2006年9月号 No.397 2006.9.16
1 | 聖変化 | 星野 正道神父 |
2 | 司祭要請による地区集会に出席して | 松本 和子 |
3 | 3教会合同キャンプに参加して | 塚本 博幸 |
4 | 中高生キャンプ | 大瀬良 誠 |
5 | 中高生会キャンプ | 手塚 薫 |
6 | 八巻信生さんとのこと No.2 | 北村 司郎 |
聖変化
星野 正道神父
短かった今年の夏も終わってしまいましたね。みなさんどんなふうにお過ごしでしたか?
夏の思い出は独特のタッチでわたしたちの心に描かれるようです。小さい頃真っ黒になってかけ回ったキュウリ畑、真っ青な空にモコモコわき上がった入道雲、大きな口を開けて直接夕立雨を飲みながら子犬と走ったかえり道、今となっては全部わたしの宝物です。お金では決して買えないし、もう一度体験することももう不可能です。いつもそこには大切な人や人間たちを包み込む美しい自然がありました。もう再び帰って来てはくれません。
だから提案です。今もしかしてあなたには負担だったり、意味がないのでは、と感じたりしていることがあるかも知れません。そんな時、聖霊に吹かれちょっと立ち止まってみてください。これももしかしたら大切な宝物になるんじゃないかって。わたしたちはミサの中で祭壇にささげたパンとぶどう酒がイエス・キリストの御体と御血になることを知っています。その場にもたびたび立ち会っていますね。そしてこのキリストはわたしたちに生きる力を与えてくれます。これを聖変化といいます。もしかすると今日、出会ういろいろな出来事もなが〜い時間をかけて聖変化しようとしているのかも知れません。今日、小さいお子さんが熱を出したらパパが疲れも忘れて車を出してくれたこと、3歳の息子さんが遊園地で遊び疲れてパパの大きな背中で安心して眠っていること、妻の実家に帰って白髪まじりのお義父さんと夜のふけるのも忘れて酒を酌み交わしたこと、結婚式を前にしてあれもこれもまだ準備できていなくて、お母さんとけんかしたこと、みんな、みんな、やさしい時間の中で聖なるものへと変わっていきます。聖変化です。こんな何げない今という時が過ぎ行く時間の中であなたを生かす尊いものに変化しているのです。
ミサで聖変化に立ち会っているキリスト者は決して今をおろそかにしません。なぜって今がどれほど日常に埋没していようと、それは大地のめぐみであり人間たちの英知の実りだと知っていますから。今、こどもたちのこころを思い出でいっぱいに満たす時です。大人たちが今日のわずらわしさから逃げないようにしながらです。今のわたしたちのどんな出来事もいつかはこどもたちが確実に出会う現実です。そういう意味では人の世はくりかえしであり、お互いさまです。大人たちがなが〜い聖変化を経て親の気持ちがわかるようになったようにこどもたちもおんなじ道を行きます。その時わたしたちは地上にいないかも知れません。でも大丈夫なのです。もっとも確かなものを彼らに残したのです。彼らもまた年老いた時、自分の人生を肯定する力となるもの、いのちの糧、お金では買えない、繰り返すこともできないもの、どんなことに出会ってもだれからも奪い取られることのない宝物。
だから信じましょう。今日のあなたの出来事の上にもう聖変化は始まっていることを。
「・・・信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確信することです・・・」
ヘブライ人への手紙 11−1
司祭要請による地区集会に出席して
松本 和子
9月2日、諏訪・永山・聖ケ丘・稲城地区集会は快晴に恵まれて、信徒館ホールに23名も参加し、行われました。
お手伝いするつもりで早めに教会に着きましたのに、既にホールには机、椅子が配置されてあり、その並べ方が新鮮に目に入りました。
神父様のおっしゃるように、まさに主の食卓を囲むようにぐるりと席に着いて、地区のための心の温まるミサを捧げていただきました。
神父様のいろいろのお報せの後は質問もとびかい、初めておめにかかった方、お顔は知っていてもお名前が一致しなかった方などともご一緒でき、このような和やかな地区集会の大切さを感じました。有難うございました。
3教会合同キャンプに参加して
塚本 博幸
「なかま」―「ともに仕事をする人。また、その集まり」と辞書に書いてある。私はこのキャンプで真の意味での「なかま」を得ることができた。ともに遊び、ともにミサにあずかり、ともに食事を作り、ともに学んだ。そんな素晴らしい、そしてかけがえのない「なかま」を私は得た。
初日に集合した時はまだ、私は不安でいっぱいであった。本当にこの「人」たちと4日間なかよく教会の壁を越えてつきあえるのだろうか?私は非常に心配だった。バスレクの時もテンションは低かったし、なんとも言えない空気が我々の間をおおっていた。
