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2007年10月号 No.410  2007.10.27

「振り返り」 加藤 豊 神父
私設児童図書館の創設のことなど 石井 省三  
せんれいをうけて
かなざわきれん
洗礼を受けて 金沢 成美
“信仰と光”の初ミサ 加藤 幸子

「振り返り」
                                       加藤 豊 神父

 今年も残すところ2か月余りとなりました。「過去を振り返ることは、未来への責任です」とは、ご存じのように前教皇ヨハネ・パウロ二世が残した言葉です。
  わたしたちが前に進もうとするとき、何より頼りになるのは過去の経験だと思います。経験豊かな人に耳を傾けることから、不確実な明日へと歩み出す勇気がわたしたちのうちに湧いてくるのです。
 きっと、「振り返る」ということがなければ、わたしたちは人生に整合性を見いだすこともできず、物事を整理してあらたな気持ちで踏み出すことはおよそ叶わないのではないでしょうか。
 いうまでもなく、ここでいう「振り返り」とは、決して「後ろ向き」な姿勢のことでも「斬新さに満ちた冒険心の欠落」のことでもありません。むしろ「成長の材料を探すこと」、そのために「自分を見失わないこと」とでもいいましょうか、真に「前向き」であろうとする心の営みのこととご理解いただければと思います。
 「振り返り」によって、たとえわずかでも光が見えてくるとすれば、「経験」が貴重な宝であることを実感します。思うに、『聖書』(特に旧約聖書)に綴られている内容の多くは、度重なる労苦を信仰によって乗り越えてきた、あるいは耐え忍んできたイスラエルの人たちの「経験」です(旧約聖書においてイスラエルの人たちが「律法」を守ろうと努めたのは、神様の罰を恐れたからというより、幾度となく神様によって苦難の中から助け出されたことへの感謝からなのです)。
 しかしながら『聖書』を読むとき、現代のわたしたちには科学万能の固定観念がすっかり定着してしまっているせいでしょうか、物語のなかで展開する奇想天外な奇跡や、表現上の矛盾がどうしても気になってしまい、肝心な部分、すなわち地上を旅する神の民の「振り返り」という観点がおろそかになりがちです。ましてそのメッセージをみずからの信仰生活に重ね合わせてみる、ということはままならない現状なのかもしれません。
 教会は「振り返り」ということを大事にしてきました。あたかも未来への扉のように考えてきたわけです。たとえば(待降節や四旬節にはまだ早いですが)季節毎の「黙想」や、修道院等で行われる「静修」なども「振り返り」です。その他、かつていわれていた「良心の究明」などもまた日々の「振り返り」だったのですが、どちらかといえばそれは「後悔」というニュアンスが強く伝わってしまった感があります。もともとは地上で旅を続けるために振り返るのですから、本来「振り返り」はあらたな「派遣」と同一次元のことで、この二つは表裏一体だったのですが。
 ミサの度に朗読される聖書箇所や、感謝の典礼の奉献文(特に「第四奉献文」の記述)は、長い歴史をとおして先人たちが経てきた「経験」をもとに「振り返る」場となるものであります。そのような「振り返り」のうちにわたしたちは新しい一週間に向けて派遣されて行きます。
 わたしたちは、どうしても目先の問題や悩み事について結論を急いでしまい、ゆっくりと経験談から学ぶ時間や、じゅうぶんに「振り返り」をする時間を惜しんでしまうのです。結果的にはそのようにして逆に時間を浪費してしまっているのかもしれないのです。
 「振り返り」によっていただくお恵みは大きいと思います。それは上述のように未来への扉を開こうとすることであり、経験を、そして経験談を糧として受け取ることであり、遠い昔からこんにちまで信仰を生きてきた人たちへの敬意となるものであり、希望を養うことであり、内側から少しづつ温まろうとすることであり、それらは最終的には自分を大切にすることに繋がるのだと思います。


