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2002年12月号 No.352 2002.12.7

1 三教会親睦研修会を終えて  宮下 良平 神父
2 恒例の親睦研修会が開催されました  
3 幸田神父様講話 『小教区再編成について』  
4 親睦研修会2日目の話し合いについて  
5 《現代に求められる司祭像》  助祭 田村路加


三教会親睦研修会を終えて      
                               宮下 良平 神父

11月22日〜23日にかけて調布・府中・多摩の三教会が初めて集いを持ちました。
この集いは、三つの聖堂共同体(来年からも対外的には今まで通りでしょうが、東京教区内の信徒間の呼び方として使われます)が、来年のご復活後に始まる宣教協力活動をどのように進めるかを模索する第一歩として、私たち多摩教会が毎年行っている親睦研修会に二つの教会に参加を呼びかけ、実現しました。 
調布教会・府中教会を合わせて30名弱、多摩教会は50名強が集まりました。
私の感想は、集まって本当に良かったということです。いい出会いと新しい出発が出来たのではないかと思います。
ところで、来年のご復活以後に宣教協力体が開始ということで、「何をすればいいのか分からない」と戸惑っている信徒の方々は多いのではないでしょうか。そのような戸惑いは司祭研修会などでも耳にしました。
 それでは、私たちが先日集まって話し合った意味は何であったのでしょうか。私は次のことが言えると思います。

1.近くにいる新しい仲間の発見、出会いが確認されたこと。
私たちは現在まで多摩教会という共同体の中にいました。過去においては、多摩ブロック時代のある時期に、多くの信徒同士による教会間の交流・協力はありましたが、今は、他教会との交流・協力は、主としてわずかな個人的な繋がりに限られています。そのような現況で、私たちが忘ていた多摩教会以外の他の教会への関心が、この小教区再編成ということによって引き起こされました。
その引き起こされた関心、特に宣教協力件のパートナーとなる調布と府中の教会のことが、しっかりと私たちの心に意識されてきました。その意識を踏まえて、今回集まって話をしてみると、多摩教会以外の参加者にとても親しみを感じられたのではないでしょうか。
そして、「なんだ、こんなにも近くに一緒にやろうというカトリック信徒がいたんだ」という喜びと驚き、そして機会を与えてくれた神に感謝を覚えた方も多かったと思います。

2.集まれば、何かできる、何か見つけ出せるという勇気と希望がわいてきたこと。
集まる前は、いったいこれから何を協力してゆくのだろうと少し悩んでおりました。あれは出来そうだ、これは無理だと思い浮かべていましたが、この出会いにより、きっと何か神様がお望みになることを私たちは一緒になって行うことができるという勇気と希望をもらったように思います。
こんな聖書の箇所を思い出しました。
「だから、《何を食べようか》、《何を飲もうか》、《何を着ようか》と言って、思い悩むな。それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」(マタイ6:31−34)

3.「祈り合う」という大切なことを思い出させてもらったこと。
 小教区再編成のいろんな話し合いななどを通じて、ほとんど何も語られなかった根元的な課題が教えられたのではないでしょうか。それは、信仰者として、先ず霊的な姿勢の共有を実現する努力が求められているということです。つまり、「祈りの共有」とでも言うか、一緒になって祈り合うことから始めるという姿勢です。
私たち信者にとって祈るという極めて当たり前なことが、実は忘れられてきているという現実を認識することは、この小教区再編成の実りとなるのではないでしょうか。
しかも、そのことに関して、私たちが先の集いで確認し合ったことは、とりわけ素晴らしい成果であったと考えています。
 そのことをどう具体的に生かすかが私たちに問われています。そして、一緒に祈り合いながら、神のみことばと神の愛を、まだ受け止めていない方々に宣べ伝えてゆく具体的な手段や方法を一緒になって見つけ出してゆく努力を始めましょう。
                神に感謝



