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2011年11月号 No.459  2011.11.19

希望のシンボル
晴佐久 昌英 神父
私たちのオアシス

内山  啓子

受付室窓口から 神田 高志

希望のシンボル

                        主任司祭 晴佐久 昌英 神父

 前回、9月に福島市の野田町教会を訪問したとき、市内でカーラジオから流れてくる異様な放送に驚きました。
「○○市、○○シーベルト。××町、××シーベルト。・・・」。
 言うまでもなく、福島各地の「本日の放射能」の数値です。アナウンサーがまるで天気予報のように淡々と読み上げるその放送は、SF映画の1シーンのようでした。
 野田町教会のトマス神父様とはその時初めてお会いしましたが、親切にもてなしてくださり、誠実なお人柄に大変好感を持ちました。神父様はポーランド出身で、故郷のお母様からの度重なる「帰っておいで」コールに参っているそうです。お母様は、息子の教会は事故を起こした原発の門のすぐ前にあると思い込んでいるそうで、遠い国で「フクシマの教会」と聞けばそう思うのも無理はないかもしれません。しかし、実際にその「フクシマ」に東京から来て、「本日の放射能」放送などを聞くと、まさに原発の門のすぐ前まで来たと言う実感を持ってしまったのも事実です。現にそこで暮らす人たちの怒りと苛立ち、不安と焦りはどれほどでしょうか。
 トマス神父様は教会に隣接する幼稚園の園長でもありますが、園児たちのことを大変心配していました。すでに県内外へ避難して行った子どもたちも多く、園生は半減していましたが、残っている子どもたちをどう守るかということに関して一幼稚園のできることには限界があり、行政も東電も当てにできず、それこそ途方に暮れるというご様子でした。
 何かお手伝いできることはありませんかとおたずねすると、ちょっと言いにくそうに、実は、震災で聖堂のマリア像が倒れて砕けてしまったのだけれど、こんな時だから再建もできずにいるのだと打ち明けてくださいました。さすがはポーランドの神父様、コルベ神父様もそうであったようにマリア様への崇敬がひとしおであることに感動しました。と同時に一瞬頭をよぎったのは「マリア像っていくら?」という、まことに恥ずかしくも現実的な思いでしたが、口では大見得を切ってしまいました。
「こんな時だからこそ、むしろ聖母像は希望のシンボルになるでしょう。ぜひ、わたしたち多摩教会から、寄付させてください。多摩教会では被災地支援として、毎月目的を定めて献金を集めています。10月はこちらの聖母像のために集めます」

 このたび、みなさんのご協力により献金が100万円集りました。心から感謝いたします。これくらいあれば、聖堂に見劣りしない聖母像を安置できるはずです。大見得切ったものとしてはほっとした、というのが正直な思いでもありますが、ともかくも11月はじめ、野田町教会に届けてまいりました。
 2ヶ月ぶりにお会いしたトマス神父様に「お変わりありませんか」とご挨拶すると「お変わりありました」とのお返事。なんと、幼稚園が閉鎖になるというのです。園児が減って立ち行かなくなったと言うことです。園児たちはもちろん、ご両親も職員も卒園生もショックを受けていて、園長としては何とか残したいと努力したのですが、修道会の決定なので仕方がないとのこと。
「わたしは、日本人がすぐに『仕方がない』というのが理解できなかった。原発のことでも、もっと怒りの声をあげ、反対し、行動すべきなのに、おとなしく『仕方がない』という姿に苛立っていた。しかし、今度という今度は、もうどうしようもない。まさに、仕方がない。わたしも日本人になりました・・・」
 返すことばもありませんでした。
 それでも、多摩教会からの献金をお渡しすると大変感激なさって、聖母像が安置されるときはぜひ、ミサを捧げに来てくださいとご招待されましたので、喜んでとお返事しました。都合が合えば多摩の信者さんたちも一緒に行けるといいなと思っています。そこでささやかな交流をして、互いに励ましあい、教会の喜びが生まれれば、まさに聖母像は希望のシンボルとして輝くでしょう。聖母は救い主の母、教会の母、被災地の母ですから。
 11月は、盛岡の信者さんたちの自主的な被災地支援活動である「ナザレの会」を応援することにいたしました。引き続き、献金をお願いします。



