洗礼を受けて(受洗者記念文集)

本田 静香(仮名)

 洗礼式におきましては、晴佐久神父様をはじめ、入門係の皆様、代親のS様、信者の皆様に大変お世話になり、どうもありがとうございました。おかげさまで無事、晴れやかな御復活の日に、受洗させていただくことができました。
 私は一昨年のクリスマスの頃より、カトリック多摩教会での御ミサに参加させていただいておりました。カトリックの教会に伺った経験があまりなく、御ミサの形式も良く分からず、ご迷惑をお掛けしていたかもしれません。時折ご指導を賜り、進ませていただいて参りました。

 一昨年は、東日本大震災があり、私は、離婚後の5年間を、当時まだ小学校5年生だった息子と共に、東京武蔵野市より宮城県に移住して住んでいたことがございます。もう10年以上前のことではございますが、私にとって第二の故郷ともいえる、東北の悲痛な姿に、大きな衝撃を受けました。
 在住中には、ホールや図書館、公民館、小学校と、ありとあらゆる場所で、シンガーソングライターとして、歌や語りでのコンサートをさせていただいておりました。
 T市に約2年、Y町に3年在住しておりました。純朴で温かい人々、あの美しい海や山々、田園風景に離婚後の傷心を持って在住し、どれだけ癒しを頂いたかと思うと、何か私にできる事をと考え、日々を過ごしてまいりました。シンガーソングライターとして活動させていただいていた関係で、住居もお借りできておりました。
 私のコンサートが復興の助けになるかどうかはわかりませんが、昨年、とにかく皆さんにお会いしようと思い、W町・Y町に伺わせていただきました。コンサートは、小規模なものではございますが、何とか今年も伺えたらと思っております。

 一昨年の震災の後、CDの販売をきっかけに、被災された方とのメールのやりとりをさせていただき、誠になんと言って励ましたらよいか、また私のような者で励ましになるのかと、パニックに陥りそうになりましたが、コンサートに伺い、実際にお会いできたら、何か私の方が励まされているような感じでした。
 昨年の、Y町仮設住宅の集会場と、W町Y館でのコンサートは、私のコンサート活動の中で、最も緊張したコンサートでした。まだ洗礼は受けておりませんでしたが、コンサートの最中何度も晴佐久神父様のお顔を思い浮かべ、歌わせていただきました。
 神様にお仕えになっていらっしゃる晴佐久神父様を具体的に思い浮かべることができることが、これほどありがたいことであるということを、あのコンサートで切実に知りました。

 神様を思い浮かべるのは、いざというとき、なかなか難しいことだと思えます。イエス様のことを思うことも、マリア様のことを思うこともできますし、大切で嬉しいことでありますが、晴佐久神父様は、私にとって非常にインパクトの強いお方であります。
 歌いながら、晴佐久神父様を思い浮かべると、何か少し笑みがこぼれます。泣きながら歌っていても、「そんなに泣かなくてもいいんじゃあないですか」とあの懐かしい柔らかいお声が聞こえてくるようでした。
 そんな訳で、何とか終了できたコンサートであり、すっかり震災で根性なしになっていた私は、晴佐久神父様の柔らかい御ミサで毎回救われております。

 私の日常の中でも、悲しい出来事は、震災の後も何度も訪れ、その度に晴佐久神父様や教会の皆様に相談させていただき、弱虫のうつ病になりかかりの私は助けていただいております。
 神様が私を愛してくださっているのだから、私も私をもっと好きになり、私を好きになれると、周りの人をもっと好きになれるのではないかと思えます。
 私も神様を愛してゆきたいと思い、洗礼を受けさせていただきました。勉強はこれからですので、失礼な表現がございましたらどうぞおゆるしください。
 稚拙な言葉で申し訳ございませんが、今の感想でございます。

父と子と聖霊のみ名によって アーメン

福音宣言(受洗者記念文集)

佐内 美香

 私は今、32年間の放蕩生活を経て、安心して父の家にいます。

 私がイエス・キリストに出会ったのは16歳の夏休みでした。
 映画「ナザレのイエス」を見てイエスの教えこそ私が求める生き方に必要な指針だと衝撃を受けました。その後、キリスト教(プロテスタント)の大学に進学し、そこで宗教部長に立候補し、学校内での礼拝を企画、進行、説教までして礼拝に出ない学生に、どうしたらキリスト教に興味を持ってもらえるのか、いつも考えていました。イエスの教えをどうしても伝えたかったからです。しかし、信者になることはできませんでした。私は「神」を完全に理解していない、イエス・キリストはあくまでも人間として尊敬していると考えていたからです。

