巻頭言:主任司祭 晴佐久昌英 神父

あなたも同じようにしなさい

主任司祭 晴佐久 昌英神父

 先月のニューズで、2010年度の多摩教会のスローガンである「砂漠のオアシスとなる教会をめざして」に関して、「オアシスに行ったことがある人はそう多くはないだろう、もちろんわたしもそうだ」というようなことを書きましたが、なんと早速、本物のオアシスに行くという偶然に恵まれました。このたびの聖地巡礼旅行の途中、聖書の町エリコに寄ったのですが、そこは実は古代からのオアシスの町だったのです。聖地が荒れ野であるとは知っていましたが、そこに本物のオアシスがあるとは思っていなかったので驚かされましたが、期せずして大変良い黙想の機会となりました。

 エリコはその温暖な気候と豊富な水のために古くから栄えた町で、紀元前7800年ころに人が住んでいたという遺跡があり、城壁を持つ世界最古の町とも言われています。海抜下260メートルにあって、世界で最も低い所にある町としても有名です。
 緑豊かなガリラヤ地方からエルサレムを目指して南下していくと、乾燥して白茶けた荒野が延々と続きますが、エルサレムまであと25キロというところで、忽然と緑の町エリコが現れます。椰子の木が茂り、色とりどりの花も咲いて、それはまさに荒れ野のオアシスそのものでした。そこからは高地のエルサレムまでほとんど上り坂ですから、旅人は必ずこのエリコで休んだことでしょう。現在はパレスチナ自治区ですが、観光に力を入れているとのことで、街の入り口にカジノつきの壮麗なリゾートホテルを建設中でした。要するにこの町は、1万年前から今に至るまでリゾートだったというわけです。
 イエスもエルサレムに向う途中、エリコに立ち寄っています。そのとき、イエスがエリコの町に入ろうとすると、道端の盲人が「わたしを憐れんでください」と叫び、「主よ、目が見えるようになりたいのです」と願います。イエスは言いました。「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを救った。」盲人はたちまち見えるようになり、神をほめたたえてイエスに従います。(ルカ18・35-43参照)この幸いな盲人は、開いた目で、美しいオアシスの町エリコをどのような思いで眺めたことでしょうか。
 そうしてエリコの町に入ると、罪人と言われていた徴税人の頭で、金持ちのザアカイという名の男が、イエスを一目見ようといちじく桑の木に登りました。イエスはその下まで来ると、ザアカイに声をかけます。「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」ザアカイは木から飛び降り、喜んでイエスを家に迎えました。おそらくご馳走を並べたことでしょう。人々は「あんな罪人の家に泊まった」と非難しますが、イエスは言います。「今日、救いがこの家を訪れた。わたしは、失われたものを捜して救うために来たのである。」、と。(ルカ19・1-10参照)現在もエリコの町のまん中に「ザアカイの木」と呼ばれるいちじく桑の古木があって、言われてみればまことに登りやすそうな枝振りで、当時を彷彿とさせています。
 このあとイエスはエリコからエルサレムに上って行きますが、エルサレムでは祭司長や律法学者たちとの決定的な対立があり、そのまま十字架上で野死を迎えるわけですから、イエスと弟子たちにとって、エリコは最後の安息の地となったということになります。

 不毛の荒れ野の只中にある、いのちあふれるオアシス。そのイメージは、魂の世界でこそ輝きを放ちます。恐れと不信、争いと絶望の魂の荒れ野の只中に、神のことばが凛と響く。「見えるようになれ」「あなたの信仰があなたを救った」「今日はぜひあなたの家に泊まりたい」「今日、救いがこの家を訪れた」。そのような福音のあふれるところこそが、現代のオアシスであり、人生の途上でだれもが立ち寄るべき救いの泉です。傷つき倒れている人、闇の底で死に掛けている人を見かけたら、何をおいてもまず、魂のオアシスに連れて行くべきです。
 有名な「善いサマリア人のたとえ」(ルカ10・25-37)では、イエスはその舞台を次のように設定しています。「ある人がエルサレムからエリコへ下っていく途中、追いはぎに襲われた。追いはぎはその人の服をはぎ取り、殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。」
 その後の展開はご存知でしょう。通りかかった祭司もレビ人も、倒れているこの同胞のユダヤ人を無視して通り過ぎますが、日ごろユダヤ人から蔑視されていた一人のサマリア人だけが、彼を憐れに思って助け起こし、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱します。「エリコへ下っていく途中」のできごとというのですから、その宿屋はエリコにあると考えるのが自然でしょう。つまりこのサマリア人は、死に掛けていた旅人を、まさしくいのち吹き返すオアシスへ連れて行ったのです。
 イエスはたとえ話をこう結びます。「行って、あなたも同じようにしなさい」。

