1 | 御復活の時を迎えて、 特に聖地のために祈りましょう | 宮下 良平 神父 |
2 | 岡田大司教様のお話の要旨について | 井上 信一 |
3 | 洗礼式を終えて | 竹内 梅代 |
4 | 洗礼の日を迎えて | 安嶋 智子 |
5 | 神様に結びついて | 下津ひとみ |
イエス様の御復活の時を迎えて、
特に聖地のために祈りましょう
宮下良平 神父
今年の御復活の主日は3月31日と近年になく早い時期でした。桜もご復活前に咲い てしまうという信じられないような早さでした。
今年の復活徹夜祭と主日には、4人の洗礼と1人のブロテスタントからカトリックヘ の改宗の式が行われました。
洗礼式の時は、「成人洗礼の方々一人ひとりがそれぞれの人生の歩みの中で、神様 からの呼びかけに最も素直になれる瞬間」ということをいつも体験させられます。特 に聖週間を通して、「イエス様の『死と復活』の過越の神秘」を追体験して、霊的に 新しく生まれるその瞬間が洗礼といえるでしょう。この聖週間もそうでした。受洗者 の書かれたものが後述されるでしょうから、お読みください。
さて、今年の御復活は聖地でのテロそして報復の連鎖から、ついに戦争状態になっ てしまった悲しさを伴った過越の時でした。あのべツレヘムでのイエスの「生誕教会」 ですら戦場となっている様子がTVで映し出されました。心が痛みます。
イスラエルの戦車が至る所の町を縦横無尽に走り、ヘリコプターからミサイル攻撃 や銃撃で、バレスチナの「テロリスト」も含んでいる住民を何百人もすでに殺してい ます。
そのイスラエルの攻撃に対して、憎しみと追いつめられたパレスチナの人々が自爆 テロでイスラエルの市民を殺してゆく連鎖は、ますます激しくなることは間違いない ことです。
先日、ラジオである人が日本にいるイスラエル外交官が語ったことを伝えていまし た。 「1993年、P LOのアラファト議長とイスラエルの故ラビン首相との「オスロ合意」 でパレスチナ暫定自治政府ができ、将来のパレスチナ国家樹立が合意されたことは、 イスラエルか長い民族の歴史の中で初めて他の民族を信じようとした画期的な出来事 だった。しかし、その後も続くイスラエルでのテロに よってイスラエル人は失望した。今は再び、自分たちの民族は自分たちでしか守れな い。もうこれからはバレスチナ人との和解などありえない。ましてや土地を返すなど ということはありえない。他の民族を決して信じないと世界に対して決断したのだ。’
このような決断を下す超右派の首相を登場させる転換点となってしまった平和主義 者ラビン首相の暗殺は、悔やんでも悔やみきれない世界の悲劇です。
さて、パレスチナは、ユダヤ民族に神が与えた土地であると旧約聖書で書かれてい るこがイスラエルの領有権の根拠とされています。「その日、主はアブラムと契約 を結んで言われた。『あなたの子孫にこの土地を与える。エジプトの川から大河ユー フラテスに至るまで、カン人、ケナズ人、カドモニ人、へト人、ペリジ人、レフア イム人、アモリ人、カナン人、ギルガシ人、エブス人の土地を与える。』(創世記15: 18−21)」
ところが、1948年の現在のイスラエル建国までは、パレスチナには何百万人もの人々 が暮らしていました。そして今は、暫定自治区や難民キャンプの中に何十年と閉じこ められています。この土地をめぐる殺し合いを解決する手段は見つかるのでしようか。
どちらに土地所有の正当性があろうとも、お互いが殺されるかもしれない恐怖に怯 えながら生き、その恐怖を武力と爆弾により取り除こうとすればするほど、恐怖と殺 人、そして憎しみが倍加されてゆくことは明白です。
紀元前1700年代に公布された「ハンムラピ法典」にすでにあり、その法典が旧約聖 書の律法背景とも指摘される「目には目を、歯には歯を」、すなわち同害報復法を、 イエス・キリストは神の御意志として、自らが十字架に架けられることにより終わら せました。
キリストの十字実は、「敵をも愛す」とことん赦す愛であり、「神が与えた命はど んなことがっても人間によって奪われてはならない」ことを神自らが示された神の 神意志、すなわち私たちへの神の愛であり神の義です。
先ず神の愛が与えられていることを知った私たちキリスト者は、平和実現の糸口す ら見出せない現状の中にあっても、武力と自爆ではなく、交渉と話し合いが進められ ますように強く願います。そして、特別の思いを込めてこの聖地に一日も早い平和が 訪れることを切に祈り続けましよう。 神による平和を。
岡田大司教様のお話の要旨について