 卒業後も相変わらず、キリスト教関連の本はよく読んでいましたが、教会に通うことは考えていませんでした。団体が苦手で「一人宗教」で良いと思っていました。結婚はもちろんキリスト教式で、出産するときに選んだ病院は「聖母病院」でした。キリスト教関係の施設は、私にとって居心地がよかったからです。
 娘たちの幼稚園を選ぶ基準もキリスト教教育をしているところでした。中学、高校も見学に行って、一目で気に入ったカトリック・ミッションスクールを選びました。

 ここでやっとカトリックとつながり、晴佐久神父様とつながったのです。そして晴佐久神父様の「神はあなたを愛しています。」という言葉を聴き、初めて私なんて神からしたら1/人類(人類分の1)の存在でしかないと思っていたのが、神対私=1対1であり、「あなた」とは「この私」であると自覚したのです。それでもまだ神の存在は霧がかかったような状態でした。決定的に心にひっかかるものがあったのです。

 「私には神の声が聴こえない」
 こんなに求めているのになぜだろう。私は初めて心から祈りました。その答えを神はある本の中に見つけるよう導いてくださいました。イグナチオの『霊操』です。神は外から来るものではなく、自分の中にいるというのです。自分の中の神―私は、私に現存する神の力を体験していました。ある日突然、私の心に浮かんできた受洗しようという気持ち、教会に行かなければという、マグマのように湧き上がってくる思い、あれは一体なんだったのか。
 「そうか、それが聖霊の働きだったのか」と気づいたのです。
 私は私の意志ではない何かに動かされてここまで来たのです。 32年かかりましたが、それは私に必要だった過程であり、神の方こそずっと私に語りかけ、働きかけ、私を求めてくださっていたのです。その気づきが「開心」です。今まで「回心」、神の方を向いていたかもしれませんが、心を開くことをしていなかったのです。
 それからの私の祈りは、お願いというよりも神について考え、神と1対1で対話することになりました。私が存在するのは神が求めてくださっている愛の証しです。その神の愛に応えて生きていきます。そしてこれからは体験者として福音宣言する者となります。

 晴佐久神父様、私を目覚めさせてくださりありがとうございました。
 入門係の皆さま、多摩教会の皆さまのご尽力に感謝いたします。
 そして神に感謝―

受洗への思い(受洗者記念文集)

マグダラのマリア・飛鳥(仮名)

 幼稚園から高校までの14年間、自分はカトリックの学校で過ごしました。
 幼稚園では「おいしいごちそう今日もまた、お与えくださる神様にみんなでお礼を申しましょう」という食前の歌が大好きでした。小学校では「右の肩には天使、左の肩には悪魔がいて、迷ったときは右の肩をたたいて天使に助けてもらいなさい」と教わりました。これは不思議なことですが、今でも思わずやってる自分がいます(笑)。
 5月はマリア様の月。良いことをすると百合の花のスタンプを押してもらえたっけ。友達とけんかしたり、先生に怒られたりしたときは、よくお御堂(みどう)に寄って、お祈りして「ごめんなさい」をして帰りました。人として生きるために大切な柱、道しるべがカトリックの教えだったように思います。

 中学校では卓球が大好きで、学校帰りには教会にあった卓球台でよく遊びました。そんなことがきっかけで、受験勉強が始まるまでの中学校3年間と高校1年までは、毎週日曜日にはミサに行くようになりました。「公教要理」の勉強にも通いながら、聖書を読んだり、知らない聖歌を教わるのがとても楽しかったことを覚えています。
 兄が小学校のときに洗礼を受けたので、よもや自分の受洗を両親が反対するなど思ってもいませんでした。「女は結婚するときに不利になる」ということが理由で、何回頼んでも結局許可はおりませんでした。一緒に講座を受けていた友達は、一人、また一人とみんな洗礼を受けることができました。当時、勉強部屋の本棚に小さな祭壇を作って、よくお祈りをしたものです。

 大学進学で東京で暮らすようになって、まったく教会に行くことはなくなりました。祈ることも忘れました。本当に長いこと、忘れていました。たくさんのつらいことがあってもお酒に酔うことや、なんやかんやですり抜けてこられたのですが、とうとう仕事人間だった私は、四面楚歌、どうにもこうにも、何をどう動けばよいのかわからず、立ち尽くすような困難に陥りました。娘の病気でした。まったく先の見通しが付かないまま、ただ体が動いているのみという日が何年も続きました。
 10年が過ぎようとする頃、通勤途中の車の中でマリア様に「助けてください」「助けてください」ただ、そればかり叫んでいる自分がいました。