巻頭言:主任司祭 晴佐久昌英 神父

わたしがオアシス

主任司祭 晴佐久 昌英神父

 オアシスというところに実際に行ったことがあるという人は、そう多くはいないでしょう。おそらく、ほとんどの人はそれぞれ自分なりのオアシスのイメージを持っているだけで、現実のオアシスを知らないのではないでしょうか。もちろん、わたしもそうです。まず思い浮かぶのは、砂漠の中にヤシの木が生えていて、井戸端でラクダが休んでいるのどかな光景です。
 現実のオアシスがどのようなものであるかは実際に住んでみなければわからないことでしょうが、おそらくは、そんなのどかな憩いの場所であると同時に、結構しばしば命がけの現場となっているのではないでしょうか。突然襲う砂嵐の中、命からがらオアシスにたどり着く隊商にとって、そこは単なる休憩所ではなく、時には生死を分かつ避難所でもあるはずです。そんな時はオアシスで迎える側の意識も「よろしかったらどうぞ」などという悠長なものではなく、「おーいここだ! 早く来い」というような、必死な思いであるのは当然のことです。

 先日の信徒総会で、多摩教会2010年のスローガンを「砂漠のオアシスとなる教会をめざして」とすることが了承されました。先月号でも触れたとおり、岡田大司教が日ごろから強調していることでもあり、教会の本質を端的に示すイメージとして、わたしたちの教会のスローガンにとてもふさわしいと思います。
 ただしそのオアシスは、単に「ちょっとひとやすみ」的な、のどかな休憩所のイメージだけでは足りないのではないか。まずはそういう要素も必要だけれど、それにとどまらず、魂の命の死にかけた人々をぎりぎりのところで救う、緊急避難所としての役割もイメージするべきではないでしょうか。
 岡田大司教は東京教区ニュースの2月号で、「多くの人が生きがいを失っている、自死を遂げる人が減らないという状況を前に、本当に教会がオアシスの役割を果たさなければならないことを痛感しています」と語っておられます。確かに現代社会の非人間的現状は、もはや待ったなしの緊急事態であり、その意味では、現代ほど教会が必要とされている時代はないとさえ言える状況なのです。

 イエスの時代にも似たような状況がありました。だからこそ、その時代、その地域にイエスが遣わされたとも言えるでしょう。非人間的な状況下、多くの人が希望を持てずに苦しんでいる中、イエスは宣言します。「わたしが与える水を飲むものは決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る」(ヨハネ4・14)。これは言うなれば、「わたしがオアシスだ」と言っているようなものです。
 事実、イエスの語る福音とイエスの愛のわざは、神の愛と魂の救いに渇き切っていた民衆に、灼熱の砂漠の真ん中で冷たい泉に出会ったような感動と喜びをもたらしたのでした。そうして「歩くオアシス」として町や村を全力で巡るイエスの意識は、決して悠長なものではなかったはず。なにしろ、目の前に大勢の神の子たちが倒れているのです。一刻も早く、一人でも多くこの「永遠の命にいたる水」を飲ませたいという切羽詰った必死の思いがあったことは間違いありません。そのイエスの愛は、イエスの死と復活によってキリストの弟子たちに受け継がれ、いまやすべてのキリスト者が「わたしがオアシスだ」という自覚と誇りを持って現代の荒野に遣わされているのです。「一杯の水を飲ませてくれる者は、必ずその報いを受ける」(マルコ9・41)

