若葉に、若葉は居ることができても帰還できぬ人々、とりわけ思い出をこの地に残して避難を余議なくされている中高生や青年の無念が重なりました。確かに除染は進んでいるようですが、時間の経過と共に痛みはより増し、複雑になっているのだと考えていました。
 第一原発から10キロ程離れた東京電力の旧エネルギー館で入構の事前説明を受け、東電のバスで国道6号線を北上。車窓からの景色は、いきなり地震で崩れたガソリンスタンドや放置されたスーパーマーケットらしき店に変わりました。そこは帰還困難地域でした。晴天、静寂の中でのこの景色は、目に見えぬ放射線被害の深刻さを感じさせます。
 厳重な入構チェックを受けた後、見学者全員が放射線量測定器着用を義務付けられ、見学によって浴びる放射線量は、最大10マイクロ・シーベルト、これは歯科でレントゲンを撮る時に浴びる量に匹敵するとの説明を受けました。その後の専用バスでの小一時間の見学では、防護服の着用も求められず、バスもごく普通のバスで、ここまで構内の除染は進んでいるのだと感じました。
 第一原発の敷地内は、汚染水・処理水タンクが文字通り林立、その間を縫うように災害に遭った設備を見て回ります。普通の作業着姿の作業員を多く見かけました。敷地内は汚染度の高い順に3段階のゾーンに区分されていますが、防護服なしで働ける汚染度の一番低いゾーンが殆どになったと聞き、除染作業の進捗を確信しました。原子力発電炉1号機、2号機の間を通った時に2、3度外気の時間当たりの放射線量を計り、報告がありましたが、いずれも200~300台のマイクロ・シーベルトでした。
 初めての入構で比較は難しいのですが、新聞、テレビの報道で見てきた無残な姿となった1号機、2号機、3号機では、この7年間で、がれき撤去や汚染拡散防止作業が相当進んだように見えました。世界的にも廃炉に至るまでの作業が確立していない現実の中で、第一原発関係者の不断なき努力を見た思いです。

 バスでの見学終了後、我々が浴びた放射線量が10マイクロ・シーベルトを超えていないかのチェックがまるで出国手続きのように行われ、場所を旧エネルギー館に移し、東電担当者との質疑応答がありました。
 汚染水の処理に関するものが多かったのですが、私にとっては、我々の中の一人が、「撤去や汚染拡散防止策に関し技術創出・革新のための基資料は何か」と質問したのに対し、「原爆実験のデータだ」との返答があったのが最も印象深く、またやり切れぬ思いもしました。
 第一原発では、3千人が廃炉作業に当たり、うち60パーセントの作業員が地元福島県の方だそうです。作業は、3号機の使用済み燃料取り出しが今秋開始の目途が立ったものの、1号機、2号機に関しては、今後2~3年を要する。3号機も含めた電炉底にあるデブリ(燃料が、冷却不足で溶け落ちたもの)は、その状況を把握するための調査が続いているようです。また一般的には、ロボットを使っての遠隔操作は、新たな技術の創出・革新から始まり、難航が予想されると言われています。頑張って欲しい。質疑応答終了後、私の関心先は、津波、水素爆発で傷ついた施設から、福島復興に希望を持ち、道筋のない廃炉作業に取り組む人々へと移っていました。
 困難な環境の中で、見通しの至難な作業に邁進する方々に神様の恵みが注がれますようにと祈られずにはいられません。

4月:「初金家族の会」からのお知らせ

「初金家族の会」からのお知らせ

 桜の花も散り終えた復活の金曜日、豊島神父さまより、四旬節教皇メッセージ、「不法がはびこるので、多くの人の愛が冷える」との言葉に関連して、次のようなお話がありました。
 「不信、疑うことは心のエネルギーを無駄に浪費し、愛は消えていきます。愛の復活には、十字架に祈ることが必要です。十字架に架けられてすべてを奪われ、極限の状況で人を赦したキリストの限りない愛に思いをいたし祈ることです。多摩教会の20年後について考えてみる必要があるのではないでしょうか。シニアからジュニアまで、平等に年をとり、深刻な問題に遭遇するとき、教会での祈りと秘跡により、信仰を深め、乗り切ることができます。
 教皇さまの言葉、『いっしょに旅をしよう』『豊かさを皆で享受し、共に豊かになっていこう』との意味が、今日の福音の中にあります。この福音の阻害要因となっている主要なものの中に、恐れ、不信、不安があります。これの克服には、皆が神に愛されていると感じることが必要です。いつも共に歩み、冷たい風から柔らかく暖かく包み込み、守ってくださる神の愛を感じさせるご聖体を受けましょう」

 ミサの後の「初金家族の会」、今回は、一品持ち寄り闇汁会でした。うどん、餅、肉類、菜の花や、名も知らぬ野菜、きのこ類などが微妙に調和した美味な闇汁に仕上がりました。闇汁を食べながら、教会の昔と今、今後どうなるかなどの歓談を楽しみました。
 多摩教会を設立した思いと情熱は、次の世代への遺産となってほしいものです。避けられない体の衰えを感じるシニア、教会を支えている壮年層、そしてみずみずしいジュニア、皆で共に、教皇さまの「いっしょに旅をしよう」との言葉をかみしめ、信仰家族のきずなを深めたいと感じたひとときでした。

 5月、初金ミサはありますが、家族の会は工事のため休会とし、次回は6月1日開催の予定です。
 「初金家族の会」は初金ミサのあと、信徒館で貴重な体験や希望を語り合い、信仰家族の絆を深め合う楽しい会です。皆様どうぞお気軽にお立ち寄り下さい。(11時ごろからです)