私たちのオアシス

                                            内山 啓子
 35年ほど前、関戸のマンション教会の頃、土曜日のミサは宮崎カリタス(今のイエスのカリタス)修道女会のかおり保育園の御聖堂で行われていました。ミサの後、私たちが集まる場所もなく、挨拶やお話しは階段の上下でなされていました。お互いの交流もなく、ミサの後は夕食の時間でもありましたので、すぐにそれぞれ家に帰って行きました。しかし週に一度は日中聖書の勉強会がありました。そんな時神父様がしびれを切らせて子供の教育についてそろそろ考えたらどうかと提案がありました。私たちも何かしたい気持ちはありましたが、教会ではないので保育園を自分たちの場所として使うことはできないと思っていました。そんな時一人の信者がこの教会は誰も話しかけてくれないといって「ものみの塔」に移って行ってしまいました。しかしその頃は誰もが他の地区から移ってきたばかりで、時間も場所もない状態で、ただミサに与っていただけですから、皆同じ気持ちだったと思います。
 それでもマリア被昇天やクリスマス、復活祭はここでマンション教会の人たちと一緒に、シスターの多大な御協力を得て、盛大に行われていました。そんな頃近所同士の信者が34人ほど、おやつを共にしながら、こんど家庭ミサをしてみない、ということになり、私の家でミサと食事会をしました。30人ほど集まり靴はお風呂場にまで並べ、カレーライスなどで食事をしました。そして月に一度は家庭ミサ、又は近くの里山などに出かけ一緒にピクニックをしたりしていました。そしてどんどん仲よくなり、お互いの家にいったりきたりして深い仲間意識が生まれてきました。
 マンション教会の人たちから、かおり地区はみんな輝いているねと羨しがられましたが、そのうち新しい御聖堂づくりが始まり、今の信徒館ができて始めて一つになり、ミサが土・日ともここで行われるようになりました。そして家庭集会はなくなり、ミサ後は会議や教会学校などで集まっていましたが、宮下神父様の頃、軽食サービスをしようということになり、最初は大変という気持ちが強かったですが、二ヶ月に一度ということもあり、皆協力して働きはじめました。今は一人暮らしのお年寄りや精神的不安定な方、又教会になれていない人たちのよりどころになっているようです。
 私は土曜日のミサに出ているので、その恩恵にはなかなか与れませんが、土曜日のミサの人たちもこんな交流が出来たらいいなとは思いますが、みんな家族が待っているので、すぐに帰る人が圧倒的です。そして私たち数人が残って祈りの集いを長い間行ってきました。土曜日の夜は誰もいない御聖堂と静けさがあります。祈りをするのに最高です。私たちのオアシスとなっています。



受付室窓口から
                                             神田 高志
 受付室ガラス窓に本日の当番表氏名を表示している。初めて訪ねて来られる方々は先ずそれに目をやられ、それから声をかけてこられる。
 その一瞬の雰囲気を逃がさず判断して、窓をあけて応対する。先方様にいやがられないと判断したうえで、率先して聖堂など御案内することにしております。
 この頃の訪問者は広報部の成果といいますか、ホームページを見て来られた方が増えております。すでにコルベ神父様の聖なる御遺物は御存知の方も多く、又反対に全く知らなくて驚かれる方もおられるのは不思議ではないと思います。この事については少し詳しく書きたいと思っておりますが、紙面の都合であと回しにさせて頂きます。
 さて、先日午後五島出身の方で現在は栃木県に住んでいて、近くにいる御子息のお嫁さんのお産のおてつだいに来ているというMSさんが訪ねてこられた。この方の本当の目的は晴佐久神父様の主日のミサにあずかり、生の説教を聞きしたい。その為に前もって道順等下調べに訪ねて来られた由。
 永山駅から教会までの道すがら、初めての教会でどうか良きお話し相手にめぐり会えますようにと願いつつ来られたとお聞きして恐縮した次第ですが、小生こそ全く同じ様な思いでこの日勤めていたものであります。
 113日、休日で一日当番表が空白でした。この様な祭日に教会外からの訪問者が来られるにちがいない、このような日こそ小生の出番であると勇んで朝9時から夕方5時半迄一日勤めた次第です。ちなみに晴佐久神父様は12時頃高円寺教会へ出かけられた。澤田和夫神父様ダイヤモンド祝ミサの為に。
 澤田神父様といえば、多摩教会発足当初、農協でのミサ、関戸ビル505号室2DKマンションでの最初の黙想会。私的には家内と二人浅草教会を訪問した折、キリシタンの詩をうたって下さったなど、貴重な思い出を持っております。
 話は戻りますが、MSさんへ聖堂にコルベ神父様の聖遺物がございますよ、と告げると一瞬言葉がとぎれて「エー、エー、エー」。
 実はMSさんのお母様冨美子様は長崎から帰国されるコルベ神父様から直接マリア像を頂かれたそうです。その御像は現在妹さん宅にあって、311日の大地震に棚から落ちてもこわれなかったそうです。それをお聞きして、今度は小生の方が「エー、エー、エー」。この後台所に席を移して合わせて1時間3040分位も話し込みました。
 この日には他にも潮見教会の御婦人、前記MSさんお二人合わせて売店アンジエラでも合計7,000円近く買物して頂いた。午前の電話は宮古の御婦人、三軒茶屋の方他、もちろん当教会信徒の方々も45名顔をみせられたし、本当に良い一日でした。
 訪ねて来られるのは、こんなにいい人達ばかりではありません。中にはサタンの回し者かと思われる様な人も入って来られます。デスク?から顔を上げて窓の外をみる時は緊張の一瞬です。最高に気が抜けないのは、二階から足早に音もなく来られる晴佐久神父様の時で、自分は何も隠れて悪い事をしていないにもかかわらず、神父様のスピードに巻きこまれてあわててしまう。
 やはり罪深い人間である証しなのでしょうか。

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