 「砂漠のオアシスとなる教会をめざして」というスローガンを、単に建物としての教会や、組織としての教会とイメージして、訪れる人をおもてなしする教会として捉えるだけでは片手落ちです。まずは、このわたしが教会の一部であるという事実のもと、「わたしがオアシスとなる」という自覚と誇りが必要です。それはしかし、決して大変なことでも不可能なことでもありません。わたしは神に選ばれ、キリストが宿っているという信仰さえあれば、だれにでも出来ることです。
 「永遠の命に至る水」は、人間が作り出すものでも、人間が与えるものでもありません。それは神からあふれだし、キリストによって注がれ、キリスト者から流れ出すものです。ですから、ともかくも神の愛を信じて目の前の一人にかかわることこそがすべての出発点なのです。神のわざなのですから、だれでも必ずオアシスになれますし、実はすでになっています。考えてみればすごいことだと思いませんか。これほど救いの見えにくい、生きるのが困難な世の中にあって、わたしたちキリスト者は確実に人を救えるのです。
 目の前に倒れた旅人がいるとき、どうしたらいいのでしょうか。
 「この人にはオアシスが必要だ」と気付く人は銅メダル。「オアシスに連れて行こう」と決心する人は銀メダル。「わたしがオアシスだ」と信じる人が金メダルです。

巻頭言:主任司祭 晴佐久昌英 神父

荒れ野で福音宣言

主任司祭 晴佐久 昌英神父

 多摩カトリックニューズにこうして巻頭言を書くことは主任司祭として当然の務めではありますが、わたしにとってはそれ以上の特別な意味があります。今号で第437号になるこのニューズですが、かつてわたしは、その第1号から117号までを一冊の本にする際の装丁を担当したのです。本文の活字組や扉のイラストから表紙の紙質までデザインし、117の巻頭言全てにカットを描き、そのためにすべての文章を何度も読んでは想を練ったものです。今から27年前、まだ神学生のころです。
 本のタイトルは「荒れ野から」。著者はいうまでもなく、初代主任司祭である寺西英夫神父であり、彼が司祭叙階銀祝記念として出版したものです。わたしが装丁を頼まれた理由は、以前美校で編集デザインを学んでいたということもありますが、何よりもわたしが多摩地区の教会の青年活動で寺西師の影響を受けて神学校に入った者であり、多摩教会にも深い関わりを持っていたからです。実際、この本の175ページには師とも親しかったわたしの父の死にあたって書いた詩が載っていますし、228ページには神学生であるわたしに言及した文章も出てきます。ともあれ、この本に出てくる出来事の数々はわたし自身も体験したことであるため、出来事の本質を見抜こうとする師の見方からは多くを学ばされました。多摩カトリックニューズの巻頭言は、召命を受ける前後のわたしにとって、荒れ野を旅する教会の本質を自らの出来事と重ねつつ学んでいく格好の教科書でもあったのです。

 かく言うわたしも銀祝が近づき、気付けば「荒れ野から」出版時の寺西師の歳になり、あろうことか多摩教会の主任として多摩カトリックニューズの巻頭言を書いているではありませんか。これが単なる偶然ではなく摂理であるのは当然のことで、神様が多摩教会をいっそう多摩教会にしていくために、なすべきことをなしておられるということではないでしょうか。つまりわたしは、聖堂がまだ関戸ビルの2DKだったころから足繁く出入りし、多摩教会という出来事の証し人とされ、教会の本質がなんであるかを目の当りにしてきたものとしてここへ遣わされてきたということです。
 「多摩教会をいっそう多摩教会にしていく」とは、荒れ野で旅する教会として聖堂も持たずに設立され、だからこそ教会の本質である「福音を信じ福音を宣言する集会」としての教会を目指して苦労を重ねてきたという、多摩教会の恵まれた特質を再確認して再出発するということです。
 「荒れ野から」の37ページにはこうあります。「2DKの小さな家では、(略)ミサ以外の時に訪ねてきた人は『これが教会ですか』という顔をする。しかし、これこそ教会の『はだか』の姿なのである。教会とは『キリストを信じるわたしたち』のことであって、そのわたしたちは『キリストの証しされた神の国(神の愛がすべてにしみとおって実現する状態)の到来を、この世にあって受け継ぎ、伝えて行く弟子たちの集り』にほかならない。(略)わたしたちは信じているのである。キリストの証しが、はだかの十字架からの復活によって行われたことを。教会は、その証しを続けていくものであることを。いずれ多摩教会も、少しづつ着物を着ていくことであろう。しかし、常にはだかのキリストを忘れないでいたいと思う。」

