2004年2月号No.366 2004.2.14
1 | 信徒総会を終えて | 加藤 豊神父 |
2 | 「ドン・ボスコの日、神学院恩人感謝の日」に参加して | 岩藤 大和 |
3 | また新しい一歩を、よろしくお願いいたします | 岩藤 大和 |
4 | 委員長を辞任するに当たり | 井上 信一 |
5 | 2004年1月18日 桜ヶ丘地区 | 佐倉 リン子 |
信徒総会を終えて
加藤 豊神父
わたしたち多摩教会は今年も無事に信徒総会を終えることができました。わたしにとりましては、こちらに着任してから最初の総会でしたし、また、それは同時にわたしがいわゆる主任司祭という立場で迎えた最初の総会でもありましたから、正直なことをいうとわたし自身の準備不足、不馴れや応用の利かなさがその場で全面的に露呈されないようにと、少しかしこまった気持ちで総会に望んでいたのでした。しかし多くの方々のご尽力やお気遣いによって支えられ、ことなきを得ることができました。総会開催までの度重なる準備をしてくださった皆さんに、そして、参加し、協力してくださった皆さんに、この場をお借りしてお礼を申し上げます。
信徒総会はそれぞれの小教区(聖堂共同体)にとっての一大事ともいうべき節目の会合です。2004年度の多摩教会(多摩聖堂共同体)は、これによって今年も新たなスタートを切ることになりました。その意味で今や2月の半ばではありますが、今年度もよろしくお願いしますという気持ちになっているわたしです。
ところで共同体の会合として最も大きなこの信徒総会は、小教区のそれまでの一年間の具体的な営みを確認し、新たな年間の活動を見つめるために開かれるのですが、その共同体の信徒代表は教会委員長と呼ばれています。
皆さんもご存じのように、主任司祭と教会委員長とはいわば2人3脚です。2003年度、わたしたちの共同体において献身的にその役割を果たされ、新米主任司祭であるわたしを(精神面においても)支えてくださった前委員長の井上信一さんに心から感謝します。そのお人柄や行事運営における抜群のセンスから、わたしは多くを学ぶことができました。そして2004年度(実質総会後)新委員長を引き受けてくださった岩藤大和さんに心から感謝します。その細やかな気配りによってどうか未熟なわたしを助けてください。更に新旧委員長への感謝に加え、長年に渡り多摩教会の典礼を豊かにするため努力してくだり、今回、典礼委員を辞任された遠藤和輔さんにも感謝します。まことに典礼は共同体のエネルギー源なのだと実感しました。
こうして総会を終えた今、2003年度を振り返ると、それはわたしにとって学びの年であったと思います。もちろん毎日が勉強という点では、去年は特にそうであったという意味です。皆さん、これからも色々教えてください。
“そして夢を持て、死ぬ直前まで!”
「ドン・ボスコの日、神学院恩人感謝の日」に参加して
岩藤 大和
サレジオ会創立者、聖ドン・ボスコを記念して毎年行なわれている「ドン・ボスコの日、神学院恩人感謝の日」と題した記念式典が、2月1日5時から調布サレジオ会ドン・ボスコホールにおいて関係者を招待して行なわれた。出席者はサレジオ会の司祭・シスターをはじめ学校・教会関係者と信徒でうめられ,多摩教会から加藤神父様と2人で参加した。式典は、日本管区長の藤川神父様司式による、みことばの祭儀で始まり、聖歌・祈りに続いてドン・ボスコ伝から「ドン・ボスコを育てた母の教育」が朗読され、「摂理への信頼」をテーマに聖書朗読があった。続いて藤川神父様から、イタリアを訪問した時、ドン・ボスコ(1815〜1888)が晩年暮らした部屋の様子や青少年教育に対して抱いていた夢などについて感銘深いお話があった。その強く印象に残った一部を紹介したい。
ドン・ボスコの部屋には、粗末なパイプベッドと地球儀の置かれた机が置いてあった。当時の地球儀は、今の地図のように正確なものではなかったかも知れない。ドン・ボスコはこの地球儀を見ながら青少年の父として、「より広い視野で、大きな展望をもち、そして、1)自分につながる国だけに視野を留めることなく、どんな地域にまでも。2)どんなことからも学べ。どんな人からも、どんな状況、それが逆境であっても。3)そして夢をもて、死ぬ直前まで。」とメッセージを送り続けていた。こうしたメッセージによりドン・ボスコ没後110余年の現在では、世界に92カ国に17000人のサレジオ修道会会員がおり、約1700の大学や幼稚園などを開設し従事している。(多摩境に開校予定の育英工業高専も同会。宮崎カリタス修道女会も姉妹校)
