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2001年6月号 No.334 2001.6.16

岡田大司教様の初公式訪問 宮下 良平神父
岡田大司教様説教  
岡田大司教様のお話し  
堅信の秘跡を受けて 榊原 悟
盛況だったミニバザー 末元 真理・小俣 浩之

  岡田大司教様の初公式訪問

                                    宮下 良平神父

 この6月10日に、ペト□岡田武夫大司教様の多摩教会公式訪問が初めてありました。御ミサの中で10名の方の堅信が大司教様によって授けられました。またこの御ミサでは、5名の子ども達の初聖体もありました。
 御ミサの後で、大司教様から20分ほどお話をされました。詳しいことは後で紹介されるでしょうからそちらをご覧ください。
 この大司教様のお話は二つのことが話されました。一つは「いのちへのまなざし」という日本の司教様たちが分担して書かれて、「日本カトリック司教団」が著者となって出版された本についてです。
 聞くとこうによりますと、全国ですでに数万部売れたということです。信徒以外にもかなりの方が読まれているようです。私も結婚講座や幼児洗礼の親の準備などで、この本を使つています。これからもいろんなところでこの本を使いながら、今のカトリック教会、特に日本のカトリック教会が何を伝えようとしているのかを一緒に学んでゆくつもりでおります。
 もう一つは、具体的になってきている「東京教区の教会再編成」についてでした。
 この教会再編成については、6月下旬に岡田大司教様がまとめられる再編成についての書簡が発表される予定です。その書簡を踏まえて、司祭団や修道会、各小教区での話し合いがもたれることになっています。7月22日には、各小教区から数名がカテドラルに集まって話し合いがもたれることになっています。多摩教会からも委員長さんをはじめ何人かに出席をお願いしています。
 この教会の再編成に関しては、いろんな教会で話し合われ始めたと聞いています。しかしながら、その具体的な内容がまだ分かりませんので、関心もいまいちということかもしれません。
 ところで、岡田大司教様のお話の中で、キーワードは「協力」ということだと言われました。小教区間の協力ということに、私たちはあまり関心がないと言えそうです。自分たちの教会だけで手一杯でなかなか協力してやるということまで頭が回らないと考える方々も多いのではないでしょうか。
 ところが、この多摩教会はいろんな協力を近隣の小教区から受け続けているということを忘れてはいけないのです。
 昨年は高幡教会が多摩教会のためにバザーをしてくださいました。また毎年の甘夏のことでは、立川教会・小金井教会・高幡教会からたいへんな協力を受けています。ジャガイモでは府中教会に協力してしいただいております。その他、私が多摩教会を留守にするとき立川教会や高幡教会、府中教会、そしてミラノ会本部の神父様によくお願いして出かけます。多摩小教区の病院に入院している他の教会の信徒の方にご聖体をお持ちしたり、その逆の場合もあります。
 また、この9月まで町田教会の信徒の何人かが、町田教会の聖堂建設中のためミサができないので、多摩教会のミサに来られることになっております。
 考えてみれば、多摩教会は協力を受けることが多いということにおいて、近隣教会と協力しあっているとも言えそうです。ただ、多摩教会は近隣の小教区のために、どれだけ協力しているかということになると、ちよっと足りないのではないでしょうか。協力ということは信徒間の具体的な協力へと広がりがなくてはならないと思います。
 大司教様はお話の終わりに、以前の多摩ブロックでの青少年活動の協力から始まる今の 多摩地域協力体の幅広い教会間の協力の動きは、東京教区の模範となる協力の姿を示そうとしているとおっしやっておられました。
 日本は小泉首相が登場して、「改革」ということが毎日叫ばれています。私たちの東京教区の教会再編成という改革は、どこか他人事で進められている程度の関心ではいられない大切なことです。
 これから出される大司教様の文書を皆さんも十分読まれて、これをもとに私たち多摩教会の一人ひとりが、これからどのように教会間の協力が出来るか真剣に話し合ってゆきましよう。

