梅雨に入り、毎日雨が続いていますが、みなさん、体調はいかがですか。
湿度が高く、温度や気圧の差が激しいこの季節は、体調の思わしくない方も多いのではないでしょうか。
そういえば、つい先日、弟から電話がありました。
「あるところで、『晴佐久神父が大変体調が悪いらしい』と聞いたけれど、大丈夫か」と。
いったいどこでそんな噂が広まっているのか知りませんが、笑って即答しました。
「聖書に手を置いて誓いますが、わたくしは今、申し訳ないほど体調良くて、すこぶる元気に過ごしております。どうぞご心配なく」。
むしろ最近は、夕方に一時間ほど歩く習慣が身についたせいで、ますますいい感じです。
たぶん、わたしの無愛想な表情や、弛緩した振る舞いのせいだと思うのですが、叙階してから27年間、わたしはずーっと、面白いほど同じことを言われ続けてきました。
「顔色がお悪いですね」「お痩せになったみたい」「どこかお加減が悪いんじゃないですか」
そんな病人が全国を飛び回って講演したり、大群衆の集まるローマの列聖式に出かけたり、毎夏無人島に大勢の青年を連れていったりしたら、とっくに命を落としていそうなものですが。「どうぞみなさん、むしろご自分の心配を」というのが正直な気持ちです。
実際、調子が悪いときは無理をなさらずに、お体を大切になさってください。
たとえば、ミサは大切ですが、ミサに集まれるのも体あればこそ。無理して出かけて体調を崩しては元も子もありません。この季節は、熱中症も心配です。体調すぐれないときは大事を取って、「おうちミサ」をすることを、主任司祭として許可いたしましょう。
「おうちミサ」とは、ミサの時間に合わせて我が家でお祈りすることです。もちろん秘跡に代わるものではありませんが、やらないよりは100倍良いですし、イエスさまはちゃんと共にいて、特別の恵みを与えてくださるでしょう。
準備するのは小さな十字架をひとつと、聖書と典礼があれば十分です。もしあれば、ろうそくに火をともし、聖歌集も用意します。
ミサの時間が来たら、十字を切り、回心の祈りを唱え、憐みの賛歌と栄光の賛歌を歌い、集会祈願をお祈りします。
続いて第一朗読を朗読し、答唱詩編を歌い、第二朗読を朗読し、アレルヤ唱を歌い、福音書を朗読します。聖書と典礼に全部載ってますから、出来るはずです。その日の説教は、翌週までにはホームページの「福音の村」に載りますから、後でお読みください。前週までの説教から選んで読むのも、いいかも知れません。それから信仰宣言をし、共同祈願を唱えます。おうちミサでは自由にお祈りできますから、たくさんお願いしたらいいと思います。
ついで奉納祈願をお祈りし、感謝の賛歌(聖なるかな)を歌います。主の祈りを唱えて、平和の賛歌(神の小羊)を歌います。そうしていよいよ、霊的聖体拝領をします。霊的聖体拝領とは、信仰によって魂の世界でご聖体を拝領することです。「キリストのからだ、アーメン」と唱えて胸に手を置き、主をお迎えします。
最後に拝領祈願をお祈りし、十字を切って終わりです。歌が苦手な方は歌のところを省いても構いませんし、得意な方は開祭や閉祭の歌も選んで歌ったらいいでしょう。
ちなみに、そんなおうちミサのためにも、次週以降の聖書と典礼を持ち帰っておくことをお勧めします。これは、ミサに来られるときは忘れずにお持ちください。
もっとも、疲れているとき、気分のすぐれないときは、十字をひとつ切るだけで充分です。あとは聖堂で祈る仲間たち、また全世界のミサで祈っている仲間たちにお任せして、大船に乗った気持ちでお休みください。
離れていても心はひとつ。体は聖堂に行くことはできなくとも、祈りのうちに霊的に一致していれば、ご自宅はもはや聖堂の一部です。逆に言えば、聖堂は体調の悪い仲間たちのご自宅の一部です。いつもそんな一致を意識しながらミサを捧げましょう。
もちろん、長期にわたってミサに来られないときなどは、司祭がご聖体をお持ちしますから遠慮なくお申し出ください。ご聖体は、病床訪問グループのメンバーがお届けすることもできますし、司祭の許可があれば、信者のご家族が持ち帰ることもできます。これは、短期でも可能です。
かくいうわたしも、いつかはホントに「大変体調が悪く」なり、それこそ「ベッドミサ」しかできなくなる日が来るかもしれません。聖堂でミサを捧げられる日々がどんなに恵まれているかをいつも忘れずに、一つひとつのミサを、感謝をこめてお捧げしようと思います。
【 連載コラム 】
「私のオアシス」
皆様、こんにちは。私はカトリック多摩教会で、皆様のお仲間に入れていただいて3年少々です。まだまだ、カトリックについて分からないことも多く、諸先輩に伺ったり入門講座で神父様にお尋ねするという日々です。そんな私ですから大勢の先輩の信者さんの前で特に語るべき言葉もなく、この原稿を頼まれた時、心では「無理、無理、絶対無理!」と叫びつつ、でも断ったら係の方が困られるだろうなあと、つい格好をつけ引き受けてしまいました。「しまった!」その結果、パソコンの画面を睨みながら「うーん!」と言葉に詰まっている私です。
