2013年10月号 No.482

発行 : 2013年10月26日
【 巻頭言:主任司祭 晴佐久 昌英 】


アンパンマンとイエスさま

主任司祭 晴佐久 昌英

 これを書いている今日、10月16日、やなせたかしさんが13日に亡くなったという報道が流れました。94歳でした。いうまでもなく、国民的キャラクター「アンパンマン」の生みの親であり、日本漫画界の最長老として多くの人に尊敬されていた方です。
 詩人でもありイラストレーターでもありましたが、やなせたかしが生み出す作品は、いずれも愛と優しさ、普遍的な正義に満ちていて、その作品やメッセージと本人の生き方が見事に一致しているという意味でも稀有な存在でした。彼の作品によって、どれだけ多くの人が優しい気持ちになり、どれほど多くの子どもたちが励まされたことでしょうか。

 わたしは、やなせさんと一緒にお仕事をしたことがあります。
 もう25年も前ですが、司祭になって間もなくの1989年、わたしの絵本の絵を描いてくださったのです。『みんなでうたうクリスマス』という絵本ですが、わたしにとっては人生初めての出版物であり、しかもやなせ先生が絵を描いてくださったということで、忘れることのできない、大切な絵本になりました。
 これは、クリスマスの物語を話し言葉でつづり、それにメロディーをつけて歌にするというミュージカル仕立ての絵本で、巻末には楽譜も載せ、合わせてスタジオ録音したCDも発売したということもあって、その後、多くの教会学校や幼稚園が聖劇として利用してくれました。今でも各地で親しまれていて、「ぜひ聞きに来て欲しい」と、幼稚園の発表会などに招かれることがあります。もっとも、つい先日、今年司祭叙階した若い神父さんから、「ぼくは子どものころ、あの絵本で育ちました」と言われて、もうそんなに年月が過ぎたのかと、感慨深いものがありました。
 この絵本が出たころは、ちょうどアンパンマンのテレビ放送が始まったころでしたが、わたしはまだ30歳そこそこ。若気の至りで、やなせ先生が最初に描いてくださったラフスケッチに、「自分のイメージと違う」などと意見したのを覚えています。よくあるような、飼い葉おけに寝かされているおさなごイエスを囲む聖家族の絵ではなく、大地から太陽のように顔をだした、あまりにも可愛くてあまりにも巨大なイエスさまの、まあるい顔だけが描かれていたからです。
 70歳の巨匠の大胆なアイディアにケチを付けるなんて今考えると冷や汗ものですが、先生はやんわりと、しかしハッキリとおっしゃいました。「これがイヤなら、降ります」。あわてて、「いえいえ、ぜひこれで」ということになりましたが、さて、出来上がった絵本を改めて眺めているうちに、なるほど、これこそまさにイエスさまだと気付かされたものです。すなわち、どこまでも優しくて、圧倒的に大きくて、すべてを超越する、救い主。

 実は、やなせたかしがクリスチャンであると知ったのは、ずいぶんたってからです。そう言われてみると、先生の作品の根底に、単なる善悪二元論を超えた超越的な正義感や、ひたすらに他者を喜ばせるという、キリスト教的な愛の精神が流れていることに気づかされます。
 以下、先生の語録です。
 「人生で何が一番うれしいかというと、人を喜ばせること。人を喜ばせることで、自分もうれしい」
 「お互いに相手を喜ばせれば、何もかもうまくいくはず」
 「アンパンマンは世界一弱いヒーローだけれど、自己犠牲の精神なんだよ」
 「自分はまったく傷つかないままで正義を行なうことは非常に難しい」
 「困っている人、飢えている人に食べ物を差し出す行為は、立場が変わっても、国が違っても『正しいこと』には変わりません」