恒例の親睦研修会が開催されました

 
ウェルサンピア多摩を会場に例年行われている親睦研修会が、11月22日(金)午後6時30分から1泊2日の日程で開催された。テーマはいま課題の「来年度から活動が始まる調布・府中・多摩聖堂共同体の『宣教協力体』に向けて、先ず知り合いになりましょう」として、教区本部の幸田和生神父様を講師に、調布教会から尻枝神父様他12名、府中教会からパスカーレ神父様他8名、多摩教会から宮下神父様他54名、全員で78名が参加した。1日目は、宮下神父様の挨拶、各教会主任神父様の紹介につづき、幸田神父様による講演で、小教区再編成にあたって司祭・信徒や小教区にとっての課題や、それぞれの役割やあり方について具体的な例など交えての率直な話しを聞き、その後質疑応答が行なわれた。
8時からはパーティー会場に一転、3つの教会初めての合同研修会にパスカーレ神父様の挨拶で乾杯し、この後参加者は思い思いに紹介し合ったり、歓談して交流を深めた。
 2日目は、朝9時から各教会委員長による教会活動内容の紹介を行い、これを糸口に「どんなことから一緒に始められるか」についてのディスカッションを行った。調布教会の青年から、祈りなど共通の要素で新共同体としての活動ができればなどと、積極的な提案も出された。11時から幸田神父様と3人の神父様による合同ミサを奉げ、親睦研修会は「宣教協力体Jの前途を明るくさせる雰囲気のうちに無事終了した。
(幸田神父様の話、ディスカッションは別項参照)          (文責岩藤)




幸田神父様講話
『小教区再編成について』
                       
研修会の最初のプログラムとして、東京大司教区の本部で再編成プロジェクトを担当されている幸田 和生神父様にお話をして頂きました。その要旨は下記の通りです。

 今日の集会用にプリントを用意しましたので、それにしたがって話を進めます。
(1) 司祭のチームワーク
 岡田大司教は、来年4月からの再編の内容をこの12月末頃、発表されるということになっていますが、宣教協力体が発足したからといって基本的なことが変わるわけではありません。特に信徒にとって、自分の教会でのミサがなくなるという心配はいりません。一番不安を感じているのはむしろ司祭でしょう。これまで小教区は一人の主任司祭に委ねられていましたが、今後は他の司祭とのチームワークが必要となります。この再編成問題を話し合う司祭の研修会が来週(11月末)行われます。
(2) 司祭と信徒の関係
 しかしチームワークは司祭だけの問題ではありません。司祭、信徒、修道者のそれが重要です。これは地域によって異なります。例えば多摩の西部、あきる野教会と青梅教会には併せて一人の司祭しかおりません。千葉の東金教会には司祭がおらず、周辺の司祭がかけもちです。今回提案の多摩、調布、府中3教会については、調布はサレジオ会の聖堂、府中はミラノ会の聖堂、多摩は聖堂もないまま発足したというそれぞれ独特の歴史があります。一つの小教区になるように言われていますが、一気にそうはならないでしょう。しかし、3人の司祭が4つの教会を担当、というこことはあるでしょう。そして、教会に行けばいつも司祭がいて、信徒にとってその司祭がすべてという安心感は変わってくるでしょう。しかし、主日のミサと葬儀は確保すると大司教様は言っています。教会に一人の司祭がいて、その司祭と深く関わるということはなくなって行きます。
 良い面もあります。東京以外の仙台、横浜、大阪などではすでに始まっていますが、いろいろな司祭に会えるメリットがあります。複数の司祭から豊かなものを受けるのは素晴らしいことです。
(3) 信徒の課題
 外国人司牧の目標である「信者の生活を意味と希望と使命感で満たし、神との関わりわり、人との関わりの中で人格を完成させる」ということはむしろ、私たち皆の課題です。
 カテドラル建設の工事現場で働く人に「あなたは何をしているか」とたずねたら、ある人は「煉瓦を積んでいる」「壁を塗っている」と答えたが、別のある人は「カテドラルを作っている」と答えました。これは、私の人生は神から見て大切なことをしているということを認識している人で、ここにミッションの意識、すなわち使命感があります。他人に迷惑をかけなければ何をやっての良い、楽しければ良い・‥これはカトリックではありません。人は自分のために生きるのではなく、人のため、神のためにあるとの考えがミッションです。たとえ体が動けなくても祈ることはできます。祈れなくてもキリストの苦しみにつながっている、神につながっていると感じられれば、それがミッションで、教会の使命は2000年前、イエスが神から遣わされたことを受け継ぐことにあります。
(4) 宣教協力体の課題
 プリントの4に列記した3つのこと(福音のメッセージ、共に祈る、助け合い)ができれば教会はそれで良いと言えるでしょう。
福音のメッセージの分かち合いです。伝統的なキリスト教国では生活と信仰の共同体が一致しています。福音のメッセージ、自分たちの中に神がいてくれることを、親から子に、子から孫に伝えて共に祈ってきました。
 しかし、とくに現在の日本では小教区が生活共同体の土台になっていません。同時に家族の結束も弱まっていて、親から子、孫へ伝えるのが困難になっています。また人と人の支え合いも困難です。問題があればあるほど人は孤立してしまいます。ミサはあるが福音を伝えているかが問われています。かつて教会は信徒を壮年会、婦人会、青年会の3つに分けていました。それで管理し易くなるという発想でした。私たちは一人では生きられません。教会の中に一人で寂しい人がいます。信徒同士が支え合い、助まし合うことが大切です。
 小さい共同体、自助グループを作り育成することも進めています。例えばアルコール依存グループのように、同じ悩みの者が支え合い、話し合う。教会では自分の辛いことを話せなくても、同じ悩みの人の中ではできることがあります。今の日本社会は能力で人を分けているので、共同体ができにくくなりました。最も貧しい人を中心にしたとき共同体ができます。
 今までは司祭がいないと何もできをかった。宣教協力体が共有する課題を発見し、信徒同士が支え合うことが決定的に大切です。
(5) みんなが参加する教会
 教区が目指しているのはみんなが参加する教会です。聖書と現実が出会ったときに課題が見つけられるでしょう。司祭と信徒代表が同じテーブルで共に話し合い、一緒に考えてください。
(6) 講話の後の質疑応答
Q:若者が少ない。若い人に今日のような話を伝えなければ。
A:教会が本当に意味があること、人々が必要としていることをしていれば、若い人は来ると思います。外国人の子供の学習を手伝っている若者たちの例を知っているが、未信者を含めてみんな生き生きと福音的に生きています。
Q:教会は内側に向かっている。外に向かうメッセージがない。例えばローマンカラーをしていないと司祭かどうか分からず、カリスマ性が欠けるのでは。
A:司祭がミサのためだけに走り回っていては、どんどん内向きになってしまうでしょう。キリスト者の使命を果たすためには、みんなで考えようと言うのが今回のメッセージです。外に向かうためには今のやり方を変えなければんりません。
Q:若者について。
A:若い人が求めていること、感じていることは私たちのそれとは違う。若者の問いかけにどう答えるか、それが私たちの使命です。