                  神に感謝

          岡田大司教様説教
                              2001年6月10日
                              ヨハネ16・12−15
 先週は聖霊降臨。
その次の日曜日は今日、三位一体の主日となっております。
10人の方が、堅信の恵みをお受けになられます。堅信というのは、何であるかは、もう勉強なさってご存知だと思います。今日は、改めて、堅信の恵みを思い起こし、私たちがその恵みに生かされて、信者としてこれからも、もっとしっかり歩んでいけるように、お互いに祈りたいと思います。
 堅信というのは、まず、わたしたちを聖霊降臨の恵みに預からせる。聖霊降臨の時に、人たちがお受けになった恵みと同じ恵みを頂ける。と言うと一番的確だと思いますね。イエスキリストの弟子たちは、私たちと同じ人間でありました。弱さを持った、欠点のある人間でした。ペトロの祝日が近づいてきますけれども、ほかの弟子も似たようなもので、イエス様に最後まで従って行くことができなかったですね。ペトロは三度も、主を『知らない』。『誓ってまで知らない』と言ったくらい、本当に弱い人間であったわけです。その弟子たち、人たちは、近しいイエス様の『復活』という出来事を体験しました。そして、ご復活と共に聖霊を受ける。この聖霊によって本当にしっかり変えられてしまいました。私たちもそういうふうに、変えられるはずです。
 今、読まれた福音では、真理の霊が悟らせる。イエス様の教えを理解するように助ける。そういう意味だと思います。弟子たちはイエス様の言った事がよく解らない。一緒にいたけれども、さっぱり解らない。何か頓珍漢なことを言っている。そういう場面が、福音書の中には見ら れるわけです。でも、聖霊が下ってきて、「あ、そうか。イエス様の教えは、こういうことだったんだ」と言う事が、よく解るようになった。これは大きな変化ではないでしょうか。さらに、どういう風に変わったかと言う事を、見てみますと、ペトロを引き合いに出しては申し訳ないですけれども、彼も、臆病でした。怖かったんです。自分も同じような目にあって張付にされるかも知れない。と思った事でしょう。一番大事なときに、ふんばるべき時に、腰が抜けたのか、逃げてしまってまるでだめです。でも、この聖霊を受けてからは、まるで人が変わったようになりました。困難に打ち勝って、力強く歩んで行く事が出来るような、勇気。 勇気を与えられたんです。
 こういうような働きを理解する霊、神様の言葉を理解する霊。それから神様に従って歩む、困難にめげず、信仰を明かしするという勇気というのは、聖霊の賜物だと思います。それは神様に対する愛。今日の二番目の朗読のなかで、言っているのですけれども、聖霊によって神の愛が私たちの心に育つ。聖霊降臨のときに弟子たちが授かったのと同じ恵みを、堅信によって私たちは受けます。司教、司祭は堅信をしてくださってる時に、聖霊の賜物を願って、祈る祈りがあります。
 そのなかで、『聖霊の賜物をお与え下さい。知恵と知識、判断と勇気、神を知る恵み、神を愛し敬う恵みをお与え下さい』。このように祈りますね。もう既に堅信を受けた私たちは、与えられているはずなので、その恵みがよく働きますように、もう一度私たちの魂に、刻印されて、(もう半分は刻印されているわけですけれども)その印が燃え盛っていかれるように、お祈りしたいと思います。最後に一言、堅信を受けられる皆さんは、これから聖霊の恵みを受けて、判 断と勇気の霊を与えられ、そして、教会の一員として積極的に教会の使命に深く奉献する。そういう役割を頂くたわけです。今、私たちの東京教区は、大きな課題に直面しております。若い皆様に、大いに期待したいと思います。これからも、教会の中で、是非積極的に皆様の奉仕、皆様の働きを、本当に加えさせていただきたいと思います。