私設児童図書館の創設のことなど

                                         石井 省三

 1997年8月初旬、幾十年ぶりかの猛暑に見舞われたと言われた中国の首都北京で、何の前触れもなく突然、脳内出血に倒れたのです。経営する明窓学林・進学教室石井ゼミナールは、小4〜高3までを擁する、中・高・大学受験の進学教室として、小さいながら、すでに25年のキヤリアがあり、外国語、それも北京官話の専門塾を併設しようと考えていました。それで、前年は北京大学歴史系、その年は北京師範大学教育系の夏期集中講座を受講中に、脳血管障害というアクシデントに遭遇したのです。
 生死の境界を往復しつつ、何とか日本へ搬送され(生還)、満10年が経過しました。あの日の北京のような、今夏の暑さには、いささか参ってしまっているのは、私だけでしょうか。
 今では、規模も縮小し、小6〜中3までの、高校受験専門塾として細々と続けています。およそ1年間の入院中も含めて、35年間、教室を閉めたことは、1日もありません。創立35周年を内輪でささやかに祝ったのは今夏初めです。これからも生徒たちが門をたたいてくれる限り、開け続けるつもりですが、どうなるのかは、私自身何もわかりません。その中でも、サレジオ高専が多摩境に開校してから3年、毎年、進学させていただいているのは、うれしい限りです。
 こうして続けられたのは、多くの人々の、実行力をともなった善意のおかげです。肉親はもちろん、子供たちに変わらぬ教育愛を注ぎ続ける現場の担当者たち、私の身体・生活上の援護をしてくださる、医療関係者、ヘルパーさんたち、多くの師・知人・友人の方々の親切心のおかげで、今の自分があるのです。病院で一緒だった、運命共同体とも言うべき諸兄姉には、とりわけ感謝しています。特に退院間もないころ、お互い片麻痺の身体で、ハイキングしたり、山登り(高尾山、大山、武蔵御岳山など)や温泉入湯を楽しんだり、危ない場面では助けあいながら、ベストを尽くしていた日々が想い出されます。入院時の医療関係者のなかでは、障害者用車輛の運転技術の習得に、何日も同行してくださった作業療法士に感謝しています。片手でのパソコン操作も同様です。言語障害も重症だったのですが、今では日常生活に不自由はほとんどありません。これも言語療法士の忍耐強い対話療法を取り入れた、矯正加療の賜物です。それらの体験の数々が、身体的にも、心理的にも相当プラスになったと思います。
 身体上のハンデの状態で、塾とは別次元で、何か将来も長く続けられることを、模索していましたが、私設児童図書館の創設に思い至りました。相談した師友は皆、賛成して下さいました。私が決めた主な理由は、以下のとおりです。①幼・少年期の読書が、いかに人生途上(人格形成の上でも)で長短含めて、大事であるかという実感。 ②40年間近く、児童生徒の中で生活していることから、子供たちと切り離された生活は考えられない。 ③明窓学林の図書文庫には、すでに約2,000冊の蔵書があり、当面およそ10倍(20,000冊)の収集を目標。 ④書架・書棚の置き場所、読書・読み聞かせなどに使うスペースの工面ができること(簡単に言うと空き教室があります)。
 今では余ってしまった、塾の基本的な設備を活用しながらも、全く別の視点で出発するものです。それで、2007年6月27日(先述の創立35周年記念日)付で、私設・明窓学林いしい児童図書館(仮称)開設準備スタートの日として、立ち上げま
した。
 自分が置かれた現状を、ふり返ると、何事にも確固とした約束はできません。具体的なことは、まだ何も決めていません。まず図書の収集と整理から、少しづつ、はじめています。図書館運営について、何の知識もなく、全くの素人・アマチュアです。自信もありません。しかし、ネガティヴな発想・志向は避ける努力をして、あくまで積極的なプラス志向で事に当たりたいと思います。
 小学生の時、学級文庫で借りて読んだ本(例:山本有三編著「心に太陽を持て」など)、また少年時代、教会に置かれた、小さな図書文庫での数々の読書が、いろいろなことに出会った時のパワーの重要な源泉になっていることです。
 この10年間の実際の歩き方と同じように、前後と左右をよく見て、場合によっては上下(とくに足元)に、気をつけて、(危険だったり、疲れたりした時は歩を止めたり、後退する)、しかも周囲の自然を眺め、楽しみながら、ゆっくり歩み出しますので、よろしくお願いいたします。                      
     

