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2001年3月号 No.331  2001.3.17

1 「いのちへのまなざし」を読みましよう 宮下 良平神父
2 暖かい心をありがとう 鈴木 紀子
3 舞鶴から 北村 司郎

「いのちへのまなざし」を読みましよう。

                                 宮下 良平神父
 もう皆様にもミサなどで紹介しています、「いのちへのまなざし」を是非お読みください。
 この本はこの2月末に発行されたものです。日本の司教様たちが、「21世紀への司教団メッセージ」として、カトリック信徒のみならず信徒以外の方々に向かって発せられたメッセージです。
 「20世紀は、実に多くの人々の人生を軽んじ、そのいのちを虫けらのように踏みにじった世紀でした。その背景には、絶対化された国家主義、イデオロギー、民族主義があり、さらにその奥には、為政者たちの利権と権力への飽くなき野心が見え隠れしています。わたしたち、こうした悲惨な歴史を繰り返さないために、他の何よりも、いのちは尊いものであるということを訴えたいのです。」(8P)と先ず述べています。
 そして「いのちは、神のわざであり、神のたまものです。これは、わたしたちカトリック教会の揺らぐことのない確信です。わたしたちは、ここに、人間のいのちの尊さについての絶対的な根拠があると信じています。人間が安易にいのちの分野に介入すべきではないと、わたしたちが強く訴える根拠もここにあります。どんな人であううと、すべての人は軽んじてはならないという根拠もここにあります」(14P)と述べています。
 「いのち」ということが「神のわざ」であり、「神のたまもの」ということを、今日、何か新鮮なこととして耳にしている方も多いのではないでしようか。
 この生きる意味の原点をいつの間にか、私たちは心の片隅から追いやってしまったのかもしれません。それはいつの頃からなのでしょう。戦後のある時代から、そして私の人生のあの頃からと思い当たるかもしれません。
 私たちカトリック信徒は、この確信をもう一度、今の日本の社会で再確認してゆかなければなりません。
 かつては当たり前のことを当たり前として受け入れることができなくなった現代において、それは人が生きて行く上ではより厳しい時代を迎えていると言えましょう。
 しかし、それは別の言い方をすれば、希望をより具体的なかたちで実感できる可能性を秘めた時代を迎えたと言えるでしょう。
 その希望を見つけるということのためには、先ず私たちカトリック信徒がカトリック教会は何を考えているのか、どこに中心を持っているのか、どこへ向かおうとしているのかを知ることから始めなくてはなりません。
 司教様たちは、第二バチカン公会議以前に教えられていた「公教要理」を“復活”しようとは考えておられません。この本は“メッセージ”です。メッセージとして発せられたことを受け取り、理解し、行動するのは、そのメッセージを耳にした私たち次第です。それは、「公教要理」と言われるように、「教会の確固たる教えとして信者が守るべきこと」より、ある意味で厳しい要求かもしれません。なぜなら、自分がそれぞれの場で考え、自分で判断し行動することを求められているからです。司教様たちはこう願っています。「わたしたちは、このメッセージを手に取られた方々一人ひとりが、カトリック教会の信者であれ信者でない方であれ、この中からくみ取り、それを自らの責任において主体的に、自分の生き方として選択してくれることを心から願っています。一人ひとりが自分の人生の責任を負わなければならない、ということは厳粛な事実です。
 教会がこれまでさまざまな機会に公にしてきた文書と異なり、「教会の教えはこうである」という、どちらかというと断定的な表現を避けて、人々と社会に対する「メッセージ」という形をわたしたちが選んだのはそのためです。」(126P)
 どうぞ、皆さんこのメッセージを読んでください。そして、お考えください。
 そして、より多くの人々にこのメッセージをお伝えください。