         岡田大司教様のお話し


 今日堅信を受けられた皆様、初聖体を受けられた皆様おめでとうございます。
このお御堂には、昨年の11月、この近くで東京教区司祭の研修会がありました時に、宮下神父様に、「ちよつと寄っていかない」と言われまして参りました。今日は、公式の行事の初めてでございます。楽しみにしておりました。
 まず、二つの事を申し上げたいと思います。
1つは、「命へのまなざし」と言う司教たちのメッセージです。
「命へのまなざし」と言う本が出ました。これは、日本の司教団、日本のカトリック教会の司祭たち全員で作りました。皆さん是非お読み頂きたい。買い求めやすいように、安くしてもらいました。300円でございます。きっかけは、「ピル」という経口避妊薬。その解禁をめぐる論議が起こりました。その事だけを司教が言うのはおかしいと言う事になりまして、壮大な命の尊さ と言う事を、どのように皆様に解ってもらったらいいだろうか。「命」についての見解をカトリック教会はこう考えている。と言う事を解りやすく、しかも権威を持って伝える。そういう文章を作ろうと言う事になりました。2年ぐらい経つて作り上げた物でございます。
 この中には、いろんな具体的な問題も出ております。死刑、人工授精、体外受精、或いは、家庭、夫婦、親子の問題についての基本的な教え、皆様が日々実感しておられますいろいろな課題、問題について、教会は決して無関心ではない。それを大事に思っていて、少しでも皆様のお役に立ちたい。皆様の導きになりたい、慰めになりたい、励ましになりたいと願って、用意した物であります。
 我々の方でよく考えて、議論いたしました。場合によってはもっとはっきりして欲しい、と言う意見がある。でも、具体的なことについてあまり踏み込んだ事を言ってしまうのは差し控えて、教会の基本的な考えを示しています。皆様もこれを読んで、これからの皆様の生活、家庭、結婚について是非、参考にして頂きたい、と言うことでございます。
 高齢化社会のことも載っています。何よりも学べと言うような事も載っております。色んな機会に、色んな所でこれを取りあげて頂けたらと願っています。このメッセージを1つに束ねた司教は、森司教さんです。
 もう1つの事は、説教の中でも触れましたが、東京教区のこれからの事です。イエス様が天国からこられ、貧しい人にナザレの会場で初めて、説教を開始されました。その時、イエス様は引用なさったイザヤ書の「主の望は、私の上にあり・私は貧しい人に遣わされている」と言う個所は、私が心に留めている個所です。昨年9月の着座式の朗読に選びました。
 イエス様は「自分は貧しい人に遣わされている」そして「油注がれた人」つまり、聖霊を受けた人ということですね。目に見えない人には・視力の回復を、捕らわれている人には自由を告げ知らせる、そういう役割を自分はもらっている。と言う事を宜言なさった。それがイエスの福音宜教の始まりでした。福音宣教という役割をイエス様は持っていた。その役割は、教会にそのまま受け継がれました。聖霊降臨の時、教会は初めて公式に活動開始しました。その時何千人もの人が、教会に加わったわけです。それ以来教会は、約2000年の間、全世界で、イエス様の命令に従って、喜びを告げ知らせ、神様の愛を明かしする使命、イエス様の働きをもっと効果的に行う、人々に福音を告げ知らせる働きを、もっと大切にする。そのためには、どういう問題があるか、どこを変えなければならないか、ということを、司教たちが話し合ってきました。公会議文書、教会憲章、典礼憲小章、現在世界憲章など、色々な公文書が出ました。世界中それぞれ勉強しながら、それぞれの国で、自分の国ではこの教えをどのように実行したらいいだろうか。ということで、我々もやってきたわけです。東京教区も色んな努力をしてきました。
 この多摩教会を創設された寺西神父様は教区大会の世話人というか事務局長のような中心的な人物だったように思います。司教たちは色々な働きをしましたが・非常に目立つ物としては、2回にわたる、福音宣教推進会全国会議というのを致しました。いわゆる、「ナイス」です。1987年が1回1993年が・1回。これがどうだったかと言う事はまだ、評価が定まらないと思います。この会議が目指したところを、やはりきちんと受け留めていかなければならないと、私は思っています。東京教区としましては、、気長に枢機卿様、森司教様が会議の筋に従って、ふたつの「ナイス」の制度を取り入れて実施するように努めてこられました東京教区の司祭が、10年ぐらいにわたって、教区をこれからどのように変えていかなければいけないかと言う相談をしてきたわけです。ともかく、このままでは行き詰まってしまう、思い切った改革をしなければならない、と言う結論に達しました。どういうように変えていくのか、ということについて、細かい議論が進んでおりません。これからです。