3月24日(日)岡田大司教様は多摩教会を公式訪問され、枝の主日のミサを司式さ れた後、私たちに小教区の再編成の問題についてお話しされました。その要旨を下記 の通りまとめましたので、ご参考にしてください。
記
2週間前にここで田村路加さんの助祭叙階の喜びを皆様と分かち合い、今日また同 じ教会を訪問できて幸いである。現在、宣教司牧のための公式訪問を多摩協力体につ いて順次行っている。今東京教区をあげて取り組んでいる小教区の再編成について、 具体的なことを言える段階では未だないが、その趣旨を手短にお話ししたい。
その本質的なことはイエスにまで遡ることであるが、イエスは最初の教会を建てる こと、そして自分の使命を受け継ぐことを12使徒に託された。この使徒たちとその後 継者たちは全世界に教会を広めた。そして日本にも福音宣教のために1549年ザビエル がやってきた。明治に宣教が再開され、パリ宣教会が日本の各地に教会を建てた。こ の世界中の教会には教区制度というものが敷かれ、それが一つの特色となっている。
世界中には2000以上の教区が設けられ、各教区には責任者が任命されている。日本 には111年前の1891年に4つの教区が設けられた。東京教区の他に函館、大阪、長崎で ある。東京教区の初代の責任者はオズーフ司教で、私は8代目であり、改革者として の使命を負わされているかも知れない。これまでの教会を何とか変えて、イエスの残 された仕事、それは多くの人々に良い知らせを伝え、貧しい人、悩んでいる人、苦し んでいる人を助けることができる教会にしなければならない。
今世界中で4千数百人の司教が、2000を超える教区でお互いに協力して、宣教に取 り組んでいる。しかし、司教一人では何もできないので、教区をさらに小教区に分割 して、司祭をその小教区に任命している。この司祭の協力を得て、私の代理を務めて もらっている。私と司祭は良きにつけ、悪しきにつけ、一心同体である。ただ、分割 されている小教区の間の横のつながりが強くなく、交流がないというのはイエスの望 んでおられることでない。小数区間の関係をもっと良くし、風通しを良くしなければ ならない。
現実には、神父たちも歳をとってきて、召命は少なくなり、うまく働けない神父も でてくる。あるいは神父にも苦手の分野もある。このようなことを踏まえて、これま でのやり方を変えて、司祭団皆で助け合っていかねばとということになった。
幾つかの小教区をグループにまとめて、協力体として活動できるようにしたい。も う一つは教区本部としての仕事をやって頂く司祭を増やしたい。外国からやってくる 人たちを受け入れ、心や身体に問題を抱えている人々をお世話しなければならない。 そのためには特殊な場が必要であり、そのための神父が本部に必要である。
さらに日本の16の教区を6つの地域でまとめて、管区制をとっている。その管区グ ループ中心が東京であり、その仕事もある。中央協議会の運営も東京教区の仕事、 神学校もしかりであり、その土地と建物も東京教区のものである。このように東京教 区は全国のカトリック教会のための仕事に尽力している。
改革の手始めは、教区のグループ化であり、その再編成の案を現在3つ用意してお り、それを私の方から4・5月頃に皆様に提示したい。それに対する皆様の意見を聞い たうえで、秋頃までに集約して、最終的にグループ化を決めたい。
その他、大切な問題として信徒の籍、会計、財政などがある。司祭の給与は今の制 度では不合理な面がある。皆さんに理解してもらえる合理的な基準を作って示したい。 皆さんの献金なので、皆さんに意見を出してもらい、検討して、最終的には私が決め なければならない。
2003年の復活祭までにグループ分けした体制から出発したい。東京教区本部ではこ の再編成の問題を担当する専任者に幸田神父を任命し、これに専念してもらっている。 ご意見のある方は、どうか幸田神父に話していただきたい。
(文責 井上)
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洗礼式を終えて
マルタ 竹内梅代
ごく最近まで神は何処かに居られると漠然と思っておりました。 私の周りには主人をはじめキリスト者が多く、時折みんなが我が家に集まり、キリス トの話、聖書の話、教会の話をしている時、私はまた神様の話が始まったくらいにし か思っていませんでした。
私が神様のことを何となく意識する様になったのは、やはり巡礼です。何か大きな ものに包まれて旅をしたと言う事です。旅行の間、神父様のミサ、教会の皆様の祈り の姿(姿勢)を遠くからみて、私も神と祈りに触れたいと思いました。