 次々と着物を着て、多摩教会は今年献堂10周年を迎えました。いまこそ、なにもないところからすべてをお始めになる神のわざに信頼し、「はだかのキリスト」に立ち帰る節目です。働くのは神です。神が福音を語っているのだから、わたしたちも共に語るのです。どれほど建物が立派でも、福音を語る者が集うのでなければそこはキリストの教会ではありえません。師の言うとおり、「キリストを信じるわたしたち」として「神の国の到来をこの世で伝える弟子たちの集り」でなければなりません。
 岡田大司教様は、ことあるごとに「教会はオアシスであるべき」と語っています。多摩ニュータウンも30年前に比べればずいぶん立派になりましたが、その中身は当時よりいっそう荒れ野化しています。多摩教会こそはまさに旅するオアシスとなり、救いを求めて渇ききった人々に福音を飲ませる教会とならなければなりません。この一年、「荒れ野で福音宣言する集会」をめざしましょう。荒れ野の旅はまだ始まったばかりです。

2009年バックナンバー

ご覧になりたい各月号をクリックしてください

2009年


12月号

(No.436)

2009.12.19

神に触れられて晴佐久 昌英 神父
米国(?)雑感高橋 英海
「信仰と光」のミサ加藤 幸子


11月号

(No.435)

2009.11.21

天国的な会食晴佐久 昌英 神父
感謝 感謝北村 勝彦・真美
ロアゼール神父様司祭叙階金祝おめでとうございます北村 司郎
足が痛くてミサで立っていられない!石塚 時雄


10月号

(No.434)

2009.10.17

教会ショップ「アンジェラ」晴佐久 昌英 神父
友を知り、自分を知り、キリストを知る塚本 博幸
教区こどものミサに参加して塚本 清


9月号

(No.433)

2009.9.19

本物のよろこび晴佐久 昌英 神父
野尻湖中高生キャンプに参加して安部 風紗子
徳見 優
石綿 凌
河野 光浩
ホームページセミナーに参加して思うこと松原 睦


8月号

(No.432)

2009.8.22

天国の応接室晴佐久 昌英 神父
教会学校の合宿に参加して塚本 清
病床訪問チームからのお知らせ塚本 清
合宿の感想文


7月号

(No.431)

2009.7.18

病床も聖堂晴佐久 昌英 神父
初聖体の感想時龍也・南條効子
次男の洗礼松口 嘉之


6月号

(No.430)

2009.6.29

天国の入門講座晴佐久 昌英 神父
多摩修道院の近況多摩修道院
初聖体を受けて
教会学校の遠足に参加して塚本 清


5月号

(No.429)

2010.5.16

天国の受付晴佐久 昌英 神父
晴佐久神父様 よろしくお願いいたします竹内 秀弥
孫たちの洗礼小島 圭子


4月号

(No.428)

2009.4.18

はじめまして晴佐久 昌英 神父
聖堂建設資金返済完了を祝して井上 信一
洗礼の日を迎えて小塚 和恵
伊藤淳助祭の叙階式加藤 泰彦


3月号

(No.427)

2009.3.14

主イエスと出会い、再び会うために〔二〕加藤 豊 神父
恵み多き6年間岩藤 大和
感謝の言葉新谷 ときわ
お体に気をつけてお過ごし下さい増島 亮
送辞塚本 博幸
体には気をつけて下さいね宿里 春奈


2月号

(No.426)

2009.2.21

神殿の境内で加藤 豊 神父
よろしくお願いします。竹内 秀弥
任期を終えて吉田 雨衣夫
チースリク神父様のこと佐倉 リン子


1月号

(No.425)

2009.1.24

主イエスと出会い、再び出会うために加藤 豊 神父
聖堂の屋根及び外壁改修工事のこと竹内 秀弥

 

巻頭言:主任司祭 晴佐久昌英 神父

神に触れられて

主任司祭 晴佐久 昌英神父

 私は姉と弟の三人兄弟の真ん中ですが、実はその下に、生後80日で亡くなった弟がいました。私はすでに中学生でしたので、その誕生と死を良く覚えています。それはそれは小さくて、かわいくて、かわいそうな命でした。
 かわいそうというのは、単に短い命だったからというだけではありません。この弟は、一度も母親に抱かれることがなかったのです。当時母は結核を患っていたため、母子感染を防ぐ必要があり、生まれてすぐに母親と引き離されてしまったからです。
 結局、弟はわが家では育てることはできず、母が完治するまで近くの乳児院に預けることになりました。学校帰りに会いに行っては抱かせてもらったりして、早く大きくなれよという気持ちでしたが、ある日突然、亡くなったという連絡が来たのです。乳児にはよくある突然死だという説明でしたが、私は今でも心の奥ではこう思っているのです。「弟は、さみしくて死んだ」と。