 今、私の考えと致しましては、「協力」ということが、非常に大切ではないかと考えています。協力の協という字は、力が三つあってそれを合わせる。という字です。今日は、三位一体の日です。聖霊は協力ではなくて一致です。父と子と聖霊の関係が、考えてもよく解らない難しい。 私たち東京教区は、三位一体の教えに習って、三位一体の神様に支えられて、導かれて、『協力』と言う事を、もっと進めていきたいと考えているわけです。協力というのはどういうものかと言うと、まず、私たち司教、司祭の間の理解と協力がもっと進まなければならないと痛感しております。さらに、皆様の間の協力ももっと進めていただきたい。具体的に言いますと、小教区と言うのは、東京教区では分教会も含め約80あるのですが、これが9つのグループに、纏められています。地域協力体と言う物になっております。今、申し上げたような流れの中で、「協力ということは大切だ」と言う考えで作られているものだ、と私は理解しております。以前は、ブロックと言ったのですが、ブロックと言うと、なんだかブロック塀のようで、隔たりがあるように感じます。協力体と言うと、力を合わせて、体と言う字はカラダですから、同じ体で、教会はイエス様の体で、イエス様がそこにもいらっしやる。それぞれの役割を果して行く、と言う事です。これをさらに進めて、まず、第一段階としてそれを20くらいの協力体にし、協力をおし進めていく。現実に司教はどういうことをやっておるかというと、まず人事と言う事で、この80くらいの教会に全て司祭を配置する。これはちょっとできないですね。人数的にも出来なくなりました。司祭もだんだん高齢化してきました。病気の方もいます。さらに教区は色んな働きを、求められている。
 小教区単位でやることだけではなく、色んな司祭が必要なんです。司教団の司祭も必要ですし、外国人のお世話をする者も必要である。色んなニーズがある。さらに東京教区は全国の教会に対する責任を担っています。神学校、司祭を養成する。これはとても大切な事で、これはほっておいて出来る物ではなくて、先生もいますし、世括をする人もいます。世話をする神父さんですね。小宇佐神父様も神学校の世話人をして下さっています。寺西神父さんは院長をなさいました。
 東京教区は東京教区のことだけやっていればいいというわけにはいかない。ほかの教区に対しても責任がある。それから中央協議会、司教協議会の仕事もあります。16の教区が協力してやらなきゃいけない色んな事もあります。
 そういうことで、これから小教区のあり方というものをもう一度見直し、再編成しなければならない。非常に重要な課題になっています。今はそれぞれ小教区で何か問題とか困難があると、そこで皆さんが自力で解決なされますが、解決できない、或いは、対立がある場合大体私のところに直接来るんですね。こちらが終わるとこちらから、またこちらから、しょっちゅう来るんですね。私はいかに無力であるかと言う事を感じますね。私は考えましたが、直接私のところに来ないように出来ないかな。私、怠け者なので、できるだけ皆でやってもらおう。みんなと言うのは、言葉としては調子いいですが、要するに、なんでも司教のところに持ってきて解決を求めると言う事は、無理なので、極力少なくして、最後の最後になって、しかたがない時にだけお願いしたいです。協力体の中でやってくれませんか。という事を言いたいのですが、今の協力体では範囲が広すぎて、そういうような事は話し合いにくいので、こじんまりとした協力体の中でやっていただきまして、そこで協力体として、さらに大きな範囲での色んな問題についてそれぞれ考えていくようにしました。
 司教は、いろんな修道会とも協力を進めていかなければいけないんですね。神父様の修道会と教区は契約をしていまして、これこれの事をお願いします。という事になっておりますが、それもだんだん無理が出てきて、何十年も前の、50年か70年くらい前にした契約のまま、いつ契約をしたか解らない。そういうこともありますし、もう一度きちんと見なおそうではないか。修道会と言うのは、教区に直属しているわけではなくて、きちんとした組織があって、普通はローマに省本部があって、修道者、奉献生活者の省に直属していまして、教皇さまの直属部隊であります。ただ司祭である限り、その神父様のおられる、働いている教区の司教の下にある。両方に属しているので話しがややこしい。修道者としては修道会の上長に属していますが、司祭としては司教の下にある。この辺の緊張関係をどのように裁いていくかと言う課題があるわけです。協力という事を進めていきたいというように考えている訳でございます。でもなか なか実行は難しいと思いますが、東京教区9つの新協力体の中で、今までの伝統とか歴史を見て、協力という事がよく行われてきた地域があるわけです。そのナンバーワンがこちら多摩です。
 多摩の方は、非常に協力が進んでいるように思います。東京教区の新しい在り方を指し示す、模範的な多摩協力体という伝統を是非、皆様にさらに作っていただくと言うか、改善して頂いて、協力体に影響を及ぼしていただきたい。司祭同士の協力ばかりではなくて、司祭と信徒、小教区の間の協力、修道会の協力と色んなレベルでの協力を進めていく事によって、イ
エス様がお望みになってるような教会の姿が現れてくるだろう。それぞれの教会、それぞれのグループが、自分の特色を持ちながら、他の人たちの為に働ける。そのようなあり方を目指しています。お互いに相手を生かしあう、そのような協力というものを実現したい。それが理想であります。理想はなかなか実現するのは難しいけれども、聖霊の助け、導きによって是非、この道を歩んで行きたいと考えています。
 このような事を混ぜた文章を近じか発表いたします。それを皆様に読んで頂いて話し合いをして頂きます。そして、半年間そのような期間があって、来年になったら皆様の意見を集約して次のステップに進んでいく。そのようなことでございますので、どうぞ、皆様のご協力を切にお願いいたしたいと思います。
どうか宜しくお願い致します。