巻頭言:主任司祭 豊島 治「祝います」

祝います

主任司祭 豊島 治

 春一番も過ぎ、教会周辺は梅の香がひろがり、すぐ横の乞田川沿いの桜の蕾もふくらんでいます。多摩周辺の桜の開花宣言予定は3月22日、見頃は4月4日と報じられています。近くに桜並木が一望できるという場所はそう多くありません。多摩教会はそのひとつです。「桜の咲く時期に多摩教会にいきますね」と副都心に住んでおられる方がおっしゃいます。
 この春、京王線と小田急線のダイヤ改訂が行われ、新宿から教会最寄り駅のひとつ京王永山駅までノンストップ(所要時間24分)でいく京王ライナーが運行されました。またこの京王ライナーは聖蹟桜ヶ丘駅(同26分)方面へも運行しています。小田急線は多摩線に向かう列車を増発・最速化しています。どちらも多摩教会ミサ時間帯のための便宜には直接は寄与しませんが、各々多摩地域に対して人の動きを活性化したいという企業の思いが感じられます。

 桜の開花がそろうと思われる4月1日が今年の復活祭です。今年の復活祭は多摩教会第五代主任司祭の宮下良平神父さまにミサ主司式していただきます。今年司祭になられて25年を迎えられた宮下神父さまは、2003年までの多摩教会在任中聖堂建設や、その後の運営の基礎を作られた神父さまです。
 現在の聖堂は2000年に献堂されて今日に至ります。旅する教会として信徒のお家におじゃまして、主日のミサをささげはじめた今から46年前の1972年、それから拠点をうつして「マンション教会」へ、そして「聖堂をもつ教会(聖堂共同体)」として成ったのがこの時といえるのでしょう。

 あれから18年、多摩教会は大規模なメンテナンスの時期になりそうです。復活祭直後から片付けをはじめ、夏以降まで使わないものは仮倉庫に移しますのでご協力を願います。信徒総会で説明されていたとおり、4月中頃から空調の交換工事を行います。空調工事期間は5月いっぱいを予定していますが、延びることも考えられます。土曜日・日曜日・初金のミサは通常通り行えます。建物内駐車スペースは一階手前右側2台分が資材置き場となります。ご了承ください。
 月曜日から金曜日(初金を除く)は、工事関係者の出入りにともなう安全対策のため月曜日から金曜日の聖体訪問については、聖堂のいつものところでなく、構内別の場所に移します。時間などの制約が新たにあるかもしれませんが入り口掲示板などご確認のうえいらしてください。期間中の葬儀については現聖堂献堂まえまで使用していた多摩教会仮聖堂(現在のホール)で行うか、府中教会の聖堂で行うかを選んでいただきます。

 今回の空調ならびに聖堂における各メンテナンスはおよそ5年におよぶリサーチの上に成り立っています。「旅する教会時代」の方と近年の「教会家族」「福音宣言」のもと多摩教会に集い始めた方が、一緒にこのことを考えすすめてきました。そのおかげで、東京教区の法人本部にわたしたちの今後のことを的確に伝えることができました。
 わたしたちの聖堂全面に内包されている空調の馬力は16馬力のものが二台備わっていたのです。このお陰で外気の温度差をうけやすい聖堂内構造でもふさわしい温度設定が保てていたのでしょう。交換後も同じものとなります。

 この聖堂に集えることを今一度恵みとして感じることができるように、復活祭のミサでは加えてささげましょう。

寄稿:「四旬節福島巡礼の旅」

= 寄 稿 =
四旬節福島巡礼の旅

マグダラの聖マリア 優(ペンネーム)

 巡礼二日目、星野神父さま、豊島神父さま共同司式の朝ミサに与り、朝食を終えて、8時に宿泊地磐梯熱海を出発した一行は、まずエネルギー館に向かいました。全員が下車し、排除ゼロキャンペーン用の写真を撮った後、『原発見学組』をそこに残して、わたしたち『海に向かって祈る組』は、津波被害の大きかった宮城県山元町へ常磐道を北上します。山元町 I.C.近くのレストランで4人が下車し、海岸で採れた魚介類を使った丼物 「ほっきめし」 を食べました。
 そこから車で5分ほどのビニールハウスのいちご園で、待っていた4人と合流し海岸へ。途中津波で流された山下駅跡を車中から見て、普門寺近くでバスを降ります。津波の高さを示す数字が壁に記された建物と、流された高齢者施設の方々の名前が刻まれた慰霊碑がありました。
 小雨が降る中、被災者に向けた十字架の道行を祈りながら、震災後新設された『避難丘』に登りました。そこから初めて見た海は濃い鈍色をしていました。どこまでも続く高い堤防と、何もない辺り一帯は異様な光景でした。海に向かう道の両側には防風林の垣と小さな松が植えられており、作業をしている数人の方がおられたので、声をかけると、3月11日の慰霊祭翌日に植樹祭が行われるので、その準備で土を入れ替えているのだと話して下さいました。
 堤防に登って見た海は美しかった。雨も止み、群青色に輝く海は本当に綺麗でした。この穏やかな海があの日、大勢の人をのみ込んだことを思うと涙が止まりませんでした。波打ち際で十字架の道行き、主の祈り、アベマリアの祈りを唱えました。
 早春の温かい日が射してきましたが、風は強く、手袋を外して祈りの本をめくる手が直ぐにかじかんでしまうほどの寒さでした。
 そこで見た景色、色、風、匂い、そして自然の脅威を忘れることはないでしょう。 神に感謝。

津波はここ(矢印)まで来た
津波はここ(矢印)まで来た
 
津波の高さを示す布製のオブジェ@防災センター
津波の高さを示す布製のオブジェ@防災センター
 
海に向かって祈る
海に向かって祈る