多摩カトリックニューズ表紙へ戻る

2010年4月号 No.440  2010.4.24

赤ちゃんは家族を元気にする
晴佐久 昌英 神父
僕と天使祝詞 鈴木 真一
人に出会う 加藤 泰彦
ガリラヤの風かおる丘で 長島 毅

赤ちゃんは家族を元気にする

                        主任司祭 晴佐久 昌英

 多摩教会に赴任して、ちょうど一年がたちました。この一年、のどかな多摩の地で穏やかな信者さんたちに囲まれて、のびのびとした日々を過ごすことができました。みなさんの協力と忍耐に、心から感謝しています。特に先日の聖週間にあたっては多くの方に様々な奉仕をしていただきました。今までこんなにスムーズにこの時期を終えたことはなく、多摩教会には何か不思議な底力があるんだなと改めて気付き始めているところです。
 なかでも、洗礼式のあった復活徹夜祭は大変美しく感動的なミサとなりました。受洗者はもちろん、教会全体にとって忘れがたい体験となったことでしょう。こうして一年間待ちに待った洗礼式を無事終えることができて、今は少しほっとした気持ちと、さあ、来年の復活祭に向けて出発だという、ワクワクする気持ちがあります。

 一年間待ちに待ったというのは正直な気持ちです。改めて言う必要もないでしょうが、私は洗礼式が大好きです。どこの教会に赴任しても、まずは「洗礼と聖体を中心とした教会共同体づくり」を心がけてきました。もちろんほかにも大切なことはたくさんありますし当然大切にしていますが、洗礼と聖体を中心にすることが何よりもその教会を元気にするという事実を、私はずっと目の当りにしてきました。大勢の受洗者とその感動する姿に触れて教会全体が自信を持ち、希望を取り戻し、新しい力で再出発する姿を、これまで毎年見続けてきたのです。多摩教会の素晴らしい仲間たちにもそのような体験をしてほしいと、一年間待ちに待っていました。
 洗礼が大切であることは、自分も洗礼を受けた者としてだれでも分かってはいることです。けれども、いったん教会共同体ができあがってしまうと、どうしても日常の活動や典礼に追われ、いつもの仲間と慣れ親しんだ関係を保つことに心を奪われていきます。信者の一致と交流自体は悪いことではありませんが、それだけではただの自己満足になってしまいます。言うまでもなく教会は秘蹟であり、「神の愛の目に見えるしるし」です。それは誰にとってのしるしであるかと言えば、常に新たな仲間へのしるしであるはずです。塔を立てて頂に十字架を据えるのは信者のためではなく、信者ではない人を招くためなのです。そのような本質から離れると、どうしても教会は内向きになり、元気がなくなっていきます。
 多摩教会は元気な教会ではありますし信者も増え続けてきましたが、それは実は転入者に支えられてきたことも事実です。ニュータウンという土地柄、黙っていても転入者が多く、教会はそれによって活性化されてきました。しかし稲城地区の開発も終わった現在、もはやこれ以上転居による転入者が増える見込みはありません。むしろ転入者が多かったせいで、受洗者のことを忘れてしまっていたとしたら、今後一気に元気がなくなってしまうことも、十分考えられます。
 家族が喜び、一致し、元気になる一番のチャンスは赤ちゃんの誕生です。お母さんはすべての苦労が報われてもう一人ほしいと思い始め、お父さんはさあこれからがんばって働くぞと決心します。お兄さんお姉さんたちは様々なお手伝いを喜んでし始めるし、おじいちゃんおばあちゃんも、新しい命に心躍らせるのではないでしょうか。受洗者の誕生は、なによりも教会を元気にするのです。

 このたびの34名の受洗者は、間違いなくこれからの多摩教会を支えて元気にしていくことでしょう。また、洗礼式で心洗われた先輩信者たちも、改めて多摩教会を愛して活性化していくことでしょう。
 来年の復活祭に向けて、新たなスタートです。今はまだ福音の喜びを知らない大勢の人が、多摩教会と出会いたいと待ち望んでいるのです。来年2011年の復活徹夜祭は4月23日です。その夜、また、復活のろうそくに顔を輝かせた大勢の新受洗者が並ぶでしょう。「名前を呼ばれた洗礼志願者は前に出てください」。その日、どんなお名前が呼ばれるのでしょうか。