 


親睦研修会2日目の話し合いについて

11月23日(土)09:00〜11:00
参加者:約60名(宿泊者と当日参加者を併せて)

初めに幸田神父様の祈りに合わせて、皆で主の祈りを唱え、会議を始めました。
宮下神父様の司会で、府中、調布、多摩の順に教会委員長から各教会の概況について説明をしていただきました。その要旨は次の通り。

1.府中教会:濃畑 雄四郎委員長
府中教会の起源は、渋谷に本部を置くミラノ外国宣教会が1978年にこの地に支部を設立したことに遡る。その当時府中はまだ田舎の町で、歴史のある、保守的な町だった。しかも大国魂神社の参道に造られたという教会である。しかし、その後人口も増えて、カトリック墓地に近いこと、駅から歩いて10分という地理的な便利さから、集まる信徒も増えて、1991年「聖家族に捧げられた」新しい小教区の教会として出発した。若い夫婦連れ、子供が多く、信者の年齢構造が他の教会と違う。その意味で活気がある。現在の在籍信徒数は700名弱である。
主日のミサは日曜日の8時と10時、土曜日の夕刻7時30分に行われ、月の第三日曜日には英語のミサが行われる。外国人の間にはネットが広がっており、かなり遠くからも参加者が来ている。宣教会は修道会と少し違うので、自由な雰囲気が感じられる。その特徴的なことを挙げてみると:
@子供が多いこと。 A英語のミサではフィリピンのチームが主体となって、合同で主日のミサを捧げること。 B年2回インターナショナル・ミサを行うこと。聖歌隊もタガログ語で歌えるように練習して参加する。 C高校生を中心にしたホーク・ミサを月1回行う。若者が関われるミサで、子どもたちも喜ぶ。もちろん伝統的な人々には反対もあるが。 D7・8年前から始めたことであるが、12月23日に市民のクリスマス会を開くこと。きっかけは当教会で結婚式を挙げた未信者のフォロー・アップを考えるということで、その人たちを対象にミサでなく、落ち着いて祈れるような礼拝とミニ・コンサートという形で呼び掛けた。信徒たちからも喜ばれ、音楽も相当レベルの高いもので、弦楽合奏と聖歌隊の演奏が主である。 Eパーティをやたらと多くやること。バーベキュー、居酒屋、フィリピン料理、流しソーメン、お正月餅、初聖体などの名のパーティである。全員参加という形である。 F最後に自慢できるホームページがある。チェレスティーノ神父様と神学生の尽力で、教区本部より早く立ち上げた。非常にこったもので、教会便りやチャットのページもあり、誰でも書き込めるようになって、若い人たちに利用されている。
これからの問題としては、今大勢いる小・中学生が高校生、あるいは青年になった時、その後をどうするかということである。
○質問に答えて:(常時ミサに参加する信徒の数は)日曜日の10時が100名強、8時が10〜20名ほど。(パーティなどが多いが奉仕活動への負担はどうか)委員としてこれまであまり負担に感じたことはないが、常時同じようなスタッフがそれぞれ専門の分野を担当するという問題はある。ある意味では役割分担が出来上がっている。費用の負担はパーティごとに献金箱を設け、収支トントンということである。婦人の方々の持ち寄りパーティは少し負担になっていると思う。人的な問題としては、青年が少ないということで、この年齢になると出て行ってしまう。委員になる人が限られて、同じスタッフということになる。婦人は多いが、壮年層が少ない。(女性側の問題として)婦人の中でも掃除を例にとれば、若い人は時間的に無理で、現在高齢層での5班のチームの編成に困難がある。