 今でこそ乳児の健康と成長にスキンシップが重要な役割を果たしていることは常識ですが、40年前の乳児院では、赤ん坊はミルクを与えて寝かせておけばいいという感じで、特に抱いたりあやしたりする様子ではありませんでした。数名の職員が忙しそうにしているばかりで、泣いてもすぐに対応してくれるわけではなく、泣き続けている赤ん坊もいたりしたのですが、そんなものかなと思っていたのです。
 しかし赤ん坊にとって抱かれることや、あやされることは、自らの存在意義に関る大問題です。とりわけ、母親の優しい笑顔に見守られ、母親の暖かい声に語りかけられ、母親の柔らかな胸で眠ることは、人はまさにそのために生まれてきたというような重要なことであるはずであり、それが与えられないことこそが究極のストレスなのではないでしょうか。弟にとっては、きっとさみしい80日だったのではないかと思うと、もう少しなんとかできなかったものかと、今でも胸が痛みます。
 母は入院先で息子の死を知りました。突然何かを告げに来た父の苦渋の表情を見ただけで、ああ、息子がだめだったんだと分かったそうです。その時の母の胸のうちを考えるといっそう心が痛みますが、思えばその母も今は天国にいるわけで、ようやくわが子を思い切り抱きしめていることでしょう。わが子に触れること、それは親という存在の究極の願いであり、母親に触れられること、それは子という存在の絶対の原点なのです。

 神と人の関係も同じように、いや、人間の親子関係以上に、そのような究極の願いと絶対の原点で成立しています。神は人に触れたいし、人は神に触れられたい。神は人に触れるために人を生んだのだし、人は神に触れられて初めて生きるものとなり、自分自身になれる。神に触れてもらえないことは、人間にとって死を意味するのです。
 だから、神は人に触れました。それが、クリスマスです。
 イエスとは神の指先であり、イエスがこの世界内に誕生したということは、神がこの世界に触れたということに他なりません。神に触れられて、この世界は生きるものとなりました。この世界は、その根本の意味において死を克服したのです。人間はもはや「さみしくて死ぬ」ことはありません。神の手に触れられていることを信じるならば。

 このたび、わたしの新刊書「福音宣言」が発刊されました。今までも何冊も本を出版してきましたが、今回の本には特別の思いがあります。それは、自分の信仰の原点を明確に示した、ある意味で信仰宣言のような内容だからです。
 その原点とは、私は神というまことの親に語りかけられ、触れてもらった存在だという原点です。その喜びと安心の中で、私たちもまた誰かに神の愛を宣言し、苦しむ人々に触れようではないかと呼びかけています。いつかはそのようなことをきちんとまとめて書きたいと願っていたので、今回無事に発行されて、なんだかほっとしています。大げさでなく、遺書を書き上げたような気分です。教会ショップ「アンジェラ」で販売していますので、ぜひ手にとってごらんください。
 この本が、神がイエスの誕生においてこの世界に直接触れてくださったという、比類なき愛の出来事クリスマスに連なるものとなりますように。
 この本の誕生もまた、私にとってはクリスマスなのです。