しかし、「人」→「友」となるイベントがあった。2日目のスポーツ大会である。私はスポーツの言葉や人種の違いを乗り越えていくだけの力を実感した。ましてや、私達は同じカトリック信者である。そんな壁を乗り越えるのはスポーツにはたやすい。私達の口数もどんどん増していった。私も積極的に発言できるようになり、みなで一つになることができ、非常に気持ちがよかった。
さらに「友」→「なかのいい友」となるイベントが3日目、スタンツ大会であった。スタンツとはあらかじめ分けられた班単位でお互いに出し物をし合い、自分を表現するものであるが、この企画の素晴らしいところは「テーマが自由」ということだ、と私は思う。今回は劇をしなけらばならない、とリーダーから指定があったが、それでも内容は自由そのものだった。コントのようなことをやった班もあったし、聖書の話をわかりやすく解説した劇もあった。しかし、その中に共通してあるのは「自分達を何かしらの型で表現する」というものだ、と私は思った。テーマが自由だったから、みなとても活き活きとしていて、非常に楽しかった。そして、私も発表をした。劇の発表もしたが、ギターを弾いたりもした。発表をしている間、私は何かとてもいい気持ちになった。そして発表が終わって拍手―とてもうれしかった。極めつけにその後の光の集い(このキャンプでの感想を1人ずつ発表していくもの)でみんなが一つになったことを実感した。なんともいえない、この一体感に私は酔いしれた。これで、私達は「なかのいい友達」→「なかま」となった。
私はこれで終わりだと思っていた。「なかま」以上の発展は私達にはないであろう、と。しかし、それは愚かな考えであった。その事故は最終日のミサの中で起こった。
最終日のミサ(私は誠と一緒にギターで伴奏をしていた)の退堂の曲で「なかま」を弾いていると、最後の方でとなりから聞こえるギターの音が乱れている。私は「誠がこんな曲で間違えるはずないよなぁ?」と思いつつとなりを見た。すると・・・そこには涙を目にためた誠の姿があった。私と誠は古くからの友達、そして「なかま」だ。しかし、泣いているのを見たのははじめてであった。普段はあまり感情を表に出さない彼が泣いているのを見て、みんなが寄ってきた。この瞬間であろうか。私は感じた。みんなが「なかま」→「かけがえのないなかま」になったのを。そして、すばらしい一体感も感じた。私はいつまでも、この感情を、この瞬間を忘れないであろう。調布教会へ帰るバスの中でもその素晴らしい雰囲気は続いた。私は幸せであった。解散式にもう一回、みんなで「なかま」を歌ったときは、私もグッとくるものがあった。まだこの「なかま」と別れたくない。ずっと一緒にいたい。そんな気持ちであった。
最後に、この合宿を運営してくれたリーダーや神父様、山荘の管理人さんや、バスを運転して下さった山田修道士さんにも、そして「かけがえのないなかま」となったキャンプの参加者全員に言いたい。「私となかまになってくれてありがとう。」
中高生キャンプ
大瀬良 誠
私はこの夏、多摩・調布・府中の三教会合同中高生キャンプに参加しました。今回は初の三教会合同で、更に班長という大役を任されたこともあり、初めのうちは不安が付き纏っていましたが、その不安は一日目が終わる頃にはすっかりなくなっていました。
一日目の八月二十二日、野尻湖カトリック教会に無事到着し、とりあえず、一安心しました。荷物の搬入等を済ませた後、三日目のスタンツに向けて練習等をしました。仕切る事が苦手な為、まとまりのある班で助かりました。そして夕食後、このキャンプにおいて私が最も嫌悪する行事である肝試しが行われました。この時ばかりはキャンプに参加しなければ良かったとさえ思いました。
八月二十三日、言うなればこの日は『熱い一日』でした、午前中は体育館でスポーツ大会が行われ、結果見事な逆転負けをして非常に悔しい思いをしました。祈りが通じたのか午前中から降り続いていた雨が止み、午後に野尻湖で泳ぐ事が出来ました。夕食のBBQの後には花火をしたり、二年ぶりになる神父さんの聖書学習を聞くことができて、とても充実した一日になりました。
八月二十四日、中高生キャンプ最大のイベントであるスタンツが行われました。私の班は聖書に関するクイズをやりました。自分達より前の班が高レベルすぎた為、とてもやりづらかったです。班とは別に、個人参加で多摩のヒロと調布教会の裕貴と私の三人組『カチューン』で参加し、「十五の夜」を歌いました。その後に、この日の為に一年前から練習していたインストルメンタルの曲をヒロと演奏しました。多少ミスはありましたが満足できる結果に終わることができて良かったです。
八月二十五日、長いようで短かった三泊四日の最終日が来ました。お世話になった野尻湖カトリック教会の掃除をした後、ミサが始まりました。第一回目のキャンプから恒例になった閉祭の歌「なかま」の3番を歌っている途中、私は改めて見直した歌詞に感動して、歌う事ができなくなるくらい泣いてしまいました。本当にこの歌は素晴らしいです。もし聞いた事がないという方は、歌詞だけでもご覧になってみてください。