           堅信の秘跡を受けて

                                         榊原 悟

 37年前に札幌で幼児洗礼を受け、教会学校へ行き初聖体と順調にカットリック教徒として生活してきましたが、中学校行くころになると部活動や自分の趣味の時間、友達との遊び等で日曜日は忙しくほとんど教会へは、行っておりませんでした。高校から大学迄も同様で、親や兄弟親戚からいつも「堅信をいつ受けるの」と言われておりました。
 26歳を過ぎて、今現在の妻と知り合与い結婚を考えたとき、不真面目な信者でありながらも、やはり式は教会でということで、自分の所属教会の神父様に相談に行くと「お二人ともカトリック信者ですか?」と言われ私は、「私は信者ですが妻は信者ではありません]と言うと再度神父様が私に「あなたは、どちらの教会の所属ですか?」聞かれショックを受けましたが、良く考えてみると年にクリスマスと御復活くらいしか教会に行くことがない私では忘れられてもしょうがないと思いました。
 そのような事があり、それからは考え改め日曜日の御ミサにも特別な用事がない時以外は、行くようになりました。その後、二人で結婚講座を受け妻が洗礼を受け3年後に子供が生まれすぐに洗礼を受けさせました。
 昨年、転勤の為、家族三人で東京に越してきた際、宮下神父様より「堅信を受けていませんね」とのお話があり今回、息子の初聖体と一緒に堅信を受けることを決めました。正直言うと少し照れくさいような、気持ちがありましたが、今回堅信を受けたことにより、胸の中につっかえていた物が取れたようなすがすがしい気持ちでいっぱいです。
 最後に、今回堅信を受けるために準備をすすめてこられました宮下神父様、シスター、そして多摩教会の信徒皆様方、本当にどうもありがとうございました。

       盛況だったミニバザー


 6月3日、聖霊降臨の主日のミサ後、恒例となったミニバザーを開催し、収益約30万円を上げ、特別献金として聖堂建設資金の助けとすることができました。バザーといえば毎回のことですが、ご婦人方にはその前の週、お菓子やケーキ造り、献品の値札つけなど大変なご尽力をお願いしました。
 好天にも恵まれ、初お目見えのワッフル(他にも初めてのものがあったかも知れれません、あったら御免なさい)をはじめとして、ごミサに与かった人のほとんどが参加、飲み物、食べ物、品物すべて好調な売れ行きでした。また、ほとんどの材料費を負担していただいたこと、改めて感謝いたします。