帰りましてから宮下神父様のもと、土曜日の勉強会に伺わせて頂き、素直な気持ち でお話を受け止めることが出来ました。ご復活の日に洗礼をと神父様からお話があり、 私の心の中で信仰を持つという事は、ここまで勉強すれば合格点と言う事ではない。 長い間学べば良いと言うものでもない。こんな短い期間の勉強でいいのかしら等とい ろいろ考え、少しは悩みましたが、すべて神様にお任せしようと思い、受洗させて戴 きますと申し上げました。
それから洗礼を受けるまで、自分でも驚くほど迷いも不安もありませんでした。今 考えてみますと主人は一人で祈ってくれていたと思います。私自身気もつかなかった のですが、近頃ズーツと長い間一緒にお祈りしていたのではないかと思うようになり、 ここまでの道のりはとても短く感じるほどです。
洗礼式のローソクの光の中、神様の恵みをいただき、背中いっぱいに皆様のあたた かい眼差しを強く感じたことでした。
これからも一歩一歩信仰を深め、感謝と祈りを捧げていきたいと思っています。
ありがとうございました。
『洗礼の日を迎えて』
マリア 安嶋 智子
もう20年近く、迷い、思い、考えてきた事。 その答えの−つに“カトリック"がありました。
私の周りにはとても、シンプルで、魅力的な、素敵な友人や人生の先輩達がいました。 その中にカトリックの人たちが多い事に気付き、自分でも驚きました。大人になるに つれて、きっと誰もが直面する社会の厳しさや、自分の事なのに、自分と関係のない ところで勝手に一人歩きして行く様々な問題。あるいは、今まで気が付かなかったけ れど、日常のほんの小さな事に幸せを感じたり。彼 等は、私の幸せを自分達のそれのように喜び、悲しい時は、黙ってそばにいてくれま した。真の強さと優しさは同じ場所にあると言う事を、彼等に教わったような気がし ます。彼等を通して、カトリックというものを意識するようになったのです。
去年、突然飛び込んだ多摩教会。宮下神父様の自然体のお話に、とてもわかりやす く、楽しく勉強会に参加させていただく事ができました。竹内さんには手取り足取り 本当に、いろいろな意味でお世話になりました。代母を快くお引き受けいただいた水 上さん。いろいろ御相談させていただきました。何もわからない私にミサの時もたく さんの方々が助けてくださいました。
皆様の御蔭で、洗礼の日を迎える事ができました。皆様、本当にありがとうござい ました。
そして、これからもどうぞ、よろしくお願い申し上げます。
また、私のgod motherであるアルゼンチンの友人達。今、彼等は母国を捨てなければ ならない選択を迫られています。どうか一日も早くあの豊かな大地に幸せが戻ってき ますように。今度は私から彼等のためにお祈りします。
最後に、一昨年神のもとへ召された私の尊敬するある方の言葉を皆様にお伝えした いと思います。
『世の中で一番素晴らしい事は平凡に生きる事。
地に足をつけて生きる事。』
『神様に結びついて』
エステル 下津ひとみ
はじめに、復活徹夜祭での洗礼式の際に、ご準備をして下さった教会の方々、代母 の海野様、そして宮下神父様、本当にありがとうございました。
私は、雙葉(カトリック)高校出身ですが、その後も多くのカトリックの方々に囲 まれながらも聖書を開くことのない生活でした。そうした時に、次男が幼稚園に入園 し、私も親のサークルである聖書の会に入って、聖書の素晴らしさに触れたのでした。 そして教会に行きたいなあと思い始め、神様にお祈りしていました。
ある日、府中からの帰り、鎌倉街道から辺りを見ていましたら、“カトリック多摩 教会”の文字が目に飛び込んできました。翌日には、次男を連れて教会に来て、とり あえず案内の紙をいただいて帰ったのです。
家に帰ってすぐに、神父様にお電話をしてみました。“はじめてなのですがあ聖書 の学びに来れますか?”とおそるおそるお開きしたところ、“ミサにぜひいらっしゃ い。”というお言葉。“いえ、小さい子がいるので迷惑がかかります。”“騒いだら 外に出して又、ミサに戻ればいいですよ。”とおっしやつて下さいました。主人に話 しましたら、そういう事なら家族で行こう。と申し、来始めたのです。
今、ここに至る道のりを考える時、神様が私と家族のことを導いて下さった事を思 い、胸が一杯です。しっかりと神様に結びついて、この感謝の気持ちを大事にしたい と思います。
歩みは遅いかもしれませんが、どうぞ末永く見守り下さい。