 もしかすると、パンである自分を食べさせて他者を救うアンパンマンこそは、イエスさまなのかも知れません。先生が亡くなられたと聞いて、先ほど、久しぶりにこの絵本を開き、まあるいイエスさまを見ていましたが、なんだかアンパンマンに見えてきました。
 「わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる」(ヨハネ6・51a)
 先生、ありがとうございました。先生も永遠の命に入られたのですね。
 もう絵本のことはお忘れかも知れませんが、先生のお描きになったイエスさまは、今もなお、大勢の子どもたちを喜ばせていますよ。


『みんなでうたうクリスマス』(表紙)
『みんなでうたうクリスマス』(表紙)

まあるいイエスさま
まあるいイエスさま

(上記画像はクリックすると大きく表示されます)


※『みんなでうたうクリスマス』 <絶版>
 絵:やなせ たかし 文:晴佐久 昌英 曲:塩田 泉 
 大型本(絵本) 
 出版社 : 女子パウロ会(1989/9) / 初版発行 : 1989年9月20日 

【 連載コラム 】


連載コラム「スローガンの実現に向かって」第34回
「美味しいパスタスープの作り方」

桜ヶ丘地区 奥原 華

 どんな時もどんな所でも、だれかのオアシスであること・・・そんなことがすべての人の現実となって、世界がグンと平和になりますように。

 15年ほど前に小さな巡礼団に参加しました。
 成田を出発し、イタリアへ。ミラノの空港からクロアチアのスプリト空港へ。そこから戦火の傷跡もまだ生々しい旧ユーゴスラビア (ユーゴスラビア紛争:1991〜2001の間に旧ユーゴスラビアで民族紛争が起こり、6つの国に分かれる。クロアチアとボスニア・ヘルツェゴビナは1995年に独立) のいくつかの町や村を通って、延々とバスに乗り、ようやく目的地のメジュゴリエに着いたのは、夜中のことでした。それは、ボスニア・ヘルツェゴビナの小さな村で、マリア様のご出現で知られているのです。
くたびれ果てて、口数も減り、やっとの思いで民宿にたどり着いた私たちを、宿屋の主人は人懐っこい笑顔で出迎え、開口一番、こう言ったのです。「勝っちゃってごめんなさい」
 ちょうど当時、サッカーのW杯が開催されていて、初参加の日本がやはり初参加のクロアチアに負けたばかりでした。みんな思わず笑い出し、脳みその緊張が一気にほぐれたように感じました。

 巡礼団は食堂に通されました。そこではちょっとシャイだけど頼もしい女主人がおいしいライ麦パンとスープを私たちのために用意して待っていてくれました。今思うと、とても素朴なパスタスープでした。
 「星」だったか、「アルファベット」だったか、細かいパスタが唯一の具材で、ごく普通のコンソメスープだったと思います。それでも、とてつもなく美味しいパスタスープで、あれから幾度かあの味を再現しようと試みましたが、成功したことがありません。
 ちょうどそのころのメジュゴリエは、若者の集いが催されていて、世界中のありとあらゆる国からやってきた若者たちの熱気であふれかえっていました。
 若者の集いの大会が盛大に開催されたマリア様の祝日の翌日は、ご変容の祝日で、マリア様のご出現の丘に夜中から登り、朝日を眺めるのが、メジュゴリエの恒例行事となっています。
 私たちも登りました。すがすがしい朝でした。メジュゴリエ全体がオアシスみたいなところでしたが、あの宿屋の主たちはオアシスを見事につくり、美味しいスープで私たちをもてなし、私たちは疲れもなんのその、世界中から来ていた大勢の若者たちとともに丘に登り、歩き回り、ミサに与り、讃美歌を歌い、平和のうちにメジュゴリエで過ごすことができました。

 最近、少しわかりました。美味しいパスタスープの作り方は、まずはオアシスをつくること。
 あのとき食べたスープは疲れた人を癒す、まさしく荒れ野のオアシスのスープだったのです。
 あれから洗礼の恵みも授かり、現在、多摩教会で「カフェ・オアシス」という、教会にいらした人にコーヒーをサービスするグループにも参加しています。ひたすら美味しいコーヒーを提供できるように、文字通り、オアシスであることを心がけたいものです。まずは身近なところから。