巻頭言:主任司祭 晴佐久昌英 神父

天国的な会食

主任司祭 晴佐久 昌英神父

 ミサや講演の依頼を受けて全国の教会を訪れる機会が多く、さまざまな小教区を見てきました。いずこもそれなりにがんばってはいるのですが、いくつかの共通した問題を抱えていて、役員の方が思案している姿は見慣れた光景です。たとえば、信者が高齢化して若い人が少ないとか、新たに洗礼を受ける人がほとんどいないとか。なかでもよく聞く悩みは、「信者同士の関りが希薄でミサが終るとみんなすぐに帰ってしまう」というものです。確かに、よほどの大教会でもない限り、日曜日の昼過ぎてもなおにぎやかな教会はほとんど見かけません。むしろ駅前の喫茶店が親しい信者同士でもりあがっているという話を聞くこともあります。
 日本のカトリック教会は、まず宣教師に聖堂を建てていただき、神父様にさあどうぞと招いていただき、手取り足取り教えていただき、ありがたく秘跡をいただきと、何でも「いただく」教会として始まったので、何もいただけないならもう帰ります、というのは普通の信者の普通の思いなのかもしれません。それにそもそも、ミサが終ったころは当然おなかもすいているわけで、さあ帰ってお昼にしようというのもごく自然な話。せっかく集った信者さんたちが、ミサの後も今ひと時教会に残って親しく交わるというのは、そう簡単なことではないようです。

 ところが、多摩教会に来てみたら、なんと信者さん相互の奉仕による軽食サービスがあるではありませんか。ミサの後、ごく当たり前のようにみんなホールに集って、親しくおしゃべりをしながら一緒にお昼を食べている様子に感動しました。当人たちには見慣れた光景かもしれませんが、こんな天国的な会食を実現している教会は滅多にあるものではありません。久しぶりに会う方と話が弾んだり、たまたま同席した人同士が紹介しあったり、これこそ教会家族の食事というべきでしょう。さすがに信者たちが自らの手で立ち上げた多摩教会、単に「いただく」ばかりでなく、互いに「差し上げる」という教会の本質が生きている教会だとの感を強くしました。
 考えてみると、教会の本質は一緒に飯を食うというところにあります。イエス自身が常に宴の真ん中にいましたし、従う婦人たちはそれぞれのものを出し合って旅する共同体の食事を支えていました。イエスと弟子たちの一致の極みである最後の晩餐においてイエスは、「この食事をしたいと切に願っていた」と言い、「この食事をこれからも行いなさい」と命じます。復活の主はエマオに向う弟子たちに現れて食事を共にし、湖のほとりでは朝食を用意し、弟子たちの真ん中に現れたときには「何か食べ物があるか」と尋ねて魚を食べます。初代教会が「家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし」ていたのは、ともに食事をすることこそが、イエスとひとつになり、信者がひとつになり、教会が神の国の宴の目に見えるしるしになるための、最良の方法だと知っていたからです。

 いうまでもなくその教会家族の食事はミサとして実現しているわけですが、その意味では軽食サービスの食事は、実はミサの一部なのです。聖体拝領した信者たちが、その喜びを互いに分かち合い、今ひと時教会という家族を味わう食事ではないでしょうか。
 そうは言っても、奉仕する人たちの努力は並大抵ではなく、長年続けているうちに手伝う人も減り、体力的な問題もあって、このまま続けていけるだろうかという声も上がってきました。そこで以前より各地区を中心に話し合いを重ね、担当者で相談した結果、それでもなんとか工夫を重ね、できる範囲でもう少しがんばっていこうということになりました。軽食サービスが各地区で輪番になっているのは、互いに仕えあい、奉仕し合うことに意味があるからです。ぜひ、みんなでこの天国的な会食を大切にし、誇りにしていきましょう。いっそう多くの人に食べていただきたいですし、そのためにも新たにお手伝いくださる方を求めています。どんなお手伝いでも結構ですから、お申し出ください。忙しい中、真心で奉仕している信者の姿は、何よりの宣教でもあります。ご聖体でイエスさまに食べさせてもらった信者たちは、イエス様と共に食べさせる側になっていくのです。

巻頭言:主任司祭 晴佐久昌英 神父

教会ショップ「アンジェラ」

主任司祭 晴佐久 昌英神父

 子どものころ、家族みんなで通っていたのは、文京区の本郷教会です。三角屋根に十字架の立つごく普通のこじんまりした教会でしたが、幼いころはそこが世界の中心のように思っていました。
 教会の入り口に十字架やロザリオを売る小さな売店があって、そこで毎週日曜日のミサの後、両親がカードを買ってくれるのが何よりの楽しみでした。「ご絵」と呼ばれるそのカードは、それぞれにイエスさまやマリアさまをはじめ天使やさまざまな聖人が描かれていて、確か一枚五円か十円だったと思います。ゆりの花に囲まれた聖母の優しい横顔や、幼い子どもを背後から守る守護の天使の真っ白い翼など、うっとりと眺めていると母がうれしそうに聞くのです。「どれがいいの?」。プレハブ作りの決してきれいとは言えない売店でしたが、そこも確かに天国の窓でありました。

