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2003年3月号 No.355  2003.3.15

田村神父様誕生、神に感謝 宮下 良平神父
主は私にもお恵みをくださった 木村 正哉
エジプト巡礼記〜荒野に魅せられて〜 鈴木 眞一
「モーセの道を行く」に参加して 松本千恵子
イラク攻撃反対のデモが多摩でも行われました 井上 信一

 田村神父様誕生、神に感謝
             宮下良平 神父

  3月2日、田村路加神父様が誕生しました。多摩教会出身の二人目の神父様誕生は 私たち多摩教会共同体としても、大変喜ばしいことです。
 そして、9日には多摩教会で初ミサと祝賀会が行われました。
 司祭が生まれるということは、ご本人の意志と努力、祈りはもちろんですが、何よ り神なる主の御意志によると言えるでしょう。私たち司祭は、特別の才能があるから 司祭になれるということではないのです。ただただ、本人の切なる願いを受けて、神 なる主が司祭という特別の役目を本人に司教を通して与え るのです。
 私もこの3月7日で司祭叙階10年目を迎えることができました。そして、田村神父様 の叙階式と初ミサに参加しながら、10年前の当時を思い出しておりました。
 その時私は、司祭になった喜びと支えてくださった方々への感謝の念で赴任までの 日々を過ごしておりました。右も左も分からない 新米神父が、どこの教会へ行っても「神父様おめでとうございます。祝福をお願いします」と言われておりました。
 10年という時を重ねてきて、新司祭が、私の関わった共同体から出たという格別の経験をさせていただきました。そして、信徒の方々が叙階されたばかりの神父様から祝福を受けるという教会の「恵み」が、実に大きいことであると実感できました。
 一人の神父が誕生するということは、並大抵なことではないのは事実です。神学校生活を通して多くの方々が、司祭職以外の道へと向かわれます。ある人は自らの意志で、ある人は養成担当者の意見を参考にして司教様の判断として神学校を去られた方もいるでしょう。そして、その方たちもいろんな場で、教会と関かわり続け神様を賛美しながら歩んでおられると思います。私たちの場合も、神学校入学時は11人いましたが、その時に一緒に入学した方で現在司祭でいるのは、私と猪熊神父様の二人だけです。 田村神父様はこれから司祭として習志野教会で働かれます。多分、何もかもが勉強という時期を何年か過ごされることでしょう。
 しかし、田村神父様が神様から与えられた恵みはたいへん豊かなものであることは、先の初ミサでの司式されるお姿を見て強く感じました。初ミサに参加された皆様も同じように感じられたのではないでしょうか。
 田村神父様が教会での働きを通して、父と子と聖霊の神が真の救いへと導くことを多くの方々が受け取り、喜びを持って神なる主を賛美するようにと願っております。
 皆様も田村神父様のために一緒に祈ってゆきましょう。そして、田村神父様に続く司祭が多摩教会共同体から生まれますように、祈りと呼びかけを今まで以上に強めてゆきまししょう。     
                                         神に感謝

             



   主は私にもお恵みをくださった
                       諏訪・永山 木村 正哉

 2003年3月8日は「夕の御ミサ」この日は私にとって生涯忘れることのない日となっ た。
 先週夕の御ミサのあと、宮下神父様は「今度の日曜の御ミサは田村新司祭が初めて のミサをあげられるので、なるべく新司祭の御ミサにあずかるように・・・」とのお 話しであった。
 カテドラルのときもマスラオ派出夫、今度の主日もワイフと孫二人が出席するとい うので、これも「御旨のままに」とあきらめていた。
 さて8日夕、先唱者の声で入祭を歌っているとなんと通路を遠藤さんを先頭に田村 新司祭、宮下神父様と通られるではないか。私は涙が出そうになった、いや出ていた かも知れない、忘れてしまった。「主は私のようを者にも目をかけてくださっていた のだ!・・・」
 御ミサが行われ、いつもの朗読当番表なら、私が第一朗読なのが何故か今晩だけは 第二朗読。それもこの四旬節の鍵ともいえる使徒ペトロの「正しくない者たちを神の もとに導くため・・・」新司祭の前で聖書の項を読める喜び・・・。こんな嬉しいことがあ るだろうか。恐らくもう一生回ってはこない!。
 心を落ちつけ朗読したつもりだったが、やはり喜びと緊張のあまり間違えたのか、 遠藤さんの「神に感謝」が一瞬遅れて聞こえてきた。そしてさらに奉納のときの聖歌、 今私のいちばーん好きな「主は水辺に立った」。自分でも泣き声の変な声で歌ってい るのが分かる。
 ちなみに、私の葬式には花などいらない。ただいつも「朝の祈り」のときにかける、 スペイン・サント・ドミンゴ・シロス修道院のグレゴリアン・チャントとこの「水辺 に立った」だけを流して欲しい、といっている。
 奉納を終り「御聖体」を戴くときまだ感激が残っていたためか「アーメン」と唱え るべきをなんと「神に感謝」といってしまった。田村新司祭もびっくりされたと思う。
御ミサの後、入り口におられる神父様に謝ったものの…。 「もし−−」が許されるなら、もし田村新司祭があの日来られてなければ、もし あの日が朗読当番でなければ・・・。朗読当番でないので、翌日の主日に参列していたら・・・。
「イエズス様・マリア様、この様な人間にも心をかけ、お目に掛けてくださっ たことを心より感謝致します。アーメン!」