2.調布教会:岩下 敦委員長

当教会の起源はサレジオ会が調布の広い敷地に活動の拠点を開いたことにあり、そこに地域の人々が集まるようになり、その数が増えて1967年に正式に小教区として認められた。当時はその敷地ももっと広く、ゆったりとしたグラウンドがあった。サレジオ会の活動の主体は青少年司牧であり、ユースセンターとして活発な活動を展開してきた。子供たちは野球やサッカーに興じて、その延長として教会にも顔を出すというパターンができていた。それにボーイスカウト活動も行われており、30人程度の子供たちが所属している。
このようなサレジオ修道会の活動の中に教会としての組織が組み込まれている。
特徴としては、ボランティア活動が活発で、フィリッピン、アフガンなど海外の支援活動を行っている。サレジオ修道会が世界中に活動の拠点を持っており、日本からもサレジオ会の神父が世界の各地に派遣されている。その意味で海外と深い関わり合いを持っている。
音楽活動も盛んで、この12月7日にはチャリティ・コンサートが開かれる。アヴェマリア合唱団、調布の合唱グループなどが参加する。12月15日午後5時には村井国夫さんの歌とトークの会が開かれるので、是非参加していただきたい。
年間を通じて大きな行事は、7月の子供サマー・キャンプがある。ある意味では子供たちは恵まれた環境にあり、神学生やシスターたちの協力を得て、充実したキャンプ活動を行うことができる。それがある面では、信徒たちの甘えにつながっており、何でもかんでも神学生やシスターたちに頼るという結果になっている。
この数年は、このような点を反省して、青少年司牧を教会が主体となってやらねばならないという意識が出てきている。それはこの数年間で神学生の数が少なくなってきていることも関係している。子供会を教会主催という形でやるようになってきている。
教会運営委員の任期の問題であるが、10年位前までは、同じ人が長期にわたり同じポストを務めて、会計など10年以上にわたり一人の人に任せきりだった。活性化の意味もあり、委員の任期は2年と定め、委員長は一度やったら、二度とやらないというルールにした。そのため今では50代の人がやり尽くし、委員長の年齢が40代にまで下がってきた。新しい問題も出てきている。それは教会を長期に歴史的な視点から見られる人が少なくなり、3年前に決めたことが分からなくなったりしている。財務は2年以上5年位やったらという意見も出ている。財務や青少問題は、中長期的なスパンで見ていくということも大切である。長すぎない、短すぎないというバランスを考えなければならない。
教会の施設の問題であるが、信徒館が手狭になってきたので、建物の間仕切りを変えて、200人くらい入る広いホールにしたい。しかし、業者の見積もりでは、建物が古いため新築と同じ程度のコストがかかるとのこと。それに聖堂も現在350席からぎりぎり詰めて400席ほどであり、年に二三度は人があふれることもある。従って聖堂も広げたい。この二つの要請を調整してから、工事に着手する予定である。
広報の面で調布教会は弱い。府中がうらやましい。HPも企画されているが、オープンなものにするためには、カトリック教会としての主張、サレジオ修道会としての考えがあり、そう簡単には考えがまとまらない。
(尻枝神父様の補足説明)宣教会と修道会の違いは3つの誓願(従順、清貧、貞潔)を行うことで、サレジオ修道会としては世界に16,000人の聖職者がいる。ローマに本部を持ち、今年の4月の総会で組織の若返りが図られ、活気に満ちている。
質問=教会会計にOA化を進めているのか? ― PCA会計のソフトを入れている。サレジオ修道会への報告のシステムに従うためにも必要である。
質問=施設の建て替えの話が出たが、資金の面で準備の状況は如何? ― 資金の面でどのくらい集められるのか、未だ具体的には話し合っていない。現在の聖堂は建設の2期目で中断されている。お金の面では修道会との関わり合いがあることはもちろんのことである。土地については使わせてもらうという暗黙の了解が教会と修道会の間にある。
質問(府中)=府中は対外的なボランティア活動の面で遅れている。調布教会の活動についてもう少し詳しく話していただいきたい。 ― 対外的にはフィリッピンやアフガン支援活動の他に、フマニタスへの衣料品の提供、山谷へのお米の援助、高齢者訪問などを行っている。

