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2007年3月号 No.403  2007.3.17

「回心」から「快心」へ 加藤 豊 神父
2007年への希望 吉田 雨衣夫  
大きな力に支えられて 岩藤 大和
ある宣教者の殉死 井上 信一
叙階式4名の新司祭誕生 神井 貢成
感謝 後藤 昌子
「回心」から「快心」へ
                                     加藤 豊 神父

 今年もわたしたちは四旬節を迎え、今やその直中を過ごし、何よりも大切なご復活祭をお祝いする準備をしています。
 教会は2000年来心を込めて同じことを毎年繰り返しているのだし、そこにわたしたち信者の存在意義もあるわけですが、しかし、このニューズ巻頭言に関しては、同じことを毎年繰り返し書いていると誰も真剣に読んでくれないかもしれない、と、憂いてしまうわたしです。
 否、それ以前に、「そもそも去年の巻頭言の内容なんて、もう、忘れましたよ」という方だっていらっしゃるであろうことは、わたしにもわかります(なにしろわたし自身が忘れているのですから)、とはいえ去年の記事をそのまま載せてしまうとしたら、それはやはり「怠り」の罪となりましょう。
 さて、みずからの歩みを振り返ること、それを「回心」と称します。見て回ることをして「巡回」というくらいですから、「回心」とは、まさにみずからの「心」の回診、教会が伝統的に「振り返り」と呼んできた営みです(例えばわたしたちは主日のミサの開祭時、「回心の祈り」を唱えますが、あの場面はいわば一週間隔(あるいは一日間隔)の短い「振り返り」なのですね。
 ところで、「回心」の途上、「悔心」や「改心」が生じることがあります。普通「回心」というと、日本語では「回」す「心」と書き、単に「悔い改め」だけを意味しません。もっと根本的、本質的な内容を含んでいるので、わざわざ「回」す「心」としている点には注意が必要ですが、ただ、結果的に「悔心」や「改心」が伴うことも、もちろんあります。「悔心」、「改心」、いずれも「回心」に収斂されるといえるでしょう。
 更にもう一つの「回心」は、「開心」です。「わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします」。ご存じのとおり「主の祈り」の一文ですが、これについてわたしたちは、ひょっとしたら次のような理解に偏っていないでしょうか。「わたしたちが人をゆるさなければ、わたしたちも神様からゆるされないのだ」。従うか、背くか、といった人間中心的な視点、どうしてわたしたちはギブアンドテイクな感性でのみ、みことばを受け取ってしまうのでしょうか。ギブアンドテイクな関係に尽きるならそれは信仰ではなくビジネスではありませんか。「(他ならぬ神様から)ゆるされているのだから、(それに気付けば気付くほど)ゆるすことができる」という、このお恵みにわたしたちが気付けないことこそが問題なのだと思います。
 気前のいい主人、ものわかりのいい親、わたしたちを愛し、いたわってくださる方を前にして、わたしたちの側は必要以上に恐れたり、逆に見くびったりしてしまうのです。実に「回心」とは神様に「心」を「開」くことであり、それはやがて「快心」へと辿り着き、そのときわたしたちは信仰の喜びを深く味わうようになるのでありましょう(典礼聖歌「喜びに心をはずませ」164〜6番参照)。


2007年への希望
                                      吉田 雨衣夫

 加藤神父様から声を掛けられた時、「これも召し出しかな」と思い委員長をお引き受け致しました。
 多摩教会が少しでも居心地の良い所になればと思います。聖ヶ丘の聖堂も献堂以来7年目になります。教会の活動も多岐にわたり充実してきました。
 特に最近は小さな子供たちが沢山増えて、ミサの後等に教会の中を元気に駆け回っているのを見ると、なんだか嬉しくなってきます。 
 で、子供達をみていて、ふと思いました。「独身青年の姿が少ないなあ。」「そういえば壮年会もないよなあ。」そこで、アルバイトや仕事に追われている独身青年やオジさん達に少しづつでも働き掛けてミッシングリングをつなぐ事ができればと考えています。
 今ひとつは地区会がもう少し活発になれないかという事です。毎週の典礼奉仕・軽食サービス・バザー・冠婚葬祭と地区にお願いしている仕事は色々あります。
 これらに加えて転入者・新入者の受入れも基礎になるのは地区会だと思います。今以上に地区内・地区間の結びつきを深めて新しく多摩教会に来られた方々が一日でも早く私達の教会に溶け込んで下さるような状況をつくれれば良いと考えています。
 微力では御座いますが、加藤神父様はじめ皆様方の御指導・御協力を改めてお願いする次第であります。


