1 | ご聖体が聖堂にある恵みを感じて | 宮下 良平 神父 |
2 | シニア・デイ | 吉田 雨衣夫 |
3 | ジャック・ビュルタンさんから音楽の贈り物 | 井上 信一 |
ご聖体が聖堂にある恵みを感じて
宮下良平 神父
先日、昨年から予定されていたアイルランドの教会巡礼に同行してきました。折し も、アメリカの同時テロが起こった一週間後の出発となりました。マスコミか報道し ていたようには、空港や街角などでの厳戒態勢は全く見受けられず、交通機関も全て 支障なく運行されていました。
アイルランドは1949年にイギリスから独立するまでの400年間はイギリス連邦の一 部として統治されていました。そのために、イギリスの聖公会に属する「アイルラン ド教会」が国教とされていました。
400年間のイギリス統治により、首都ダブリンや地方の都市の12〜16世紀頃に建て られたコチツク様式の大聖堂は、ほとんどアイルランド教会などいくつかのプロテス タントの礼拝堂として現在でも使われています。
ガイドさんから訪れる教会がカトリックではないと説明されていても、外観からし て、どこかカトリック教会の聖堂に入るような期待を感じながら、入口の門を入りま した。
ところが、何か雰囲気が違うのです。聖堂の中もカトリックのままで、ステンドグ ラスもその当時に出来たものでした。しかしながら、私は何か歴史博物館にでも入っ たような感じを受けながら、そこにある展示物や像の説明を聞いていました。正面 の内陣・祭壇部もそのまま残っているにもかかわらず、カ トリックでは使われないだろう使われ方をしている聖堂もありました。それはもうカ トリックではないから当たり前と言えばそのとおりですが、やはり残念な気持ちが正 直ありました。
ところで、首都ダブリンのカテドラルは、1825年に献堂されました。しかし、イギ リス支配下では、カトリック教会は人目につく場所に建てることが禁止されており、 裏通りの一角に目立たないように建てられました。そしてその名を「PRO−CATHEDRAL」 とあえて称し、「いつか必ず自分たちが誇ることので きるカテドラルを献堂する」との強い決意が示されながら今日に至っていました。
ダブリンや地方都市のいくつもの大きな教会を訪れて気づいたのは、カトリック教 会の聖堂には祈っておられる方が必ずと言っていいほどおられたということです。そ れに比べて、アイルランド教会の大聖堂には観光客はいるにしても、祈っておられる 方はあまりいなかったのです。
たぶん、教会や聖堂に対する考え方が違うのかもしれませんが、あらためて気づか されたこととして、カトリックの聖堂には『ご聖体』を入れておく「聖櫃」が目に見 えるところにあるということでした。そして、カトリックの聖堂に入ると、「ご聖体 が、私たちを待っていてくださる」という気持ちを、私は 素直に感じ取れました。
ご聖体の前で祈ることを大切にしている私たちカトリック信者は、「これはわたし の体である」とキリストご自身によって聖別されたパンが保存されている聖櫃のある 聖堂で、祈りを捧げる特別の恵みをいただいています。そのご聖体の前で祈る恵みを、 カトリック教会がかつて献堂し、今はカトリック教会でなくなった「大聖堂」をいく つも訪れる中であらためて自覚することが出来ました。
さて、5世紀に聖パトリックによってカトリックの信仰が伝えられたアイルランド は、過去400年にわたるイギリスからのカトリックを信じるアイルランド人に対する 厳しい迫害や差別にもかかわらず、今日でも93%がカトリック信者ということです。
迫害と差別、貧困そして大飢饉などにより、多くのアイルランド人ガ1800年代アメ リカへと移住しましたが、このアイルランドがカトリック信仰に生き続けた要因の一 つに、たとえ自分たちの大聖堂を追われても、裏通りの人目につかない聖堂で、目に 見える形を残してくださっているイエス様が自分たちの 祈りを聞き入れ、守ってくださるというカトリック教会の教えに強く力づけられてい たこともあるのではないでしようか。
アイルランドの教会を訪れて、あらためて「ご聖体」のあるカトリック教会を強く 意識させられたと同時に、その恵みを与え続けてくださっているイエス様に感謝する 巡礼でした。
神に感謝
2001/09/16 シニア・デイ
豊ヶ丘 吉田 雨衣夫
最近は何歳くらいがシニアなのかよく判りませんネ。
私達の教会では入会資格がなかなか厳しく、70歳にならないとシニアの仲間には入 れてもらえないことになっています。
今年も何名かのフレッシュマンがこの資格をクリアして顔見世をなさったようです。 シニアの皆さんからみれば、曾孫のような教会の子供達の色々な質問にも一つ一つ 丁寧に答えて下さいました。
又、我々戦後っ子には解らないような苦しい戦争経験も多くの方がそれぞれに戦時 下の青春の体験談を教えて下さいました。 おそらく、子供達には貴重な時間だった のではないでしょうか。
今又、アフガニスタンで新しい戦争が始まってしまいましたが、戦争で幸せになれ る人はいません。どんな言い訳をしようと在ってはならないことだと思います。
でも、今年も昨年と殆ど同じメンバーが集まり、加えて数名の新入生も加わり、楽 しい盛り上がりのうちに終始したように感じました。
来年はもっともっと盛り上げましょう。
ジャック・ビュルタンさんから音楽の贈り物
井上 信一
もう今から3年以上前になりますが、1998年6月にフランスのヴュズレーの聖堂でオ ルガニストを.されているブラザー・ダミアン原田が多摩教会に来られて、教会建設 資金集めのために多摩プラザのパルテノンでピアノの演奏をしていただきました。ブ ラザー原田は、その時一緒にフランスから《コラ》という珍しいアフリカの楽器を演 奏するジャック・ビュルタンという演奏家を連れてこられました。そして、当時の仮 聖堂でブラザー・ダミアン原田の琴とビュルタンさんの《コラ》で合奏をしていただ きました。