3.多摩教会:岩藤 大和委員長

(当教会のことなので言及された項目だけを列記する。)
○ 1972年に小教区として公示されてから30年の経緯と現状
○ 今年の総会で確認された当教会としてのテーマ
○ 教会委員と地区委員の主な役割と活動状況
○ 年間の主な行事と岡田大司教様の3回の来訪
○ HPの公開準備と30周年記念ミサ
○ コルベ会の活動(補足的に波田野さんから説明)
○ 土曜日のミサの後祈りと歌の分かち合い(内山さんの発言)
○ 補足として宮下神父様から委員任期の改正を今準備していることについて説明。
幸田神父様から総括として、次のような発言あり。
「3つの教会の活動状況を聞きながら色々と考えさせられた。とっさの印象であるが、何れもの教会もそれぞれの歴史を持っていて、それを統合するということは無理である。福音を述べ伝えるという目的をしっかり持っていれば、お互いに実行の具体的なものが見えてくるという期待を持っている。」

4.参加者の発言と提案

宮下神父様から3つの教会が協力して行くには、「こんなことをしたら」という提案をどうぞという言葉に次のような発言があった。
○(調布・小野さん)一つの具体的なものとして、ロザリオ会というようなものを作り、3つの教会が同じ日、同じ時間に同じ意向で祈るというは如何か。地域的な課題を連絡し合って、そのために祈るということである。一緒に同じ意向で祈っているという実感を持てば、具体的な力になって行くのでは。
○(多摩・内山さん)小野さんの提案に大賛成である。共通のことのために神に向かい合っているということが信徒として最も大切なことである。それとみことばの学習を通じて、聖霊の働きにより神に近づくことを心がけている。祈りの共有ということの必要性を感じている。
○(多摩・二口さん)小さな意見かもしれないが、新しい人が教会に来たとき、誰かが教会にいて迎えてあげられるようにして欲しい。新しい人を含めて、どなたでも教会に居る場所があるということが大切。教会に来なくなった人たちにも、声を掛けることができたら。
○(調布・シスター松宮)ノビスを終えて16年前府中や多摩の方々にも支えられて誓願式を迎えたことを思い出している。3つの教会が一つになることは不可能ではない。調布以外のミサに与ることができるのは嬉しい。互いに祈りの雰囲気を味合うことから始まる。
○(多摩・シスター谷口)共にロザリオを捧げることは大切なこと。特にこの10月から2003年の10月まではロザリオの年として、教皇様からも使徒的書簡を頂いている。世界が一致して祈らねばならい時に、3教会で共に一緒に祈ることは大変嬉しいことである。
○(多摩・加藤さん)多摩教会が親睦研修会を始めて4・5年経つが、信徒間の交流の輪を広げてきた。同じようにお隣の小教区とお互いに知り合い、一緒の活動ができれば、その中で出来ることが見えてくる。例えば、当教会では教会学校の活動がリーダーの高齢化や子供の数の減少で難しくなっている。先日、調布教会の活動に参加して、その施設、リーダーの数を見て、うらやましく思った。具体的に来年の夏のキャンプを3教会で一緒にやることを考えていただきたい。
(文責 井上)