 主任司祭になり各小教区を担当するようになってからは、ごく自然な思いで、どこでも売店を設立してきました。高幡教会では「教会売店・ミカエルショップ」、高円寺教会では「教会案内所・天使の森」。そしてこのたび、多摩教会でも「教会ショップ・アンジェラ」を始める運びとなりました。いずれも天使に関る名称をつけてきましたが、そこには、たとえささやかな売店であっても、だれにとっても天国の窓であってほしいという願いが込められています。
 実際、売店が教会との窓口になったり、福音との接点になったりすることは決して珍しいことではありません。そこで買った一枚のカードを送ったらそれがきっかけでキリスト教を知ったとか、そこで出会った一冊の本のおかげで魂が救われたというような話をたくさん知っています。中には、教会の前の道を歩いていて売店があるのを知り、何気なく立ち寄ったのがきっかけで教会に通うようになり、やがて洗礼を受けたという人もいました。売店で店員の信者さんと知り合ったり、買いに来た人同士が出会ったり、不思議なご縁のきっかけがたくさん秘められているのも事実です。
 そこで、売店を担当してくれるスタッフや、普段売り子になってくれる受付のメンバーには、いつもこう言っています。「ここは、福音宣教の最前線です。売店という窓を通して天国を知る大勢の人のために奉仕してください。品物はもちろん、みなさんの笑顔、一声かける明るい声、一杯差し出す温かいお茶が、天国の入り口になるように」。楽しくも尊い奉仕ですから、お手伝いしたい方はぜひお申し出ください。

 アンジェラでは、信仰を深めるための本やCD、ロザリオ、おメダイなどの小物を扱っています。人気のトラピストガレットも販売します。子供向けの本などもあります。利益はすべて教会会計に寄付されますので、どんどんご利用ください。
 主力商品は、何と言っても主任神父さまのサイン入り著書です。説教集やエッセイ集、詩集など、店頭に並んでいるものはすでに一言添えて、サインがしてあります。プレゼントする場合など、加えて宛名をサインして差し上げると喜ばれます。その場合は、神父をつかまえて書いてもらってください。二種類の「日めくりカレンダー」もあり、小さな贈り物として人気がありますが、これは破れやすいビニールでパッキングされているのでサインが入っていません。必要ならば、自分で破れないようにそっと開けて、サインしてもらってください。
 また、晴佐久神父がFEBCというラジオ局で半年間お話をした番組のCDもあり、字を読むのが大変な人や、病床で聞く方に最適です。一般の人でも聞ける内容です。晴佐久神父監修で俳優の滝田栄さんが朗読してくれた聖書のCDもあり、これは心がざわついている時におすすめ。車の中で聞くと心が落ち着くという人もいました。
 ご病気の方向けには、以前ここでご紹介した小冊子「病めるときも」と、「おお、よしよし」の載っているクリスマス小冊子「クリスマス本当のはなし」があります。これにはサインしていませんが、することも出来ます。
 今年はあの「聖書と典礼」のオリエンスからクリスマスカードを出しましたので、ぜひご利用ください。聖母子像のカード「みんなのひかり」と、クジラのサンタさんの絵葉書「大きな贈り物」です。「うちの教会の神父さんが描いたカードです」と書いて出すのにちょうどいいでしょう。そのときはぜひ、「多摩教会のミサに来てみませんか」と書き加えていただきたい。
 ニューズの四月号のカットに使われている赤ちゃん天使の色紙「生まれて感謝、笑顔で賛美」も、サインして遊び印を押しておきましたので、プレゼントに使ってください。もちろん、玄関に飾っていただいても結構です。隣の奥さんが「あらかわいい」と言ってくれたら、しめたもの。「うちの教会の神父さんが描いたんですよ」「まあ、楽しそう。わたしも行ってみようかしら」なんていう展開を夢見ます。
 教会ショップ「アンジェラ」の店頭に並んでいるのは、福音の種なのです。みんなで種まきをすれば、神さまが天国の花園を見せてくださるでしょう。