せんれいをうけて     
                               マリア・テレジア かなざわきれん

わたしはせんれいをうけたとき、とてもかんげきしました。
マリア・テレジアになれてうれしかったです。

洗礼を受けて
                                  マリア・ローザ 金沢 成美
幼稚園と中学高校生活がキリスト教の教えの元で過ごしていたこともあり、私の心の中にはいつもイエス様がいらっしゃり、海外旅行の際はその地の教会を訪れるなど、自分の中でキリスト教は切っても切れない関係でした。しかし、日本の教会やミサに足を運ぶきっかけがなく、何となく「信者で無い者を受け入れてくださるのか?」と敷居の高さを感じ、「いつか行こう」と思いながら日々過ごしておりました。そのような2007年明けのある日、母からの「今日こそ教会に行きましょう」という一言で娘と親子3代で多摩教会を訪れました。そこは、私たち親子を受け入れてくださる温かい雰囲気に満ち溢れておりました。
そのような温かな雰囲気に引き寄せされごく自然に教会に通うようになり、加藤神父様や皆様のご指導の元、815日の聖母被昇天の日に娘と共に洗礼を受けることが出来ました。正直申し上げて、キリスト教に関する勉強もこれからがスタートという状態ですが、多摩教会に初めて訪れた日の気持ちを忘れず、1つ1つ学んで行きたいと考えております。そのような温かな雰囲気に引き寄せされごく自然に教会に通うようになり、加藤神父様や皆様のご指導の元、815日の聖母被昇天の日に娘と共に洗礼を受けることが出来ました。正直申し上げて、キリスト教に関する勉強もこれからがスタートという状態ですが、多摩教会に初めて訪れた日の気持ちを忘れず、1つ1つ学んで行きたいと考えております。
 最後になりましたが、初めて教会と訪れた日からご指導くださり代母もお引き受け下さった下津ひとみ様、また、娘の代母をお引き受け下さりいつも私たち親子を気に掛けてくださる萩原スミ子様、そして沢山の祝福を下さった教会の皆様方に感謝いたします。これからもどうぞよろしくお願い致します。
 

“信仰と光”の初ミサ
                                
                                          加藤 幸子

 9月15日(土)町田教会助任、天本神父様をお迎えして、“信仰 と光”のためにミサが棒げられました。当日は多摩教会の“信仰と 光”のメンバーに加え、浅草共同体のメンバー、さらに、その日がちょうど聖書入門講座の日であったため、そのメンパーも数名加わり30名近くが信徒会館に集い、加藤・天本両神父様によるミサにあずかりました。
 天本神父様は、この3月に叙階されましたが、神学生時代に静岡にあるラルシュ共同体“かなの家”(知的ハンディをもつ人とアシスタントが福音に基づいて共同生活する場)で数ヶ月間過ごされ、知的ハンディ もつ人たちとの関わりを通して、多くの気づきが与えられたことを、 かねてより語っておられました。私もラルシュ共同体の姉妹版ともいう べき“信仰と光”の活動を通して、天本神父様と出会い、いつか初ミサ をと望んでいましたので、早くも実現したことに深く感謝しております。
 当日の福音は、マタイ19 : 13~15 “イエスが子供を祝 福する”箇所を選びました。イエスさまは子供たちのことを「天の国は このような者たちのものである」と語られましたが、知的ハンディをも つ人たちの中にも、子供の姿を見ることができると思えるからです。
 “信仰と光”恒例の、福音箇所を寸劇(パントマイム)で表現する場 面では、この4月に多摩教会で受洗した萩原君がイエス役、参加者全員 が子供役になり、ひとりずつイエスの前に進み出て、頭に祝福をいただ きました。萩原君はイエス様になりきって、ひとりひとりにふさわしい コメントを即興で告げてくれました。「お酒を飲み過ぎないように」 「こんど信仰と光にきてください」「長生きしてください」等々・・・
 聖体拝領では、林やすえさんが久しぶりにご聖体をいただくことができ、お母さんも感激していました。
 多摩教会で“信仰と光”が始まって4年目に入りましたが、最近特に感じていることは、人はもともと自分のありのままの姿によろこびを感じられるように創られている、ということです。幼な子は自分の存在そのものをよろこび、同時に皆からよろこばれていますが、齢を重ねるごとにそのようなよろこびから離れていってしまうのが現実です。知的ハ
ンディをもつ彼らはそのようなわたしたちに、ありのままの自分をよろこぶこと、また互いによろこびあうこと教えてくれます。多くを要求さ れ、とかく息苦しさに覆われがちな現代社会にあって、小さく、弱く、傷つきやすい自分のままでいてよい、そんな居場所があることはとても うれしいことです。“信仰と光”は知的ハンディをもつ人たちを中心に、ありのままのお互いをよろこびあう場として、全ての人に開かれています。毎月顔を合わせることで、少しずつ友だちになり、それぞれが神様から与えられている、かけがいのないたまものに気づかされてゆく、そのような共同体を目指しています。共に福音の場を創ってゆきま せんか?
※“信仰と光”の例会は毎月第3土曜日(8月は休み)14:00~多摩教会信徒館1階で開催されています。

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