⭐主の降誕【ミサ司式予定】12/24(月・休)17時・25(日)10時:豊島治神父

Tama20181224

「主の降誕」のミサ
時間と司式司祭の予定は、以下のとおりです。

🔸主の降誕 夜半のミサ🔸
12月24日(月・休)17:00~
🔸主の降誕 日中のミサ🔸
12月25日(火)10:00~
(司式司祭:豊島 治神父)


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🔹 初めての方へ 🔹

聖堂のエントランスホールに、
受付とは別に案内係がおります。

どうぞ、ご遠慮なくお声をおかけください。

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🎄 お車でのご来場はご遠慮ください🎄

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多摩教会への交通アクセス
Google Map
教会簡易地図ペイント作成-2015ここナツ用-500

遠方からお越しの方、
お体の具合などで車のご利用をお考えの方は、
以下の近隣駐車場をご利用ください。

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カトリック多摩教会

住所: 東京都多摩市聖ヶ丘1-30-2
<鎌倉街道・馬引沢橋(まひきざわばし)そば>

電話: 042-374-8668

巻頭言:主任司祭 豊島 治「来てしまうクリスマス」

来てしまうクリスマス

主任司祭 豊島 治

 急激な寒さへの移行で体調を崩されている方が多いようです。私も先日クリニックに行き、「お立場上、この時期に休めませんね。薬をフルセットでお渡ししましょう」と、処方箋をいただきました。フルセットの意味がわかりかねましたが、うがい手洗いの遂行は、繰り返し指示をうけました。こんな立場でお伝えするのも矛盾しますが、日頃の行動のなかに、このことを意識していきたいです。

 クリスマスは今年もやってくる。どこかのCMでのフレーズですが、聖書において最初のクリスマスは、この言葉をもってはじまります。

 「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がうまれた。その方こそキリストである」

 目に見えるイエスという人の生涯に、神の宣言、「あなたは救われる」「あなたを愛する」が現れたことの出発点になります。そこで神がわたしたちの中に現れたというのは単なる過去の出来事ではない、神はいつもわたしたちと共にいることに他なりません。
 赤ちゃんとしてのイエスの誕生、そして、人と同じ生涯の始まりは、そのことをはっきり示しています。キリストの誕生において、神が私たちの中に来られたというメッセージを祝うのが12月25日の主旨です。

 ひとりの人間というものは、限界のある、弱くもろいものです。神はイエスという姿において、弱さ・力不足を時に感じる私たちの感性を知る方になった。私はイエスの生涯が独裁者のような権力をふりかざす人でなかったことを嬉しく思っています。独裁者は必ず弱さを覆い隠していることから始まる矛盾がやがて露見し、終わりに至ります。イエスはそうでなく、政治的には無力を貫き、貧しい・弱い立場になって神さまと人に対して誠実に生きて、そして倒れるといういう生涯を見せてくれたことが嬉しいのです。だから、2000年前の「生まれた」ということだけを祝うのでなく、今も神がともにおられるという信仰の祝いをするのです。信仰は、「昔はこうだった」「あの時はよかった」という過去形であってはならない、現在形である今を生きる力となっているのが信仰です。
 今もやまない対立の壁、憎しみと敵意からつくり出される壁が存在します。そのなかにキリストが共にいて、「そうだ、和解が必要だ」「結び直しをしよう」と現実に至るような希望を思い起こして祝う降誕節の願いにいたしましょう。

 12月25日というカレンダーは、忙しくてもそうでなくても規則的にやってきてしまいます。キリストが、救い主がこれらるのは、一方的にあちらの都合であり、私たちには制御できません。私たちは合わせるしかない。そんな潔さをもって25日からの降誕節を祝いましょう。

連載コラム:「Accueillir=受け入れる」

人生の旅をいっしょに
= ウエルカムのサインをあなたからあなたに =
連載コラム「スローガンの実現に向かって」第94回
「Accueillir=受け入れる」

稲城・川崎地区 ベルナデッタ 小俣 真菜

 フランス生活に溶け込んできた頃、家の近くのミサに与った。そのとき « 献金 »の係をやってくれと頼まれたことを、今でも鮮明に覚えている。近くの住民しか来ないような小さな教会で、日本人の私に声をかけてくれたことがとっても嬉しかったのだ。この時ようやくフランスに受け入れられたように、ふと感じた。