巻頭言:主任司祭 晴佐久昌英 神父

本物のよろこび

主任司祭 晴佐久 昌英神父

 この夏は、二度、奄美大島へ行ってきました。七月には皆既日食を見に、八月には例年の無人島キャンプへ。どちらも無事終ってほっとしているところです。
 皆既日食は一年前から綿密に計画していたこともあり、海上保安庁から三つの海域の航行許可を取っていたので、当日雲間を探して船で喜界島沖へ向い、薄日ではありましたがなんとか見ることが出来ました。他の海域や島々は悪天候でほとんどの人が見ることが出来なかったようですが、我々はちゃんとダイヤモンドリングやコロナを見ることの出来た数少ない日本人ではないでしょうか。
 皆既日食を体験して一番感じたのは、単純に「おそれ」です。恐怖というのとは違う、たぶんこれが「畏怖の念」という感覚なのでしょう。日ごろすべて人間中心に生きていて、人間の力で何でもできるような錯覚に捕らわれているけれど、さすがに太陽が暗くなると何か偉大で圧倒的な力を感じて、「人間ごとき」はひれ伏すような気持ちになりました。一度この感動体験を味わうとどうしてももう一度体験したくなるらしいとは以前から聞いていて、そうは言っても自分は無縁だろうと思っていたら、すでに仲間内では来年の皆既日食を見に行こうという計画が進んでおり、今度はイースター島かクック諸島ということで、気がつけば立派な「日蝕ハンター」になってしまいました。

 無人島キャンプの方は同じ島に毎夏通って、もう23年目です。よくまあ飽きずにと思われるかもしれませんが、これもある意味創造主の偉大な力を体験しに行っているようなもので、年に一度は人間の力を離れて、海と空と風に包まれています。全くの無人島で珊瑚礁の海に潜り、満天の星空を仰いで過ごす一週間は、これまた一度味わってしまうとどうしてももう一度という感動体験であり、隊員たちは無理して休みを取っては毎夏繰り返し参加しています。
 今年うれしかったのは、十年ほど前のオニヒトデの大繁殖が原因で絶滅していた珊瑚が、まだ2割程度ではあるけれど確実に復活しているのを確認できたことです。来年は3,4割まで戻るでしょうし、この分だと5年もすれば7,8割は復活しそうです。サザエはあまり獲れなかったけれど、銛で平目を二匹突くことが出来ました。大きな五色エビを捕まえ損ねたのも忘れられません。早朝、前の浜で大きな遊泳物体を目撃して騒ぎになり、付近でアオザメが数匹出没したという情報と合わせて青ざめたところで帰ってきましたが、いずれにせよ大自然相手というのは本当に気持ちのいい体験で、とてもやめられるものではなく、ベースキャンプの宿はまた来年分も予約済みです。

 そんなキャンプに、今年はなにやら不穏な気配が漂いました。ベースキャンプでは準備と片付けのため前後二泊ずつするのですが、その準備中、付近を警官がうろうろするのです。その島には警察もなく、超過疎地の集落をパトカーが見張っているなんて経験のない異常事態です。しまいに、キャンプ用品を並べて庭で作業している様子を制服警官が写真に撮って行ったそうで、宿のおやじが大変不審がっていました。
 無人島から戻って、片付けの時にその原因が分かりました。7月の日食の時に近くのホテルで、元アイドルの有名女優が覚せい剤を吸ったというのです。あたりはサーファーの若者が集るエリアということもあり、警察は警戒していたというわけです。
 その後の大騒ぎは、ご存知のとおり。先日はその女優が保釈され、涙の会見をしている姿を見て胸が痛みました。たとえ実刑を受けても、完全に覚せい剤と縁を切れるのは百人に一人とさえ言われているからです。確かに手を染めたのは犯罪ですが、麻薬や覚せい剤は、一度体験してしまうと本人の力では逃れられなくなる、残酷な快楽です。あまりにかわいそうで、ため息が出ます。
 いっそ、信仰という本物のよろこびを学べるぼくらのキャンプに来ればいいのに。そうすれば同じ中毒でも、日食中毒や無人島中毒になれるのに。覚せい剤なんかよりよっぽど気持ちよくて、よっぽど感動して、やみつきになりながらも最高の幸せを知ることが出来るのに。日食のときなんか、悪天候のホテルにいないで一緒に来れば、「太陽と共に捧げるミサ」まで出来たのに。