 再び、祈りが帰ってきました。
 ちょうどその頃、高校の担任のシスターが「祈りはどこでもしていいのよ。神様はいつもあなたのそばにいらしゃいます。でも一度高円寺教会にいらっしゃい」と言われました。でもそれからも仕事や家族のことがあって、教会に行くことがないまま数年が過ぎました。
 ご縁があって多摩教会でミサに行きました。そのときに、神様の中で優しさに包まれるように溶けていく自分がいました。涙が止まらず、さらに、そばにはマリア様が寄り添っていてくださると感じることができました。そして、苦しんでいる大切な人のために祈ることも思い出しました。故郷にもどってきたような、祈りの時間が甦りました。
 晴佐久神父様の「大丈夫。もう大丈夫」とミサでおしゃった時も涙が止まりませんでした。今は天国におられる、担任のシスターが私に高円寺にいらっしゃいと言われたのは、この出会いだったのだと確信しました。

 あんなに夢に見た45年前の洗礼。真っ白なベール。すべてが新しくはじまりました。故郷、神様のもとで、また生まれることができました。
 感想?「うれしい! 天にも上る思い!」多摩教会の皆様とファミリーの仲間入りができて、本当にうれしいです。
 どうぞよろしくお願いします。

神様とわたし(受洗者記念文集)

奥野 英美(仮名)

 今、私は穏やかな平安と深い喜びを感じている。
 洗礼式の翌朝から私の目に映るすべてのものは温かく、樹木草花は一つひとつの輝きを感じさせてくれる。以前に増して世界が美しく変化した。神様が私と共にいてくださると胸の奥深く感じる事ができる。

 2013年3月30日の洗礼式が近づくにつれて、一つひとつ洗礼を決心して良かったという実感がありました。
 当日は、これから起きる未知の体験に緊張をしていました。私の前に名を呼ばれた方の(りん)とした返事に励まされ、私も「はい」と神様に向かって返事をしました。聖水をかけられているとき、「これで新しい私になれる」との思いでいっぱいでした。天に名を刻み、信仰を宣言し、これからは聖霊によってとりなしを受けられると心強く感じました。ぶどう酒にひたしたパンで生まれて初めての聖体を授かりました。ぶどう酒のおいしかったこと! 帰宅する頃には「古い自分が過ぎ去った」心の軽やかさを感じていました。
 翌日の復活の主日にて、聖体を受けたとき、晴佐久神父様が神様の器であるように感じられ、そのあまりに穏やかで愛に満ち満ちたまなざしに神の愛が伝わってきて、涙が溢れて止まりませんでした。
 聖堂で、新しい受洗者の紹介をされ、立って後ろを見ると、なんと沢山の方が祝福し拍手をしてくださっていたことでしょう。23年前の結婚式のときのように嬉しくて、私は神様と結婚したのだなと思いました。

 会社に行って仕事をしていても胸の中で讃美歌が流れ、時折とてつもないときめきと、一人静かにいるときは突然第三の涙が溢れてきました。
 これまでは、不快なことがあると自分の中の感情のざわつきに、他者の助けを得たい私がいましたが、聖霊にとりなしを、イエス様により頼み、私と共にいる神様に打ち明けます。すると感情と共に過ごした私の中の小さな子どもを自分で慰めることができるようになりました。何より「もう孤独ではない」と自分自身を励ますことができます。

 これまでの人生で、私は愛を求めた母からは思いやり、温かさ、慈しみを十分には感じられずに育ったと感じてきました。母は自分自身の人生で精いっぱいで、そんな中でも私と兄を育て上げてくださいました。若い頃、私は寂しくて、私を認め愛してくれる誰かがいると思っていました。しかし、外に求めても結果は期待どおりではありませんでした。
 今思い起こせば、神様は私の内にあって大事な選択をするときは「それはだめ」と内から発し、良いときは喜びを感じさせてくれていました。そして何度も聖書や教会へいざない、呼んでくださっていたのです。私が幸せになる機会を逃しても、このように私を一度も見捨てることなく何度も呼びかけて、導いて招き入れてくださいました。私の罪を赦し、「あなたはわたしの目に貴い」と言ってくださいます。