 私は2017年5月から1年半ほど、フランス・リヨンに暮らした。リヨンはフランスのローヌ・アルプ地方に位置し、他の都市への移動に利便性が優れた街である。カトリックの教会も多く、毎日曜日、どの教会のミサに与るか決めることは滞在中の楽しみの一つであった。その中で、Basilique Notre Dame de Fourvière=フルヴィエール大聖堂と、Église de Saint-Nizier de Lyon=サン・ニジエール教会が、いつも通うお気に入りの教会となった。フルヴィエール大聖堂は、ペストが流行した時代、リヨンを守ってくれたマリア様に感謝して建てられた教会である。丘の上にあるこの教会は、リヨンを見下ろして日々市民を守ってくれているのだ。いわば、リヨンのシンボルともいえる教会である。

 渡仏して早速出会った文化の違い、それはミサで握手をすること。ミサに与り、主の平和の挨拶で「La paix du Christ=主の平和」と言いながら周りの方々と握手をする。当初は、今までお辞儀の文化の国にいたため、もちろん抵抗はあった。しかし、フランス人をはじめ現地の人々の握力がしっかりと強く感じ、それはまるでパワーをもらっているかのようで心地よかった。そしてミサ後には、教会の入り口の扉の前で司教様や神父様が待っていてくださって、「Bon dimanche !=良い日曜日を!」と挨拶を交わしながら握手をする。これがまた皆笑顔で挨拶をするので、今週もまた頑張ろう!という気持ちにさせてくれるのだ。「握手をする」ということは、お互いに受け入れ合おう、という気持ちの表れとも言えるのではないだろうか。そしてフルヴィエールの丘からリヨンの景色を一望して心を落ち着かせ、小道を通って旧市街へと出て、マルシェ(川沿いの露店の市場)で季節の果物を買って家路に着く。週の安息日である、休日モード全開なフランスの日曜日を存分に堪能する、というこの新しい習慣。私は週の中で一番と言っても過言ではないほどワクワクした。

 最近では、サン・ニジエール教会へも足を運んでいた。この教会はいつもフォークソングの聖歌を歌う教会で、さらに子供の数も、とても多かった。硬い雰囲気のフルヴィエールとはまた趣が異なるこの教会で、大きな感動をした出来事がある。ある日、乳幼児洗礼式が行われた。まだ生まれて間もない赤ちゃんは、神父様の「父と子と聖霊の御名によって」という声に合わせて裸で洗礼盤に入れられる。不思議なことに、直前まで泣いていた赤ちゃんも聖水に浸かると泣き止む。式の終盤では白い衣を着せられた赤ちゃんを、フォークソングに合わせて、お父さんたちが私たち会衆に向かって高く上げた。これから新しい世界を知っていく赤ちゃんのぼーっとした顔、その光景がとても愛おしく、何か温かいものを感じた。
 さらにこの教会では、ミサが始まってから、左隣の方と自己紹介をする時間が設けられている。例えば、なぜあなたは教会に来ているの? 誰のために祈っているの? といった類である。たまたま私の隣にいたマダムは、「いとこの病気が治るようにお祈りしているのよ」と答えた。こうした問いかけを受けて、私が思ったのは、1歳の時に洗礼を受けた私にとって、教会へ行くことは学校に行くこととほぼ同じだったな、ということである。日本では、教会にいる仲間と笑って話してご飯を食べる、それが私にとっての教会だった。このたった2分ほどの短い自己紹介なのに、いつの間にかお互いに打ち解けているのだ。ミサが終わった時には、自然と「Bon dimanche!」と口から出てくるものだから、教会って面白いな、楽しいな、と日々感じる。
 しかし留学というものは、楽しいだけでは終わらない。日本では容易く行えることが、フランスでは非常に労力が要る。例えば、銀行口座を開いたり閉めるために、数日銀行に通ったり、授業中は自分の意見を20分ほど論理立てて発表したり、といった感じだ。自然と自己解決能力が鍛えられ、たくましい人間にならざるを得なかった。そんな生活で、教会は心の休まる場所となったのである。

 「美食・芸術・素敵な街並み」というのが、所謂フランスのイメージかもしれないが、信仰の面でも十二分に堪能した生活となり、神様ありがとう、と思った。何よりも強く感じたことは、「受け入れる」ことによって自らの心が大きくなる、ということである。これは簡単そうだが、それでいて少し勇気の要るものかもしれない。しかし、ミサに与ると新しい輪の広がりを自分なりに感じ、教会を出てから「ハッピー!」と心の中で高揚しながらしばしば叫んでいたものだ。小さい私を受け入れてもらった喜びと、隣人を受け入れることで広がる楽しさを知った今、この気持ちを分かち合っていきたい。

神に感謝!