《現代に求められる司祭像》               助祭 田村路加

第ニバチカン公会議後、教会理解の変化に伴い求められる司祭像も変化したと言えます。それまでのようにキリスト論的枠組みの中だけではなく、教会論的枠組みの中でも司祭職を据える必要が出てきたのです。
 司祭職は伝統的に三つの任務に区分されます。聖化する任務、教える任務、治める任務です。それは司祭が救いの唯一の仲介者であるキリスト自身の祭司職、預言職、王職に参与する者だからです。中世においては司祭職が専ら秘跡の執行、特に聖体との関連で考えられたので、司祭職に関する中世のスコラ神学もその全体がキリスト論に基づいていたと言えます。スコラ神学においてその他の司祭の働きは二次的なものとされていました。このような司祭職の捉え方は福音宣教よりも秘跡を授けることに重点を置いていた中世の教会の実践に由来していましたが、司祭職のこのような捉え方自体も教会の実践をますます秘跡中心へと導いていたと言えます。しかし、第ニバチカン公会議が開かれると、神の民全体の祭司職が強調され、聖職位階に属する者の祭司職もその枠組みの中で捉えられるようになり、それと同時に、司祭職も何よりも奉仕職として理解されるようになっていきました。司教職、司祭職、助祭職の三段階をもって聖職位階とされそれらの秘跡性とカリスマ性が確認されるとともにその団体性が強調されていったのです。そして、彼らの果たすべき第一の任務はすべての者に福音を告げ知らせることとされ、福音宣教の務めが強調されるようになりました。現代もこのような流れの調中にあり、司祭職を神の民の交わりという視点から見直そうとしていると言えます。
 こうした視点の中で、司祭のアイデンティティーは模本的に「関係的」次元を持つ、あるいは、司祭の身分を要約すると本質的に「かかわり」の特性を持つと言われるようになりました。神の三位一体を源泉とする関係性が司祭職をキリストにおける神との交わり及び全人類一致のしるしであり道具である教会の交わりにまで広げていくと言います。司祭職の本性と使命はこのような関係性の多様で豊かな相互の結びつきの中にあり、すべての司祭は教会への奉仕のために立てられ、聖霊のたまものを通して教会への奉仕に結ばれるということです。とくに、司祭は「神秘」「交わり」「派遣」である教会の中で現存するキリストの奉仕者であると言われます。司祭は、復活したキリストの現存の教会的・秘跡的しるしを体現するがゆえに神秘としての教会の奉仕者。また、司教と一体となり司祭団との密接な関係のうちにあって、異なる召命、カリスマ、奉仕を調和させながら教会の一致を作り上げるがゆえに交わりとしての教会の奉仕者。そして、共同体を福音の宣教者と証人にするがゆえに派遣としての教会の奉仕者、ということです。このように、司祭はその秘跡的な本性と使命によって、復活したキリストが教会に与えた恩恵の絶対的な優位性と無償性のしるしとして、教会の構造の中に現れると言います。こうして、すべての司祭は教会と世界のニードにいつでも応えようという広い宣教の心を持ち、キリストの唯一の教会であるこの世界への奉仕のために立てられていくのです。
 ヘブライ書には「大祭司はすべて人間の中から選ばれ、罪のための供え物やいけにえを献げるよう、人々のために神に仕える職に任命されています」(5:1)と語られていますが、現代の司祭職も、人とのかかわり、とくにまだ見ぬ人とのかかわりなしには語り得ないものとされています。人との交わりを通して司祭職を志すに至り、人との交わりを通して育てられ、人との交わりへと遣われていく。そして、人との交わりへの奉仕を通して神への奉仕を果たしていくと言えるのでしょう。司祭には神と人に仕え、神と人を一つの交わりへと招く使命があり、それが実現できるのは司祭職が主イエス・キリストの使命と一つに結ばれているからと言えます。司祭はいつでも主の言葉に心を向けて養われ、主との交わりに生きることが求められているということなのでしょう。
 私の上に蒔かれた−粒の麦が、主のまなざしと支えてくださる皆様のまなざしのうちに豊かな実りをもたらすことができますように。これからもどうぞよろしくお願いいたします。

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