大きな力に支えられて―委員長任期満了の挨拶―

                                      岩藤 大和   
                                      
 2004年2月信徒総会から今年2月11日同総会までの3年間、多くの皆様に支えられ任務を無事終えることができました。もとより私にとって教会は霊的成長の場なのですが、教会活動を通して皆様の祈り、助言や積極的なご協力の力強さを体験する貴重な場になりました。毎月の司牧評議会の運営、ニューズ発行、年間大祝日の典礼と行事を加藤主任司祭の指導のもとに行い、私達の共同体「多摩教会」は、確実に成長を続けることができました。
 2004年(多摩東協力体発足の翌年)は、調布教会で「合同ミサ」は盛大に開催され、また青年達のサッカーチームは発足し交流の輪を広げました。 2005年は、8月にワールドユースデー(WYD)ケルン大会が開催され、加藤主任司祭は引率者として出席され、この間に聖母被昇天納涼会は行われました。2006年のビッグニューズは星野正道神父様を多摩の協力司祭に迎えたこと。更に5月〜11月の間、司祭要請の地区集会が全地区対象に開催され、新たな形の司祭と信徒の絆になりました。懸案の教会規約改訂も行われ、信徒館屋根などの修理も実施されました。
 これら全ては大きな摂理がはたらいたもの、そして大きな力で支えて下さった多くの皆様の賜に外ならぬものと思います。心から厚く御礼申し上げます。


ある宣教者の殉死

                                                                一ノ宮地区 井上 信一

  昨年末の12月16日マダガスカルで28年間、「キリストのことばを運ぶものとして、また助産婦として現地の方々のために心と身体のすべてを尽くして働かれていた」マリアの宣教者フランシスコ修道会のシスター遠藤 能子さんが急な病で亡くなられました。
  ご存じと思いますが、このマリアの宣教者フランシスコ修道会は、今から約110年前にローマの本部から5人のシスターを熊本に派遣して、当時この地に集まっていたハンセン病患者の治療活動を我が国で初めて立ち上げたという歴史を持っています。それがこの修道会の日本における宣教の出発点でした。1977年、今度は「日本から世界宣教へ」という本部の呼び掛けに応じて、今から30年前にシスター遠藤はマダガスカル行きを決意されました。2年半の間パリでマダガスカルの公用語であるフランス語を習得してから、現地に入られて産院や診療所の運営に携わりながら、修道院の責任者として宣教活動を続けておられました。
  マダガスカルは世界で四番目に大きい島で、面積は日本の1.5倍以上もあります。住んでいる人々は、アフリカ系人種とマレーシア系人種が共存しているので、アフリカより少しアジアに近いと言えましょう。1960年にフランスから独立して以来、幾多の政治的変遷を経て、一時は社会主義政権も実現しましたが、現在の大統領が2002年に就任して以来、政治情勢は大分安定してきました。国民の80%が農業に従事していますが、一人当たりの国民所得は300ドル以下という貧しい状態にあります。シスター遠藤は昨年11月に「きずな」(脚注)に次のように書かれています。
  「農繁期の今、マダガスカルでは農家の人々は、経済的に貧困のどん底にいます。診療所も支払える時に払っていただくというシステムにしています。そうでないと、お金がないからという理由で、もう最悪の状態、手遅れの状態でやって来ます。どうしてこんなにまで…と言いますと、皆さんお金がないから来られなかったと、同じ答えをします。そのことをもう知っている私は、どうしたらよろしいのでしょう」。
  シスター遠藤は最初、首都アンタナナリボの南方170キロにあるアンチラベという町で活動を始められました。そこのアベ・マリア産院で助産婦として15年間奉仕と宣教に当たられました。その後さらにアンチラベから数百キロ離れたアンボヒナオリナという町で診療所の運営と修道院の責任者として活動を続けられていたのです。 アベ・マリア産院では1ヶ月に100件ほどのお産に対応しなければならなかったとのことで、昼夜を問わずの仕事です。女性は14歳位で結婚適齢期となるので、そこで生まれた子が母親になり、その出産に立ち会うこともあったとのこと。どれほど多くの母親にシスター遠藤は暖かい手を差しのばされたのでしょう。でも全ての母親が健康というわけではなく、特に湿度の高い土地でもあるので、結核に罹る人が多いのです。シスターは上記の「きずな」に次のようにも書いておられます。
  「ある貧しい家庭の主婦が子供たちはまだ小さいのに、結核に冒されて悪化をたどる一方でした。その弟は28歳の若さで亡くなり、すでに家族4人が結核で亡くなっています。一日も早く治療を受けさせるには、どうしても援助が必要です。どうして彼女に援助の手を差しのべずにいられましょうか」。
  昨年12月13日の夕刻、シスター遠藤は体調を崩し、熱もでたので、マラリアの治療薬を飲みました。アフリカやマダガスカルではほとんどの人がマラリア菌を持っており、熱が出ると先ず抗マラリア剤を飲みます。それで治らないと、初めて他の病気の可能性を診断されるのです。シスターは回復の兆しがなく、熱も下がらず、腸チフスの疑いもあるとのことで、抗生剤の注射などの治療を受けました。15日の夕方から食べ物も飲み水もとれないという容態になり、点滴を受けました。そして、16日土曜日の早朝5時にアンチラベに向かって救急車で運ばれることになりました。その目的地に着くまであと20キロほどのところで、ほとんど話ができなくなり、そのまま亡くなられました。医師によると急性心停止ではとのことです。まだ63歳という若さでした。
  同じ修道会のシスター牧野はアンチラベで、シスター平間はアンタナナリボでそれぞれ活躍されています。その日はシスター牧野も所用でアンタナナリボにいたので、そこから二人はアンチラベに駆けつけましたが、車で4時間も掛かるので、間に合いませんでした。シスター遠藤の救急車に同乗してきた現地のシスターが、泣きながら二人にとびついてきて、しばらくは抱き合ってただ泣くばかりだったとのこと。
  12月18日葬儀ミサは、アンチラベの教会で司教様を初め15人の司祭の共同司式で執り行われました。シスター遠藤が15年もおられたところだけに、たくさんの人々が参列し、聖堂に入りきれないほどでした。最後のお別れでは皆が泣き出し、今までにこんなにたくさんの人々が泣いたのを見たことがないと言っていました。(シスター平間のお便りによる)
  学校の建物を寄付するなどでマダガスカルのシスターたちに援助の手を差し伸べられている曾野綾子さんが産経新聞(12月25日付)に書かれた記事の一部を最後に引用させてもらいます。
  「…シスター遠藤は私が出した手紙を丁寧に四角く切ってそれを(薬の)包み紙に使っていた。徹底して使われる紙の使命を、私はこの上ない光栄だと感じていた。  シスターたちは何故そんな僻地に好んで行くのでしょうか、と人は聞く。本来ならよそ者の私が代わって答える立場にはない。しかし彼女たちは、他人に命とささやかな幸福を与えることを、この上ない生き甲斐と感じていたのだ。多くのアフリカの国では、お金がなければ、医者にもかかれず、薬も貰えない。しかしシスターのところに行けば痛みを止めてもらえ、子供の命も救える。(中略)シスターは国や社会との契約や常識ではなく、神からの使命 −受けることの権利ではなく、与えることの光栄− を選んでそれに殉じた。激しく濃密な、しかし人には優しい人生であった」。
  シスター遠藤の死の悲しみを乗り越えて歩もうしているマダガスカルの兄弟・姉妹のためにどうぞお祈りください。