        桜ヶ丘地区の報告
                                   桜ヶ丘  末元  真理

 桜ヶ丘地区は、手作り品の販売を致しました。
それに先だって桜ヶ丘にお住まいの高井さんに、ハーブ入りポット敷きを教えていただきたくさん作りました。
 高井さんからご寄付のかわいいネコちやんや、小物など、たくさん売れました。手作り品に協力して下さった方々は、豊ヶ丘、松ケ谷、永山、鹿島、日野地区の方々、そして、他の教会の方も協力してくださいました。
 本当にありがとうございました。




       稲城のワッフル
                                          小俣 浩之

 今回は初めてワッフルを試みました。ワッフルには2種類、松蔵ポテトの様なソフトタイプのものと、ベルギーワッフルで有名な石畳の模様のハードタイプのものがあり、ハードタイプは子供のおやつとしても簡単に出来るのでバザーでやってみてもいいのでは!?と挑戦しました。バザーの前日、自宅で予め30枚焼き、当日はその30枚をオーブントースターで温め、新たにパフォーマンスを兼ねて19枚焼きました。ワッフルのうえにホイップクリーム、バナナ、リンゴと干しぶどうの煮たもの、チョコチップ、いちごジャム、の中からお好きな物を選んで頂き150円で売りました。(プレーンは100円)。
 物珍しさも手伝って、なかなか好評で49枚完売しました。売り場は生クリームを扱うので信徒会館の中で、しかもクーラーの近くだったのでとても助かりました!有り難うございます。5000円ほどの純利益が出ました。お手伝い下さった皆様ありがとうございました。密かな一希望といたしまして、どなたか、ワッフルメーカーを1台(2千円ぐらい)購入してくださいませんでしようかねえ?!2台で焼くともっと効率よく、お客様を待たせないで供する事が出来るのですけれども。秋のバザーもがんばります!   

      聖堂献堂感謝のミサ

                            多摩修道院  シスターミリアム杉山

 新緑と陽光に包まれた5月14日〔月〕午前10時より聖堂献堂1周年の記念のミサが50名位の信徒の参加の下に、主任司祭宮下神父様の司式で、捧げられました。
 ミサの説教の中で、聖堂周りの草木が根ついて生き生きとしているように、献堂以来訪れる人も日増しに多くなり、着実に実を結んでいるとのお話があり、また、前日の主日のミサでは、数回にわたってご聖体を四つに裂き、それでも足り一なくておん血のみ拝領された方もおられたとのお話もあり、希望に満ちた記念のミサでした。
 旅する教会として、種々の困難を乗り越えて小さな種から大木に成長しつつある多摩教会、共同家族は、神の民の集いである【聖堂】を与えてくださいと、永年にわたり主に祈りそして念願してまいりました。
 信徒の皆様の祈りと願いが、幾多の労苦を経て実り、1年前のこの日、聖ヶ丘の地にこうして銀色にそびえる十字架と建物「教会」が建立されたのです。
 今では道行く人々の慰め、励まし、希望となって迷える羊(信徒)も日増しに父の家(聖堂)に帰り、共に主を賛美する姿の中に、神様の恵みと祝福を実感させられています。
 教会の一員として感じた事は、教会の行事やお祝いごとに多摩教会の信徒の皆様の協力惜しみない奉仕の心、主任司祭と一つの心になって、いろいろなことを成し遂げられている、信仰による団結心に感銘させられています。
 皆様の主を囲む一つの輪(和)が、祈りの雰囲気が漂うこの聖なる聖堂を完成させたのです。神父様、信徒の皆さん、長い年月本当にご苦労様でした。ありがとうございました。特にこの5月14日の記念ミサでは、ひしひしと主任司祭と信徒の皆様のご苦労が、昨日の出来事のように思い出され、その労苦を主が豊かに報いてくださいますようにと、小さな祈りを捧げました。
 これからもこの教会、聖堂が地の塩、世の光となって末永く存続しますようにと、多摩教会の保護者であられるコルべ神父様と聖母マリア様の取次ぎを祈り求めながら、福音宣教の場として訪れる人の希望となりますようにと、祈り続けていきたいと思います。
                       神に感謝と賛美
                

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