この後信徒会館に会場を移し、神学生たちによるコーラスや演奏、それに若き苦学の神学生ドン・ボスコを題材にした愉快な劇など、笑いと会話の弾むパーティーが夜8時過ぎまで行なわれた。
また新しい一歩を、よろしくお願いいたします
━ 委員長就任の挨拶 ━
岩藤 大和
「喜びにこころを弾ませ、神の家に行こう」私の好きな聖歌163番(年間・入祭)の歌いだしの一節であり、主日ミサに向かう時の私の心境です。
「神の家」とは、私にとっては「多摩教会」であり、心に響くみ言葉に耳を傾け、主であるキリストを頂いて、週のはじめに心の糧を得るところです。そして昨年はその前の年に委員長のお役を終えて、開放感に浸っていました。
昨年暮れ押し迫った29日でしたが、加藤神父様から井上委員長さんがお辞めになるので、2004年の委員長になるようにとの話しが有りました。突然のことであり、しかもベテランの井上委員長の後を継ぐことは、重責を担うことだと緊張し、心弾む どころではないと大変迷いました。しかしその後、何人かの方から「共同体ですから皆で力を合わせるのは当然ですよ」、と声をかけて頂き、励ましのお祈りを頂き大いに力づけられました。
「弾む心」と「緊張する心」、これは新しいものへ向かう「新鮮な気持ち」であり、今回私に与えられた使命の賜物と考え、これをスタンスに共同体のまた「新しい一歩」に取り組みたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
委員長を辞任するに当たり
井上 信一
2003年度に委員長をやらせていただきましたが、少しでも早い若返りが必要と思い、辞任させていただきました。今振り返ると本当に慌ただしい1年だったと思います。主任司祭が交替されたこと、小教区の再編成がスタートしたことなどがあったからでしょう。その中で典礼暦に従った行事も例年どおり行われましたから、皆さんには本当に忙しい年だったと思います。その中で、「信仰と光」の集まりが始まったことも、新しい一歩に違いありません。素晴らしいクリスマス・コンサートと聖劇も忘れられないでしよう。
皆さんと一緒に祈り、奉仕させていただいたことを心から感謝しています。これからは、また新たな気持ちで、皆さんと一緒に私たちの共同体を大切に生きたいと思っていますので、よろしくお願いします。
2004年1月18日 桜ヶ丘地区
佐倉 リン子
私は今までに婦人部3回、地区委員2回を経験したが、ここでは日曜日のミサと司牧評議会(月1回)の間の時間をどう過ごしたかを“歴史的”に振り返ってみたい。
大栗橋近くのマンションに教会があった頃は向いのおそば屋さんで昼食をとり、その後信徒館つまりマンションの一室に戻って時を過ごした。
馬引沢橋たもとの現在地に引越して来てからはローソンに行っておにぎりを買い、教会の台所に戻って1人又は2・3人でぼそぼそとお腹を満たしてから2階の会議室に登ったものだった。軽食サービスが始まってからは外食に頼る必要がなくなり、みんなとおしゃべりや情報交換をしながら昼食できるようになった。更に階下の台所と信徒館(旧聖堂)がリフォームされてからは軽食サービスに集まる人が増えて司牧評議会を待つ間もずっと楽しくなった。
大栗橋から初期馬引沢橋時代を石器時代に例えるなら、司祭館の台所を使って軽食サービスを初めた頃は縄文時代、そして今は弥生時代と言うのが私の頭の中にあるイメージである。さて、この食文化の進歩に取り残されていたのが、ずーっと川島氏が引き受けてくださっていた典礼部の活動かもしれない。1年余り前、日曜日のミサ奉仕を皆で分担しようとの声が上がり、便宜上地区単位でおおよそ2ヶ月に1回ミサ奉仕をさせていただくこととなった。桜ヶ丘地区ではこの奉仕への協力体制は直ぐ自然に出来上がった。以来私が時々心の痛みと共に思ったのは、2ヶ月に1回数名で力を合わせてすることを、川島さんは殆ど1人で毎週何年もやっていらしたのだと言うことであった。
今週もそのことを考えていて、聖書の中で1人の少年が持っていたパンと魚を集まった人々が分けてもらい、全員が満腹になったと言う話を急に思い出し、川島さんのパンと魚を私達が分けていただいていると思えるようになり、安心したのである。