平田 和美(仮名)
いつもの場所で待ち合わせをした場所に、彼はいつものいたずら少年のような笑顔で立っていて手をあげました。
「いやー、仕事が忙しくてさ、昨夜から何も食べてないからお腹空いたよ」
本当はもういないはずなのに…。
「何言ってるの、皆が心配してるのよ、もう勝手にどこかに行ったらダメじゃない」
「悪い、悪い、わかったよ」
「まったく、本当にわかってるの…?」
そう文句を言いながら、彼の腕をつかまえました。
「よかった、間に合った!」安堵が私を包んだ瞬間、目が覚めました。
夢……「間に合わなかった…」
思わず涙が溢れ出ました。「なぜ、手を離してしまったのか…」
1週間前のあの日、彼はひとり、旅立ちました。誰にも何も言わず。
この時、初めて心の中で尋ねました。
「神様、私はどうしたらいいですか…」
会社との経済的なトラブルに巻き込まれ、人の心の醜さを目の当たりにするようなことが続き、失意のまま地方から東京に戻った私たちが体験したのは、更に、信じていた会社の先輩や友人たちの追い打ちをかけるような言葉や態度でした。
私は人を信じることができなくなり、自然と彼との仲もうまくいかなくなり、しばらく離れて気持ちを落ち着かせようということになりました。
そんな時に私は体調の不調を感じ、病院にいくと即手術を勧められました。病名は「卵巣膿腫」。良性の腫瘍ですが、あまりの大きさに、悪性の可能性もないとは言い切れないとのことでした。幸い、悪性のものは発見されませんでしたが、結局仕事を辞めざるを得なくなりました。
「なんで、何もうまくいかないんだろうね」
時々、会って相談に乗ってくれた彼に、私はいつも愚痴ばかりこぼしていました。
「僕たちはもう、若くはないんだよ。あせらずに落ち着いて働ける仕事を探してみたらいい」
彼の言うことはもっともだと思いましたが、彼の言葉さえも、また、素直に受け止められなくなっていました。
それから数年、心の中にわだかまりも抱えつつも現在の仕事につき、ようやく心の中に落ち着きを取り戻し、偶然にも彼の会社の近所に仕事が決まりました。
彼はとても喜び、
「近いのだからすぐに会えるじゃないか、落ち着いたらやり直そうよ」
私もできるなら、それを一番望んでいました。贅沢などできなくてもいいから、休みの日には好きな料理を作って、ふたりでのんびり暮らせたらいいと思えるようにようやくなっていました。
そして、去年の震災当日、会社に避難していた私を迎えに来てくれた時、こんな時に気を掛けてくれたと本当にうれしかったのです。
でもそれが、彼を見た最後となるとは思いもよりませんでした。震災後の交通混乱などが続き、落ち着いたらまた会おうと約束をしてしばらくして思わぬ知らせが届きました。
彼が亡くなったとの知らせでした。
暗闇に突き落とされる、そんな感じがしました。ただ、年老いた義父がいたため、亡くなったのは義父ではないかと情報が錯綜し、混乱の中彼の実家に行くと、出迎えてくれたのは義父でした。部屋の中には白い布で包まれた小さな箱がひとつ置かれていました。
1カ月ほど茫然自失の状態が続き、思わず車の前に飛び出したり、夜の街を気がつくと何時間も歩き回って、彼の姿を追っていました。
「会社の経営サイドに携わると、どうしても言えないこともでてくるんだ。君に心配も掛けたくなかったかもしれない。今は、ようやく楽になったと思ってあげたらどうだろう」
事情を打ち明けた上司から、そんな言葉をかけてもらいました。
「楽になった」という言葉が心に残り、そこまで苦しんでいる彼の気持ちを理解できなかった私は、自分を責めることしかできませんでした。
しばらくして、新聞の記事に目がとまりました。東日本大震災の復興に関わることになったとある政治家の記事に、クリスチャンの友人から送られた言葉として「平和の祈りの一節」が載っていました。
慰められることより、慰めることを
理解されることより、理解することを
愛されるより、愛することを望ませてください
この言葉が私の心に突き刺さりました。いつしか傲慢になり、相手を思いやることを忘れてしまっていたのでは、そう思ったのです。
すぐにパソコンでアシジのフランシスコを検索し、保護聖人としている教会を探しました。偶然にも、会社の近くで入門講座を開いている教会が見つかりました。日を置かず教会を訪れると、修道会の教会でお御堂の上にはマリア様が上から迎えてくださっていました。
「ようやく、ここまで来ましたね」
そんな風に声をかけていただいたような気がして、目の前のベンチで泣き崩れました。
それから、1日も休まず講座に通い、修道院の教会だったこともありミサの30分前から始まるお祈りにも与(あずか)り、聖母月にはできるだけロザリオの祈りにも参加しました。
ミサに与っているうちに少しずつ気持ちが落ち着いてきたのですが、心の中のもやもやとしたものは、なかなか消えませんでした。
そんなある日、仲良くなった教会のお友達から「いやしのミサ」があるということを聞き、「こちらのお話の方が、あなたには合っているかもしれないよ」と誘われて、参加をさせていただきました。他の神父様のお話を聞くのはこれが最初で、緊張をしてミサの始まりをまっていましたが、神父様のお話が始まった途端、私の心にわだかまっていたものが、少しずつ溶けていくのを感じました。
こんな罪深い自分でも、イエス様は心に留めてくださっている。
イエス様の望む完全な人間でなくても、愛してくださっている。
皆、同じような苦しみや悲しみを抱えても、慈しんでくださっている。
目からうろこが落ちたような気がしました。そして、それから神父様のお話に引き込まれ、あっという間にミサが終わりました。
もっと、この神父様、晴佐久神父様のお話が聞きたいと思い、その後2、3カ月の「お帰りミサ」に参加させていただいて、私は決心しました。
洗礼まで数カ月、ましてや遠距離からなので、ミサに参加させていただけるかどうか 私のわがままになってしまうかもしれないけれど、ぜひ多摩教会で洗礼を受けさせていただきたいと…。
12月の子供たちのお芝居を拝見し、ますますその気持ちを強くし、そして明けてお正月、入門係の方に思い切ってお話を切り出したところ、神父様との面談の機会をいただけることとなりました。
初めてお会いしたにもかかわらず、要領の得ない私の話をずっと聴いてくださり、気がついたときには2時間近くたっていました。ずうずうしいお願いかと思いましたが、神父様は洗礼を許可してくださいました。
「今、彼はイエス様のもと、天国できっと幸せに暮らしています。次はあなたが新しい人生を幸せに暮らすことを望んでいると思いますよ。そうなるように、神様はここに来るようになさったんですよ。洗礼の頃は桜の季節ですね。笑顔で桜を見られるようになりましょう」
・・・涙が溢れて止まりませんでした。
今、心の波が揺れることも多々ありますが、洗礼によって小さくともった神様の灯の温かさを少しずつ感じています。
この、小さな希望の灯で心の目をくすませることなく、彼のために祈りながら第二の自分の歩き方をイエス様に導かれたら良いなと思っています。
多摩教会の入門係の方、教会の先輩方そしてクリスチャンの先輩の友人、そして晴佐久神父様に改めて御礼を申し上げたいと思います。
ここまで導かれたのはイエス様のお計らいでしょう。でも、その私を側で力強く支えてくださったのは、大勢の方の優しさと愛だと思います。
以前の私でしたら、そこまで思いが至らなかったと思いますが、今は感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。