そのビュルタンさんから先日、ご本人の演奏を収録したCDディスクが送られてき ました。同封の手紙には次のように書かれていました。
「このCDは、欧州のクラシック音楽と世界の幾つかの国の伝統的音楽への私の《オマー ジュ》を表明するものです。特に私の心に残っているテーマの音楽を集めて、それを 《コラ》の独奏あるいはチェロとの二重奏のために自由に編曲したものです。日本は 何時も私の心のそばにあり、その証として《さくら》を入れました。楽しく聴いてい ただけたら幸いです。」
それでは《コラ》という楽器と演奏者のジャック・ビュルタンさん、それにチェロ の奏者パルバラ・マルチンコウスカさんについて少しばかり説明しておきます。
3年前にビュルタンさんから聞いたところでは、《コラ)はアフリカのセネガルと いう国で昔から使われている楽器で、ハープとギターの中間のようなものです。演奏 の技術はハープに近く、共鳴する胴の部分は、大きな丸い瓢箪のような植物の実の殻 を乾燥させたものです。セネガルで宣教を行っていたベネディクト修道会のブラザー たちの手で改良され、現在のような21弦のものとなったそうです。
ビュルタンさんは1955年パリで生まれ、ピアニストや作曲家として活動していまし たが、1986年コラと出会い、この楽器に取り憑かれてしまいました。 パリでドミニック・プルニエという先生について、この楽器の演奏を勉強し、さらに はコラの本家であるセネガルのベネディクト修道院に赴き、ドミニッ ク・カッタ神父にも演奏の技術を習いました。そして、1994年にはコラのソロ演奏に よる初めてのCDを発表しました。それから、コラと別な楽器との合奏を次々と試みま した。バイオリン、フルート、ギターなどです。その中でブラザー・ダミァン原田と の出合いもあり、琴との演奏も経験したわけです。さらには舞踏や演劇の音楽にコラ を入れて演奏することにも取り組んでいます。
ご本人がこのCDのジャケットに書かれている文章の一部を借用します。「15年前に 私はコラを見つけ出しました。私の作曲家、演奏家(私はそれまでピアノしか弾いて いませんでした)として経験は、このコラによって全く変えられてしまったと言って も過言ではありません。この楽器には幾つかの技術的な制約(演奏中は変調も和音の 変化もできません)があります。しかし、その感覚的な繊細さは、その制約を補って 有り余るものです。古典的なハープの力強さには敵いませんが、コラは西欧のほとん どの楽器が出すことのできないような繊細なピアニッシモを可能にします。その響き の広がりはどんな楽界より豊かなものです。何よりも心に響くこの楽器は、反抗、緊 張、希望、喜びなどあらゆる感情を傷つけることなく、他に類を見ないようなデリカ シーをもって表現することができます。
(中略)私の幼年期を育み、人類の豊かな宝となっている伝統的な音楽への《オマー ジュ》を表現するようなCDの企画を私は5年間考えてきました。それがこのバイヤー ル・ミュージックの《メディタシオン(瞑想)への誘い》というシリーズのお陰で実
現することができました。」
二重奏の相手であるチェロ奏者バーバラ・マルチンコウスカさんはワルシャワ生ま れで、ポーランドの方です。5歳の時から音楽教育を受け、最初はピアノそして後に なってチェロを習いました。アーノルド・レズラー教授に師事し、1970年にワルシャ ワのフレデリック・ショパン・アカデミーを卒業。1968年にはポーランド国営ラジオ・ テレビ放送局のチェロ独奏者に任命されました。同時にヨーロッパのみならずアメリ カ、日本など世界中でソリストとして演奏活動を行っています。1977年フランスのチェ ロ奏者であり、同時に偉大な教育家でもあるアンドレ・ナヴァッラに出会い、彼女の 芸術家としての新たなキャリアーが開けました。ナヴァッラに師事しながら、パリの ソルポンヌ大学で博士号を取得しました。
彼女は現在もチェロのソリストとして世界中で演奏活動をしながら、ヴュルサーユ 音楽学院で教鞭もとっています。現代音楽特にそのチェロの分野で、作曲家たちに大 きな影響を与えているとのことです。
それでは演奏されている曲目を順に従って紹介しておきます。題目の《瞑想への誘 い》にふさわしい心を癒される曲ばかりです。
メデイタシオン(瞑想)への誘い
コラ演奏:ジャック・ビュルタン
チェロ演奏:パルバラ・マルチンコウスカ
編曲:ジャック。ビュルタン
1.主よ、人の望みの喜びよ J.S.バッハ(1685−1750)
2・GymnopedieNo・3 エリック・サティ(1866−1925)
3.五月の歌 W.A.モーツアルト
4,さくら 日本の伝統的メロディー
5.ホフマン物語の舟歌 J.オッフェンバッハ(1819−1880)
6.子守歌 J.ブラームス(1833−1897)
7.サラパンド G,F.ヘンデル(1685−1759)
8.パパンヌ J.ビュルタン
9.秋の子守歌 (同上)
10.収穫の歌 (同上)
11.春の子守歌 (同上)
(カセットでは以上がA面に入っています)
12.新月の歌 J.ビュルタン
13.アヴェ・マリア (同上)
14.登坂の歌 ドミニック・カッタ(1925年生まれ)
15.ロシアの子守歌 ロシア民謡
16.シェラザード N.リムスキー・コルサコフ(1844−1908)
17.樫の枝の上で オランダ民謡
18.サルヴ。レジナ グレゴリアン
19.ダニー・ボーイ アイルランド民謡
(12.以下はカセットB面に入っています)