 天の父は御ひとり子、イエス・キリストによって全ての人を無条件の愛の内に招き入れてくださることを証しします。
 これからは、イエス様のみ言葉に従い、小さな我を捨て、この身を主にゆだねてお使いいただけるよう、この瞬間を生きていきます。

 天の父に感謝し、主イエス・キリストに感謝し、晴佐久昌英神父様の愛に心からお礼を申し上げます。そして、代母のHさん、一年間お支えくださった入門係の皆様、洗礼までの温かい思いやりを、ありがとうございました。
 洗礼式当日に私のために参列してくださった友人の方々にも、「皆さんが共に喜んでくださったことが、とてもとても嬉しかった」とお伝えし、両親兄弟を含むすべての方々に、今日も命を頂いて皆様と共に生きていることに、心から感謝を申し上げます。本当にありがとうございました。

導かれて(受洗者記念文集)

谷合 伸子

 今、私の中で『無名兵士の祈り』の詩が浮かんできます。

 「 求めたものは一つとして与えられなかったが、
   願いは、すべて聞き届けられた。
   神の意に、沿わぬものであるにもかかわらず、
   心の中の言い表せない、祈りは、すべてかなえられた。
   私はあらゆる人の中で、もっとも豊かに祝福された 」

 これまで生きてくることに行き詰まり、人々の中で息苦しく、いつも寂しさを抱えていました。
 両親からは跡継ぎを言われ続け、姉夫婦ともその問題も含め、軋轢(あつれき)が生じ、私の心は八方ふさがりでした。結婚してからもこれは続き、やがて子どもたち3人と家を出、新しい生活を始めてからはもっと自分を萎縮させ、自分を捨てて過ごしました。
 「これを続けていたら、私は人間ではなくなる」、そんなところまで行き着いて、やっと私はそこをも離れる決心をしました。本当にボロボロになっていました。再出発をしたそのとき、長男が亡くなりました。長男を失い、出口のないトンネルの中を彷徨(さまよ)っているようでした。

 「生きていくのは、もういい」、そう漏らした私に、ある方が次のような手紙を下さいました。
 「その思いは大切にしてください。それは、心に十分な休息を今持たせてやること。心を休めることは、静かな心の状態を持つことです。静かな心は『聖なる心』と言われています。この気持ちに自分を持っていくことで、だんだんと外の世界に煩わされなくなります。そして、恐怖、不安の感情は常に幻想に基づいていることを忘れずにいてください」。
 初めてこのような内容を目にしたとき、こんなことが私にできるだろうかと絶望的ではありましたが、ここから私の自分探しの旅が始まったのだと思います。

 それからまた数年し、「『神と出会う』とはどういうことだろう?」「『神が私の親である』と実感するにはどうしたらいいのだろう?」と、強く願うようになりました。
 導かれて、この多摩教会に足を踏み入れたのです。
 「ここはあなたの家庭です。ここにいる人々はみんなあなたの家族です」、晴佐久神父様の最初のことばです。
 私はずっと自分の居場所を求めていました。教会に身を置いていると、はっきり、ここが私の居場所なのだと感ずることができました。そして、私の疑問には、福音を聴くことだと答えてくださいました。
 金曜日の夜、永山の駅から教会までの道を、いつも花々を楽しみながら、夏には日陰を求め、秋には爽やかな空気を吸い、寒さの冬も手袋とマフラーで足取りも軽く通いました。振り返ると教会に通い始めたとき、ちょうど膝の炎症で歩くことが困難だったため、この距離を通えるのだろうかと心配していたにもかかわらず、帰り道は思わずスキップして帰ったのだと話して笑われたことを思い出しました。
 この一年、体調と環境に煩わされることなく通うことができたのは、大きな恵みでした。

 この度、洗礼のお祝いを頂き、いかに周りの人々が私を支えていてくれたのかを知り、温かく深いものを感じ取り、しみじみと味わいました。
 入門係の皆様、代母のMさん、教会でまだまごついている私に寄り添ってくださった方々、ありがとうございました。私の人生は、本当に多くの人たちの私の魂に響く力に支えられていたのだと感謝するばかりです。
 晴佐久神父様は、一人ひとりに向き合って対話して下さいました。私という一人の人間に向き合って受け止めてくださいました。「あぁ、大変だったね」この言葉は、どんなに私の深いところまで届いて癒してくれる言葉だったことでしょう。私自身を大切にしてもらうという幸せな思いを実感して、嬉しい、満たされる体験をしました。
 入門講座の中では、ただ涙が溢れ胸がつまるときには、穏やかな、なんともいえない平安な心持ちがしました。このしみじみとした幸せ感を味わうために教会に通っていたのです。