                               神に感謝

          暖かい心をありがとう

                                   桜ヶ丘 鈴木 紀子

 活動的で面倒見のよい母が、急に弱り始めたのは今から4年くらい前、82を過ぎたころでした。花が好きで暇さえあれば庭に出て草花の手入れをしたり、機械に強く昔の映画を自分でダビングしたり、好きなビデオを買い、ビデオライブラリーを作り、皆を楽しませてくれていた母が、骨粗しょう症の痛みもあり、外出もしなくなり元気を無くしました。娘としては大いにあわて、昔の元気な母のままでいてほしいと叱咤激励し、あせりが空回りして、しばしば言い争いをしていました。失われてしまったところばかりを見て、嘆いていました。
 昨年初め、ひどいインフルエンザから肺炎を起こし2週間入院。しばらく自宅にいた後、4月には肺気胸で突然呼吸が国難になり救急車で入院、1か月後回復して退院、4日後に再びひどい肺炎で入院しました。このときにはお医者さまも、もう駄目と思われたようでしたが、病気の治療は病院にお任せし、私と妹は心のケア一に専念しようと、病室に交替で泊まり込みました。母の耳元でロザリオの祈りを唱えると、母も口を動かし心を合わせて共に祈りました。弱った母の中に、小さな暖かい炎が見えるように感じられ、病室が神様のお恵みで満たされていると感じました。そして3か月後、再び家に帰ることが出来ました。以来半年は感謝の日々です。
 一人暮らしの母ですが、恵まれた環境にあると言えます。ひとりでは歩けないため、だれかがそばにいる必要があります。夜は私と妹が交替で泊まり、日中は私たちの他に50年近い付き合いになる身の回りをしてくださる方、義理の妹、友人、介護保険のヘルパーさん、皆でサポートしています。
 朝目覚めると『今日も一緒に過ごせるのね。神様に感謝ね』と言い、一緒にゆっくりと食堂に行き、食事を摂ります。昼間は本を見たり、庭を眺めたり、疲れるとベッドに入ります。眠る前にはホイヴェルス神父様の『最上のわざ』をゆっくりと読みます。『歳をとるのはいやなことではないのよ。なかなかよいものよ』と言い、私がむきになって頑張っていると『あなたももう少しのんびりと笑いの中で出来るようになると、もっといいわね』と適確な助言もくれます。こんなにも良い時間を母と過ごすことが出来ることを心から神様に感謝しています。
 何度も母の所に来てくださる宮下神父様、母に暖かい心を寄せてくださる方々、どうもありがとうございます。


        舞鶴から

                                       北村 司郎

 舞鶴での生活も1年になろうとしています。今日(2月25日)の天気は、目まぐるしく変化しました。朝は晴れていましたが、雪が降り、曇り、雨そして雪、時には青空も見えました。これが日本海側特有の天気かもしれません。今日は特別かもしれませんが、「弁当を忘れても、傘を忘れるな」昨年から何度も聞いた言葉です。太平洋側のあのスカッとした青空がなつかしく感じます。しかし、日本海側のこの天気が太平洋側のあの青空の原因でもあるわけです。
 和辻の「風土」を思い出します。この自然の中で、人間はやさしく粘り強さを感じさせてくれます。舞鶴は人口9万人の都市ですが、どこか土の匂いを感じます。時間がゆったりと流れ、自然とともに人間の生活もあるような感じです。その流れに下手に逆らうことが、人間のあさましい知恵のような気がします。「風土」のモンスーン型とは自然の中で忍従ということが書いてあったように思います。東京でいつしか日本的な自然を忘れていたように思います。
 さて、今日、教会の私のポストには京都教区時報が入っていました。その1ページ目に「共同宣教司牧は小教区統廃合とは違う」という記事が出ております。昨年から、京都北部のブロック協議会(東京教区の以前のブロック会議)に学校を代表して出ております。その中での重要議題はいつも、共同宣教司牧です。この北部はレデンプトール会の司祭たちが主任司祭をしています。舞鶴にも2つの教会があるのに、司祭は1人です。京都教区全休でも教会の数だけ司祭の数がいないのです。これが日本の教会の現状なのでしょう。ですから、司教様の書かれたものを読むと、司祭の数が不足しているから、共同宣教司牧を行うのではないことを毎月のように説明し、宣教型の教会になることを訴えています。教会内外の活動が現行の小教区の壁が妨げになっていないかを訴えています。
 私の勤務する学校も4月からはシスターのいない学校になってしまいます。小教区もカトリック学校も今までのあり方が、物理的に通用しない時代がすぐそこまで来ていることを感じます。その中で私たち信徒はどのように生き、信仰生活を構築していくか、大きな問題のような気がします。また、小教区をどのように宣教型の教会にするか、カトリック学校を真の意味での宣教のための学校にするか、みんな私たち信徒の責任であるような気がします。
 急いで実行しなければならない問題だと思います。

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