・・・最後に、中高生会をつくり、「なかま」という素敵な歌を教えてくれた宿里さんに、そして『家族』のような繋がりを与えてくださった神様に、感謝。
中高生会キャンプ
手塚 薫
僕はこのキャンプを通して様々なことを学び、成長した気がする。
8月22日、僕達は朝8時半に調布教会を出発し、野尻湖へ向かった。途中、バスの車内では結構盛り上がっていたが、今までにあまり話したことがない人が多かったので、会話にはあまり参加しなかった(できなかった)。そして予定よりも少し遅れて野尻湖に到着した。自由時間のとき、班で演奏会の準備をすることになり、意見をだしあった結果、「萌え萌え戦隊オタレンジャー」とかいう劇をすることになった(内心かなり嫌だった)。そして配役も決定、僕はオタレンジャーは絶対に嫌だったので、敵の役をやることにした。二日目の自由時間は、セリフ等の細かい動きをやることに、そのとき、ほとんどの人が一言もセリフを言えなかった(もちろん、自分も言えなかった)。しかし、猛練習して、何とかできるようになった。
そして、当日。少しでも練習したかったが、あっというまに時間は過ぎてしまった。ついに演芸会が始まってしまった。どの班も非常に面白かった。そして僕らの番、みんなふっきれたのか、練習以上の実力を出すことができた。心が晴れやかになった。帰りのバスの車内はとてもにぎやかで楽しかった。僕は今回のキャンプで明るくなったんだな、と笑いながら話しているときに思った。こんなにいい思い出をつくらせてくれたリーダーさんたちに感謝。
八巻信生さんとのこと No.2
北村 司郎
今年の被昇天祭は、八巻さんがいつも座っていた聖堂の席に座ってしまった。この位置からミサに参加していたのかと思うと感慨深かった。そして、最初の被昇天祭を思い出した。聖蹟記念館だった。ミサ後、キャンプファイヤーを行った。この時代みんなが集まれる場所がなかったわけだから、クリスマスや復活祭は農協ホールで、というようにただ、もしくは安く借りられる所が聖堂に早変わりした。そんな際、八巻さんは、消防署や警察への連絡を一手に引き受けてくれた。本当に気がつく人だったように記憶している。今年も被昇天の特別献金はタル献金だった。最初のタル献金の発案は八巻さんである。大きな祝日の度に、タルが登場した。あのタルは八巻さんがどこからか調達してきたが、多分、お酒に関係するものだったと思う。
前回も教会の創設当初は、建物がなくともいろいろなことが出来た、と書いたがその中のひとつに「からしだね教室」というのがあった。この教会のメンバーに教師が多かったことから、夏休みに自分で宿題が出来ない子のお手伝いをしようということで、多摩市の公民館の一室を借りて行った。最後の日に新聞を作ろうということになって、先生は八巻さんである。当時の市長富沢氏にアポを取り、子どもたちを連れてインタビューをしたのである。マスコミ畑を歩いてきた八巻さんにとってインタビューも新聞を作ることも朝飯前のことだったかもしれない。
教会ニューズは長年、八巻さんの手で発行された。ワンカップとピーカン片手に教会委員会が終わったあと編集をしていたのを思い出す。文章は早いし、表現も的確だったように思う。今のようにワープロで書くわけではないから、我々の読めない漢字を使って「どうだ読めないだろう」といういたずら心を感じることも多々あった。でも機械に弱いといいながらワープロを必死で覚えていた八巻さんの姿を思い出す。第1号からのニューズの合本が今も信徒館の2階に残っている。八巻さんの作である。
ニューズと言えば、小宇佐神父様が巻頭言でYという頭文字で、八巻さんを想定して定年後の教会への関わりをいつか書かれたことがあった。いちばん早く教会へ来て鍵を開けてミサを待つ、そんな内容だったように思う。「これは誰が読んだって私だってわかる」八巻さんの感想である。小宇佐神父様が横でニヤニヤ笑っていたのを思い出す。でも、定年後、八巻さんがそんなことをしているのだろうな、と誰も考えたのではないだろうか。そんなかかわり方をされていたのである。
私は数字に弱いから、とお金に関することにはほとんど無関心だったように思う。天にそびえる塔のある聖堂よりも、我々の実力にあった聖堂を。そうなると当時の実力から言えばマンションが限度であったと思う。八巻さんも私もそうだったが、身の丈に合う聖堂で充分マンション教会が満足のいくものだったように思う。
いつだったか記憶にないが、「北村さんね。私は多摩教会がかわいいんだよなー」と静かに笑っていたあの笑顔を、この言葉と共に忘れることが出来ない。
*前号の3年史は5年史の誤りでした。訂正いたします。