と天使祝詞
                          鈴木 真一

〇犬を飼っている。9歳になる黒いパグだ。日課は一日2回の散歩。冬は飼い主が寒いので夜が明けてからだが、夏場は少しでも涼しいうちに、と日の出前に歩く。近所の公園の林を抜け、向かいの丘を見ると運が良ければ森のこずえが瞬く間に真っ赤に染まり太陽がのぞく。この一瞬が大好きだ。
 宇宙飛行士がシャトルの窓から眼下の地球を見てその美しさに感動して、神の存在を思った、という話を聞いたことがある。比べるべくもない規模だが、僕もこのときには神様の働きを確かに感じる。
 ペンチに腰を下ろし「マリア様の祈り」を唱えると、犬もおとなしく座って心を合わせている。幸福感を犬と分け合い、お祈りを繰り返しながら家路につ<。犬もにこやかについてくる。いや、もしかしたらその心はとっくに朝の餌に飛んでいるのかな。
 2000年に現在の聖堂が落成し、5月に献堂ミサが捧げられ、どうしたわけか副委員長たった僕がその先唱を務めることになった。献堂ミサに与ること自体まれだし、ましてそのミサでの先唱とは有難いこと。宮下神父様の下、何度もリハーサルに励んだ。なにがしかの自信を得てさて本番。しかし意外な事態にびっくりした。
 先唱は司式司祭の動きを見ながら、たとえば次の聖歌を案内する等ミサの進行に奉仕しければならないのに、共同司式の司祭が大勢みえて祭壇を囲んでしまい、司式をしてくださる白柳枢機卿様の姿が全く見えない。やむなくいすの上に立ち上がって視界を確保した。
 やっとミサが終わり冷や汗をふきながら思ったことは、教会での奉仕活動は全体がお祈りに他ならないという、いってみれば信徒の原点に気付<ことができたことだった。
 当時、副委員長は自動的に翌年委員長がほぼ決まっていて、僕も2001年に委員長を務めることとなった。そして委員長の仕事の大きな部分がそのころは教会の会計責任を担当することだった。
 ところが僕は数字を扱いたくないから新聞記者の仕事を選んだほどで、電卓で同じ数字を2回入力して足し算するとその都度違った答えが出るという有様。おまけに普通の企業で働いたことがある人なら常識の帳簿も見たことがない。困り果てる日が続<うちにとうとう胃潰瘍になった。お祈りが足りなかったのも事実だが、さすがの神様も呆れて見放されたのかと、大いに落ち込んだ記憶かある。反省してマリア様の祈りは欠かさない。

〇新聞記者の仕事はプロ野球選手にやや似たところがあると思う。どちらも好きだからやっているのだ。野球の場合、ある年月を経ると代打要員やコーチになり、スタメンを外れる。わが国は年功序列だから、記者もやがては管理職になり第一線から離れる。共同通信社で僕も例外ではなかった。
 しかし、現場に戻りたいという欲求は、つのるばかり。「なんとかしてくれ」と懇願し、やっとマニラに出してもらった。 1979年だった。
 翌年、本社から「韓国に応援に行ってくれ。光州の学生デモが不穏だ」と指令が来た。海外にいるとこのようなことは珍しくない。がそれは近隣の国に限られている。マニラならASEAN諸国のいずれかだ。韓国は北東アジアで日常の資料など手元にない。状況もよく分からないまま、とにかくソウルに飛んだ。
 光州に入ってみると警察とデモ隊が対峙している。翌朝、様相が一変した。当局側か軍隊を投入したのだ。男子に兵役義務がある韓国では市民も銃の扱いになれている。撃ち合いがはじまり僕がいたホテルにも何発か着弾した。
 取材のため町に出たが、あちこちに市民の死体が放置してあり、銃弾がどこから来るのかも不明だ。現場にいるのが通信社記者の宿命とはいえ、このときは生きてここを出ることは無理と覚悟した。
 マリア様に祈っていただくことをお願いし、はじめて気がついた。前段のマリア様への呼びかけを唱えているときに、弾に当たったのでは困る。そこで呼びかけは一回だけにして、もっぱら「今も臨終のときも祈りたまえ」を繰り返した。どうやら命ながらえてマニラに帰ったが、この事件で現場にいた日本人記者は僕だけだったので、記事の内容が時の軍事政権に見咎められて、共同は韓国からしばらく追放された。
 それはとにかく、お祈りを勝手にはしょったのはまずかった。ま、いずれまもなく神の国に入るのだから、そこでマリア様にお目にかかって、謝罪とお礼を申し上げようと心に決めている。
 翌年、教皇ヨハネ・パウロニ世をマニラにお迎えし、外人記者章のおかげて何度も教皇様のミサに与れだのは有難かった。