【 投稿記事 】


「どうぞおはいりください」
-お茶もお菓子もございます。お代はいただきません。-

関戸・一ノ宮地区 尾崎 ナオ

 「泣いた赤鬼」という童話をご存知ですか?
 村はずれに住む心優しい赤鬼は、鬼であるばかりに疎外され孤立していました。ムラビトたちと仲良くなりたくて、「おやつの会」という立て看板を出して、無料カフェを始めました。けれども、「行ったら最後、捕って食われる」と恐れられれただけで、ムラビトとの距離は開くばかりでした。
 山向こうに住んでいる青鬼は、赤鬼のムラビトに対する幻想を危惧しながらも、傷つき弱り果てた赤鬼のために一肌脱ぎます。「いい赤鬼」が「わるい青鬼」を退治するドタバタ芝居をプロデュースし、体を張って演じきります。赤鬼は、青鬼の目論見どおりムラビトたちのヒーローになります。

 「わるい青鬼」は棲家に居続けることはできません。芝居を打つことにしたときから決めていたとおり、赤鬼の望む幸せのために静かに消えます。
 一方赤鬼はムラビトにとって仲間ではなく、あくまでもまれびとなのでした。そのことを思い知ったとき、赤鬼は青鬼を山向こうに訪ねます。そこには青鬼からの思いやりあふれる手紙が残されていました。赤鬼は青鬼の無償の愛を知り、青鬼の友情を粗末にしたことに気づき、永遠に失った一番大切な友人との時間を悼みます。

 赤鬼も、2匹集まればムラを作り、3匹寄れば派閥を作る習性は、ムラビトと同じ。でもなぜか、鬼はムラビトよりも一人ぼっちが似合っています。
 青鬼は今日も旅しているかしら。雨に降られたら雨宿りしていってくれるかしら。
 赤鬼は今日もひとりお茶をしているかしら。お散歩ついでに、ふらりと多摩教会のおやつの会を覗いてくれるかしら。


※ 「おやつの会」
 毎週木曜日の午後3時から、信徒会館1階で開かれる、気軽な集い。お茶やおやつを囲んでおしゃべりを楽しみます。少しですが、詳しくは、→ こちらをご覧ください。

【 例会報告 】


初金家族の会 10月例会報告

広報: 志賀 晴児

 10月の例会は、14日、聖フランシスコの記念日でした。貧しさを選び、神様の愛と慈しみを全ての人にと説いた聖フランシスコの精神を学びたいと願いながら、初金のごミサに(あずか)りました。ごミサで晴佐久神父様は「フランシスコ教皇様の意向のためにも心をあわせてお祈りしましょう。意向のためにとは、《心をあわせて一緒にお祈りするという、祈りでのつながり、結びつき》を意味するのです」と説明され、この日に相応しいお説教でした。

 ごミサのあと、40人ほどの方が信徒会館に集まり、今回は11月のカトリック死者の月を前に、典礼、広報、霊園担当役員で前の委員長、竹内秀弥さんの教会葬儀とカトリック霊園についての卓話に耳を傾けました。葬儀、お墓のことは、いつの時代でも、どなたにとっても大きな関心事です。イエス・キリストの復活を信じるカトリック信者には、死は永遠の命への門出であり、約束された希望によって悲しみの中にも安らぎを覚える祈りのひとときですが、初めて教会の葬儀に参列された多くの方々にも、しばしば大きな感銘を与えています。卓話では葬儀の手順、慣例など具体的な説明をはじめ、五日市の教会霊園への毎年の共同墓参会のことなど多岐にわたるお話を伺い、出席者からの質問も相次ぎました。

次回は11月1日(金)に開かれ、「介護について」を予定しています。人それぞれ何時かは、介護するか、介護されるかに直面します。経験者のお話を聞きながら話し合いできればと思っています。