 神様がすべてリセットして新たにしてくださったということを思い起こし、前のものに全身を向けつつ、新しく生き直す人生を始めたいと思います。

洗礼までの道のり(受洗者記念文集)

レイマン(仮名)

 初めて多摩教会に縁があるようになって、5カ月が過ぎました。しかし、いまだ実感が湧きません。

 ある日、川原を歩いていると、何ものかに吸い込まれるように、体が自然とある建物の中に入っていきました。気が付くとそれは多摩教会でした。
 入り口で入門係の人にミサの時間を案内され、信徒館の慣れない空気の中、ミサとは、どういうものなのか気になり、待つことにしました。
 ミサが始まり、晴佐久神父様の入場と共に、周りの皆が、神父様に引き寄せられたように感じました。いよいよ神父様のお説教が始まりました。初めて聞く私にも、大変わかりやすく、心地よく聞くことができました。今の自分の居場所はここだと思いました。
 すがすがしい思いの中でミサが終わり、神父様と一対一の会話になったとき、何ともいえないオーラに威圧されました。神父様からひと言、「気になる奴」と、強い言葉で言われ、ミサ初日は終わりました。

 それをきっかけに多摩教会に行くことになりました。毎週金・土の入門講座やミサに参加することで、いろいろな方々とコミュニケーションを取ることができるようになりました。また、いろいろなイベントを通して仲間もできました。
 今では、教会が、私の生活の一部になっています。

 今回、洗礼を受けたことで、カトリック信者として、より信仰を深め、神父様や教会の皆様に感謝の心を持ちながら、生活したいと思います。「父と子と聖霊のみ名によって。アーメン」と、十字を切ることの喜びと感謝の気持ちで生きていきたいと思います。
 まだまだ未熟な私ですが、今後ともどうぞ宜しくお願い致します。

洗礼(受洗者記念文集)

有働 洋平(仮名)

 ある日、蟻は考えた。
 教会へ行こう。教会へ行ってミサにあずかろう。

 で、その日曜日に、バスから、大きな看板の見えるカトリック多摩教会へ行った。乞田川沿いの桜の美しく咲く頃であった。
 蟻が、ゴッタ返す人間が行き交う教会の前に立ったのは、10時ちょっと前。踏みつぶされないように苦心しながら、聖堂にほとんどよじ登るようにして上がって、「聖書と典礼」を受け付けでもらってから、祭壇の左側に座った。さすがに、気がひけて前にドーンと座る勇気がなかったから。

 ミサが始まって聖歌を歌い、神父様のお説教を聴き、聴いている内に頭が混乱してきてよくわからなかったが、神父様が説教壇の上に指を立てて
 「あなたは救われている!」
 「神はあなたを愛している!」
 と、力強く陽気に明るく宣言されたので、メモを取っておいた。

 蟻は後日、蟻なりの道をたどって、洗礼を受ける決意をした。
 どんな道をたどり、どんな思いをおい、どんな苦しみの中を歩かなければならなかったかは、言うまい。
 ただ、蟻は幸福であった。

 蟻は、洗礼式を5日後に控え、ボールペンを持って、洗礼式の後に出す作文の構想を練っている。
 彼は、洗礼式に行き着くであろうか。

 ハレルヤ25人の友、
 ハレルヤ入門コースの皆さん。

生まれ直す(受洗者記念文集)

桃井 尚美(仮名)

 ついに受洗しました。
 ここまで導いてくださったことに、心から感謝いたします。
 準備期間中も十分に幸せでしたが、正式に教会家族に迎え入れていただけたこと、それがこんなにもあたたかく安心で、幸せなことだとは・・・。

 昨年の末に教会へ飛び込み、約3カ月。思えばあっという間でしたが、その短い期間で私の世界はガラリと変わりました。
 以前までは、どんなこともどうにかして前向きに捉えようと努めてきましたが、今では「すべては神様の御心。天国へとつながっている」と思うだけで少しも辛くありません。「御心が行われますように」、心からそう思ったときに初めて、自分がたくさんのものを背負い込んでいたことに気付きました。

 すべてを神様の御手に委ねて、軽くなって、こんなにあたたかくて、今、本当に幸せです。
 これから神様のそばを離れることなく歩んで行くことができますように。