(脚注:「きずな」は日本カトリック海外宣教者を支援する会の季刊会報紙です。)
 

叙階式4名の新司祭誕生“ 司祭叙階おめでとうございます ”

                                          神井 貢成

 2007年3月4日、晴天に恵まれ南東の風が心地良く気温も19℃と暖かな午後2時から東京カテドラル聖マリア大聖堂で、東京教区の3人の叙階と当初聞いていたのですが、ドミニコ会の1人も加わり4人の司祭叙階式が行なわれました。
 叙階の儀に臨まれる4人の助祭の方々に繋がる多くの信徒がお祝いに駆けつけ、大聖堂は後ろに立つ人が出るほど超満員となり、内陣には共同司式をするために並ばれた司祭も大勢で荘厳でした。
 2時間にわたる式でしたが、叙階の儀の中で、司祭たちが新司祭一人ひとりに按手するときの聖堂内の静寂さは式の尊さを会衆席の全ての信徒が感じ取っていたものだと感じました。ミサの歌や、叙階を祝う拍手が聖堂をふるわせ「諸聖人の連願」では、先唱者と会衆の声が重なりあって聖堂内にいるたくさんの人々が一体となっていると感じたのは私だけではなかったと思います。
 岡田大司教は、「私たち司祭はイエス・キリストに倣いイエスの生き方を学んでいかなければならない。アガペの実践は難しいことではあるが神の助けを借りて生きていきましょう。信仰に生きる事が難しい日本ですが、26聖人など、たくさんの殉教者をいただいているこの日本で、今年はペトロ岐部と187人の殉教者の列福を祝います。その殉教者の国で神の愛と光、癒しと励ましによる生活をしたいと思います」と、新司祭たちに司祭としての心構えを伝えました。
 式の終わりに教区司祭3名の派遣先教会が発表されました。天本司祭は町田教会、高木司祭は関口教会、門間司祭は習志野教会で、司祭職の第一歩を踏み出されます。
 新司祭のみなさまが、今日の喜びと感動を忘れず、司祭という道に人生を懸けていくことができますようにと、心をあわせてお祈りしたします。 
 

感謝
                                    貝取地区 後藤 昌子

 今年は温暖化も手伝ってか、暖かい冬でした。家から出られない私でもよく感じられました。
 今日は、そんな私に、毎週「聖書と典礼」と、「カトリックニューズ」を届けてくださる方がいらっしゃいます。黙って郵便受けに入れてくださいます。 
 ほんとうに有難いことで、感謝の気持ちでいっぱいです。
 ご復活の日も近いこの頃、お礼の心で投稿いたしました。
 どうぞ、皆様お元気で!!
                  神に感謝

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