12月:「初金家族の会」からのお知らせ

「初金家族の会」からのお知らせ

島田 潤一

 今年の初金の日までは、クリスマスの月らしからぬ暖かい日が続きました。
 初金ミサのお説教で豊島神父さまは、信者の方が急遽されたのに関連して、生誕の時と対峙し、「必ず終わりの日はくる。Adventはこのような意味も含むものです」と話され、リハビリ病院の話も加えて、生きる時の苦しみ、そのとき力になるものについて述べられました。また、聖アンプロジオに関連して説教の役割を示され、「人は聴く、見るなどにより情報を得て知識としますが、今日のマタイによる福音は体で感じる、信じる、従順など知識をベースにした知識と異質なものが必要なことを示しており、これは簡単なものでなく生涯を通じ求めていくべきものです。ミサでの御聖体はこの助けとなります」と結ばれました。

 初金家族の会では、聖堂で黒川優子さんのボーカル、滝口みゆきさんのオルガンによるミニコンサートが開かれました。カトリック聖歌集の「ああベトレヘムよ」に始まり、全員での合唱も加えて進み、滝口さんのオルガン独奏、「Sarabande」 もあり、最後は黒川さんによる「Ave Maria」の美しい独唱で終わりました。一足先のクリスマスの雰囲気を感じました。
 コンサートの後は信徒会館での懇談となり、黒川さん、滝口さんの音楽に関連する履歴の披露に始まり、日頃の発声法の訓練などについての裏話もあり、発声法に関連する腹式呼吸なども話題になりました。今回のコンサートと懇談を通じ、聖歌と信仰への理解を共有し、分かち合えたのではないかと思われます。

 2019年1月4日の初金ミサは捧げられますが、初金家族の会はお休みで、次回は2月1日(金)のミサの後、午前11時頃から開催の予定です。
 「初金家族の会」は、初金ミサの後、貴重な体験を披露し、分かち合い、信仰を語り合う、信仰家族の絆を深め合う楽しい会です。皆様、どうぞお気軽にお立ち寄りください。

2018年「多摩カトリックニューズ」バックナンバー

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2018年


12月号

(No.544)

2018.12.15

来てしまうクリスマス豊島 治 神父
Accueillir=受け入れる稲城・川崎地区 小俣 真菜
「初金家族の会」からのお知らせ島田 潤一


11月号

(No.543)

2018.11.24

息します豊島 治 神父
2018年のバザーを終えて稲城・川崎地区 マルコ 高橋 岩夫
「初金家族の会」からのお知らせ島田 潤一


10月号

(No.542)

2018.10.20

歩いてみます豊島 治 神父
ジャネットのオアシス南大沢・堀之内地区 セツコ
「初金家族の会」からのお知らせ島田 潤一


9月号

(No.541)

2018.9.15

仲良くします豊島 治 神父
神の生命と、私たち人類の憧れ福音史家ヨハネ 山口 泰司
「初金家族の会」からのお知らせ島田 潤一


8月号

(No.540)

2018.8.18

お伝えします豊島 治 神父
渡辺治神父様のこと南大沢地区 加藤 泰彦
「初金家族の会」からのお知らせ島田 潤一


7月号

(No.539)

2018.7.14

むかいます豊島 治 神父
音楽の力、信じます稲城・川崎地区 小俣 浩之
「初金家族の会」からのお知らせ島田 潤一


6月号

(No.538)

2018.6.16

認めます豊島 治 神父
「初金家族の会」からのお知らせ島田 潤一


5月号

(No.537)

2018.5.19

重ねます豊島 治 神父
第7回チャリティ・コンサートを終えて崔 承埈(チェ・スジュン)
「初金家族の会」からのお知らせ島田 潤一


4月号

(No.536)

2018.4.21

隠れています豊島 治 神父
宗教の未来と教会諏訪・永山・聖ヶ丘地区 佐内 美香
四旬節福島巡礼の旅‐報告No.2中嶋 誠
「初金家族の会」からのお知らせ島田 潤一


3月号

(No.535)

2018.3.17

祝います豊島 治 神父
四旬節福島巡礼の旅マグダラの聖マリア 優(ペンネーム)
「初金家族の会」からのお知らせ島田 潤一


2月号

(No.534)

2018.2.22

応えます豊島 治 神父
祈りと聖劇の夕べ中高生会 濱野 洋一郎


1月号

(No.533)

2018.1.20

前進します豊島 治 神父
祈りと聖劇の夕べ実行委員長 落合・鶴牧地区 H .S

(その他の年度は こちら からご覧ください)

巻頭言:主任司祭 豊島 治「息します」

息します

主任司祭 豊島 治

 多摩カトリックニューズ発行の11月24日早朝、2025年大阪で万国博覧会が行われることが決定したと、海外メディアからの情報がでました。訴えたテーマは、「いのち輝く未来社会のデザイン」。健康で豊かに生きる方法を探る「未来社会の実験場」との位置づけです。