今でこそ毎週末、いそいそと多摩教会のミサに通っていますが、それでも「人生、この年になってもまだ、何が起こるか分からないなあ!」というのが素直な気持ちです。
私は多摩市に住んで久しく、家も偶然、多摩教会の近くにあります。四季折々、川辺を散歩して白く美しい多摩教会を見上げながら、「残念だけど、この教会に私が足を踏み入れることは、まずないなあ」とずっと思っていました。
でも、特にカトリックというものに偏見を持っていたわけではなく、大好きな教会音楽、勝手に人生の師と仰ぐ犬養道子女史、そしてマザーテレサ、むしろ私の大好な方々は皆さんカトリックの方でした。そして、最近まで気づかなかったのですが、私が20代の頃からずっと大切に思っている日本二十六聖人もカトリックの信者さんだったのですね。
私は、その昔、地方の片田舎で救世軍の路傍伝道に感化を受けクリスチャンになった父を持ち、幼い頃から日曜日は家族みなで教会に通う家に育ちました。そんなわけで、その後、大人になりあちこち転居しても、その地その地にあるプロテスタント教会にお邪魔して大変お世話になりました。
親しい友人に誘われ一度だけのつもりで初めて多摩教会に伺った時、それこそ聖堂へ続く階段はアイガーの北壁のように高く思われました。それが、ひと言で言えば「神の摂理」ということでしょうか!全くもって人生何が起こるかわからない!今では帰るべき我が家が、カトリック多摩教会です。
今、私が多摩教会で一番好きな場所は祈りこめられた聖堂です。
そして、聖堂に掲げられている十字架とキリスト像を見つめながら、神父様のお話を伺っている時は、まさに心安らぐ至福の時です。日常の雑事を忘れ、心のエネルギーとして御言葉を蓄えます。ひたすら「主よ、憐れみ給え。主よ、憐れみ給え。と皆さんと一緒に声を合わせ祈る時、まさにここが私のオアシス」の瞬間です。
神父様のお話を伺いながらそっと目を閉じます(決して眠くなったわけではありません)。2000年前のイエス様もイスラエルのガリラヤ湖畔で、こんな風に語られていたのでしょうか。イエス様を慕うたくさんの信者さんと一緒に私も野の花が咲く草の上に腰を下ろし、顔にそよ風を受けながら、一心不乱にその福音に耳を傾けているような錯覚を覚えます。
美しいミサに毎週通い、神父様が語られる福音を聞き続けて最近思うことは、昔より生きることが楽になったということ。
3度もイエス様を知らないと言ってしまったペトロを、それでも赦しながら見つめておられるイエス様の深いまなざし、「あのまなざし」は、まさに私のためのまなざしです。
これからも健康を許され、なんとか万障繰り合わせては、いそいそとミサに行きたいと願っています。
【 例会報告 】
前日、関東でも梅雨入りの6日、時折の豪雨の中を教会に集まり、初金のごミサにあずかりました。この日の福音(ヨハネ21・15-19)から、「わたしを愛しているか」とペトロに三度も問いかけられたイエスのことばを受けて私たちも、「ハイ、私はあなたを愛しています」とお答えすれば、イエスは、「わたしに従いなさい」とおっしゃるでしょうとの晴佐久神父様のお説教でした。
続いての初金家族の会、信徒の横浜市青葉区、小林寛嗣(こばやし・ひろし)さんから、去る3月インドでの一週間のボランティア体験を伺いました。本を読んだり、写真集で見たりはしていたものの、町中を覆うばかりのすさまじい大群衆、極端に貧しい人々の現実、沐浴場(もくよくじょう)バラナシの物凄さなどに圧倒されたとのお話しは、私たちにとっても文字通り、「目から鱗が落ちる思い」でした。
そんな中でマザー・テレサ創立の「死を待つ人の家」では、手足の固まった老人たちの体をさすってあげたり、ドロドロの汚れ物を洗ったりのボランティア活動に専心している日本人、特に医療関係者の活躍が目立ち、若い学生なども交じっての献身的な奉仕活動を目の当たりにされたそうです。
長く引き継がれたままの厳格なカースト制度(階級、身分制度)の中で暮らす人々の中で、純真な子供たちの素朴な笑顔が心を和ませてくれたなど、日本の現状とのあまりの違いに大きなカルチャーショックを受けたという小林さん、また機会を作って是非ボランティア活動で再訪問したいとのことでした。
次回、7月4日の初金家族の会では、ニューヨークに7年間、南太平洋フィジーに2年間滞在後、現在、在日外国政府機関に勤務し、広報を担当されている小野原さんに興味深いお話しをお伺いします。
初金家族の会ではお昼前の1時間、お茶を飲みながら盛りだくさんの話題と出会うことができます。どなたもどうぞご自由に、気軽にご参加ください。