           エジプト巡礼記
         〜荒野に魅せられて〜
                        桜ケ丘 鈴木 眞一

 聖書には「荒野」がしばしば登場します。イエス様が40日間悪魔の誘惑にさらされ たのも、モーセに率いられたイスラエルの民が40年さまよったのも荒野です。しかし、 私が生まれ育った日本は緑が多く、雨もよく降り、荒野と呼んでよい場所はありませ ん。聖歌で「谷川の水を求めてあえぎさまよう鹿のように」と歌っても、日本の谷川 の清洌な水が音を立てて流れるというイメージしか浮かんできません。あえいで求め なくとも水ならいくらでも目の前にあります。
 今回2月11日から21日まで「モーセの道を行く」と銘打ったエジプト巡礼に参加し たのは、この荒野での神との対話がイスラエルの民にとって信仰の原点になっている からだろうと思い、是非そこに身を置き、それをこの眼で見たかったからです。
 とはいえ、行った先はかのエジプト。世界の観光地ですから、ギザのピラミッド、 ルクソール、アブシンベルの神殿、カイロ博物館のツタンカーメンの黄金のマスクな どはしっかり見てきました。でも旅の圧巻はシナイ半島でした。時速100キロ近いバ スで丸一日近く、ひたすら涸れ谷とカチカチの沙漠しか眼に入らないという光景は貴 重な体験でした。「出エジプト記」でイスラエルの人々がモーセに対して恨みの声を 上げたのもまことにもっと もと大いに納得しました。同時に第4次中東戦争が終わるまで、イスラエル国が領有 権を主張し続けたのも分かりはするけど、この不毛の地を見ると今はやりの言葉でい うと「なんでだろう」というのが正直なところです。
 日程は飛行機便の都合で早朝というより未明の起床があったりして、いささかきつ い日もありました。しかし成田との往復の飛行機はこの時期中東が不人気でのため乗 客がまばらで、非常に快適でした。ジョージ・W・ブッシュ氏に感謝しなければなら ないんでしょぅか。総勢17人の巡礼団を指導してくださった宮下神父様、皆をまとめ て迷子も出さずに日本まで連れ帰ってくださった河谷さん、どうも有難う御座いまし た。



      〜「モーセの道を行く」に参加して〜
                        豊ヶ丘 松本千恵子

 2月11日から21日まで宮下神父様のご両親を始め松戸教会の方、広島の方などあわ せて17名参加いたしました。《シナイ山に登ると素晴らしいですよ》という言葉に、 今ひとつ身近に感じられなかった旧約の世界に触れられるチャンスと思い、決心しま した。しかし、イラク情勢の不安定な中、家族の気遣いを背に受けながら、私も心配 しながら当日を迎えました。
 成田から17時間、真夜中のカイロ空港に到着、早朝スピーカーから流れる祈りの声 で目覚め、遠いイスラムの国へやって来たことを実感しました。澄み切った青い空、 はてしなく続く砂漠に立ち並ぶ巨大なピラミッドの構図は、写真で見る真にそのもの でしたが、その場に自分が立っている不思議さをしばし感じました。
 翌日はカイロにある唯一のカトリック教会で御ミサに与り、続いて幼いキリストと 聖母マリアが身を隠したと言われる聖家族教会、モーセの記念のシナゴーグを訪れま した。エジプトはナイルの贈り物と言われますが、ナイルの下流から上流へ連日飛行機で移動し、スーダンの国境近いアブシンベル、古代の都ルクソールを訪ね、巨大な ラムセスII世像を数多く見ました。モーセの出エジプトの時代のファラオがラムセ スII世と知ると、俄然興味も湧いてきます。
 旅も7日目いよいよシナイ半島に向かいました。スエズ運河、紅海・砂漠を一路バ スで6時間、シナイ山麓に到着です。途中マナが降ったと言われる所、一本の傘アカ シアの下で御ミサに与り、岩山に囲まれ、見渡す限り砂地の砂漠、しばしイスラエル の民を想いました。宿で仮眠をとり、夜半2時過ぎ重装備に懐炉をしのばせて出発で す。ベドインの若者が引いてくれるラクダに乗って、中腹までたどり着き、そこから 懐中電灯を片手に頂上を目指しました。強風に驚きながらも、刻一刻と明るさを増し、 周囲の山々の連なりが姿を現し、とても感動的でした。たくさんの国々の巡礼者の方、 一人一人が各々の思いで神 様を感じたことでしょう。この登山道を生涯かけて通して下さった、カタリーナ修道 院の多くの修道者に思いをはせ、高ぶる心を抑えながら山を降りました。
 文化、習慣、宗教の違いの中でエジプトで育てられたモーセも多くの影響を受けて いることを知り、エジプト巡礼の意味を再確認しました。多くの方々の祈りに支えら れ、貴重な体験をさせて頂きましたことを心から感謝いたします。



    イラク攻撃反対のデモが多摩でも行われました

 2月23日(日曜)の午後多摩市でもイラクに対する戦争反対のデモが行われ、約5百 人ほどの市民がこれに参加しました。多摩教会からも宮下神父様を始め8人がこれに 加わりました。
 午後1時に永山駅北側の公園に集まり、この市民集会を組織した実行委員会の主催で 来賓の国会議員(野党を中心とした)などの紹介と挨拶があり、イラク攻撃反対集会 の宣言文が読み上げられました。1時半頃から公園を出発して、デモ行進が始められ ました。集まった人たちの政治的立場から・私たちカトリック教徒としての純粋な反 戦運動とは多少違った要素もありましたが、戦争反対のシュプレヒコールは皆で元気 な声を上げて、行進しました。
 ニュータウン通りを行進し、多摩ニュータウン駅まで歩きました。最後はパルテノ ン広場に上がったところで3時過ぎ解散となりました。
 日本でも段々と反戦の声が高まってきましたが、これが世界的規模の波に加わり、 イラク制裁の戦争が回避されることを祈って、デモを終えました。   (井上記)



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