 福島県南相馬市にあるボランティアベース「カリタス南相馬」。その運営には東京六本木に拠点を置くカトリック東京ボランティアセンター(CTVC)もお手伝いしていますが、運営委員会の席上、いまなお困難が続く被災地にあるボランティアベースのモットーを掲げる文言を確認するとき、生きとし生けるものを意味する『いのち』の表記が議論になりました。「命」とするか「生命」をいのちと読ませるかという内容です。
 教員出身の委員さんは「生命」を薦められ、震災当初から活動している方の一人は「命」を好むという具合になりました。沖縄で使われる「命どぅ宝(ヌチドゥタカラ)」についても話が広がりましたが、カトリック教会の儀式書では「いのち」とひらがな表記となっており、カトリック精神をもってする活動であるので、この会議での結論は「いのち」の表記となりました。

 読み手の感覚も多様でしたので、儀式書に依拠する「いのち」として決着したのですが、学説ではいろいろあるようです。近年読んだある学者の説は:
 『「いのち」は【生(い)の霊(ち)】の意味からくると推測する。「い」は【生き】であり源は「息吹(いぶき)」の「い」。生のあかしである息吹を儀としているというものである』
 ちなみに「命」は:
 『古くは「令」からきており、神殿の役人が衣装をいただくとき、ひざまずいて、神託を受けるかたちで、その真意を「令」とし、のちにこの字が「命」となった』
 というものでした。カトリック教会儀式書がこの説からとったかどうか、私はそこまで深めることはしませんでしたが、「いのち」には【息吹き】の意味が含まれているとなると、つい現代に生きる私達の社会には息苦しさがあるのを思い出してしまいます。

 救い主がこられることを意識する待降節がはじまります。同時に私達にもいつか物事に終わりがあることを意識します。次の世代に生きることの喜びを伝える雰囲気をつくりましょう。そのために息苦しい気持ちで過ごしている人とつながって、生まれた喜びの一面である「神は命の息を吹きいれられた」(創世記)を意識し、「息すること=生きていることの意識」を多くの人と実感する機会が増えますように。

 まず、日々の生活のなかで意識した深呼吸の回数を増やしてみてはいかがでしょうか。
 それが祈りにつながりますように。
 そこから幼子イエスの生まれた風景、誕生からの最初の仕事である息吹の繰り返しを主が繰り返していることを思い起こすことができますように。
 そして、この私が神によって支えられている勇気に変わることができるように。
 それゆえ 互いを愛せるように。

 この期間、いつもより目標を高く設定してクリスマスを迎えましょう。

連載コラム:「2018年のバザーを終えて」

人生の旅をいっしょに
= ウエルカムのサインをあなたからあなたに =
連載コラム「スローガンの実現に向かって」第93回
2018年のバザーを終えて

稲城・川崎地区 マルコ 高橋 岩夫

 10月21日(日)秋晴れの澄んだ空気の中、佐々木実行委員長の手によって、バザー開始の鐘の音が鳴り響きました。
 今年のバザー準備は、まだ少し寒さの残る4月からスタート。第1回実行委員会から活発な意見交換が重ねられました。まずは今年のスローガン。豊島神父様が東京教区ニュースのインタビューに答えておられた「皆が一つになるように」が候補にあがりました。多摩教会に集う人達、教会まで足を運べなくても祈りでつながっている人達、遠くや近くのあの人この人達が皆、イエス様の元に「一つになるように」と(私は解釈しましたが、もっと深い意味がありますね、きっと)満場一致で決定しました。その他、バザー収益金の用途から台所の使い方まで丁寧に話し合われ、今年は調理時の衛生面についても確認されました。食中毒対策は各地区からも様々な提案が出て、有効な情報交換が行われました。
 会場のレイアウトを決めるときは、早めに売り切るお店と最後まで残ってお客様を待つコーナーとのバランスなども配慮したレイアウトに決まり(その効果は後程報告します)、全6回の実行委員会は毎回濃密な話し合いとなりました。

 バザー前日は、恒例の手作りアート作品が搬入され、信徒館は早くもバザーのにぎやかな雰囲気になりました。2階では、これまた恒例の献品値段付け。例年、この値付け作業はたくさんの品物を相手に皆で苦戦(?)するそうですが、今年は献品数が例年よりは少なかったものの、多種多様な品物が集まり値段を付けるのが難しかったようです。続いて、会場設営です。こちらは、テントやテーブル等の準備で力仕事となるため、多くの奉仕者を募集しましたがなかなか集まらず、担当の寺田さんを中心に少人数による作業になってしまいました。次年度への課題の一つです。