連載コラム「スローガンの実現に向かって」第2回
人に出会う

                           加藤 泰彦

 この6月で7年目を迎えようとしている「信仰と光」の集まり。月1回第3土曜日の午後2時には、知的ハンディキャップを持つメンバーを中心に、その家族、友人たちが参加して、小さなつどいが始まる。輪になって座った隣人の肩をたたいて順に「お元気ですか?」と声をかけ、肩をたたかれた人はこの一月で身の回りに起きた嬉しかったこと、印象に残ったこと、辛かったこと、悲しかったことを手短に披露する。聴き取れないような言葉で語られることもあれば、一言も発せずにただもじもじしていることもある。顔を輝かせて雄弁に語ることもあれば、小声で涙のうちに話が終わることもある。みんな一人一人の話をじっと聞いている。毎月繰り返されるこの何気ない瞬間、今月もこの集いに参加できてつくづく良かったなと思う。とても不思議な安心感がある。ここに集うことで癒されている。まさにこれはオアシスではないか。
「荒れ野のオアシスになる教会」。今年の、多摩教会のスローガン。荒れ野とはいったいどこのことだろうか。毎年3万人を超える人々が自ら命を絶ち、ニートと呼ばれる定職につけない若者が増え、格差社会と呼ばれ、孤独死する老人や引きこもる人々、年金制度もおぼつかず、政治の先行きは見えず、経済が立ち直るのも不透明。この社会全体が荒れ野なのだろうか。確かにそこは荒れ野には違いないし、教会がこの荒れ野=現代社会のオアシスとしての役割を果たすことは、スローガンの通り必要だけれど、私はもう一つの荒れ野を考えたい。
 その荒れ野は、私たちの中にある。
 3月末、今年叙階された一人の新司祭の初ミサに40人ほどの仲間が集まった。当時大学生だった新司祭を始め、30年位前に、多摩地区の教会の若者として10代、20代の私たちは、夏に行われる大規模なキャンプをはじめとして、ことあるごとに集まり、とてもたくさんの豊かな体験を共有した。ミサ後にパーティがあって、久しぶりの顔に懐かしい出来事が次々に話題になり、夜遅くまで話は続いた。30年前を思い出して楽しそうな時間は過ぎていくけれど、この仲間が、仲間として真価を発揮するのはむしろこれから。40代、50代の今、仕事の問題、夫婦の問題、子供の教育問題、親の介護の問題などなど抱える問題は実に様々。楽しそうな笑顔のうしろには、口に出せない叫びもたくさんある。傷つき苦しんでいる。それはまさに荒れ野ではないか。
 復活徹夜祭で代親として洗礼に立ち会わせていただいた。幼稚園時代に受洗した私にとっては、成人洗礼の方々の大きな決断と、それを通して復活の主のいのちにあずかる出来事、そしてその喜びの姿は、とても感動的でうらやましい思いもした。聖書の中では荒れ野とはすなわち死の世界だ。それに対してオアシスは、まさに“いのち”。わたし達の内なる荒れ野から、いのちへ、復活の出来事を通してわたし達は知ることができる。
「荒れ野のオアシスになる教会」。教会とは建物ではなく、私たち一人一人のこと。わたし達がオアシスになるとは、復活の“いのち”を生きること。「お元気ですか」と隣人の肩をたたく。わたし達の内なる荒れ野に向けて声をかける。復活の主と出会うために。