 そしていよいよバザー当日。秋晴れの素晴らしい主日となりました。神に感謝、皆さんに感謝です。
 教会の周囲には「多摩教会バザー」ののぼり旗がはためき、入り口では昨年から出店を始めた「青果多摩」の新鮮野菜が多くの人々を出迎えます。その隣では、恒例の「焼きそば」が美味しそうなソースの香を運び、道行く人々を誘います。駐車場2階の献品コーナーは今年も掘り出し物がずらりと並び、お客様を待っています。準備がすべて整った午前11時、豊島神父様からの依頼を受け、実行委員長が開始を告げる鐘を響かせました。待ち構えていた多くの人たちが、一斉にあのコーナーやあの販売店へと流れ、バザーの盛り上がりはあっという間に最高潮です。
 皆さんは、お目当ての品物を手にし、食することが出来ましたでしょうか? 出店、出品された皆さんも、おいしい食べ物に手作り作品、手間暇に創意工夫、本当にお疲れさまでした。例年のことながら、共用の物品を大量に仕入れてくださる方々、実行委員の気づかない細やかな準備をさりげなくやってくださる方々、ここに掲げることが出来ないくらいのたくさんの方々の奉仕のおかげで、無事にバザーを終えることが出来ました。この場を借りて深く感謝申し上げます。

 最後に我が稲城・川崎地区が関わるエピソードを一つ。毎年、教会の近隣の方々に「バザーご招待券(飲食のみ無料券)」を配布しています。この券が、今年は60枚配布された内18枚ほど使用され、教会に足を運ぶ人が多かったことは嬉しいことでした(昨年の利用は2枚)。その中に、老人ホームから車いすでいらしたお客様がおられましたが、午後からゆっくりのご来場でした。早めに売り切れとなるお店が多い中で、ウチの地区は「まったり最後まで続く店」を掲げてやっていたので、遅めの到着のお客様に、温かな食べ物や飲み物を提供することが出来ました。売り方のバリエーションや、会場のレイアウトを丁寧に考えてきて良かったなーと思えたエピソードです。
 実行委員を2年続けてやらせていただきましたが、私にとっての「オアシス」は、ここ“カトリック多摩教会”であり、そこに集う多くの方々の温かな思いなのだなと、いま改めて感じています。ありがとうございました。

11月:「初金家族の会」からのお知らせ

「初金家族の会」からのお知らせ

 11月2日の初金ミサで、豊島神父さまは、死者の日に因み、死のとらえ方について話されました。日本では葬儀は厳粛で悲しみを表すものでしたが、外国ではこれと異なる情景の葬儀も多く、これは死の受け取り方の違いによるものとの話をされました。煉獄と天国の話に関連づけ、死のとらえ方についての考えを示されました。死は悲しい、怖いとする人もいるが、生誕の時と同様、死を、希望を持って迎えることができるものです。

 初金家族の会では、中嶋 誠さんより、中東での現地ビジネスで経験した多様性についての話を聞きました。中東の概要に始まり、サウジアラビアでの大学プロジェクト推進で経験した実体験によるものを、約30ページの資料に基づき話されました。
 中東はキリスト教発祥の地ですが、今も旧約聖書を彷彿とさせる慣行が存在し、そのことがベースとなり、日本では考えられない、思ってもみない規制などが多数存在します。ビジネス・プロジェクトは、サウジアラビアで東京都23区の半分程度の広さの大学の新設に関連するものでした。プロジェクト推進に関し、仕事の進め方、ビジネス面での顕著な違いを感じたとのことです。それは、ビジネスでの組織行動の実務で、コンテキストと言われる社会文化の違いによる組織指揮命令での情報と行動、感性と問題意識のギャップでした。多様な中東の人々には、日本人同士の感覚では組織運営はうまくいかず、それなりの分析工夫が必要だったとのことでした。
 中嶋さんのお話で、生活面でも仕事の面でも、中東と日本はそれなりの違いがあり、今後増えることが予想される外国の人々と共に生きていくには、相互の理解、努力が必要なことを認識共有できたのではないでしょうか。

 初金家族の会、次回は12月7日の初金ミサの後、午前11時頃から、「貝取・豊ヶ丘地区の黒川 優子さんによる歌声コンサート」を予定しています。ご一緒に美しい歌声を楽しみましょう。
 「初金家族の会」は、初金ミサの後、貴重な体験を披露し、分かち合い、信仰を語り合う、信仰家族の絆を深め合う楽しい集いです。皆様、どうぞお気軽にお立ち寄りください。