ガリラヤの風かおる丘で
                            長島 毅

 いつか一度は主が人々とともにかつて歩まれた地、エルサレムに行きたい!
そんな思いを抱いていた私にとって、今回の巡礼旅行は降ってわいたような突然の出来事でした。
 今年の1月に多摩教会でその企画を知り、急きょスケジュールに目を通したのですが、職場は年度末という最悪の時期でした。更に早い決断が求められていました。
 しかし今回のチャンスだけはどうしても逃がしたくない気持ちだったのです。
 日常の慌ただしい生活とともに、ミサに参加する事も聖書を読む事も次第に困難になっていく中で、信仰の乾きを強く感じていた私には、ミサに毎日与りながら聖地を訪ねる今回の巡礼旅行は特別な響きを持っていました。
 1月に申し込んだ時点でキャンセル待ちでしたが、非難を覚悟で職場にはお詫びをしながら藁をもすがるつもりで参加させて頂きました。
 私にとって今回の巡礼旅行の大きな恵みに感じたのは、沢山の「傷」を抱えた仲間と出会えた事でした。
 様々な病気を抱えギリギリまで悩んだ末参加を決めた方や、ご高齢の方,それぞれ人生や家庭にいろいろな事情を抱えて参加されている方など、誰もが今の自分の「傷」にお互いの思いを重ねる事が出来て、決して偶然ではない神様のお導きを感じ、しだいに私は仲間意識を強く感じる事が出来ました。
 イスラエルでは様々な地を回りましたが、私が今回の巡礼旅行で一番心に残っているのは、ガリラヤ湖周辺で過ごした3日間でした。地元の人の話しでは、いつもはハッキリ対岸まで見えているはずのガリラヤ湖なのですが、砂漠からの風で靄がかかった神秘的な現象が数日続いていました。そのためガリラヤ湖が無限の広がりを感じさせ、まるで霧の奥から小舟でイエス様が現れても不思議でないようなたたずまいでした。
 そんな中、パンと魚の増加教会で与ったミサが特に印象深いものとなりました。
 湖畔にある野外の祭壇で捧げられているミサの最中に、なんと聖書にも出てくる岩狸2匹がひょっこりやってきてそばで寝そべりながら最後まで私たちと共に「参加」してくれました。この日は晴佐久神父さまとともに、高木神父さまが挙式なさったのですが、途中で感極まって説教が涙で中断してしまう場面がありました。
『私のような者に、今日この様な素晴らしい場が与えられて。。』
声を詰まらせながらお話しになった高木神父さまの素朴で飾らない姿は参加している私たちの心に深く響きました。
 その後も何度か沈黙につつまれた時間が続き、ガリラヤ湖から吹くやさしい風が揺らす木々の音色や、小鳥たちのさえずりだけがあたりに聞こえ、しずかな瞑想と祈りの中で神様への賛美と礼拝が完成されていきました。
 その時、私は参加した人々の心が見事にひとつに結ばれていったのを強く感じたのでした。
 それと同時に次の一節が心に迫りました。
「だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。」(マタイ6章25節〜26節)
 主に希望を置き従うクリスチャンの一人であるはずの私も、自分の人生に不安だらけの毎日を過ごしていました。働き盛りの時に難病を患い、病気が悪化して、めぐまれた職場での仕事を辞めなくてはならなくなり、失意の毎日を過ごしていました。
 また、そうした中でそれまで仲の良かった妻の気持ちが突然私から離れてしまい、別れ別れの生活を続ける中での父の急死など、さらに私に追い打ちをかけて毎日途方に暮れた孤独な生活を送っていたのです。
 そしてごく最近までそうした苦しみの中で生き続けることの意味を見出すことができなくなり、命を落とそうと憑かれたように考えるような時さえありました。
 しかし、その都度私を思い留まらせたのは、十字架にかかり身動き―つ取れずに息を引き取ったイエス・キリストの姿でありました。人は無力で弱い時ほど神様がより近くにおられ、より強<働いてくださること‥・、
この美しく広がるガリラヤ湖とその周辺の草花や小鳥たちよりも遥かに素晴らしく輝く人生を神様はこのわたしのために用意してくださっていること‥・。
 もう1度それを信じて生きてみようという思いが深く心に湧きおこった時、私はやっと主イエス・キリストの足跡をイスラエルで見つける事が出来たように感じたのでした。
 これからはガリラヤの丘を下りながら歩いた、あの美しくも素晴らしい時をたびたび思い返し、主イエス・キリストの足跡を見失わない様に歩んで行こうと思っています。
 最後にご引率下さった晴佐久神父様と高木神父様、また巡礼中にお互いに励まし助け合った、沢山の愛すべき兄弟姉妹に心から感謝いたします。

多摩カトリックニューズ表紙へ戻る